2020.08.02

・・・疲れると、中島みゆきのシングル1994〜2009を集めて作ったCDを聴いているとまた元気になる。最後に『愛だけを残せ』があるので、いつもその曲が頭に残る。《愛だけを残せ 壊れない愛を 激流のような時の中で 愛だけを残せ 名さえも残さず いのち(生命)の証に 愛だけを残せ・・・》「名さえも残さず」という処が気になっていて、世の中に貢献しながら名前を残さなかった多くの人々の事かなあ、と思った。そうすると、「愛」というのは男女の愛だけでなく、他者一般への愛、共感、という意味かもしれない、と考えたのである。しかし、調べると、これは松本清張の『ゼロの焦点』が2009年に映画化されたときの主題歌として作られたらしい。歌詞の内容はその小説に対する中島みゆきの感想と考えるのが自然だろう。戦争中の隠したい過去と決別するために名前を変えて結婚したという設定の(主人公の夫)のことに関係しているのかもしれない。小説を読んでみようかなあ、と思った。

・・・この中で、同じく「愛」を歌っている曲が『たかが愛』である。《僕はたかが愛に迷い そしてたかが愛に立ち止まらされても 捨ててしまえない たかが愛》がサビである。男が一生懸命仕事に精を出すあまり「たかが愛」として恋愛や家庭をおろそかにする、という事に対する皮肉と受け取ることもできるだろう。一番の歌詞では、冒頭の《まちがいだけを数えていても人の心をなぞれはしない》が引っ掛かる。女の悩みに理屈で答えてしまう男を皮肉っているようにも思えるが、《教えておくれ止まない雨よ 本当は誰を探しているの》と繋がると、これは男の自己反省だろう。「人の心」とは自分の気持ちを意味しているのである。2番の冒頭《傷つき合ったさよならだけが形に残るものだとしても たしかにあったあのときめきが いつか二人を癒してくれる》というのはやや月並みかもしれないが、「愛」というのはその結果が問題なのではなくて、いつまでも繰り返し過去を蘇らせて未来を想像する「心」の問題であるということだろう。そうなると、これは中島みゆき本人の気持ちを歌っているとも受け取れる。学生時代に何かあったのかもしれない。。。でもまあ、こんなことを考えるまでもなく、よく出来た曲である。

・・・この中で一番衝撃的な曲はやはり『命の別名』だろう。『聖者の行進』というテレビ番組の為に書かれた曲である。番組に登場する知的障害者に帰依するかのように成り代わって歌っていて、その共感力には脱帽するしかない。

・・・《知らない言葉を覚えるたびに 僕らは大人に近くなる》と静かに始まり、そりゃまあそうだろう、と思っていると、《けれど最後まで覚えられない言葉もきっとある》と来て、ちょっと引っ掛かる。そういえば、『ローリング』にも《どうしても一つだけ押せない組(電話番号9桁の組)がある》という謎の句があった。妻に訊くと「私なんて覚えられない言葉が一杯あるわよ」と答えられて、そういうことか、と妙に納得したのだが、ひょっとするとマルクス・ガブリエルの言う「世界は存在しない」ということなのではないか、と思う。

・・・しかし、次に、同じメロディで《何かの足しにもなれずに生きて 何にもなれずに消えてゆく 僕がいることを喜ぶ人が どこかにいてほしい》と歌われて、ハッと驚く。そういう気持ちである、ということに人はなかなか気づかないものだからである。しかし、日頃から自分に絶望している人もいて、これを自分の事を語っているように感じて、涙ぐむかもしれない。誰もが自分の生きる価値をいつも信じているわけではなくて、絶望に陥ることがあるのである。そういう人、そういう場合に、《石よ樹よ水よ ささやかな者たちよ 僕と生きてくれ》という呼びかけは大げさな表現ではなく、切実なものだろう。

・・・ここまで準備してから《くり返す哀しみを照らす灯をかざせ 君にも僕にも すべての人にも 命に付く名前を「心」と呼ぶ 名もなき君にも 名もなき僕にも》というサビの句が来る。視点が「すべての人」への訴えに変わるのである。「命に付く名前を「心」と呼ぶ」から曲のタイトルが採られているのだが、マルクス・ガブリエルがいうように「心」という言葉は、元々は人類が人以外の動植物と自分たちを区別するために考えてきた概念であって、しばしば敵対する集団や異なる人種と自分たちを区別するためにも使われてきた。だから、すべての生命には心がある、という訴えには強烈なインパクトがある。

・・・2番の歌詞はもはや自分だけの視点では始まらない。最初のメロディで《たやすく涙を流せるならば たやすく痛みもわかるだろう けれども人には笑顔のままで泣いてる時もある》と、ちゃんと向き合ってくれと訴えている。ここで涙ぐむ人もいるかもしれない。今度は繰り返しのメロディが無くて、《石よ樹よ水よ 僕よりも誰も傷つけぬ者たちよ》と来て、1番とは「ささやかな者たち」が「傷つけぬ者たち」へと変わり、「僕と生きてくれ」が無くなって直接サビに繋ぐ。《くり返すあやまちを照らす灯をかざせ 君にも僕にも すべての人にも 命に付く名前を「心」と呼ぶ 名もなき君にも 名もなき僕にも》とサビになるのだが、ここで更に、「哀しみ」が「あやまち」に置き換わっている。そして、この組み合わせがくり返され、高潮して終わる。1番から2番へのこの数少ない言葉の変化は、最初に提起された「私」の問題が実は「社会」の問題であることを表現している。「くり返すあやまち」という言葉で思い浮かぶのは「戦争」であるが、もっと頻繁に繰り返される様々な不正義の事を言っている。

・・・学生時代のバンド仲間の話によれば、元々中島みゆきは政治や社会について日頃から批判的に語る事が多かったらしいが、歌では滅多に直接は語らない。この曲が再録音されて収録されたアルバム『私の子供になりなさい』の最後にはその例外『4.2.3』がある。在ペルー日本大使公邸占拠事件に対して救出部隊が突入した日のテレビ中継をドキュメント的に歌っている。日本のテレビが、犠牲になった警官の姿を映しながらも何も語らずに、日本人が救出された事をひたすら歓喜しているのを見て、《この国は危ない 何度でも同じあやまちを繰り返すだろう 平和を望むと言いながらも 日本と名の付いていないものにならば いくらだって冷たくなれるのだろう》と歌っている。

・・・僕自身は、この歌を中島美嘉が歌っているの見て知った。他にカバーしているプロの歌手は島津亜矢くらいだろうか?それを聞いた中島みゆきが「こんな難しい曲を選ばなくても良いのに。。。」とコメントしている。確かに歌うにはそれなりの覚悟が必要だろう。 中島みゆき自身の録音としては、このシングル盤とアルバム版の他ライブ版が2つある。アレンジやキーはいろいろである。その時の世の中の状況に応じてそれぞれ籠める想いが異なる。中国の動画投稿サイトに一つ見つかった。
https://www.bilibili.com/video/BV1Wa4y1a7PP?p=7

 
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