2019.01.07
中島みゆきの最初の3枚のアルバムから抜粋して1枚のCDに纏めた。なかなかうまく行った。『私の声が聞こえますか』(1976.04.25)からは7曲:あぶな坂、ボギーボビーの赤いバラ、海よ、ひとり遊び、歌をあなたに、時代、『みんな去ってしまった』(1976.10.25)からは6曲:雨が空を捨てる日は、トラックに乗せて、流浪の詩、真っ直ぐな線、夜風の中から、うそつきが好きよ、『ありがとう』(1977.06.25)からは遍路、店の名はライフ、まつりばやし、ホームにて。主調となっているのは、自身もそうだろうが、<故郷を離れて都会で自立しようとする人達の思い>である。それは、古い社会の因習を嫌い、またその社会から排斥されながら、かといって、近代の競争社会にも溶け込めない、という思い、である。家族的な人と人との繋がりを渇望しながらも、それが実現しない。それは同時に、失恋とも重なる。更には、この矛盾構造を上の階層から眺める視点として、彼等を歌という形式で対象化することで、救おうという意思もある。だから、視点が二重になっている。

      これらのアルバムはヤマハに所属して、まずは今まで作りためた曲を吐き出した、という感じで、編曲は会社の選んだフォーク歌謡系(ニューミュージック?)の専門家に任せて、自分は歌うだけ、というものだが、さすがに違和感を感じたのか、『あ・り・がう』では、それでも現場でいろいろと注文を付けて変えたようである。そのせいか、このアルバムだけは曲としてしっとりとした纏まりを感じる。

      ところで、ここで見られる「都会に出てきた田舎者の苦悩」というのは、このちょっと前60年代後半に産まれた「演歌」というジャンルにも共通している。つまり、天才ユーミンを筆頭とする同時代のシンガーソングライターと比べて、中島みゆきは演歌の情念を体現していたところが際立っている。演歌との違いは、それよりも多少都会寄りということもあるが、中島みゆきのバックグラウンドとなっている音楽スタイルにある。どういう風に形容してよいのか判らないのだが、アメリカ由来のカントリー、ブルース、フォーク、ちょっとだけロック、という感じで、ボブディランもその中に入る。演歌の基調と同じ情念を、中島みゆきは、彼女なりにブルースとして<冷やかに>解釈し直してカントリー風に歌い上げたという感じである。そういう意味で、浅川マキと似ている。実際2人は旋律的に同じ曲を別な歌詞で歌っている。浅川マキとの違いは、中島みゆきの方が情念に対してより距離をおいて眺める眼を保持している点だろう。やはり、何と言っても言葉の使い手である。
 
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