2018.12.28
      高橋和巳のエッセイを選抜した『孤立無援の思想』(岩波同時代ライブラリー)を借りていて、時々読んでいる。ああ、そういえばこんな文体だったなあ、と思いだした。いかにも中国文学者らしく、生硬な文体で、インテリ向きである。誠実に隅々まで考え抜かれた表現になっていて、隙が無い。本質を突いている感じがする。だからか、読んでいてやはり疲れる。何かの折にでも読み返すべく、とりあえずは脇に置きたい気分になるのだが、幾つか読んでみた。

・・・『戦争論』
あの戦争は軍部の独走に巻き込まれ、その軍部も合理的な戦略を無視していて、、、とあたかも国民には戦争の意図が無かったかのような見方がなされることに対して、彼は、国民は明らかに戦争の「確信犯」なのであって、そのことを抜きにして戦後の平和を語るべきではない、と主張する。最終的な戦術となった「特攻」についても、たとえそれが天皇やましてや軍部のためではなかったにせよ、また社会状況に誘導されたにせよ、最終的には親兄弟や残された人々の為に「自発的に」志願した若い人達によるものであった。

      あの戦争は、三つの精神が極東で衝突した戦争だった。アメリカの高度資本主義によるサイバネティクス理論と物量作戦、中国の広大な土地に展開する土着思想と革命思想による持久ゲリラ戦略、そして、日本の乏しい資源を人的資源と精神力で補う戦術。日本の敗北はこの<精神>の敗北であるから、特攻戦術を必然として生み出したその精神を根底から変革しないかぎり、同じことを繰り返すだろう、と。(その後ベトナムで、物量作戦とゲリラ戦が衝突し、後者が勝利した、という事も知っておく必要があるだろう。)1970年11月25日、三島由紀夫が割腹自殺した後を追うように、翌5月3日高橋和巳は39歳で病死。解説者は2人の死が昭和の理想主義の終焉を象徴する、という。

・・・『戦争文学序論』
戦争が個人に課す三つの設問:
1.自己が他者を殺すことを正当化するものは果たして何か?
2.天寿を待たず何故自分がそこで死なねばならないか?
3.同じ状況下にあって自分ではなく人が何故そこで死んでいくのか?
に対する解答の模索という観点から戦争文学を論じている。第一と第二の設問では答えるべき人がもはや存在しない。

      第三の設問について。鶴見俊輔『御一新の嵐』によれば、隠れキリシタンはキリスト教の原罪を変容させた。発明した「原罪」とは、ヘロデ王がキリスト誕生の地ベツレヘムにおいて二歳以下の男の子を全て殺害したことであり、キリストの受難はキリストの身代わりに殺された嬰児達への謝罪であった、という解釈である。同様に考えれば、あの戦争による全ての死者は不可侵なる天皇の身代わりであった。それ故に戦後、十字架にかけられるべき国体理念の中心たる天皇がアメリカの政治的判断によって救済された為に、神の座が空白となり、その十字架の重みが、死んだ者の横で生き延びた者の肩に道徳的な重みとして圧し掛かってしまった、と答えるべきではないか?(その事を一番心に刻んでいた天皇自身は、だから、人々の負の心を癒す為に、全国を「謝罪」して周っている。)

・・・『暗殺の哲学』
全体の趣旨とはあまり関係ないが、気になったので引用だけしておく。

      一般に行動者は極端に単純化された観念に献身するものだが、彼には全く世界が見えていなと即断してはならない。なるほど、机の前に座って観念を弄んでいる者には、世界は複雑に見える。しかしその場合、彼に見えている世界は、単なる客観的対象にすぎない。むしろ世界は、行動することによって現実となる。現実の実在感は、単一の観念を信奉する者の試行錯誤の中にしか浮かび上がらないのである。全ての人にとって、思慮という点では確かに浅いものであった青年時代が、人生の認識史の中で、もっとも実り豊かな時期である理由はこのあたりにある。青年達は観念しか見ていない。だから道を歩いていてすら穴に落ち込む。しかし本当は、穴に落ち込むほど何かに憑かれ夢中になっている人間にしか、世界は確かな抵抗感をもっては実在しないのである。これは人間に課せられた一つの運命的な制限であり、一種の背理でもある。

      ロシアの革命家は、神の観念を否定しながらも、なお依然として愛の観念や贖罪の意識をもっており、それを心情的な自己の正当性の証明に用いた。否定は否定する対象に逆に規定される。フランス革命の際のロベスピエールの絶対理性神の提唱、ニーチェの超人事象、マルクスの至福千年のヴィジョン等々も、すべて一神教文化圏内部の叛逆思想である。

      中国において、中核となるべき儒教は既に体制内化されていたから、仏教(華厳経)であった。そこから抽出した観念はむしろ孟子の革命思想に近かったのだが。

      この稿には何らの結論もない。(この最後の一行が一番印象に残った。)
 
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