2019.01.08
大分前にヤマハで見つけて買っていた森山威夫『スイングの核心』に付属していたDVDをやっと観た。なかなか充実している。彼は芸大卒で、クラシックやら4ビートのジャズやら、いろいろやってみた末に、山下洋輔とフリージャズを始めた。今はもう70歳くらいだろうか?彼の唯一無二と言われるドラムの技法について、実演を交えて語っている。彼にとってはお手本にするようなドラマーが居なかったから、自分でフリージャズのやり方を作っていった。

・・打楽器というのはリズムを刻む訳だからちょっと油断すると直ぐに定型のリズムパターンに引き込まれてしまう。それを避けるための方法として、彼は2拍と3拍のランダムな組み合わせを発明した。シンバルには連続したビートがあるけれどもテンポや拍が感じられない。(但し、彼自身はきちんと数えていて、大きく括って定型パターンに合うようにも出来る。)これが結局勝手気ままに動き回る生き物のような感じを与える。

・・そのシンバルを飾るようにスネアドラムやドラムが打ちこまれて全体を鳴らして、時々それに大きなアクセントを付ける。更に曲の全体に抑揚を付ける。

・・スイング感については、定型のリズムパターンであれば、オフビートにすることで身体を揺さぶって実現できるが、フリーパターンだとそれが出来ない。だから突然「間」を入れて弱起のようなリズムで入るという方法を発明した。実演を見ていて成程、と感心した。

・・共演者との間には特定のリズムパターンや間による合図がある。相手の呼吸や身体の動きを真似るようにして合わせる。合うときはちょうど歌舞伎の見栄のように気持ちが良い。トリオ演奏の設計図は、一番音が大きく素早いドラムがその場で描く。こうしてトリオの特徴である、特定のテーマで始まり、直ぐに完全なフリーとなり、突然全員が一丸となって合わせる、といったスタイルが生まれた。

・・当時、ああ、これもまた1970年代であるが、僕はレコード等で聴いていた。フリージャズと言いながらも、アメリカともヨーロッパとも違う、純日本的な要素を感じていたのはこういう理由だったと納得した。森山も言っていたが、ヨーロッパのフリージャズは極めて理論的であって、メリハリというものがない。共演すると、「間」に対して彼等は、これは何拍分なのか?と聞いてくる。「間」というのはそういう風に数値で表現できるものではない、その時の演奏者の盛り上がり具合で自然に決まるものなのである。彼等にとって山下洋輔トリオのジャズは完全なフリージャズではなかったし、逆に日本のオーソドックスなジャズ界からはジャズとして受け取られなかった。

・・DVDでは、残念ながらトリオの演奏は再現されなかったが、山下洋輔とのデュオと坂田明とのデュオが最後にあり、彼らの対談もあった。坂田明は、広大の水産学部に居たのだが、コルトレーンの生演奏を聴きに行って腰を抜かして、これしかない、と決意して、東京に出たものの、渡辺貞夫の通信教育で学んだジャズの理論通りやっても自分より巧い人ばかりなので、チャーリーパーカーが語った通り、「息を思いきり吸って、出来るだけ速く指を動かして、大きな音を出す。」というところだけに拘った、という。その内、阿部薫に出会って、山下洋輔に紹介されたのだそうである。
 
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