2017.03.27

夜会Vol.6「シャングリラ」のDVD(1994年)を観た。最初の方は恨み節の歌謡曲を集めた感じ。後半になって物語に入っていくのだが、曲は必ずしも物語を語らないから、単なるコンサートのようにも聴ける。いわば物語が背景にあって、歌がそれを暗示するという関係である。最後の方の長い長い歌「生きていくおまえ」で初めて物語の全容が明らかになる。

香港の話である。育ての母親を騙して幸福を勝ち得た館の女主人に復讐しようとしてメイドになった女性がその女主人の方こそ実の母親だったということを知る話なのだが、騙されて英国人の妾にされそうになった友人(育ての母親)の代理となって自らの子供を彼女に預けてしまう、という館の女主人の話は、事実としてはそうなのだろうが、女主人がどういうつもりでそうしたのかについてはどこまで信じてよいのか判らない。まあ、これは物語というよりは歌として楽しむべきだろうと思った。「思い出させてあげる」「あり、か」「黄砂に吹かれて」「友情」「誕生」等が印象に残った。夜会としてはこの後のVol.7「2/2」からむしろ物語を主体として全ての歌がそれに合わせて新たに作られるようになるが、このVol.6 のような中途半端なやり方もなかなか詩的でよいかもしれないと思った。

中島みゆきの印象としては、若いなあ、ちょっとなまめかしいなあ、というところ。性別を超越してしまったような現在の彼女の印象からすれば、中島みゆきも昔は女を演じたのであった、という事が却って新鮮に思える。それにしてもどうしてこうも恨みがましく執念深いのか?戦後の歌謡曲が洋楽の流入普及によって、それに反発しつつ自らを純化する形で所謂「演歌」が誕生したといわれるのだが、中島みゆきの歌は「演歌」を純化して更に先を突き進んだともいえるし、むしろそのためにこそ女でなくてはならなかったのではないだろうか?
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