2016.12.17

「橋の下のアルカディア」を聴きなおしている。DVDから第1幕2場、つまり江戸時代の話から後が丁度CDに入るので、録音して音だけで聴いている。音だけだと却ってよく理解できると思う。中島みゆきはどちらかというとお笑い芸人的だから、見ていると歌の深刻さが薄れてしまうのだが、聴いてみると相当な想いを籠めていることが判る。それと言葉に注意が集中するから、物語の展開をうまく歌で表現していることも判ってくる。最初観たときは最後のゼロ戦の登場でびっくりして、反戦思想の方に気を取られてしまったのだが、こうやって聞き直してみると、娘と猫の愛の輪廻転生物語がどっしりと軸として貫かれていることが判る。世の中に対する批判もまたそういう個別の愛に浸ること無しなしにはリアルに描けない、という事だろう。入水する娘の歌<荒れ狂う流れは水じゃなく人です。止めることのできない嵐は人です。>。猫による大雨の歌<来るはずがないと思った毎時200ミリ、町を呑んで川を呑んで、抱えきれなくなったなら手放す毎時200ミリ、捨てる先はいらない町>2011年の大災害を経験してしまった我々にとってこの歌詞の意味は深刻であるが、それが共有されるのは、そこで犠牲になる人々の声だからである。だからその人々に成り切ることが必要なのだろう。

<目次へ>  <一つ前へ>    <次へ>