アルパークの109シネマにメトロポリタンオペラの映像版が来ている。今週は第2作でモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」だったので観に行ってきた。これは今年の10月22日公演だというから、ずいぶん手早く映像化したものである。
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解説やらインタヴューやら休憩まで入っていて、3時間31分かかった。さすがに第1級の歌手とオーケストラで、迫力はあったが、音はあまり良くない。システムの能力を超えた大音量という感じである。映像もアップが多過ぎる。やはり第2,第3級の歌手でも生の舞台の方が良いと思う。一番印象に残ったのは第2幕でドンナ・エルヴィーラが歌う<ドン・ジョヴァンニが自分を裏切って殺人を犯した悪人であっても、愛すべき人であり、恨むどころか、何とか救ってやりたい>という歌である。実にリアルだった。まあ、ともかく人間性の矛盾をこれでもかという位感動的に描いているオペラである。

・・・幕間での、主役を演じたS.キーンリーサイドのお喋りがちょっと印象に残った。貴族社会が崩壊して身分も道徳も無視されて、「自由」が新しい価値観となっていく時代をモーツァルトは見事に描いている。人間の中にある動物性(本能性)を積極的に取り込んでいる。同時代のダーウィンの思想とも共鳴している。本能に従って悪辣の限りを尽くして、最後は地獄に落ちるドン・ジョヴァンニを、一応物語としては最後に罰が当たったと総括して道徳的にまとめるのであるが、モーツァルトの表現としては彼の発揮する「自由」に限りなく共感しているように見える。騎士長が殺される場面から始まって、ドン・ジョヴァンニが騎士長の亡霊によって地獄に落ちる場面で終わるのだから、悲劇ではあるのだが、彼に振り回される周囲の貴族や平民の方は喜劇的に描いている。

・・・ところでドン・ジョヴァンニの言葉の殆どは嘘である。彼にとって言葉は、時折挟まれる独り言を除けば、相手を騙すためにある。つまり行為としての言葉。もう一つ考えていたことは中島みゆきの夜会との比較である。終わり方が似ている。「ドン・ジョヴァンニ」では騎士長の亡霊、「橋の下のアルカディア」ではゼロ戦が、いずれもおどろおどろしく出現する。「海嘯」では、津波がやってきて主人公を流してしまう。違いとしては、モーツァルトの時代は神を戴いた人間中心主義が背景にあるが、夜会には人間・動物の区別のない輪廻転生思想が背景にある。
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