2016.09.07

      久しぶりに<中島みゆき>で検索していると、youtubeに生歌が出ていた。熊本地震の直後のオールナイトニッポン月イチでの彼女のメッセージで、これはなかなか良かったのだが、その後に続く「ファイト!」がどうもCDからのものではない。調べてみると、1995年阪神淡路大震災のときの大阪でのライブを誰かが録音したものを繋いだようである。ここでもメッセージが素晴らしいのだが、鬼気迫る歌唱も凄い。https://www.youtube.com/watch?v=gYzaUDa4A90

● 中島みゆきの26、27番目のアルバム「日WINGS」と「月WINGS」(1999年)は、全曲オリジナル曲で構成されるようになった夜会「2/2」(95,97年)、「問う女」(96年)、「海嘯」(98年)から選曲して、異なる編曲で歌ったものである。これらの夜会の内容が難しいということもあり、簡単には要約できない。それぞれの曲は心地良くてつい聴き入ってしまうのだが、全体の意味を考えると迷宮に入り込んでしまって、対象化できない。2つのアルバムを一緒にして、3つの夜会それぞれについて並べてみよう。

・・・「2/2」。仕事で出会った2人の見る風景(LAST SCENE)。ジャズ風の洒落た曲。2人がそれぞれの過去を捨てて愛し合おうとしている(Never cry over spilt milk)。しかし、子供の頃に吹き込まれた自分への呪いによって恋人を傷つけそうになってしまうので、別れを決心する(1人で生まれて来たのだから)。今は別れても心の闇が解ければまた会えるという希望(いつか夢の中で)。ベトナムに逃げて、竹の籠を編む一家のお世話になる。あの竹のように強く生きたい(竹の歌)。品物を納めるために赤い河を船で行くと恋人が懐かしくなる(赤い河)。

・・・「問う女」。男は女の言葉を無視するから復讐してやる(羊の言葉)。自信を持って喋りなさいというアナウンサーの主人公へのディレクターの言葉(SMILE, SMILE)であるが、裏に魂胆があることが声色から判る。自分の言葉で人を傷つけることが苦痛となり(PAIN)、言葉の通じない(あなたの言葉がわからない)タイからのじゃぱゆきさん(異国の女、女という商売)との交流によって自らを慰めている。

・・・「海嘯」。復讐の旅に出る前に老人ホームに居る育ての父親を訪ねるが、父は自分を認知しない。Identity Crisis を感じる(知人・友人・愛人・家人)。旅の途中で倒れて「時間の谷間」に吸い込まれてしまう(難破船)。愛に包まれた子供の頃から何と遠いことか(愛から遠く離れて)。結核病棟にはただ死ぬのを待つだけの人達が居る(Good Morning Ms. Castaway)。折しも患者の葬儀があった(白菊)。我々もまたさすらう者(明日なき我等)。死者の想いに時効はない(時効)。

・・・こうしてみると、物語の全体ではなくて、その中に置かれた主人公の感情の動きを歌っている、ということが判る。まあ、当り前か。。。分析にはならない。

● 中島みゆきの28枚目のアルバムは「短編集」(2000年)ということで、うまいタイトルを付けたものだ。「プロジェクトX」の主題歌として世に広く知られている最初と最後の曲を除けば、正にそんな感じである。昔のフォークソングの雰囲気がある。それぞれが、ちょっとした人生の一コマを軽く洒脱に描いていて、魅力的である。長い間に書き貯めていた曲で使われなかったものを集めたのではないだろうか?ただ、「天使の階段」と「粉雪は忘れ薬」は夜会「ウィンター・ガーデン」(2000、2002年)のものらしい。この夜会はビデオになっていないが、写真+詩集(幻冬舎)になっている。しばらく借りて眺めていたので、一応あらすじだけ書いておく。

・・・北海道の雪原の真ん中にあるガラス張りの家に一人の女が引っ越してきた。庭には槲(かしわ)の木。中島みゆきの演じる犬も住んでいる。この女は何処かの島の漁協に勤めていたのだが、彼女の姉の夫と不倫関係となり、2人で共謀して漁協の金を少しづつ横領して、ついに遠い地に駆け落ち先を見つけて、先に彼女がやってきたのである。そこは湿原で、リゾート開発があるという話に乗せられて将来2人でペンションを経営しようと思って家を買ったのである。最初の冬がやってくるが、男は姉との離婚が出来ず、まだやってこない。ある日町の司祭から電話があってこの家の秘密を知ることになる。湿原に建てられた家は沈みつつあって、既に一階は地面より下にある。住んでいるのは2階である。元の持ち主は中の良い夫婦だったが、夫の浮気に妻が怒り、一階を焼いた火災事故で夫が死亡した。妻は正気を失ってしまったので司祭が預かっている。愛人の方は誰も居なくなった家に夫を探しに来て湖に張った氷上に迷い込んで氷を割って死んでしまった。犬はその愛人の生まれ変わりであった。。。女が姉に電話すると、姉が妊娠したということを聞かされた。女は横領の証拠となる帳簿を持って、共謀者たる男を巻き込んでやろうとして、犬の制止も聞かずに飛び出していくが、車の事故で死んでしまう。

・・・こういった筋立てを用意しておいて、それに絡んだ北海道の風景やら心象風景やらを歌にしている。まあ、生まれ故郷の北海道を歌いたくて、そのために背景となる物語を作ったという事だろうか?犬がどうやって歌っていたのかなあ、と思っていたら、写真が見つかった。
http://blogs.yahoo.co.jp/kumi0903/38827562.html
 ウィンター・ガーデンについての上記の私のコメントは観ていないからとはいえ、あまりにも浅薄なものであった。優れた評論が見つかったので引用する。http://soiree.txt-nifty.com/blog/2011/04/post-590b.html

● 中島みゆき29枚目のアルバム「心守歌」(2001年)は<大人の為の子守歌>らしい。彼女にとって「プロジェクトX」は発見だったようである。あの仕事以来、男たちへの厳しい歌をあまり作らなくなった。このアルバムはその尊敬するに至った男たちへの罪滅ぼしという感じだろう。とても優しくて、味わいの深い詩が並んでいる。(「六花」と「ツンドラ・バード」は夜会「ウィンター・ガーデン」からの歌。)

・「囁く雨」:別れの現場に雨が降る。先に泣いてしまった相手に対して無言で耐えるしかない自分。

・「相席」:喫茶店でマスターの手違いによって出会い、手違いによって別れた。恋のお洒落な描写。

・「樹高千丈落葉帰根」:輪廻転生による救いを、落ちて肥料となって、循環する葉に例えた。

・「あのバスに」:生き急いできた人生を、行く先も確かめずにバスに乗ったことで表現している。

・「心守歌」:<崩れゆく砂を素手で塞き止めるような>一日の仕事の後の休息。<風よ心のかかとに翼をつけて、どんな彼方へも一晩で行って戻れ>。

・「六花」:雪は天からの手紙、という中谷宇吉郎の言葉を下敷きにした美しい比喩。罪もけがれもある空だけれとも、そこから純粋なものだけを集めて手紙にしたものが雪である、と歌っている。

・「カーニヴァルだったね」:泥酔した自分。<身の上を知ればこそ明かせない悲しみもある。通りすがりの人なればこそ言える罪状もある。>。

・「ツンドラ・バード」:<あれはオジロワシ。遠くを見る鳥。近くでは見えないものを見る。・・・遠い彼方まで見抜いているよ。氷踏んで駆け出してゆけば間に合うかも、明日に会えるかも。>。

・「夜行」:夜の駅や夜の街では誰でも怪しいと疑われるけれども、実際は優しい人たちばかり。

・「月迎え」:月への憧れ。<月の光は傷にしみない。虫の背中も傷まない。・・・さわってみたかった。かじってみたかった。>。

・「LOVERS ONLY」:クリスマスソングではあるが、1人ぼっちの男は何処に行けばよいのか?という内容。。。

● 中島みゆき30枚目のアルバム「おとぎばなし」(2002年)はかなりの寄せ集め曲集であるが、一応タイトルの趣向に沿っていて、中島みゆきとしては珍しく「遊び心」を感じさせる。

・夜会「ウィンター・ガーデン」からの「陽紡ぎ歌」はまあ確かに雪原での妖精の歌ではあるし、
・中国スタイルの夜会「シャングリラ」のテーマ曲もシンデレラの夢だから趣旨に合う。

・薬師丸ひろ子に提供した「おとぎばなし」は少女の夢。

・工藤静香に提供した「雪・月・花」はちょっと違うが、
・唐十郎の詩に曲を付けた「匂いガラス〜安寿子の靴」ではいかにも幻想的に歌っている。

・高倉健と裕木奈江に提供した「あの人に似ている」は共同作曲者のさだまさしとデュエットで、同じコードに二人同時に別々の歌詞で歌い、サビの処で一緒になる、というちょっとモーツァルトのオペラの真似事みたいな曲。そういえば小説でも上下2段に分けて別々の話を並べて最後に一緒になる、というのがあった(確か「この空を飛べたら」だった)。なかなか良い曲である。

・研なおこに提供した「みにくいあひるの子」はまあタイトルだけがおとぎばなし風ということか?ヴァイオリンのオブリガートが良い。

・三田寛子に提供した「愛される花愛されぬ花」はずいぶん軽い曲。

・工藤静香に提供した「裸爪のライオン」は内容的には反抗する少年の独白であるが、これも動物という事でがおとぎばなし的とも言える。

・夜会「海嘯」の最後の方で熱演された「紫の桜」ともなると、確かに桜吹雪だからおとぎばなし風かなあ、と思う。まあ、ダジャレに近い。歌い方も怨念を籠めていた夜会とは随分調子が違って回顧的になっていて戸惑う。

・最後の「海よ」は処女アルバムからの曲であるが、子供っぽい声色で何とも希望を感じさせるような歌い方になっていて、これも確かにおとぎばなし風ではある。

結局このアルバムは手持ちの歌におとぎばなし風の意味を与える実験だったように思える。

● 中島みゆき31枚目のアルバム「恋文」(2003年)は、何と評したら良いのだろう。素直でかつ冷静な女心という感じ。一貫しているのは切々と訴えかけるような声の質かもしれない。ビブラートが目立つ。

・「恋とはかぎらない」「川風」「寄り添う風」「ナイトキャップ・スペシャル」「恋文」「思い出だけではつらすぎる」という中島みゆきにしては随分ナイーブな恋の歌がメインなのだろう。とりわけ、「寄り添う風」とか「恋文」などは何だか切なさが伝わってきて慰めてあげたくなるくらいである。まあ、彼女としては演技力を試してみたのだろうから、あまり真に受けてはいけない。

・それらに対して、最初の「銀の龍の背に乗って」は離島の医者の奮闘を描いたテレビドラマの主題歌で<励まし>の歌である。<失ったものさえ失ってなお人はまだ誰かの指にすがる、柔らかな皮膚しかない理由は人が人の傷みを聴くためだ>というのは名セリフ。

・「ミラージュ・ホテル」「情婦の証言」「月夜同舟」は2004年の夜会「24時着00時発」で使われる予定曲の先出しであるから、アルバムとしてはやや唐突な感じがする。気分転換として入れたのかもしれない。けれども、「ミラージュ・ホテル」の不気味な感じはなかなか良い。

● 中島みゆき32枚目のアルバム「いまのきもち」(2004年)。夜会の為の作曲が忙しくて、毎年出しているアルバム用の新曲のストックが無くなったのだろう。全てが過去のアルバムやシングル(1作目(76年)から15作目(88年)まで)からの曲のカバーである。今の気持ちで歌いなおしたというコンセプトになっているが、彼女は本来的にいつも今の気持ちで歌う人なので、同じ曲を同じように歌うことは無い。録音もほどんど同時一発録音で修正もしない。とりわけ、1991年から始めロサンゼルスでのスタジオミュージシャンとの共演で、楽器奏者と自分との音楽的交感に楽しみを見出すようになったという。このアルバムの録音の後、スタジオで映像化する計画が持ち上がり、ミュージシャン達も無理にスケジュールを調整してくれて、日本から5.1chの録音・7台のHVカメラを初めて持ち込んで前代未聞のスタジオライブが実現することになった。(曲目としては2000年代からの3曲が挿入されている。なお、演奏者達のインタヴューや会場準備の様子が放映されたものが投稿されている。http://www.dailymotion.com/video/x60usw)それをプロモーションビデオとして使ってBSテレビで流したのだが、後にCD化、更にビデオ化したものが「中島みゆきライヴ!」(2005年)である。これは、演技的歌唱の乗りの良さもさることながら、呼応する楽器演奏、特に間奏や後奏の即興的な演奏(サックスとかギターとか)が素晴らしくて、僕の好きなアルバムである。

・・・中心になる曲目はやはり両アルバムに共通している「この空を飛べたら」「この世に二人だけ」という失恋の歌と、「土用波」「歌姫」という全てを洗い流すような昇華と救いの歌である。冒頭の「あぶな坂」は最初のアルバムの冒頭の曲で、中島みゆきの自己認識の原点みたいなもの。夢を抱いて故郷を捨てて都会に出てきてうまく行かず、故郷にも帰れず放浪する男達と、彼等を慰めつつも、結局は彼らの夢として彼らを故郷から引きずり出している私、という構図である。その私はまた男達から捨てられた絶望を歌うことで失意の男達の気持ちに寄り添い、彼等の心を支配している<虚構の欲望>を洗い流すような歌を歌うことで貸し借りの決着をつける、というのがこの2つのアルバムで鳥瞰されている中島みゆきのここまでの仕事だろう。
 
<目次へ>  <一つ前へ>    <次へ>