2016.06.09

● 中島みゆきの13番目のアルバム「miss M.」(Mはみゆき 1985年)は多分あまり人気が無いのだろう。広島市内のレンタル店を周って見つからなかったのはこのアルバムだけである。コンセプトは冒頭の曲「極楽通りへいらっしゃい」に述べられている。昼間社会の不条理に振り回されて疲れた人々を迎えて癒す場所、まあキャバレーとかバーのイメージであろう。ただ癒すというよりはむしろ酒を飲んで暴れるという感じである。<今日は何回頭を下げたの ひとから馬鹿と言われたの 殴り返したい気持ちを貯めて あたしを笑いにきたんでしょ>という具合。これと、次の「あしたバーボンハウスで」と「熱病」はその線に沿って不満を爆発させるような攻撃的な音楽になっている。<ずるくなって腐りきるより阿呆のままで昇天したかった>。当然ロック調で、それに拮抗するように中島みゆきの声質も怒鳴るような調子になっている。

      実は客の中に中島みゆき本人も入っているようで、「それ以上言わないで」ではしんみりと彼が<あの娘>の元へ逃げていく話を語る。「孤独の肖像」ではその彼女もまた攻撃的になって<愛なんて何処にも無いと思えば気楽>と怒鳴りたてるが、最後は<手さぐりで歩きだしてもう一度愛をはじめから>で終わる。

      「月の赤ん坊」は折れそうな三日月の子守歌。子供は大人に反抗する内にいつのまにか大人になってしまうけれども、<夜になるたびに月は子供に帰り、ひとりを恐がる>。

      「忘れてはいけない」は過酷な仕打ちをいくつも挙げて<口に出すことができない人生でも忘れてはいけないことが必ずある>と歌う。「うらみ・ます」(1980年)の姿勢が伝染している。「ショウ・タイム」は社会への皮肉。<日本中このごろ静かだと思います。日本中密かに計画しています。・・・日本中望みをあからさまにして 日本中傷つき挫けた日がある。だから話したがらない。。。>つまり、すべては<ショウ・タイム>のように誤魔化されている。

      次の「ノスタルージア」で歌われている意味は、もはや今までの中島みゆきが得意とした<傷口を舐めあうようなリアリズムの歌>では癒されないという意味だろうと思う。<何処まで1人旅>。

      さて最後の歌「肩に降る雨」で中島みゆきは「極楽通り」の世界から眼が醒める。線路沿いを幾日もあるいてきた。冷たい雨が降っていたのだが、今まで気づかなかった。冷たい雨、それは<あの人>つまり父親であろう。冷たい雨は<生きろ>と叫び、それは<生きたいと迷う自分の声>でもある。

      このアルバムは聴いて癒されるようなものではないのだが、彼女の主張をストレートに実現している、という意味で完成度が高いように思う。「生きていてもいいですか」(1980年)の発展形と見ることができるだろう。ここで使われている怒鳴りたてるような声を続けると喉を傷めることになるのだが、それを克服するために発声訓練を続けていたのだろうと思う。

● 僕は甲斐よしひろを知らなかったのだが、ロックを歌謡曲に匹敵するレベルにまで普及させた人で、中島みゆきとも意気投合していたらしい。1986年9月の甲斐バンド解散コンサートに中島みゆきが招待されて歌っている映像がYouTubeに見つかる。可愛らしいワンピース姿にクリスタルのエレキギターを抱えて、他愛もない曲「港からやってきた女」を甲斐よしひろとデュエットしている。歌唱は実に拙い感じだが、彼女の和製ロックへの思い入れだけは伝わってくる。
https://www.youtube.com/watch?v=uia3DZRMiWo

      このバンド解散で一時自由になった甲斐よしひろと結託して、ディジタル音楽を全面的に取り入れたのが、中島みゆきの14番目のアルバム「36.5℃」(1986年)である。タイトルは2人の平均体温でジャケット写真の両手は2人の手である。これは聴きとおすにはなかなか<過酷な>アルバムである。こういう非人間的で聞き疲れの残る編曲を使ったメリットは唯一つ、中島みゆきがそれに対抗して新しい歌い方を開発せざるを得なかったことであろう。前作ではまだ叫ぶ感じだったが、今回はドスの利いたより深みのある声質に進化している。

      歌詞から言えば、冒頭の「あたいの夏休み」は、当時の世相を描写していてなかなか面白い。会社務めのOLは薄給の中1年に3日与えられた夏休みを過ごすために、週刊誌で調べた軽井沢のような別荘地に押しかけて、その惨めさにも気づかず、憂さを晴らすのであるが、ただ、歌の主人公だけはちょっとした彼への土産を買って帰るのが、密かな誇りなのである。これだけでなく、ひとつひとつの曲が歌詞をよく読むと実に面白い。全体から見れば、女の側から男への断罪というか決別状のような歌詞が多い。例えば「やまねこ」は、ちょっとした隙に男を傷つけてしまう爪を持ってしまった女の歌である。そういう意味ではこの非人間的な編曲も合っているのかもしれない。

      ひとつ変わっているのが「HALF」である。ここでは輪廻転生というインド風の考えの元で、前世で約束したあの人と今世で出会えるだろうか、ということが歌われる。こういう考え方はなかなか男にはできないという気がするがどうだろうか。それと、最後の「白鳥の歌が聴こえる」では、港の倉庫の片隅で男たちを迎える売春婦のうら寂しい歌で、これも他の曲とはずいぶん調子が異なる。

      このタイミングで中島みゆきは今までの作詞をまとめて出版している。その序文で言っていることがまた面白い。<これらの詞はすでに私のものではない。・・・・・これらの詞はついに私1人のものでしかない。・・・・・これらの詞は、私のものでさえもない。・・・・・言葉は、危険な玩具であり、あてにならない暗号だ。・・・・・人を斬るための言葉はたやすい。己を守るための言葉もたやすい。黙っていても愛し合える自信がないから、もう少しだけ、私はまだ詞を書くつもりでいる。>

● 中島みゆき初のライブアルバム「歌暦」は1986年暮の武道館コンサートを収録したものである。CDの制限から19曲中の14曲とMCが2回だけ入っている。

      '79年の「親愛なる者へ」からの厳しい曲「片想い」「狼になりたい」で始まり、「悪女」までがロック調で、一転して「HALF」「鳥になって」「クリスマスソングを唄うように」(これはデビュー前の曲らしい)と失恋に沈み込む調子に落ちていく。

      ここでMCが入り<弾き語りの恋歌を期待されるかもしれないけれども、正直に歌いたいように歌わせてもらいます>と言って、「阿呆鳥」「最悪」「F.O.」を厳しいロック調で歌う。

      ここでまたMCが入り<今年の暮に一番歌いたい曲を>と紹介して「この世に二人だけ」を感情を籠めて歌う。<二人だけこの世に残し 死に絶えてしまえばいいと 心ならずも願ってしまうけど それでもあなたは 私を選ばない>という何とも絶望的な歌である。ひょっとすると本当にそうなのかもしれない、と思った。

      「縁」というちょっと奇妙な歌の後、「見返り美人」「やまねこ」とロック調が続いて、最後が「波の上」。これまた<遠いエデン行きの貨物船が出る 帰りそこねたカモメが堕ちる 手も届かない波の上>という絶望的な歌である。最後はどうも泣いてしまったらしく歌唱が危なっかしくなる。こういうのは演出とも思えない。フロイト流に言えば、中島みゆきのリビドーは男を求めるのだが、父親があまりにも理想的であったが為に、どうしても現実の男を受け入れることができない、ということか?身も蓋もない話ではあるが、これで終わらなかったからこそ現在の中島みゆきがあるのだろう。

● 15枚目のアルバム「中島みゆき」(1988年)はタイトルの通り、昔の中島みゆきの感じがする。実際、曲の主題は7曲が恋愛で1曲がミュージシャン、1曲が学生運動を想像させる、という意味で、「愛していると云ってくれ」(1978年)と同じ構成である。ただ、歌詞で言えばかなり露悪的なものから深刻なものまで幅が広く、アレンジで言えば硬質のロックも入っているし、声の質で言えば深い低音からふざけたような高音まで幅が広い。だから、曲としての好き嫌いがはっきりしていて、「愛して、、、」のようにアルバムを何回も聴きたいという気分にはなれない。

      好きなのは4曲だけである。「土用波」は新しい境地の曲で「歌姫」において歌姫が果たした役割を土用波が果たしているという感じである。今後の方向性を示していると思う。「泥は降りしきる」は演劇的な歌で、早とちりで男に付いて行ったら他の女が現れて気まずくなって高速道路を歩いて去るという話。「クレンジングクリーム」は化粧を落とす過程で醜い素顔が現れてくるという歌で、さすが中島みゆきという感じ。最後の「ローリング」は世の中への反抗心を燃やす機を逸した世代のやるせない気持ちを飄々と歌っていて、なかなか良い。

● 中島みゆきの16番目のアルバム「グッバイガール」(1988年)は、GIRL=ロックにイカレたお嬢さん から決別して、普段着の彼女に戻ったという意味で、ジャケット写真の服装もそれを表現している。ただ、成行きを重視する瀬尾一三を編曲者に迎えて、あまりにもテンションを下げすぎたのではないだろうか?突き刺すものが無い。最後の「吹雪」がちょっと気になるくらいである。というか、これは<疑うブームが過ぎて 楯突くブームが過ぎて 静かになる日が来たら 予定通りに雪が降る>ということで、その雪は<君たちを殺すだろう>。<どこにも残らぬ島なら 名前は言えない>という風に、(おそらくチェルノブイリの事故の記憶からかだろうが、)原発事故による日本列島の黙示録である。
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