2016.05.14

      中島みゆきのアルバムも数枚を残してほぼ聴き尽くしたので、最初から聴きなおしている。個々のアルバムは中島みゆきの長い活動期間における他の作品との関係の中で固有の意味を持ってくるように思われる。それはちょうど言葉というものが他の言葉との関係の中で初めて固有の意味を持つのと同じである。

      今、最初のアルバム「私の声が聞こえますか」(1976年)を聴きなおすと、その主調音がよく聴こえる。<私はどこか他の人と違っていて、どうしても調子を合わせることができない。人を愛したいのだけれとも、どうしてもうまくいかない。だから、人間関係を醒めた眼でしか語ることしかできない。けれども本当の処は寂しい。もうお互いに理解しあえなくてもよい。ただここに居て欲しい。そのためには慰めの言葉だって何だってかけてあげる。>自分の中の他者(規範としての自己)と現実の他者との折り合いをどうやってつけるか?それを懸命に探している。自分の中の他者が歌になり、その歌は現実の他者に解釈されなおして意味を変貌させる。(僕が彼女の歌を聴いているということもその内の一つである。)そこで起きていることは、それぞれの人が取り込まれているどうしようもない運命が、わずか数分の歌の中に凝縮されてしまい、あたかも手にとって変えられるような気持ちになることである。そのような関係性が彼女にとっての自己表現であると同時に、歌うことの(社会的)意味でもある。<私の声>というのはその歌である。このアルバムの段階では、<私の声>は注意深く耳をすませないと聞こえてこないかもしれない。ただ、最後に置かれた「時代」だけは例外であって、たとえこの歌が彼女自身の為であったとしても、多くの人々に希望を与えた。歌は歌に過ぎず、物理的には気休めに過ぎないにしても、現実に立ち向かう主体性を鼓舞する<記号>としての役割を負っている。

      他方、生身の彼女自身は現実の中の他者との曖昧で妥協的な関係を取り結ぶ。その間の折り合いをどうつけるか?これまた彼女にとって大きな問題であった筈だが、現実的には彼女はYAMAHAという会社組織に拾われたのである。そこでの社会的経験を<私の声>にまで還流させるのはもう少し先の話になるし、自分の中の他者が悪態をついたりして暴れまわるのももう少し先になる。

      2作目の「みんな去ってしまった」(1976年)は冴えないアルバムと思っていたのだが、聴きなおすとなかなか良い。とても魅力的な歌い方である。声に艶がある。声を引き伸ばすときの声質の変え方とか音程の変化とかが、独特である。フォークのようなブルースのようなジャズのような、何とも喩え難い。テーマは<孤独を求める放浪>とでも言えば良いだろうか?表向きは失恋の歌のように見えるのだが、そうではない。そこには孤独への強い意志があって、それが歌に力を与えている。「トラックに乗せて」が秀逸。「夜風の中から」も好きである。お互いにそっぽを向きながらも思いやっている、その距離をおいた心の持ちようが心地よい。ここには何の解決も希望もドラマも無いのだが、そのまま浸っていたい気分にさせる何かがある。

      3作目のアルバム「あ・り・が・と・う」(1977年)のテーマは、<過去の清算>かな?最初の3曲は過去を振り返り、4曲目の「女なんてものに」で過去の男達の非見識をこきおろしている。これは具体的には吉行淳之介を指しているらしい。「朝焼け」は失った恋人の今を想像しているのだが、ちっとも悲しそうでない。「ホームにて」はとても優しくて心地よい歌である。ふるさとへの列車に乗り遅れる話なのだが、帰りたいのか帰りたくないのか?<ネオンライトでは燃やせないふるさと行きの乗車券>ということで、心だけがふるさとにある一方で自分は都会で生きる決意を固めている。「勝手にしやがれ」は<心離れて初めて気がつく。あんたの我儘が欲しい。>という積極的な別れの歌。最後の「時は流れて」はとても感情的に高まる。結局、<ありがとう>は病死した父への言葉だろうし、彼女の求める相手は父親だったのではないだろうか?彼に匹敵する男には出会わなかった、ということである。しかし、ともあれ、これで過去は一応清算されたのである。

      先日NHK-FMの「今日は一日昭和歌謡曲三昧」を聞いていたら、中島みゆきの曲が1曲だけ流された。「わかれうた」である。シングルで出した最初のヒット曲(1977年)。まるで鼻歌のようで歌いやすいこの曲が歌謡曲としてヒットしたのは自然であったが、彼女としてはその受け取られ方にやや不満が残ったのではないかと思われる。あまりに調子が良いために、歌詞に注意が払われないからである。想像するに、別れとか喪失をテーマにしたもっと意欲的な歌を作ってみたかった、というのが4作目のアルバム「愛していると云ってくれ」(1978年)を作った動機だったのではないだろうか?実際に驚くほど斬新で多様な形式が使われていて、彼女の才能をおおいに発揮している。一人芝居のセリフ形式でありながら、それにメロディーを付けたり付けなかったり、自由奔放である。僕はこれらの曲の殆どを昨年の「歌縁」というテレビ番組(他の歌手や女優が中島みゆきの歌を歌うコンサートの録画)で初めて知って、作曲者中島みゆきを意識したのである。別れとか喪失は必ずしも恋愛とは限らない。最後の2曲は音楽活動への夢に破れた友人宅を訪ねたときの話「お前の家」と、社会変革の夢が破れた人達の話「世情」である。これらを含めたということと、これらの歌が現状をそのままありのままに投げ出しているだけで、格別な慰めも激励も与えていない、ということがこのアルバム全体の基調となっている。

      これは何だろう?と考えている内に、最初のアルバム「私の声が聞こえますか」の最初の謎めいた曲「あぶな坂」を思い出した。急な坂を上り切った処に住んでいる私は坂を転げて怪我をする人を助けに行く。不条理な社会の中で苦闘している人を助ける歌手としての私、というイメージが夢を見ているかのように語られると同時に、彼等彼女等と「私」とのどうしようもない距離感が感じられる。このアルバムの背後にあるのは<どんなに辛いことでも歌に歌えるほどのことであれば耐えられるのではないか?だから、私はどんなに辛いことでも歌にしてみせる。>という<使命感>である。このアルバムでの誰もが認めるであろう<生々しいリアリズム>はそのためにこそ追及されたものだと思われる。言い換えれば、このアルバムは彼女の最初の意識的な<仕事>であった。

      中島みゆきの5枚目のアルバム「親愛なる者へ」(1979年)は、失恋や喪失の諸相を歌った前作「愛していると云ってくれ」を意識して変えようとしたと言われてる。確かに、最初の曲「裸足で走れ」のような攻撃性は初めてのものである。孤立して闘う者達を代弁して彼らを苦しめる偽善者達を糾弾し、それでも一人で走り抜けろ、という執念すら感じられる歌。歌詞は難しいのだが、一度聴いたら旋律が心の中に反響して忘れられなくなる。中島みゆきの学生時代(70年台初頭)、60年台末の全共闘運動を担った学生達は自らの責任において大学の外に出て様々な社会運動に散っていき、他方で、全共闘運動を利用して勢力を拡げようとしていた新左翼各組織は、組織の生き残りの為に内ゲバを繰り返して様々な「事件」すら起こしていた。歌の中で糾弾されている偽善者達はそのような「革命」組織幹部達であり、この歌は彼らに利用されていた学生達に向けたものだったのではないか、と想像する。全共闘運動は最初から「革命」イデオロギーとは無縁であったから、社会の中に散って行った者達はそれぞれが見出した具体的な矛盾に立ち向かっていたし、今でもそうである。そういう背景を考えてこのアルバムを聴くと、中ほどに置かれた失恋のリアリズム「根雪」「片想い」「ダイアル117」さえも、「親愛なる者」=孤立して闘う者、の心の<内><外>を失恋を暗喩として歌ったものではないか、と想像するが、これは考え過ぎだろうか?歌そのものとしても、このアルバムには「タクシードライバー」とか「狼になりたい」とか、ナレーション的な手法による傑作が入っている。いずれも彼女の当時の大学体験(おそらく活動家との付き合い)無しには考えられないほど生々しい描写である。
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