中島みゆきの昔の資料は絶版になっているが、ほとんどが図書館で読める。
     「女歌」(新潮文庫1986年刊)と「泣かないで・女歌」(新潮文庫1988年刊)は彼女の芸能生活の中で出会った女性達を多分に脚色を加えて描いた物語集である。外国人娼婦、コーラス・ガール(坪倉唯子)、照明係りの女性、ホテルの部屋掃除係りの女性、YAMAHAの特訓キャンプで出会った親切な女性、先輩の歌手「猫ちゃん」(谷山浩子)、自由化前ポーランドで出会った女性が査察官。。。彼女達を描く中島みゆきの視線は淡々としていて、対等である。登場する自分を戯画化しながら、描く女性を暖かい目で見ている。解説の村上龍は彼女の歌について、暗いのではなく、これはリアリズムなのだ、と書いている。そうだと思う。そのリアリズムへの姿勢がこれらの小説に現れている。小説集「この空を飛べたら」(新潮文庫:1991年刊)では中島みゆきが登場しない。7編の短編が独立していながら、最後にすべての物語が繋がってくる。描かれているのは「不良」少女と少年の半生における関わり。その中にホームレスの老女、飛び降り自殺とその巻き添えとなった少女の姉の死が出て来る。これもリアリズムと言えるだろう。これら3作の小説集の延長上に「夜会」が生れる、ということになる。

      絵本「もっぷでやんす」(小学館2002年)は様々な理屈をつけて落ち込んだ主人公が猫に出会う度に元気を取り戻す、という話。「誰かが見ていてくれるなら、、、」と。人は他者との関係性の中で生きる。ここではその他者が「猫」である。猫は簡単な挨拶しかしないのだが、それでも主人公に生きること促すのである。もっぷの様な猫の絵が「橋の下のアルカディア」で登場した猫に似ている。
      「ジャパニーズ・スマイル」(新潮社1994年)は、いろんな雑誌に書いたエッセイ集である。なかなか笑える話が多い。まるで漫談。そんな中に、作曲コンクールで谷川俊太郎に参ったときの話があった。彼が作った作曲課題は、「私が歌う理由(わけ)」という詞である。作詞能力に自惚れた自分に喝を入れられた。また、「私が歌う理由」を考え直すためにその後3年を費やした。そういう事があった為に、早々と成功しながらも自分を見失わなかったのであろう。
      私が歌うわけは/いっぴきの仔猫/ずぶぬれで死んでいく/いっぴきの仔猫/私が歌うわけは/いっぽんのけやき/根をたたれ枯れていく/いっぽんのけやき/私が歌うわけは/ひとりの子ども/目をみはり立ちすくむ/ひとりの子ども/私が歌うわけは/ひとりのおとこ/目をそむけうずくまる/ひとりのおとこ/私が歌うわけは/一滴の涙/くやしさといらだちの/一滴のなみだ  (詩集「空に小鳥がいなくなった日」より)


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