2016.03.04
中島みゆきの記事は探し出すと切りが無いくらい見つかる。実は、歌の方はまだほんの一部しか聴いていないのだが、一番心に響いたのは「命の別名」という曲である。あまり具体的な内容までは考えていなかったのだが、この曲は知的障害者の立場からの差別に対する抗議らしい。また、落合真司という作家が、この曲の神戸で起きた児童連続殺傷事件の関連性を指摘しているらしいが、確証はないようである。

・・・同じアルバム「わたしの子供になりなさい」の最後に「4.2.3」という曲がある。まだ聴いていないが歌詞を見て驚いた。中島みゆきにしては珍しくもあからさまに政治的である。1997年の在ペルー日本大使公邸占拠事件を歌っている。犯人と戦って死亡した兵士が映像としてテレビ中継されながらも、アナウンサーはひたすら日本人が全て無事救出されたことだけを伝えていることの異様さ。ペルー人であろうと、いやたとえ犯人達であろうと、命は何ものにも代え難い筈ではないか、という抗議である。「この国は危ない。何度でも同じあやまちを繰り返すだろう。平和を望むと言いながらも、日本と名の付いていないものならば、いくらだって冷たくなれるだろう。」とまで歌っている。

・・・しかし、これはどうも例外のようである。彼女はいつも自分の想いを暗喩としてしか表現しないで、その代わりに歌で強烈な切迫感を聴く人に印象づける。そうすることで、歌そのものが時代を超えて生き残るのである。日本がこのような日本である限り、中島みゆきは違和感を抱え込みながら、世間の風当たりを上手くやり過ごしながら、その想いを一曲づつに残していくのだろう。

2016.03.05
・・・喫茶店と帰りの電車の中で、中島みゆき「伝われ、愛」(新潮文庫)を殆ど読んでしまった。1984年、中島みゆきがオールナイトニッポンを担当したときのこぼれ話を書いたもの。業界の話やスタッフの話、その他いろんな感想。聴いている人は深夜だから、社会の底辺に近いところで一生懸命働いていたり勉強していたりである。彼ら彼女らへの思いやりで、彼女の人柄がしのばれる内容である。

・・・中に、ファンからの読み上げ不希望の葉書が記録されている。ひとつは夜勤の看護師の切ない話。彼女は無理がたたったか、病に倒れたらしく、最後に彼女の姉からの死亡通知が届く。もうひとつは、ドモリに悩む青年の話。父の勤務する会社が倒産して、彼も学業を諦めて板前修業をして、婚約者を連れて会いに来る、という話。こういったファン達の悩みは歌の中に織り込まれているような気がするし、実は中島みゆきの歌詞のどちらかというと社会的な部分はDJの経験無しには生まれなかったのではないだろうか?他人の輪の中に無神経に飛び込んでいくことの出来ない自意識過剰の彼女にしてみれば、これはとても貴重な経験になっている、と思う。

・・・最後の方で、取材の実態をうまく書いていて面白かった。取材の記録はそのまま掲載されるわけではなくて、当然別の担当がそこから会話を抜き出して適当に組み合わせて記事にするから、本人の意図とはほぼ無関係でその担当の思い込みを表現するものになる。別のところで書いてあったが、酷い場合は、質問に対してこちらがどう返答しても、それが記者の予想を外れると無視されてしまう。応答が無いのである。会話にならない。たしかにこれではやりきれないだろうなあ、と思う。他方、ある取材で無口な記者がやってきて不安にすらなったのだが、彼は発言そのものは一切記事にしない代わりに、本人の言いたい事を本人以上に上手く要約して記事にしていて感動してしまったという。しゃべり言葉でないから、確かに本人の言ったことそのものではないのだが、こちらの方がよほど誠実である。結局、どんな記事にも書く人間の意図がある、ということ。

2016.03.06
・・・中島みゆきのいくつかの歌は浅川マキを思わせるが、「踊り明かそう」は明らかに、「オールドレインコート」と同じメロディである。これはロッド・スチュワートの「An Old Raincoat Won't Ever Let You Down」の日本語バージョン。中島みゆきのはだから替え歌ということになる。ちゃんとクレジットすべきだろう。最初のアルバム「私の声が聞こえますか」はなかなか良いが、次の「みんな去ってしまった」はイマイチ。それにしても浅川マキ風である。

・・・「中島みゆき−ミラクルアイランド」(新潮文庫)は、いろんな人の中島みゆき論を集めた本である。1983年刊。これだけ騒がれていながらも僕は当時あまり関心がなかった。もっとも1979〜81年は日本に居なかったから、帰国してみてニューミュージックという言葉を初めて聞いて何のことだろう、と思っていたのである。フォークが多少歌謡曲に近づいたという感じ。この年、大学に居残ることを諦めて企業に入り、自分を変えるのに精一杯だった、ということもある。谷川俊太郎との虚虚実実の対談から始まって、著名な詩人やら作家やらの評価が並んでいる。詩人達は、中島みゆきの詞を現代詩とは見ないが、かといって旧来の歌謡曲でもない、その中間に微妙にバランスをとっているところが彼女のポピュラリティであるという。現代詩も見習うべきかもしれない、という。

・・・中で、最初に目を引いたのは、単に会社員という肩書きの小笠原信「歌のつぶて」である。1.中島みゆきの唄はすごいね;2.中島みゆきの叫びは暴力的だ−それは自我へのメッセージだ;3.中島みゆきの唄は時代の風潮をラディカルに噛む;4.中島みゆきは「関係への飢え」を唄う;5中島みゆきの唄は歌のつぶて:唄が人を暴力に誘いながら、同時に暴力を阻止するという矛盾した関係−彼女の唄は、本当に飢えていない、あるいは飢えに気づいていない男達への、そしてクリスタルでコージーな女の子たちへの、正に暴力的な歌のつぶてである。

・・・呉智英もなかなか面白い。歌謡曲における愛が日本の社会的因襲を前提としているのに対して、ニューミュージックの愛は近代的個人の自立した愛である。しかし、彼女以外のニューミュージックの愛は無神経なまでに楽天的であり、自らの依拠する近代的価値基準そのものを自明なものとし、その背後にある戦後体制のまやかしに気づかない。中島みゆきは自我をあくまで描ききることによって、実はその近代的自我の愛そのものが欺瞞であることを暴く。暴くだけではなく、最近の彼女は世界の不条理を自らの内に抱え込んで人々を救おうとしているかに見える。あの決断を促すような歌い方は正に教祖のそれである。

・・・最後に、中学・高校・大学生へのアンケートによる彼らの感想があって、素直な意見が面白い。

2016.03.07
・・・ついに、中島みゆきのCDを5枚借りてきた。

・・・処女作「私の声が聞こえますか」はなかなか良い。それにしても最初の「あぶな坂」。何という奇妙な状況だろうか?どうやって思いついたのか?淺川マキの歌に「さかみち」というのがあって、気分的に似た感じもある。途中「踊り明かそう」という歌があって、これは明らかに淺川マキの歌っていた「オールド・レインコート」と同じ旋律である。どうも彼女のスタイルの基本に淺川マキの影が見える。

・・・2作目「みんな去ってしまった」はちょっと冴えない。昨夜寝るときに4作目「愛していると云ってくれ」を聴いた。これはまあ名曲ばかりである。失恋の激しさが判りやすい。最後の「世情」はちょっと特異的。時代に取り残された「革命運動家」の破れた夢に本当に共感を寄せているのだろうか?どういう背景があったのだろうか?この時代1978年、あまり大したデモもなかったと思うが。

・・・5作目「親愛なる者へ」は何とも起伏が激しい。ここでも例外的な、「狼になりたい」というような絶叫がある。この辺もどういう経緯でテーマを思いついたのか?不思議ではある。淺川マキの影響だろうか?7作目「生きていてもいいですか」は極限的に暗い。まるで亡霊が語っているみたいで、気味悪ささえ感じる。一体どういうつもりでこういう歌を作ったのだろう?こういうのと、「わ、は、は」という豪快な笑いではぐらかすインタヴューの記録などを読むと、まあ、巫女だとか、魔女だとか、言われるのも頷けるのではある。

・・・しかし、ご本人は結構冷静に実験するようにして、様々なテーマを詞に作り上げる作業に集中しているだけのような気もする。平凡に状況描写をしているかと思うと、突然無関係とも思われるような言葉が飛び出してきて、その辺は現代詩と評される原因にもなっている。要するにこれは才能なのである。ただ、唯一テーマとして首尾一貫しているのは、一生懸命努力しながらも報われない人達への共感であろう。バブル景気の真っ只中にありながらも見失うことのなかった人々への共感。今頃になって再評価されるのも当然かもしれない。

2016.03.08
・・・天沢退二郎「中島みゆきを求めて」(創樹社)を読んだ。1986年刊。曲の解釈などところどころ面白いけれども、まとまりの無い感じ。掴まえ所が無かった、ということである。ファンであることは間違いない。「あぶな坂」は確かに彼の言うとおり、全面的に隠喩となっていて、彼女の詞としては珍しい。物語作家という側面に気づかせてくれた。

2016.03.09
・・・夜、YouTubeで中島みゆきの対談を聞きまくった。吉田拓郎とかYUMINとか福山雅治とか。

2016.03.11
・・・中島みゆき「片想い」(新潮文庫1987年刊)はいろんな雑誌に載った対談集である。なかなか面白い。考えてみれば、僕は何も中島みゆきの歌に心酔しているわけでもないし、歌による慰めも必要としているわけではない。ただ、心を動かされるしその歌の出来具合が見事だと思うので、その辺の因果関係に興味を惹かれるのである。精神的には父親の影響が大きいのだろうが、歌作りという意味では母親が喋るときには必ず抑揚を付けていた、とか言うから、それが習慣になってしまったのかもしれない。まあ、才能と言ってしまえばそれまでなのだが、彼女は世間とうまく関係を保ちながら、情報を取り入れて、歌作りに集中できるような環境をうまく整えていると思う。テレビを避けているのも(無理はしないという)彼女なりのやり方である。他者への対し方が何となく僕と似ている感じもする。

・・・詞作りであるが、最初に格好良い言葉が浮かんでくるらしい。その意味付けや背景のストーリーを後から付けて行く。何年もかけて少しづつ思いついては改良していく。そういう曲のメモが沢山ある。必要になるとその中から相応しいものを選び出して譜面に起こしていく。メモの段階では言葉と音名と音割りの印(一拍分を丸で囲んだり、、、)が記録してあるそうだ。まあ、そんなものかもしれない、と思った。相当な推敲をしないとああいう詞は作れないだろうから。彼女の詞は譜割が独特で他の人には歌いづらいのだそうである。本当の処、歌う場面と気分によって詞も変わるのが自然なのだが、なかなかそういう即興は難しい。一生懸命自分の作った詞を覚えるのだそうである。そうしないと推敲途中の歌詞が出てきてしまうらしい。

・・・1983年頃から彼女はロックに傾倒していく。人任せにしていた器楽アレンジにも注文を付けて行く。極め付きは1986年のアルバム「36.5℃」であったらしい。初めてアメリカに行き、ニューヨークで録音している。このとき初めてプロモーションビデオに出演し、ブルックリン橋によじ登ってみせている。ちょっと見てみたいものだが、YouTubeには見つからない。男達への攻撃は影を潜め、女への冷たい視線が目立つ、ということだが、シングルカットされた「やまねこ」は確かにそうだ。ツタヤにこの頃のロック調のCDは置いていなかった。あまり人気が無いのかもしれない。

・・・最後に、「のう・さんきゅう」という詞が(多分彼女の)手書きで載せてある。拘らない書きっぷり。更に、活字で、「エデンの乳房」という詩がある。元旦の朝日新聞に寄稿したものらしい。

・・・氷室冴子の解説がなかなかよい。中島美雪が「時代」でグランプリを受賞して司会者が質問し、真面目に考えながら答えていると、時間を見てか突然遮られる。その時の彼女の怯えたような表情。他人との距離がうまく取れずに、勝手に傷ついてしまって、それが自分のせいだと思い込むから、ますます出口無しという状況になる。生きるのが不器用な人。その不器用な自分を突き放して見つめることによって現実に立ち向かう。それが彼女の歌作りである。そこに歌われている内容よりも、それを歌おうとする彼女の意志や眼差し、自分を見つめる容赦の無い眼差しが好きだ、という。なるほど、と納得した。彼女の詞の一番の特徴は、その視点の複数性だろうと思う。短編集「女歌」の序文でも自分で書いているが、自分の肩の上にはもう1人の自分がいつも居て、好き勝手に動き回ったり振り回せれたりする自分と対話している、という具合である。そういう状況を詞で端的に表現するために日本語の持つ主語の曖昧さをうまく利用しているのかもしれない。主語がどちらの自己なのか、それとも聴いている人なのか、どれでとでも解釈できるという多重性が作り出されているように感じる場合もある。

・・・それにしても、彼女の歌う姿の凛々しさ!(嬬恋2006で吉田拓郎のサプライズゲストとして登場して彼の為に作った曲を歌ったときの映像)。

2016.03.13
・・・第2作「泣かないで・女歌」(新潮文庫1988年刊)も同じように、中島みゆきが歌手生活の中で出会った女達を描いている。最初の「泣かないで」が面白い。彼女がYAMAHAの札幌支店の人に騙されて、東京で知らずにオーディションを受けさせられて合格して、更に騙されて、YAMAHAの研修センターで特訓を受ける話。人里離れたところで合宿生活。日射病になって倒れかかったり。最後に曲を選んでレストランの客を前にした仕上げの発表をするのだが、彼女は他人の曲を歌う気にならない。ついに自分で作っても良いということになった。合宿生活の中で、ときどき親切にしてくれた女性従業員が居た筈なのだが、後になって探してみても見つからない。そんな人は居なかった、というのがオチである。

・・・2つ目は「楽園」。音楽の勉強をしていないものだから、自分は作曲して歌うだけで、仕上がりのプロセスには関われない。どうもおかしいと思っても専門用語を知らないから文句もつけられないという苛立ち。そういうときに年下ではあるが先輩の歌手「猫ちゃん」に出会って安心する。しかし、彼女も同じだった、というオチ。この先輩は多分谷山浩子の事だろう。

・・・3つ目は「ウィズアウトベイビー」。大学生時代の友人の話。どんどん内に閉じこもっていった文学少女が突然中退してインドに行って、そこでイギリス人と結婚して日本に帰ってきた。コンサートで札幌に来た夜に誘われて自宅を訪問。貧乏暮らしだが子供を育てて幸せそう。気になった言葉「でも、女にとっては。いちばん必要なのはね、・・・愛する男がいる、っていうことだと、私は思う。」
・・・4つ目(最後)は「テレサ」。ポーランドに撮影旅行したときの話。まだ自由化前であるから、軍の監視下にあり、最低限の生活状態である。その中で優しさを見せた女性。最後はその女性が査察官だったというオチ。ふーん、こういう経験もしたわけだ。。。

2016.03.14
・・・図書館には絶版になった中島みゆき関連の本が多数ある。小説もあるが、それらは彼女の「芸能生活」体験記を膨らませたような感じである。謎が多いといわれているが、彼女は随分と過剰なくらいに自分を語っているのである。テレビに出ないとか、取材者の思い込みが外されてしまうということで、「判らない」と思われているだけだろうと思う。

・・・「女歌」の中の「23:00熊本発鹿児島行き急行バス」は地方公演のドタバタとスタッフの様子。照明係りのりえちゃんに焦点を当てていて、最後にインタヴューをしている。

・・・「リゾートランド・ママ」は、中島みゆきが沖縄で泊まったホテルの部屋掃除係りの女性の話である。あまり観光地にも行かないでホテルでのんびりしているので暇なのだそうで、そうすると話ができるのは掃除に来る人達ということになる。詳しく話を聞いて彼女の生活ぶりを描いている。家では家族のために家事に忙しくしていて、昼間はずっとホテルで仕事である。

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