2024.11.01

●『わたしの子供になりなさい』 中島みゆき

新聞の広告に『恋とか愛とかやさしさなら』という小説の題名があって、思い出して、久しぶりに、中島みゆきのアルバム『わたしの子供になりなさい』を聴いてみた。あの凛として女の意地を歌った『パラダイス・カフェ』の次のアルバム(1998年)である。「もう愛だとか恋だとかむずかしく言わないで わたしの子供になりなさい」のフレーズはなかなか衝撃的で、当時ファンの間で流行ったらしい。「男には女より泣きたいことが多いから」というフレースから判るように、この歌は中島みゆきが男にやさしくなった最初の歌かもしれない。しかし、それはこのアルバムのコンセプトではないようだ。

何故か怒鳴りつけるように、『下町の上、山の手の下』が続く。お互い会ってみると意気が合わなくて別れるのに、何故かまた山手線を横切って会いに行く。「もう一度油断させてくれ」という。何とも不思議な表現だなあ、と考えていると、今度は限りなく低いドスの効いた声で、『命の別名』である。障害児の心の叫び。いつ聴いても心にずしんと重たいものが残る。この歌には3つの録音があるけれども、全て異なる。声の低さという意味ではこれが一番低いが、声に伸びと艶があるので、やはり中島みゆきの声だなあと思う。

次の曲はわざとのように高い音域で『清流』。恋心を清流に例えているのだから当然ではあるが、裏声というほどでもない。男に対して、私はあなたの敵ではない、男と女は争いあうものではなくて、どちらともなくまじわり合うものなんだよ、と諭している。次の『私たちは春の中で』は一転して叫ぶようなロック調の曲。青春の苛立ちという感じ。こういう歌を聴いていると、一種のストレス発散の為のダンスではないか、と思えてくる。そういう意味で、今風のリズムと気の利いた和声とダンスで気を惹く音楽にも共通するものがある。でもまあ、中島みゆきの場合は、それでも言葉の繋がりに論理性がある。

次の3曲『愛情物語』『You don't know』『木曜の夜』は失恋の歌で、この連綿とした感じが僕はちょっと苦手である。次の『紅灯の海』は決然とした感じがなかなか良いのだが、紅灯というのはどういう意味だろうか?「あてのない明日と しどけない過去の日々が すれ違うための 束の間の海だ」。いろいろとつらい過去があって、傷ついた人々が癒しを求めて集まってくる海、という感じであるから、「紅灯」は何となく遊郭を連想させる。適切な解説が見つかった。中島美雪が小学生時代を過ごした岩内の赤灯台の話。

最後に『4.2.3.』。これは多分ペルーでの日本大使館立てこもり事件のテレビ報道を観て、急遽書いた曲だと思うのだが、歌でテレビの映像を中継していて、アナウンサーが、犠牲となった兵士の姿には触れず、日本人のことばかり報道するのを見て、最後に「この国は危うい」と、中島みゆきの思う処を述べている。背景として流れている曲は多分瀬尾一三の作曲なんだろうが、中島みゆきの歌のメロディーに対比させながらなかなかよくできていると思った。

結局の処、このアルバムのコンセプトはすっきりとはまとまらない。万華鏡のように中島みゆきの多面性を見せている。リーフレットには緑色の背景と緑色主体で赤い模様の洋服の中島みゆきが描かれていて、これも落ち着きがないところだけは首尾一貫している。

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