2015.08.22

      午後から、暑い中図書館に行って本を返却。平凡社の「こころ」という雑誌(Vol.27)に半藤一利の連載「B面昭和史」があったのでざーっと読んだ。B面というのは、つまり市井の庶民の雑事という意味である。A面として時代が戦争に向かって大きく揺れている中でB面としての庶民(つまりは半藤氏とその周辺の人達)の生活意識がどうであったかを語っている。生きている内に記録しておきたいという意図なのであろう。意外なほどあっけらかんとして「臨戦体制」に馴染んでしまっている。なかなか面白そうである。これは連載8回目ということだから、多分連載が終わったら本にするのであろう。そういえば4月号(Vol.25)の安野光雅の話も面白かったように記憶している。

      夕方5時前にEDIONの隣の(旧)鯉城会館に行った。今は広島県民文化センターである。今日は合唱団「そら」がバッハの「ミサ曲ロ短調」をやるのである。開場になってもあまり客が集まっていない。当日券1,500円で入った。大きなホールで一階の舞台より客席がずっと高くなって2階まで連続している。客は200人位だろう。殆ど出演者の関係者のようである。バッハの宗教音楽の到達点とさえ言われるこの曲を僕はちゃんと聴いた事が無い。宗教曲を始めて真面目に聴いたのは、10数年前、テレビで偶然どこかの小さな教会で少年合唱隊が「マタイ受難曲」を一生懸命歌っていて、字幕も付いていたので、なるほどこういう物語なんだなあ、と妙に感心してからである。最初の内はアリアだけを抜き出して聴いたりしていたが、やがて全体を聴くようになって、劇的な表現に惹き込まれるようになった。その後、ヨハネ受難曲だとかを聴いたが、ミサ曲ロ短調は合唱主体なのでちょっと敬遠していた。確か4月にはバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)の広島公演があったのだが、名演と判りつつそれもパスした。

      今回歌詞だとか解説の付いた立派なパンフレットを読みながら2時間余りの「熱演」を聴いてみて、ミサ曲というカトリックの典礼音楽でありながらも、当たり前だが、バッハはやはりバッハだなあ、と思った。演奏の出来という意味で言えば、音自身やフレーズの表現の純度というか、やはり限界があるなあ、とは思ったが、何しろバッハである。そんな技術的な問題を超えて胸に迫り来るものはあったので、とても良かった。独唱者は合唱団員の中からソプラノ、アルト、バスが出て、外部からソプラノ、テノールが参加していた。中ではアルトの野間愛さんが良かったと思う。とても感情がこもっていた。外部から来たソプラノは何回も聴いたことのある小林良子さんであったが、澄んだ美しい声ながらちょっと声量不足と思った。テノールの枝川一也さんは面白い。前にも聴いたことがあるように思うが、ちょっとオジサン風で乗り出すと演歌の感じになって、これまた一つの個性かなあ、と思った。合唱は迫力があってとても良かった。

      宗教的な内容や構成はともかく、合唱が主体で、間にアリアが入る。歌詞はミサだから決まっている。合唱部分は、旋律が次々と各声部に引き継がれて全体が複雑な織物の様相を呈していきながら、器楽に支えられて次第に音量も上がって盛り上がっていく、という感じである。曲全体の真中Gloriaの中に3つの合唱曲があって、それぞれ、マリアの懐妊とイエスの生誕、イエスの刑死、イエスの復活、に充てられている。この辺の曲はやはりバッハの作曲(曲構成の設計)の切れ味みたいなものを感じざるを得ない。

      アリアの方は大体2種の楽器がオブリガートを付けていて、僕としては楽しめる。Gloriaの中ではヴァイオリンが難しそうな速いオブリガートを付けていて、ちょっと危なっかしそうなのが良かった。

次がフルートのオブリガート。このフルートもちょっと稚拙な感じであるが、演奏技術が稚拙なのか、それとも意図的なのかが判らない。でもその方が曲には合っている。

次のオーボエ・ダモーレのオブリガートによるアルト独唱は感動的であった。

次がホルンとファゴットのオブリガートでバスのアリア。独特の音色がうまく生かされていた。

Credoの中では最後の方に2本のオーボエ・ダモーレのオブリガートによるバスのアリアがあって、「聖霊」について歌っているようであるが、とても美しかった。オーボエ・ダモーレの甘い音色。

さて、Sanctusにはフルートのオブリガートによるテノールのアリアがある。イエスがエルサレムに入城したときの群集の祝福の言葉だそうであるが、フルートがいかにもややこしそうなバッハのメロディーを熱演し、テノールが演歌調でこれに答える、という感じでなかなか面白かった。多分この辺の感じはBCJではもっとすっきり纏めるのであろう。

最後のAgnus Deiでのアリアはヴァイオリンのオブリガートでアルトが切々と歌う。神の子羊(イエスの事)よ、あなたは世の罪を取り除く。私たちを憐れんでください。なかなか感動的。

結局器楽の方は、モダン楽器を使うのだが、演奏スタイルとして古楽的な感じを出そうとしているようである。

      バッハの、特にこういう曲は実に「人為的、作為的」である。だからとても聴く気になれない、とか演奏が嫌だとか難しいとかいう人が多いのではないか、と思う。しかし、ある程度意識を集中させて声部を追いかけていると、ちょうど万華鏡を見て目が廻ってしまうような感じの美しさを感じることもある。日常では見えないけれとも存在する一種の秩序構造というものを直観させるような音楽である。
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