2022.03.7-12
『ラインズー線の文化史』ティム・インゴルド(左右社)
この本に興味を持った切っ掛けはオリンピックのテレビ中継であった。アスリートの見事なパフォーマンスを見て、彼らは自らが描いたある種の形を身体で描こうとしているように思えた。それは文字通りの演技的種目だけでなく、対人的な種目においてもそうである。勝ち負けは別にしても彼らの動作そのものが美しい。これは単なる静的な形ではなくて、動的な形である。動き、発展し、流れ、、、見るものに夢を見させる力がある。そしてふとこの感じは、音楽や歌を聴くときにもあることに気づく。絵を見る時もそうである。素晴らしい研究論文もそうである。
勿論、それらが実現するためには、パフォーマーは日々自らを訓練しなくてはならない。訓練には達成すべき動きをイメージしなくてはならないから、パフォーマーは達成感を得ることができる。ひょっとして、経済社会が本来目的とすべきなのは、このような意味での達成感をより多くの人々が経験できるようにすることなのではないか?ただ、それらを一つの概念として表現する言葉が見つからない。そんなことを考え始めた時、偶然、中国新聞の書評にティム・インゴルドの新しい翻訳書『生きていること』が紹介されていて、「ラインズ」という言葉に出会った。ということで、相当評判が良かったといわれているこの本を図書館で借りて来た次第である。

・・・思った通り興味深いが、なかなかすんなりとはまとまらない本である。とりあえず下記のメモを書きながら読んだ。

・・・最初に読後印象を書いておく。近代的合理主義によって我々の世界を見る視点が変化してしまい、そのことに慣れてしまい、見えなくなった視点がラインズという概念で括られている。昔学生時代に読んだベルクソンを思い出した。連続する生という概念と似ている。世界を既に存在するものとして、それを鳥瞰するという視点は近代科学の方法論であり、目的さえ確かなら合理的な道筋を教えてくれる。しかし、人生の目的というのは簡単ではないし、人間社会で生きていくということも簡単ではない。そもそも科学的方法というものも実践する立場に立てば合理的な理由付けは困難である。政治となるとなおさらである。つまり、生きていくことの本質は科学とは別のところにある。そのようなラインズという概念も芸術という分野においては日常的に意識されている。だから、ここで著者が述べていることも、それほど目新しいことでもないのだが、個々の実例や詩的表現はなかなか面白いし、いろいろ考えるときに応用できそうである。

・・・lines という概念は、広く言えば「命の足跡」、それも、単に空虚な空間に印されたものではなくて、そこに生成していくもの、つまり時間という次元を持つものである。結局は生きていることそれ自身とも言える。中島みゆきはそのことを「命につく名前を心と呼ぶ」と表現した。心という意味は命がそれ自身の過去の経緯を持ち、自らの意思で未来に向かう、ということ、つまり時間を持つということである。それぞれの命はそれぞれなのではなくて、時間を共有することで一体化している。心というのはそういう在り方のことである。ー芸術作品に触れるとき、人は作者と時間を共有する。傷ついた人に出会うとき、人はその痛みを知る。中島みゆきは「柔らかな皮膚しかない理由(わけ)は 人が人の傷みを聴くためだ」と歌う。ー

・・・以下は、読みながらのメモである。

第1章 言語・音楽・表記法
・・・発話 speech と歌 songs の違い:今日的には、発話の意味は音自身の背後にある約束事を介して得られる概念であるが、歌の意味は音自身が我々にもたらす感情である。しかし、中世・古代において、音楽の本質は言葉であった。言葉の抑揚やリズムがそのまま音楽と受け取られていた。

・・・ソシュールにとって音は言語に属さない。それは二次的なもの、言語が用いる資料にすぎない。

・・・言葉が歌のように音楽に組み込まれるとき言葉は(ソシュールの意味での)言葉であることをやめる。

・・・逆に、音が言語表現に従属するとき、その音は音楽とは異質なものになる(武満徹)。(ここでは"純粋音楽"を想定しているようである。)

・・・このように、音楽と言語が分離した契機として書き言葉の発明がある。言葉は視覚を介して受け取られるものとなった。(ウォルター・オング)記述を知らぬ人々にとって、言葉とは発声として在り、音によって伝達される何かではない。

・・・しかし、記述が言語と音楽の区別の契機なのではなく、むしろ記述の終焉が契機なのである。

・・・記述の歴史のほとんどの時代を通じて音楽が言葉の芸術であり続けたことを考えるならば、書かれた言葉もまた書かれた音楽の一形式であった筈である。つまり、言葉だけでなく、音楽にも記述の歴史(記譜の歴史)がある。

・・・表記法 notation が両方を含む概念である。記述物 script に対しては楽譜 score がある。記述物はそれ自身が作品であるが、楽譜はそれに従った演奏が作品である。同様な関係は線描画とエッチングにも言える(後者では印刷物が作品となる)。

・・・記述物の読解は認識作用の審級にあり、テキストに書き込まれた意味を取り込む。他方、音楽を読む行為は演奏の審級にあり、楽譜に書き込まれた指示を実行に移す。一方は我々を内部へ、概念へと導き、他方は我々を外部へ、現実の音へと導く。戯曲や朗読の為の詩はこれらの中間にある。これらの厳格な区別は、音楽が自律的な芸術として認識されるようになった近代以降に生まれた。それ以前では、音楽とは演奏であり、演奏は必ずしも楽譜に従う行為ではなかった。

・・・近代以降の文学は世界から隔たり孤立したデカルト的主体が白紙の上に創造するものと考えられている。しかし、中世の書物は制作されたものではなく、何か(神)が語ることの記録であった。記述とは語ることである。読むことは聞くことである。声を出すことなく読むという習慣はなかった。アングロ・サクソン語やゲルマン語の「読む」という言葉の語源は「忠告や助言を与える」という意味である。読むことは孤独な行為ではなくて、共同体のなかの公的な発話的行為であった。読書は声を伴い、その声はページが発する複数の声と考えられていた。音の物質性とその理念的表象との分離は現代的思考の産物にすぎない。記述は何よりも記憶術であった。読者は過去の声を蘇らせて聞くことができる。記述は読まれるものではなく復元の手段であった。古代ギリシャ語の「読むこと」は「再び集めること」を意味する。ラテン語においても「集めたりまとめたりすること」である。狩猟、釣り、獲物を追い詰める、という比喩が使われた。原始の狩猟者のように、地図を見るのではなく、踏み跡を辿ることによって獲物を追い詰める。ページの上の記述はすでに組み立てられ自己完結したプロットではなく、記憶の地形のなかで彼らの行く道を教えてくれる道標である。テキスト、物語、旅は見いだされる対象ではなく、踏破される行程であり、それは記憶という行為である。それぞれの行程がたとえ同じ土地を巡るものだったとしても、それぞれが異なる運動である。

・・・近代的思考が言語と音楽を区別するために設けた意味と音、認識と行為といった項目は、古典期中世期の筆者の書いたものでは全く対立していなくて、同じものの異なる様相であった。

・・・古代ギリシャの「ムシケー」という声の芸術において旋律という意味での音楽はその中の軽い一部分に過ぎなかった。リズムや音価(音の長さ)は歌われる詩行の韻律にすでに備わっていた。それは交互に続く長短アクセントから成り立っていた。旋律はプロソーディア(高低、緊張弛緩)によって決まる。

・・・紀元前3世紀頃までには、プロの声楽家のメモとして様々なマークが使われるようになった。揚音、抑音というアクセント記号である。9世紀頃グレゴリオ聖歌において使われたネウマ譜はそれらの発展型である。11世紀頃には同じ抑揚にある場合に横線で結ぶようになり、グイード・ダレッティオは線上と線間に記号を配置し、今まで聞いたことのない詩行を歌うことが可能になった。それらはあくまでも暗記の為の補助記号であった。今日では音楽がテキストから独立したために、五線譜となったが、テキストの方にはネウマが「句読点」として残っている。

・・・音楽がテキストから独立したのと同様に、言語は音から独立した。それは記述の終焉、つまり印刷が関わる。テキストが記された表面は、近代以前においてそこを通って進む領域であったものからそれを眺めるスクリーンに変わった。記述は本来身体運動であったのだが、印刷においてもはや記述者の身体運動(調査や思考の経緯)の意味はなくなり、無地のスクリーンに投影された何かの役に立つ情報に過ぎなくなる。印刷は一つの例にすぎない。熟練した手仕事はデザインや構成と単なる製造行為とに分離され、後者は単純労働となった。

・・・発話と記述という対立項は2つの側面がある。「発話」は身体動作であり聴覚的であるが、「記述」は刻印であり視覚的である。これらの間には、「口述筆記」という刻印でありながら聴覚的な項目と「手の身振り」という身体動作でありながら視覚的な項目がある。身体動作と刻印とは実際上は結びついている。刻印とは身体動作によって表面に痕跡を残すことだからである。ところが、印刷は刻印から身体動作を奪うのである。

・・・日本の能における音楽(唱歌:しょうが)で使われる笛の楽譜の話。これは文化人類学者の井口かおり氏の論文からの知識である。楽譜はカタカナと符号で記されていて、それは文字通り歌われる。発話の音声と楽器音は区別されない。笛が無ければ、あるいは頼りなければ歌われることで代用できる。旋律や音程はそれほど重要でない。ギリシャ音楽「ムシケー」における二本笛「アウロス」の役割と似ている。

第2章 軌跡・糸・表面
・・・糸は3次元空間で絡み合ったり、張られたりする。表面の上に描かれることはない。

・・・軌跡は2次元表面の上に、付加的あるいは切削的に作られる。
draw は糸を引っ張るのにも、軌跡を作るのにも用いられる
write の語源は石の上に引っ搔いて軌跡を作ることである。

・・・切れ目・亀裂・折れ目は表面の破損によって作られる。

・・・死後の世界は地下に作られた迷路と迷宮と想像された。生者は地上という表面に刻まれた先行者の「軌跡」を辿るが、地下の迷宮で役に立つのが「糸」である。

・・・表面に描かれた迷路のような模様は、悪魔がその迷路に捉われるという考えから魔除けとして使われた。ケルトの網目模様やインド南部タミール・ナードウ州のコーラム模様も同様な意味で使われる。

・・・地面は上空からのみ鳥瞰可能な表面である。地球の表面を渡る旅(人生)人には見えない。穴から地球内部に入ると表面は消滅する。そこでは糸しかない。悪魔は表面に降り立つと表面を見失い、迷路に捉われる。

・・・広くメラネシア諸民族に見られる粗い網目状の透かし模様は、植物素材の紐、短冊、葉状体を組み合わせて作られる。ラインが一本引かれるとそれを手本として次々とラインが引かれて全体が絵画となる。同じ原理が「ビルム」という手編みバッグの制作で使われる。描かれたラインをループする糸へと変形させることで表面の消失が企てられ、パプアニューギニアのアベラム芸術の特徴となっている「透かし細工」を作り出す。

・・・ペルー・アマゾンのシビボ・コニボ族の村の道、家屋の内装、陶器の表面、等々全てはジグザグ線で覆われている。これは単なるデザインではない。誰もが幼少期から呪術師に授かった徴を背負う。ヒーリングの儀式においてそれは身振りで示され、呪術師の声が空中をさ迷い、幻視の最中、ラインがハチドリの霊ピノによって紡ぎだされ、それが受益者の身体を貫き、身体の表面が溶解し、治療をもたらす。

・・・軌跡から表面が消失して糸になるのとは正反対に、糸は織られて表面を作り出す。解剖学的視点は呪術師の視点と同様に身体表面を構成要素としての糸へと分解するが呪術師が身体にラインを垂らすのとは逆に、外科医は身体の中のラインの断絶を発見して縫い合わせる。
・・・縫物 stitching と織物 weaving は糸から表面が形成されその過程で軌跡が生成されるプロセスの典型である。

・・・結び目 knot によって表面が作られる。織る行為 weaving によって表面に軌跡が描かれる。それは糸の色の「差異」である。あらかじめ存在する表面の上に引かれるラインは運動の軌跡であるのに対して、糸から織られていく表面上のラインは縦糸と横糸の往復運動の結果である。記述 text の語源は明らかに織物 texture である。

・・・パプアニューギニアのカンディンゲイにおいては重要な地位にある男性が結び目のある長い紐を所持している。それは始祖たちの由来を語る。紐を滑らせながら、結び目に相当するトーテムを歌う。これは糸だけで成り立つ記述である。インカの「キープ」もそうである。紐の特定の場所に紐が結ばれ、この二次紐にも三次紐が結ばれ、、、という構造を持つ。こうして一族の由来が語られる。これはまだ織物になる前段階である。

・・・マヤのキチェ族によって織られたスカーフには錦織の動物をかたどった形象が見られる。

・・・古代ギリシャにエジプト産のパピルスとインクを含ませた葦ペンが伝わって、筆記体の文字を使い始めた時、行を織るという考えが自然に生まれた。それまで文字は固い既存の表面に丁寧に引っ掻いていたのに対して、ペンは自由に動き回れる。当時(9世紀)に残された書き物はまるで刺繍のように見える。縦方向の一定の長さのラインが整然と並びながらそれぞれが装飾的な動きを追加されている。行は縦糸でありそこに通す横糸が模様としての文字を作り出す。

・・・グーテンベルグがそうして作られた文字を一つ一つ切り離し、自由に組み合わせて印刷するシステムを作り出すと、テキストの意味が変質したのである。

第3章 上に向かう・横断する・沿って進む
・・・指揮棒を振るような連続的動作によって作られる身振りの軌跡から、それらをコマ落としして作られる途中の点集合が得られる。この点を順番に繋げば軌跡が再現されるが、そこにはもはや運動は無い。点と点をつなぐ連結器にすぎない。

・・・北極圏に対するイヌイットの認識は通過経路 line で織り合わされたものであり、イギリス海軍の認識は緯度と経度で定義される二次元の表面である。旅の道に沿った(along)世界とあらかじめ存在する表面の横断(across)による探検世界の違い。徒歩旅行や散歩と輸送の違い。徒歩は単なる移動手段ではない。歩くことは歩いた跡の道を残すということである。歩いた人はその道にある果物や獲物を記憶している。例えば、地下に伸びる根の成長のことを「根が歩く」と言う。(ポットで発芽したトウモロコシの根はポットの中を歩き回っているから、苗の分割は根が絡み合う前にしなくてはならない。根は下方に伸びるだけではない。)

・・・徒歩と輸送の差は単に機械的手段を持たないか持つかの違いではない。移動と知覚との密接な繋がりを捨てて移動が単なる手段となるのが輸送である。行進や周遊旅行は輸送に近い。ツーリストの目的はあくまでも輸送手段によって繋がれた個々の点(観光地)にある。

・・・アボリジニにとっての領土とは通り道(踏み跡)の絡み合った網目であって、境界で仕切られた表面ではない。しかし、今日的な用語としの網目(net)の意味は変質してしまった。それは逆に多数の点と点を繋ぐことによって生じたものと認識されている。だから、アボリジニの見る世界は網目というよりも網細工とでもいうべきかもしれない。

・・・帝国的な権力は踏み跡の織物を見ようとしない。空虚としかみない表面に連結のネットワークを被せる。これが「占拠」である。占拠のラインは土地に織りなされた居住地をずたずたにする。分割し区画化する。

・・・徒歩旅行者の小道には始点も終点もない。全てが「途中」である。輸送は特定の場所、目的地を持つ。(中島みゆきの歌に「今はまだ旅の途中だから。」という句がある。果てしない旅というのは彼女の歌の一貫したテーマである。)

・・・地図作りの方法として、まず略図がある。それは目的地に行き着くための目印などの記録であり、一度使えば覚えてしまうので捨てられる。それは土地の全体図を必要としない。必要なのは line だけである。しかし、刊行地図ではまず表示される領域を区分する境界が先にある。略図への書き込みは地図の一部になり、記憶されていくのだが、刊行地図への書き込みはその地図の一般性を損なうために望まれない。中世の地図は、なされた旅とその途上での記憶すべき出会いを語る絵入りの物語だったが、近代初期には地球表面の空間表象に取って代わられた。その過程で、元の物語は破壊され図像の断片となり、さらには特定の場所を徴づける項目の一つ、装飾物に変化した。

・・・私たちが周囲の環境について持つ知は、環境の中を私たちが移動する行路そのもののなかで、場所から場所への推移とその道筋に沿って変化する展望とともに作り出される。しかし、近代的思考の枠組みのなかでは、沢山の固定された地点でなされた観察をつなぎ合わせて一枚の完全な絵にすることによって知が組み立てられる。

・・・パプアニューギニアのカルリ族にとって全ての場所は道(トク)に沿ってある。場所を名づけることはそれに沿った旅を語りか歌によって記憶することである。ナバホ族にとって、目立った目印になる地名は連続して告げられて、「言葉の地図」を形成する。その言葉はその場所において意味を得る。だから刊行地図には使われない。測量士の地名はその場所を他の場所と区別するものであり、より大きな全体へと組み立てられる部品である。つまり、占拠者の知とは、上方に向かって統合されるものである。

・・・世界を貫く運動の道としての知は、道に沿って(along)進みながら知ることであるが、占拠者の知は点から点へと横断して(across)切り取り、それらを統合的な集合体として築き上げる(up)。

・・・略図のラインは物語に似ている。出来事はあらかじめ存在していたものが発見されるのはなくて、出現する。そこに至る道を準備した出来事、目下それと同時に起きている出来事、それに続いて起こる出来事、といった者同士の「関係」によって把握される。ここでいう関係とは既にある存在同士の関係ではなくて、生きられる経験の土地に軌跡をしるす道である。点と点との連結ではない。物語を語ることは、語りの中で過去の出来事を関係づけて語ることであり、他者の過去の生の様々な糸を何度も手繰りながら自分自身の生の糸を紡ぎだそうとするときに従う、世界を貫く一本の小道を辿りなおすことである。

・・・中世では、旅することがその道筋を記憶することであるように、また物語を語ることがその進行を記憶することであるように、読むことは読むという方法においてテクストを通って踏み跡を辿りなおすことであった。現代ではテクストに作者の身体動作の痕跡が残らない。筋書は読まれる前に決まっている。現代の読者は遥かな高みから見下ろすようにページを測量し、筋書を再構成する。ページを占拠し、支配する。しかし、彼はページに住んではいない。しかし、筆写は歩行に似ている。

・・・純粋な輸送は幻想である。あらゆる旅は現実の時間のなかの運動であるから、それぞれの場所は、ただ空間内の位置ではなく、歴史を持つ。純粋な客観性も幻想である。その幻想は、生や成長や知識に本来備わっている場所から場所への運動という肉体を伴った経験を抑圧するときに生まれる。知とは、現実には誰にとっても、何かを横断しながら築き上げられるものではなく、何かに沿って前進しながら育つものである。生は何かに収まろうとせず、自分と関係する無数のラインに沿って世界を貫く道を糸のように延ばしていく(thread)。

・・・環境は、境界を設置されるという状況から成り立つものではなく、自分の使う細道がしっかりと絡み合った領域から成り立っている。内部も外部も無い。生態学は交点と連結器でなく、糸と軌跡の生態学でなくてはならない。生物とその環境との間の関係ではなく、網細工状に組み込まれた生物それぞれの生活の道に沿ったさまざまな関係、生命のライン、の研究でなくてはならない。

第4章 系譜的ライン
・・・系統=紐=糸状ラインに対して、系譜は点と点の連結である。ダーウィンが進化のモデルとして樹を使うまでは、系譜図は上から下へと記述された。祖先は上にあるべきだったからである。

・・・ダーウィンにとって、進化は生命過程ではない。生命はあくまでも各世代の中で費やされる。各生命過程は次に引き継ぐべき遺伝子を残す。ダーウィンは、それまで生成だと見なされていた自然の全領域を存在の問題として、時を遡る一連の無限の客観的状況として扱う。その結果、進化の連続性は、生成の現実的連続性ではなく、系譜連鎖の中でわずかな差異を含みながら存在する個体間に再構成される連続性となる。遺伝子情報の伝達と表現型を生み出す行動とは厳格に区別される。

・・・ベルクソンの進化観では生物を存在するのではなく出現するものとして見る。生命の弾み(elan vital)という基本概念が編み出された。それは形而上学的妄想として退けられた。ダーウィンの進化論では elan vital の代替として引き継がれる遺伝子という情報(プログラム)が登場し、親子という2つの生命の間を仕切る。しかし、実際には親子の関わり合いは決して分離できないものである。過去は取り残されて消えていく点の連続ではない。過去は私たちが未来に分け入るときに私たちと共にある。記憶によって私たちは過去の生のラインを辿りなおすことで未来のラインを作り直す。

第5章 線描・記述・カリグラフィー
・・・線描(drawing)と記述(writing)の違い。記述だけが表記法(notation)に従うのか?線描だけが芸術なのか?記述だけが技術なのか?記述だけが線状的(linear)なのか?

・・・線描されたものが符号として意味を持つことを知った時、それを指示することが描くことに先行するようになり(意図的に描くようになり)、同時に表記法に従うことになる。しかし、表記法に従った文字を組み合わせて意味が生じることを知るまでは、それは記述とは言えない。ただ、表記法の要素が何かを意味していることは確かであっても、それは使われる状況に応じて変わる。アボリジニのワルビリ族は物語を語るときには砂の上に線描する。直線は槍となったり、棒となったり、寝そべる人物になったりする。文字ともいえる。イコン的な要素を持つ。

・・・もともと芸術と技術は同じものであった。それらが区別されたのは産業資本主義における分業の必要性からである。技術が創造的衝動から切り離されることで、技術は機械化された。他方、芸術が技術的システムから切り離されることで、個人的才能の表現となった。グラフィックアーティストと著述家はいずれも線を描くのであるが、前者は芸術実践として線を描き、後者はライン製作者ではなく、言葉細工師としての芸術家である。しかし、印刷技術が普及する以前では、記述とはラインを描く作業であり、ラインそのものの質や調子や力動性には記述者の込めた思いが伝わる。(中島みゆきは、ラジオ番組に投稿される媒体として、メールよりも手書きの葉書が好きだ、と毎回宣言していた。これも同じ理由である。)

・・・パウル・クレー:「文明の黎明期、線描と記述が同一のものであったとき、ラインは基本要素であった。」

・・・カリグラフィーはその面影を残す。中国の書はリズミカルな運動の芸術である。書の大家達は書くことを装いつつ、実は観察するものを描いていたともいえる。世界のリズムや運動を彼らの身振りの内に再現する。西洋の手書きでは、ラインに沿ってそれぞれの文字は隣の文字にもたれかかり、接触し、腕を延ばして前の人の肩に手を置いて一列に並ぶ人々のラインのように見える。つまり読者は文字を横から眺めている。しかし、中国の書では正面から眺める。西洋の手書きが織物であるならば、中国の書は舞踏である。舞踏は遠心的な運動で軌跡を残さないが、書は求心的な運動で軌跡を残す。書を空中に書くというのは西洋人には奇妙な風習であるが、これは書が身振りであり、手話にも近いことを示す。漢字は長く見つめると感覚が混乱し、でたらめに配置された部品のように見えてくる。静的な存在ではなく動作そのものなのである。

・・・西洋での文字生産の歴史は線描と刻印との間を行き来してきた。中国では毛筆の書と篆刻の書とが共存してきた。篆刻は押印に使われた。4世紀までに中国には印刷に必要な技術があった。線描と刻印(篆刻)は使われる技能がことなるために、その線の形態が異なる。刻印という技法によって、身振りと軌跡との繋がりが絶たれ、文字や漢字が不動のものとなった。言葉とは技術によって組み立てられ配置されるが書き込まれるものではない、という今日の認識が形成された。

・・・記述の発明の例:チェロキー・インディアン、シクウォイは、19世紀初頭に、チェロキー語のための85文字の音節文字表を作った。韓国の世王は1443年にハングル語28文字母を作った。紀元前3000年頃シュメール語の表記体系が一人の人物によって作られた。

・・・判じ絵原理:絵文字が事物でなく、その事物を示すために発話される言葉の音声を表す。シュメール語表記の発明者は普遍的な言語表記法を発明しようとしたのではない。おそらく、帳簿をつけたり、固有名詞を記録したり、所有者を登録したり、運勢を占ったりするという作業の中で、具体的な解決策として誰でもわかるアイコンを使用したに過ぎない。

・・・記述は線描の一様態であり、両者の技能形成の過程は不可分である。

・・・アンドレ・ルロワ・グーラン『身ぶりと言葉』。全ての図示表現(ライン制作)は巧みな手の動きの軌跡であり、特有のリズムを持つ。もっとも初期には、語りや歌や踊りの実演を注釈するものだったろうが、それらは復元不可能となった。ただ、先史時代の図示表現には、基本的に放射状を成すという特徴がある。リズミカルに反復される要素と共に中心から環状に広がり、同心円の環となって配置される。図示表現は、口頭の語りの文脈から開放されるにつれて、発話の音声を表す必要性に従うようになる。つまり線状化する。線状的要素と表意的要素は漢字において絶妙なバランスを取り、アルファベットにおいては線状化がかなり進められた。線状化を推し進めればそれはラインの消滅、点と点を繋ぐという機能への縮小化、となる。

第6章 直線になったライン
・・・直線は、近代性の仮想的イコン、すなわち自然界の移ろいやすさに対する合理的で明確な方向性を持つデザインの勝利の指標として登場した。近代的思考の徹底的な二項対立図式の中で、直線は、物質に対抗する精神に、感覚知覚に対抗する理性的思考に、本能に対抗する知性に、伝統的な知恵に対抗する科学に、女性原理に対抗する男性原理に、原始性に対抗する文明に、一般的に、自然に対抗する文化に、結びつけられてきた。直線的姿勢は男性的であり、現生人類の特徴でもある。

・・・ゴールを知っていれば、直線的に向かうことが合理的である。更に、直線は数値化されることが出来るので、質的知識が量的知識となる。

・・・ガイドラインは平面そのものを規定し、プロットラインは点と点を結んで線図を作る。五線はガイドラインであり、音符を結びつける線はプロットラインである。座標軸や緯度線経度線はガイドラインである。

・・・ガイドラインの起源は織物の縦糸である。ピンと張ってその上に横糸を支える。また羊皮紙の裏に糸を張ってガイドとした。

・・・プロットラインの起源は土地計測である。ナイル河は定期的に氾濫するので、土地の計測は常にやり直す必要があった。コブを付けた長いロープが使われた。幾何学は幾何光学と結びつく。ユークリッドは光の進行方向には無頓着であった。

・・・定規(ruler)は直線を引くための道具であり、同時に領地を支配し統合する君主である。

・・・建築デザインが建設産業から分離した結果として、建築家は自分のアイデアを練るための手書きの絵とは別に、建設業者に指示するための線描画を書くようになった。作曲が演奏と分離した結果として、同様な事が起きた。

・・・近代化のイコンである直線は、しかし、20世紀における非理性的な現実と不確実性に直面して断片化している。これがポストモダンのイコンとなっている。

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