2018.06.12
 『NHK アナザーストーリー』:あまり詳しく知らなかったのでメモしておく。

・・1980年5月18日光州事件である。突然軍(空挺部隊)が街頭に出動し、市民に暴行。若者がターゲット。半年前、チョン・ドファン(全斗煥)が軍事クーデターを起こした。キム・デジュン(金大中)が民主化を訴えた。光州がその拠点であったので、突然の戒厳令が出たのである。・・19日、市民が集まり、学生たちと軍が衝突。
・・20日、それに怒った市民が数万人集合。軍は催涙ガスを使った。連行し、暴行。夜、バスやタクシーで軍に対抗。軍は街を包囲して情報を遮断し、市民に発砲した。トラックが制止しようとした軍人をひき殺したのが切っ掛けだそうである。
・・21日、実弾を持たない軍に市民のバスやトラックが突進して、軍は実弾を要求。愛国歌を流してから、一斉射撃。ついに市民が銃で武装。軍を街から追い出した。
・・しかし、軍は包囲網を縮めて27日に制圧。
・・その後、1987年6月9日、光州事件の時14歳だったイ・ハンニョルがソウルで学生運動に参加して、催涙弾の直撃で死亡。光州事件とは異なり、これはもはや隠すことができない。情報が拡散するとそれを切っ掛けに市民が立ち上がり、韓国全土を巻き込んだ。光州事件当時の学生がサラリーマンになっていた。
・・6月29日に民主化宣言となった。
・・暴力が暴力を生むという循環が一つ、情報の拡散が大衆を巻き込むというのが一つ。大衆政治運動が盛り上がる時の一般原則である。先進国政権はそれらを巧みに避けている。
 
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