2013.12.09

      先週の中国新聞の記事(12月3日渡辺敦光「ご飯と味噌汁復権」)を見て「アメリカ小麦戦略」なるものに興味を持って、図書館で鈴木猛夫の「アメリカ小麦戦略と日本人の食生活」(藤原書店)を借りてきて読んだ。元々はNHKの番組をまとめた高嶋光雪氏の著書(家の光協会1979年)であるが、生憎貸出中であった。

      歴史的な順序でまとめたほうが判りやすいので、まず米食の歴史であるが、もともと日本を含む東アジア地域は湿潤な気候のために米作に適していたから、弥生時代(最近の説ではそれ以前)から米作が普及し始めて、人口増加に寄与している。しかしながら、農民は長い間上層階級に米を提供していたので、必ずしも米食に恵まれていたわけではなく、雑穀を併用していた。江戸時代には農地の開墾が進んで農民が農業だけで自活できるようになった。米の全国的な流通が始まった。

      米はどのようにして食されていたか?というのも重要である。籾を取り去る籾すりと胚芽と糠を取り去る精米があるが、籾だけを取り去れば玄米である。玄米は保存性が良い。しかし、純粋な玄米を作るのには技術が必要であったから、籾も混ざっており、庶民は籾全てと胚芽と糠をある程度取り除いた状態で食す(3部〜7部搗き)のが普通であった。ただ上層階級は完全な白米にして美味しい御飯を食べていて、そのために脚気に悩まされていた。元禄時代に流通が完備されてくると、江戸と大阪では庶民も白米を食すようになった。これは流通での保存性には籾米や玄米か白米かの二者択一が必要であって、完全な玄米が得られなかったためである。都市住民が籾すりをするのは設備上難しかったから、流通には保存性の良い白米が適していた。必然的に都市住民は脚気に悩まされた。

      この脚気問題は明治になって日清日露戦争を戦う上で深刻な問題となった。軍隊の食事は白米だったからである。戦死者の大部分は脚気による病死であった。海軍は早くから脚気の原因が食事にあることに気づいていた。イギリス海軍の指導で大麦を混ぜるという実験を行いその効果を確認したからである。しかし、ドイツの指導下にあった陸軍はそれを認めなかった。当時ドイツでコッホにより細菌が発見され、ドイツ医学に従った東大医学部では脚気の原因菌を見つけようとして必死であった。実験事実よりも権威を重視したわけである。海軍が脚気から開放されて40年後、鈴木梅太郎が糠からビタミンB1を発見し、ヨーロッパでも脚気菌の探索が諦められて初めて陸軍も食事対策を採った。昭和になると、今度は政府公認の米として、7部搗きが良いか、それとも胚芽米が良いかの論争が起きて、長い間判断が保留になった。どちらでも良かったのだが、前者は保存性に問題があり、後者は製造法に問題があった。海軍はいち早く前者を採用し、陸軍は後者を採用した。佐竹によって胚芽米を作る精米機が開発されたためである。いずれにせよ、白米は論外であった。

      さて、本題の戦後の話に入る。敗戦後日本は深刻な食料難に見舞われた。アジア諸国も同様であった。(以下日本にはアジア諸国を含める。)しかし、米国では小麦の過剰生産で農家が困っていたから、日本に食料援助をしたのは自然であった。1954年にPL480法が成立した。これは、米国内の小麦を米国政府が買い上げて、日本の政府に円借款として渡すものであるが、日本政府が民間に売却した小麦の代金は日本の復興目的の他、米国が日本での小麦キャンペーンに使うことができる。勿論、日本政府は貧困層の為に小麦を無償で与えることもできる。日本側はこれによって、八郎潟干拓、愛知用水、電源開発等の資金を得た。アメリカ側は小麦普及キャンペーン(キッチンカー等)と学校給食へのパンと牛乳の供給を行い、小麦食品、ひいては卵や肉や脂肪食への誘導に成功した。しばしば問題にされるのがこのキャンペーンであり、米国側の陰謀によって、日本の伝統的な食生活が改変されてしまい、その結果として、アレルギー疾患や様々な成人病、癌に悩まされるようになった、というものである。

      しかし、著者はアメリカを責めはしない。そういう意図を持つのは国家として当然のことであり、問題はむしろ日本の側でそのような食生活の急激な変化を無反省に推進してしまったことである、という。ごもっともである。戦前あれほどまでに議論されて白米は論外とされたにも関わらず、配給米は白米になってしまった。ひとつは管理保存の問題からであり、また、西洋流の栄養学を受け入れた結果、主食は澱粉質に特化していても、副食で補えば良い、という考えに固まってしまったからでもある。しかも、その考え方は食品の分析値に基づくものであり、その食品が消化される状況までは考慮していない。

      例として、光岡知足という人は、毎日新聞昭和60年7月8日号に腸内の窒素固定菌を紹介していて、必須アミノ酸の含量でタンパク質を評価することの妥当性を疑問視している。また島田彰夫氏は牛乳を多く飲む民族ほど骨粗鬆症の比率が多く、これは、牛乳が成分としては Ca を多く含むにも関わらず、消化吸収されにくい為に、却って他の食品に含まれる Ca を道連れにして排出するためである、と論じている。新谷弘実という人は「胃腸は語る」の中で、牛乳は母乳よりも Ca が5倍も多いために、牛乳で乳児を育てると身体ばかりが発達するが、免疫力などは却って障害される、と論じている。そもそも Ca を豊富に含む食品は伝統的な和食の中に多く見られる。ヨーロッパではアジア地区ほど土地が豊かでないために、牧草を家畜に食べさせて、その母乳や肉を食用にせざるを得なかったので、それに胃腸が適応して、乳糖が大人になってもある程度消化可能になったのであるが、日本のような豊かな土地ではそのような食品はもともと不要であった。長い民族の歴史の間に身体が適応してきた食品から急激に未知の食品に変更すれば、消化プロセスにおいていろいろな障害(微量毒性物質の吸収など)が生じて不具合が起きるのは当然であった。

      とりわけ、アメリカ流のパン(白いパン)の製法が標準となったために、パン用の小麦(強力粉用)の殆どがアメリカから船便で輸入されており、長旅での品質劣化を防ぐために、アメリカ国内では許可されていない保存用の農薬(ポストハーベスト農薬)が使われているのに加えて、白パンは精白粉を使うために、粉に種々の添加剤が含まれている。せめてヨーロッパのパンのように全粒粉を使ったパンにすべきである。勿論国内産の小麦を使えば申し分無い。パンのもう一つの問題点は特に白パンであるが、柔らかいので噛まないことである。噛まなければ脳は発達しない。これも全粒粉のパンであれば問題ない。更に、白パンは特に味が淡白な為にさまざまな油脂食品を組み合わせることになり、肥満を誘発する。

      ということなので著者は圧力釜の必要な玄米ではなくても、せめて3分〜7分搗き程度の米を薦める。現代では家庭用の安価な精米機が発売されており、玄米を持っていれば、炊く量だけを毎日精米して美味しいご飯を食べられる。白米とは異なり味があるので副食をあまり必要としないし、噛むことでも、食べ過ぎが防げる。副食としての味噌や納豆や漬物は古来から工夫の積み重ねられてきた完全食品である。これに多少の季節の野菜をや小魚を追加すれば万全である。まあ、この辺はその通りかもしれないが、なかなか一度知ってしまった洋食の味は忘れられるものでもないだろう。

      著者は給食にパンと牛乳を採用したことが日本人の舌を変えたように書いてあるが、僕自身の小学校の頃の経験からはどうもそんな感じはしない。家では朝は食パンに決まっていたが、それは多分に子供が多くてご飯を炊くのが面倒だったからだろうと思う。毎朝食べる食パンの味気なさにはいつも閉口していた記憶がある。バターを塗りたくってもさっぱり融けない。もっとも起きるのが遅いからゆっくり待てないということもあるが。小学校の給食に出てくるコッペパンも嫌いだった。粉ミルクも嫌いだった。実際主食としてパンを食べる習慣は、朝食を除けば、日本人には定着していないと思う。昼食にパンを食べる時にも主食というよりはオヤツの感覚である。むしろ白米を主食にしたことで、副食が洋食化したのではないかと思う。そもそも白米というのはあらゆる食材と合わせやすいから、多様な食品を自然に要求するものである。米の消費量が下がってきたのには別の原因がある。日本が経済発展して一次産業従事者が減った結果、必要とするカロリーが少なくなり、その分だけ副食を楽しめるようになったからであろう(これは「どらねこ」さんの説であるが、僕もそう思う。http://d.hatena.ne.jp/doramao/20111122/1321960469 参照。)。食料自給率の問題としてはその副食の重要部分が肉であり、家畜を育てるための飼料の殆どが輸入されている、ということである。つまり、米の消費をキャンペーンしてもそれが白米であれば意味は無い。とはいえ、白米がある限りなかなかそこから逃れることは難しい。そもそも現代の若い人が忙しいのにスーパーで売られている白米以外の主食を考えることができるだろうか?多少は時間のある我が家では、しばらくの間圧力釜で玄米を食べていて気に入っていたのであるが、お年寄りには玄米はやはり食べにくいということで白米に戻ってしまった。(その後自家精米で胚芽米にして炊くようになった。)

      ところで最初の中国新聞の記事に目が止まったのは、最近の自民党の減反政策見直し報道に対して、キヤノングローバル戦略研究所の山下一仁氏が反論してたからである。新聞やテレビの報道によれば、どうも自民党政権が減反政策を見直すということなので驚いていたのだが、ある日、毎朝聞いているNHKラジオで、山下氏がそれはとんでもない誤解であるというので、再度驚いた。減反政策はむしろ強化されるのであって、自民党が廃止するのは民社党が始めた戸別所得保障である。これは減反目標達成への報奨金であり、小沢一郎が民社党用の農家票を獲得するために作った仕組みにすぎない。これ以外にも目標達成とは関係なく、減反(転作)すればそれに応じた補助金が支給されている。こちらの方は新たに増額されるのである。つまり、戸別に数値目標として決めた減反にきちんと従わせるというやり方から、ある程度の戸別自由度を持った減反に移行させる、ということである。なぜ市場の自由に任せないのか、といえばひとえに兼業農家(小規模農家:収入は都市部近郊では会社勤務+農業(副業)+補助金で、専業農家より多くなっている)を農家から脱落させない、つまり農家の戸数維持を図りたいからであり、それは農家を組合員とする農協が組織として潤い、自民党がそれを票田として頼っているからに他ならない。国民は税金と高い米価によって自民党の票を作っているということになる。農家の保護にはなっても農業の保護にはなっていない。転作として奨励されている飼料などは輸入に対して競争力が無いことは分かりきっている。米作そのものが国内では食生活の変化によって必要性が薄れているのであるから、そもそも米作農家の戸数が多すぎるのである。山下氏のいうように日本の農業は少数精鋭で付加価値を付けた輸出の方向に舵を切るべきなのかもしれない。安全保障としての農業維持を言うのであれば、飼料の輸入が出来なくなれば肉や牛乳が高価になるだけであるから、食生活が変わるとしても飢えるわけではない。国民の健康にとってはむしろ良いことかもしれない。ただ、山間部に暮らす小規模農家が老齢化、貧困化しているのは確かであり、「里山資本主義」が興せない場合には、村が消滅して自然に還るということになるだろう。それをどういう形で救済するのか?という問題は残る。
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