2018.11.05
 白井聡「国体論」(集英社新書)を読んでみたが、なかなか納得のいかない部分が多くて何度か読み直した。多分以下のようなことが言いたいのだろうと思う。

・・・「国体」というのは結局、日本の国を治めるのは誰か、ということで、これが間接的ではあるにせよ、究極の処、皇室にある、とするのが日本の「国体」であった。社会をまとめるための血族主義は基本的なものであって、それを理性的に克服するにはなかなかの困難を伴い、しばしばその代替として登場するのはむき出しの暴力である。もっとも、この日本の国体が重要となったのは政治体制の変革期であり、国体を意識した人達はその変革に直接関わった社会階層に限られていた。一旦政治体制が安定してしまえば、天皇の存在など形式的なものになってしまう。

・・・しかし、明治時代の特異的な処は、「国体」、つまり天皇崇拝を国民全体に行き渡らせることで、それまでの諸藩の地方分権組織を一気に中央集権体制へと転換させたことである。徳川家を倒した後も東北諸藩を武力で制圧し、明治政府が出来た後も、不平士族を討伐し、ついに西南の役を経てやっと政治的安定を得る。この過程において、天皇の権威がどうしても必要だったのである。ともかくこうして日本は一気に西欧の帝国主義国家の仲間入りをしたのである。日清戦争に勝利し、朝鮮半島を支配し、日露戦争に勝利して、国際的地位が頂点に達する。

・・・しかし、そこからは、国内の諸階層の権利主張が強くなる一方で、戦争継続による農村の疲弊等々が重なり、政治体制が揺らぎ始める。広く国民に行き渡ってしまった天皇崇拝の思想は、今度は不満の捌け口として利用される。「悪いのは天皇の側近達である。」として政治家達がテロの対象となるのだが、彼らは、本気で天皇を信じていたが故に、薩長が行ったように天皇を囲い込んで勅許を出させるというような手段を取らなかった。結果として天皇の怒りを買って失敗する。

・・・この二二六事件を契機として、軍部が恫喝によって政治家を動かすようになった。軍隊は軍隊の仕事として国内の矛盾を解決しようとする。つまりはアジア全域の軍事支配によってである。アメリカと戦争までするとは、何という無謀な事だろうか、と誰でも思うし、当時もそう思う人は多かった筈なのだが、闘えるだけ闘って最大限の果実を得る、というのは軍人としては自然な選択であったし、国民に向かっては、「天皇を抱いた日本が負ける筈はない。」と言っておけば良かった。

・・・ポツダム宣言受諾に当たって、当然「国体」の持続が問題となったのだが、昭和天皇の決断によって、見込発車で全面降伏をして、結果的には天皇の戦争責任は追及されなかった。アメリカは日本の統治の為には天皇を残すことが必要であると判断したのである。果たして、「国体」は維持されたのか、言い換えると、マッカーサーは天皇を救い、天皇に任命された新しい征夷大将軍だったのか?国民の大多数はそう思ったのではなかったろうか?そう思わせるまでに敗戦に至る数年間の日本は酷かった。

・・・しかし、実際は異なる。マッカーサーはあくまでもアメリカの軍人である。東西冷戦が続いている間は、日本はアメリカの傘の元で復興し繁栄することが出来たのだが、その後、アメリカにとって日本は極東の前線基地にすぎなくなっている。前線基地というのは負け始めると廃墟として捨てられる運命にある。その兆候は経済的な側面で既に現れ始めている。つまり、日本はアメリカの収奪の対象となりはじめている。自衛隊も米軍の世界戦略の一兵卒として使い切るつもりである。廃墟となる前に<注意深く>「独立」を果たさねばならないだろう。しかし、日本の現政権(だけではないだろうが)は、既に「国体」=アメリカ崇拝、という新しい図式に取り込まれてしまっているのではないか。かって、「慈悲深い天皇の統治する日本が負ける筈はないと」信じたと同じくらいに、「慈悲深いアメリカが負ける筈はない」と信じているのではないだろうか。

・・・以下はメモである。

・・教育勅語はその内容に問題があるのではなくて、その形式、すなわち、国家元首が国民の守るべき徳目を直接命じているという点にある。同様に、帝国憲法においては、その内容(立憲主義=権力の制約)を憲法の形式(欽定憲法・神権政治=無制約の権力)が裏切っているのである。乃木大将の殉死は、彼が「萩の乱」の鎮圧により、多くの革命の同志や家族を殺戮しなくてはならなかった事の正当性を「天皇の正義」に求めざるを得なかった、という事を意味する。天皇の正義が絶対でなければ、同志の死に意味を与えることができなくなる。明治維新の動乱はこのような形で指導者達(生き残った者達)を縛ったのである。

・・明治維新の経過は近代国家、つまり国家による暴力装置の独占に至る経過である。江戸時代は各藩の武力装置を徳川幕府が統括していたにすぎない。欧米からの開国要求に対応する中で、徳川幕府の現実路線=開国が西日本諸藩の批判に晒されたのだが、その時持ち出されたのが天皇である。しかし、薩摩も長州も欧米の軍事力を認識して、産業と軍事技術の導入を進める。

・・問題は誰が日本国の主導権を握るかであったが、その時に鍵を握ったのが天皇である。というより、天皇が薩摩と長州勢に軍事的に取り込まれてしまい(これはクーデターである)、徳川幕府が追い詰められてしまった。慶喜の現実的判断によって江戸城は無血開城となったのだが、東北諸藩の反抗が続いて戊辰戦争が悲惨な結末を迎える。その勝利に貢献した部隊が維新後に各藩に戻っていて、明治政府の支配力が及ばない。そこに薩摩から西郷が上京して国軍を組織する。その軍事力と天皇の権威によって、中央集権が進むことになるのだが、西郷は再び薩摩に帰り、今度は不平士族側を統率して西南戦争となる。西南戦争の終結を経てやっと体制が整う。

・・反薩長の生き残り達は自由民権運動を起こす。それを取り込んだのが明治憲法と帝国議会である。明治憲法は主権者たる天皇を規制する、という意味で立憲君主制を目指しているのだが、そもそも明治憲法は天皇が国民に与えたものであり、制憲権力が天皇にあるという意味では天皇専制という側面もあった。知識人達や政治家達はこれを立憲君主制と考えていたが、一般の国民は天皇専制と考えていた。後者の思想は「教育勅語」と「明治天皇像」によって積極的に喧伝された。

・・「国体」に含まれたこの二重性(国体と政体)による矛盾が悲劇的な展開を齎すことになる。日露戦争を機に、国民大衆の権利意識が芽生える。それを背景にして、日比谷焼打ち事件、青踏社設立、といった大衆の側からの運動と内村鑑三の不敬事件、幸徳秋水の大逆事件、といった政権側からの「国体護持」を掲げた弾圧が続いた。

・・1912年に明治天皇が没する。この時乃木将軍が殉死した。元々日露戦争における悲惨な犠牲の責任を取って自決しようとした乃木将軍を明治天皇が制していたという事情もあったろうが、乃木にそこまで天皇への忠誠を誓わせたのは、彼が鎮圧した萩の乱における肉親や郷里や恩師との戦いによる苦悩だった、というのが白井氏の考えである。そこまでの犠牲を経た以上戦争の正統性を天皇に求める以外に救いは無かったのではないか、という。翻れば、明治政府は戊辰戦争や西南の役といった内戦の正統性を天皇に求める以外になかったし、それが実際に効力を発揮したのだが、それは統治集団の一員としては、天皇を持ち出されると逆らえない、という弱みにもなった。

・・北一輝『国体論及び純正社会主義』。天皇機関説。『日本改造法案大綱』。既存の国体イデオロギーから弁証法的に「国民の天皇」を引き出した。二二六事件。天皇だけが統治の正統性を担う、という国体の掟を護持した上で、社会革命を起こす。しかし、天皇信仰が強すぎて、天皇を拘束することができず、失敗した。天皇はそのように利用されることを拒否した。天皇との距離の近さこそが国体の道義の源泉であった。しかし、この時の恐怖は、天皇が自らの主体性を縛り付ける要因ともなった。

・・戦後、天皇がマッカーサーに示したとされる潔さは天皇の戦争責任免除とは関係がない。それは戦争終結前からアメリカ国内で議論され、ほぼ決定されていた。しかし、日本人はこの神話を信じたがる。天皇が高潔であることは確かに望ましいことだろう。しかし、本当の理由は、「アメリカ人は日本人を理解し愛してくれている。」ということを信じたいからである。天皇の玉音放送によって日本人がアメリカに対して従順になってしまった様子を見て、マッカーサーは天皇を利用することの重要性を確信した。アメリカが天皇に対して理解を持ち、敬愛の念を持つならば、かっての敵が「鬼畜」とされたことは不幸な誤解であり、死んで行った同胞達の遺志を継いで抵抗しなければならない義務から日本人は解放され、アメリカの庇護の元で「幸福に暮らす」ことが許される。

・・「ゴジラ」は南太平洋で死んでいった日本人達を象徴しているのではないか?科学者芹沢は命と引き換えにゴジラを倒して終わる。これは贖罪であり、日本人がその「変節」を許された、という儀式である。日本人の主観の次元での国体は護持された一方、客観的次元での国体(専制君主政体)は変更された。客観的次元での国体の変更を受け入れることで、「国体は護持された」という物語を主観的に維持することに成功した。それは敗北による衝撃と屈辱を和らげた。GHQは憲法を制定する権力を持っていたと同時に、政治的に必要であれば憲法を破る権力を持っていた。この点こそ、占領期を巡る論争において曖昧にされ、言及を忌避され、無意識化されたのであった。
(カール・シュミットの『政治神学』。政教分離によって世俗化された近代の政治空間における概念は、実はキリスト教神学での概念を翻案したものである。主権者の定義:例外状態に関して決断を下す者。これは「奇跡」の概念の翻案である。)

・・戦後の混乱という例外状態において、日本人は民主主義の法秩序を獲得したという外観の下で、実は国体という旧秩序の要をなす概念が守られた。これは日本人の歴史的無意識、既知の歴史のパターンを未曾有の状況としての現在に適用することであった。砂川事件において「日米安全保障条約は憲法違反である」という判決が下され、これが最高裁において、「外国の軍隊は戦力にあたらない」「高度な政治性を持つ条約については司法は判断できない」として覆された。つまり、安全保障条約は憲法よりも上位の法である。アメリカの占領構造を日本側は自発的に延長した。この代償により、国体(天皇)は護持された。

・・憲法の制定はアメリカが命令し、天皇が承認した。国民主権とは言えない、と反対したのは幣原だけだった。極東委員会が介入してくると、天皇を守れなくなる。だから、マッカーサーは天皇を元首とする代わりに、戦争放棄を入れてバランスを採った。天皇だけがこれを理解した。GHQの政策に協力し、アメリカ軍の駐留も沖縄の軍事基地化も天皇が支持した。天皇は戦前と同じように、自らの意向をほのめかすことによって統治エリート集団に示唆を与えてきた。歴史上日本の統治者はすべからく天皇を戴き、その命を統治の根拠としてきた。そういう意味で、マッカーサーもまた同じであった。

・・日本を無理やり戦争に追いやった軍人たちを駆逐して、天皇の元に馳せ参じた新しい征夷大将軍マッカーサーは新たな敵、共産主義者達から天皇を守るのである。坂口安吾「自分自らを神と称し絶対の尊厳を人民に要求することは不可能だ。だが、自分が天皇にぬかずくことによって天皇を神たらしめ、それを人民に押し付けることは可能なのである。」それは藤原家、代々の将軍達、明治政府の面々、軍部と引き継がれてきて、今はマッカーサーなのである。

・・戦後、主権と引き換えにしてえられたものとは、国体に対する主観的な解釈の権利である。その解釈はポツダム宣言の内容に明白に反しない限りにおいて、であるが。その解釈としは、例えば、「我が国体はそもそも君民一如の民主主義である」とか「天皇はひたすら平和を祈念する存在であって、したがって戦後日本の平和主義を主導する存在となる」。

・・天皇制の存続と平和憲法と沖縄の犠牲が三位一体となって、日米安保体制=戦後の国体となった。マッカーサーは青い目の大君「征夷大将軍」として共産主義から国体を守った。

・・60年安保の帰結。石橋湛山の目指したようなアメリカからの独立の可能性は無くなったと言う意味で戦後の国体は堅持された。アメリカは日本を軍事基地として利用できる。他方、日本の正面切った再軍備(改憲)は難しくなったことで、アメリカが日本の軍事力を補助戦力として活用することに制限がかかった。丸山眞男はそれでも戦後民主主義に希望を見出した。吉本隆明は「擬制」として廃棄し、私的幸福の追求とニヒリズムの方がまだ誠実であると考える。三島由紀夫は昭和44年10月21日の国際反戦デーに自衛隊出動を期待し、それを利用して楯の会によって天皇を殺害する計画だった。左からの大逆は、東アジア反日武装戦線による連続企業爆破事件と天皇暗殺未遂事件であった。これらは、政治的ユートピアを求める「理想の時代」の終焉を、つまり「アメリカの日本」である現実に対する原理的な異議申し立ての終焉を意味した。

・・戦前では大正時代、戦後では高度成長時代。いずれも「国体」は国民の意識から遠くなり、経済的繁栄が齎された。

・・アメリカの衰退、冷戦の終焉。日本の助けによって偉大であり続けているアメリカ、これが「日本のアメリカ」。

・・終章「国体の幻想とその力」は要約である。戦前と戦後の比較を行う。

・安丸良夫『近代天皇像の形成』で纏められた基本概念による整理。
1.万世一系の皇統=天皇現人神と、そこに集約される階統性秩序=天皇支配の永遠性は、戦後、日米同盟の永遠性に入れ替わった。アメリカの大統領は神聖皇帝に比肩される。
2.祭政一致という神政政治は、戦後の、中央銀行総裁を始めとする「グローバリスト」達による、市場の恵みの占いと御託宣である。
3.天皇と日本国による世界支配の使命(八紘一宇)は、戦後の、「パックス・アメリカーナ」に包摂された。日本は戦争に負けてアメリカの傘に入ることで、東アジア経済圏での地歩を得たのである。
4.文明開化を先頭に立って推進するカリスマ的政治指導者としての天皇は、戦後のアメリカ二ズムの席巻に見られる。消費生活や文化だけではない。制度改革の原理自身がアメリカ的なものを志向している。戦前の「神国日本は負けない」と言う幻想は、戦後は、「アメリカ流だから正しい」という幻想に置き換わっている。

・森嶋通夫「なぜ日本は没落するか」(1999)。日本の高度成長は外から吹いた風(外国での戦争)に拠るものだった。バブルだけは投機の過熱に拠ったが、それ以外日本は自ら風を作り出そうとはしていない。アジアで戦争が起これば日本は嬉々としてアメリカに付いていくだろう。それは危険性を伴うものではあるが、政治的経済的には日本の支配層を救うだろう。戦後の復興需要である。「積極的平和主義」とはアメリカに追随して自ら戦争に参加することである。そのために憲法9条は邪魔ではあるが、実際に戦争が起きてしまえば、関係ない。安保条約は憲法よりも上位概念なのだから。これらの事を誰よりもよく認識しているのは天皇自身である。「人間」天皇はついに「お言葉」によって天皇制批判を行うに至った。

・・結局白井氏は何が言いたかったのか?

      戦前の「国体」では、天皇の権威を看板にして日本が帝国主義国家に変身した後、日露戦争による疲弊や国民の権利要求と農村の疲弊などが続き、その間に、大衆の中に吹き込まれた理想の天皇像だけが暴走し、天皇を取り巻く政権担当者へのテロを誘発する。軍部はそれを利用して政府(と天皇)を恫喝して、自らの利権の為にアジアへの戦線を拡大して、アメリカと戦争を始めた。国民の不満の捌け口は外に向かうことになった。

      ポツダム宣言受諾が遅くなったのは、「国体」が維持されるという保証が得られなかったからであるが、天皇は「維持されるだろう」と考えて受諾を決意した。アメリカは天皇の権威を利用して日本を統治したが、天皇の戦争責任を免責する替りに憲法で軍隊の保持を禁じた。マッカーサーは日本人に熱烈に歓迎され、天皇を軍部から救い、日本を解放する救い主となった。東西冷戦が続く間日本はアメリカに支援されて、アジアの中での一等国となったが、その替りにアメリカ軍に拠る事実上の軍事占領を認めた。

      さて、今や冷戦が終わり、戦前における日露戦争後に起きたと同じような状況、つまり、経済成長の停滞と貧富の差の拡大が起きている一方で、新しい「国体」=アメリカ崇拝が暴走している。少なくとも安倍政権は何が何でもアメリカに従属して生き延びることしか考えていない。その中で、戦後蓄えてきた日本の社会資産を<自主的な>規制緩和によって売り渡すことが進行中であり、憲法改定で米国の戦争に自衛隊を提供する事を最終的な政治目標としている。一言で言えば、安倍政権=傀儡政権=売国奴、という事になる。うーん、そんなに単純化して良いものだろうか? 

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