1999.12.05

子供達の言語獲得(小林春美、佐々木正人編:大修舘書店)

(1)言語的音声の獲得
    生後3ヶ月位に、喉が開いて声帯で発した音を口の中で共鳴させることが可能となる。それまでの倍音構造の不明瞭な非言語的音声に加えて、倍音構造のはっきりした言語的音声が可能となる。大人は言語的音声に対して可愛いという印象を持ち、子供の言語的音声に対しては比較的高い音程で応答する(マザリーズ)。子供はこの高い音程の応答に反応し、倍音構造の声を出す。このプロセスは大人も子供も本能と考えられている。こうして、子供は言語的音声を習慣付けられる。次に4ヶ月頃にそれまでの笑顔に加えて、極めて機嫌の良いときに笑いが出現する。笑いは呼気の反復であり、これに脚の蹴り運動を同期させて横隔膜の制御を学ぶ。やがて5−6ヶ月になると、脚の替わりに手を同期させるようになる。大人はこの時始めて赤ん坊らしさを感じる。子供は手を同期させることにより、より細かく呼気の反復を制御できるようになる。7ヶ月頃になるとこの反復周期で母音を反復するようになり、子音を付けるようになると今まで補助していた手の同期運動が消える。手の同期運動は速く行うことが出来るために同様に速い音の変化である子音を発するために必要であった。一旦子音のタイミングが学習されると手の運動は必要がなくなる。子音の発音には自身の声を聴くことも必須であるが、それだけではなくこうした運動による補助も必須である。1歳頃までは脳の言語野と運動野が連続しているという解剖学的事実もそれを物語る。こうして獲得された発声が所謂喃語である。

(2)身振りと言葉
    10ヶ月頃から、身振りが現れる。まず3ヶ月頃言語音と共に頻繁に指立てをするが、これと9ヶ月頃現れる手差し(体を使った方向についてのコミュニケーション)と人指し指による物の探索(外界の分節化)が合一して、指差しが出来るようになる。指差しと共に音声的にも意味的にも比較的安定した原言語のようなものが発せられる。すなわち記号(インデックスというべきか?)を使って事物についてのコミュニケーションを大人と共有することが始まるのである。その後20ヶ月までの間は特定の物事を表す象徴的身振りが単語と共に使われる。このような身振りは大人と子供との遊びの中から儀式化されて生まれたものである。

    身振りと身振りを組合せることが次の段階で現れるが、これは大人の世界に受け入れられない為に消滅する。次に指差しと指された物を表す言葉の組合せが現れる。これには大人も反応し、物への注意の共有と言葉による世界の分節化の共有がなされたことになる。次に現れるのが手の平を差し出して言葉を発するという述語的な組合せである。物を欲しいという意味であり、既に述語と目的語の関係が表現されている。こうした身振りと言葉との組合せは言葉同士の組合せが出来る様になると次第に消えて行く。

(3)語彙の獲得
    1歳半くらいまでに、子供は単語を少しづつ覚える。大体単語数が30から50位になると、語彙が急速に増える。この時から子供は物には名前があるということを悟るので、何でも指差して名前を訊くようになる。しかし物のどう言う特質に着目して名前を覚えるのかは必ずしもはっきりしない。どのような性質に名前を解釈するのかについては、最初からいくつかの制約や傾向をもっているのだという説もある。名前はその事物の全体をあらわす「事物全体制約」、事物の何らかのカテゴリーを表すという「類制約」、既に名前のついたものには別の名前がつくことは無く、付いたとしたら別の特質を指すのであるという「相互排他性」。しかしこれらの制約理論も全てを説明できるわけではない。子供は物の名前を知る前に実際にはその物に対して特定の動作で関わることを覚えるものである。スプーンは手に持って口に運ぶものとして、またボールは投げるものとして、(こう言うのをアフォーダンスと言う)、言葉を覚える前に既に注目すべき特性を限定しているのが普通であり、大人のその物に対する動作がそれを助ける。

(4)文法の獲得
    動詞の使い方はまずは個々の動詞について個別に学習される。最初から動作主、動作、被動作主(目的語)といった概念が獲得される訳ではなく、一般的な傾向から言えば自動詞はその前に動作主を置いて使われ、他動詞はその前に被動作主を置いて使われる。このような一般化が行われて、最終的に三つの要素が意識されるようになる。日本語の場合は動作主と被動作主の区別は助詞で行われるので、最初に覚えた言葉にくっついていた助詞をくっつけて他の場合にも使う。最初に消防車という言葉を”消防車が----”という文脈で覚えると、自分が消防車を見たときにも”消防車が見た”という。”が”と”を”の使い分けはなかなか獲得されない。一旦”が”を付けることを覚えると何にでも”が”を付けるという規則の過度の一般化の傾向もある。名詞を修飾の用途に変える”の”についても同様である。”コーヒーに入れるのミルク”といった具合である。また、形容詞に”の”を付けて名詞化する用法”大きいの”が先に覚えられるとそのまま他の名詞を修飾するときに”の”を付けたままになる。”大きいのワンワン”とか。最終的に正しい文法を獲得するプロセスまではまだ研究が進んでいない。しかし、推定されることは、正しい文法(語を正しくカテゴリー化して使い分ける)の前提として、自他の区別がもっと進む必要があり、恐らく母親以外の大人や他の子供との付き合いが必要なのではないかと思われる。言語の獲得には社会的経験が必須である。言語は社会関係が人間の発生器官と神経回路に適応して記号化されたものであるから、当然と言えば当然であるが。

(5)養育放置問題
    上述の様に、生まれて2年位の間は母親との付き合いの中で言語を獲得するのであるが、それだけでなく、母親は子供の精神状態の維持に必須である。母親の愛情無しには多くの子供は不活発になり、やがて食事も取らず死んで行く。ヨーロッパではキリスト教が離婚や間引きを許さなかったために不要な子供は孤児院に預けられて、殆どが発達不良のまま死んで行った。20世紀に入って、これらの施設は医療的な面で改善されたが、養育者の接し方の方が問題であることに気づくまでには時間がかかった。現在では担当保育者制をおいて対応しているが、言語発達の遅れだけはまだ改善されていない。また施設だけでなく、家庭内においても母親がTVや仕事に熱中しすぎていて発達が遅れたり、他の子供と付き合う時間が少なくなって高度の社会性が身につかなかったりすることが問題になっている。

    6歳の姉と5歳の弟が養育放置された例。程度の差はあるが、施設に保護されて後、2人とも日常的なコミュニケーションに足るだけの言語能力を獲得し、現在では就職、結婚もしているが、書くことが苦手である。喋ることが不完全な言葉でも相手との相互作用の中でコミュニケーションが可能であるのに対して、書くことは内語であり、より厳密な文法能力が必要とされる。特に弟は中学3年になってやっと受動態を覚えた。2人の差として、担当保育者との愛着関係も言語の獲得に重要なファクターであることが分かった。また語彙は施設のような変化の乏しい環境では拡張しにくい。しかしながら言語能力に劣っていることの代償として、2人には図形のようなパターン認知能力が発達していることが認められた。

(6)言語発達と認知機能の発達
    喃語の出現以降、言語発達と認知機能の間には密接な関係がある。認知機能を遊びの観察から推定すると、言語発達と相関している事が認められる。
1.9-10ヶ月:
    鍋と鍋の蓋の関係とか、箱が物を入れるものであることの認識といった、事物間の関係の認識と共に発語が始まる。個別的では無いが、食べ物とか、動作とか、何かを要求するという道具機能の言語使用である。
2.12ヶ月:
    自分と大人と物の3者の関係の認識と共に、大人の発語を真似るという記憶機能に助けられて、個別の人や事物を指す指示語が獲得される。それと共に事物を利用する手段ー目的、因果性の認識が進む。また事物に働きかけながら事物の変化を探索し、それを利用する事が出来るようになる。
3.14-16ヶ月:
    事物を他のものに見たてる代置の見たて遊びが出現する。例えば積み木を食べ物に見たてて食べる振りをする。これは意味するものと意味されるものとの間の恣意的な関係(象徴機能)が成立しているということである。また全体から部分を取り出す全体ー部分関係の認知も発達し、環境を部分に分けて認知することが可能になる。これらの認知機能に伴なって、語彙の急激な増加、指示語(あっち、これ、)が出現する。
4.9-21ヶ月:
    見たてによる振り遊びの時系列化(コップの中に容器から何かを入れ、コップをスプーンでかき混ぜる)と語の活用形を使えるようになる時期が一致している。次の動作の予見、2つのアイデアの結合、自己・他者の意識、カテゴリカルな認知、といった認知段階になると、文法の階層的な構造が獲得される。

    言語の発達には、喃語のレベルに達すること、更に子供が何かを伝えたくなるような対人関係が必須である。初期には安心して依存できるような存在(愛情を持った母親)、その後は他の大人や子供との関係である。それが欠けると認知能力は上述の2.までしか発達しない。喃語の段階が出来ていないと、対人関係を改善しても発話が出来ない為に言語機能に至らない。この場合は他の手段、手話等を試みるべきである。

(7)手話
    手話は言語と同様のシステムであり、言語に類似した発達過程を辿る。初期には確かにそれ自身がアイコン的な身振りであるが、組合せて使われるようになると、身振りとしての分かり易さよりは記号としての明瞭性が際立ってくる。発声を使えない者は自然に手話を発達させる。沖縄の離島の例では、例えば単語を表す手話の間に人差し指による指差しが行われ、その表情によって単語の働きを表すという日本語の助詞のようなものが見られる。

(8)アフォーダンス理論
    子供は言語を獲得するまでの間に、他人や物事のアフォーダンスを発見する。動物の行為にとって物事が持つ潜在的な意味をアフォーダンスと呼ぶ。地面は固いのでその上に座ることが出きるという意味がある。あるいは走ることが出きるという意味もある。寝ることも出きる。この様にアフォーダンスは重層的であり、発育にしたがって変わっていくものでもある。それは自ら行動して探索して発見されるものでもある。たとえ言葉にならないにしても、アフォーダンスは自覚される。人は生活圏を修正することにより、その特徴である集団生活や定住生活を行って、この地球上のあらゆる所に住み着いてきた。それは基本的には”物の変形”、”場所の変形”、”出来事(時間)の変形”の3つに分類できる。人はこうして変形された環境(文化的環境)のアフォーダンスに取り囲まれている。子供はその中に少しづつ参加していくことで、長い時間をかけてアフォーダンスを発見していく。発達の過程で、子供は一人の大人との1対1の関係から、そこに物が加わった三角関係に至ると、大人との注意の共有により、物を介したコミュニケーションが学習される。これはその物のアフォーダンスを発見することによりなされる。物を介した行動に伴なって自然発生的に起こる発語から個性語が生まれる。勿論他人の誘導的発語が影響する。言語は個々のアフォーダンスの場で生まれる。それは直ぐには一般化されることは無い。最初から文法構造が一般化されるのでは無く、いわば個々のアフォーダンスの場で個別に擬似文法が生まれる。それらが修正されて統一されるのは、発達の次の段階、すなわちさらに自らの移動によって獲得される他者の視点の獲得へと進む時である。

<一つ前へ><目次>