2023.08.04
・・・・・『生成と消滅の精神史』・・・・・・長いので、第一部西欧編まで・・・
    友人が FACEBOOK で紹介していた『生成と消滅の精神史』を借りてきたのだが、なかなか面白い。下西風澄(かぜと)という若い人。東大からは時々恐ろしく優秀な人が出る。序文が詩的で秀逸。以前読んだジュリアン・ジェインズ『神々の沈黙』と同じような発想で、我々が漠然と「心」と呼んでいるものは歴史的に形成されてきたものであるから、その起源を辿ってみよう、ということである。哲学は、前提を明確にした言語論理に依拠しているということで、諸科学の基礎たることを自任してきたのであるが、実はその背後には知らず知らずの内に取り込んでいたメタファー(隠喩)が隠れている。例えば、「心は現実の鏡である」というメタファーであるが、こういう観点から「心」を作り出そうという試みが実は「人工知能」である。しかし、それは心というものの一つの側面にすぎない。メタファーを本質とするのが「詩」であるということから言えば、哲学は科学の基礎なのではなくて、時代を反映する一種の「詩」である。(中島みゆきがしばしば「歌う哲学者」と呼ばれるのもそういう意味。)だからそのようなメタファーを歴史的に形成されてきたものとして辿り直してみる。

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・・・第一部:西欧編・・・・
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    「心」の歴史を紐解くには残された文字情報に頼るしかない。古代ギリシャではいくつかの叙事詩。そこではそもそも統一的存在としての個人は描かれない。身体は全体が記されることなく、その部分が身近に観察できる動物に喩えて表現される。生きているということはそこにプシケーが宿っているということであり、プシケーは風のような存在であって、自由に出入りする。心に相当する語は他にもあるが、それらは心臓や横隔膜という意味であり、個別の情動を表す。人は神々の駒として扱われているだけであって、個人としての意思を持たない。人は統一的な実体としては考えられていないから、矛盾や葛藤も無い。身体各部分の情動がお互いに競合したり協力しり、という風に捉えられる。このような考え方は実に現代的(各臓器が独立している、タコのように)でもある。(もっとも、叙事詩ではそうなのだろうが、日常生活においてもそうだったのだろうか?という疑問は残る。)

    アリストテレスはプシケーを中心としてもろもろの心に相当する語を統一して、それ以上決して分割できない魂であると考えた。魂は不変でもある。それまで神の意のままに動き回るプシケーであったものが、人の主体として扱われる。魂は配慮(管理)し、支配し、思案する。魂は御者であり良い馬であり同時に悪い馬でもある。ソクラテスは「心」というメタファーを発明したのである。

    ホメロスの神話の世界は魂の治療という意味を持っていた。それに対して、ソクラテスは魂の救済よりも管理・造形を重視する。

    文字による記録が出来ない共同体においては、神々や歴史の保存・継承は詩や演劇によるしかない。役者はその内容と一体化して模倣するしかなく、そこにおいて「自己」は成立しない。役者は演じる主体ではなく「記憶媒体」である。だから、プラトンは詩人(役者)を追放した。自立的なプシュケーの教説では口承文化が排除される。ソクラテスは心を紙に喩えて、筆記者と絵師がそこに言葉やイメージを描きこむことが認識であり、それが真と判定されれば知識となる、とした。チューリングマシンの原型がここにある。ソクラテスにとって、人間は視たものを「観察」する動物である。そこには現実から超越した意識という領域がある。ソクラテスの「対話」は人間の意識を「内言」によって二重化させる訓練である。

    けれども、ソクラテスの「心」は近代以降の心とは異なり、閉じた系ではなく、世界の暗闇を感じ取る穴を持っていた。彼にとって心はまだ自明なものではない。心/魂こそが人間にとって本質的なものであるという確信はあったが、それは事実というよりも一種の賭けであった。心という存在を手掛かりにして、神や自然や愛や倫理について考えてみるという試みこそがソクラテスの人生であった。

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・・・・・『生成と消滅の精神史』・・・・・デカルト(1596-1650)
    ソクラテスの灯した「意識」の灯は、キリスト教によって忘れられてしまい、プラトンやアリストテレスの書物はアラブ世界に引き継がれた。古代の神々を引き継いだのがキリスト教の神であった。

    11世紀は地球温暖化が始まり、大開墾時代となり、人口が増えて都市が林立し始め、人々の生活意識が多様化してきて、キリスト教の支配が緩み始めた。17世紀はその動きが顕著になった時期である。宗教以外の方法で神と世界を発見していく方法として、科学革命が始まった。ガリレオは観察を通じて、ニュートンは理論を通じて、共に教会とは別の経路で「神」を知る。そして、デカルトは「合理性」を徹底させて、神の役割を極小化(最初の一撃のみと)した。

    それまで、「思惟」というのはその都度の神の働きの流出と考えられていたのであるが、デカルトはそれを(神が最初の一撃で与えたものであるとしても)人が誰でも持つ能力であるとした。つまり、「私」は無条件に存在し、その「私」を梃子にして世界を、そして神を、知ることができる、という宣言をし、その「方法」を考案したのである。ソクラテスにおける「心」は世界を認識する装置であったが、デカルトの「心」は、世界に存在の根拠を与えるものであった。それは適切な方法によって、人を「自然の(実質的な)主人にして所有者」へと導くものとされた。身体を動かす「魂」を霊的な存在ではなく、動物精気という「物質」とみなした。それまでの魂という言葉に替り、心、精神、意識という言葉が使われた。意識の語源は「共に知る」であるが、デカルトは「ただ独りで知る」という意味で使っている。心、精神、意識として語られる「私」が機械装置としての「身体」を動かす、というメタファーがここに成立する。

    存在が思惟によって基礎付けられているということは、思惟しない時(眠っている時など)には世界が存在しない、ということであるが、それでは具合が悪いので、デカルトは意識が無い時にも思惟が継続しているとした。

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・・・・・『生成と消滅の精神史』・・・・・パスカル(1623-1662)
    デカルトの「我」は本当の処は誰にでも与えられている訳ではなく、デカルトが徹底的な懐疑の末に到達した境地である。ソクラテスが心の声に従って毒杯を飲むほどに強かったように、デカルトも30年戦争に兵士として加わり、当時の社会階層を経めぐって修行し、最後は山小屋に閉じこもって徹底的に懐疑したくらいに強かった。しかし、二人とも神や霊そのものは信じていた。

    デカルトが神の役割を単なる「最初の一撃だけ」に留めたことをパスカルは許せなかった。

    17世紀にはそれまでのキリスト教的宇宙観(大地を中心として天空球の内部に存在する有限の宇宙)が、「無限宇宙」(巨大な法則に従って無限の拡がりを持つ均質な存在)へと転換した時期であった。アリストテレスの形而上学が人間の理性を信頼できたのは、宇宙それ自身が意味を持つ存在であることを確信していたからである。その宇宙が何の目的もなく法則に従って無限に続く存在だとするならば、人の理性だけでそれに抗していくのは不可能である。だから、デカルトも最終的には神に役割を与えざるを得なかった。

    15世紀、クザーヌスは無限宇宙を神と見立てて、有限なる人間は決してそこに到達できないとしながらも、有限な諸物に対してイエスをそれらとの媒介者として位置付ける。人間はイエスに頼ることで、宇宙に抗することができるのである。しかし、その後、神への信仰が薄れていったとき、有限なる人間は宇宙の重みに耐えられなくなる。これが17世紀のパスカルを襲った苦しみであった。

    (そういえば、明治時代だろうか?藤村操という東大生が華厳の滝で投身自殺をしたという有名な出来事があった。「悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小軀を以て此大をはからむとす。ホレーショの哲學竟に何等のオーソリティーを價するものぞ。萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。我この恨を懷いて煩悶、終に死を決するに至る。」ということで、正にパスカルの心境である。)

    宗教改革によって人間は神の力と接続する直接的な(素朴な)道筋を失い、それが精神に恐るべき緊張を強いた。自らの力で自らを救済するためには教会組織そのものを一人で構築するほどの哲学的思考が必要である。マックス・ウェーバーはその一つのやり方が「労働(神から与えられた天職)」という考え方であったという。デカルトのように強い自我を旗頭に立てるやり方もあるだろうが、それは誰にでも出来ることではなく、パスカルにも出来なかった。キリスト教の教義は人間を徹底的に卑下した上で、教会がそれを救済する、という図式になっているのだが、パスカルは自らを卑下することしかできなかった。こうしてパスカルは「狂気」に陥った。

    パスカルの見出した逃避の方法の一つが「気晴らし、暇つぶし」である。これは17世紀、既にその役割を終えていた貴族階級の生き方であった。デカルトのようにはなれない自分を「弱きもの」と認めていたパスカルは、「気晴らし」を否定的には語っていない。

    こうして、神は人間を救うための二つの置き土産を残した。一つが「労働=生産」であり、もう一つが「気晴らし=消費」である。この二つが車の両輪となって、あてどなく走り続けるのが「資本主義社会」である。

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・・・・・『生成と消滅の精神史』・・・・・カント(1724-1804)
    カントは人間における意識の一般的構造を明確にし、意識に可能な思考と不可能な思考を規定するモデルを考案した。デカルトが「心」に課した重みもパスカルが苦悶した神の存在も、カントにとっては人間の思考能力を超えた問題として投げ捨てられた。世界の存在自体は私たちの認識を超えたものであって、私達の触れることが出来るのは「現象」だけである。デカルトの心は懐疑の末に勝ち取るべきものであるが、カントの心は生まれながらに備わっている形式である。その形式には神や世界といった究極の存在を論じる能力は最初から無い。

    形式は、「感性」、「悟性」、「構想力」に分けられる。
・感性はあらかじめ備わっている「空間」と「時間」の枠組みの中に外界からの刺激を受け取る。
・悟性は感性の受け取った素材から能動的に概念を形成する。そのカテゴリーは量(単一性、複数性、総体性)、質(実在性、否定性、制限性)、関係(付属性と自存性、原因性と依存性、相互性)、様相(可能ー不可能、現実存在ー非存在、必然性ー偶然性)。
・構想力(想像力)は感性と悟性を媒介、総合して一つの認識にまとめる。
これらは超越論的統覚によって「私の意識」となる。このようなカントの心のモデルは、機能主義的であり、情報処理システムとしての心である。

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・・・・・『生成と消滅の精神史』・・・・・フッサール(1859-1938)
    心が世界の中心となった時代になった。デカルトは心が世界を可能にする原点だと考え、パスカルは神なき心の不安定性に慄き、カントは心のアーキテクチュアーの機能を確定した。

    文学では18世紀にルソーが内面的な苦悩を吐露し、19世紀には人間の内面を描く「小説」が誕生した。絵画は宗教画→風景画→自画像→内面を吐露する絵画が生まれてきた。フッサールは「意識」を哲学の中心課題とし、神よりも存在よりも世界よりも意識が重要なものになった。しかし、現象学では超越を求めた意識が超越の困難に出会うことになる。ハイデガーは意識を人間のみで完結する世界から解き放った。意識の自己同一性を「流れ」や「ネットワーク」という、それを支えるものからの「生成」として捉える視座を持っていた。

    私達は対象のごく一面(射影)しか見ていないにも関わらず、対象の全体的な認識を得る。カントにおいては生まれつき持っているカテゴリーによってそれが可能となるのであるが、そのカテゴリーは知覚現象の最中においていかに形成されるのか?フッサールは、射影の(時間的)変化の中での安定したパターン(本質的形相)が存在し、それが事物の本質として把握されると考えた。そのパターンの把握は意識の「志向性」という作用によって可能となる。

    意識は絶えず流れの中にあり、流れそのものでもある。志向性によって対象と背景は絶えず入れ替わり、過去も未来も現在に浸透している。デカルトの「自我」というのは意識の「顕在性」、つまり前面にせり出した意識の一側面にすぎない。非顕在性の意識と顕在性の意識も絶えず入れ替わり浸透しあい流動している。私は世界を思惟するのではなく、世界を生きる。

    初期のフッサールは、世界の対象はその都度射影するが意識はいつでも絶対的であるから、意識は世界に優先すると考えていたが、晩年には意識そのもの(それ自身としてあるもの、純粋意識)よりも、意識を条件づけている身体、他者、環境が意識に介入することを哲学の主題とするようになった。

    身体は対象が射影する視点を与え、身体は動き、対象に働きかけることで、意識を支える。身体が「ここ」にあることは他者の身体が「あそこ」にあることから理解できる。私が他者のパースペクティブを理解できるのは、他者と私の身体が似ているからである。他者との重なりあいという強烈な振動と浸透から避難するために「自我」が必要とされる。「超越論的間主観性」と言う。更に、他者よりもいっそう広大な「生活世界」も意識に侵入している。

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・・・・・『生成と消滅の精神史』・・・・・ハイデガー(1889-1976)
    存在論とは?(以下ネットからのコピペ)『あらゆる存在者が存在しているということは何を意味するかを問い究め、存在そのものの根拠またはその様態について根源的・普遍的に考察し、規定する学問。 アリストテレスの第一哲学以来、形而上学の中枢に位置し続けている哲学の基礎的部門。』『さまざまに存在するもの(存在者)の個別の性質を問うのではなく、存在者を存在させる存在なるものの意味や根本規定について取り組むもので、形而上学ないしその一分野とされ、認識論と並ぶ哲学の主要分野でもある。』

    ハイデガーは(僕にはそもそもその動機が判らないのだが)「存在論」を語ろうとした。しかし、存在を語るのは人間という存在なのだから、その人間の存在を語ることが先決する、と考えて、『存在と無』を書いた。人間存在は世界内の存在でありながら、何故自らの存在を認識できるのか、という問題があり、デカルトは神の力を経由することでこの問いを回避した。パスカルはその矛盾を引き受けて悩んだ。カントは、世界内において世界から触発されて認識する「経験的自我」とそれを超越した「超越論的自我」の2層構造を用意して取り繕った。フッサールは超越論的還元によって経験的な意識を記述するという方法を採ったのだが、そのためには世界を志向的に対象化する、という「超越論的主観性」を想定せざるを得ず、その超越論的主観性を可能にするために「生活世界」を必要とした。

    一方で超越論的存在が経験的意識の為に必要とされながら、他方では経験的世界が超越論的意識の為に必要とされる、という循環論に陥ることを、ハイデガーはあえて引き受けながら、思索する。これを「円環歩行」と呼んだ。ハイデガーは「意識」を語らないで、「現存在(人間存在)」を語る。人間が自らの存在理由を知るには、「死」というかけがえのない経験を思い描く(これは人間にしかできない)しかない、というのがハイデガーの結論である。この「死」を先んじて覚悟することを「決意性」と呼んだ。「死」を思い描くとき、人間は他者たちと運命を共にする「共ー存在」として自らを納得させるしかない。このことが彼を全体主義へと導いた。(京都学派も同様の道を辿った。)カント的には、「心」というのは単なる情報処理機能であって、世界の存在に触れることすらできない。ハイデガーはその心の空虚さに耐えられず、死から遡行することで「心」に無理やり存在意義を与えようとしたとも言える。

    ハイデガーの著作は後の「実存主義」の温床となったのだが、「世界内存在」に対して別の読み方をする(つまり存在よりも関係性が先行する)と、「存在」というような鬱陶しい問いを無視すれば、一種のプラグマティズムへの道を開いたとも言える。つまり、「心」の存在意義などどうでもよいのであり、「心」の機能がどのようにして可能なのか、を科学的に解明すれば社会を維持し変えていくために有効な技術体系ができるのである。それが後に認識論を認知科学へと変貌させることになった。

    フッサールは志向性によって移り行く意識を語ったのであるが、ハイデガーはもはや意識を語らない。志向性があるとすれば、それは意識的なものではない。その代わりにハイデガーが割り当てたのは、「道具」「気分」「生命」である。

    人間も事物も世界に投げ出された事物的存在であるが、人間の実践的行為の中で出会う存在を「道具的存在」として区別した。この行為によって、意識とは無関係に、我々は事物に関わる。人間は思考する存在であるよりも前に世界に没入した存在であり、その契機は意識ではなく「行為」である。行為によって姿を現す「道具」は道具単体としては存在していない。道具は道具同士の関係性の中にあって初めて「道具」として役割を果たす。事物の道具的連関を「存在の指示連関」と言う。そのネットワークの中に人間は行為によって参画することで、事物に出会う。ハイデガーの語る「道具」というのは、人間の欲望のままに使い捨てられる道具ではなく、道具それ自身の由来を含めた道具(茶道の茶碗のように)であり、人間が「道具」を知るのは「何であるか?」よりもむしろ「如何に扱うか?」である。ただ、ハイデガーは、後期においては、このような道具論で開示される世界像を捨てて、詩や言葉によって一気に開示される自然を語るように変貌した。

    カント以来、「認識」は人間を規定する最も重要な心の機能であったが、ハイデガーは認識よりも広大な領域を開示する「気分」の方が重要であると言う。気分は自分の意志ではどうにもならない。和辻哲郎は「気分」を「了解」することで、我々は「世界ー内ー存在」であることをを自覚するとした。哲学的伝統の中で重視されてきた「直観」や「観想」は決して「気分」の外には無い。思惟、認識、思考によって世界と関わるのではなくて、放り出された世界の中で、「気分」に支配されているというのが人間存在である。

    「気分」に支配されて動くだけでは人間と動物の区別が無いのだが、ハイデガーは、人間は他の存在者を複数の可能性があるものとして経験することに「開かれている」ところが異なる、という。ハイデガーは人間の根本気分として「深い退屈」があることを示した。深い退屈において我々は自己喪失して空虚な時間へと引き渡される。ハイデガーはこれは動物の「とらわれ」とは異なり、人間においては逆にそのことによって存在が開かれる契機である、とした。アガンペンという哲学者はハイデガーのこのような無理やりの楽天的な解釈を容認しない。『存在と無』を素直に読むならば、結局の処、人間も動物も『生命』として同格であり、世界のネットワークの一構成要素であるということになる。

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・・・・・『生成と消滅の精神史』・・・・・認知科学
    19世紀後半から20世紀前半にかけて、ヴントの「内観主義」、ワトソンの「行動主義心理学」、生理学分野での神経生理学、情報科学の基礎理論が生まれて、これらの総合として「認知科学」という分野が誕生した。それは、1950年代には意識を記号処理の流れとして捉える認知思想(カント流)であったが、1980年代にはその限界が知られるようになり、現象学(フッサールやハイデガー)に影響を受けた「身体性認知科学」という潮流が生まれた。これが、次の節での、ヴァレラとメルロ=ポンティに繋がる。

    20世紀の「心」の捉え方として、(1)言語としての心、(2)神経科学的な現象としての心、(3)主観的な性質としての心、という潮流があった。

    (1)リチャード・ローティ(1931-2007)は、哲学的確信は時代に規定されたメタファーにすぎない、とした。つまり、哲学者は、結局の処、流行言葉に踊らされているだけである。人間の思考は言語の構造によって限界つけられているとして、「言語論的転回」という思想潮流を作った。ゴットローブ・フレーゲ(1848-1925)は、自然言語の曖昧さを取り除いて命題の真偽を検討可能にする人工言語をつくり、「記号論理学」を築き、それを使って、世界全体について何か語れるかを検証したのがウィトゲンシュタイン(1889-1951)である。世界というものを「語りえる世界」に限定することで、パスカルの悩みを形式的に解決した。

    ライプニッツのモナドは基本要素の組み合わせで世界を構成できるものであり、それはアルファベットの発想でもある。意識が世界の多様な存在を圧縮する装置であるとすれば、その基本要素が言語である、という発想になる。フレーゲによる、世界を命題論理によって記述する、という目論みを心に適用することで、「心の哲学」という考え方になる。心は何らかの内容を持つ命題とそれに対する態度(志向状態)で記述される。心は表象のシステムとされる。(初期の人工知能エキスパートシステムは概念言語そのものを記号化して集積整理し、その枠内の問題に解答を与えた。)

    フレーゲは更に、数学の論理学化を目指し、ラッセルとホワイトヘッドに引き継がれた。数学基礎論である。ヒルベルトは数学そのものを形式化して意味を取り除いて機械的に証明可能であることを示そうとしたが、このプログラムの破綻を指摘したゲーデルの不完全性定理を経て、アラン・チューリンブが仮想的な計算機を生み出し、それを実現したのがフォン・ノイマンである。カント以降の流れの頂点ではあるが、メディアという観点から見ると、「書く主体」が人間からコンピュータに替わったという不連続性を持つ。つまり一旦書かれたプログラムは次のプログラムを書き、理論的には、これを繰り返せば人間の介在が歴史的な「神の一撃」にすぎなくなる。原理的には、この言語的意味での心は人間という生命体の特権ではなくなった。

    (2)20世紀初頭から始まった神経系の研究と計測技術は「意識の神経相関」というアプローチによる心の研究を推し進めた。1940-50年代に人間の脳と機械とが類比的なものとして捉えられるようになり、ウィーナーの『サイバネティックスー動物と機械における制御と通信』が出版され、更に『人間機械論ー人間の人間的利用』が出版された。その少し前に、ウォーレン・マカロックとウォルター・ビッツは『神経活動に内在する観念の論理計算』という論文を発表した。脳は論理計算を行う計算装置である。こうして、「心はコンピュータである」というメタファーが確立した。彼らの構想は、その後、1957年のパーセプトロン、1960年代に第一次ニューラルネットワーク研究時代が到来し、コンピュータの性能向上と深層学習、多層化のアプローチによって、画像認識、経路問題、翻訳、等々への応用がなされてきた。(このレベルの人工知能は内部において言語概念に対応する表象を持たない。)

    (3)意識の主観性(クオリア)を「ハードプロブレム」と呼んだのは、リチャード・チャーマーズである。これが科学研究の対象となりうるのか、という事については議論が分かれている。

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・・・・・『生成と消滅の精神史』・・・・・ヴァレラ(1946-2001)
    西洋哲学の歴史において「意識には身体が不可欠である」と考えたのはフッサールであった。これを認知科学に適用したのがヴァレラである。主著は『身体化された心』。昔の実験で、籠に入れられた猫と自由に動ける猫をほぼ同じ視覚経験の中で育てて比較した例がある。籠の中で育った猫は知覚不能を起こしてうまく歩けなかった。同じ視覚情報でも能動的に得たか受動的に得たかは大きな違いをもたらす。視覚とは単なる視覚情報の処理ではなく、視覚と行為の関係性の学習である。身体機構は視覚経験の必須の要素である。認知を「enactive cognition(行為的な認知)」と名付けた。主観的な経験は、身体を持った主体が環境の中で能動的に行為し、情報を積極的に意味付け、行為と情報の関係性を学習していく歴史的なプロセスのなかで生成する。世界は意味を実在させて認知主体に発見されることを待っている存在の目録ではなくて、個々の認知主体の独自の行為の介入によって巻き取られて意味が生成されることを可能にする海である。

    「主体が環境のなかで行為するのではない。行為によって主体と環境が同時に存在を開始する」というメルロ=ポンティのテーゼをヴァレラは自然に受け入れた。それは彼が学んでいた「オートポイエーシス」と同じ思想だった。生命とは自律的な運動によって自己とそうでないものを区別するシステムである。まず自己や環境があるのではなくて、運動が先行する。生命とは運動による自己形成システムである。その際に生じる自己と環境の区別こそが原初的な認知である。単細胞を典型として、生命のあらゆるレベルでマイクロ・アイデンティティとマイクロ・ワールドが絶えず形成されている。細胞も免疫も神経もそれぞれの環境を生成し認知する。意識というのはその中の一つの顕現的なレベルにすぎない。

    共同研究者 エヴァン・トンプソンの論文(E. Thompson, Sensorimotor subjectivity and the enactive approach to experience, Phenomenology and the cognitive sciences 4 (4), 407-427, 2005.) 生命システムはセンサーモーターループによってシステム固有の視点を生成し、「意味」を生成していく。自己と環境との境界は固定されたものではなくて、その都度生成される。身体も脳の各部も外部になることがある。マトゥラーナは『認知の生物学』の中で、ハトの視神経の研究を紹介し、視神経の興奮が客観的な視野情報と相関せず、むしろハトの脳内の自律的な活動に相関していることを見出した。脳を単なる情報処理装置と考えるべきではない。環境のどのような変化が有機体を不安定化するかと特定することで、世界を作り出している。とりわけ、意識は世界を映す鏡ではない。想像は知覚の延長ではなくて、知覚は制約された想像である。神経システムは認知の必須条件ではない。単細胞生物にも認知行動が見られる。ヴァレラの構想は弟子のエヴァン・トンプソンやアルヴァ・ノエ等に引き継がれている。

    意識は「脳ー身体ー環境システム」であり、脳という物理的な境界内部に局在するものではない。認知プロセスにとって、脳内のプロセスと環境を足場とするプロセスを区別する基準は無い。ギブソンとの区別としては、ギブソンが環境から知覚を構成しようとしているのに対して、ヴァレラでは環境に働きかける行為が先行する。計算主義的な考え方では、心は環境の情報を脳に取り込みその記号的表象を計算するシステムであるが、ヴァレラの採用したティム・ヴァン・ゲルダーの力学系認知仮設においては、心は環境と普段に連携しながら、互いに変数を共有し、一体化して変化し続ける。

    フッサールとの違いは、彼の意識はあくまでも超越論的意識であるのに対して、ヴァレラの意識はその都度生成される現象にすぎない。哲学者達は超越論的意識こそ人間の本質であると思い込んできたのであるが、科学者達はそのようなア・プリオリで実体のない概念よりも神経活動や身体活動という経験的な事実こそが人間の意識の基盤であると考える。意識と世界の境界もなくなり、表象という媒介も意味をなさず、絶えず運動の中で意識と世界が規定される、センサーモーター主観性というモデルにおいて実現する、世界内存在を可能にするような「形而上学」はあるのか?晩年のヴァレラはそれを仏教哲学に求めたのだが、メルロ=ポンティは別の意味でそのような形而上学を語ったのではないだろうか。

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・・・・・『生成と消滅の精神史』・・・・・メルロ=ポンティ(1908-1961)
    ハイデガーは「世界内存在」の在り方を道具的存在との関わりで語るとき、自らの哲学的思考能力に何の疑いも持たない。メルロ=ポンティは意識と対象が交わることを可能にする身体と行為の次元にまで下降し、意識と自然、主観と客観、見るものと見られるものといった二項対立が絡み合う原初の領域を、知覚の成立の場面として語ろうとした。

    認知という現象は「物理的秩序」「生命的秩序」「人間的秩序」の3層の複合的な現象である。物理法則でも目的論でも観念でもない。メルロ=ポンティは、例として、それらの概念によって整理されていない「幼児」の意識に着目した。幼児の意識はカント流には説明できない。幼児は環境世界の対象物や質の表象ではなく、直接的に母親の「微笑み」を知覚する。(・・「不思議の国のアリス」のチシャ猫は微笑みだけを残す・・)

    意識と世界は身体という媒介によって接続され、開かれ、絡み合い、共に出生する。身体は意識と世界が始まる場、培養地である。身体は、心がそれを意識する以前に世界の内に存在し、埋め込まれ、世界と関わっている。

    「幻影肢」は意識の表象ではない。幻の腕は過去に持っていた腕の再表現ではない。心的イメージの投影ではなく、腕が持っている行為の諸可能性のなかで捉えられる企図である。センサーモーター回路は、単に知覚の条件であるばかりでなく、心の基礎、人間の実存の基盤である。

    世界を全て超越論的主観のもとに捉えようとするのでもなく、意識を自ら膨張させて世界そのものと融け合うわけでもない。これらの誤謬を同時にかかえてしまったのがパスカルであった。宇宙と意識のつり合いを取ろうとする欲望と恐怖の両方を同時に抱くことによる狂気は確かに不可避であるが、その欲望は完成することなく未遂であり続け、そのことによって意識は世界へと参加できる。パスカルは宇宙の拮抗を思惟によって捉えようとしたが、メルロ=ポンティは複数の知覚や身体、行為という地点から捉えなおした。パスカルが「私が世界を含み、世界が私を含む」と言ったのは、思惟者としての主観の絶対的独立性を前提としたからである。しかし、主観というのは身体や環境によって条件づけられたものでしかない。見上げた青い空、どこまでも広がるかのようなこの青い空間。私は空を対象として知覚しているのではない。この伸び拡がる身体によって空の中に住み込んでいる。私は空になり、空は私になる。(参考:中島みゆき『空がある限り』)

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・・・・・『生成と消滅の精神史』・・・・・補論「生命は再開する」
    これまでの哲学者達も多くの認知科学者達も「意識」そのものについての概念やモデルを考えてきたのだが、ヴァレラは「生命」という次元に心のイメージを見ようとしていた。これは人間の心があらゆる生命体の知性と連続しているという捉え方である。ハイデガーもまた生命について語らざるを得なかったのだが、それは超越論的な意識への信頼が揺らぐような時代となったからだろう。彼の弟子のハンス・ヨナスやハンナ・アレントも生命の哲学について語った。

    ヴァレラの enaction という言葉には戯曲が上演されるというメタファーが込められている(と自身で語っている)。役者が演技を始めて演劇の世界が生まれるように、生命体は行為によって世界との境界を作り、やがてそれは終わりを迎えて再生する。生命の安定性は、固定的なパターンを繰り返すことではなく、むしろ内部に自ら逸脱を起こすダイナミクスによって獲得される。

    流れ去る経験を理解するためには、それをパターンとして捉える必要があり、経験に規則性があるということはその背後にエイジェント、動かすもの、動因が存在しなくてはならない、というデカルトとカントの主張があり、「考える我」や「超越論的統覚」という概念を作り上げざるを得なかった。しかし、ヴァレラは、生命が世界の安定性を保つ構造を自己創出できることを確信していた。「私が悲歎におしひしがれ、すっかり心労に疲れ切っているあいだにも、すでに私のまなざしは前方をまさぐり、ぬかりなく何か輝いたものを目指しており、こうして自分の自立した生存を再開している。」心の指令が滞ったとしても、世界が終わるわけではない。少しづつ稼働する身体によって環境は少しづつ調整され、またそこから新たなる心が立ち上がっていく。

    晩年のヴァレラは仏教哲学に深入りしていった。仏教の瞑想は、西谷啓治が言ったように、西欧哲学の伝統である超越(transcendence)ではなく、超降下(trans-descendent)による発見である。ただここに在るという次元にまで降下すること。ありのままに在ることを信頼すること。

    更に、subtle consciousness(微小意識、幽かなる意識)、夢を見ている時のような、あるいは死ぬ間際のような意識、原初的な意識、それは「私の意識」よりも前にある「意識一般」であるが、この輪廻へと繋がる意識について、ヴァレラはダライ・ラマとしばしば語り合った。

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