2012.09.05

      909年から1171年の間、北アフリカで勢力を盛り返したシーア派によるファーティマ朝がカイロを都において成立し、スンニー派のアッバース朝と併存する。同時にスペインに逃れて立て直した後ウマイア朝もカリフを名乗り、3人のカリフが存在するようになった。シーア派はムハンマドの直系でありながら、ウマイア朝成立時にムハンマドの孫を殺され、アッバース朝成立時には利用されて裏切られた、という思いから結成された分派である。この当時はシーア派中の過激派イスマイール派が主導していた。一時は隆盛を極めたファーティマ朝も十字軍にパレスチナを奪われ、内部抗争によって自滅した。王朝の自滅後は別の分派12イマーム派が次第に勢力を増し、イランに根を下すことになる。しかしアッバース朝はもはや政治の実権を失い、単なる名誉職になってしまう。政治の実権をブワイフ朝、セルジューク朝に渡すために、スルターンという称号を与えることになる。やがて1258年にモンゴルによってバグダードが殲滅させられる。虐殺された住民は10万〜100万と言われ、図書館も燃えた。カリフは殺され、カリフの一族はカイロを支配していた新興のマムルーク朝に保護された。その後オスマン朝によって1517年にカイロが征服された折にカリフの命脈も絶たれた。もはや伝統的なイスラームのカリフ統治というのは過去の幻想であった。その後カリフは名前だけ復興するが、イスラームを実質的に支えてきたのはウンマである。モンゴルによる支配の間もイスラームは継続し、モンゴル王朝自身がイスラーム化せざるを得なかった。イスラーム諸王朝はその後も各地に割拠していたが、それらは全体としてイスラーム法で自律的に連合しているから、域内の交易は保障されていた。イブン・バトゥータによるスペインから中国東岸に亘る大旅行記が全8巻家島氏によって翻訳されている。モルジブでは彼は請われて裁判官にすらなっており、イスラーム法に基づく裁判を行っていることからも、多様な王朝の枠を超えてイスラームが共通の社会規範として成立していた事が判る。

      さて、徹底した一神教=イスラームは、非妥協的な闘いを強いられた共同体にとって最適化された宗教=規律であると考えたが、ここに至るとそれよりも重要な側面として、商業取引の宗教=規律として最適化していた、ということを考えざるを得ない。元々アラビア半島は地中海や肥沃なイラクとインド洋を結ぶ交易ルートであり、遊牧民が居たにせよ、都市は隊商の基地であったし、コーラン自身が商人の言葉である。神との契約により、嘘つきがもっとも重大な罪とされた。純粋論理から嘘つきが罪であると結論することができるであろうか?ある場合にはそれは良い事かもしれないのである。しかし、商人にとって信頼こそが経験的にもっとも重要な事である以上、それを絶対的に保障するために神を想定する、というのは極めて合理的で有効な思考の節約方法である。多民族、多部族をまたがる大交易網で安全に商売をするためにはそれらを超越する神を想定せざるを得ない、ということである。そもそもムハンマドがマディーナに招かれたのは部族間の争いの調停役としてだった。お互いの争いで自滅することを恐れた指導者達は自らの神を捨ててまでアッラーを招いたのである。

      オスマン帝国は最後のスルターンであり同時にカリフを自称することでイスラーム世界の盟主となったが、第一次世界大戦に参戦して破れた。イスラーム世界は個別にヨーロッパ諸国に侵略されたが、もはや盟主たるオスマントルコは何もできず、現地のムスリムが抗戦したのである。その中でイスラーム世界の連帯を訴えたのがアフガーニーである。軍事だけでなく、西洋への思想的反撃を行わなければならないと考えた。既存のオスマン朝には能力がなく、古いイスラーム思想も一旦捨てて、イスラームの原点回帰を主張した。一番長く滞在したエジプトでの弟子がアブドゥでありその弟子のシリア人リダーはジャーナリストでもあり、その思想をイスラーム世界に広く蒔いたのである。第2次世界大戦が終わり、イスラーム世界では国家が独立するが、それはもはやイスラーム国家ではない。近代ナショナリズムに立脚する国家である。しかし、イスラームが個人の宗教や内面の救いとしてのみ生き残ったかというとそうではなかった。もともとオスマントルコから引き継いだイギリス領パレスチナにユダヤ教徒が集結しようという運動はそれほど盛んではなかったが、ナチスによる迫害によって緊急なものとなり、戦後になってパレスチナにユダヤ教徒の国が出来ると、宗教ではなく民族が意識されるようになった。それまでユダヤ人という認識が無く、ユダヤ教徒と共存してきたムスリムは追い出されることで、これが民族というものだということを知る。イスラームのジハードは民族主義と結びついてしまった。しかし、イスラエルに対抗して勃興したアラブ民族主義は1967年の第3次中東戦争で完敗すると急速に衰えてしまう。聖地を含む東エルサレムをイスラエルに占拠されたショックにより、エジプト指導部が取ったのがイスラーム回帰策である。ウラマー達はエジプト政府に対イスラエル戦争が正当なジハードであることを宣言し、1973年の第4次中東戦争はアラブ側が勝利した。アラブの非友好国への石油を止めたため、アラブ民族主義という誤解が生じていたが、水面下で進んでいたのはイスラーム回帰運動であった。世界がそれに気付くのは1979年のイランでのイスラーム革命であった。ウラマーに指導された宗教による革命が20世紀も後半になって起きたことに世界が驚愕した。更に驚いたのはイスラーム国家とされていたサウジアラビアで王政打倒の武装反乱が起きたことである。この年には植民地化を逃れていたアフガニスタンでのイスラーム復興を恐れたソ連が軍事侵攻をして、アラブ諸国からの義勇兵が集結した。義勇軍指導者アッザームが1989年に事故死するとウーサマ・ビン・ラーディンが頭角を現す。彼が反米に転じたのはイスラームの盟主を自認しているサウジアラビアに米軍が駐留したからである。自らの義勇兵で祖国を守りたいと申し出たビン・ラディーンは国王に取り締まられると、サウジアラビアは米軍に操られているという見解を持ち、反米に転じた。

      最後に現在のイスラームである。イスラーム社会は信仰を基盤として、イスラーム法により、信仰行為、モスクなどの建設、家族関係、コミュニティー構築、公共財の形成、社会秩序の維持、国家と行政、国際関係、という下部から上部への構造を持ち、これらに対応して、ジハードという言葉の意味は、内面のジハード(自分の中の罪との闘い)、社会的ジハード(社会的善行)、剣のジハード(外敵との武力による戦い)である。20世紀に入ってイスラーム世界が崩壊したが、それはこの上層部(国家と行政、国際関係)においてであって、結婚、離婚、養育、遺産相続など家族関係については強固に維持された。特に養育については宗教の果たす役割は大きいと思う。子供に道徳律を教え込むのに論理だけでは無理なのだから。イスラーム復興はこれら下位の部分からイスラームを再構築する運動であるが、過激派にとっては上層部での敵を打ち払うことが先決するから剣のジハードが必要となる。

      本来、イスラームの歴史の中で主導権を維持してきたウラマーの処方箋は、1:ウンマの一体性を重視して他人の内面を問うて争わない、2:社会はイスラーム法に従う、3:イスラーム法の解釈はウラマーに従う、4:統治と軍事は統治者に預け、私的には行わない。ということである。ビン・ラディンのテロは4から見てウラマーから見れば排斥される。私的に米国に対してジハードを行ったからである。しかし、ビン・ラディンから見れば本来ジハードの判断を預けるべき統治主体(サウジアラビア王権)が軍事を把握できないときには、郷土の防衛は信徒皆の義務である。フセイン政権が打倒されイラクに統治主体が居なくなり外国の占領軍が駐留していれば、彼等から郷土を守るのは同じく信徒の義務である。要するに彼等を制御すべき正当なカリフは何処にも居ないというのが問題なのである。シーア派の場合はウラマーに階層を設けていてこういった剣のジハードをある程度制御できているが、スンニー派の場合はもともとウラマーと統治者は相互依存したから、統治者が世俗化、西洋化してしまうと、イスラーム内反体制派の攻撃目標となり、ウラマーには制御できない。サダト大統領暗殺事件もその表れである。こうした危機に対処すべく、2004年にムスリム・ウラマー世界連盟が結成された。長い間既に存在しないカリフに統治を預けてきたことを反省し、ウラマー自身がカリフの役割を担う、という宣言である。また、女性の活躍、他宗教との対話、暴力の否定、などを趣旨としている。

      9.11の同時多発テロ以来、しばしばイスラーム自身が過激な宗教として誤解されることが多いが、本来は公正な社会建設を目指す運動である。正義の実現の為に私的な武力を使う過激派が生じるのはそれを制御すべき統治者が弱体化しているからである。不正義が存在する限りテロを反テロの闘いで抑圧しても解決しない。穏やかな形での解決のためにはイスラーム本来の自律的な回復を目指すべきではないか、というのが著者の言いたいことであるが、米国にとっては許し難いことであろう。イスラームというのはどう見ても自由主義経済原則に合わない部分がある。逆にそれが今日的な資本主義の危機の処方箋になりうるかどうか?それはともかくとして、この本は2006年発行である。最近のチュニジア、エジプト、、と続いた政権打倒の運動を「アラブの春」と称して西洋民主主義が普及していると思うのは大きな間違いであり、むしろイスラーム復興運動と考えるべきであろう。しかし、背後で動いていると思われるウラマー達の動向は見えない。

  <ひとつ前(その2)へ>  <目次へ>  <次へ>