2011.08.26

      広島に帰っている間に、伊藤乾の「指揮者の仕事術」(光文社新書)を読み終えて、これはまあ大して面白くはなかったが、引き続いて菊地成孔と大谷能生の「東京大学のアルバート・アイラー−キーワード編」を読み始めた。 「歴史編」では調性理論による記号化、近代化、という観点から分析してきたのだが、そこではうまく捉え切れなかった要素を個別に論じているものである。ブルース、ダンス、即興、カウンターとポストバークリー、の4講から成る。

      アメリカに連れて来られたアフリカ人達は過酷な労働の中で独特のリズムと歌を作り出した。農奴の時代には労働歌であり、聖歌であったものが、奴隷解放後それぞれブルースゴスペルへと洗練される。一方で白人達によるミンストレルショーが流行り始め、その中で黒人達も芸人として登場することになる。黒人音楽の本質はリズムにあるわけであるが、それがヨーロッパ音楽を象徴する楽器であるピアノで表現されたものがラグタイムである。ピアノが打楽器として使われた。1990年台に爆発的なブームとなり、大きな影響を与える。特にそれが管楽器群の即興演奏に移されたものがニューオーリンズジャズである。

      ブルースという言葉やその音楽的特徴を最初にまとめたのが、W.C.ハンディであり、1903年に採取して楽譜にまとめられたのである。4小節で何やら現状を語り、次の4小節は繰り返し、最後の4小節でちょっと落ちを付ける、という感じである。繰り返しの部分というのは、落ちを考えている時間なのだろう。元々が感情の吐出であり、物語ではない。自分の身の上の不満にしても解決するものではないのだから、ちょっと皮肉っぽく自分を外から眺めて落ちを付けるだけなのである。この自分を外から眺めるという自意識による解決の仕方が都会的であり、奴隷解放を期に都市部に流れ込んできた黒人達の心情吐露の音楽としての意味なのである。音階としてはっきりとまとめられるものでもなく、感情吐出のためのノイズ成分が重要である。ヨーロッパ的な感覚では取るに足らない世俗曲ということになるが、ポピュラー音楽に対して甚大な影響を与える。これは一つには録音されたメディアという新しい形態が発明されたからでもある。長調と短調を利用した明確なコード進行では解釈できない音楽なので、バークリーメソッドにおいては徹底した観察による共通部分の抽出でブルースなるものを再定義する。いわば、西洋音楽的なコード概念で切り取られた、しかし調性組織の枠には入らない、ブルースの定義が生まれる。キーをCとすると、最初の4小節は C7、次の2小節が F7、次の2小節がC7、最後の4小節は、G7−F7−C7−G7、である。一見C−F−C−G−C というコード進行が見えるかもしれないが、全てのコードが7thになっているから、増4度音程を含んでいる。行ったりきたりで何時までたってもすっきりしないからコードは進行していないのである。調性組織だと、7thコードは G7 しかなく、これがCΔ7に解決するのであるが、そいういうことは拒否されている。もっとも7thを変更してすっきりと進行させたコードもブルースと呼ばれることがあるが、これは見かけ上だけの偽物である。ともあれ、こうしてコード上でブルースが定義されてしまうと、後はこの進行の基本を守りつつ間に通常のコード進行を挟んでいって複雑な音楽が作れるところがバークリーメソッド、というかチャーリー・パーカーの凄いところである。ブルースという音楽の構造を極端に抽象化して、必須と思われたノイズ成分を取り除いて実現したのが、セロニアス・モンクデューク・エリントンである。驚くべき純粋さでブルースの本質(何も進行しない、何も解決しない、諦念と自覚の音楽)が捉えられている。結局バークリーメソッドではブルースの形態分類が出来ただけで、その本質は捉え切れなかった。モードの時代になっても、コードに対応するモードを割り付けるだけであった。イギリスのロック・ミュージシャンはともかくブルースとして聴こえる音階としてマイナー・ペンタトニックという5音音階を見出した。C-E♭-F-G-B♭とオプションのG♭である。主音のCに対してオプションのG♭が増4度になっていて、強力な推進力となる。

      ダンスの講義では、まず世界を3分割する。ヨーロッパのダンスは足で踊る。つまり足によるリズムである。あまり複雑なリズムは出来ないがステップは力強く、強弱がはっきりしていてその時に体芯が動いている。3拍子もあるが無意識の内に左右の足の動きが支配していて2拍子なのである。宮廷においてはダンスが権力構造の象徴であり重要な儀式であった。フランス革命によって宮廷諸共ダンスは終わってしまったが、バレーという形で復活し、その極端な足使いと記号化の徹底はいかにも近代的である。西洋のダンスは身体の緊張の極に天上世界を目指す。アジアのリズムは円座になって座るという権力構造を反映していて、手で踊る。リズムは自在に伸び縮みする。むしろ息で合わせる。能における鼓はその洗練された形態である。アフリカでは輪を作って踊る。リズムは体芯のうねりにある。大きなうねりを全員で共有するのである。それに付随して手足の細かい動きが付いていくから、その細かい所は自由なのである。その部分でポリリズムとなる。西洋のダンスとは逆にポリリズムを実現するには力を徹底的に抜く必要がある。このリズム感を西洋楽器の上で実現したのがラグタイムにおける徹底したシンコペーションであり、それに続くニューオーリンズジャズやその発展としてのスィングジャズ、更に倍速化したのがブギウギである。禁酒法の時代栄えた町カンサス・シティにおいて、スィングとブルースを結合させたリフ(繰り返し)で強力なパワーを持ったバンドがカウント・ベイシー楽団であった。これら全ての音楽はダンス音楽であって、カンサスにおいてついに黒人的なダンスのスタイルが生まれる。「リンディ・ホッピング」である。これがジャイヴ・ミュージックR&Bを経由して現在の若者が踊る「一人踊り」のダンスに繋がるのであるが、ここから生まれたもう一つの流れがビーバップであり、ミュージシャン達が仕事の後で集まって好き放題に演奏している中から形が生まれてきた。もはや客は居ないので踊らせる必要は無い。ビーバップは史上初めての踊れないジャズになった。踊れない、というのは身体が付いていけないという意味なので、それでもダンスの衝動は已み難く、頭の中だけが踊りだす、ということになる。ビーバップはヨーロッパにおいて実存主義や世界同時革命と結びつくのである。他方、アフリカのリズムはイギリスにおいて、モッズからクラブカルチャーとして受け入れられる。そのあり方はやや歪んでいてアンダーグラウンドである。ビートルズの背景にもなったのであるが、僕にはちょっと馴染みがないのでよく判らない。ジャズという言葉はそこでは単なる象徴的な意味でしか使われない。この辺は野田努という人の講義である。

      即興性の講義であるが、最初に音楽というのはそもそも即興であった、ということが語られる。これは確かにそうであり、その場その時でしかない過ぎ行くものなのである。むしろ即興性を押さえ込んで音楽を固定化していくことこそが近代の特徴なのである。その手段は言うまでもなく楽譜の発明であり、その目的はといえば教会の儀式や権威のためであり、更には大航海時代においてヨーロッパの文化を浸透させるためでもあった。平均律と調性組織に至る音楽の様式化、その象徴としてのピアノという楽器、音楽批評、こうしたもろもろの音楽文化は正に即興を排除したが故の成果であったし、それ故に学習可能なものになった。そこから漏れてしまう民俗的な音楽は消え去っていく運命にあったが、アメリカにおいては1850年代、ピアノが家庭に普及し、ポピュラーミュージックがピアノ伴奏付きの歌として楽譜で売られるシート・ミュージックという市場が成立したのである。お店に行くと沢山のピアノとピアニストが並んでいて、楽譜を弾き語りで歌ってくれる。その中で気に入ったのを買っていく、という市場である。やがて1920年代にラジオと録音機が発明されて、ポピュラー・ミュージックはその演奏時のノイズ成分を含んだままで市場に届けられるようになった。それまでは楽譜という形に切り取られた部分だけが流通したのであるが、レコードによって演奏そのものの魅力が音楽となったのである。自分達の民俗的な感情がそのまま再生産されて大衆に還流してくる、というこのメディアによる自己増殖機能は社会的な意味が非常に大きく、アメリカという巨大国家の国民意識を高揚させ、2つの世界大戦において大きな効果を齎した。勿論映画もそうであるが。

      ここで再び表に出てきた演奏という行為の一回性、個別性、ドキュメント性を更に極限まで推し進めたものがビーバップである。こうしてみると即興の復興は録音再生技術に誘発されたものであることが判る。というより、即興でありながら、一回性とは言いながら、何度でも聴く事ができるから、当然それを分析して一般化して即興の方法論として体系化するということが可能になり、その権化がバークリーメソッドということなのである。ビーバップはついに踊れない音楽となったのだが、その複雑性によって脳の分析機能を昂進させる作用がある。実際学生時代僕はジャズ喫茶で量子力学や電磁気学の勉強をしていた。そこで出会った聞いた事もないような奇妙な音楽は分析への欲求を誘発し、まずは Bud Powell あたりから、と思ったものであるが、分析する前に飲み込まれてしまった。

      最後に、いろいろと面白い話が出てくる。即興ということを徹底して、それ以外の要素を出来るだけ切り落とした音楽、というものを実践したデレク・ベイリーという人が居たらしい。通例の即興演奏というのはその音楽のコアとなる特徴「イディオム」を保存して即興するが、彼はNon-Idiomatic Improvisation を提唱する。コルトレーンは素晴らしい即興演奏をしたけれども、それは即興演奏がしたかったわけではなく、自らの基盤たる黒人性とか、神への愛とかを表現したかったのである。しかし、デレク・ベイリーは何も表現しない即興演奏を目指した。これはまあ聴いてみたいものである。あと、安部薫とか、山下洋輔が出てくる。

      最後はカウンター/ポスト・バークリーである。カウンターというのはリディアン・クロマティックの事である。ライセンスの縛りが強い理論になっているので内容については詳しく語れない。ポストというのは濱瀬元彦という人のラング・メソッドである。リディアン・クロマティックでもブルースの本質は明らかにされないままだったので、濱瀬さんが独自に考えた理論である。要するにブルーノートは調性理論から言うと不協和で進行しない筈なのに何故我々は気持ちよく聴いてしまうのか?ということである。理論の始まりは古くラモーの和声論に遡る。これはバッハの平均律と同じ年に発表された。それまでの通奏低音は転回した和音の最低音と数字で記された転回形によって表示されていたが、ラモーは転回しても和声の機能は変わらず、その根音による、としたのである。今日では当たり前であり、これがバークリーメソッドの原点でもある。この理論は音楽の和声的な進行という観点を強調したために、理論がすっきりした替わりにそれまでの対位法への志向を弱めるものであったからバッハ一族からは反発を受けたのだが、その後世界を制覇することになる。

      それはともかくラモーが依拠した音響的根拠は倍音系列である。一つの根音に対して弦とか管であれば、2倍、3倍、4倍、5倍、という周波数成分が生じて、これらは、それぞれ、Cが根音であれば、C、G、C、E、G、E♭、と実際に聴くことが出来る。既にツァルリーノという人は16世紀にそれだけでなく、下方にも、つまり、1/2、1/3、1/4、1/5、という下方倍音系列(というより分割音系列か)がある、という主張をしていたが、上方倍音系列におけるような物理現象としてそのような音が生じるという証拠は得られず、ラモーは採用しなかった。その後19世紀になって下方倍音系列が存在するという主張がリーマンによってなされたが、検証はされず、その後オカルト扱いされるようになった。

      このような経緯を辿った下方倍音系列であるが、これを積極的に取り入れることで濱瀬さんはブルーノートの謎を解決するのである。20世紀に至って音響心理学は進歩をし、差音の存在や、音程同士の協和性の生理学的根拠も明確になってきた。また耳が受動的に音を周波数弁別して聞いているだけでなく、むしろ耳は入ってくるいろいろな音と協和するような音を自ら作り出している、ということすら判るようになってきた。ノイズに対してすらそうである。そういう意味で下方倍音系列は存在するのである。講義の中で、九州芸術工科大学の小畑郁男氏の博士論文「楽器の音色を視野に入れた音高構成理論の研究」(2002)が引用されている。これは僕も知っていて、上方倍音系列を発する楽器音同士の協和性はそれら倍音同士の協和性の総和として説明できる、というものである。このような考え方から言うと、つまり耳の能動性を考慮に入れると、上方倍音系列と下方倍音系列は同等な資格で取り扱う必要が出てくる。つまり、長らく信じられてきたラモーの和声理論の拡張が可能となる。音程の上下が対称となるから、Cという基音に対しては上方にC-E-Gという長3和音があり、下方にはF-B♭-Cという短3和音がある。そうすると、Cという調性のために必要なドミナントとしてG-B-Dがあるのに対して、従来のサブドミナントであるF-B-Cの替わりに、既にF-B♭-C という本来のサブドミナントが存在することになる。しかし、ここで出てくるB♭はCの調性を不安定にする要因でもある。5度の下降は終結感を齎すから、実際に C-E-GからF-B♭-Cと動けば調性は F になってしまう。B♭がBであるというのがハ長調の意味なのである。また、G-B-Dというドミナントに対しては下方系列としてC-E♭-Gが存在し、ここでもE♭が出てくる。こういったB♭やE♭がブルーノートの「調性的」起源なのである。下方系列の基音は上の音であるから、C⇒Fm、G⇒C では和声が動き、解決感を齎すのに対して、C⇒G、F⇒C という動きの中では同じ基音内での下方系列の倍音を想起させるのみである。その中で、ブルーノートが「自然に」聴こえてしまう。ブルーノートは単に許されるというだけでなく、和声変化の係留感を下支えする音として必要なのである。濱瀬さんは「ブルーノートと調性」(1992)という本にこのような理論を展開しているらしい。モードに対しても首尾一貫した体系化が出来ているそうである。難しそうであるが興味をそそられる。彼の理論は言われてみればそうだ、という感じもある。最近レンドヴァイ・エルネーという人が「音のシンメトリー」(2002)という本で同じような理論を展開しているらしいが、彼の方がかなり早い。このような新しい音楽理論が日本人によって開拓されたというのは面白い。

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