2015.07.16

この間読んだ「日本はなぜ基地と原発を止められないのか」に引用されていた「検証・法治国家崩壊」吉田敏浩他(集英社)を借りてきて読んだ。読み終わってふと思った。そういえばアメリカでは大統領が就任式で神に対して宣誓しているし、裁判でも宣誓している。日本では政治家が宣誓しているのだろうか?というのも、歴代の政権担当者の殆どは国民の前で堂々と嘘をついて取り繕ったことが明らかになったからである。勿論多くの関心を持つ人たちは疑っていたのであるが、アメリカで30年を経て公開された記録によれば、その疑いがむしろ控えめだったことになる。

・・・1960年の岸内閣による日米安全保障条約と地位協定の改定とその直前における砂川基地の拡張を巡っての最高裁判決から30年後というと、1990年に公開が始まったのであるが、その公開記録が見つかったのは2008年ということである。この本は改めて公開記録によって従来からの疑念を確認したものである。しかし、それに対応する日本側の記録(つまりは条約締結時の密約)は依然として見つからない、というか公開されないままである。2009年の民主党政権では調査され、記録の存在が示唆されたが、そこまでである。「特定秘密保護法」が成立してしまったので、日本では政治プロセスの歴史的検討が不可能になってしまった。

・・・一般の国家公務員は、その職に就くにあたり、次のような宣誓書の提出が義務づけられている(国家公務員法97条、職員の服務の宣誓に関する政令1条別記様式)。「私は、国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務すべき責務を深く自覚し、日本国憲法を遵守し、並びに法令及び上司の職務上の命令に従い、不偏不党かつ公正に職務の遂行に当たることをかたく誓います。」しかし、国会議員や大臣等に宣誓義務は無いようである。

・・・砂川事件とは、岸内閣が日米安保条約改定準備をしていた1959年に立川基地拡張工事に反対した活動家が米軍基地内に侵入した容疑で事件の一ヵ月後に(当日居なかった活動家も含めて)逮捕、起訴され、地裁で予想外にも無罪となり、直ぐに検察側が最高裁に飛び越して上告し、最高裁で有罪(厳密には差し戻し)となった事件である。争点は米軍基地の存在が憲法9条第2項に違反するかどうか、であった。米軍が明らかに日本の憲法に反する戦争目的の存在である以上はそれを禁じる9条第2項に違反する、というのが地裁の伊達判決であった。それに対して検察側の上告理由は、米軍は外国の軍隊であるから憲法9条第2項で否定されている日本国家の軍隊には相当しない。というものである。この理屈は講和条約よりも前の1950年に国際法学者ジョン・ハワードが編み出した理屈であり、講和条約発効の1952年に日本政府の公式見解となった。

・・・最高裁の初代長官田中耕太郎はもともと武器を放棄した日本が共産主義の脅威に備えるためには米軍に護ってもらうしかない、という考えの持ち主であり、だから吉田茂に任命されたのである。最高裁に上告すれば結論は決まっていた。ただ、それを指示したのはダグラス・マッカーサー大使を仲介とした米国であった。日米安保改定に影響するからである。田中長官は退官後の1961年に「私の履歴書」の中で、「裁判官の合議は完全に秘密であり、これを公表することはできない。」と書いているのだが、米国で公開された資料によると、田中長官は裁判のスケジュールや見通しについて絶えずマッカーサー大使に報告していたことが判っている。司法の独立(ここでは審議経過の守秘義務)という憲法の規定を最高裁判所長官が堂々と犯していたということになるし、その事実を自叙伝の中では臆面もなく否定している。15名の裁判官の事件に対する見方は、逮捕や起訴や上告といった手続き上から、個別の法律違反があるかどうかという観点から、憲法上の観点から、と3グループに別れていたのだが、田中が目指したのはこれを憲法上の観点から纏める、ということである、とマッカーサーに報告している。最終的に田中長官の努力でそれが達成された結果、日本国憲法では米軍の駐留やその行動について何も拘束できないから、伊達判決は無効であり、やり直すべし、という判決文となった。これによって田中氏は米国から絶賛され、後に国際司法裁判所の判事となった。

・・・砂川判決によって、以後日本における米軍の治外法権が確立された。数々の、とりわけ沖縄における米兵の犯罪が充分に裁かれなかった。核兵器が持ち込まれ、共産圏を標的としたミサイル基地となり、またベトナム戦争においては爆撃機の基地ともなった。それらの敵が政治的あるいは軍事能力的に反撃できなかったから日本は平和だったのである。反撃があれば真っ先に日本がその標的となっていただろうし、現在もそうである。(米中が戦争となれば日本がまずは戦場となる。)日本の高級官僚はますます日本の政府や国民よりも米国のタカ派の顔色を伺うようになった。こうして、田中角栄や小沢一郎や後の民主党の面々が追い落とされ、今や安倍内閣の狙いは、米軍に基地を提供するだけでなく、日本の政府が積極的に米軍と共同作戦を取れるようにすることである。そうすることで、日本の政府はアメリカと対等の立場になる。自由民主党結党以来の悲願=「真の独立」というわけである。ベトナム戦争の時にベトナムに兵を送った韓国のような立場。イラクへの侵略戦争に加担したイギリスのような立場。そういう形で「独立国家」の面目を保つのか、それとも「従属国家」という事実を冷静に見極めて実利を取るのか?今までうまく行ったように思われる後者の道が政権にとって不快になってきたのは、その事実が少しづつ国民の常識となりつつあり、国民までが日本の政府や官僚よりもアメリカの政府や国民に直接訴えるようになってしまうからであろう。実際に翁長知事は直接アメリカの議会に訴えている。

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