今日の広響の定期演奏会は指揮無しの小規模な演奏であった。広響は特に聴きに行く気もないのであるが、コンサートマスターに安永徹が座るということなので、聴くことにした。彼のスケジュールを見ると、月に一回位のペースで全国各地を回っているようである。まあ、オーケストラ教育という感じであろう。あらかじめアステールプラザの軽食喫茶でスパゲッティーを食べて、中区図書館で読み終わった「ピダハン」を返却した。文芸春秋をちらりと見た。今月号は面白そうである。北隣が広島文化学園HBGホールである。ここは昔厚生年金会館であったが、経営がうまくいかなくて売却したのであろう。初めて入った。結婚式場とかレストランもある。コンサート会場は1,600人で、大きい。とても立派なものだが、あまり音響が良いようには思えない。演劇目的の感じもする。

      さて、演奏であるが、最初の曲は弦だけで、イギリスのピーター・ウォーロックという人の「キャプリオル組曲」である。安永の愛奏曲のようである。大英帝国の各地方の民族的な舞曲を題材にしている。概してリズムが強弱強弱となっていて、あの脚を速く動かす。

      2曲目は安永氏の連れ合いの市野あゆみを迎えてモーツァルトのピアノ協奏曲17番である。これも愛奏曲らしい。全体に変奏曲風で、転調が面白い。ちょっとしゃれた感じの曲である。弦楽器はとても良かったが、木管がやや表現不足というか、ちょっと遅れ気味のところもあったように思う。ピアノは反対にやや走り気味。大体が市野あゆみのピアノは寄り添う感じなので、こういうソロになると何となく頼り無げである。ナイーブな感じで、それがモーツァルト的なものの表現という好意的な見方も出来る。

      後半はジュピター交響曲である。これは全くもって目の醒めるような演奏だった。名曲だし、メンバーにとっても手馴れた曲だし、ということもあるけれども、安永氏のフレーズへのアクセントの付け方に多少個性を感じて、何だか始めて聴くような気分になりかけた。彼は何しろカラヤンのベルリンフィルをコンマスとして支えた人である。このメリハリの効いて聴衆を圧倒するようなスタイルはカラヤンの影響かもしれない。とても気持ちがよくなった。ブラボーという声が響いたのも当然である。

      アンコールはエルガーの弦楽セレナーデから第2楽章。これもいかにも安永の愛奏曲という感じで、良い曲である。このあたりになると、何だか広響の弦楽器が安永スタイルに染まってしまった感じがした。

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