2025.03.02
『日本人とリズム感 -「拍」をめぐる日本文化論』樋口桂子(青土社)を読み終えて、メモを眺めているのだが、あまりすっきりとはまとまらない。いろいろと面白いことを言っているのだが、書き写しても切りがないので、何とかまとめてみた。
始まりはチェロのレッスンだったらしい。一音を弾くだけのリズム感がどうにも様(さま)にならなくて、先生が怒り出したという話があとがきにある。西洋音楽のリズムというのは、繰り返しの最後が次の繰り返しを準備する溜めになっていることによって、遅れもなくリズムを合わせることができる、という途切れない循環構造をしているのだが、著者はどうしても最初の音を狙って合わせようとする。ちょうど相撲の立ち合いみたいな感じで、呼吸を止めてから、阿吽の呼吸で立ち上がる。こうすると、繰り返しの間に「間(ま)」ができてしまう。本当はウラ拍はオモテに出してはいけないのに、それが時間を食ってしまう。これは日本の文化の一般的な形に通じているのではないか?という発想が生まれたという。確かに、僕は大体は一人でフルートの練習をしているので、合奏となると最初は苦労する。聴いていてそれに合わせるというのは実は難しい。拍の最初に合わせるのではなくて、その直前の溜めを合わせる必要がある。これは合奏の練習でしばしば指導者から注意されることでもある。小節の最後の拍は次の小節の準備である。指揮棒の動きもそれを模していて、上から下へと指揮棒が動くときは溜めであり、指揮棒が一番下に来た時が音の出だしとなる。
著者は、拍の取り方の背景となる民族性についてはあまり自説を述べないで、引用しているが、やや単純化しすぎているような気もする。簡単に言えば日本は稲作文化であり、鍬を入れたり、苗を植えたり、皆で同期したりする習慣があって、強弱の二拍子が身体に沁みついている。これに対して西欧では狩猟文化であり、いつでも飛び上がったり走ったりできるように、身構えているから、その動きが身体に沁みついている、ということである。ただ、宗教目的の西洋音楽において、そもそも拍が必要になったのは17世紀頃であって、それはフランスの宮廷でルイ14世が踊りに熱中していたからだという。男女が対になって踊る為に、相手の動きを事前に感じなくてはならず、具体的には膝をちょっと曲げた状態(プリエ)がそうだという。楽団の方もそれを見て溜めを作ってフレーズに入る。これが間断無く繰り返される。楽譜にも対応する小節線が入った。やがてルイ14世が政治に忙しくなって、ダンスは踊るものから見せるものに変わり、楽団は器楽合奏で聴かせなくてはならなくなった。曲名も最初の内はメヌエット、クーラント、等の踊りの種類で表示していたのだが、踊りそのものは無いので、曲のイメージを表題に使うようになった。こうして生まれたのが、アレグロ、アンダンテ、、等の「速度記号」であるが、これは速度を表す記号ではなかったのである。しかし、リズムの採り方は習慣として残り、歌詞(冠詞)にも影響されて、弱起の曲が多くなった。
生活文化の影響は、音楽というよりもまずは言語(話し言葉)に現れる。日本語の音韻単位は独特であって、子音+母音だけでなく母音だけや長音(ー)や撥音(っ)も独立したモーラ(mora)となっている。このモーラが二つ繋がって強弱の二拍子となり、通例さらに連なって四拍子となる。拍が足りなければしばしば「の」という助詞が使われる。これは稲作のリズムという次第である。西欧の言語では母音が子音によって区切られているから、日本語での母音の連続は融合してしまうし、長音や撥音は単なるアクセント記号になる。(トーキョー→トキヨ。ホッカイドー→ホカイド)名詞には冠詞が付いていて、アクセントが置かれないから、弱強のリズムが自然になる。救急車の「ピーポーピーポー」は西欧人には「ポーピーポーピー」と聞こえている。なお、アフリカの言語では語頭に N が使われることがある。日本語では発音困難なので、母音を頭に追加している(エンボマ)。
話の聴き手の動作も違う。西欧人はあまり頷かなくて、表情で同意を示す。また顔を動かすときは上に向ける。日本人は顔を下に向ける(頷く)ことで同意を示す。この上向きと下向きという対比はかなり広い範囲で成立している。楽器を鳴らすとき、西洋楽器は上に、和楽器は下に手や息が動く。ノコや包丁は西洋では手前から向こうに、日本では向こうから手前に動かす。
日本語には擬音が多い。西欧語の擬音はモノの発する音そのものを模写しているのだが、日本語の擬音はモノの状態や環境を模擬的に言語に置き換えている。つまり、モノというよりはモノの置かれた環境、コトを表している。西欧ではヒトと大地が対となり、ヒトは大地を蹴って走るのであるが、日本では集団としての仲間が一緒に働くから、その様態に注意が向かう。言語構造としても述語が主体であって、主語の重要性が低い。西欧においても主語が表に出てきたのは12世紀頃である。モノと主体との距離が意識されてきて、主語と目的語を繋ぐ動詞が分離した。日本語における指示詞は独特である。コレとアレは英語の this と that に相当し、所有説では、1人称のもの対2人称のもの、距離説では、近くのもの対遠くのもの、として整理できるが、ソレはなかなかきちんとした対応語が無い。これはそういう観点ではなくて、相手も自分も知りながら両方から遠いモノを指している。このような心象は「なつかしい」という日本語の働きに繋がっている。つまり、過去に親しみを覚えていたのに今は無いものに対する思いである。なかなか英語に翻訳するのが難しい。
西欧絵画においては、中世までは絵の主題たる近景と話しの背景となる遠景がまるで無関係に描かれていたのだが、やがて中景が近景と遠景を繋ぐようになり、遠近法によって連続化された。つまり全体が一つの視点から統一的に描かれるようになった。しかし、日本では、中景をむしろ単純化したり何も描かなかったりして、そこに観る人の想像力を喚起するというやり方を採った。日本の文化では、オモテに対してウラは内面であり、より重要でありながらもあからさまには表現されないで、暗示されてきた。西洋の音楽が日本に入ってきたとき、ヨナ抜き音階に乗せて、歌詞には謡曲や浪曲が使われたが、昭和に入ってコブシが入り、戦後は軍歌や浅草オペラの明るさが歌われ、1960年代洋楽が入ってくると、一転して暗い演歌となった。大衆の生活感におけるウラの感覚が噴出したのである。1970年代にフォークブームに対応して演歌の感覚は J-POP として生まれ変わった。J-POP の Aメロは私の生活であるが、Bメロはそれを一般化し、サビにおいて聴き手は自分の事として受け取ることになる。Bメロはいわば絵画における中景の役割、あるいはソレの役割を果たしている。1980年代ころから、日本の若者のリズム感は西欧化してきている。デモにおける掛け声もかっての四拍子から、裏拍(ん)を意識したダンス的なリズムが見られる。
西洋絵画も西洋音楽も近代化による完成形を脱皮すべく、現代絵画や現代音楽が試みられているが、日本人のリズム感はいわば近代に浸ることなく脱近代の地点に居るともいえる。 <目次へ> <一つ前へ> <次へ>