この間18日に近衛秀麿の話をNHKで放映していたので観た。
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/2443/2035051/
掲載するつもりはなかったが、今日FM放送でもあったので、繋がり上、掲載しておきます。

      近衛文麿の弟である。ドイツ留学で初めて本格的なシンフォニーを聴いて指揮者を志す。クロイツァーに西洋音楽の基本を教えられる。私費を出してベルリンフィルを指揮した。帰国後、新交響楽団を設立。10年後再びドイツで指揮したりして、文化交流の為にドイツで活躍。

      主たる話はここからである。彼の滞在期間はヒットラーが政権を取り、第2次世界大戦が終結するまでの間に重なる。最近彼が大戦末期に進駐したアメリカ軍に出頭して取り調べを受けた記録が出てきたという。そこには彼が密かにユダヤ人の亡命を支援していた、ということが書かれてあった。クロイツァーを始めとしたユダヤ人音楽家を日本に亡命させた。またユダヤ人弁護士(彼は後に捉えられたが恐らくは秀麿の働きかけで命を永らえた)に協力して、亡命するユダヤ人の個人資産を日本大使館員を介して亡命先に送金していた。彼の観点はあくまでも一般的な人道主義であって、戦争反対とかましてや連合国に組するとか、そういうものではなかった。あくまでもヨーロッパの偉大な音楽家達の伝統に従って抵抗しただけである。最終的にはゲッペルスの気付くところとなったが、友好国日本の要人ということで身の安全だけは守られていた。日本国政府筋から活動が禁止されたにも関わらず、彼は勉学時代の友人を頼って占領された各地で演奏した。中でも破壊されたワルシャワでのシューベルト「未完成」の演奏は彼の音楽観に大きな衝撃を与えるものだった。彼が釈放されて帰国した1945年12月6日、彼の兄文麿に逮捕状が出され、兄は自殺。戦後の彼は第一線の指揮者でもあったが、それよりもむしろ、日本各地での音楽教育に尽くした。京都大学交響楽団も指導していた。番組の最後に現在の京大オケで近衛秀麿がオーケストラ用に編曲したシューベルトの弦楽五重奏曲(ハ長調Op.956)の演奏風景が放映された。なかなかのものであった。

      さて今日の午後、NHK-FMで4時間に亘って近衛秀麿の特集があった。これはFMなので彼の音楽性についてが中心であった。片山杜秀が盛んに強調していたのは、日本のクラシックの基盤を作ってくれた過去の人ということに留まらず、第一次大戦後のヨーロッパにおいて音楽的な潮流を汲み取って近衛独自の音楽を作ったその個性的な側面をもっと評価すべきだ、ということである。当時のヨーロッパにはフルトヴェングラーに代表されるようなロマン派的な「歌」の伝統に繋がる様なスタイルと、整然としたリズムと曲の構成と意味づけに拘る近代的なスタイル(「踊りの要素」)が拮抗していて、近衛はそれらを融合した滔滔たる音楽の流れを感じさせるスタイルを築いたのである。小節の最後の弱拍(アウフタクト)には物事を始めるときのエネルギーが込められていて、次の小節の最初の強拍でそれが表出される。そういう永遠に回帰するような繰り返しのリズム。シベリウスの賛嘆を得たのも偶然ではない、という。番組で紹介される音源を聴いてみて確かにそうだなあ、と思った。他に印象に残ったのはシューベルトの「未完成」。あくまでも自然な流れの中でシューベルトの「歌」が木霊のように美しく響く。

      戦後は随分学生オーケストラの指導をしていたようで、京大オケの録音も紹介された。1967年のベートーヴェンの第九。楽団員の熱狂を感じさせる。近衛が残した言葉、「アマチュアの気持ちを忘れるな。」というのは音楽を演奏する悦びを感じないようなプロの演奏家にはなるな、という意味である。そういえば、日本フルート界の父、吉田雅夫もそういっていたらしい。「君、アマチュアを馬鹿にしてはいけないよ。。。」

      近衛秀麿の終戦直前の活動についてはまだ謎の部分がある。廃墟のワルシャワでの演奏会とか、ノルマンジー上陸まで活動していたドイツ占領の各地での演奏会の意味(おそらく若い音楽家を生き延びさせるためだろうと言われている)、アメリカ軍に投降した意味(兄の文麿と戦争の終結を交渉したかったと言われている。)長年調査を続けている菅野冬樹さんに期待したい。
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