第7章「地理的不均等発展の政治経済学」。資本蓄積の地理学と土地に対する創造的破壊の地理学が必要である。主体は利潤を求める投機的欲求に促された資本と国家であるが、他方、自然はそれ自身のメカニズムで予測不可能な結果を齎す。例は枚挙に暇が無い。新種小麦による「緑の革命」の成功と失敗、化学肥料と農薬、農業の大規模化による階級形成、遺伝子組み換え作物、酸性雨、冷蔵庫とフロンガス、DDTの功罪、化石資源依存を解決する手段としてのグリーンテクノロジーのレアアースへの依存性、フォードのアマゾンプロジェクトの見事な失敗、等。

       時間による空間の絶滅という資本の志向の現在での先端はインターネットとサイバースペースであるが、決済が瞬時であるとしても、商品を届けるには時間がかかる。不動産についてはこの矛盾が極めて大きい。債務を償却するのに長い時間がかかる。この緊張関係から恐慌が容易に発生する。極端な資本の可動性を追及することと、硬直化する建造環境の間の矛盾はますます劇的なものになっている。

       社会組織は領土を必要とする。その形態に対して資本はどのように適応し、あるいは作り変えてきたのか?近代国家の出現、その後の地球表面の植民地化、古い歴史をもった都市の改造、大都市建設、といった資本の運動と対立してきたものは、個人の生活防衛と日常生活から生まれてくる情緒的関係や連帯、文化的な歴史と信念である。資本はそれらに訴えるような情宣活動を行い、失敗すれば暴力的強奪に訴える。

       資本は新たな領土をつくる場合には特定の場所に共進化が生まれるように活動を集積させる。労働供給の質、生産手段へのアクセス性、研究開発活動による支援、インフラ、労働者の教育と再生産を支援する自治体がお互いに支えあう。

       政府が成功したかどうかは、資本の流れを捉えて更なる資本蓄積に有利な条件を構築し、その住民に質の高い日常生活を実現したかどうか、によって測られる。統治の目標は資本の活動の共進化の過程を管理することである。管理は規範的諸原理に依存する。1945年以降のアメリカにおいては、対ドル固定相場と国境を越える資本と貨幣の流れの厳しい管理がなされた。1960年代終わりに固定相場制が崩壊すると、これらの資本規制は緩めらた。1981年にフランスのミッテランが社会党政権を樹立した時にフランスは自国の資本流出を止めるべく規制を強化したが、フランス人が海外でクレジットカードを使えないということになって、規制が断念された。しかし、マレーシアは19997-98年の危機を資本規制によって乗り切った。このような国家の統治と資本主義の原動力たる個人の自由とは常に不安定な関係にあり、極端な例として現在の中国のように民主主義的諸権利を制限する一党独裁国家と自由な市場的個人主義が結びつく場合もあるし、逆に国家統制を極端に嫌うアメリカのような例もある。民間保険会社は利潤率の高い医療保険を保護するために、その反国家統制の伝統(国民に埋め込まれた心理的傾向)を利用して、大多数の国民にとって有利となる公的医療保険制度を阻止することに成功している。

       戦争は資本が促す国家間の競争を必要条件とするが、それが充分条件となるのはいつも戦争あるいは戦争への備えによる利益を求める、あるいは保護しようとする勢力の存在である。戦争による破壊は復興過程を通じて資本の成長に資するところが大である。より広くは領土間競争であるが、これは地理的差異を強調し、拡大することによる資本誘引の運動である。

       国家の領土的論理と資本主義的論理は必ずしも一致しないが、お互いに依存し合っている。それは「国家−金融結合体」を形成して実現する。初期の戦略は重商主義であったが、今日この閉鎖的な戦略が復活する傾向にある。1997-98年の東、東南アジアの金融恐慌において、債務で破綻した企業は外国企業に買収され、それを買い戻す事で莫大な損失を蒙ったため、その後、この地域においては外貨準備高を意識的に集めようという傾向が強い。これは結局西から東への富の流出となって現在も続いている。1917年から始まった共産主義革命は国家権力(領土的権力)奪取の必要性についての、またそれのみに拘る事の限界についての教訓を残した。重要なのは国家権力だけではなく、資本主義のあらゆる活動領域での連動的な革命なのである。

       国家が国際協調の枠組みに対して開かれた政治組織ではなく、存続を求める固有の有機体と見なされるならば、国家はその将来の安全性を確保するために必要な領土的支配を追及する正当な権利を持つことになってしまう。結果としては国家間の適者生存競争であり、第2次世界大戦はまさにその論理にしたがって構想されたのである。今日、中国もアメリカもこの誘惑を卒業しているとは言いがたい。中国は海洋進出とアフリカの植民地化を志向しており、アメリカは中東には石油の蛇口があるが故に、その地域の強力な政治権力の存立を許さず、ドル建ての単一石油市場の存在を守る、という戦略にしたがって介入を続けている。

       最後にまとめてある。一方では、資本家はいかなる種類の地理的制限も受け入れることが出来ないのであるが、他方では、資本家は物的な建造環境という形態で新しい地理と地理的制限を積極的に構築している。その固定資産は使い尽くさねばならない。また、資本家は地域的分業も生み出しており、それは自分達の周りに支援的諸機能を集める事で資本と労働双方の地理的可動性に制約を加えている。領土化された国家は境界を固定し、資本の運動を制限する。それらに加えて人々はその精神的諸観念に基づいてしかるべき自然との関係や社交のあり方を定めて固有の生活空間を生み出している。資本蓄積にとって重要なのは地理的均質性ではなく、異質性の維持であるから、これらの運動全体の齎すメカニズムは複雑系にならざるを得ない。更に、資本主義の再生産にとってもっとも安易な方法は古い地理の創造的破壊であり、それが戦争という形をとる可能性は常にある。

       さて、2章からこの7章までが著者の資本についての理論である。部分的には一般的に議論されているような内容であるが、全体として統合的に語っているということと、地理学的な観点を入れることによって、資本の運動の実態に迫っている、ということが著者の理論の特徴なのであろう。過去の事例が著者の理論の枠組みから新しく語られるところは、成程と思わせるものが多かった。自然科学と技術の世界から見ると、あまりにも大雑把で隙だらけで定量性もない議論のようにしか見えないので、一つの見方、としか受け取れないのは残念であるが、これは著者の今までの諸作の総まとめにもなっているので、それらを読んでみればデータも沢山あってもう少し納得が行くのかもしれない。また、現在の社会や経済の動きをこの考え方で整理してみる、という事が(当然ながら)必要なのであろう。

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