第6章は資本の循環における地理的条件を解析している。2007年に局地的にアメリカの住宅市場で始まった金融恐慌の波及は世界各地で驚くほど異なっていた。それは各国の銀行がアメリカの不良債権をどれくらい保有していたか、という単純なものだけではない。対米貿易への依存度や各国の福祉政策、貯蓄率、等々の要因が考えられる。金融恐慌が意外なプロセスで波及した例として、ベルリンを始めとするドイツの諸都市を採りあげる。新自由主義的政策のために諸都市の公益機関(交通など)は資金調達が困難となっていて、その解決策として公益機関をアメリカの投資家に売却して、それをリースで使うという方策を編み出した。アメリカの投資家は海外投資の減価償却分の控除を受けるので、それをドイツの諸都市と分配したため、これは大いに歓迎された。つまり、アメリカ国民がドイツの公共機関に税金を払ったことになる。ところが、リースに伴う保険契約は信頼に値する保険会社との保険契約を義務付けており、これがアメリカの保険会社であって、アメリカの金融恐慌でそれが破綻すると、契約に従って自治体の資金を担保として預けねばならなくなったのである。

      資本の蓄積は地理的差異を利用して行われるのであり、そのメカニズムの解明は重要なテーマである。歴史的に見ると、資本主義国の資本蓄積はそれ以外の「未開発地域」からの収奪によって行われてきた。世界人口の増大と世界資本の増大がほぼパラレルであるのは、資本の蓄積が特定の地理的条件の国に集中していて、周辺の国々がそのための収奪対象として育てられている(食料を与えられている)、という構図を示している。逆に資本の蓄積によって人口が増大している、とも言えるかもしれない。国際的な意味でもそうであるが、国内的に見ても都市と農村部の関係はそうなっている。

      資本の7つの活動領域は世界のさまざまな地理的条件において法則性が見られないほどに多様な展開を見せながら、遠く離れた地理的環境とは商品やサービスの交換があり、全体としてのネットワークは極めて予測不可能な状況にある。人類学者は概してローカルな民族誌にのみ焦点を絞る。社会学者は最近まで国境の内側にその研究対象(コミュニティー)を限定してきた。経済学者は地理的に均一なマクロ指標のみを採りあげて理論を作るか、あるいは俗流の地理的決定論に依拠して複雑な相互作用を解析しない。しかし、地理学的多様性と資本主義の発展(つまり不均等発展)の原則は存在する。

      一番目の原則は、資本はあらゆる地理的限界を克服するように運動する、というものである。封建的、帝国的権力の制約下で生まれた初期資本主義は国境を越えた交易によって資本を蓄積していった。一言で言えば、資本はいつも空間の制覇のために投資を惜しまないということである。華僑のネットワーク、米ソの宇宙開発競争、英国王立協会がクロノメーター設計に賞金をかけたこと、米国がアフガニスタンの全ての衛星画像を買収した事、等々。思想の上にも、デカルトの自然支配する人間という信念、ファウストの悪魔との契約、バルザックの空想(時間にも空間にも支配されない、世界は私の下僕である)。資本主義はその当初からグローバリゼーションを目指してきた。「時間と空間の圧縮」、というのが競争に促された資本の基本的戦略である。

      二番目の原則は地理的集中と地理的差異である。資本は地理的差異を克服することを目指すとはいっても、そもそも貨幣、生産手段、労働力は地理的に集中しなければ生産ができない。そして資本蓄積の始まりはいつも地理的特異性を利用して、あるいは作り出して起きる。それは個人のアニマル・スピリッツに拠るのであって、個人の自由、投機の自由の無いところからは生じない。イギリスの産業革命は社会的・政治的統制が欠如していたマンチェスターやバーミンガムという小さな村や町から始まったし、アメリカの産業革命はシカゴという小さな交易地であった。要するに統制のとれない無秩序状態こそ資本蓄積の始まる条件なのである。資本蓄積の合理化はその後で生じる。資本の競争により少しでも有利な地理的条件を求めて資本が集まるが、それは運輸コストとのバランスで決まる。条件が悪化すれば(鉱脈が尽きるとか)一時は栄えた地域はゴーストタウンとなる。かってはこういった局所的恐慌が一般的であったが、グローバルに最適化されネットワークを築いている現代ではしばしば恐慌が螺旋的に波及してグローバルに拡がる。

      これらの原則の作用の例が、都市空間である。都市空間の生産(都市建設)そのものが今日では大きな産業分野となっている。それは基本的に回収期間の長い投資であるから、債務の予測が難しく、恐慌の震源となっている。都市建設は過剰資本の吸収と増大する人口の吸収の決定的な手段である。そのことを意識的に行った歴史的な例がフランス第二帝政である。1848年にヨーロッパ全体に拡大した経済恐慌は特にパリに打撃を与え、ユートピア主義者達は社会的共和国を目指して革命を起こしたが敗北して、ナポレオン三世が権力を握り、政治的な弾圧をしたのみではなく、国内外のインフラ投資を推進した。特にパリの都市建設を行った。鉄筋・ガラス・ガス灯といった新しい建築技術や乗合馬車や百貨店といった新たな組織形態のおかげで郊外を編入して大規模な都市空間を建設した。同時に新しい金融機関と新しい債務手段も必要であった。都市空間の生成により、生活様式が変わり、パリが消費・観光・快楽の中心地となり、消費主義による資本の利潤機会が創られた。しかし、その後、都市建設を支えた信用機構は過剰なまでに拡張して投機的なものとなって1868年の金融恐慌にいたり、ドイツとの戦争に突入して破れ、パリ・コンミューンが勃発した。

      もう一つの例。1930年代のアメリカでは過剰資本と失業が深刻化していたのであるが、世界大戦への参戦によって一時的に解消されていた。それはソビエト連邦との同盟戦争であったから、国内の社会主義者も戦争体制に参画していた。戦後の過剰資本傾向の解決手段として、フランスと同じく大都市建設が推進された。金融・行政機構の改革による債務は労使関係での妥協により、生産性向上の分け前を労働者の特権的部分に分け与えることにより、補われた。1930年代における住宅ローン融資促進により、アメリカ社会は郊外での豊かな暮らしという方向に決定付けられて、付随する生活文化の変化により消費主義を生み出したのである。しかし、それは土地とエネルギー利用の非効率化を齎し、アメリカは石油を輸入に依存するようになり、中東への政治・軍事的介入を繰り返すのである。都心は空洞化し、郊外においても文化的退廃が見られるようになり、1968年の学生反乱をに至る。都心の空洞化は1975年のニューヨーク市財政危機に現れた。富裕層が郊外に移動したために財政破綻したのである。その解決策は資本の側からの新自由主義であった。

      中国での都市空間形成はその規模において歴史的なものである。世界のセメント需要の半分は中国なのである。銅の輸出により、チリは好景気になった。オーストラリア、ブラジル、アルゼンチンの好景気は全て中国からの需要による。このプロセスは階級形成のプロセスでもある。今や中国人は世界の長者番付の上位を占める。建築ブームは中国だけでなく、その資本や石油産出国の資本を流用するアメリカの銀行によって、世界中で起こっている。債務の手法はますます巧妙になり、債務リスクは高度に分散され、誰がどの債務のリスクを分担しているのかが判らなくなっている。そしてその結果として恐慌の規模も大きくなっている。

      都市空間の生活文化への影響は大きい。アメリカにおける個人消費は19世紀には20%であったが、現代では70%に達している。ショッピングモール、シネコン、ボックスストア、ファーストフード、ブティックといった装置は世界中に拡がっている。思潮としては、所有的個人主義、金融機会主義、核家族の崩壊、多文化主義、フェミニズム、性的自由、心理的な孤立や不安、神経症。

      土地開発は資本にとっての投資である。新しい地理の形成は土地の価値の上昇やその場の資源への地代の上昇から利益を得ることができる。場所への投資だけでなく、アクセス手段への投資(道路や鉄道)もある。これらは先進資本主義国では経済活動の40%を占めており、無視することはできない。地代はマルクス主義経済理論や通常の経済理論では派生的なものとして扱われているが、むしろ分析の前面に押し出すことによってのみ、空間と地理の持続的生産と資本の蓄積・流通を総合的に理解する事が出来る。

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