さて、「資本の謎」の続きである。ここでは資本というのがモノではなくて、循環するプロセスであることを強調している。循環が妨げられた時は資本にとって深刻な事態となる。そして循環の原動力は利潤である。つまり、資本は手持ちの貨幣を増加させるために循環する。長い歴史の中で、年率3%の成長が妨げられた時に不況になる、という経験則が知られている。それ以下の時には多くの資本が充分な利潤を得られないという理由で循環を止める。貨幣にはモノと異なって所有の原理的限界が存在しない。従って放置すれば貨幣が誰かに集中するので社会的にはそれを避ける工夫がなされてきたのである。過剰に蓄積された資本が投資先を見つけられなければ突然の信用失墜によって減価される。これが過去何度も恐慌を齎し、社会的資産の破壊を齎し、その復旧過程を利用して資本の流れが再生されてきたのである。従って、これを「創造的破壊」と呼ぶこともある。(以下2、3、4章で資本の循環の段階とその限界が語られるが、あまり整理して書かれているようには思えない。お互いに絡まっているので整理できないということかもしれない。また、あくまで経済学者のマクロ視点から解析されているので、競争に曝された企業の側から見ると重要なポイントが抜け落ちているように感じられる。)

      第2章として、資本蓄積は非合法的手段によって中世末期に生じたが、そのままでは直ちに過剰となる。16世紀ヨーロッパにおける大インフレーションを経て、1750年頃に賃労働によって資本を循環させることが始まり、今日に至る複利的成長が始まった。つまり、略奪に続いて重要な蓄積手段となったのが利潤である。ブルジョワジーは国家形態に影響を与え、社会的再編によって資本循環の障害を取り除いてきた。更に19世紀になって、有限会社、株式会社、などの信用制度に基づく資本の集中が可能となる。更には買収、合併、国営企業の払い下げ、更には過剰資本の国家間移動、と続く。これらの推進には「国家−金融結合体」(中央銀行や財務省)が鍵となり、そこを支配する人たちが経済の動向を左右する。銀行は規制がなければ借りられる以上に貸し出すことが出来る(レバレッジ)ために、実質的には国家に替わって貨幣を印刷しているのと同じ機能を果たしている。アメリカにおいて、金融部門の上げる利潤は1970年には全体の15%程度であったものが、2005年には40%になった。利潤は利潤が期待されるが故に生じているのであるから、この擬似的な信用はどこかに綻びが見え始めると瞬く間に消失するというリスクを負っている。

      次の段階は第3章:生産である。生産においては、労働力の供給、中間生産物や設備などの生産手段、自然環境や資源、改造された環境つまりインフラ、技術と組織形態、労働過程の統制管理、といった要素が必須となる。

      労働力の過剰は資本にとって好都合であるから、それを維持する手立てが取られてきた。中国の開放政策、東欧共産主義圏の崩壊による労働力供給は20億人にのぼった。発展途上国では農村の解体が主たる労働力の供給因であるが、先進国では女性の動員である。移民法や労働法や出産育児の援助なども労働力の供給を目的としている。場合によっては1980−82年のレーガン不況のように、資本がストライキをすることで失業率を上げたこともある。生産技術の開発や組織的イノベーションも有効である。労働者をお互いに競争させるために、性別人種宗教等の差異を利用することも行われている。労働力の問題は常にローカルな問題であり、資本はそれを利用して豊富な労働力の得られる地域に移動したり、逆に労働者を移動させることができる。労働力供給不足による賃金上昇は企業の利潤圧縮を齎す。1960〜1970年台がそうであり、その克服のために「新自由主義」が登場したのであるが、恐慌は利潤圧縮によって起きるのではない。むしろ逆であって、賃金抑制による市場の縮小と投資先を見失った過剰資本によって起きるのである。

      中間生産物の確保は需要と供給のバランスを反映する正常な市場メカニズムに依存するところが大きいが、他方で供給側との直接取引によるサプライチェーンの構築も利潤の増大を齎す。極端には社会主義的国家統制すら有効な場合がある。しかし、これらが理想化されたとしても、労働力を維持するための商品と生産手段を再生産するための商品、それぞれ「賃金財」と「生産手段」を生み出す生産部門があるわけであるが、資本の再投資は必ずしもそれらをうまく均衡させるようにはなされないし、その為に「不比例性恐慌」が起きることをマルクスは示した。(ここのところはよく判らない。森嶋通夫という人がそれの数理モデルを作ったようである。)

      自然環境による限界、資源の限界についてはさまざまな資源について繰り返し論じられてきたが、同時に思いもかけない方法で克服されてもきた。問題は自然の側だけでなく、社会体制や技術を含めて人間界との双方向的な相互作用なのである。これだけでは何の事か判らないので、化石資源の問題を採りあげている。産業革命以前、土地は食料生産とバイオマスエネルギー生産の場であって、当時の輸送能力では複利的成長を維持することが困難になっていたが、蒸気機関の発明によって土地は食料生産のために開放された。今日見られるバイオエタノールはこの歴史を逆転するものであり、その非効率性は許しがたい。そうなった背景には1970年台にピークを迎えたアメリカ国内の石油資源がある。それはアメリカを石油の輸入国に転換させ、貿易赤字の主因となっている。これと農業団体ロビー活動(穀物の価格上昇を狙う)によってバイオエタノールへの転換がなされた。これは穀物不足による飢餓問題に結びついている。確かに世界的に石油がピークを迎え、2002年$20/バレルから2008年$150へと上昇したが、その後2008年には$50というバイオエタノールの収益分岐点にまで下がった。このような動きは単純な資源枯渇の観点からは捉えがたい。「差額地代」に論点を移す必要がある。それは、もっとも生産性の低い(アクセス性や品質)を基準としての借地代の差額であり、石油産業に関わる人たちの間で分配される。差額地代の取り分を巡っての市場が石油の産出量を左右する。更に土地の価値は採掘技術やそれへの投資に左右される。しかし問題を更に複雑にしているのは社会的、経済的、政治的状況である。石油産出地の地代と石油先物価格は投機の対象となっており、その仲買人が自分たちの賭け金をヘッジし、デリバティブを作り出し、その儲けが割に合うように市場を操作する。価格が上れば、利用価値のなかった資源は投資さえすれば利潤を上げるようになる。過剰となっている資本がそこに投じられないはずはない。

      インフラ整備と都市建設は資本の循環にとって必要不可欠であるが、それに対する投資の回収は期間としても長く分配の問題も困難であるから、国家が行わざるを得ない。今日では工場での労働者だけでなく都市建設やその維持に携わる労働者も重要であり、立場上異なる政治的影響力を持っている。建設業者とは戦うが巨大プロジェクトには賛成し、住民とは対立する場合が多い。

      技術と組織形態のイノベーションによって企業は競争優位に立つことができ、利潤を高めることができる。資本主義以前の社会においては保守主義と現状維持が特徴であり、それによって支配階級を維持しようとしていた。ソビエト連邦や以前の中国での官僚制と権力構造の硬直化は実際に資本主義的発展の足枷となっていた。今日、企業は勿論国家レベルにおいても研究開発が推進されている。しかし、あまりにも急激なイノベーションは企業にとっても破壊的である。投資した生産財は回収することなく捨てざるを得ないし、労働者の再教育も追いつかないし、これは失業率の増大にも繋がる。イノベーションはまた専門家の立場を強化する。社会にとって重要な技術の殆どは専門家以外には理解されておらず、彼等が無責任に動けば破滅的な結果を齎す危険性がある。

      労働過程の統制は資本にとって一番厄介な課題である。資本家の側の最大の武器はもろもろの社会的関係や文化の利用である。つまり、民族、宗教、人種、性、家父長制、その他あらゆる擬制を利用して労働者を分断することである。(労働力のところもそうであるが、その質の問題についてあまり触れられていない。現実には企業の内部での労働者の教育が重要であり、賃金体系や企業への帰属意識だけでなく、企業の果たす社会的役割の教育も重要である。)

      3番目の段階として、第4章は市場、すなわち投資した資本の回収である。例えば郊外型ライフスタイルを普及させることで、日常生活の諸条件を商品が必要とされるように形成する。基本的な条件を考えるならば、消費を促進することが重要であり、そのために労働者の賃金を上げる必要がある。しかし、それだけでは不十分であり、過去の歴史を見ると資本主義の外部に追加需要を作り出してきた。インドや中国はイギリス商品の市場として開放され、現地の生産システムが破壊された。20世紀の半ば以降その方法はもはや使えなくなっている。むしろアメリカは中国製品の消費地となっている。アメリカは商品を輸出するのではなく資本そのものを輸出している。消費は過度な信用制度で保たれているから、信用手段の統制がもっとも重要な課題である。しかし誰が見ても過大な消費はいつか破綻する。問題は需要の喚起ではなくて、過剰な資本の投資先の開拓である。(市場を巡る過剰な企業間競争、法規制との馴れ合いや闘い、消費者運動、国家プロジェクトの生み出す独占市場など、通常は話題となる多くの観点が抜けていて、恐慌の原因としての市場だけに焦点が絞られている。)

      最後に著者の恐慌論である。資本の循環を阻害する契機は多岐に亘るのであるから、恐慌の原因を一つに定める事は誤りであり、むしろその状況に応じた循環の隘路がありそれが補修されれば次の隘路が問題となる、といった連鎖的な現象として考える必要がある。そのリストとして、貨幣資本の不足、労働問題、部門間の不比例性、自然的限界、不均衡な技術的・組織的変化、労働過程における規律の欠如、有効需要の不足、が挙げられる。

      第5章からが本番である。まずは、資本主義の発展によって豊かな世界が作られてきた一方で、多くの否定的な側面が生じてきたことを認めて、その発展の原理が不透明なままであり、我々が世界の発展を合理的で人間的な編成へと集団的に変革するためにはその原理的理解が不可欠である、として著者の解析の目的を述べている。

    この章ではまず、時間軸からその原理を論じる。資本の活動領域として、<技術と組織形態>、<社会的諸関係>、<社会的・行政的諸制度>、<生産と労働過程>、<自然との関係>、<日常生活と種の再生産>、<世界に関する精神的諸観念>、の7つを挙げ、これらが自律的に進化しながらも動的に相互作用しあうことで共進化するとして資本主義の発展を捉える。これらの領域が調和を保って共進化するわけではない。ある局面では特定の領域に矛盾や革新が集中して刷新される。

    例として、著者別の著作「新自由主義」で取り上げた1973−82年の資本主義的再編が挙げられている。戦後の復興の中で資本の力が労働側に対して相対的に弱体化していたことに危機感を持った資本家達は「国家−金融結合体」の再建に着手した。金融業務を全国的、更には国際的に規制緩和し、債務による資金調達を自由化し、貿易の自由化を推進して国際競争を促し、社会的給付の国家負担を減らし、環境規制も解体された。これに呼応して、資本は失業の創出と脱工業化、移民の受け入れ、企業の海外移転、技術革新と生産体制の変化(下請け化等)を行い、労働側に対する優位を築いた。イデオロギーとして「新自由主義」−自由市場と自由貿易に必然的に埋め込まれたものとしての個人の自由、によって世界に対する精神的諸観念が徹底的に作り直された。新しい形態のニッチな消費主義と個人化されたライフスタイル、ポストモダンな都市空間が姿を現し、自己中心的な個人主義、アイデンティティー政治、多文化主義、性的指向等で特徴付けられる社会運動が現れた。パソコンとネットワーク技術はこれらの運動の武器となり、世界の諸問題を解決する呪文として流行した。精神的諸観念は更に所有的個人主義の傾向を強めて、金儲け、負債、資産投機、政府資産の私有化、文化的規範としての個人責任の広範な受容が生じた。これらの変化は先進国を覆い尽くしており、80年台以降を過ごしてきた人たちの誰もが認める社会の変化となっているが、それは社会的・行政的諸制度の変革から始まり、徐々に他の活動領域に拡がっていったものとして捉えることが出来る。

      7つの活動領域の一つを採りあげて、決定因と見なすことはしばしば社会運動の失敗の主因となってきた。ここでは、それらの例を列挙している。トーマス・フリードマン「フラット化する世界」(日本経済新聞社)は技術決定論、ジャレッド・ダイアモンド「銃・病原菌・鉄」(草詩社)は自然環境決定論、他階級闘争決定論は多く見られる。精神的観念による決定論にはヘーゲルを筆頭として長い哲学の伝統がある。一部の毛沢東主義もそうである。労働行為が決定因とする考え方はジョン・ホロウェイ「権力を取らずに世界を変える」(同時代社)に見られる。日常生活における政治力学を決定因と見なす考えはポール・ホーケン「祝福を受けた不安」(バジリコ出版)に見られる。社会・行政諸制度を決定因とみなす考えは制度学派と呼ばれるが、レーニン主義による革命もそれに分類できるだろう。

    7つの領域のどれに焦点を当てるかは時代とともに変遷してきた。現在では労働者の闘争や技術と組織形態にはあまり焦点が当てられず、自然環境との関係や日常生活の政治力学に焦点が当てられる機会が多い。レーニンは勿論先行していた社会編成に基づいて共産主義を作り出す他なかった。彼がフォード主義の生産体制を社会主義の重要なステップとして採りあげたのは理解できる。しかし、そこから先への技術と組織形態に進もうとする意識的な試みはスターリンによって徹底的に弾圧された。生産力にのみ革命の前衛を見たために集団主義に反する全ての活動が封じられ、革命の共進化が止まったのである。毛沢東は矛盾の弁証法的感覚に優れていて、さまざまな歴史的局面において革命的転換を意識的に優先させた。大躍進は確かに結果として大失敗に終わったが、精神的諸観念について大きな効果を齎した。文化大革命においてこれを更に推し進めようとしてこれも大失敗をしたが、その過程で過去の封建的諸観念や諸制度が根絶されたのである。農村への赤脚医生の派遣により乳児死亡率が劇的な低下と平均寿命の増加を齎し、結果的には余剰労働力によってその後の資本主義的経済発展を支えた。これらの教訓から引き出される結論は、革命はどの活動分野から始めても良いが、そこに留まっていてはならない、ということである。そして、異なる活動領域にある人達がお互いを認め合うことである。

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