2022.1.1
原田泰『コロナ政策の費用対効果』(ちくま新書)
書店で偶然目にした本である。なかなか正鵠を衝いていると思う。以下メモ。

第1章:日本の対応の概括的評価
・・・主要先進国内で比較すると、日本のコロナ対策は、ワクチン接種の遅れがあったとはいえ、成功であるかに見えるが、太平洋圏の島国で比較するとそうは言えない。先進国中で良かった理由(ファクターX)は、島国故の検疫優位だったからである。検疫は費用対効果から見ると圧倒的に優れている。初期感染者数はそのまま感染爆発の規模に比例するからである。旅行需要については海外からの旅行者が無くなる代わりに海外旅行も無くなり、(感染が入ってこなければ)国内旅行が増えるからそれほどでもない。ビジネスで言えばインターネット環境においてはそれほどの打撃にならない。

第2章:感染症対策専門家会議と政府の関係
・・2020年2月の政府・専門家の見解
「新型コロナは接触・飛沫感染である。発熱のある人は外出するな。PCR検査は医療に負担をかけるから控えよ。クラスター対策で濃厚接触者を追うから安心せよ。」
学校一斉閉鎖と安倍のマスクは単に費用が安いという理由で発案された。首相の独断であった。
・・3月9日『三密』概念の登場。
原田氏「接触の八割削減と志村けんの死亡が国民に危機感を与えた。」
原田氏「SIRモデルは感染予測には適さないが、ワクチン効果を予測するには有用である。」
・・2017年に医務技官というポストが新設された。鈴木康裕氏。「司令塔」とされながらも表に出てこない。解任された。

第3章:PCR検査のスンナ派とシーア派
・・・首相がPCR検査を行うように命令しても、官僚はそれに応じなかった。これは感染症学者が検査に消極的だったからである。2020年10月29日の感染症対策分科会への日本感染症学会の提言にはっきりと書いてある。この背後にはクラスター対策への自信がある。(それは無症状感染、エアロゾル感染という実態を無視しているからである。新型インフルエンザの成功経験に固執している。)指定感染症2類としたために、PCR検査をすれば対応が出来なくなることを恐れていたとも思われる。
・・・陽性率は検査体制の評価としては有用である。日本は圧倒的に陽性率が高い。(日本の場合自主検査が増えると、そこで陽性となった人だけが公的検査を受けるから、陽性率は高めになるが、それを考慮しても高い。)現場の医師は院内感染を恐れていたから、無症状者のPCR検査を主張していた。
・・・尾身茂氏や押谷仁氏等がPCR検査に積極的でなかったのは、過去のパンデミックに対して、検疫とクラスター対策で成功し、またその後の技術の進歩により大量のPCR検査が可能になったという事を認識していなかったからではないか?
・3月26日押谷氏は、スーパースプレッダーを理由にして、感染者の全員を把握する必要は無く、クラスターに繋がる場合を抑え込めばよい、という発言をしている。(しかし、実際にはそのような器用なことはできない。スーパースプレッダーになる感染者は決まっている訳ではなく、発症直前あるは直後の感染者である、というだけだからである。この辺の実態については誤解されていたと思う。)
・しかし、4月14日には一転してPCR検査の拡充を訴えている。
・・・(厚生労働省は何故消極的なのか?)
・・・官僚組織は費用と効果で仕事をするのではなく、権限で仕事をする。大規模なPCR検査とそれに伴う感染者の隔離は厚生労働省の権限をはるかに越える権限無しにはできない。だから、厚生労働省は自ら命令することが出来なかった。むしろ命令しなくてもよい理屈を考えた。幸い過去の経験からクラスター対策で抑え込めるという事に賭けたのである。だが、実際にここがクラスターになる筈だという予測をして感染を抑え込んだという話は聞いたことがない。特定の感染者がスーパースプレッダーになるわけではないのだから、これは当然である。
・・・COCOAの失敗は厚生労働省がディジタル技術に疎かったためではない。そもそもCOCOAで何をするのかを理解していなかったからである。というより、COCOAで多数の感染者が見つかると困ると思っていたからである。
・・・感染症法の目的には感染者の治療が明記されていない。あくまでも感染拡大阻止しかない。感染症の専門家は治療ではなく医療体制の維持を優先するから、コロナの場合は医療崩壊を避けるために感染者を診察しない方が良いと考えていた。医師の端くれであれば、これは本末転倒であって、感染者を救う為に医療体制を整備すべきであろうが、その医療体制の整備は厚生労働省の権限を越えていたから、やりたくなかった。

第4章:緊急事態宣言の効果
第5章:医療資源の動員体制、医療崩壊の忌避、病床不足
第6章:ワクチン敗戦
第7章:コロナ不況の本質
第8章:不況対策の混乱
・・・コロナ不況はこれまでの不況とは性格が異なる。サービス業がまずやられている。単に需要を喚起すれば、感染拡大を助長するだけである。むしろ、所得を失った人に所得支援をしてワクチンの普及を待つべきであった。
・・・コロナ予算の77兆円は中身を具体的にみるとおかしいことが多い。旅行・外食は30兆円規模の産業であるが、17兆円を配り、14兆円のの融資をしたのに壊滅的な打撃を受けている。医療には12兆円投入したのにコロナ感染者用病棟は殆ど増えていない。全人口に配った13兆円は減税と考えれば無駄ではない。GOTOは混乱をもたらしただけだった。結果として22兆円のGDP減少を招いた。非常事態が憲法で定義されていたとしても同じことである。大事な事は何をすべきかということである。
・・・感染症の抑制と感染症の治療を考える組織(厚生労働省)と感染の経済的影響を考えて戦略的整理をする組織(官邸や内閣府)のいずれもが機能していなかった。ワクチンの入手に遅れ、感染者の発見と隔離も機能しなかった。国境検疫は破られた。マスコミの煽り報道によって国民が自粛をしたために失敗が補われた。感染症の専門家は感染抑制以外の視点、つまり、治療法やワクチンについての提案をしなかったが、これは厚生労働省の怠慢であった。より広い視点で戦略を立てるべき官邸や内閣府は学校一斉休校や安倍のマスク等の個別政策で手柄を立てようとした。世論と厚生労働省の間で狼狽えていたにすぎない。
・・・コロナ禍で国民は政策の重要性を認識したのが唯一の救いであった。

終章:日本政府の組織論的な欠陥
・・・ケインズの精神というのは、不況の為に財政を拡大することだけではない。何としても不況を克服するためにあらゆる手段を動員しようという意思である。つまり、リーダーシップである。日本では、感染症学者は慣れ親しんだクラスター対策に固執して、新型インフルエンザ(2009年)以降の新しい技術を使おうとしなかった。(但し、マスク着用推進は唯一の功績である。)厚生労働省は検査と医療拡充とワクチン接種体制整備に消極的だった。官邸と内閣府は戦略的に考えて、厚生労働省を制御することが出来なかった。(但し、ワクチンのスピード接種は功績である。)憲法を改正して非常事態に備えても、何をすべきかが判らなければ同じことである。
・・・コロナ不況は人の動きを止めることで、長期にわたる不確実性、投資の不足、貯蓄過剰をもたらした。これまでの日本の不況対策は公共事業のように無理やりに仕事を作り出すことだったから、同じ発想で飲食業や旅行業者のために仕事を作り出そうとした。しかし、これは感染を拡大させて事態を悪化させる。必要なのはワクチンが普及するまでの間、低所得者に所得補償をして耐えてもらうことである。ただ、そのような事には慣れていなかった。更に、コロナ後の産業構造の変化に対応するために必要なのは、所得補償だけでなく、転職支援(退職金補償)である。

 
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