「フロイト以後」鈴木晶(講談社現代新書)

    ヒステリー患者の治療方法として、催眠術に限界を感じて、自由連想法を使った処から精神分析が始まる。その過程で、人間の記憶には意識されない部分が多いことに気づく。脳の活動の殆どは効率の観点から意識に上らないのは当然であるとしても、過去の記憶が脳の中に強く残っていながらも、それが不快であるという事で意識されなくなることがある。言わば記憶からの逃避である。個体として行動する為に、心の統一性、自己同一性が必要であるが、ある種の記憶は自己の体験として取り込んでしまうことが不快であるばかりでなく、行動への阻害となることがある。このような時にそれを意識から遠ざける。しかし脳の中には強く残されている為に無意識の内にそれが行動として現れてしまう。これがヒステリーという症状である。原因となる記憶はいつも行動へのはけ口を求めているのだが、それが語られる事によって解消される事がある。いわばカタルシスである。

    患者に語らせる為の手段が催眠であったり、自由連想であったりするが、いずれにしてもそれを誘導したり解釈したりする必要がある。これが医師の仕事となる。フロイトは多くのヒステリー患者が幼児の性的虐待をその原因として語るということに気づいたが、後にはそれは必ずしも本当の出来事では無い場合も多いことに気づいた。そもそも記憶というのは幻想であり、重要なのは人が心に思う事であり、中でも意識されないで思う部分である。こうして、フロイトが辿り付いた次の方法論が夢の解析である。睡眠という自己統一性の崩壊の中で、脳の今まで意識されなかった活動(物語)が意識される。しかしその意識内容は様々な変形を施されている。潜在思考は、置換、圧縮、形象化、二次加工、によって顕在夢となる。二次加工は目覚めた後で行われる夢の合理化である。身体刺激や前日の体験等が主な起因となる。

    潜在思考と顕在夢の間の関係は多層的であり、人の全体験が関わるので単純ではないが、夢の本質はそこにあるのではなく、夢の作られ方にある。潜在思考は前意識とも呼ばれるが、それは単なる料理の材料に過ぎない。無意識の欲望がそれを使って編み出す物語が夢であり、欲望の本質はその作られ方に現れる。(ところでヤコブソンは言語活動の本質を隠喩と換喩に求めたが、これをそれぞれ夢作業の圧縮と置換に対応させることで、無意識が言語と同等な構造を持つことを主張するのがラカンである。)さて、その無意識の欲望であるが、これは変遷している。最終的に辿り付いたのが広い意味での性欲である。これを欲動と呼ぶ。発達の過程で口唇期(自己保存と結びつく、自己愛的)、肛門期(排泄の快感、自他の区別)、男根期(エディプス・コンプレックスから去勢コンプレックス)となる。最終的には性器性欲へと文化的に誘導されていくが、これは多くの動物で見られるような本能的なものではない。広く文化一般へと発散される欲動である。

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