2月26日(水):
 『ホモ・デジタリスの時代』ダニエル・コーエン(白水社)を読んだ。ジャーナリストの文章である。数多くの引用によって、時代を要約している。確かに20世紀後半以来、時代が激変したということがよくわかるが、さほど感銘を受けないのは、他人事のような語り口だからだろうか?

      1968年のパリ五月革命の求めたもの、つまり、「工業化社会によって強化された父権的な秩序から自由でフラットな個人の繋がりの社会へ」ということが、その運動とは無関係に、自然に、達成されてしまった。運動は敗北し、皮肉にもその後高度成長が続き、大量生産図式の限界から大不況に陥り、IT革命によってフラットなネットワークの社会が生まれて、資本主義がグローバル化し、企業内での分断、勤労者の孤立と低所得化が起きて、そこからポピュリズムが台頭している。トランプを支持する彼らが求めるものは所得の再分配ではなく、社会的孤立感の解消である。ネットワーク社会において、人間は自由を得たのか、というと、皮肉にもネットワークの中で居場所を見出すための緊張を強いられ、自らの自立性を失っている。古代ギリシャ社会において、人々は第一義的に社会的な存在であったが、私的空間の必要性も認識していた。その時点に戻って、新たな人文主義が求められている、という。

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