夜中ずっと30℃だった。途中で起きてクーラーを付けたらよく眠れた。昼前に歩いて京大まで行って生協でお昼ご飯。随分多かった。図書館に行っても学生で一杯。何だろう?暑いから皆冷気を求めて来ているのだろうか?僕は雑誌を読んだ。京大で出している一年一回の「人間存在論」という雑誌に目が留まり、今年の16巻を見ると、平松希伊子という名前があった。変わった名前なので記憶に残っている。池田君の紹介で一度だけ会ったことがある。音楽同好会でピアノを弾いていて、発表会でラベルのソナチネを恐ろしく遅いテンポで弾いていた。そのとき始めてこの曲を知ってかわいらしい曲だなあという印象が彼女の姿勢ととダブって残っているのだが。どうも哲学をやっているらしく、専門はデカルトである。そういえば池田君もデカルトだった。

      投稿論文は「17世紀科学革命と音楽−デカルト研究者の視点から」である。ヨーロッパの哲学では中世の途中からプラトン主義→アリストテレス主義への大きな変化があった。勿論これはキリスト教との融合による。しかし、音楽の世界ではプラトン主義が守られた。つまり音楽論は数学の一部門であり、抽象的な数の比率の学問であった。それを本格的に覆したのはガリレオである。徹底した経験論によって。既に3度や6度音程が認められていて、プラトン由来の5度と4度の単純な比率は拡張されていたとはいえ、まだいろいろと理屈を付けて比率論が主流であった音楽論の世界に、美は感覚的な問題であって音程の良し悪しもアプリオリな理論ではなく、人それぞれの経験による、と考えたのである。音階も純正律から平均律へと合理化されていく。デカルトはこの頃最初に「音楽論」を書いていて、その方法論が彼の基盤となっている。先見的な知識を疑うという方法論が最初に適用されたのが、ガリレオ流の音楽論を追従する形で書かれた彼の音楽論だったのである。結論的には新規性は無いが、その論旨にデカルトらしさが見えている、というものらしい。どうやら彼女は無職らしい。所属がなかった。
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