ハンナ・アーレント「活動的生」の最後:第6章「活動的生と近代」であるが、僕にはこの章が一番面白かった。多くの疑問が残ったが、それは今後の事として、西欧的な考え方の全貌を一気に見渡した感じがする。まとめはこの章の最後の方から始めた方が判りやすいように思われる。ヨーロッパの歴史を、古代(ギリシャ、ヘブライ、ローマ)、中世、近代、と辿る。なお、以下ずっとそうであるが、アレントが語るのは事実というよりも、その当時の人達がどう考えていたか、ということである。

・・・古代においては人間を取り巻く自然は絶対的存在であり、それに比べれば人間は何時死んでもおかしくない存在であった。その状況下で人間は道具を作ることで、人工物世界の中で生き延びてきたのである。このレベルにおいて、単に生命を維持して子孫を残すという生物的活動を「労働」と定義して、人工物として多少なりとも耐久性のある作品を作る活動を「仕事」あるいは「制作」と定義した。

・・・さて、古代ギリシャにおいて、部族間の戦争における捕虜は奴隷となって、家事労働や制作(私的活動)をやらされたので、主人は部族の防衛と運営(公的活動)に専念する状況になった。それまで専制的な政治体制であったのだが、労働や制作から解放された「市民」が集まって新しい直接民主主義の体制が出来たとされている。これがポリスであって、数十年は続いたらしい。市民達はポリスにおいて自らを際立たせる弁論を闘わせていたとされる。つまり自己実現・自己承認という高次の人間的欲求が生じたということである。この状況をアレントは「活動」(紛らわしいのでこの用語は止める)あるいは「行為」と呼んでいる。そこでは、ポリスというお互いに共通な世界を持ち、しかも異なった見解を持つ市民達の存在が前提とされている。

・・・行為の本質は「新たに始める」ということにあり、それは他の市民に受け取られて評価され次の行為を引き起こす。この連鎖の行方は予め予測できない。この予測不可能性のことをアレントは「プロセス性」と表現している。以下の文脈ではやや戸惑うのではあるが、この「行為」という言葉がポリス世界以外の対象に対しても拡張して使用される。僕なりに定義し直せば、これは「人間の自由意思としての対象への働きかけ」であり、人間が人間である限り、重要視されるかどうかは別として、消滅することはあり得ない。

・・・さて、このようなポリスの体制はいわば目立ちたがり屋の喧騒の世界であって、必ずしも効率的でもないことは容易に推測できる。そこに現れたのがソクラテスということになる。彼はポリスにおける弁論の矛盾を対話によって突き崩していったが、やがてポリスによって抹殺される。弟子のプラトンはソクラテスがしばしば数時間も無言のまま自らの頭脳を駆け巡る思考に耐えている様子を見ていた。それは存在の真実そのものを直観したことによる驚嘆に見えた。これが「観照」ないしは「観想」という第4の人間の行動である。時代が下るにつれて「制作」に携わる職人の技術は進歩を遂げてきてプラトンの観察対象となり、その本質を彼は「予め存在するモデルに従った作業」であると見た。そしてそのモデルというのは人間精神に予め与えられているのではあるが、ソクラテスが行ったような「観照」によって職人が見出すものと考えた。ソクラテスは「観照」に留まり、そのモデルを模倣して作品を残すことはしなかったのだが、職人が作品を残すことで、実は元のモデルの完全性が損なわれている、という風に考えた。このモデルというのがプラトンの「イデア」の原型である。

・・・時代は下ってローマ帝政期、既にポリス的世界は過去の遺物となり、政治的「行為」はその当初の意味を失い、「制作」のスキームに従っていた。つまり、支配者の「観照」によって見出されたモデルが部下に命令され、「作業」として実行されていた。この効率的な方法がローマの偉大な文明世界を築いたのであるが、同時にその行方は「プロセス性」を免れなかった。その中で苦しんでいたのは「奴隷」である。

・・・他方近接するアラビア世界においては、少数派のユダヤ民族が独自の世界観を築いていた。その苦難の歴史から彼等は「世界の不死性」の替わりに「民族の不死性」を信じたのである。自然世界に代わって民族を絶対視する宗教、ユダヤ教である。その中にユダヤ教内活動家イエスが現れ、彼が処刑されると、その事実の解釈が弟子達(主にギリシャ人)によってキリスト教としてまとまっていった。その本質は、ユダヤ教の「民族の不死性」に替わる「個人の生命の永遠性、その潜在的不死性」にある。パウロがこれを思念した背景には古代における政治共同体の捉え方があった。つまり政治共同体というのは本来的には永続的であるのだが、過ちを犯すことによって死を迎える。その常識と当時のローマが断末魔にあえいでいた状況を重ね合わせると、むしろ人間個人の方が本来的な永遠性を持ち、罪によって死ぬべき存在となる、と考える方が希望に満ちているのである。「楽園の中で不死であったアダムは罪を犯して死すべき人間になったのであるが、イエスは自らその罪を背負って十字架を引き受けた、だから罪を懺悔すれば天国で永遠の生命を得る。」という解釈である。これを信じることが、当時のローマ帝政の下層で苦しんでいた奴隷達の希望となったのである。古代においては蔑視されていた個人の生命がキリスト教においては神に頂いた最も重要なものとなった。古代においては「奴隷は奴隷となる屈辱に対して自害するだけの勇気がないから奴隷なのだ。」と言われていたのであるが、キリスト教では奴隷といえども自殺は最も大きな罪となる、と教えられた。それは奴隷達が生命を全うするに足る希望となった。

・・・国教となったキリスト教が各地に広がった教会組織の統一に腐心してスコラ哲学として体系化される中で、生命を維持する「労働」の地位は向上したものの、個人としての人間にとって必須の活動ではなかった。逆に、キリスト教は、教会指導者の権威付けのために、イエスの思想とは無縁の「観想的生」の優位性をギリシャ哲学から引き継いだ。(イエスはあくまでも信仰による奇蹟の実践という「行為」の人だったのだが。)カトリック教会はローマ帝国と手を携えてヨーロッパ内陸へと進出し、教育と知識階級を独占し、実質的には官僚となって各地域の人々を末端に至るまで支配した。

・・・さて、本論である。近代を準備した最初の出来事は、印刷技術の発展に介在された宗教改革運動であった。「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」というイエスの教えへの復帰。長い時間をかけてではあるが、教会領の収用によって土地という公的に与えられたものが私的な物件となり、追い出された農民は純然たる生存競争に晒されて、所属と人格を剥奪された「労働力」となった。信仰は、これも長い時間をかけて、教会に保証された社会的なものから個人的なものとなった。土地やこの世のものが教会から解放された結果、それらに積極的に関わること(世俗的なこと)が個人としての信仰に結び付けられた。

・・・近代を準備した2番目の出来事は、これも航海技術の進歩に介在された海外進出である。富が集積されて、いずれ「資本」となるが、ヨーロッパ人による地球の表面の探査により、それまで踏破できないと考えられた世界が一つのものとして地球外から眺められる契機となったことの方が重要である。

・・・最後に、これは全く以って目立たなかった出来事であるが、望遠鏡の発明があった。それを使って天体観測をしたガリレオは地動説の証拠を見出してしまった。地動説はそれまでも唱えられてはいたが、それはあくまでも理論的な話であって、そうである限り天動説を信じる信仰は揺らがなかったのだが、ガリレオ、というよりは人間の制作した道具、によって初めて教会が動揺したのである。その後この線に沿って「自然科学」という「仮説」と「実験」の探索システムが自然を「行為」の対象として扱うことになる。

・・・ガリレオの発見の深刻な意味を最初に受け止めたのはデカルトであった。それまでの形而上学は、「真理というのは人間の関与なしに自ずと現象となって現れ、人間はその固有な能力(感覚、理性、信仰)によってこの現象を受け入れることができる。」という信念に基づいていた。その真理到達の有様が正に「観照」であった。しかし、ガリレオの発見は、この大原則を崩す事件であった。地動説という「真理」は感覚によっても理性によっても信仰によっても、要するに「観照」によっては決して到達できなくて、制作者の制作能力で自然に干渉するという「実践(行為)」によってのみ得られたからである。

・・・デカルトの懐疑は単なる方法論ではなく、先入見を拒否するという態度でもない。それは感覚や理性を疑うだけではない。そもそも真理を明かす証拠というものがあり得るのか?そもそも真理というものがあるのか?と疑う。デカルトにとって確実なものは、自らが疑っているというその事だけであった。これは自らの意識内容しか信じられないということである。デカルトはこうして「自己反省」に自らを打ち明ける意識の領野を哲学の対象として切り拓いた。要するに自らの意識が世界から完全に引き離されていることになり、何か邪悪な悪魔が自分の意識を操っていたとしても不思議ではない。この疑念を払拭する信仰は単なる神への信仰では足りず、「善なる神への信仰」でなくてはならなかった。救済信仰が失われたわけではなかったが、「救済の確実性が失われた」のである。こうしてデカルト以降、人々は信仰よりも成功と勤勉と正直を道徳的尺度とするようになった。

・・・学会と王立アカデミーが近代道徳の中心地となった。もはや「観照」によって得られる理論自体に意味はなく、それはせいぜいが「作業仮説」であり、実験による「成功」が基準となった。科学者はそのために自然をおびき寄せては罠に陥れて、その秘密を少しづつ強奪する。科学者は今日的な意味での「行為」を代表している。科学者達を結び付けているものは、「自らが制作し作り出した道具の世界で表現されるものしか信じない。」ということである。科学か関わっているのはあるがままの自然ではなく、仮説的自然であり、それを自らの実験装置の範囲内で再現してみせる、という「プロセス再現技術」である。客観世界が成立するには成員間での共通世界が必要であるが、ここでの共通世界とは外界ではなく、人類に共通する知性の構造、つまり数学である。にもかかわらず、人間の制作能力は外界にその知性の構造を、具体的には仮説を実証するための現実世界を作り出す。科学者のこの「行為」は自然史に介入するまでになった。

・・・近代科学の「行為」は当初「制作」と思われた。何故ならば、実験は制作活動による道具を必須としたからであるし、実験自身に「制作」の要素が内在している。自然の認識という概念そのものが転倒したために、自然の事象が「何であるか」とか「何故か」ということはもはや問題ではない。それが「如何に起きるか」というプロセスこそが問題であり、それを実践するのは「制作」活動である。しかし「制作」にとって本質的な確実性(「観照」によるモデルの獲得)はすでに損なわれている。プロセスというのは予め在る物を実現させるのではないからである。それは「行為」に、つまり「始めるということ」に属する。

・・・デカルトの懐疑を信仰の領域にまで推し進めたのはパスカルとキェルケゴールであった。無神論や唯物論は教会の敵ではなかったが、懐疑と不信は教会に打撃を与えた。死後の生は疑問に付されて個人の生は再び死すべきものとなったが、彼等の居場所となるべき世界は既に永遠性を失っていた。こうして人間はあの世とこの世の双方から自分自身へと投げ出された。世界の代わりを務めたのは自己反省によって近づきうる意識であった。そこには「知性の数式遊びと種々の欲求と快不快の感覚」しかない。それは人類という生物種の類的生命プロセスでしかなかった。思想的には生命の主体は個人から階級へ、そして人類へと広がって行き、更には自然力、生命力といった観念になった。思考すらも自然プロセスと考えられるようになった。「行為」も「制作」も「労働」の水準に格下げされた。

・・・我々は遠く宇宙の彼方の1点から人類社会を眺めている。社会学者、心理学者、人類学者達の探求対象は、もはや人間ではなく、社会的動物という生き物の一種になっている。「制作」は一部の芸術家達の特権となり、「行為」は科学者達の特権となった。しかし、その「行為」は宇宙の彼方の1点から自然に介入しているだけであり、人間関係の網の目という、人格の開示と物語の生成、つまり人間世界の意味の形成には繋がっていない。
<目次へ>  <一つ前(6)へ>    <次へ>