まずは義母が手術入院している病院に行ってジェリーを食べさせた。昨日から自分で立ち上がれるようになっていて、それを写真に撮った。遅れると大変なので、10時45分頃に出発して、2号線から山陽道−広島道−中国道を経由して安芸太田町まで行った。1時間位かかった。今日は天気が良い。戸河内で降りると目の前に「来夢とごうち」という道の駅があって、ここでお昼御飯を食べた。なかなか良かった。野菜が新鮮なのである。そこからちょっとの道で戸河内町役場があって、ふれあいセンターへは係りの人たちが案内していた。1時入場の20分くらいだった。整理券を発行していたので、それを貰って周辺を散歩した。大きな河(太田川の上流)があって、子供が遊んでいた。広々として眺めが良い。空気も良い。お祭り的に出店がでている。音楽祭のTシャツはサンショウウオがデザインされていて面白いので買った。他にはお土産にシフォンケーキとか米パンを買った。

      ふれあいセンターのホールは2階になっていて400人入るが、今日は満員であった。僕達は2階の席をとった。何でもベヒシュタインという古いピアノが残っていて(多分明治時代)それをネタにして音楽祭をやろうと言い出した人が居て、3回目の今回は元サントリーホール総支配人の原武氏の紹介でウィーンフィルの主席のライナー・ヒュッケルという大物を呼ぶことができた、という次第である。最初に彼の話があって、ヒュッケル氏はバイオリンを弾くことしかしないそうで、そのためか奥さんは日本人で家事一切から秘書役まで全てをこなしているということである。一年間で休みは10日程しかないそうである。この間のアンドレアス・ブラウさんもそうであったが、若い時からオケの主席奏者でそのまま生涯を終えるような人は、勿論技術も音楽解釈も群を抜いているのであるが、音楽の背景(意味合い)そのものに何となく物足りなさが残る。その人の人生というのが薄いのである。

      まず最初であるが、広島近辺の和楽器奏者+ソプラノ+ピアニストがこの音楽祭のために作った曲を演奏した。最初に客席から笙の水島和夫氏が登場した。笙を生で聴くのは初めてかもしれない。何とも微妙な和音の響きである。それから、次は篠笛のことさんの演奏。息遣いやら音程の微妙な変化やらでなかなか面白かった。この人は5歳から神楽笛を吹いていて篠笛は独学でそのままバンドを組んでいる。次はエリザベト音大のソプラノで中川詩歩さんが金子みすずの「こだまでしょうか」を歌った。ピアノは坪北紗綾香。ふーん、こんな詩だったんだ、という感じであらためて感心した。次は琴の木原朋子が加わって、「月のしずく」という合奏曲。即興が入って面白い。最後は「中国地方の子守唄」をアレンジした曲。結局和風というのはどういうことなんだろう?哀しみという情緒が基調になっているけれども、そういうものなのだろうか?とか、いろいろ考えさせられた。ことさんについては以前新聞で見て気になっていたのでロビーでデビューCD「龍の目醒め」を買った。

      第2部最初は若いピアニストシュテファン・シュトロイスニックさんのモーツァルトで11番イ長調のピアノソナタ(トルコ行進曲付き)。これはちょっとどうかなあ、と思った。ピアノのせいかもしれないが、きびきびとはしていても情念のメリハリがない。歌うという感じがない。次がいよいよライナー・キュッヘルの登場でスプリング・ソナタを演奏した。これは僕が練習中の曲であるのでとても勉強になった。細部まで楽譜の指示に従っているのが良く判る。自分で吹いているとどうしてここにこの指示があるのかが良く判らないのであるが、この人が演奏すると、これはそういう意味だったんだ、というのが判るのである。リズムの跳ね方が粋な感じでこれがウィーン風なんだろうなあ、と思ったし、おそらくベートーヴェンの意図もそこにあったのだろう。連綿たる第2楽章もとても感情的に深いものがあるということが判った。ピアノが殆ど何も加えることなく音楽を区切っているというのもヴァイオリンの表現力を引き立たせていて、この若いピアニストが選ばれたのもそういう理由だったのだろう、と納得した。

      第3部はチェロのヴィルヘルム・プレーガルが加わってシューベルトのトリオ(作品99)が演奏されたが、僕はちょっと苦手である。どうしてこうまでにしつこいのだろうか?正直にいうと聴いていて嫌になった。それを丁寧に気持ちを籠めて演奏する3人を見ていると、うーん、これはちょっと近づけない世界の人たちなんだなあ、と思った。ともあれその努力と迫力には感嘆した。アンコールの曲も多分シューベルトと思われるが知らない曲だった。比較的短くてこれはなかなか面白かったが。

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