今日は成人の日の替わりの祭日なので、中央図書館に本を返しに行って、雑誌を読んだ。「都市問題」の6月号の特集「公共事業と地域社会」の中で、伊東光晴氏が、「人からコンクリートへの政治経済学」と題して書いていたので、簡単に纏めておく。

      公共事業の受益者というのは3層になっていて、1.政治のトップが献金を貰うこと、2.地方の首長や議員などが事前に情報を得て投資によって利益を得ること(八ッ場ダムでは、荻原昭朗がダム屋に情報を流して土地を買い占めさせていた)、3.事業地の住民や自治体が立ち退き料や特別な補助金を得ること、である。これらの受益はそのまま社会の損失でもあるが、それに事業費が加わる。これは建設国債であるから将来への付けになる。それらに見合うだけの効果としては、直接的・間接的な経済の活性化とインフラとしての将来の効果、である。全国総合開発計画が何次にも亘って行われた。下河辺淳はバランスを見ながら比較的よくやったと思うが、1990年台以降はインフラが過剰になってきて、赤字傾向が見え始め、更に2010年台から古くなったインフラの維持費が公共事業の半分を占めるようになってきた。自民党も民主党もそれ以来公共事業を縮小してきた。しかし、加藤寛は累進税率を緩めるような改革を行い、小泉政権は派遣業を認可した。この2つこそ日本社会の格差を拡大させて内需を萎ませ、経済を不調に陥れるのに最も影響した政策であった。

      安倍政権では「国土強靭化計画」という題目で公共事業を大幅に増加させた。この首謀者は藤井聡氏である。ただ、具体的に何をするのかについては何も決まっていないから、無駄金になりかねない。今回の震災と津波からの復興計画にしても、高台移転とか、土地に盛り土するとか、確かに津波が来ても大丈夫なように、という発想ではあるが、現実に土地の登記処理は進んでいない。何代にも亘っているし権利者が見つからない場合も多い。そもそも人々は元の土地に住みたいのである。こういう現実が判っていない人たちが机上の計画を立てるのが「国土強靭化計画」の実態である。日本地域開発センターの伊藤滋の言うように、壮大な計画よりは、裏山への非難路を整備する、とか要所要所に地震にも津波にもやられないような頑丈な高層建築を建てておく、という方がよほど現実的だろうと思われる。高台に住まわせるのは逃げることの出来ない人たちだけで充分である。(僕なりに解釈すると、100年に1回というような災害に対しては、施設や住居は犠牲にしても人命を守ればよいということだろうと思う。)

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