6月6日(金):
      午前中の晴れ間を縫ってちょっと農作業。苺はトロ箱に植え替えた。根切り虫を2匹殺した。マリーゴールドを更にあちこちに植え込んだ。

      4時近くになって、アンパンとコロッケを食べてから練習にでかけた。今日は指揮者の井上登紀さんが来られた。最初に小オケだけの練習が2時間あった。そのあとで合同。インテルの長友とそっくりの人である。大阪フィルの主席フルート奏者である。勉強になった。リズムの捉え方であるが、フレーズがどこから始まって何処で終わるのか?4拍子でもジブリでは4拍目で始まって3拍目で終わる。それを感じることで全員がリズムに乗れる。またそれが変わるときもある。そういう目で楽曲全体を眺めてみる。それと、休符もまた音楽の内ということ。休符から始まるフレーズもある。それはその気持ちで吹かないとおかしくなる。特に短い休符には重要な意味が込められている。いい加減に吹くと作曲者の意図が伝わらない。2拍での3連譜は異様感がなくてはならないから、何も書かれていなくてもテヌートで吹くべきである。フォルテは大きいとか強いとかいうことよりも、自分の最も自信のある音で、というつもりがよい。ピアノは小さいとか弱いとかいうことよりも、優しく吹くという気持ちが重要である。フェルマータはイタリアではバス停の印である。バスは急には止まれない。つまりフェルマータの少し前からテンポはやや遅くなって、フェルマータで止まって再スタートする。再スタートの直前に息吸いが入るがこれが全員のタイミングを合わせるのに重要である。とかとか、僕にとっては吸収すべきことばかりである。

      今日は「とうかさん」の始まりである。帰りの電車が遅れて、しかも超満員であった。雨の降る中、僕は出口にやっと入り込んだので、降りる人が居ると外に出なくてはならなかった。電車の中で携帯電話を使う余裕がなかったので、草津南に着いてから家内に電話して迎えに来てもらった。帰ってから御飯を食べた。10時である。

6月7日(土):
      朝、また根切り虫を見つけた。朝早くであれば、倒れた苗の根元に潜り込んで食事しているから見つけやすい。

      アステールプラザにある中区図書館に寄って、なかにし礼の「赤い月」を読みかけたら面白そうなので借りた。今日の練習は多目的ホールで、大分広くて譜面台も沢山ある。バリトンの折河宏治先生が来られた。昨年からだったかエリザベトで教えている。なかなか迫力があった。練習は相変わらずリズムの作り方と合わせ方である。即効策として皆で手を叩いて自分が吹いて見せたりしてくれたりした。拍子の裏から始まる音はとにかく不正確になりやすい。それと、タイミングを合わせるためとか、緊張感を自ら作り出すために音の開始直前で息継ぎを使うのだそうで、なるほどと思った。出だしも指揮に合わせて皆で一斉に息を吸うという練習をした。なにしろリズムというのは身体でしか覚えられないから、言葉とか、呼吸とかという身体運動をうまく利用して身体に覚えこませるしかないのである。あと、譜面の修正があちこちあった。響きの問題とか演奏会の演出とかが目的である。ただ、来てない人もいるのでちゃんと伝えないと大変である。今日は予定より早く8時過ぎに終わった。平和大通りまで歩いて場末のような店でお好み焼きを食べて帰った。「とうかさん」の人出で今日も電車が超満員であった。休みの日なので若い人が多かった。

6月8日(日):
      さて、いよいよフェスティバル当日である。あまり早く着いてもと思って8時半の電車に乗った。広島駅には45分に着いて、昨年と同様1階のコンビニで寿司弁当を買った。そこからのんびり歩いて9時頃到着した。2階のソファーでちょっと休んでから会場に入ると、小オケの人達(音大の学生達)が舞台の準備をしていた。僕達(アマチュア組:大オケ)は持ってきた譜面台を供出して、譜面隠しの黒い用紙を借りた。

      小オケが最初の曲(アイネ・クライネ・ナハトムジーク)を始めると僕達は舞台裏の入り口に並んだ。今回は低音側なので上手にまわった。「フルーツ・パフェ」からの2曲は全体にうまくいったが、最後に指揮者が手を下ろす前にフルートを下げてしまって注意された。次は「ジブリメドレー」で、一旦出て再入場。これもまあまあ。でもいろいろ気にすることが多すぎて間違えた。

      次は客席で小オケの「ペールギュント組曲」を聴いた。なかなか素晴らしい。最初は皆の吹き方を観察していたが、最後には目を瞑って聴き入ってしまった。後半の小オケの「魔笛序曲」の時は入場待ちである。これは結構聞いていて焦る感じ。まあ序曲らしく期待感をみなぎらせるのであるが、それが次に舞台に上がる人にとっては急かされるような感じに聞こえる。出てきた小オケの人が間に入って一緒に入場して、バリトンの折河先生も入って合同演奏である。「鳥刺し」はやるたびにテンポが速くなる。歌の時には音を小さめにするというのが上手くいかなくて、結局大代先生の指示で小オケの人が吹かないということになった。隣で吹いていた小オケの人はどうも気分を害した様子で、しんどいし、こんなことなら全部休むと言った。どうも練習のときから彼女はあまりこの合同アンサンブルには乗り気でない様子だった。「恋人か女房か」の方はまずまずという感じであった。それから、広瀬量平編曲の日本古謡で「さくら」、「荒城の月」、「浜辺の歌」。この辺の曲は結構前夜の変更があって、休んでいた一つ隣の人に小オケの人が教えていた。最後は「ふるさと」でお仕舞い。僕なりのこのゲネプロの収穫はといえば、練習室より響きが気持ちよかったことと、昨夜井上さんに言われた楽譜を下目使いで見ることによって顎が前にでてしまう、という人は実は僕自身のことだったのだと自分で気づいたことである。気をつけなくては、と思いつつもつい忘れてしまう。これは今年これからの課題とする。顎が出ると肩が前に出て胸を張れないから胸郭の共鳴が貧弱になって音が響かない、ということであるが、物理的にはどうなのか判らない。でも実際音は確かに変わる。

      昼食休憩でやっと控え室に入った。男子は9名。お互いに寡黙である。勝手に練習したりしている。この辺の間合いはどうも良く判らないが、まあ僕は床に仰向けになって寝たりしていた。楽器メーカーのブースに行ってみると人が一杯で皆良く試奏していた。なかなか入り込むスペースもない。まあ僕自身は楽器を云々するレベルではないのでそれほど興味もない。部屋に帰って音合わせをした。去年は僕だけ高かったので、反省してそれから練習の度に耳で音合わせをするようにしていたから、すんなり合った。1階に下りて出番を待った。隣の小ホールでも演奏会があって、控え室から女性の演奏者が次々と出てくる。スカートをめくって出てくるところで目が合ってしまった。まずいと思って目を逸らした。

      ところで、大オケの男性陣はどうも学校の先生が多い。1人は呉の中学校の音楽教師、中心メンバーの1人は基町高校の音楽教師、教え子が今日隣で演奏する。もう1人の中心メンバーは忘れたが医師のようである。この人は楽器マニアのようで随分お金をつぎ込んでいる。今年初めての人は夜間中学の理科教師である。5年前にフルートを始めて、先生についているとはいえここまで出てこれるというのは大変な努力である。実際練習の時には録音していて後で反省したりCD化して出席できなかった人に配ったりしている、ということである。フリーの楽譜ソフトを使って楽譜を書いて音を出したり、とにかく理系らしく研究熱心である。そういうことで学校についての談義が多い。教師というのはとにかくこき使われる。とても家庭の面倒を見てられない、とぼやいていた。とか言っている内に呼び出された。皆もう並んでいたのである。

      いよいよ本番であるが、最初の曲、「フルーツ・パフェ」からの「マロン・ミロンガ」では緊張していて唇が震えてしまった。これはまずいと思ったのであまり音を出さないようにしていたら曲の後半でやっと慣れてきた。ともかく顎を引くように注意した。なかなか曲を楽しむどころではない。次の「チョコレート・ダモーレ」は大きな2拍子のような感じの3拍子のリズムで皆が乗っていて全体として上手く出来たと思う。僕はちょっと間違えたが目立たなかったと思う。入り直して「ジブリメドレー」であるが、これも良く出来たと思う。いざとなると皆結構リズムに乗るものである。井上さんも目が潤むくらい喜んでいた。結構心配だったのだろう。次の出番の小オケの人も素晴らしかったと言ってくれた。ただ、僕自身としてはどうも出来の良し悪しを鑑賞する余裕がなかった。控え室に戻ってまた一時間近く待った。途中から舞台の音が流れてくるようになったので、それを聴きながら寝ていた。次の「鳥刺し」に入るときにやはり休むと言っていた小オケの人は出なくなったとかで僕が席を詰めることになった。隣になった人は気さくな人なので何となく安心する。合同演奏の方は最後のアンコールに向かって盛り上がっていった。良く考えると難しい「鳥刺し」から最後の「ふるさと」までだんだんと易しくなっている。これもまた盛り上がるための工夫であろうか?

      終わってから家内が舞台袖から手を振ってくれた。何処に座っていたのか最後まで判らなかった。控え室に戻って楽器を仕舞い込むとやることも無いので早めに引き上げて、舞台に戻って譜面台を探したが畳んであったので判りにくかった。畳んだときに判るように外側に名前を貼っておくべきだった。打ち上げまで時間があったので、隣の東区図書館で「赤い月」を読んでいたら、5時閉館というアナウンスで追い出されて、とりあえず広島駅まで引き返した。まだ時間があったので地下で一休みして電車に乗ろうとしたが、ここから電車に乗るのは何十年振りかであることに気づいてちょっと迷ったのと、今日も「とうかさん」で電車が超満員であったのとで立町の国際ホテルに到着したのは6時丁度だった。入り口で音大の学生達が演奏会の時の白いブラウスのままで並んでいたので、待っていたら、入れてくれた。何だか天使みたいに優しい。A から G までのテーブルの籤引きがあって、幸いなことにベテラン男性陣の間に入れた。その隣はコンサートミストレスの立河さんで、その隣が山陰の方の吹奏楽で有名な高校から来た人。とてもかわいい一年生。その隣がメーカーの人で、一つ空いて大オケのコンサートマスターの安田さん。もう11年も連続して参加している。そこから2人の一年生で、これまたかわいい。一人は今年で廃校となった音楽高校出身でもう一人は朝鮮学校出身ということで、そういえばそんな感じの面長で品の良い顔立ちである。まあエリザベト音大というのはどうみてもお嬢さん学校ではあるのだが。僕も一応自己紹介した。指揮のタイミングには慣れるしかないとか、自分の音が聞こえないとおっしゃるけど隣では良く聞こえていましたよ、とか慰められた。スピーチはまあ、各人あまり羽目を外さず適度にユーモアを入れて、という感じ。楽器屋さんは一応皆それなりに自社宣伝をした。今回でこのフェスティバルは35回目である。こんなに続くフェスティバルは全国でも珍しい。それに楽器屋さんのお世辞かもしれないが、他の地区に比べてアンサンブルのまとまりが素晴らしいし、試奏でもみんなレベルが高い、ということである。まあこれまた大代先生のお陰であろう。インペク(inspector:世話係?)4人が各テーブルを回って挨拶をしていて、僕にまで挨拶されて恐縮した。教えてもらうことばかりで、こちらこそお礼を言わなければならない。ところで、今回は400人を越える予想外の大入りだったそうで、去年が300人程度であったので、そのつもりでいたら配布するプログラムが足りなくなって大騒ぎしたということである。曲目もやや親しみやすいものが多かったからかもしれない。

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