2018.12.12.24
大分前に何となく気恥ずかしくも買ってあった、松岡利康/垣沼真一『遥かなる1970年代−京都』(鹿砦社)という、ノスタルジーの本。70年代の左翼的口調がいささか幼稚に感じられる。正に、『もう誰一人、気にして無いよね。。。』(中島みゆき「誰のせいでもない雨が」)という話。『連合赤軍事件』は確かに運動退潮の大きな転機となったのだろう。世界的な学生運動からの流れは各国では現在の国政の中に確かに生き残ってきているのだが、日本だけは未だに『反対運動』としてしか引き継がれていない。その最大の要因として、筆者達は『内ゲバ』を挙げている。レーニン組織論の悪しき遺産に足を掬われたという処である。
・・・前半は、松岡氏が出版していた「甲子園だより」という雑誌の内容が続いている。あまり面白くはない。2004年頃の記事で、70年代の同志社大学を中心としたブントの人達の人間模様である。寮母さんなんかも紹介されていて、微笑ましく、政治論争の話には深入りせず。とりあえずは置く、ということだろう。元々ブント(共産主義者同盟)は60年安保の時に日本共産党から派生したが、敗北後、関西に拠点が移って、同志社大学では多数派であって、全学闘という大衆組織を主導していた。60年代後半の盛り上がりの中から出現した著名な人物と言えば加藤登紀子の夫となった藤本敏夫と赤軍派を作った塩見孝也だろう。理論の方では田原芳という人が居たらしい。赤軍派が分派したときは大変な内ゲバがあったらしい。藤本氏が全国を逃げ回ったというのも有名な話である。内ゲバというのは、路線対立をして別れるときの党員の奪い合いから生じるから、近い関係の党派間で行われることになる。右翼・民青と新左翼の間とか、三派全学連党派間とかは、比較的表舞台で行われるから、時折死者が出てはいながらも、根の深い事態には至らないが、近親間の内ゲバは密室で行われ、抑制が効かず、記録にも残らない。その極端な例が浅間山荘事件で明るみになった連合赤軍の仲間内の殺し合いであった。ヤクザ組織間の方がまだ合理性があって救われる。「自己批判」とか「総括」とかが流行語になったのだが、それを迫られた党員達の気持ちを思えば、上司の犯罪を隠蔽してとりあえず会社を救うために自殺する社員達、特攻隊志願を迫られた学生達、更には、切腹を命ぜられた武士達等々、とも重なる。皆真面目で優秀だった。狭い集団での規律が個人の心との間で反響して肥大していく、そんなプロセス。これは、単にイデオロギーに凝り固まったせいだけではない、何か「男性原理(権力の原理)」の欠陥のようなものにも思える。赤軍派が誕生した後、同志社の全学闘はややそれにシンパシーを抱く、という独特のものになっていたらしい。著者が卒業してしまった後で、全学闘は1977年に学友会の主導権を失い、最後は1979年此春寮夜間襲撃、監禁、リンチ事件で壊滅した。
・・・後半は、垣沼真一氏による京大の話である。1970年から75年まで在籍して、主に熊野寮の監察役とかをやっていたから、当時の学生運動の殆どに関わっている。元々、1968年パリの五月革命を切っ掛けとして先進国間に拡がった学生運動は日大とか東大で全共闘運動と呼ばれるようになったが、それまでの新左翼系諸党派とは別の目的を持った運動(大学という組織に対抗する運動)であったから、当然大学の特徴を反映する。日大と東大ではその様相はかなり違う。京大においても、それまでのベトナム反戦運動とか安保反対運動とは別の軸を持つ運動として、各学部で個別に始まったのだが、どちらかと言えば自由な学風だったから、日大や東大に比べて運動の焦点が呆けていた。当人達自身は勿論自らを全共闘とも呼んでいなかった。それまでの党派の運動も「全共闘」運動も反体制運動には違いないので、外から見ると区別が付かないし、外に向かっては共闘する形になった。僕は、既に1967年には諸党派の硬直した思考に愛想を尽かして半年程で関わるのを止めて、夜は只管麻雀に付き合い、昼間はジャズ喫茶に籠って量子力学の勉強をしていたから、このような「全共闘」運動も(日大での運動は別として)随分と観念的で無駄なものに思えたのだが、個別の目的にはまあ同意していたから、邪魔しないように努めていただけである。ここに書かれてあることも殆ど知らない。C戦線とかパルチザンとか、確か名前だけは聞いたことがある。滝田修も名前だけしか知らない。学生大衆運動として多少は盛り上がったのは、垣沼氏のようなノンセクト学生がクラス討論を巻き起こして無関心な学生をひっぱり出したからであって、諸党派はそれに乗っかって党派に引きずりこもうとしていたに過ぎない。やがて運動が静まってしまうと、諸党派は武力闘争へと路線転換を行い、方針の異なる内部の党員同士での内ゲバが当たり前になっていって、それがさらに学生から見放される要因になった。まあ、そういう流れだから、読んでいて全く嫌になってくる。各学部で運動していた学生たちは、その後、専門を生かしながら、公害問題や労災問題といった具体的な社会問題に取り組んでいたのだが、垣沼氏には多分見えていなかったのだろう。読む価値のある部分は、最後の2話位である。
 その33.「内ゲバの論理はこえられるか−高橋和巳」では、辛亥革命、ロシア革命、スペイン人民戦線、日本共産党の50年、当時身近で見た、民青と全共闘、中核−革マルの殺し合い、を考察しての高橋和巳の提案の紹介であるが、内部での「総括」つまり少数派の粛清、には必ず党員以外のシンパのオブザーバーを参加させてはどうか?という事である。それによって、少なくとも、自ら頭に血が上って非人間的な暴力行為に至ることはかなり抑制できるのではないか?という。当時高橋和巳の小説はよく読んでいたが、こういうのは知らなかった。
 その34.「書き足りなかったこと」では、「革命という目的の為には手段を択ばない」ということは間違いであり、そのことは官僚支配と独裁制をもたらしたのだが、それを避ける具体的な方法論、直接民主主義はあまりにも効率が悪すぎる。パリコンミューンのやり方も失敗した。中で述べられている「クロンシュタットの反乱」というのは知らなかったので、また勉強してみようかと思う。ヴォーリンの『知られざる革命』という本があるらしい。結論が出ないままに最後、これまでの社会思想は地球という大きな入れ物が無限であることを前提としてきたのだが、今やそれが有限となりつつある、2030年頃には水と食料が慢性的に不足してきて、社会主義と民主主義がこの観点から再度問題となるであろう、というところで終わっている。
 
<目次へ>  <一つ前へ>    <次へ>