最近、辺見庸「1937(行く皆)」(金曜日)を少しづつ読んでいる。内容が凄惨で、なかなか一気に読んでしまうというわけにもいかない本である。読みながら取ったメモが溜まりすぎた。買った方が良かったかなあと思う。

      日中戦争から帰国した彼の父に対して著者は戦争犯罪について問い詰める事をついに為しえなかった。彼自身は記者として活躍し、北京にも滞在した。1994年に芥川賞を受賞。週間金曜日にこの連載を始めたという動機は、勿論最近の日本の政治状況に危機感を覚えていて、その根源を確かめるためであった。具体的な切っ掛けになったのは堀田善衛の小説「時間」であった。これは自らも兵士として関わった南京事件を一中国知識人の手記という形で描いたものである。それを辿りながら、最後の方で父の従軍記や手紙が批判される。辺見氏自身によるこの本の簡明な説明がある。<堀田善衛は「時間」を書くことで、南京大虐殺と中国という時空間に、「日本」としてではなく、「個」として対峙しようとした。そのことがわたしにも大虐殺を、年表的事実ではなく、「個」としてみなおしてみようという気をおこさせたのではないだろうか。「個」としてみなおすとは、わたし個人にまつわる記憶を南京大虐殺がかかわる記録や作品にかさね、すり合わせてみることである。>

      つまり彼の観点は、統計数字ではなく、中国戦線での非人道的行為<殺・掠・姦>に関わった兵士や指揮官達が、自らの加害を意識し、一瞬でもためらったか、反省したか?という一点にある。多くの体験証言やそれに基づいた創作があるが、文学者としての直観で加害者意識を嗅ぎ分ける。ここにはいちいち書き切れないが、少数を除いて答えは絶望的であった。その上で、(戦争の所為にするのではなく)何故なのか?を問う。真面目に丁寧に人を殺し、手を抜かずに掠奪し、一生懸命に姦し、心を新たにしては宮城の方角に向かい、何か視えないものに対して遥拝した忠孝なる皇軍将兵は、他方で家族を思いやる手紙を多く書いた。国内には秩序と平穏があった。ニッポンジンの示した慈悲と獣性、静謐と咆哮、慰撫と殴打、屈従と傲岸、沈黙と饒舌、繊細と鈍感の共存は何故なのか?まるで桃太郎が鬼が島に出撃するように、中国大陸を宣戦布告もなく何の戦略も目的もなく蹂躙したのは何故なのか?そして、自分がそこに巻き込まれたら果たして人間性を維持できただろうか?

      堀田善衛「方丈記私記」より引用:<3月10日、東京大空襲の焼け跡に降り立った天皇の周りに集まった人々は土下座して涙を流しながら、「陛下、私たちの努力が足りませんでしたので、むざむざと焼いてしまいました。まことに申し訳ない次第でございます。」と小声で呟いていた。> 責任は原因をこしらえた側にではなく、惨禍を蒙った側にある、という途方も無い逆転。この戦争責任の驚くべき無化こそ戦後民主主義の空虚さの起源である。しかし、堀田善衛にしても<とはいうものの、実は私自身の内部においても、天皇に生命の全てを捧げるということの、戦慄を伴ったある種の爽やかさも感じていたのである。>と告白している。天皇のポツダム宣言受諾に対して、ニッポンジンは暴動も起こさず、かといって米軍に徹底抗戦もしなかった。天皇はやや不安がありながらもそれを承知していたからこそ、正にあのタイミングで米国に擦り寄ったのである。12月17日中支方面軍南京入城の記録:<楼門上に大国旗を掲揚、軍楽隊の「君が代」奏楽裡に敬礼。全員かたずをのみ、目頭が自然に熱くなる。大元帥陛下の万歳を三唱し奉る。>この光景は(最後の一文を除いて)今でも繰り返されている。ニッポンジンは何も変わっていない。

      読み終わって、「詩人は時代のカナリア」という言葉を思い出した。やや鋭敏すぎる感じもするが、時代の流れはどんどん速くなっている。こういう人の言い分にも充分耳を傾けるべきであろう。我々が変わっていない以上、歴史を忘れるならその歴史はまた再現するだろうから。
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