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ラ行
ら|り|る|れ|ろ
ら
ラグナロク
古北欧語、複数形「神々の最後の運命」の意。
- 『エッダ』の中に見られる北欧の終末論を表す用語。ただし、『スノッリのエッダ』では(「ロキの口論」39と同様に)終始、
すなわち「神々の黄昏」という語を用いています。しかしながらこれは後世の解釈なのです。
- 世界の終わりについての主な資料は『巫女の予言』43節から66節です。その散文の版と解説とがスノッリの『ギルヴィの惑わし』51章にあります。
- 北欧の宇宙論は世界の終わりを人間とともに神々の終わりとして持っています。したがって、神々の存在は有限なものであるわけですが、それも理由なしというものではありません。人間と同じように、神々もまた罪や戦争によって非難なしとはされていないからです。
- ラグナロクは四つの大きな終末論的事件があり、それは『ギルヴィの惑わし』51章に詳細に描かれています。まずフィムヴルウィンテル、すなわち世界の火。これによりスルトゥルは全世界を破壊するのです。大地が大洋の中に沈むこと。大洋はミズガルズル蛇によって怒濤のさかまきを見せ、大地を飲み込もうとするのです。そしてついには太陽がフェンリス狼(別
名フェンリル)によって飲み込まれてしまい、暗闇が覆うのです。さらに自然界の崩壊が続きます。大地は震え、岩山は崩れ、世界樹イッグドラシッルは震えるのです(『巫女の予言』45)。ビフロストの橋も落ちます(『ギルヴィの惑わし』51章)。ヘイムダッルルはギャッラルホルンを吹き鳴らし、神々にその時が来たことを知らせるのです。オゥジンはミーミルの頭に忠告を求めます(『巫女の予言』45節)。そして神々は集い話し合いの座をもうけるのです。下の世界の勢力があらゆる方角から近づいてきます。ナグルファルという船が出航し、巨人たちを乗せて到着します。その船はフリムルによって舵を取られているのです(『ギルヴィの惑わし』51章;『巫女の予言』48節によればロキによって舵とられています)。スルトゥルはムスペッルの息子らを率いて神々に戦いを挑みます。
- 神々の戦いはエインヘルヤルという援軍を得て、下の世界の勢力と争うのです。戦場はヴィーグリーズルと呼ばれ(「ヴァフスルーズニルの言葉」18節)、戦いは詳細に語られます(『巫女の予言』50-53;『ギルヴィの惑わし』51章)。オゥジンはフェンリス狼と戦い、倒れます。しかしヴィーザルが敵を討ちます。ソゥルはミズガルズル蛇を殺しますが、自らもその毒に倒れます。フレイルはスルトゥルと戦いますが、つるぎがないために破れてしまいます。ティールとヘルの犬ガルムル、ヘイムダッルルとロキは互いに相打ちになります。最後にスルトゥルが世界の炎をつけて、すべてのものを破壊するのです。
- しかしながら、破滅がすべてではありません。世界の円環的概念にしたがい、新しい純粋な世界が海の中から現れるのです。生き残った神々ヴィーザルとヴァゥリ、モゥジとマグニはイザヴォッルルと呼ばれる平原で相まみえます。そこはかつてアゥスガルズルであったところなのです。バルドゥルはホズルとともにヘルから戻ってきます。『巫女の予言』の最終節は死の蛇ニーズホッグルの最期が語られるのです。
- 『巫女の予言』の56-62節は、スノッリがラグナロクとの関わりで引用している36節(『ギルヴィの惑わし』52章)とともに、新世界の記述を行います。スノッリは引用の解説で、そこを天国と地獄の記述として説明しているのです。そこで、『巫女の予言』の中のラグナロクの記述に、キリスト教的要素がどのていどあるかという疑問が起こってくるのです。実際、その記述は黙示録の中の「新しいエルサレム」の記述を思い起こさせてくれます。オルリクはこの神話の要素と切り離し、世界の不道徳の様子、ギャッラルホルンの音、太陽の消滅、世界の炎と新世界の描写をキリスト教の影響にあるものとしました。
- ラグナロクの他にエッダ詩群の中に見られる終末を表す語は、アルダル・ロク(「世界の終わり」「ヴァフスルーズニルの言葉」39節)、ティーヴァ・ロク(「神々の運命」「ヴァフスルーズニルの言葉」39節、42節)、「神々の死ぬ
とき」(「ヴァフスルーズニルの言葉」47節)、「神々が滅ぼされ得るとき」unz
um rjufask regin(「ヴァフスルーズニルの言葉」52節、「ロキの口論」41節、「シグルドリーヴァの歌」19節)「ムスペッルの息子たちが戦いに赴くとき」tha
er Muspellz-synir herja(「フンディング殺しのヘルギの歌」二、41節)、そして「神々の終わり」regin
thrjota(「ヒンドゥラの歌」42節)があります。
- 追記:スノッリの
は、現代語訳「神々の黄昏」という誤った訳語を生み、現在これが一般的に用いられると言う現実があります。これはゲルマン人がもともと持っていた末世論的考え方「神々の運命」というものを誤解させる結果になりました。
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ラティ Rati 古アイスランド語で「らせん錐」を意味します。>バウギの画像へ
スノッリ、また『高き者の言葉』に寄れば、詩の蜜酒を盗んだ神話物語に登場する錐の名前です。巨人バウギがそれを使ったというのは、スノッリの解説に寄ります。「高き者の言葉」では、ただラティを使って、オゥジンはわずかの隙間を得て、身を通せたとあります。そしてその道の上と下とには巨人たちの領域があったと。そのような危険を冒して、オゥジンは蜜酒への道を確保したことが自慢されています。これをスノッリは、バウギが穴を開け、オゥジンは蛇に姿を変え、その穴を通ることが出来、蜜酒を守っている女巨人グンロズのところに達した、と説明するのです。この錐に名前があるのは、スノッリの誤解で、「高き者の言葉」の106スタンザの冒頭の語を、固有名詞と解釈した結果だと思われます。
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り
リョウザハゥットル Ljóðaháttur (詩旋法)
詩の『エッダ』に見られる韻律形式の一つ。四詩行によって構成され、第一、三詩行は四つの強拍を持つが、第二、四詩行は三つしか強拍を持たない。特に第一、三詩行はフォルニルジスラーグと似た韻律を持つが、弱拍を持たない場合も多い。
リョウザハゥットルに、更に三強拍の詩行を加えた旋法をガルドララーグ(呪文歌旋法)と呼ぶ。
る
ルーレ lure 古北欧語 ludr ゲルマン人の楽器。
特に青銅器時代によく用いられました。ルーレは管楽器。青銅で作られ、6フィート以上の長さを持ちます。管は曲線を描き、考古学的発掘物として、いつも二つ一組で発見されています。絵画石碑などによれば、このルーレは少なくとも宗教的儀式に用いられたように思われます。>画像へ
ルーン文字 runes:定義「ルーンとは、ゲルマン人によって用いられた最古かつ唯一の独自のシステムをもったルーン・アルファベット(the
runic alphabet)の中の個々の文字のことです」
このアルファベットは最初の六文字をとって「フサルク
(futhark)」と呼ばれますが、そのシステムの存在は西暦150から750年に至る初期のもの(古ルーン)や、より後の時代の(新ルーン)碑文より証拠だてられています。
ラテン文字がキリスト教とともに入ってくると、ゲルマン人の文字システムとの争いに勝利しますが、スカンディナヴィアにおいてのみ、改宗の遅れ(10-11世紀)を理由として、中世までルーン文字は用いられ続けることとなりました。
ルーン文字によって刻まれた碑文は、このようなわけで、意味が不明確、もしくは文が稀少すぎることが多いにも拘わらず、原始ゲルマン文化、特に古スカンディナヴィア文化・言語研究にとって、大変に貴重な資料となります。
- 古ルーン:(西暦150-750年頃)ルーン文字はもともとは木材に刻まれることを意図して考案されたもののようです。といいますのも、木目で見分けがつきにくくなってしまうような水平方向の線は出きる限り用いられないようになっているからです。ルーンはその刻みつける線が特徴的ですね。垂直線、斜めの枝、先のとがった輪、角度のある鉤、などがその特徴です。古ルーンは24文字あります。
- スウェーデンのルーンの画像サイトへ
- スウェーデンのルーン:スウェーデンでは、約800例の、中世以来のルーン碑文が見られます。そのうちの約80例はラテン語と併記されています。ルーン碑文の多くはヴェステルゴトランド州、スモーランド州、そしてゴトランドかに見られます。一方メーラレン湖周縁(ストックホルム-ウプサラの地域)はヴァイキング時代のルーン碑文の集中している地域ですが、数は比較的少なくなります。ゴトランドにおけるルーン碑文は、多くは墓石とみられる記念石への碑文か中世の教会のしっくいに書かれた彫刻や絵画への碑文が中心です。それ以外の地域のルーン碑文のパターンは様々なヴァリエーションがあります。・・・ルーンの刻まれた遺物は、木、骨、金属のほか切り出された石や漆喰などがあります。
中世スウェーデンの墓石に刻まれたルーンは、ヴァイキング時代後期に建てられた遺石に刻まれたルーンと密接な関係があることがわかっています。ローデネの古い教会墓地から見つかった墓石には、埋葬銘の最も短いパターンが刻まれています。「ラニが、その父ペーテルを記念してこの石を立てさせた」(Vg93,
1100年代)[Vg93は、ルーンの登録番号。地域と登録順番を表す]。中世後期のルーン碑文の基本テクストは、ラテン語定型句
hic
iacet(ここに眠る、横たわる)のスウェーデン語訳となっています。たとえばヴェステルヘイデ教会には「ここにベルク(現ビェルス)出身のファイルヴァルドゥルとその妻が眠る」(G210,
1300年代)という銘が入っています。[エリザベス・スヴェルドストロムからの抄訳]
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ろ
ロキ
>ロキの画像へ;なぜ網を持っているの?>カルチャー・ヒーロー
最も様々な側面を持つ神。と同時に、ゲルマン神話体系の中で最も否定的な側面を持つ神でもあります。
彼は神々の敵の父親です。ミズガルズル蛇、フェンリス狼、そしてヘル。しかし、神々を難局から救うのもまた彼なのです。彼について言及した資料は数多く、また曖昧な点も持っています。まったくもって、彼についての解釈の数ほど、様々な資料があると言って良いでしょう。
スノッリの「詩語法」16章にはつぎのような記述があります。
ロキはどのように言及されるのですか? ファゥルボィティFarbauti[父]とロィヴェイLaufey、あるいはナルNal[母]の息子と呼ばれる。ビーレイストルByleistrとヘルブリンディHelblindiの兄弟、ヴァーナルガンドル、すなわちフェンリル狼の父、またヨルムンガンドル、すなわちミズガルズル蛇の父親。ヘルHel、ナリNari、アリAliの近親者で父親。オゥジンとアィシル(神々)の兄弟、仲間そして同席者。ゲイルロズルの訪問者、ゲイルロズルの小箱の装飾。巨人族からの盗人。山羊とブリシンガメンの盗人。イズンの林檎の盗人。スレイプニルの近親者。シギンの夫。神々の敵。シフの髪の破壊者。災いを創るもの。狡猾なるアゥス。神々の告発者。神々に悪戯を為す者。バルドルの死の策略者。ヘイムダッルルとスカジの敵対者。それはウルヴル・ウッガソン(ウッギの息子)が語るとおりです:
力ある道(=ビフロスト)の有名なる守り手(=ヘイムダッルル)は、優しき相談者であり、ファルボィティの狡猾なる息子とシンガステインにて争い給へり。八人と一人の母親の息子は、心根を強くしつつ、美しきウミシイタケ(=宝石=ブリシンガメン)を最初に手に納めり。私はそれを賛美を持って語ることができる。
1. 資料
- ロキ、シャツィ、イズンの略奪:9世紀のスカゥルド詩人フヴィーニのショゥゾゥルヴルの詩『ホィストロング』がシャツィの神話の中でのロキの役割を記した最初の資料です。そしてスノッリも同じ主題について彼の散文のエッダ(「詩語法」1章)の中で扱っているのです。
より一般的なロキについての言及とは異なり、「ホイストロング」の中でロキは「オゥジンの友達、ホグニの友達、ソゥルの友達」と呼ばれています。シャツィの神話内でのロキの役割は、全般的に言って、他の資料よりもずっと好意的なものです。彼がイズンをシャツィの渡すのは悪意ではなく、彼の短気によるのです。また彼は彼女を取り返すのにも神々にとって役に立ちましたし、またそれに続く挿話でも、スカジを笑わせる道化役として活躍します。
- ロキとアゥスガルズル建立と、スレイプニルの誕生」アゥスガルズルの建立に関するロキの役割も(『ギルヴィの惑わし』52章)とても否定的なものとは呼べません。彼は神々のために計画を立てただけでなく、巨大な牡馬のスヴァジファリの気を逸らすことも、たとえそれが、彼には不名誉なことに、雌馬に変身しなければならなかったとしても、全うしたからです。この結果はスレイプニルの誕生となりました。『巫女の予言』でも、『ヒンドゥラの歌』40節でもこのことを歌っています。
- ロキとソゥル:ソゥルが巨人たちの国々を訪ねたいろいろな旅の記述の中では、ロキについて悪く言うことは一言もありません。それどころか、この笑劇的な物語の中に相応しく、彼は家来のユーモアある役目をきっちりこなしています。
10世紀のアイスランドの詩人ゴゥズルーヌルの息子エイリーヴルによる『ソゥルの賦』という断片的な詩の中では、ソゥルがロキのせいでゲイルロザルガルズルへと赴かねばならなくなった経緯が語られます。ロキによって引き起こされた騒動によって、ソゥルは力の素を奪われてしまいます(「ロキの口論」の一節を思い出すでしょう。そこではロキ自身がソゥルの相手となっています)。
『スリムルの歌』ではソゥルの盗まれたハンマーを取り返すくだりが語られます。そこではソゥルはフレイヤに変装し、ロキはその侍女に化けなければなりませんでした。そうです。そこでもまた、ロキは悪役というよりは神々の助け手となっているのでした。
唯一スノッリだけが(『ギルヴィの惑わし』45章)ウトガルザ・ロキを訪ねる旅を書いています。その中でロキは巨人族の一味ロギと早食い競争で争い、負けています。ソゥル自身もまた酒飲み競争で負けるのですが。また「ヒーミルの歌」37節では、ソゥルの山羊の足をくじいたのはロキだと非難されていますが、次の38節で(スノッリの記述と同様に)それは他の者のせいで、ロキとは関係がない、と彼は弁護されています。
- ロキと神々の宝石:スノッリはその「詩語法」35章の中で多くのケニングを説明し、ロキがシフの髪を切り取った話につなげています。このことの償いのため、ロキは神々の命令に従って、シフのために黄金の髪を手に入れねばならなくなりました。同時にオゥジンには槍グングニルを、フレイルにはスキズブラズニルをも獲得しなければなりません。ドワーフのブロックルはロキと争い、オゥジンのために指輪ドレイプニルを、フレイルのためには猪グッリンボルスティを、ソゥルのためには槌ミョルニルを創り、ロキを負かします。そこでロキは首を刎ねられる代わりに、自分の口を縫い合わされてしまうのです。ロキの毒舌に対する暗喩であるのは確かでしょう。この話の中でも、ロキは二重性格を表しています。というのも、彼の最初の悪意は否めないものの、最終的には神々にとって有益なものを得させているからです。特にこの働きが示すのが、ちょうどロキの刑罰の中でも語られる魚取りの網の場合のように、ロキがもともとはカルチャー・ヒーロー
(culture-hero)
としての明らかな性格を持っていたということです。そして、時の経過というものがあって初めて彼は神々の敵対者としての性格が与えられたと言うことです。
- ロキがブリーシンガメンを盗んだことについて、我々はほとんどなにも分かってはいません。「詩語法」8章において、スノッリはヘイムダッルルとロキがブリーシンガメンを争って戦ったと語り、その中で、彼らはともにアザラシに姿を変えたと言われています。スノッリはウッギの息子ウールヴルの『フース・ドラゥパ(家の賦)』(西暦980年頃)を引用しています。その詩の現存の一節は確かにヘイムダッルルとロキとの戦いを大変に暗い色調で語っていますが、残念ながら、アシカの姿やブリーシンガメンについての言及は残ってはおりません。別のところでは、アイスランドのフラトエイヤル本(14世紀末)の中の『ソルリの話』だけが唯一、ロキがフレイヤの宝石を盗んだことに触れているのですが、ここにはヘイムダッルルの名は見あたりません。『ホィストロング』と同様「詩語法」16章に、ロキはブリーシンガメン或いはブリーシング族の帯(ベルト)の盗人」というケニングが紹介されていますが、このことと、ロキとヘイムダッルルとの戦いとが関係あるかどうかは不明です。なぜなら、もともと彼らはラグナロクの時に相戦うことになっているからです。
- ロキとアンドヴァリとの物語は、神話そのものよりも神話化された英雄詩篇の分野に属する事柄でしょう。「レギンの言葉」1-9節、「詩語法」37章には、オゥジン、ロキ、ハイニルの三神が登場します。この中で神話化されて語られる黄金の宝は、ニーベルングの伝説に関するものです。
- バルドルの死に関する神話の中において、ロキは神々の真の敵として登場します。バルドルの死は盲目の神ホズルによってもたらされたのですが、ロキのそそのかしの結果起こったことだからです。また、バルドルが死の世界から戻るのをじゃましたのもロキです。彼は女巨人の姿で、世界中のものが一斉にそのようにしたにも拘わらず、バルドルのために涙を流すことを拒否したからです。それで、バルドルを返すためにヘルの出した条件が満たされなかったのです。この物語はスノッリによって最も詳細に語られ(『ギルヴィの惑わし』49章)、また『巫女の予言』32-34節と「詩語法」16章でも言及されています。
- ラグナロクにおいて、ロキは神々の側にはいません。『巫女の予言』48節でロキはナグファルという船団の旗艦の舵を取るとされているのです。そして、ヘルに住む自分の産んだ怪物たちを率いて神々に対抗して戦いを起こすのです(『ギルヴィの惑わし』51節)。ロキはヘイムダッルルと戦い、二人は相討ちになります。
- スノッリのエッダ(『ギルヴィの惑わし』34章)ではロキとロキの血筋が紹介されています。見目美しく、しかし狡猾で邪な神ロキは巨人ファゥルボイティの息子です。彼の母はロィフェイ、あるいはナゥルと呼ばれます。彼の兄弟はビレイストゥルとヘルブリンディ。ロキの妻はシギュンという名で、一人息子はナリ或いはナルヴィと呼ばれます。「ロキの口論」の散文の序文では、ヴァリはロキの息子と呼ばれます。女巨人のアングルボザとの間には三人の子供があります。すなわちフェンリス狼、ミズガルズル蛇、そしてヘルです。しかしながら、ロキが父親になったのは人間の子供ばかりではありません。スヴァジルファリを父としてスレイプニルを産んだのです。また「ロキの口論」23、24節、「ヒンドゥラの歌」41節の中では、女性の姿で子供を産んだことが、詳細不明ながらも、非難されています。ロキの家系の詳細は14世紀末のフラトェイヤル本(の「ソルリの物語」2章)の中に記されていますが、それは今述べた事柄と同じであり、恐らくはスノッリに端を発した情報だと思われます。
- スノッリのエッダ(『ギルヴィの惑わし』34章、「詩語法」18章)ではロキはロプトゥルとも呼ばれています。この名は「空気の者」、或いは「光の者」という意味に解釈できます。しかしながらそのどちらもロキを表すには不適切と思われます。ロキのもう一つの名はロゥズルかもしれません。というのも、『巫女の予言』18節の中でハイニルとオゥジンとともにいるのがこの名の神だからです。ちょうどこれは、『ホイストロング』や「詩語法」第1章に現れ、二人とともにいるロキに対応する神です。しかしながら、この解釈の誤りと思われるところは、『巫女の予言』の中に登場するロゥズルの役割はロキの役割としては不適切なところです。二つの名前の語源的なつながりを探ろうとする試みもこれまでのところあまり助けにはなりません。実際ロキの名の語源的な考証は解決していないのです。この名はロプトゥルやロゥズルの省略形である可能性もあります。しかし、同時にラグナロクのロキの役割をほのめかすかのように、古北欧語の
「閉じる」とのつながりもまた同じように否定できないのです。
- ロキの名を、ノルデンドルフで発掘されたフィビュラ(ブローチ)に刻まれた
というルーン文字の名前と結びつけて考えようと言う試みも為されました。しかしながら、ロキについての文献的史料が北ゲルマンの領域に極端に限定されていることから、このつながりはいまだ証明されておりません。
2. ロキの解釈
- ロキには特定の役割はありません。彼を信仰対象としてみたこともありません。同様に彼の名を冠した土地名も知られておりません。結論として、私たちはロキについての資料を上に述べたものだけに頼らなければならず、それ以外の場合はゲルマン以外の類似の行動パターンを持つ神聖な存在からの類推に頼らなければなりません。
- グリム以来、学者たちはロキに役割を与えることに躍起になってきました。そして彼は炎の神と見なされてしまったのです。しかし、これは巨人族の一味であった、炎の人格化であるロギとの名前の類似によって引き起こされた誤った解釈です。ドイツ語のLohe「炎」とロキとにはなんの関係もないのです。
- これまでのところ、いろいろな物語の中に登場するロキの様々な性格をすべて表した解釈はなされてはおりません。ロキは決して単純な悪魔的存在ではありません。ブッゲのいうような、キリスト教的ルシファーではないのです。ギリシャ神話のヘルメスやケルト神話のブリクリュー
Bricriu
との比較さえも、ロキの持つ立場を弱め、彼を単なる神々の悪辣で、愚かでおしゃべりな召使いに貶めてしまいます。また、「ロキの口論」の中で、オゥジンの義兄弟と呼ばれ、彼と近しい位置にいるからと言って、ロキをオゥジンの闇の人格として、第二の自我のようにみなすことも単純化のし過ぎと言えます(フォルケ・ストレム)。カルチャー・ヒーローであり、かつ欺く者としての二重の役割をする古代宗教のトリックスターとみなすド・フリースの方がいささか理がある様に思われます。コーカサスの中央部オッセシアの住民に伝わる神話的人物のシルドンとの共通点の発見にデュメジルは成功しました。たしかにオッセシア人はスキタイ人の子孫であり、したがってインド・ヨーロッパ民族ではありますが、この類縁問題はオープンにしておくべきでしょう。
- ロキの刑罰はコーカサスの巨人アミランとの比較ができ(オーリック説)、またプロメテウスとの類似が見られます。実際、南東地域の考え方が北の地域に埋め込まれた可能性はあります。クロスの反対意見はあるものの、アミランもプロメテウスも共に非常に賢いばかりでなく、反逆者としての性格を持っていることは明らかに共通性を示しています。しかしながら、もっと明らかなことは二人ともにカルチャー・ヒーローとしての役割を持っていると言うことです。
- デュメジル以来の心理学的な解釈は、ロキは「衝動的知性」を表し、すなわち活動そのものや悪い行動への制御できない躍動性を表すというものです。
3. 付記
- 神話そのものの中でのロキの役割の理解には直接的には役立たないとはいえ、民間信仰の中に現れる彼の立場を決定づけることも幾ばくかの興味深いサポートとなることもあります。オルリックとデュメジルの二人の著作には数多くの言及が記されています。特に興味深いのはフェロー諸島のバラッド「ロッカ・ターットゥル(ロッキの物語)」で、その中にはオゥジン、ハイニル、ロキの三人が現れます。アイスランドでは、ロキは様々なイディオムや格言に現れます。たとえば「燃えるロキ」といえば、夏の猛暑のことをさします。ノルウェーでは台所の火との関連で覚えられていて、オーブンの中の火がはぜると「ロキが子供たちのお尻をたたいているぞ」と言い、残り物を火にくべるのは「ロキのために」するのです。
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ロキの刑罰>画像へ
これについては、短い神話的挿話の中で語られています。最も詳細には『ギルヴィの惑わし』50章に書かれ、また「ロキの口論」の中でもその散文の結論部分で短く言及されています。
このことについて暗喩的な言及は「ロキの口論」49節、50節と『巫女の予言』34節に見られます。
『ギルヴィの惑わし』中のバルドルについての神話の終わりに、スノッリはロキはバルドルを殺した後山に逃げ、昼間は鮭に姿を変え、フラナンゲル滝の底に留まっていたと語ります。アゥス(神)たちは、最後にはロキ自身の発明の品である網を使って彼を追いつめ、ソゥルが彼を捕らえるのです。アィシル(神々)は、ロキを穴に押し込め、ロキの息子たち、ヴァリとナルヴィを捕まえます。ヴァリは狼に姿が変わり、ついにはナルヴィを喰い殺します。その腸を使ってロキは三つの石につながれてしまうのです。スカジはロキの頭の上に毒蛇を繋ぎ、その毒はロキの上に垂れ落ちるのです。そこで、ロキの妻のシギンはその毒の下に鉢を持っていき、毒を受け止めるのですが、鉢が一杯になるたびに、それを捨てにシギンがはずしている間、毒がロキの上に垂れてきて、その苦しみのためにロキはもだえ苦しみ、大地は震えるのです。これが人間が地震と呼ぶものなのです。
この神話とプロメテウスの伝説との類似は明らかで、コーカサス地方に特に見られるエルブルスのような「縛られた巨人」の伝説とも酷似しています。
オルリクは、この北欧の伝説の源をコーカサスに求めていますが、デュメジルは、縛めに関して詳細な差異を示してくれました。とはいえ、北欧とギリシャのモチーフの共通性は無視することが出来ないほど大きいのです。なぜなら、縛めそのものを除外しても、プロメテウスとロキの共通性である、カルチャー・ヒーロー
(culture-hero)
という点は見逃せません。ロキの場合、その刑罰の挿話の中でも、彼が漁網の発明者であることが言及せずには済まされないからです。
ノーサンバーランド(英国)のゴスフォース・クロスに描かれた、碑画が、縛られたロキとその妻シギンを表しているのかどうかは不明です。
追記:>ゴスフォースについて<
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