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神話『ブルーポールズ』

【第7巻】-                                                   

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 それからしばらく経って、ウパシーヴァ仙神がやってきた。簡単な挨拶を済ませ、応接間に座ると、ウパシーヴァ仙神は言った。

「おまえがいろいろと悩み、いろいろな者に会って道を探っているということを耳にしたのでな。」

「その通りです。最近、ヴィカルナ聖仙やシヴァ神、クリシュナなどにもお会いしました。」

 ナユタはそう答えたが、ウパシーヴァ仙神はそのことをさらに聞こうとはせず、次のように言った。

「たしかに、この宇宙の根幹に関わっている者たちに会い、教えを請うことは尊いことだ。だが、今日は別の話をしようと思ってな。」

「別のこと?」

「そうだ。それは宇宙は膨大な時間の中にあるということだ。たしかに、我々の世界は長大な過去の時間の上に立っている。気の遠くなるような過去の長大な時間の末に我らの今がある。それが何を意味するか分かるか?」

 ナユタが黙ってウパシーヴァ仙神の答えを待つと、仙神は続けて言った。

「それは、今の後にも、膨大な時間があるということだ。我らは日々を生き、一年一年を生きているが、これから先の時間は、そんな単位では計れない膨大なものだ。それは何十年、何百年でもなく、何百万年、何十億年、何兆年という規模だ。そんな明日の世界を考えたことはあるか。」

 ちょっと戸惑いつつ、ナユタは答えた。

「考えたことがないわけではありませんが、あまりにも途方もなさ過ぎて、正直、想像がつきません。しかし、ウパシーヴァ様は、かつて、歴史には必然がある。それゆえ、未来のことも見通せると言われ、はるか昔のルガルバンダの時代に、既に科学技術の進展によって、世界が大きく変わることを予見されていました。ウパシーヴァ様の目には未来が見えているのでしょうか。もし、そうであるなら、ぜひ、聞かせて欲しいのですが。」

「すべてが分かるわけではないがな。今日はそのことを話しに来たのではないが、時間はたっぷりある。まず、そのことを話すとしようか。今日、話に来たことはその後に話すとしよう。」

 ウパシーヴァ仙神はそう言って笑うと、さらに続けた。

「まず近未来のことだが、それならある程度は分かる。それは現在の科学技術の進展が行き着くところまで行き着くだろうということだ。ロボットはもっと進化し、すべてがもっと便利になるだろう。実際、ロボットは無限に近い可能性を秘めておるからな。」

「ロボットについては、かつて、ビハールでトゥクール教授からいろいろ教えてもらいました。ロボットの進化によってどんなことが起こるのでしょうか。トゥクール教授はロボットに意思を持たせるようにはならないと言っていましたが。」

「いや、ロボットは意思を持つようになるだろう。」

 えっという驚きの表情でナユタがウパシーヴァ仙神を見つめると、ウパシーヴァ仙神は有機パッドに写真を出した。かわいらしい女の子がウパシーヴァ仙神と一緒に写っていた。

「この子は?」

「ロボットじゃよ。しかも、意思を持ったな。」

「意思をもったロボットがもういるのですか?」

「ああ。まだ、研究サンプルで、世界に五体しかないそうだがな。まず、言えることは、ロボットに意思を持たせることは技術的には可能になってきているということだ。ただ、ロボットに意思を持たせることが何を引き起こすかという視点で考えたとき、さまざまなことが懸念される。だから、政府はそれを禁じ続けてきた。だが、問題は、ロボットに意思を持たせてみたいと考える者たちがいるということだ。」

「かつての人間の世界であれば、そんなことをやってみたいという人間が、場合によっては規則を破ったり、法の網をかいくぐってでも意思を持つロボットを作り出したでしょう。そして、その動きが大きな流れになれば、誰も止められなくなる。それが、創造を停止して一つの大きな理由でもあったとドレッシェルから聞きました。」

「その通りだ。だが、この神々の世界は、人間たちの世界よりもよほど徳と良心が行き届いている。とは言っても、所詮は限界がある。ロボット学者を中心に、ロボットに意思を持たせてみたいという欲求は拡大し、ついに、政府も限定的ながらそれを認めることにしたというわけじゃ。」

「なぜ、政府は認めたのでしょう。認めざるを得ない理由とは何だったのでしょうか?」

「ロボット学者がメリットを強調したからじゃよ。実際、意思を持たなければ、どこまで行っても従の存在でしかない。言われた通りのことしかできない。だが、ロボットに思考力を与えることによって、より神の望む行動がとれるようになる。思考力や判断力がなければ、ほんとうの心の交流が生まれるわけでもない。性の相手をするロボットにしても、単なる性器の結合としての満足なら十分に与えることができるかもしれぬが、心の交流も伴った真の満足となると不十分だ。例えば、おまえのところのアミティスはとてもすてきなロボットだが、彼女が自分の意思を持った存在となれば、それはそれで楽しいとは思わんかね。」

 この質問に、ナユタはうーんと考え込んだ。だが、ウパシーヴァ仙神は返事を待たずに続けた。

「アミティスのことは返事をしなくて良い。だが、いずれにしても、ロボットに意思を持たせることは、我々の世界をより豊かにするキー技術だと主張するロボット学者は年々増えておる。それで、政府の中にも、同調する者が増え、結局、シュリーもヴィダールも認めざるを得なかったんだろう。だが、危険も感じるため、とりあえず五体だけが試作され、現在、この世界のどこかにいる。そのうちのひとりが、この子じゃよ。実は、ウダヤ技術院から、この子を預かってくれんかと頼まれてな。一日だけ預かったが、この子は返した。いかに、実験で、サンプルとはいえ、この子自身にとっては、この子自身の生があるわけだから、わしには重くてな。」

「それでこの子は今は?」

「実は、わしも教えられていない。誰かが育てているのじゃろう。」

「この子は成長するのですか?」

「ああ、まだ子供だからな。今の技術でいえば、がわを取り替えてメモリを移せば済むわけだから、別に難しいわけではない。」

「では、今後、このようなロボットが出てくるのでしょうか。」

「おそらくな。わしはそう思っておる。それが歴史の必然でもある。可能性のあるものは、必ず具現化する。可能性を押し殺すことは誰にもできない。押さえつけようとしても、必ず、芽が出てくるものだ。そもそも価値観というものは時と共に変転してゆくものだ。これまでの価値観、倫理観ではロボットに意思を持たせるなど天が許すはずがないといった感覚だったろうが、それはこれまでの価値観、自分たちが創出した価値観でしかない。だから、過去の価値観に縛られてものを考えていては所詮限界に突き当たる。新しい動きに則ってものを見ることが必要だろうな。」

「そうすると、将来はどうなるのでしょうか。」

「おそらく、ロボットと神々とが共存する世界になるだろう。だが、問題はロボットにどんな根源的な心を植え付けるかだ。今はまだ問題ない。だが、ロボットがほんとうに何をしたいとか、何でなければ嫌だといった自らの欲求や希望を持つようになったとき、どうなるかだ。ロボットは受け身の存在ではなくなり、限りなく、我々と対等の存在、まさに、対等な生きた存在になるだろう。そのうち、研究をするロボットも出てこようし、そんな研究ロボットが次に生まれてくるロボットにどんな心を植え付けるかもポイントになるだろう。少なくとも、我々とは異なる心や価値観が生み出される可能性も十分あるからな。」

「そうすると、この世界は将来どうなるのでしょうか。」

「まず、言わねばならんが、今言ったのはせいぜい、数百年のレベルの話だ。この世界の自然を完璧に制御することも可能になろうし、我々の心を制御する技術も途方もなく進歩するだろう。だが、それらはせいぜい百年、あるいは数百年、せいぜい数千年の話だ。だが、時間はその先もさらに続く。数万年、数千万年、数百億年、数十兆年という時間がな。それが今日の本題だがな。」

「そんな時間単位で考えたとき、この世界にはどんなことが起こるのでしょう。この世界はどうなると思われますか?」

「いくつかの可能性があるであろうな。一つは、今の延長として、延々と平穏で平板な時間が過ぎ、その中で神々が安逸な生活をただ享受するという世界だ。これはおおいにありそうに思える。なんと言っても、神々は自分の心を満足させることを求めておるからな。」

「以前、ウパシーヴァ様は進歩の終焉ということをおっしゃり、ビハールのドレッシェル教授もその点を深く研究していました。今おっしゃったことが、真の意味での進歩の終焉となるのでしょうか。」

「その通りだ。現在、進歩はたしかに緩やかになってきておると思うが、まだまだ伸びしろはある。だから、ゆっくりになったとしても、進歩は続くだろう。だが、そのうち、それ以上の技術の進歩をしても、神々の生活や心の満足にほとんど寄与しないという時点に到達するだろう。そうなれば、進歩のしようがない。まだ、もう少し先のことだがな。」

「なるほど。そうすると、技術が進展して、神々が完璧とも言える満足を得られるようになり、それに伴って進歩が止まり、平板な時間の中で神々が完全な安逸の中に生きるようになるということでしょうか。」

「そうだ。ただ、かつての人間もそうだったが、神々も心に刺激がなくては真の心の満足には至らない。もちろん、心理工学の進歩によって、刺激がなくても満足できるという時代が来る可能性もないではないが、わしはそうはならないと思う。神々は依然として刺激を必要とし、その刺激を科学技術が提供することになると思う。仮想の冒険、仮想の戦い、そんなものが神々を興奮させ、そういったものどもの刺激の中で神々が平穏に、満足して日々を送る。そんな時代が来るのではないだろうか。」

「なるほど。」

「ただ、それは、そういった世界に満足しない神がいなくなることを意味するわけではない。前にも言ったかもしれぬが、なぜ、この宇宙が存在するのか、存在する前はどうなっていたのか、そして、いつまで存在するのか、そういった根源的なことは解き明かされていない中で、根源的な問いを捨てない神が必ずいるとわしは信じておる。おまえとかな。」

「それでどうなるのでしょう。」

 ナユタはそう問いかけたが、ウパシーヴァ仙神は

「さあな。」

と答えただけだった。

「前にも言ったかもしれぬが、宇宙創成の謎が解けるかどうかは分からぬし、我らは、結局のところ、この時間の束縛の中で、この世界、この宇宙、この存在という束縛の中で存在しているに過ぎないということだ。」

「宇宙の謎は解けないのでしょうか。」

「解けないだろうな。ヴィシュヌ神かシヴァ神が何かその真の秘密を語るなら、一気にすべてが明るみに出るかもしれぬが、神々がその秘密を語ることはあるまいからな。」

「シヴァ神は、ヴィシュヌ神の存在自体が、ヴィシュヌ神自身の夢に過ぎない、と言われました。」

 この言葉に微笑むとウパシーヴァ仙神は言った。

「わしは今日、おまえに何かを伝えるために来たのでもなければ、何かを教え諭すために来たのでもない。ただ、未来の時間に思いを馳せるのも時には良いのではないかと言いたかっただけだ。何の結論もない。ただ、それだけじゃよ。今日は帰るとするか。」

 そう言うと、ウパシーヴァ仙神は立ち上がったが、付け加えて言った。

「今度、ヴィシュヴァカルマンに来るように言っておくよ。」

「えっ?ヴィシュヴァカルマン様ですか?」

「ああ、前にも一度おまえを訪ねたことがあったと言っておったが、また、ヴィシュヴァカルマンの教えを請うのも良いのではないかな。」

「それは、来ていただけるなら、ありがたい限りですが、ウパシーヴァ様はヴィシュヴァカルマン様とやりとりなさっているのですか?いったい、ヴィシュヴァカルマン様がどこにおられるのか、私はまるで知りもしないのですが。」

 この言葉に、ウパシーヴァ仙神は、大きく笑った。

「なんということはない。我らは森の神だからな。ともかく、近いうちに来るように言っておくよ。」

 そう言うと、ウパシーヴァ仙神は、

「また来るよ。」

と言って、あっさり車に乗り込んで帰って行った。

 

 その数日後、ヴィシュヴァカルマンがやってきた。

「今日は、ウパシーヴァに頼まれたのでな。アシュタカといい、ウパシーヴァといい、みな、おまえのことを気に掛けておるな。」

 そう言って笑うヴィシュヴァカルマンにナユタは恐縮して答えた。

「ありがたい話と思っております。ただ、私があまりに未熟なばかりにご心配をおかけしているのかと思います。」

「まあ、それはそうだな。この前、ここを訪ねたとき、わしは、真理は単純だ、と教え授けた。その真理をあるがままに見るだけだとも教え授けた。だが、おまえは、その真理の中でどう生きれば良いのかと思い悩んでいる。また、わしは、世界の構造の秘密は知ることができない、とも教え授けた。だが、おまえは、その秘密を知りたいと、ナタラーヤやヴィカルナやさらにはシヴァにも問いかけたそうだな。」

「恐れ入ります。」

「まあ、いい。それで、答えは得られたか?」

「いえ、そういう意味では、何も得られておりません。」

 恐縮したナユタのこの返事を聞くと、ヴィシュヴァカルマンは大きく笑った。

「まあ、そうだろうな。得られようのないものはいかに求めたとて、求め得ることはできぬかなら。だが、おまえは世界の構造の秘密を垣間見たはずだ。ヴィシュヌやシヴァがこの宇宙の起源にどのように関わり、この世界の根源とどのように関わっているか。それをおまえは覗き見た。」

「はい。宇宙は実に巨大な時間と巨大な空間を有しており、私たちが知っているのとは別の世界が実に無数にこの宇宙の中に存在していることを知りました。」

「そうだな。途方もない時間と途方もない空間の広がりの中に我らは浮かんでいるに過ぎない。そんな巨大な世界の渦を思い描いてみることだ。」

「宇宙の創成にも関わられたというヴィシュヴァカルマン様はこの宇宙の構造をご存じなのでしょうか?」

 ヴィシュヴァカルマンは笑った。

「いや、知らぬ。わしが知っているのは、ただ、自分は知らないということを知っているだけだ。」

「シヴァ神は、私たちが住んでいるような世界は実に無数にあると言いました。」

「それはその通りだ。この世界の内側のことだからな。」

「シヴァ神の言葉に基づくなら、当然、この世界には別の生き方をしている者たちがいるということですね。私たちのような存在者、あるいは、私とはまったく異なる存在者がいる世界がいるということですね。」

「そうだ。そんな空間の涯て、時間の涯てに心を開くことだ。」

「そういった意味でひとつおうかがいしたいのですが、この私たちの世界の遠い将来はどんなことになるのでしょうか。」

「遠い将来か。まあ、技術はさらに進歩し、神々の心もそれに連れて変わってゆくだろう。だが、我らがこの世界に閉じ込められており、その世界の真の構造を理解できないということはいつまで経っても同じだろう。いかなる科学によっても、存在に関する真の秘密は解き明かされないだろう。この世界の最大の謎は、なぜ世界が存在するかということだ。それはわしにも、そして、ヴィシュヌやシヴァにも分からぬし、およそいかなる者によっても解かれることはない。ヴィシュヌやシヴァは宇宙の創成や破壊に携わっているかもしれぬが、ヴィシュヌやシヴァがなぜ存在するのか、それは決して解き明かされることはないだろう。」

「そのような中で私たちは生まれてきました。」

「だが、そういった意味では、実に、ヴィシュヌやシヴァですら、その時空の中に浮かんでいる塵のごとき存在でしかない。」

「だとすれば、真理が世界に輝く日は来ないということでしょうか。」

「そうだな。だが、それは何ら悲しむべきことでもない。賢者は淡々としておろう。それに、おまえはクリシュナにも会った。クリシュナはヴィシュヌの化身として、この世界の中を軽やかに飛び回る。それも世界の秘密の一つに他ならない。そして、おまえはユビュを抱いたろう。」

 この最後の言葉に、ナユタは顔を赤らめ、言葉を失ったが、ヴィシュヴァカルマンは屈託がなかった。

「それで良いのではないかな?それもこの世界の根源に合致しおるのではないかな?」

 ナユタは恐る恐る言葉を返した。

「それが、この世界をどう生きれば良いかということと結びついているのでしょうか?」

「そうだ。我らは、すべて、世界の内に閉じ込められている存在でしかない。もっと言えば、ヴィシュヌやシヴァにしても同じだ。彼らだとて、真の自由は手にしておらず、この世界に縛り付けられた存在でしかない。それが、この世界の秘密であり、我らすべてが、この世界という囲われた世界の中の囚人に過ぎないということだ。」

 それはたしかにそうかもしれなかった。そして、それがすべてなのかもしれなかった。そんなナユタの心の内を見透かすようにヴィシュヴァカルマンは言った。

「以前、真理は単純だとわしは言った。ただ、どう生きれば良いかというおまえの問いに対してはわしは何も答えなかった。だが、答えがないわけではない。ただ、答えがあるとすれば、それは、無為とか空とかいう言葉でしか語れないということだ。まさに、パキゼーの法に結びつくだけということであろうな。ただ、同時にこの世界は多様でもある。そのことも理解すると良いだろう。パキゼーの法に帰依し、空を生きておるユビュにしても、おまえを受け入れたのだからな。」

 ナユタはただ考え込んだ。ヴィシュヴァカルマンはちょっと表情を緩めて続けた。

「創造された世界の人間たちは常に喧噪に取り込まれ、殺伐とした世界の中で欲望を沸騰させて生きてきた。心ある者は、人々は本来的なものを見失っている、本来的なものが見失われていると言った。そして、そのことは神々もまた然りだ。だが、その言葉は正しくない。なぜなら、本来的なものなどこの宇宙の中のどこにも存在しないからだ。だから、正しくはこう言うべきなのだ。世界に本来的なものなどどこにもなく、人々も神々もつまらないものに踊らされて生きてきたに過ぎない、とな。」

 そう語ると、ヴィシュヴァカルマンは飄然として立ち上がった。

「今日は、これ以上はないな。また、機会があれば、会うとしよう。」

 そう言うと、ヴィシュヴァカルマンは帰って行き、前回同様、玄関を出て数歩歩くと、忽然と消えたのだった。

 ひとり残されたナユタの心では、石たちの声が凍てつき、埃っぽい砂の荒野が空虚な時間の上に覆いかぶさっていた。風たちが駆け抜け、空の星たちはひゅうひゅうと流れていた。

 この世界の創造者が打ち込んだ楔は今なお存在そのものを大地にくぎ付けにし、存在者たちが打ち壊した夢たちは破片となって散らばっている。

 どこかから微笑みかけてくるる小さなつぶやき、そして、広大な大気の中で光を発するたったひとつの真音の響き。その音を探し求める求道者たちの列がこの荒野に延々と続き、何ものでもないものたちのつぶやきを拾い集める者たちが、黙々と、そして、うつむいて歩いている。

 光は空からは降り注いでこない。真理はこの地上のどこにもなく、ただ空無の中に霧散している。そして、錯綜した線の領域に、混沌とした色の領域に、世界の深奥への道が、けれど、狂気への道が続いている。

 だから、音を求め、形を求め、けれど、空虚な存在の抜け殻となったこの大地の上でただ求道者たちとともに舞い踊るのだ。この地上には一切があり、そして、何もない。ただ、無へと通ずる微笑みが、顔を歪めた者たちを通り越して時間の断点を照らしているだけなのだ。

 

 それからしばらく経って、しんしんと降りしきる雪の中を突然バラドゥーラ仙神が車に乗って訪ねてきた。

「ヴィシュヴァカルマンが一度おまえを訪ねてくれと言うんで、来たんじゃ。あまりの雪なので、歩いてくるのはやめて車を呼んだがな。」

「ヴィシュヴァカルマン様がですか?」

 そう言って驚くナユタにバラドゥーラは言った。

「ああ、おまえのことを気に掛けておったぞ。」

「森の仙神の方々はみな繋がっておられるのですね。」

「ああ、わしらは森の神だからな。」

 仙神はそう言って笑った。ナユタが部屋に案内すると、バラドゥーラ仙神はさっそく切り出した。

「ヴィシュヴァカルマンは、おまえに賢者の知恵を一つ教えてやってくれ、と言っておった。」

「賢者の知恵ですか。」

「ああ。ヴィシュヴァカルマンはおまえに、こう問いかけてみろと言っておった。未来は輝いておるか?とな。」

「未来は輝いているか、ですか。」

「ああ、そうだ。ヴィシュヴァカルマンが授けてやって欲しいと言っておった賢者の知恵というのは、『今より輝いている時はもうない。』というものだ。」

「今より輝いている時はもうない。」

 鸚鵡返しにそうつぶやき少し考え込んだナユタにバラドゥーラ仙神は言った。

「おまえにとっても、かつては、未来は輝いておったのではないかな?わしにとってもそうだ。前にも話をしたと思うが、ヴィクートと供に武術を習っていた頃など、ほんとうに未来は輝いて見え、世界は輝いていたものだ。素晴らしい未来がやってくる、そんな未来を切り開くことができる、そんな予感が心の底に輝いていたものだ。若かったからな。だが、今はそんな思いはもう持っていない。今あるのは、まさに、ヴィシュヴァカルマンがおまえに授けて欲しいと言った知恵の通り、『今より輝いている時はもうない。』というものだ。実際、わしはそんな思いで生きておる。」

 たしかにその通りかもしれなかった。美しい光景、感動的なことども、素晴らしい音などは存在したが、でも、それらも真に輝いているわけではなかった。それらが美しいと思えるのは、結局、幻影に包まれた生き方、幻影に依拠した生き方をしているからなのだ。

 バラドゥーラ仙神が続けて言った。

「幻影を見て生きていれば、世界は輝いて見えるかもしれないし、心に生き生きとした活力をもって生きることができるかもしれない。そして、今、世界がいくらかなりとも輝いているなら、それは幻影をなお見ているからでしかない。だがな、別に言い方をするなら、幻影に依拠した生き方を否定するなら、輝いているものは何も残らないということだ。だからわしも、久しく前から、『今より輝いている時はもうない。』ということを心に刻んで生きておる。」

 バラドゥーラ仙神が語ろうとしたことはよく理解できた。その通りかもしれなかった。また、バラドゥーラ仙神がいつもナユタのことを考えてくれているのもありがたいことだった。だが、ナユタは敢えて言った。

「私はこの世界に生を受け、その時間、その時間をひたすらに生きてきた気がします。それは輝いていたかもしれません。でも、今、自分の生きてきた軌跡を振り替えるとき、生まれてきて、生きてきて、それで分かったことは、生きてゆくことそれ自身にも、そして生きてゆくことの中にも、結局、何も真なるものはないということでした。輝いているものはあるかもしれない。でも、それも結局はただの空でしかなく、空の中に瓦解すべきものでしかなかった。」

 この言葉を聞くと、バラドゥーラ仙神は慈愛に満ちた笑顔を浮かべて言った。

「だが、結局、この世界に生きてみることなしには、この世界のことも真理のことも分からない。世界がどうなっているのか、生きることの意味がどこにあるかも分からない。」

「そうですね。そして、世の神々も人間もこの世界の中で生きることの中で意味を見出し、意味を創り出そうとしている。でも、私がこの世界に生きて学び、理解したことは、一切は空ということだけでした。」

「そうだな。実際、その空の世界で、世の神々は、ゲームに興じたように必死に目の前の時間を生きている。創造された世界での人間たちもそうであったがな。まるで、この世界、この世界に生きることの中にあたかも真なるものがあるかのようにな。しかし、本当は、未知なるものがこの世界を創り、その真の姿は誰にも見えない。」

 その言葉はナユタの心の内に疼く

「自分は天から見捨てられ、ただ大地に這いつくばっている。」

と想いと合致した。結局、ただ、必死に駆けてきたが、本当には、何ものもそれを嘉していないのだ。

 バラドゥーラは改めて言った。

「この大地にあるもので、この世界の絶対のものから認められるもの、決して揺らぐことなく素晴らしいと言えるもの。そんなものは存在しない。それが真実だ。」

「その洞見はまさにパキゼーが見出したものと合致しています。」

「そうだ。その通りだ。パキゼーの見出した真理以上の真理は存在しないし、見出し得ないだろう。」

「でも、それは私の心に何の喜びももたらさず、心に生ずるのは悲しみだけでした。きっとシュルツェもそんな気持ちだったのではないかと思います。」

「その通りだ。だから、わしはおまえが放っておけんのじゃよ。だが、シュルツェはそんな思いだったからこそ、あれだけの作品を描けた。心に裂け目を持たず、切れ目の入っていない世界を思い描ける者には、いかなる真の偉大な作品も生み出し得ないだろう。おまえの音を聞くと、わしにはシュルツェの絵画から流れ出てくるような音に思えてな。」

 そう語ると、バラドゥーラ仙神は立ち上がり、 

「外へ出てみんか。」

とナユタを誘った。

「外へですか?」

「ああ、ソーマ酒を持ってきたんで、雪の中で飲まんか。」

 ナユタはちょっと驚いたが、言われたとおりにした。アミティスが東屋にグラスなどを用意してくれた。東屋に座ると、バラドゥーラ仙神はもってきたソーマ酒をグラスに注いだ。

「ソーマ酒も昔に比べるとはるかにうまくなったな。わしの金も山のように貯まっているようなので、最高級のソーマ酒を手に入れてな。」

 そのソーマ酒を口に入れると、不思議な爽快感が広がった。ちょっと辛口だが、まろやかな甘さが潜んでいて、心地よい余韻の残る酒だった。

 回りには、ただ雪がしんしんと降り続いていた。降りしきる雪のために、遠くはまるで見えず、見えるのは、落ちてくる雪ばかりだった。静かな時間だった。ナユタもバラドゥーラ仙神も何も言葉を発せず、ただ黙って雪を見つめ続けた。時間だけが静かに過ぎていった。

 バラドゥーラ仙神がぽつんと言った。

「前にも言ったことがあると思うが、この世界の存在というものは極められてはおらん。そして、我らは、ただ偶然によってこの世界の内に存在させられているに過ぎない。」

 ちょっと間を置いて、仙神は続けて言った。

「世界は神秘の光を孕み、未知なるものに充ち満ちている。それは我らの心を沸き立たせ、何かに誘ってくれる。だが、そのすべてが真理の前では色褪せざるを得ない。」

「その通りだと思います。その私たちの心を惹きつけ、沸き立たせるものは美しく感じられはしますが、結局、本質的にはただの瓦礫に等しいものに過ぎないということをつくづく感じます。」

 そう言ってナユタはソーマ酒をまた一口飲み、続けて言った。

「私たちは何のために生まれてきたのか。このような世界を見るために生きてきたのか、と思うことがよくあります。この世界を生きてみて、分かったことは、この世界の内に真なるものはなにもないということだけでした。」

「その通りだな。それ以上でもそれ以下でもないということだ。」

「それにしても、バラドゥーラ様は、いったいいつから、その真実を理解しておられたのですか?」

 バラドウーラ仙神はうっすら笑顔を浮かべて答えた。

「わしか?森に来る前じゃよ。まさにその真理を理解して、それで森にやってきたんじゃ。」

「そうですか。でも、初めてお会いしたとき、その真理は語らず、むしろ、私がルガルバンダとの戦いに進むべく後押ししてくださいました。」

「そうだったな。まあ、わしは、聖神君子ではないからな。おまえを見て放っておけなかったんじゃ。それにな。結局は、その真理を知るためには、自分の道を生き、体験してみることなくその真理に行き着くということはないとも思えるしな。」

「しかし、私は、なんとなくはその真理を理解しているつもりではありますが、ほんとうに理解しているかどうか。」

「そうだな。だが、それで良いんじゃよ。それもおまえの道。その道を歩いてみることだ、という以上のことを誰が言えようかな。」

 沈黙が続いた。雪だけがしんしんと降り続いていた。バラドゥーラ仙神が口を開き、ぽつりと言った。

 「世界の謎が解ける日が来るのかどうか。だが、そうであっても、そうでなくともかまわないがな。」

 そう言うと、さらに仙神は一つの詩句を口にした。

「カオスの中から浮かび上がってくる真理の断片。」

 その言葉は、ナユタの心に届き、振動し続けた。その言葉の響きがこの雪の世界と共鳴し続けた。

 ただ、静かに雪が降り積もるだけの平板な時間。でも、そこからは、新しい音が浮かび上がってこようとしているようだった。その音も結局は瓦礫に等しい存在に過ぎないとしても、未知なるものへの眼差しから、その音がひとりで生まれ出てこようとするのだ。

 バラドゥーラ仙神が帰った後も、ナユタの中では、新しい音が鳴り続ける時間が静かに過ぎていった。

 そして、ナユタの心に突き当たることが一つあった。それは、

「もはやブルーポールは不要だ。」

という思いだった。

 思えば、ブルーポールは常に世界に光を与え、世界に新しい道を切り開いてきた。最初はただヴァーサヴァの創造を守るための聖なるポールであり、また、戦いの場での聖なる神器であったかもしれないが、その後ブルーポールは、この世界の中でなすべきもの、この世界の中での正しい道を指し示すものともなった。

 だが、今なおブルーポールが指し示すべき新たな道がどこにあったろうか。あるのはただ、「カオスの中から浮かび上がってくる真理の断片。」

だけだった。

 道はまだ続いているかもしれなかったが、それはもはやブルーポールが指し示す道ではなかった。

 そして、また、さまざまな神に教えを請うたが、誰ひとり、ナユタの心を納得させ、満たす答えを出した神はいなかった。どう生きれば良いのか、世界はどうなっているのか、それに答えた神はいなかった。

 だが、そのように考えるのも、結局、自分の心が囚われているからに過ぎないということも同時に認識しなければならなかった。ナユタが教えを請うた優れた神々は、皆、心の囚われを解き、悟りの境地にあるのだ。それが真実だった。

 ナユタはブルーポールを取り出し、ベランダに出た。雪は相変らずしんしんと降り積もり続けていた。

 ナユタはブルーポールを両手で支えると、天に向かって捧げた。

 すると、ブルーポールは強くはないが美しい青い発光を放ち、静かにナユタの手から浮かび上がった。ブルーポールはさらに浮かび上がり、回りの木の高さほどに達したが、次の瞬間、ひときわ明るい一条の青い光を放ったかと思うと、一瞬にして灰燼と化し、雪と供に舞い落ちたのだった。

 言い伝えによると、その日、ユビュとシュリーのブルーポールも灰燼に帰したという。

 

 こうして、ブルーポールは帰滅した。

 

 これをもってこの物語は終わる。

 だが、宇宙も時間も終わったわけではない。これから先、さらなる膨大な時間が待っている。百年、千年、そして何万年、何百億年という時間が待っている。世界は幾多の変遷を経るのだろうが、その膨大な時間の中で何が起こるのか、それは今の時間に立っている我々には想像も難しい。そして、その途方もない時間の先には、シヴァによる世界の破壊とヴィシュヌによる再生が待っているのだろう。その時には、ナユタをはじめとするこの世界の内のすべての存在者たちがみな滅し、この物語自身も灰となるだろう。そして、次のヴィシュヌが次の世界を夢見る。それがこの世界なのだ。

 この物語はそのすべてを語ることはできない。だから、この物語はここで終わる。ナユタの時間はなお残っているが、この物語はここで終わる。ブルーポールの帰滅をもって、この物語を終わるのだ。

 

 私たちは空を生きているに過ぎない。

 求道者たちのまなざしが、この物語に注がれんことを。

 

 

 この物語を、人間の被造物たる神に捧ぐ。

 

2021227日掲載)


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向殿充浩 / 神話『ブルーポールズ』第7巻