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神話『ブルーポールズ』

【第6巻】-

向殿充浩

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 さて、シュリーとヴィダールは、ナユタがビハールに来たことに対してどう対応するかについては、明確な指針を持っていなかった。もはやナユタに世界を動かす力などないと判断していたシュリーとヴィダールは、特にナユタと関わる必要性を感じてはいなかったが、そうは言ってもルガルバンダを打ち倒し、現代世界を創り出したヒーローでもある著名なナユタがビハールに来ているというのに無視して良いのかという疑問もあった。また、ナユタが来ていることを活用できないかという思惑もあった。

 そんな中、具体的にナユタとの会談を進言したのは、法務省長官に就任していたライリーと長らく財務省長官の職にあるシャンターヤだった。

 ライリーは、シュリーと供にビハールに出てきた後、シュリーの警護を取り持つ近衛兵団長を務め、さらにヴィダールが丞相に就任してからは、公安局長官、安全保障省長官などを歴任していた。そして、創造の停止に際しては積極的に停止を進言し、創造停止後には法務省長官を務めていた。ライリーの堅実で筋を通す仕事ぶりとシュリーへの忠誠、さらにはその誠実な姿勢には政府内外から大きな信頼が寄せられていた。

 ライリーは、今回、ナユタがビハールに出てくるに際しても、財務省長官のシャンターヤの協力を取り付け、シャンターヤはイルシュマと連携してナユタの宿泊場所として高級高層マンションを手配し、サポートを怠らなかったのだった。

 ライリーは、シャンターヤと供にシュリーとヴィダールの前に進み出ると、進言して言った。

「かつてのヴァーサヴァ神の創造以来、シュリー様とナユタとの間に軋轢が生じたままとなっておりますが、これで良いものかどうか。そもそも、シュリー様とナユタとは一度として戦火を交えたことはありません。そして、前回の創造に際しても、意見の相違から相互不信が生じたかもしれませんが、その創造も既に停止され、過去のものとなりました。今回、ナユタは都に出てきて政府の準備したものを素直に受け入れており、決してシュリー様との間にいさかいを起こしたいわけではありますまい。今回、改めてナユタとの会談の場を設け、かつての軋轢を修復する機会とすべきかと考えます。」

 この提案に、ヴィダールは即座に賛成した。シュリーの同意も確認すると、ライリーはさっそくナユタとの会談を設定した。

 ナユタ自身は必ずしもシュリーとヴィダールを訪問することに気乗りはしなかったが、住まいや大学での活動などで政府側から多大なサポートを受けていることもあり、面談を断る理由は見当たらなかった。

 

 ナユタが宮殿にシュリーを訪問すると、型通りの挨拶の後、ヴィダールが現在の世界について説明して言った。

「創造を停止して以来、世界はより安定し、繁栄したものとなりました。ある意味では、ナユタ殿に提案いただいた創造の停止を実行したことが今の繁栄の元になっていると言って良いと思います。そして、今、神々はいがみ合ったり、争ったりするのではなく、まさに宇宙憲章に謳われている通り、『すべての神々はみな他の神々のために存在し、働いている。』のです。そして今ではすべての神々が幸せなのです。」

 シュリーも満足げにうなずいた。それに対して、ナユタは次のように語った。

「たしかに、さまざまな諍いが止み、すべての神々が幸せになっているとすれば、それ自身、良いことかもしれない。ただ、私は次の二つのことを言いたいと思っている。一つは、たしかに、幸せであることは不幸であることよりは良いかもしれないが、では、幸せであれば、それで良いのかという点だ。我々が存在し生きている意味は、ただ幸せであれば良いと言えるものかどうか。何のために生きているのかという根源的な問題を忘れ、ただ日々の享楽に耽り、物質的に満たされ、楽しく暮らせるからそれで良いと言えるのかどうか。神々が自分たち自身の在り方を考え直し、見つめなおす必要はないのか、という点だ。そして、もう一つの点は森の神々のことだ。森の神々は、世俗を離れ、清貧の内に生きてきたし、今もなお基本的にはそうしている。これに対して、世俗の世界は森に押し寄せ、森の神々の生活を脅かしている。この二点が、神々が幸せだからそれで良いという貴神の考え方に対して、私が提起したい問題だ。」

 シュリーはこの言葉にちょっと渋い顔をした。

「相変わらずだな。」

という不愉快そうな表情がちらりと浮かんだ。

 しかし、ヴィダールはそんなナユタの言葉にさらさら動揺したりはしなかった。ヴィダールは微笑を浮かべて答えた。

「ナユタ殿、この世界のことについて真摯なご提言をいただき、まことにありがとうございます。ただ、まずは世の神々の動きは、我々とて自由に制御できるものでないことを申し上げねばなりますまい。我々は専制君主として、神々を奴隷のように制御しているわけではありません。神々がどうするかは神々の自由。我々がそのあり方をダメとか、直せとか言えるものでもない。何といっても、宇宙憲章に述べられている通り、神々の権利、自由が保障されています。また、ナユタ殿が申された二つ目の点、すなわち森に関することについては、確かに考えさせられるものもないではないが、それもやはり、神々一般にこそ、申されるべき事項でありましょう。政府に対して要求されるべき事項ではないように思います。」

 ライリーもにこやかな表情で、冷静に付け加えて言った。

「森のことについて言えば、政府は森の神々を保護する方向で政策を進めています。もし、政府が適切な対応をしなければ、世間の神々は自分勝手に森に進出し、その結果、森はあっというまに破壊されてしまったかもしれません。それに対して、政府は世間の神々に節度を要求し、さらに、森の神々にはさまざまな保護を与えています。奥地に移るための費用も用意していますし、森の神々にもある一定の生活レベルを保証する法律を整備してきました。」

 ヴィダールが再び言った。

「ナユタ殿が申された第一の点に戻りますが、それは神々の在り方に関するより本質的な問題かもしれませんが、政府としては、以前より、平和になり、繁栄し、神々が幸せであることをもってして、適切な政策実行を行っていると申し上げざるを得ません。もちろん、どんな政策を実行すればより良いのか、もしご提案があれば、私どもとしても耳を傾けされていただく余地は十分持っています。」

 この答えは決してナユタを満足させなかった。彼はこう語った。

「政府として行動、政府としての可能な政策という点では、適切な答弁かもしれない。しかし、問題意識の低さが気になるというのが私の言いたい点だ。」

 このナユタの言葉に、シュリーが何か言いかけたが、ヴィダールが軽くそれを制した。シュリーはこう言いたかったのだろう。

「ルガルバンダの帝国を倒した後、神々の在り方に疑問を持ち、森に逃げ出したのはナユタではないか。それをほんとうに問題と思うなら、森に隠遁せずに政府に留まり、その問題に取り組むべきではなかったのか。」

 だが、そんなことを言っていては関係がこじれるだけと理解しているヴィダールは、シュリーの発言を制すると、穏やかな表情で言った。

「いや、ナユタ殿。問題意識が低いというご指摘については、私の説明が不適切だったかもしれません。先の私の説明は、政治の視点から申し上げたものです。私も元々は森の神。ナユタ殿が申された問題は十分認識してます。ただ、繰り返しになりますが、政府としてできることの限界と、とにもかくにも、平穏ですべての神が幸せな状況、そして神々の自由と権利が守られているという点から、先に述べたような答えしか政府としては申せないということをご理解いただきたいのです。」

 ナユタが納得できないという表情を見せると、ヴィダールはさらに続けて言った。

「これもぜひ申し上げたいのですが、かつての神々の世界、創造された人間たちの世界では悪がはびこっていました。もちろん、崇高なもの、正しいもの、立派なものもたくさんあったわけですが、同時に、同じだけ多くの悪がありました。世界の底では、いつも、虚偽、策略、裏切り、搾取などが渦巻いていました。そういったことをうまくやって成功した者も多かったわけですし、少なからぬ者がそういうことをすることが成功には必要だと信じていました。これは単に私の個人的見解として述べているのではありません。創造された地上で発達してきた『ゲーム理論』はそれを見事に実証しています。だから、世界はいつも軋み続け、人であれ、神であれ、皆、心をざわつかせて生きてきたのです。けれど、それは今大きく変わりました。科学技術の進歩とギランダ給付法、そして我々政府のさまざまな取り組みによって、今や、神々は、あくどいことをやって人を出し抜くよりも、得られるものに基づいて穏やかに生きる方がはるかに良いことを理解しています。狡いことをしなくても十分に満足のゆく生き方のできる世界、悪賢いことをすることがかえって自分の立場を損なったり、自分自身の心を損なったりするような世界が実現しているのです。そのことこそ、現政府の貢献と思います。ぜひ、この点をご理解いただければと思います。」

 ナユタが「それはまあそうだが。」という表情を見せると、ヴィダールは柔らかい笑顔を見せて言った。 

「ともかく、ナユタ殿の活動には、我々としてもできる限り支援いたします。ビハールでの宿泊場所も用意させていただきましたし、最優秀のロボットも用意させていただきました。ともかく、ビハールで、思いのまま活動していただけるよう政府としても精いっぱいサポートさせていただきます。ナユタ殿の活動が、神々の世界に良い影響を生み出すことに繋がればありがたいことですし、また、今の世界を直に見られることが決してナユタ殿にとって無意味ということはないと信じています。また、森に帰られる時が来たとしても、森にお帰りになった後も、ナユタ殿がなすべきと考えられる活動ができるよう支援をさせていただきます。」

 この言葉に、ナユタはこれ以上の議論は無意味ということを悟った。ともかく、政府としてナユタの活動を支援すると言っている以上、これ以上言うべきことは何もなかった。

 ナユタは言った。

「ともかく、ビハールに来てからの体験は貴重でした。もうしばらく滞在し、この世界を見させてもらうことにします。ただ、私が申し上げた二つの点、これは決して軽い話ではないと考えていますので、それをとにかくも、今日はお伝えできて良かったと思っています。」

 シュリー、ヴィダールとの会見で特に得られるものはなかったが、世界の現状と政府の認識や方針を再確認できたという意味だけはあったといってよかった。

 

 一方、法務省長官のライリーはナユタをそのまま帰らせはしなかった。

「少し話をさせていただいてもよろしいでしょうか。この世界のことをより理解していただきたいので、いろいろご説明したいこともありますし、また、今後の活動支援のこともありますし。」

 そう言って、ライリーはナユタを別室に案内した。別室に入ると、ライリーは言った。

「世界は平和になったとお思いになりませんか。まさに隔世の感があります。神々は笑顔で日々を送り、悩みなく快活に生きています。もちろん、ナユタ殿が申されたように、神々の真の在り方という視点からすれば、考えるべき点はあるでしょう。ただ、そうだとしても、恐ろしい戦いが神々の宇宙を覆っていた時代、そして少なからぬ神々が悲嘆の内にただ空を仰いでいた時代より、よほど良い時代と言えるのではないでしょうか。」

「それはたしかにそうかもしれないが。」

 そう言ったナユタに、ライリーはさらに続けて言った。

「この世界を支えているのは、決して科学技術の進展だけではありません。一つには、ギランダが提唱した『基礎給付基本法』が大きな役割を成したわけですが、もう一つ説明しておきたい重要なものが自由性愛です。自由性愛の運動はオルダスという作家が始めたものでしたが、最初はやや反社会的な面ももった運動でした。ですから、ある意味、それは危険なものでした。しかし、私はその自由性愛にこそ、神々の世界の混乱を鎮める鍵があると理解しました。」

 ナユタは用心深い口調で応じた。

「たしかに、自由性愛は新しい時代に、新しい神々が生み出した運動のようですね。また、ロボットの権威のトゥクール教授からは、自由性愛が創造された人間の世界にも存在していたと教えてもらいました。歴史の父と呼ばれた人物が記した書物にも書かれているということでした。」

「そうですか。それなら話は早い。ただ自由性愛は歴史の父なる人物の書いたものに取り上げられているだけではありません。もっと一般的です。創造された世界のことについて研究しているマーシュ大学の研究者たちは、古文書などをひも解き、実にさまざまなことを明らかにし、野合という自由性愛が頻繁に行われていたことも明らかにしています。例えば、ある神社の祭礼の夜には、白手ぬぐいを被っている女性は、人妻であれ、寡婦であれ、処女であれ、社地の内外で自由に交合することが許されたそうです。また、別の神社では、男女陰陽の形の供物を作り、祭礼の期間中は男女が行き交えば必ず交合したそうです。処女はもとより、人妻であっても、この祭りに来た限りは、男を拒むことはできず、親も夫も拒めなかったそうです。さらには、祭りの夜、すべての女性が必ず三人の男と関係せねばならないという村もあったそうです。こんな事例は枚挙にいとまがないのですが、これらの事例からも分かるように、部族の安定のために、自由性愛は有効なのです。ただ、自由性愛は競争を抑制する方向に作用するため、結果として部族の活力を失わせる方向となります。そのため、複数の社会が競合する人間の歴史のの中では不利となり、結局、淘汰されたのでしょう。ですが、今のこの平和な単一世界である我々の世界では、ある意味、自由性愛こそふさわしいと言えます。何といっても、社会の中の不穏な要素を格段に取り除くことができますからね。」

「政府として自由性愛を推進したということですか?」

 軽い驚きと興味を持ってナユタはそう聞き返した。

「そうです。そして私たちは自由性愛こそ本当の意味で健全と考えています。」

「自由性愛こそ健全?」

「ええ、かつての人間や神々の世界が性ということに関してどんな世界だったか、考えてみてください。もっとも、これは、社会の暗部、タブーに取り込まれた世界なので、明瞭には見えていなかったかもしれませんが、私たちはその実在した世界を見なければなりません。例えば、かつての社会では、良家の子女というものは、結婚するまで性欲を持ってはならないし、処女でなければならないとされていました。また、姦通は最大の冒涜として非難され、人間の世界ではしばしば死刑がその罪に対する最も適切な罰とされました。だが、人も神も性欲の衝動から逃れることはできない。だから、男たちは、社会の表面を覆う道徳の仮面の下で、その性欲を満たしたのです。売春宿に行き、妾を囲い、あるいは召使い女に相手をさせたのです。一方、貧しい女たちは、売春の館に座り、路上で男に声を掛け、あるいはサロンやキャバレーで男から手が伸びてくるのを待っていたのです。とても健全と言える世界じゃない。」

「自由性愛によって健全な世界ができるということですか?」

 疑問を呈する口調でナユタはそう言ったが、ライリーは快活に続けた。

「そうです。もちろん、政府としてあまり急激なことはできませんが、世の神々の許容範囲の中で少しずつ自由性愛を推進してきました。実際、自由性愛を妨げるさまざまな障害を取り除くことで、自由性愛の実現に力を尽くしたつもりです。それに、自由性愛を基軸にした社会は、子供を欲しがりません。これは神口の増加を抑えるための決定的な作用を及ぼしました。家族を求めず、子供を求めなくなったからです。すべての個神が個神として独立して、親や家族に束縛されることなく自由に生きる社会なのです。かつて、家族によって満たされていたものが、今は自由性愛によって満たされているのです。」

「それで政府が推進した方法は?」

「最初に行ったことの一つが男女の垣根を取り払うことです。例えば、今の世で普通のことなのでナユタさんもご存じでしょうが、昔は男女別々だった更衣室や浴場を男女共用にしました。」

「えっ?そうなんですか?」

 ナユタがびっくりしたようにそう言うと、ライリーはナユタがびっくりしたことに驚いたようだった。

「ご存じなかったんですか。たしかに、久しく森にいらっしゃいましたんでね。でもビハールで大浴場にでも行けばすぐに分かりますよ。」

「それで女神たちは平気なんですか?」

「最初は抵抗がありました。だから男女共用を作った後も、男性専用の更衣室、女性専用の更衣室を残しましたし、男女別の浴場も残しました。でも、だんだんみんな男女共用に慣れてきて、男女別を求める神は少なくなりました。それで、今でも女性専用は残っていますが、つい最近、男性専用の更衣室や男性専用の浴場が完全廃止になりました。もっとも法律的には、公の場で女神が立ち入ることのできない場所を作ってならないというものですが。」

「さすがに女性専用は残したんですね。」

「ええ、ほんとう男性専用も女性専用もなくそうとしたんですが、さすがに女性専用をなくすのには反対意見もありましてね。」

「なるほど。男性専用をなくすのには抵抗はなかったわけですね。」

「いや、実は、保守派の古株の男性議員から、『女性専用を残すんだったら、男性専用も残すべきだ。』という意見が出されたんですが、別の議員から『あなたが行っておられるゴルフ場であなたはいつも男女共用更衣室と男女共用浴場を使っておられるそうですね。そのゴルフ場にも訊きましたが、男性専用更衣室や男性専用浴場を使う男神は皆無とか。』と言ってやり込められましてね。それで男神専用の更衣室や浴場はあっさり廃止が決まったんです。」

「そうすると、多くの女性たちは男性の目のある場所で服を脱いだり、裸になったりするのも平気ということですか。」

「そういうことです。もっともすべての女神がということではありませんが。」

「なるほど。そう言えば、以前の創造された世界では公園やビーチでトップレスの女性がいましたが、今、ビーチとかプールとか公園はどうなっているんですか?」

「ビーチは全裸許容。プールは性器を覆うことが義務づけられています。これにはいろんな動きや意見があってのことなんですが、まず、ビーチは極めて開放的な空間なので全裸を許容するが、プールでは全裸になる必然的理由がないということになっています。ただ、男性が胸を覆っていないのに女性だけが胸を覆うというのはおかしいということで、女神が胸を隠す必要はありません。もちろん胸を覆いたい女神はそれで良いし、ビーチやプールに水着を着けて入ってもかまいません。ビーチについて言えば、以前は性器を覆うことを義務づけたビーチと全裸許容のビーチを併設することも多かったんですが、結局、水着を着けた者たちも平気で全裸許容ビーチに行くようになったので、今ではすべてのビーチが全裸許容です。一方公園ですが、これは場所によります。ビーチに隣接する公園は全裸許容。ビーチに隣接しない郊外の公園は性器を覆うことが義務づけられています。一方、市内の公園はより公共性が高いということで、性器に加えて乳首を隠すことが義務付けられています。以前の人間の世界では、首都の公園でトップレスの女性が日光浴をしていたりしたようですが、我々の世界では市内では陰部も乳首も覆わねばならないということです。女性が胸を覆うのだから当然男性もということです。」

「なるほど。男女間の差を設けないということには相当にこだわっているわけですな。」

「そういうことです。だから、女性専用更衣室や女性専用浴場がなくなるのも時間の問題かもしれません。実際に女性専用を使う女神はどんどん減っていますから。」

「世界は大きく変わったわけですね。」

「そうですよ。ナユタさんもぜひそういう現場を見てみて下さい。」

「それで、ライリーさんも女性と共用の更衣室や浴場は平気なんですか?」

 ライリーはははははと笑って答えた。

「正直、最初は抵抗がありましたよ。私も古い神ですので。すぐ目の前で女性が平気で服を脱いで着替えたりするとドギマギしたものですが、今はもうどうということもなくなりました。ナユタさんもきっとそうなりますよ。」

「それにしても、神々の心というものは変わるものなんですね。」

「そうですね。でも、そのためのいろいろな施策は政府としても打ってきましてね。」

「それはどんな?」

「例えば、まずは学校です。男女共用の更衣室は学校ではいち早く取り入れました。これによって子供たちは幼い頃から男女共用に慣れてゆきます。水泳の授業の後に全裸で入る浴場も男女共用にしました。」

「まあ、子供は無邪気だから、さしたる支障もないかもしれませんね。」

「その通りです。また、自由性愛自身についても、小学校の低学年から教えています。男女の児童が裸になって戯れ遊ぶ場を最低でも一週間に一時間設けることを義務付けています。そして重要なのが、実際の性行為を子供のうちから見せることで、ビデオ視聴の時間を設けることも通達で義務付けました。一番難しいのは、思春期に入るころで、恥ずかしがる女の子もいないわけではありませんが、それも低学年の頃からの経験がハードルを下げてくれます。小学校の高学年にもなると、授業でのその時間に実際に交合に及ぶ子も出てきます。そんな子は大得意で、先生もたいへん褒めてくれますのでね。」

「なるほど。そんな風に育った神は男女共用にもすぐに慣れ親しんで、そんな若い神が増えれば、男女共用や自由性愛を抵抗なく受け入れる神が増えて、世の空気も変わるというものかもしれませんね。」

「その通りですよ。今では、両親が子供の目のあるところで平気で性行為を行うこともよくあるようですし。」

 そう言ったライリーは、さらに学校での性教育について、教育要領などの資料や、その教育のための教師用研修プログラムなども交えて説明し、さらに言った。

「別な面から言いますと、売春が廃れることにも結びつきました。かつての世界では娼婦というのは普通のことでしたのでね。」

「たしかにそうだな。ビハールにはアルセイスのような者もいたしな。」

「ええ、そうですね。でも彼女も今は娼婦を止めてビジネスをやっています。」

「ああ、そうみたいだな。街でアルセイスの名前のかかった店があったよ。」

「その通りです。売春はほんとうは禁止したかったのですが、なかなか男たちの本音の欲望を止めることができなかったし、禁止しようとすると一部の娼婦からも反対が起こったりしてなかなか実現しませんでした。しかし、自由性愛が広まるにつれ、そもそも売春で女を買う必要性も意味も乏しくなった。そのため、売春の需要はどんどん下がっていき、一方、それまで性を売らねばならなかったみじめな女性はギランダ給付法のおかげで救われ、彼女たちも売春をせねばならない状況でなくなったのです。」

「ということで、売春はなくなったというわけか。」

「ええ、少なくとも表向きは。もっとも、自由性愛の相手に何かを与えてはいけないということはないわけですし、自由性愛で金を稼ごうと思う女神も少なからずいます。でも、少なくとも、売春しなければ生きていけなくて嫌々やっている売春婦というものはなくなり、また彼女たちが客を取るための娼婦の館もなくなって街の風紀という意味でも格段に向上しました。」

「たしかに、ビハールの売春の館が並んでいた区域はなくなって、おしゃれなこぎれいな店が並んでいたな。ともかく自由性愛が社会に行き渡り、社会の安定を支えているというわけか。」

「ただ、ほんとうに安定しているかどうかは分かりません。今、社会の中で起こっているのは、若者たちの自由性愛離れですので。」

「どうして?」というような表情をナユタは見せると、ライリーは続けた。

「性的満足を与えるものは男女間の交合だけではありませんのでね。」

「それはロボットとの性行為のことですか?」

「ええ、一つはそうです。ある意味では、自由性愛とは言っても、結局は他者との関係ですからね。昔の神々や人間たちにとってみれば、異性との交際と性的な関係が作り出す愛というひとつの閉じた世界は自明に近いことだったでしょうが、今の若者にとっては違います。そもそも性的な満足は今では異性との関係とかによらず得られる。そうだとすれば、その方がはるかに気楽というわけです。そのひとつがロボットとの交合です。今ではロボット相手にほとんどほんとの異性相手と同じ性的満足が得られますからね。いや、異性相手以上の性的満足が得られるといっても良いかもしれません。」

「ロボットの権威のトゥクール教授からは、女神にとっては、男神だと一回射精してしまうと終わってしまうが、ロボットだと自分が満足いくまで相手をしてくれるのでロボットの方が良いという女神が増えているという話も聞きました。」

「その通りです。また、男神にとっても、現実にはなかなか出会わないようなタイプの異性ともロボットであれば関係できますしね。ただ、今、新しい現象が起こっているのですが、それは、少なからぬ若者たちが異性やロボットとの直接的交合ではなく、心理工学技術によって性的満足を得る方法を選んでいるということです。心理工学のことはご存じで?」

「その言葉は耳にしたことがあります。心をコントロールする技術、心に満足や快感をもたらす技術が進展しているという話も聞いたことがあります。ただ、詳しくは知りません。」

「そうですか。では、せっかくですから、一度、心理工学のことを誰かに説明させましょう。ウダヤ技術院にハルドゥーンという専門家の教授がいますので、説明してもらうようにしますよ。本当は、心理工学という名称より、メンタルマネージメントとかメンタルコントロールとかの方が良いのではないかとも思いますが、ともかく、これはぜひ学んでおかれるといい。それで、詳しいことはハルドゥーン教授から聞いていただくとして、心理工学もいろいろありますが、今一番注目されているのは、薬物や信号刺激によって心を制御したり、さまざまな満足を与えたりするものです。この技術によって、そのうち、フラストレーションとか、イライラとか、怒りとか、不快感とか、憤りといった言葉は死語になるかもしれません。昔は、そんな感情に対するものとして酒があったわけですが、今の薬物や信号刺激は酒なんかよりずっと効果があり、しかも弊害もありません。そして、心理工学の技術で得られるもののひとつが性的満足なのです。男神が射精したり、女神が絶頂を感じたりするときと同じかそれ以上の興奮や満足を心理工学は与えてくれるのです。」

「それは簡単なのですか?」

「簡単です。薬を飲むか、特定の電磁波刺激を浴びればいいだけですから。それにポルノ映像を組み合わせばより効果的と言われています。」

「ポルノ映像ですか。」

「ええ。ネットでポルノサイトはご覧になっていますか?」

「いや。いかがわしいサイトには近づかないようにしていますので。」

「いかがわしいという表現が適切かどうかはちょっと疑問ではありますが、」

と笑って、ライリーは続けた。

「ともかく、ポルノサイトはかつて人間たちの世界で女たちが親のために売られたり、生活や金のために身を売っていたのとはまったく違う世界です。人気のある女神は堂々と自分の性を売ってスターとなり大金を稼いでいます。また、人目に晒されたくない女神は顔を出さずに自分の体のポルノ映像を売り、その映像はかつての人間界でのスター女優たちの顔とデジタル合成され、新しいポルノ映像として世の男神たちを楽しませています。」

「いろいろあるわけだ。」

 ちょっとあきれ顔でそう言ったナユタに、ライリーは「まあそうですね。」という表情で続けた。

「ただ、ポルノ映像にもロボットがどんどん進出してきていましてね。ロボット女神のポルノ映像も増えているようですし、ロボット女神の体にかつての人間界の女性の顔を合成したポルノ映像も最近人気が出てきていると言います。ともかく、心理工学にポルノを組み合わせるということで、ポルノ映像を楽しみながら、薬を飲むか、特定の電磁波刺激を浴びるかして寝るという若者が増えていると言います。眠りと夢はそもそも我々の幸福感、充足感を与えてくれるありがたいものですが、それに性的満足が加わるというわけです。」

「しかし、絶頂までの満足があるとすれば、男神であれば、夢精が起こったりはしないのですか?」

「起こります。でも、今は、そんなことになっても液体を完全に吸収してなんの不快感も違和感も与えない下着が普通ですからね。なんの問題もありません。」

「そうですか。」

「ええ、ただ、このために、若者を中心に、異性間の関係を敬遠する者が増えてきつつあるのも事実です。他者との交わりの煩わしさから自分の中の幸福にひきこもる者がますます多くなっているのです。これがこれからの時代にどんな作用をするのか、よく見極めねばならないと思っています。」

「ということは、心理工学も功罪相半ばしているということですか。」

「ええ、どんな素晴らしいものにも負の一面というものはあるものですから。ただ、技術はそれ自身、進展してゆきますので、それは自然な成り行きとも言えますし、基本的には、心理工学は社会の安定に寄与するはずです。ですから、政府として、どの程度に心理工学を後押しするのか、心理工学がもたらす負の作用に対してどう対応するかということがポイントなのです。ある意味では、自由性愛の教育や啓蒙をもっと強化することが心理工学の負の作用を減じることになるのではとも思っています。いずれにしても、一度、ハルドゥーン教授に心理工学のことを説明させましょう。」

 そう言うと、ライリーは話題を変え、ビハールでのナユタの活動についての支援についても細かく説明していった。そして、次のように言って、ライリーはナユタとの会談を締めくくったのだった。

「ともかく、ナユタさん。政府はできる限り、あなたの活動を支援するつもりです。ご希望があれば、なんでもおっしゃってください。」

 

 ライリーとの対談を受けて、改めて現在の男女間のことに興味を持ったナユタは、さっそく次の日、ビハールの大浴場に行った。行ってみるとまさに更衣室は男女共用であり、ナユタのロッカーのすぐ近くでは男神や女神がためらうこともなく衣服を脱いでいた。ライリーが最初はドギマギしたというのもよく分かったが、男神も女神も陰部を特に隠すでもなくごく当然のことのように浴場へと入っていくのだ。

 ナユタも衣服を脱いで浴場に行ったが、そこはなんとも広々としてかつ豪勢であり、海や山の絶景の中で露天風呂に入るような気分にさせられる場所だった。大浴場に神々が行くのも分かるというものだったが、ここはまた男女の出会いの場でもあるようだった。さすがに公衆の面前であるだけに性行為的なものに及ぶ者はなかったが、ここで出会い、気が合えば場所を移して気の済むままに自由性愛を楽しむということのようだった。

 その浴場で気づいたことの一つは、男神も女神も陰部の毛をきれいにカットしたり、カラフルな色に染めたり、あるいはすべて剃っていたりする者が少なくないということだった。後に聞いたところによると、髪を適度にカットしきれいに整えるのと同じく、陰毛の手入れも身だしなみの一つと考えているためということだった。異性の目がある場所で裸体を晒すことがあるということを踏まえ、髪やファッション、ネイルなどと同じような感覚で美容的なたしなみとして陰毛の手入れをしているということなのだろう。

 

 その日の帰り道、ナユタは今夜はアミティスを抱いてみようと思った。アミティスに初めてキスして以来、ナユタの中には女に対する淡い欲望が揺らいでいた。それが浴場で女性の裸を目にしたことでナユタの性的欲望に火をつけたのかもしれなかった。いかなる女神とも交わったことのないナユタがロボットを相手にするというのも奇妙な感じがしないでもなかったが、今はもうそういう時代なのだ。

 家に帰るとナユタは迎えに出たアミティスを抱擁してキスし、言った。

「今夜は君を抱くことにするよ。」

 アミティスは弾んだ声で言った。

「まあ、嬉しい。それは夜のベッドで?」

「ああ。」

「じゃあ、その準備もしますね。」

 アミティスがどんな反応をするのかナユタはちょっと不安だったが、アミティスが嬉しそうなのでほっとした。ロボットのアミティスにとってそれがほんとうに嬉しいのかどうかは分からなかったが、そうプログラムされているのだろう。

 夜の寝室では、アミティスは肌や乳首の透けるナイトウェア姿で現れた。何とも色っぽい姿だった。だが、かつてのヒッパルキアのように自ら脱ぐこともなく、ナユタを誘うこともなかった。それで、ナユタはやさしくアミティスの薄いランジェリーを脱がせ、自らも裸になってベットでアミティスを抱いた。ロボットのアミティスは何一つ嫌がることもなく喜んでナユタを迎え入れた。乳房はふんわりと柔らかく、つんと立った乳首を軽く吸うとアミティスは軽い喘ぎ声を上げた。愛撫を続けるとアミティスは肢体をくねらせ、陰部は濡れていた。ナユタが自らの陰棒をアミティスの陰部に押し入れて抜き差しすると彼女は大きく喘ぎ、最後は、

「いく、いう、もう駄目です。いく。」

と艶めかしい声を上げて悶え、ナユタが射精すると同時に果てた。その快感と心満たされる感覚は、かつてのヒッパルキアの時とはまるで別のものだった。その後もナユタは気が向くままに時々アミティスを抱いた。それはこれまでのナユタの神生にはなかった不思議な充足感をナユタの心にもたらしてくれた。

 

 さて、その後、ライリーはさまざまな行事やパーティに来賓としてナユタを招くことを考え、しばしば打診してきた。だが、ナユタはそのほとんどを断り、受けたのはほんのわずかだけだった。そして、ナユタはマーシュ大学での研究やバルマン音楽院での活動に専念したのだった。

 一方、ライリーが段取りしてくれたハルドゥーン教授との会談はしばらく経ってから実現した。現代の科学技術のもっともホットな領域である『心理工学』の専門家であるハルドゥーン教授のもとを訪ね、簡単なあいさつを終えると、ハルドゥーンはさっそく切り出した。

「最初にまず申し上げておきたいのは、心理工学を性的快楽の観点から考えている者たちも少なくないのですが、心理工学は決して性的満足のためのものではないという点です。性的満足は、心理工学のほんの一部の応用でしかありません。」

 ナユタがなるほどという表情でうなずくと、ハルドゥーンは冗談交じりに続けた。

「それと、心理工学という言葉は、あまり先端の匂いがしないかもしれませんが、言葉が新鮮かどうかが技術の先進性と必ずしも一致するわけではありませんのでね。」

「でも、まさに最先端の技術だということは、ライリーから聞きました。ただ、ライリーは、メンタルマネージメントとかメンタルコントロール技術とかの方が良いとか言っていましたが。」

「たしかにね。でも、昔、ある事件のせいでマインドコントロールという言葉に非常に悪いイメージがついてしまったものですから、メンタルマネージメントとかメンタルコントロールという言葉は、マインドコントロールに類するものというような負のイメージが生まれるので、好まれないのです。いずれにしても、言葉が大事なわけじゃない。ところで心理学はご存知でしょう?」

「ええ、いちおう、どんなものかというくらいは。」

「でも、心理工学は、心理学をはるかに超えています。名前から言うと、心理学を活用する単なる応用技術のように思えるかもしれませんが、全然違います。心理学よりはるかに高度な学問であり、技術なのです。心理学は心のことを知り、解析する学問であり、応用としても、せいぜい心理療法やカウンセリング程度のものでした。行き過ぎるとマインドコントロールとかになるわけですがね。しかし、心理工学は、薬や外界からの刺激によって直接心理に影響を及ぼし、制御する技術なのです。」

「薬ですか。」

「ナユタさん。薬にやや負のイメージを持たれているかもしれませんが、その印象は払拭しなければなりません。心に影響を及ぼす物質としてもっとも古いものの一つはアルコール、すなわちお酒です。これは創造された人間界でも我々の神々の世界でも、古来より重宝されてきた。ただ、アルコールの効果は限定的だし、あまり飲みすぎると錯乱や中毒も招く。人間界では、アルコールは健康や家計に問題を引き起こす元凶として、しばしば禁酒が政策として取り入れられたほどです。もう少し強い物質となると、人間界で大きな問題となった麻薬があります。たしかに、麻薬は心に対して一定の効果はあるが、しかし、その効果は不適切な副作用を引き起こすものでした。破壊的な心理状態を醸成もしたし、社会的にも大きな問題も引き起こすものでした。人間界で麻薬が禁止されたのはまさに正しい処置でした。なかなか守られなかったという現状もあったようですがね。それに対して、今、我々の世界の学者が取り組んでいるのは、そんな弊害のない薬です。ダイレクトメンタルケアと呼ぶ学者もいますが、実際、かなりの効果を上げていて、一部は実用になっています。一方、私などが取り組んでいるのは、薬ではなく、電磁波の効果です。耳には聞こえない波長の電磁波によって心理に効果を及ぼすという手法です。音楽がただ波長だけでは意味がなく、音色やメロディ、リズムが重要であるのと同じように、心理工学でも、電磁波の音色、メロディ、リズムなど、音楽と同じ要素が重要です。音楽ならそれを耳で聞けばいいわけですが、我々が対象としている電磁波は耳では聞こえないので、測定装置、評価装置を駆使して解析することが必要となります。」

「どんな風に使うのですか?」

「例えば、室内にその電磁波を流す。そうすると、ある心理、例えば、リラックスするとか、楽天的になるとか、幸せな気分になるとかするわけです。寝ているときに、それを流す手もあります。ソフトメンタルケアという名で、一部の先進の住宅にはすでに取り入れられ始めています。ナユタさんも森で家を建てられる時とかには、ぜひ採用願えればと思います。また、性的興奮を起こさせる電磁波もあります。夜寝ているときにそれを流して寝れば、夢の中で性的興奮の絶頂を迎え、男神であれば、たいていは夢精します。家に導入する場合は、それらのいろいろなパターンを組み込んで、その時の気分で選べるようになっています。」

「技術はどんどん進歩しているのですね。」

「そうですよ。ドレッシェル先生は進歩は停滞しつつあるというお考えのようですが、まったく正しくありません。ただ、我々の研究の目的は進歩がまだまだ進んでいるか、停滞しつつあるかを解き明かすことではありませんので、その点を議論する気はありません。我々はただ進歩を進めるだけです。それに、進歩がどうなるかは、時間が経てば自然と分かる話なので、別に、今から思い悩む必要なんてないじゃありませんか。もちろん、技術によっては、飽和しているものもある。でも新しい分野はいくらでもあるのです。少なからぬ学者が、もうあまりやることがないとか言っていますが、それはある意味で能のない学者の言うことです。そんな学者は重箱の隅をつつくような研究をやっている。でも、能のある学者は、やるべき価値のある新しい分野を見い出す力を持っていますのでね。」

 まったくハルドゥーン教授もトゥクール教授に劣らず留まるところを知らず多弁だった。その技術の専門家にその技術を語らせたら、そういうものかもしれなかった。たしかに、今は、寡黙に実験室に閉じこもってコツコツとフラスコを振って実験を繰り返し、綿密にデータを取る時代ではないのかもしれない。実際、現代では、自らの技術を説明し、アピールする能力は優秀な学者に必須の能力と言えたし、昔のように実験の腕が成果を大きく左右するということもなくなったようだった。成果を左右するのは資金の大きさであり、クマルビのように、寡黙に自分の能力と発想だけを頼りに研究する時代ではなくなっているだ。

 面会の最後で、ハルドゥーンは、森に家を建てる時には、最新の心理工学技術を導入させて欲しい、無料で入れさせるので体験して欲しいと依頼した。ナユタは森に帰った後は、バラドゥーラ仙神が既に移り住んでいるシュンラット高原に家を建てるつもりで準備を進めていたが、ちょっと渋って言った。

「たしかに、森に帰った後に家を建てるつもりです。でも、実際にどれほど使うかは分かりませんよ。それに結果を報告するのも面倒だし。」

 しかしハルドゥーンは鷹揚としていた。

「良いのですよ。ナユタさんの家に入れたという実績だけで十分。それで宣伝効果としてもとが取れますので。」

 気が進まない面もあったが、そういうことならとナユタは了承した。

 

 一方、ドレッシェルとの対話、ドレッシェルのゼミでの議論も次々と深まっていった。ドレッシェルは、ゼミでしばしば芸術をテーマに取り上げた。

 あるゼミで彼は問いかけた。

「芸術は死んだかもしないと思わざるを得ない時がしばしばある。そして、少なくとも、現在の神々の世界では、似非芸術が幅を利かせているとは言えるだろう。崇高な芸術ではなく、単に神々の心に響くものが芸術と称して巷を沸き立たせている。そして、真摯な芸術家は大地の片隅に追いやられ、似非芸術家たちが得意げに闊歩している。どうだろう。」

 たしかに、その通りだった。低俗な音楽作品が世を席巻し、その音楽を奏でる者たちはアーティストと称して人気を博し、スターとなっていた。深遠なテーマに挑む美術作品は顧みられず、鮮やかなイメージと斬新さで神々の感嘆を誘う作品がもてはやされ、さらには、新鮮で神々の心を惹き付けるデザインを描く者たちが画家たちにとって代わっていた。

 ナユタは言った。

「芸術が死んでしまったとは思いません。でも、芸術は死んでしまったかのように見えるのは事実と思います。なぜ、このようになってしまったのでしょうか?」

 それに対して、ドレッシェルはまずはシニカルにこう答えた。

「ある意味では、所詮、神々の心のレベルはこの程度のものだということではないでしょうか。」

「でも、かつては真の芸術があったのでは?。」

 そう言うナユタに、研究員のひとりが発言した。

「たしかにその通りだと思います。それは世界が安定した定常状態に至っていなかったからではないでしょうか。かつては、常に現実に納得できず、何か別の高みを目指す希求の心があったのはないかと思います。その中から崇高な芸術が生まれ、その芸術は人々や神々の心を根底から揺さぶり、高めました。しかし、平和と平穏と安定が自分たちのものになったこの世界では、もはや誰もそのような心を持たず、ゆえに、そのような心に基づく真の芸術は廃れ、平和、平穏、安定に見合ったただ心に心地良いだけのものが溢れる結果となったのではないでしょうか。別の云いかたをすれば、真の芸術家が真に描き出さねばならないものがなくなってしまったのではないでしょうか?」

 この言葉はある意味、『繁栄と安泰のあるところ、誰が絶対者を必要とするだろう。』と語ったアシュタカ仙神の言葉とも符合していた。だがナユタは半分納得しつつも、彼が最後に言った『真の芸術家が真に描き出さねばならないものがなくなってしまったのではないか?』という点には同意できなかった。存在という不可思議なものに対して問いを発すること、そして、自分たちの生き方の在るべき姿について問いを発することが意味を失うはずはない。だから、真の芸術家が描くべきものがなくなるなんてことは絶対にないはずだ。ナユタはそう思った。

 だが、ナユタが発言する前に、ドレッシェルが言った。

「それは重要なポイントだ。社会と芸術のかかわりという点は非常に重要であり、社会にいる者たちの心がそれに深くかかわっているのは紛れもない事実だろう。たしかに、これまでは世界が安定した定常状態に至っておらず、そのことが常に新しい芸術を生み出してきたと言えるかもしれない。だが、もう一つの点を私は提起したい。それは、芸術自身が袋小路に入ってしまって、もはや展開し得なくなっているのではないか、という点だ。これについてはみんなはどう思う?」

 その通りだと思う、と何人かの研究員が言った。

 ある研究員は、音楽の歴史を規則からの解放という視点から論じ、ほぼ完全に規則から解放された現在の前衛音楽にはもはや道はないのではないかと言った。

 また、別の研究員は、美術に関して、ほとんど何も描かない絵画が出現し、ただ、そこにたまたまあるものが芸術だと称するような前衛芸術の出現によって、音楽同様、もはや展開すべきものはないのではないか、と論じた。

 これらの議論を真剣に聞いていたナユタは、しかし、反駁を試みて言った。

「しかし、なお、芸術が描くべきものはまだあるのでは?」

「だが、もし、あるとして、それはどのようにしてありうるのでしょう?」

 そうドレッシェルは言い、この問いにナユタも含め皆が考え込んでいると、彼は続けて言った。

「私は、少なくとも、このビハールの中の、繁栄に満たされた神々からはもはや新たな真の芸術は生み出されないのではないかと思っています。指揮者のクレンペラーのように、かつての偉大な芸術を堅持している者はいるでしょうが、新しい音楽や美術の地平を切り開く者はもはや現れないのではないかと思っています。もし、新たな芸術が生み出されるとしたら、結局、この世界に馴染めない異端者か森の神々からではないでしょうか?あなたは森の神で、失礼な言い方かもしれないが、異端の神、孤高の神でいらっしゃる。私は、心の中で、あなたは新しい芸術を切り開く力を持っておられると思っています。私がナユタさんをこのビハールにお呼びした一つの大きな理由はそこにあるのです。」

 その後も研究員を交えた意見交換が続けられたが、ゼミが終わると、ドレッシェルはナユタに言った。

「ゼミの中でも少し言いましたが、あなたは、現在の芸術の先にあるものを追い求める方だと信じています。ところで、あなたに紹介したい神がいますので、会っていただきたいのだが。」

 そう言って、ドレッシェルはマーシュ大学芸術科のラインハート教授を紹介することを約束した。

 数日後、ドレッシェルはナユタを連れて、ラインハートを訪ねた。

「私の専門は芸術の起源と目標でしてね。」

 ナユタがやってくると、ラインハートはそう言ってにこやかに迎えた。

「芸術の歴史を眺めていると、芸術はある一つの方向に向かって進んでいるように見えます。例えば音楽で言えば、音楽の表現方法を規制している厳格な規準から解放されてゆくという方向です。私は古来からのさまざまな音楽を研究し、そして、現代の音楽を分析していますが、その方向に展開されてきたのは間違いないと信じています。以前は、平均律が全盛でしたが、その可能性が汲みつくされると、不協和音の音楽、無調の音楽に、さらには偶然性の音楽へと進んでいきました。だが、その行き着く先には何があるのか?ある意味、音楽は行き止まりの道に入り込んでしまったようにも見えます。そして、神々はその音楽を理解することができず、芸術は神々の世界から孤立してしまっているようにも見えます。」

 この言葉にナユタもうなずき、答えて言った。

「私にも同感の部分があります。芸術が出口の見えない中で停滞し、さまざまな模索が何も生み出さない実験に終わり、そしてまた、世にも受け入れられない。そんな状況が今の芸術を取り巻いているように見えます。そして一方で、現在、芸術と称し、世に受け入れられているものは、ただ、神々の感覚を楽しませるエンターテインメントであり、新鮮な感興を引き起こす技巧であったりするように思えます。例えば絵にしても、真摯で静謐な絵画ではなく、ときにはグロテスクなくらいにただ感覚的に斬新なもの、強烈にインパクトのあるものが脚光を浴びています。」

 ラインハートが言った。

「ドレッシェル先生は、芸術と社会の関わり合いについても研究しておられるが、この視点は重要だと私も思います。かつての軋んだ社会は終わり、今やすべてが満たされ、安閑の内に生き続けることが可能となりました。そして、科学技術の進歩も緩やかになり、神々は変化のない安定状態の中で、疑問も持たず時間を過ごしているように見えます。そんな社会、そして、その社会に満足して生きている神々にとって芸術はもはや不要なのかもしれません。」

 そう言って、彼は一冊の原稿を見せてくれた。

「これは近々出版する予定の本ですが、『芸術は必要とされているか?』という本です。はっきり言って、今、芸術は不要となったと、私は信じています。崇高なものはもはや存在しなくなったか、存在しなくなりかかっているように見えます。それはもはや必要とされず、求められてもおらず、讃えられもしない。厳粛な心で何かを追い求めるのではなく、神々の心を喜ばせ、楽しませ、興味を湧き立たせるもの、そういったものが求められ、賞賛されているに過ぎない。だから、今、世の中で必要なものは、娯楽やエンターテインメントだけになってしまった。ただ、この『必要』という言葉の意味は、あくまでも、今の世の大多数の神にとってという意味です。すべての神にとってではありません。哲学的なことを言うようですが、なぜ、我らがここに存在しているのか?存在している意味は何なのか?それに対してなんの答えもないこの世界の中で、すなわち、『問い』が本当には止むことのない世界の中で、芸術が本当に不要になることは決してありません。」

「その考えには同感です。」

 ナユタが声を強めて答えると、ラインハートはさらに続けた。

「この世界は依然として不条理なのです。あなたの音楽はその不条理から目をそらしていない。そして、宇宙のこの空漠とした広がりの中で音を響かせようとしている。道は簡単には見つからないでしょうが、それが道を探すことを断念してよい理由にはなりません。真理という言葉は多少、死語に近くなったかもしれませんが、決して意味を失ったわけではない。我々が存在することの意味を問い続ける試みは哲学や芸術の中で続けられねばならないはずです。」

 ラインハートの基本的な考えはナユタの心に適った。

「私もまったく同じように感じています。まさに、今おっしゃられたようなことこそ、自分の中で今も疼いていることに他なりません。」

 ラインハートはその言葉を受け止め、微笑みを浮かべて言った。

「では、我々は仲間ですな。」

 だが、彼は、ややため息交じりに続けた。

「でも、世の中は別の方向にひた走っています。芸術家ではなく、音楽プロデューサーやデザイナーが幅を利かせている。それが現実です。」

 ドレッシェルが口を挟んだ。」

「そうですね。でも、ある意味、だからこそ、ナユタさんをビハールにお招きしたんですよ。」

 ラインハートは大きくうなずき、再び言った。

「ともかく、今日は、ナユタさんにお会いできて良かった。それで、実は、美術を志している若い女神を紹介したいと思っていましてね。まだ駆け出しですが、ドレッシェルも彼女をあなたに紹介することに賛同してくれましたし、彼女は芸術家としても見どころがあります。彼女は、現在のこの世界の在り方にも疑問を持っているようですし、一度会っていただければと思いますが。」

「そうですか。そういうことであれば、ぜひ会ってみたいですね。」

「ありがとうございます。彼女は多少とっつきにくいところがあるし、周りに対して冷ややかなところもないではないが、ナユタさんとなら分かり合えるような気がしましてね。今のままでは、彼女の才能が死んでしまう。よろしければ、これからさっそく彼女のところへ行ってもいいんですが、どうですか?」

 ナユタが「良いですよ。」と答えたので、さっそく、その女流画家のところへ行くことになった。ドレッシェルは用があって先に帰ったが、ラインハートはナユタを連れてバルマン芸術院に向かった。

 バルマン芸術院の美術フロアーに行くと、そこでは美術家たちの部屋がいくつも並んでいた。ここの美術家たちが作製したさまざまな絵画や彫像が廊下の窓から見えた。熱心に作製に没頭する者もいれば、何人か集まって話し込んでいる者たちもいた。

 ラインハートは、そんな部屋のうちの一つのドアをノックして中に入った。中では、油絵の具で汚れたエプロンをつけた女神がキャンバスに向かい合っていた。

「リリアン。突然で申し訳ないが、ナユタさんを連れて来たんだ。」

 リリアンと呼ばれた女神はびっくりしたように振り返り、

「ナユタさんて、あのナユタさんですか?」

と声を上げた。実際、駆け出しの画家の前に、宇宙の英雄であり、伝説的存在と言っていいナユタが突然現れるなど、どうして想像できようか。

 だが、ラインハートはあっさり笑顔で答えた。

「ああ、あのナユタさんだ。」

 彼女は、緊張のため多少顔をこわばらせたが、精一杯の笑顔で挨拶した。

「初めまして。リリアンと言います。こんな姿ですみません。でも、お会いできるなんて夢にも思っていませんでした。」

 エプロンも手も絵具で汚れたままだったが、リリアンはみずみずしい若さをもった女神で、端正な顔立ちに、にっこりほほ笑むと両頬にできるえくぼが素敵だった。

「初めまして。よろしく。」

とナユタが微笑むと、ラインハートが付け加えた。

「彼女は美術家だが、同時に、最近、マーシュ大学で博士号をとったばかりでね。」

「博士号。それは素晴らしい。どんな研究で学位をとったんですか?」

 リリアンははにかみながら答えた。

「アンフォルメルの起源という論文なんですが、アンフォルメルは前回の創造で、新しい芸術として一つの大きな潮流となり、その後の画家たちにも大きなな影響を与えました。代表的な画家はジャンやジョルジュなどですが、私は、前々回の創造でのシュルツェがアンフォルメルの真の起源ではないかと考えて、この論文を書いたんです。」

 シュルツェという言葉にナユタは敏感に反応した。

「シュルツェですか。」

「シュルツェをご存じで?」

 リリアンの顔に生き生きとした表情が浮かんだ。

「前回の創造の前、森でバラドゥーラという仙神の元で暮らしたことがありましてね。その家にシュルツェの絵が掛けてありました。とても心惹かれる絵でした。でも、シュルツェは前々回の創造の画家で、前回の創造におけるアンフォルメル運動との連続性はないのでは?」

「ええ、たしかに、直接の連続性はありません。でも、創造された世界の底で存在の深奥を探るまなざしという意味で、そこにはある種の精神的連続性があるのではないかというのがその論文の趣旨なんです。」

「分かるような気がします。」

 そう言うと、ナユタは部屋の中を見回した。そこには、錯綜する線が不思議な形象を形作る作品、不思議な象形文字のような図形が並んだ作品などがあった。

「この部屋に置いてあるのはリリアンさんの作品ですか?まさに、アンフォルメルの先を行こうとしているようにも見えますが。」

「私は必ずしもアンフォルメルの先を行こうとしているわけではなく、私自身の絵を描きたいと思っているんです。でも、結果として、アンフォルメルの先を行くようなものになっているかもしれません。そもそも、思うに、アンフォルメルはまだ極め切れていないと思っているんです。」

 そう語る彼女にナユタは心を動かされた。みずみずしい感性、利発さと美しさを兼ね備えた女神、しかし同時に少女のような可憐さと生き生きした表情を示すその女神に、ナユタはかつてのユビュの姿を重ね合わせた。

 ナユタはその部屋に置いてあった彼女の作品をいくつかをじっくりと眺めた。たしかに、その絵には、バラドゥーラ仙神のところで見たシュルツェの絵を思い出させるものがあった。シュルツェの絵ほど神経質でなくもっとのびやかであり、色使いもシュルツェよりやや明るい感じがしたが、混沌が世界を支配し、思索的な雰囲気が画面全体に漂っている点でまさに同じ地平に立っていると直感できた。

 ナユタは彼女の絵に強い印象を受け、特に気に入った作品を指差して問いかけた。

「この絵は何という題なんです?」

「古代譜という題をつけています。」

「古代譜。良い題名ですね。たしかに、この錯綜する線の中から、古代の音が響いてくるようだ。素敵な作品です。自分の部屋に飾りたいくらいです。」

 この言葉はリリアンを喜ばせた。なんと言っても、かつての宇宙の英雄ナユタが、自分の絵を家に飾りたいと言ってくれたのだ。

「ほんとうによろしければ、ぜひ、この絵を飾ってください。」

 そう彼女は言った。この彼女の言葉にナユタは大いに喜び、当然、何かお礼をしなくては、と言ったが、彼女が、やや上ずった声で答えた。

「お近づきになれただけで光栄です。お礼なんて、全然。」

「じゃあ、よろしければ、その絵を持ってうちに遊びに来てもらえませんか?歓迎しますよ。」

 この申し出も彼女を喜ばせた。

 

 その週末、リリアンは『古代譜』と名付けた絵を持って、ナユタの家にやって来た。

 アミティスはリリアンを歓迎するための用意を整えてくれた。彼女はいつも以上に綺麗に着飾り、いつもより大きめのイアリングをつけ、首にはダイヤのネックレスを下げていた。いずれもナユタがアミティスのために最近買ったものだった。

 リリアンがやって来ると、アミティスはナユタとともににこやかに彼女を迎えた。ナユタは、リリアンの絵を飾るための場所をリビングに用意しており、彼女の絵をそこに飾った。

「すばらしい。この絵は大切にさせてもらいます。」

 そうナユタは言った。アミティスがお茶とケーキを運んできた。ナユタは新たに壁に掛けたリリアンの絵を眺めながら言った。

「この絵は素敵だね。この絵はまさにシュルツェの絵を思い出させてくれる。彼の絵より、ずっとのびやかで、ずっと自由だ。」

 そう言うと、ナユタはバラドゥーラ仙神の家にあったシュルツェの絵の写真とシュルツェが残した詩を見せ、いかにその絵と詩に心を打たれたかを話した。

「カシスで、石や魚たち」

 そうリリアンは小さくつぶき、さらに続けて言った。

「この詩はよく知っています。この詩は、まるで、前回の創造のアンフォルメルの精神とまさに同じ潮流にあるとしか私には思えせん。でも、シュルツェは孤独な画家で、誰とも共感せず、どんな流派にも参加しませんでした。その孤高の魂が呼びかけるもの、それがいつも私の心を打つんです。」

 ナユタが大きくうなづくと、彼女はさらに言った。

「でも、私の絵はまだまだ未熟ですね。シュルツェの絵と詩はそれを教えてくれます。絵を描くためには、自分自身の根源に問いかけるもっと深いまなざしが必要なんだといつも思い知らされます。」

「ぼくたちはほんとうは謎の世界に住んでいる。そのことをまず理解しなくちゃいけない。昔は謎の世界に住んでいるなんて思っていなかった。でも、なぜ自分たちがここに存在するかも知らない根源的な謎の上にあるこの世界というものを発見してから、世界に対する見方が変わったよ。」

 そう言うと、ナユタは、さらに前回の創造で出会ったジャクソンという画家について述べ、「偶然性」というものが、絵画の世界でも極めて重要な要素であるという確信を自分は持ち続けていると言った。

 今回の訪問がリリアンに非常に大きなインパクトを与えたのは間違いなかった。ナユタとリリアンは絵について話し、ナユタの音楽について話し、さらに、リリアンのこれまでのことについて話した。

 さらに、リリアンはナユタの家に強い印象を受けたようであった。すべてが清潔に整っており、節度を持った落ち着いた雰囲気が家中に漂っていたからだった。また、リリアンは自分のロボットをもっていなかったが、アミティスの控えめでけれど明るい雰囲気にこれまた心動かされたようだった。彼女はアミティスをとても気に入り、

「素敵な家族ね。」

と言って、アミティスのことにも興味津々だった。

「アミティスは調子が悪くなることはないの?故障するとか、そんなことはないの?」

 そうリリアンが聞くと、アミティスは笑って答えた。

「私はまだ悪くなったことはないですが、毎日、チェックはしてるんですよ。」

 彼女によれば、ロボットには自らの状態をチェックする機能があり、その結果はナユタのパソコンと病院に自動的に送信されるということだった。

「症状が軽ければ、アミティスが自分で病院に行くことになるらしいしね。そして、病院で部品を取り換えるとかして元に戻してくれるらしいよ。」

 いつの間にか夕暮れが近づくと、ナユタは言った。

「もう少し、ゆっくりしていっても良いなら、夕食を一緒にどうです?アミティスが得意の鉄板焼きを出しますから。」

 リリアンが喜んでその申し出を受けると、ナユタはアミティスを呼んで鉄板焼きの用意をするように伝えた。

 しばらくして、アミティスがふたりに席に着くように言った。ふたりが並んで座ると、アミティスは、まずお酒はどうなさいますかと聞いてきた。

「もし、お酒が嫌いでなければ、アミティスがいろいろなお酒を用意していますよ。」

 ナユタがそう言い、リリアンがなんでもいただきますと答えると、ナユタは笑って言った。

「じゃあ、アミティスに任せることにしよう。」

 アミティスは、まず、前菜と一緒に山ブドウの食前酒を持ってきた。前菜のプレートにはホタテ、ホタルイカなどが載っていた。ふたりが山ブドウのお酒で乾杯すると、アミティスは一本のワインを持ってきた。

「今日は、サクランボのスパークリングワインでどうでしょう。女性向きのワインですし。」

 そう言って彼女はワインを勧め、ナユタが、「じゃあ、それを。」と言うと、ふたりのグラスに注いだ。

 それからアミティスは土瓶蒸し、新鮮な刺身の盛り合わせを出し、さらに鉄板で大量のにんにくを炒め、ヨーネザウワー牛のヒレを焼き始めた。

「まず、半分お出ししますね。」

と言って、彼女はふたりにヒレのステーキを出し、次に野菜を焼いた。

 リリアンはその味にびっくりして言った。

「こんなおいしい牛肉は食べたことがありません。みんなもっと普通の肉に満足していますが、上には上があるということを初めて知りました。」

 ナユタは笑いながら答えた。

「ここの生活は贅沢だね。ぼくも森ではこんなのとはまるでかけ離れた清貧の生活をしていたんだけどね。ここのこんな贅沢な生活が良いのかどうかとは思うけど、ビハールの生活を体験するという意味ではまあ良いかと思っているんだ。」

 アミティスは、次に野菜サラダとオニオンスープを出し、さらにヨーネザウワー牛のサーロインステーキを出した。リリアンは一流のシェフ並みとも見えるアミティスの手さばきや焼き方にも関心しきりだった。

 ナユタはアミティスの能力について、ロボット技術の第一人者であるトゥクール教授から聞いた話も交えて話した。

「アミティスの味覚センサーは素晴らしい精度を持っていて、我々とは比べ物にならないそうだよ。そして、一度味わった味は正確に記憶されている。だから、ぼくがおいしいと言った味は完璧に把握しているんだよ。また、匂いについてもその嗅覚は犬以上と言うしね。肌の皮膚感覚も優れていて、風の強さや気温、湿度も正確に把握できるそうだ。」

 ステーキの後は、ガーリックライス、そしてデザートとコーヒーだった。あまりの歓待ぶりにリリアンは恐縮したが、ナユタは、ぜひ、また、来て欲しいと言って、リリアンを見送ったのだった。

 

 リリアンは、清楚で美しい女神であり、また、ナユタの前では純真でくったくのないのびやかな面も見せたが、バルマン芸術院の中では彼女はしばしば怯えたような不安げなまなざしを投げ、必ずしも周りに打ち解けていないことをしばらくしてナユタは知った。また、あまり友達はいないらしく、孤独で陰気な女神というのが、周りの神々がもっている一般的な印象だった。

 実際、リリアンはこんなことを語った。

「ほんの子供の頃、私は、普通にみんなと遊び、みんなに溶け込み、活発な少女だったように思います。でも、いつ頃からだったか、周りに馴染めなくなり、特に反発するとか仲が悪いというわけではないけどみんなから孤立し、分かり合える友だちというものはなくなっていました。」

 そのリリアンを支えていたのは、この世界の根源を理解し、自分たちの存在についてすべてを知りたいという気質であるということもナユタには理解できた。そして、そんなリリアンの目から見たとき、周りの神々の生き方は些末なものにかまけ、目の前の楽しみや喜びに興じているに過ぎないものだった。自分と交わるもの、自分が目指すものと共感できるものがどこにもない、というのが彼女の心の奥底にわだかまった思いだったろう。

 それは、ナユタがこれまで神々の世界と地上の世界で嫌と言うほど味わってきた思いと軌を一にするものでもあった。そして、リリアンにとっては、世界の中での自分の居場所のなさということに端を発して、自分の存在意義への疑問に突き当たり、冷たい宇宙の中で、孤独に、意義なく佇む自分を、無と向かい合っているだけの自分の存在というものを意識せざるを得なかったのだったろう。

 そんなリリアンは自由性愛にもあまりなじんでいないようだった。ナユタはある時、バルマン芸術院の画家たちとの会食に出席したが、ナユタと隣席になった女流画家は、ナユタがリリアンと交流を持っていることを知って、囁いたものだった。

「リリアンは見た目はきれいで素敵だけど、あの娘はまだ処女みたいよ。気軽に声を掛ける男もいるみたいだけど、みんな断られているらしいし。ほんとうはもう年も年なんだし、そろそろ人並みに自由性愛を始めて良いと私は思うんだけど。」

 だが、ラインハートは彼女の天才的なきらめきを見抜いていたし、ナユタもそれを感じていた。ラインハートはナユタに語った。

「このビハールで名のある画家たちの作品も、結局のところ、神々とそしてこの地上的なものの限界を超え出ようとはしていない。傑作と言われている作品ですらです。真に偉大な作品、天才的なきらめきに満ちた作品というものは、内に宇宙的な謎をもっていなくてはなりません。汲みつくせない何かを持っていなくてはなりません。リリアンの絵には、叙事詩的な広がりと宇宙的な息吹きが感じられます。瞑想的な叙情とでもいうのでしょうか。だから、私は彼女をあなたに紹介しました。でも、彼女はまだ自分の居場所を見つけていません。あなたの出会いによって彼女の道が開けると良いのですが。」

 実際、リリアンが信じられないほどの天分に恵まれているということは芸術院の多くが認めているところだった。ただ、彼女は風変りな女神と見られ、仲間に馴染んでいないのも事実だった。型にはまった芸術に迎合する芸術家の仲間の中では、彼女は孤独にならざるを得なかったのだった。

 一方、リリアンは、ナユタと知り合って以来、ナユタに関する本をいろいろと読んだようだった。『孤高の戦士ナユタ』、『ナユタ、宇宙の漂泊者』などナユタに関する数十冊の本が世に出されていたが、リリアンはそれらの何冊かを読んだようだった。そして、ドレッシェル教授のゼミにもナユタとともに出席するようになった。

 そんな中で、ナユタはリリアンの心の底に秘められているものに少しずつ触れてゆくことになった。彼女には、途方もなく孤独な、孤立した魂があるようにナユタには見えた。そしておそらく、ナユタがリリアンに惹かれた大きな理由は、その類まれなる天分だけでなく、この世界で孤立したその孤独な魂であり、それが孤高の神ナユタの心と共鳴するものがあったからであろう。

 あるとき、リリアンはナユタに語った。

「かつては一つの朗らかな精神が自分を支えていたように思います。囚われのない超越的な笑いが心にあり、常に前へと歩いて行く力がありました。心に光があり、なすべきものが存在し、自由とのびやかさがありました。でも、大学に入ってから、その輝きは次第に色褪せていったように思います。かつての精神の輝きを保ち続けるなんてことはまったく容易なことではないと感じます。」

 この言葉はナユタの心を揺り動かした。おそらく、少女時代の彼女は周りと打ち解け、のびのびと生き生きと生きていたのだろう。だが、思春期が終わるころ、彼女は世界の深淵にまなざしを投げ、一方で、周りの神々がそんなものとは関係なく現実の楽しみを享受する生活を浪費しているだけなのを見て、そこに渡りがたい裂け目を感じたのだろう。そして、また、芸術の道も当然のことながら平坦ではなく、自分が描きたいと心の奥底で願っている何かは、一度として描かれたためしがないという思いを常に持ち続けていたのであろう。

 彼女はこうも言った。

「心の中の朗らかさがしぼみ、笑いが消え、自分はいくらかだめになったとしばしば感じます。」

「自分は疲れ、ただただ没落しています。なにもかもが終局点に向かってゆっくり転回しているという気分になることがよくあります。」

「いったいなすべきものは何だったのか。自分がなそうとしていたものは何だったのか。その疑問がいつも心をよぎりますが、答えはありません。」

「かつては希望に溢れていました。そして、そのころは、なすべきものは何かとか、何のためという問いは少しも発されず、ただ、自分は無心に前に向かって進んでゆくことができました。仮にその問いが発せられたとしても、自分は胸を張って答えることができたでしょう。でも、ひとたび何かが疑問になってくると、一切がぐらつき、何一つ確かなものは残りはしません。かつては高みからの声に呼びかけられ、自分はその声に導かれて描いたはずでした。けれど本当にそうだったのか。自分は単に描くことが喜びであったというただそれだけの理由で描いてきたのではなかったか。尊い真理を目指したのではなく、単に、描く喜びを求めたにすぎないのではないか、というような声が心の中で疼くのです。」

 こういった言葉の一つ一つがナユタの心に深く刻み込まれた。

 

 こうして展開していったビハールでのナユタの生活は、森での生活とはまるで異なり、そしてまた、かつてのナユタの生きてきた世界ともまるで違ったものだった。

 それはある意味、刺激に満ちた生活でもあった。昼間は大学でさまざまな神々との意見交換や交流が続いた。芸術家、科学者、技術者、建築家などとのさまざまな交流があった。

 だが、同時に、多くの疑問に取り巻かれた生活でもあった。そして、世界は欲望と放縦に立脚した世界であった。

 表面的な華やかさに世界が彩られる中、『何のために生きているのか。生きて何をなすべきなのか。なすべきものは何なのか。生きている中でほんとうに大切なものは何なのか。』といったことはまるで横に置き去られていた。少なくともナユタにはそのように見えた。

 ナユタは考えた。

「かつて創造された世界で、知的な人々は何のために生きるのか、何をなすべきか、人生の意味とは何か、について考えた。ただ、多くの人の出した答え、そして、社会とのコンセンサスのとれた答えは、生きることやその中で為す何かに価値を見出すという答えだった。ある意味では、時代は常にその時代に必要とされる思想を生み出した。だが、別の意味では、それは、人生を人生の内から、そして世界の内から眺めることによって得られる答えでもあった。人生に意味を在らしめようとする心の奥底の欲求に基づいて導き出された思考でもあった。だが、それでは決して真理には行き着かない。決して、パキゼーの悟りにも行きつかない。ただ、人生の外に歩み出ること、世界の外からこの世界を眺めることによってのみ、その悟りは得られるものだった。そして、その道をパキゼーが拓いた。その思索は、神々の世界にも本来無縁なものではない。我々が何のために生き、そして、生きる中で何をなすべきなのか、ということは決して答えられていない。しかし、今、世俗の神々はその問いさえ忘れ、放棄し、ただ、欲望に導かれて快楽の中で生きているだけなのだ。」

 では大学や技術院、芸術院はどうであったか。大学が、森にある清心の心、穏やかな離欲の精神、朗々とした笑いに支えられた清明さからははるかにかけ離れた世界であることを発見するのに長い時間はかからなかった。

 大学は学問の府であり、自由と高度な学問の香りがあり、たしかに世俗の世界とは一線を画している面もあった。だが、そうは言っても、結局、大学は世俗の世界に結びついていた。研究資金を稼ぐためには、世俗世界への貢献が必要であったし、それによって得た資金で研究成果を上げることが、大学教授の評価と名声、さらには地位や収入に結びついていた。そこでは、名誉欲と出世欲が支配し、権勢欲が渦巻いており、今の世俗の世界で多くの神が現状満足の状態にいる中、むしろ通常の世俗の世界以上に貪欲で殺伐とした世界が大学の中に巣食っていることをナユタは敏感に感じ取った。大学は世俗の世界に寄り添っており、まさに、世俗の世界の一部であった。

 芸術院も似たようなものだった。そして、一流になること、一流と認められることへの執着は世俗の神々をはるかに超えていた。

 ナユタは時々そういったことに直面しては心が沈み、この世界の味気なさと自分の孤独とにつまびらかされるのだったが、そのたびに、アミティスのいる家に帰ってひとりくつろぎ、夜の星空の下で露天風呂に入り、また、ひとりで心を沈潜させて、心の活力、弾力を取り戻さねばならなかった。

 そして、その中で常に出てくる問いは、

『では、自分は何のために生きているのか、何のために生き、何をなすべきなのか。』

ということであった。

 ただ、ともかく、アミティスのいる家では心が安らいだ。アミティスは毎日服装を変え、すてきなミニスカート、キュロットスカート、ホットパンツなどを履いていた。上はティーシャツだけの日もあれば、すてきなフリルの付いたブラウスを着ている日もあった。アミティスが時々、髪型を変えるのも素敵だった。自分で自分を変えるのも今のロボットの能力ということだったが、ある時などはポニーテールに結んでいた長い髪を突然ショートヘアに変えてきた。

 その日、ナユタが髪型を変えたことに気づいて、

「なかなか素敵な髪型じゃないか。」

と言うと、アミティスはいつものように頬を紅くして、

「ありがとうございます。」

とうれしそうだった。

 また、ナユタが食卓に並ぶ料理のことや食材のこと、あるいは、家の中でのちょっとした変化などについて質問すると、彼女はいつも笑顔で明るく軽やかに答えるのだった。

 

 リリアンもしばしばナユタの家にやって来たが、しばらくするとナユタの家に泊まってゆくようになった。

 初めて彼女が泊まった日、ナユタがちょっとびっくりしたのは、お風呂に入るときに、ナユタの目のあるところで平気で服を脱いだことだった。彼女はなんら恥じらう風もなかった。まさに、男女共用更衣室や自由性愛教育の影響で、今の若い神々の心には異性の前で裸を見せることへの抵抗はないのだろう。夜のパジャマに着替えるときも彼女は来客用の寝室で着替えたものの、寝室のドアを開けたまま着替えていた。

 何度目かにリリアンがやってきたとき、夕方になってナユタは言った。

「嫌でなかったら、一緒にお風呂に入ろうか。」

「ええ、じゃあ、そうしましょう。」

 笑顔でそう答えると、彼女は平然と服を脱いで裸になり、ナユタと一緒にお風呂に入った。

 リリアンはしみじみと言った。

「この家に来ると心が落ち着く。不思議な感覚ね。自分の家より落ち着くわ。」

「じゃあ、自分の家と思ってもらった良いよ。君のような素敵な女性がいてくれたらぼくも嬉しいし。でも、男性と一緒にお風呂に入ったことはあるの?今では、男女共用浴場が当たり前みたいだけど。」

 そうナユタが訊くと、彼女はにっこり微笑んだ。

「ええ、何度も。共同浴場は。でも、二人きりってのは初めて。ナユタさんは今の世の中のことにけっこう疎いようだけど、共同浴場が当たり前と言っても、二人だけで裸になるっていうのはちょっと特別なのよ。」

「そう言ってもらえると嬉しいよ。素敵な女性といっしょにお風呂に入るのはぼくも初めてでね。」

「まあ、そうなんですか?ちょっとびっくり。でも、ナユタさんらしいけど。」

 その日の夜、ふたりは自然に結ばれた。お互い何の抵抗もなかった。

 ナユタにとっては女神との初めての交合だったが、陰部に陰茎を挿入して得られる快感は人間の女でもロボットでも女神でもまったく同じだということも分かった。ただ、心を通わせることのできる相手によって得られる深い満たされた気持ちという意味ではリリアンは特別だった。

 

 それからしばらくして、クレンペラーの演奏会が久しぶりに開かれるという話をラインハートが持ってきてくれた。その話を聞いて、ナユタは語った。

「かつて、復興記念コンサートで、クレンペラーがツィンマーの『平和のためのミサ曲』を初演した時の衝撃と感動は今でも忘れることができません。」

 そして、ナユタは、地上の大作曲家グスタフの交響曲全曲をクレンペラーが演奏した録音を愛聴していることを伝え、さらに、クレンペラーの近況を問うと、ラインハートは次のように答えた。

「彼はまだ頑張っていますよ。頑固おやじの極みと言っていい存在で、熱烈なファンは今なおいます。ただ、一般には人気は落ち目で、鮮やかな音楽を奏でる新しい指揮者たちに押されて、影が薄くなっていると言ってもいいですね。ともかく、今回、グスタフの第九を演奏するそうですが、実に、二年ぶりの演奏会らしいですよ。」

「そうですか。」

 そう言って、ナユタはかつてのクレンペラーについての思い出をいくつか語った。

 クレンペラーの演奏会の日がやって来た。ナユタはかつての復興記念コンサートのときと同様、ラインハート、リリアンと一緒に最前列に座った。

 オーケストラの奏者たちが並ぶ舞台にクレンペラーが登場すると、大きな拍手が沸き起こったが、クレンペラーはちょっとだけ微笑み、客席に向かって小さく頭を下げただけだった。

 最初の曲は、アーノルドの『浄められた夜』。小規模な管弦楽団が織りなす繊細な響きが心に染み入るようだった。

 休憩の後、グスタフの第九交響曲が演奏された。ナユタが愛聴していた録音とはまるで違う緊張感にみなぎった始まりだった。小さな音が緊張に震えるように響き、途方もないはるけさをもって第一主題が奏でられる。オーケストラの乱れが随所に見られたが、実演ならではの緊迫感と高揚感は比高し得るもののないほどであった。そして、何より心を打ったのは終楽章だった。悲劇的な孤高の響きが時間を越えて響き渡り、ナユタはかつて感じたこともないほどの感動に襲われた。神々の歴史のすべて、ナユタの道のすべてがこの交響曲の中に表現され、凝集させているかのように感じられるほどだった。

 オーケストラが最後の音を奏で、クレンペラーがタクトを置いても、しばらく誰も拍手をしなかった。それほどまでに聴衆はその演奏に飲まれ、圧倒されていた。ようやくまばらな拍手が起こり、それは万雷の拍手に変わったが、クレンペラーはただ、客席に向かって軽くお辞儀をし、舞台の裾に退いた。

 再びクレンペラーが舞台に出てきたとき、ナユタはクレンペラーに歩み寄って語りかけた。

「素晴らしい演奏でした。」

 クレンペラーはナユタを見てびっくりしたが、すぐに返したのは、あの時と同じ、

「私はグスタフが書いたとおりに演奏しただけ。讃えられるべきはグスタフです。」

という言葉だった。

 この言葉を聞いて、ナユタは言った。

「ビハールに出てきました。近日中にお訪ねしたいが。」

「そうですか。では、ぜひ。」

 それがクレンペラーの答えだった。

 

 数日後、ナユタはクレンペラーを訪ねると、さっそく言った。

「あなたは、『私はグスタフが書いたとおりに演奏しただけ。讃えられるべきはグスタフです。』と言われたが、あの時、『平和のためのミサ曲』の初演の時も、あなたは、『私はツィンマーが書いたとおりに演奏しただけ。彼を讃えてください。』と言われた。今でもよく覚えています。」

 クレンペラーは笑って答えた。

「そうでしたかね。それにしても、あなたはグスタフに会われたのですね。私は会ったことはないが、その音楽が桁外れに素晴らしいことは、楽譜を見てすぐわかりました。」

 クレンペラーはさらに一息ついて、続けた。

「だが、神の世界の作曲家は、今はもう誰もそんな作品は書けません。ツィンマーもかつては素晴らしい作品を書いたが、もはやそんな作品は生み出せなくなりました。神であれ、人であれ、存在の根源にかかわる悲劇性と向き合うことなしには、真にすばらしい作品は書けないのだと思います。」

 この言葉はナユタの心を捉えた。

「私は長く森に隠遁していましたが、現在のこの平穏になった新しい神々の世界を改めて驚きの目をもって見ています。価値観がまったく変わってしまったようにも見えます。あなたはこの世界をどう見ておられますか?そしてまた、その中でどのように生きていらっしゃいますか?」

 このナユタの問いかけに、クレンペラーは次のように答えた。

「あなたのような神の中の神、宇宙にその神ありと言われた英雄ナユタさんにそのようなことを問いかけられるとは夢にも思っていませんでした。私はただの指揮者です。作曲も少しはしますが、さしたる作品は生み出せていない。私はただ、自分の信念に従って、指揮しているだけです。最近では、音楽界からは、古いスタイルにしがみつくだけのがんこおやじとか、革新に目を向けない保守主義の巨頭などと批判を浴びていますがね。でも、これからも私はそうするだけ。演奏の機会もずいぶん減りましたが、演奏の機会を増やすために自分の信念を曲げるつもりはありません。」

「私は今の世界のことを知り、そして考え、もう一度、自らの道を見直してみたいと思っています。あなたの音楽はいつも私の心を高め、清め、荘厳でかつ広大な音世界に私をいざなってくれました。これからも仲間として歩ませてください。」

 このナユタの言葉にクレンペラーは、

「ありがたい言葉です。」

と言って、さらに続けた。

「今の世には、耳や心に心地よく響く音楽、ただ興奮させる音楽、感情に訴えるだけの音楽が氾濫してます。しかし、そのような音楽は真の音楽、真の価値を持った音楽ではありません。真の音楽は苦みを持ち、心を陶酔させるとともに覚醒させ、心を研ぎ澄まさせて昇華させるとともに、途方もない深みへと鎮めるのです。」

「まったく、その通りと思います。」

 そう言ってナユタがうなずくと、クレンペラーは書棚から一枚のディスクを取り出してきた。

「これを受け取っていただければ。この中には、録音技術ができて以来の私の演奏が録音されたものすべてが入っています。映像の付いたものもあります。一回きりの演奏会の記録も多いのですが、一般には公開してないものもたくさん含まれています。すべて聞くなんてとてもではないが途方もない時間がかかるので実際上無理でしょうが、何かのお役に立てばと思います。」

 このプレゼントはナユタを感激させた。

「こんな素晴らしいものをいただけるとは。あなたが、私の音楽に興味をお持ちかどうかは分かりませんが、よろしければ、私の音楽に関する同様の記録もありますので、受け取っていただけますか?」

「もちろん。喜んで。」

 そうクレンペラーは答え、さらに続けて言った。

「あの日の復興記念コンサートでのあなたの演奏のことをいつもよく思い出します。私は、楽譜に書いてあるものを演奏するのでないあなたの音世界、あの即興演奏の世界に強く惹かれました。ただ、私にはその能力がないので、やりませんがね。ただ、偶然性という要素は非常に重要だと思います。でも、世の中の人は誤解しているようだが、偶然性は決して単なる無秩序なカオスの偶然性ではないはずです。あなた自身もお気づきだと思いますが、音色、音階、リズム、それらはいずれも心の底にある何かを表すために選ばれている。そこに偶然性が加味されて、素晴らしい音世界が織りなされている。それがあなたの音楽ですね。」

「ありがとうございます。たしかに、無秩序だけでは音楽はできませんからね。一度、コンピュータに乱数表を処理させて、それだけに基づいて音楽を作ってみたことがありましたが、ひどいものでした。」

「そうでしょうね。音楽家の中には、音を何も奏でない音楽というものを作り、一部には賞賛する向きもあるがとうてい賛同できません。音を何も奏でず、その場にある音を聞くと概念は理解できますが、それは音楽をすべて偶然に委ねることを意味しており、すべてを偶然に任せてはなんら真のものは生まれません。偶然性は重要な概念かもしれませんが、我々の中にある創造力があって、それに偶然性が加わることで初めてすぐれたものが生み出されるのだと思います。それが偶然性を活かして創造するということではないかと思います。」

 ナユタもまったく同感だった。そんな会話を交わしてナユタはクレンペラーの住まいを後にしたが、ナユタは心を満たされた思いだった。音楽の中での分野は違っても、ともかく敬意を表するに値する仲間に再会できた気分だった。

 

 一方、ビハールでのさまざまな芸術家との交流のほとんどはナユタの心を満たさないものだった。

 そして、また、その芸術家たちの多くが古い様式に固執していることも改めて悟らざるを得なかった。古い様式に固執する者たちは、何ら創造的なものを生み出し得ない。ただ、一方で彼らは権威となり、社会に支えられ、その中で一定の位置を占め、その地位に安閑としていた。多くの弟子たちが群れ集まり、それが権威を高めていた。

 美術の世界では、大家と呼ばれる画家の元に流派が形成され、多くの弟子と称する画家たちが集まっていた。そして、その弟子たちはその大家の権威を後ろ盾に、さらに多くの孫弟子を集めて権勢を振るい、さらには、そんな大家たちや弟子たちが画壇と称するものを構築して、自分たちの権勢を保護する構図だった。

 一部には、そんな権威を否定し、独自の世界を描くものもあり、その中には大衆から評価を得る者もいたが、その多くは、結局、大衆の欲求に迎合した絵、大衆の心をつかむ斬新な作品を書いているにすぎなかった。

 そして、この現代において神々に受け入れられる絵は概して明るい色調で描かれ、そして、いくらかミステリアスで同時に個性的、それが共通する特徴だった。それが神々の心にやさしく訴えかけ、世の中に受け入れられ、賞賛されていたのだった。

 それはリリアンの絵とは本質的に異なっており、シュルツェの絵とも異なっており、ジャクソンの絵とも異なっていた。彼らの絵は、存在の本質に迫り、世界の裂け目と自分の存在との断点の上で描かれていたが、今、世の中で氾濫し、評価されている絵はそのようなものを包み隠し、明るさを装った幸せな世界、あるいは、心の奥底に潜むものに訴えかける不気味だったり、グロテスクだったりする世界を描いているにすぎなかった。絵画は真理を目指すまなざしから生まれるものではなくなり、神々の心に幸せや安らぎや喜びや刺激を与えるツールとでもなっているかのごときにナユタには思えた。

 音楽の世界でも事情は大きくは変わらなかった。伝統音楽を演奏する音楽家たちは、大衆の好みに合わせた演奏によって名声を博していた。頑固に厳格な音に固執するクレンペラーの人気は落ち目だった。

 さらには、大衆に受ける今風の音楽を奏でる者たちがアーティストと称して大きな顔をしていた。ナユタの耳には、それはただの騒音に類する音としか響かなかった。そんな音楽は、「小さな音が心の中に鳴り響くような音楽でなければならない。」

と言ったバルマン師の言葉から何と遠かったことだろう。

 そんなアーティストたちの音楽に、大衆は興奮し、ときには、「勇気を与えてくれる音楽」、「希望を与えてくれる音楽」と最大限の賞賛を送っているのだった。そして、アーティストたちも、「神々に勇気を与えたい。」とか、「神々に希望を与える音楽を作るのが自分の役割。」と言ってはばからなかった。実際、ミュージシャンのひとりは、ナユタに向かってこう言い放ったものだった。

「かつてあなたはヒーローだったかもしませんが、今のヒーローはぼくたちなんです。」

 ナユタは、かつてのウバリート旅行団の仲間も訪ねたが、今も音楽に取り組んでいる者はいなかった。ある者は地方の寺院に籠ってパキゼーの経典に没頭しているということだったし、別の者は、田舎に引っこんで野菜を育てているとのことだった。また行方が分からない者もいた。

 そんな中で、ひとりだけ、ビハールで書道を教えているかつての仲間に会うことができた。ナユタが訪ねてゆくと、その神は喜んでナユタを迎えてくれた。

 彼は前衛的な書を書いていたが、

「世には受けないね。ウバリート旅行団の音楽もそうだったけどね。もっと分かりやすいビジュアルで鮮鋭な書が今の世には受けるんでね。」

と言って、自分の書いた書を見せてくれた。

 朴訥とした筆遣いの中に、悩みが凝集しているような書だった。確かに、世の神々はこんな書を欲しがりはしないだろう。

「また、いつか、ウバリート旅行団の演奏をしたいもんだが。」

とナユタが言うと、その神は、否定も肯定もせず、ただ、

「その気があるなら、仲間と連絡をとっておくよ。」

とだけ答えてくれた。

 たしかに、ナユタが目指したもの、それは、バルマン師が目指し、パキゼーが目指し、エシューナ仙人が目指したものであったろうが、それは世の中ではほとんど忘れ去られている領域、あるいは、初めからなんら注目されていない領域であった。

 バルマン芸術院の美術部門の主任教授で、デザイン科の学科長でもある高名な教授と会ったとき、彼は、胸を張って言ったものだった。

「我々は過去の神々の世界と創造された人間たちの世界で生み出された作品をすべて咀嚼し、そして、この時代に合う新しいデザインを次々に生産しています。かつての芸術は実に豊富な素材を我々に与えてくれる。最近のいくつかの例を紹介しましょう。」

 そう言って彼が引き合わせてくれたのは、ビハール有数のデザイン設計会社の首席デザイナーだった。彼は最近新しくできたコンベンションセンターのデザインを手がけたと言っていた。そのセンターはナユタも行ったことがあって知っていたが、たしかに、斬新で心地よいものではあった。ただ、主任教授が次のように言ってはばからなかったのには、ナユタは同意できなかった。

「これこそが現代の芸術、現代のあるべき芸術の典型です。芸術が目指すべきもの、それは神々の心を満たし、豊かにすることですからね。」

 主任教授の部屋を辞してドレッシェルの研究室に戻ると、ドレッシェルは言った。

「今日の面談がお役に立ったかどうかは分かりませんが、少なくとも、現代の世の中を体感できたとは言えるのでは?」

「そうですね。」

 ややシニカルな調子でそう答えたナユタに対して、ドレッシェルは言った。

「真の芸術家は自ら描こうと思うものだけを追い求めているかもしれませんが、別の視点から言えば、ある芸術の意味は、受け手の心にその芸術が反射した時に初めて現れるとも言えます。その意味では、芸術は常に受け手の心と関係していると言えます。美術は視覚に訴える芸術ですが、何を描いているか分からないような絵も、それが受け手の心に何を呼び起こすかによって、その呼び起こすものが、その絵が描いているものということになります。そういう意味では、デザインも同じとも言えるでしょう。世の中にはさまざまなデザインが氾濫していますが、それは神々の心に何かを呼び起こしている。でも、大切なことは、」

 そう言ってドレッシェルは言葉を切り、真顔になって言った。

「大切なことは、デザインは本当の意味で心を深く打つことはないということです。デザインは神々の心がもつ欲望や欲求に応えるにすぎません。神としての在り方、生き方を掘り下げることとは無縁なのです。」

「ただ、そういった真の芸術と言える絵画が減っているのは残念ですね。でも、リリアンも含め、若い画家の中には真摯な者たちがいると信じています。」

 ナユタはそう答えたが、心に晴れやかならざるものが沈殿していったのもたしかだった。

 

 また、音楽アーティストとの交流はもっとひどかった。空虚な音をただやたらとまき散らすだけの音楽を奏する流行アーティストは得意げに、自らの芸について語り、ナユタの音楽など一顧だにしていなかった。

「誰も聞きもしない音楽を奏でてなんの意味があるのか分かりません。」

 彼らのひとりはそう言ってはばからなかった。

 そういったことはナユタにとって愉快なことではなかったが、そんな経験を通して、今の世の中がどうなっているかがよく理解できた。結局、そんな音楽をすばらしいと思うこの世界の神々のレベルがその程度だというだけのことなのだ。幼児が童謡を聞いたり歌ったりして喜んでいるのと同じように、世の神々はレベルの低い音楽に心動かされ、そしてそんな音楽を奏でる者たちを素晴らしいアーティストとして称賛しているだけなのだ。

「芸術は死んだ、というのはまさにその通りかもしれませんね。」

とナユタは、ある日の帰り道でドレッシェルに語った。

 ドレッシェルは肩をすくめた。

「ほんとうなら、これが世のすべてではありませんので、と言うべきところかもしれませんが、実際は、ほぼすべてに近いのかもしれませんのでね。」

 ナユタがうなずくとドレッシェルは続けた。

「別な点から言えば、世に受け入れられるのは分かりやすいものですね。演劇にしても、オペラにしても、テレビドラマや映画にしてもほとんどがそうです。善玉と悪玉が安易に対立させられ、分かりやすいが底の浅い勧善懲悪の物語。ときには、社会の矛盾や社会の中の新しい現象や潮流を背景とし、それに、手の込んだ陰謀や策略が組み込まれ、さらには、愛や献身といった要素が混ぜ込まれているに過ぎない。結局は大衆の卑俗な趣味に迎合しているだけです。」

「でも、その迎合が、人気と成功と巨万の報酬に結びつくというわけですね。」

 ナユタの言葉に、ドレッシェルはその通りという風にうなずくだけだった。

 もっとも、バルマン芸術院には、最前衛の芸術を目指す真摯な者たちがいないわけではなかった。かつてのゲーベルやマティアスの仲間たちのように、若い神々が新しい音楽や美術を目指す小さなサークルがいつくかあり、それらにナユタは参加した。彼らの中には真に才能のある者もいたが、世の中に認められるわけでもなく、前衛芸術を理解し合える狭い仲間たちの中だけで生きているのが現状だった。彼らの演奏会に来る聴衆は数十人を越えることはなく、録音されたものを発売しても、売れる件数が五百を越えることはついぞなかった。彼らの目は輝いていたが、彼らは少数の異端者に過ぎなかった。

 

 一方、ナユタは科学技術の視点にも興味を持ち、ウダヤ総合技術院の技術者たちとも交流を持った。最初に興味を持ったのは、ひとり一つ持っているパーソナルチップのことだった。トゥクール教授に会ったとき、ナユタがそのことを言うと、彼は機嫌よく答えた。

「もちろん、私でもそれなりのこと、少なくともナユタさんの疑問に十分に答える程度の説明はできると思います。でも、せっかくなので、その分野のエキスパートを紹介しますよ。その方が、ナユタさんの活動も広がって良いでしょうしね。」

 トゥクール教授が紹介してくれたのは、リーという教授だった。リーはナユタがやって来るとにこやかに迎えてくれた。

「パーソナルチップがどうやって動作しているかをお知りになりたいということですね。興味を持っていただいて、ありがたく思います。一般の大衆は、とてつもなく便利で、生活に不可欠な代物であるにもかかわらず、あるのが当たり前と思い込み、なぜ、それがそんな風に機能するのか考えもしませんがね。まあ、テレビやフレキパッドがなぜ映るのかということもほとんどの神は知らないわけだから無理もありません。さて、せっかくの機会なので、パーソナルチップそのものについてまず少しご説明しましょう。」

「ええ、ぜひよろしくお願いします。私もチップを一つもっていて、そのチップは、私だけのものとのことですが、どうやって私のことを認識しているのかがよく分からないものですから。」

「なるほど。」

 そう言うと、リー教授は、ナユタの前に、いくつかのチップを並べた。ナユタが持っているのと同じサイズのものから、ずっと大きいものまでいろいろあった。

「これは、チップの過去と現在です。今は、これ。ナユタさんもお持ちのサイズです。昔は、ずっと大きかった。」

 一番大きいものは五センチ角くらいだった。

「技術の進歩で小さくなったのですね。将来はもっと小さくなるのですか?」

 リーは笑った。

「いや、おそらく小さくはならないでしょう。技術的には可能なのですが、我々が扱うのに小さすぎると不便ですから。むしろ、機能がどんどん上がることになると思います。」

「なるほど。」

「このチップのキーとなる技術は大きく二つあります。一つは、半導体の微細化技術、そしてもう一つがセンサ技術です。半導体はメモリ、情報処理の核となりますが、昔は無機半導体を用いてました。しかし、無機半導体では微細化に限界がある。今は、有機物を用いて、サブナノに近いレベルの制御を行ってさらに微細化を進めています。」

「微細化の程度と情報処理能力が相関しているわけですね。」

「その通りです。」

 そう言って、リーは一枚のグラフを見せてくれた。微細化レベルとメモリ容量の年次経過を示したグラフだった。

「これで見ると、進歩はまだまだ続きそうですね。」

「ええ、そうです。一部の学者が言っている進歩が終焉するなんてことはありませんよ。」

 リーはそう言って笑い、さらにサブナノに近いレベルの微細化技術について説明してくれたが、次々に専門用語が飛び出し、難しい数式まで出てくるに及んでは、あまりに専門的すぎてナユタにはほとんど理解できなかった。分かったのは、高度な専門性を生かして半導体技術を進展させているらしいということだけだった。

 リーはもう一つの技術の説明に移った。

「もう一つの重要技術がセンサ技術です。たぶん、これがナユタさんがお知りになりたい点に直接結びつくと思います。チップにはさまざまなセンシング技術が組み込まれています。そのセンシング結果として、持ち主を識別するのです。」

「どんなセンシングなのですか?」

 何をセンシングするのか分からないといった顔つきでナユタが聞き返すと、リーは続けた。

「まず、我々はいろいろな信号を発していることを知らなくてはなりません。ほとんど意識していないでしょうがね。そんな信号には大きく三つあり、声、匂い、そして、我々の体そのものから発せられる電磁波です。」

「電磁波。」

「ええ、みんな自分の体が電磁波を発しているとは思っていないでしょう。我々は電磁波を発生させるための機械ではありませんのでね。でも、モノが活動するということは、常にそこには、極めて微弱であるかもしれないが電磁波が発生するのです。ですから、我々が生きて活動している以上、実に、さまざまな電磁波を発生させています。ただ、それは非常に弱く、検出したり、識別することが困難でした。しかし、ナノレベル有機センシングの技術によってそれが可能になったのです。」

 ここでもまた出てきた言葉が、ナノレベルと有機だった。

「我々が出している電磁波にはさまざまな波長のものがあり、それらは、その時の気分や感情、体の状態などによって左右されます。しかし、ある特定の波長の電磁波については、その者固有の振動スペクトルをもっているのです。現在、チップに使われている技術では、六つの波長領域で電磁波スペクトルを検出しています。その電磁波スペクトルはそれぞれの者で異なっており、ある学者の計算によると、まったく同じスペクトルのふたりが存在する確率は、二千億分の一ということです。神口がせいぜい五千万ですから、二千億分の一は十分すぎる値です。」

「しかし、素人質問かもしれませんが、この空間には他の電波なども飛び交っているわけで、その中から必要なスペクトルを抽出するのは難しくはないのですか?」

「良い質問です。この技術において、検出感度を上げて微弱信号を検出する技術も大事なのですが、それ以上に大事なのが、ノイズキャンセリング技術です。これなくしては、おっしゃるように、体から出てくる信号は、ノイズに埋もれてしまいます。ノイズキャンセリングには、フィルタリング技術、情報処理とソフトウェアの技術が深く関わっています。私はあまり専門ではないので、詳しい説明は難しいですが。」

「そうすると、ともかく、チップは自分が誰のチップかを認識するというわけですね。」

「そうです。だから、そのチップが他の誰かに反応することはありません。そして、そのチップが家の外で自分の主人からある距離以上離れると、警報を発するわけです。さらに、そのチップはその者のロボットとも繋がっています。ナユタさんの場合は、なんという名前でしたかな。トゥクール教授から名前は聞いていたのですが。」

「ロボットのアミティスですか。」

「あっ、そうそう。アミティスさんでしたね。ナユタさんのチップはアミティスさんとも繋がっていますので、彼女は家にいても、いつでもあなたのそばにいるようなものなのです。」

 その後もナユタはウダヤ総合技術院の技術者たちと、将来技術の可能性についての議論などしばしば交流をもった。ただ、その科学技術の点ではたしかに彼らは卓越していたが、その心の中身は薄っぺらでしかないことがしばしば感じさせられた。

 彼らは技術に取り組むときには真剣で、真摯であり、その姿勢は誠に立派といってよかったが、ひとたび技術を離れると、ただ、豊かな衣食住を楽しみ、仲間とのばか騒ぎに興じ、自分が興味を持つことに没頭しているにすぎなかった。神としての在り方を問うというような姿勢は微塵もなかった。

 ただ、そんな中、ナユタが興味をもった別の技術が、音楽演奏ロボットだった。ウダヤ総合技術院でこの分野の研究開発に取り組んでいる技術者たちは、大きく分けて三つの方向からこの技術に取り組んでいた。

 一つは、オーケストラを構成する奏者をロボット化することで、最高の技量と指揮者の意図を的確に汲んで演奏する能力をもつロボットの開発であった。このようなロボット奏者からのなるオーケストラは、指揮者が完全に自己の意図を具現化できるという意味でまさに完全な楽器を目指す試みだった。まさに、ピアニストがピアノを弾きこなすが如く、オーケストラの指揮者はオーケストラという楽器を鳴り響かせるのであった。

 ただ、クレンペラーなどはこれには依然として懐疑的で、「少なくとも現時点での技術では」と前置きをしてではあったが、

「演奏の仕方については指示を与えることはできるが、演奏する心を指示することはできませんからね。」

とくぎを刺した。真の偉大な演奏は、指揮者の心に真に共感する奏者の自発的な心から発露するものだということを付け加えるのも忘れなかった。

 ロボット演奏の二つ目の流れは、かつて録音されたものを詳細かつ精密に分析し、それをオーケストラのロボット奏者の演奏に還元させ、実際のコンサートホールで鳴り響かせるというものだった。また、指揮者の手振りや表情も残っている映像や画像の記録から再現し、まさに、ロボットによる演奏会が開かれるのだった。特に、かつての地上での演奏の再現には意味を見出すものも多く、例えば、○○年○○月○○日、シュレジンガー指揮、フィガラッシュ・フィルハーモニー管弦楽団によるアントンの交響曲第九番とか、○○年○○月○○日、グスタフ指揮、ニュークルツ交響楽団による自作の交響曲第十番とかの演奏会が開かれた。

 この二つの演奏会はナユタも聴きに行ったが、それが、どこまでかつての演奏を再現できているかという点はともかく、感動を誘う演奏会であったことだけは確かだった。

 さらに、ロボット演奏の三つ目への方向は、ロボット自身が優れた演奏家になるという道だった。技巧的にはロボットはさまざまな演奏が可能であったが、その結果として生まれるはずの演奏をロボットに組み込まれたコンピュータで評価し、それに基づいて最適な演奏を選択してゆくというものだった。かつて、創造された人間の世界で、チェスや将棋、オセロといったゲームで人間とコンピュータの対決が話題になった時期もあったが、そのとき、コンピュータは可能性のある膨大な数の差し手をシミュレーションして最適な手を選んでいたわけで、ロボット奏者も同じことをしているのだった。ただ、この場合、可能な演奏の中から最適な演奏を選んでゆくときの評価基準がポイントとなるため、この技術はいまだ発展途上ではあったが、次第に現実味を帯びてきているのも確かだった。ただ、世の中で賞賛を受ける演奏という点ではこの方式で追及することができるが、時代の先を行く演奏とか、新しい世界を切り開くという点では、どのまで可能かは疑問だとナユタは考えざるを得なかった。

 音楽とロボットの関係という点では、ロボット作曲家も現れていた。これもロボット奏者の第三の方向と同じやり方で取り組んでいたが、ヒット曲を作るロボット作曲家も次第に増えてきつつあった。ただ、新しい音楽を切り開くというようなことができるのかどうか、ナユタは大きな疑問を持たざるを得なかった。

 そんな疑問をトゥクール教授にぶつけると、トゥクールは笑いながら快活に答えた。

「そのためにはロボットに意思を持たせるほかありませんな。」

「ロボットに意思を持たせるということですか。」

「そのとおり。我々と同じように悩み、考えるようにならなければ、ナユタさんが言われるような真の音楽を生み出すことはできないではありませんか。ただ、現時点では我々にロボットに、悩んだり、考えたりする能力は付与していません。」

 この言葉にナユタは納得しつつ、さらに訊いた。

「ロボットに意思を持たせることはできるのですか?」

「できます。」

 トゥクールははっきり断言したが、さらに続けて言った。

「しかし、それは危険なことでもあります。ロボットに意思を持たせる研究は研究者たちによっていろいろ試みられ、相応の進歩を遂げています。しかし、ロボットが意思を持つようになるなら、我々と何が違うことになるのか。いや、むしろ、いろいろな能力、身体能力とか、記憶力とか、計算能力とか、あらゆる面で我々より優れた存在になるとも言えます。すなわち、ロボットは我々を超えた存在になりうるということです。」

「なるほど。」

「しかし、そうなってはならないと思います。一部の学者には、それが科学技術の進展の自然な帰結であるならそうなってかまわないではないかと言う者もいますが、乱暴で危険な考え方です。ですから、完全な意思を持ったロボットを作るための研究は政府が禁じていますし、それに基づいて、我々も倫理委員会を作って神経を尖らせて研究内容について審議しています。」

「でも、さっき、ロボットに意思を持たせる研究は行われていると言われましたが。」

 ナユタがそう問いかけると、トゥクールは大きくうなずきながら言った。

「その通りです。ある意味、ロボットが我々をサポートする際に、ロボットが適度な意思を持っていたほうが良いという面はありますのでね。ただ、ある一線を越えてはならないということなのです。その一線がどこかというのが、また難しいわけですが。」

 さらに、トゥクールはロボットの権威らしく、意思を持たせるための技術内容について解説してくれたが、むずかしくて理解するのが簡単ではなかった。いずれにしても、ロボットに意思を持たせることは原理的に可能であるが、完全な意思を持たせてはならないということだった。

 

 一方、あるときドレッシェルが招いた経済学者との討論も興味深いものだった。その経済学者は、マーシュ大学付属の経済理論研究所のディオダード教授で、彼は搾取と繁栄をテーマに一通りの講演を行い、最後にこう語った。

「かつて、繁栄とは搾取でした。繁栄を続けることは、すなわち、搾取の構造を維持し、さらに新たな搾取の仕組みを生み出すことでした。ルガルバンダが築いた世界も、前回の創造された世界もそうでした。けれど、それは世の巨大な不満、閉塞感を生み、搾取する者と搾取される者との間の新たな対立、新たな戦いを生み出しました。それは歴史が証明している通りです。けれど、今、我々の世界ではそれは変わった。搾取ではなく、共存共栄の世界です。その方がより安全で、平和で、満足が得られるのです。」

 学生のひとりが質問した。

「搾取ではなく、共存共栄によって繁栄が生み出されるということは、まさに我々自身がこの世界で実感しているところであり、異論はありません。我々からすれば、搾取によって繁栄が作られたということの方により違和感を感じます。でも、歴史をひも解けば、繁栄とは搾取だったという先生の説明が妥当であることは明らかです。それで、質問したいのですが、そういう共存共栄によって繁栄が得られる世界というのはどのようにして生まれたのでしょうか?自然に生まれたのでしょうか。あるいは政府の方針によってでしょうか。この点について教えて欲しいのですが。」

「良い質問だね。」

と言って、ディオダード教授は続けた。

「このことに答えるには、まず、全体最適と個別最適という二つの概念を踏まえて考えることが重要だ。全体最適の観点から考えれば、共存共栄による繁栄が良いわけで、そういう状態に最適化されるべきだと答え得る。しかし、そのような考えは架空のものでしかない。そもそも、現実の世界は、全体最適という視点では動かない。このことを十分に理解しなくてはならない。もちろん、一部の者たちは、全体最適に基づく世界像をイメージし、さらにはそれを目指すこともできる。でも、現実の社会はたくさんの存在者たちによって構成されており、その中で重要なのは個別最適だ。各々の者が自分にとって最適と思う方向に動いてゆく。権力者、為政者も基本的にはそうだ。だから、権力者たちは、常に、自分あるいは自分たちの繁栄を求めて行動してきた。そして、かつては総生産量が少なかったので、自らが満足するためには搾取が必要だった。だから、繁栄とは搾取という構図が生まれたわけだ。しかし、総生産量が上昇し、すべての神を満たすだけのものが生産されるようになれば、もはや搾取は必要ない。権力者の個別最適の観点に立っても、搾取がないことによって生み出される平和な社会という恩恵を受けることが、自らの繁栄にもつながるということになったと言える。それは言ってみれば、総生産量の増大によって、為政者、権力者、支配者の個別最適の観点からも、共存共栄の方が搾取よりも良い状況に変化したということだ。」

「それが、今の政府の方針でもあるわけですね。」

「その通り。」

 そうディオダードが答えると、ドレッシェルが口を挟んだ。

「ただ、一方で、進歩は格差から生まれるとも言えます。格差や経済的に大きな勾配のある社会が進歩を生み出します。けれど、総生産が上がり、格差がなくなった今の世界では、発明によってあるいは独創的なビジネスによって大金持ちになるとかいうようなことは、もはやそれほど意味のないドリームになってしまった。少なくともその意味はかつてよりははるかに小さくなってしまっています。今では、市井の神ですら、かつてのルガルバンダよりもはるかに快適で豊かな暮らしをしていますからね。そして、それが進歩を止める。現状満足の中から進歩は起こりません。かつてのような急速な進歩に代わって、今はゆっくりした変化があるだけ。そして、いつか、ほんとうに進歩のない世界というものが現れるでしょう。」

「その通りかもしれません。」

とディオダード教授は言ったが、さらに続けて言った。

「ただ、神々にとって重要なのは、繁栄であって、進歩ではない。進歩がなくとも、繁栄があればそれで良いと言えるでしょう。ある意味、かつての繁栄の基盤だった搾取は進歩を創出しました。それに対して、共存共栄に基づく繁栄は、現状維持を指向し、進歩を目ざさないものと言えるかもしれません。」

 これがある意味、このディオダード教授の結論と言っていいかもしれなかった。

 

 また別の時、ドレッシェルは、ナユタとリリアンが出席したゼミで、こんなことを語った。

「前回の創造された世界で、トーマスという作家は、ある小説の中で、『情熱とは人生を人生そのもののために生きることだ。』と書いている。そして、また、彼は同じ個所で、別の生き方は体験を目的とした生き方だという趣旨のことを書いている。そして、情熱は自分を忘れること、体験は自分を豊かにすること、と書いている。」

 研究生のひとりがこれを受けて発言した。

「今、先生がおっしゃった概念に基づけば、今の神々は情熱的です。みな、自らを豊かにするための体験を求めるのではなく、自らの生と時間を消費し、浪費しているように見えます。そして、今の時代、多くのものが凡庸化し、一方でその凡庸化した世界がヒーローを求めています。神々はヒーローと成りうるものを見つけ出そうとし、見つけ出されたヒーローは偶像化され、伝説化され、ヒーローとして大衆から賞賛されるものになってゆきます。自らを高めるのではなく、架空のヒーローに自らを投影して満足しているにすぎません。」

「自らを高める代わりに、まさにヒーローに自分を投影して心を満たしているという構図だ。それはいつの時代にもあったが、今の時代はそれがより顕著になっているかもしれない。かつては、世の利得に背を向けて自分自身を高めようとする者たちが常に少なからずいたものだが、今はそんな者は森に棲む一部の神だけになった。都会の神々はそんなものを一顧だにしない。彼らが求めているのは、まさに、自分を投影できるヒーローであり、それは仮想世界の中で生み出されているわけだ。」

 ドレッシェルがさらにナユタに発言を請うと、ナユタはこう語った。

「私は依然として、自分を豊かにするための体験ということは重要なことだと信じています。私はもともと戦いの神でしたが、音楽を学び、また、パキゼーの悟りに接し、それらが自分を高めてくれたとは疑いのないことと感じています。」

 この言葉にうなずくと、ドレッシェルは言った。

「自分を高める心をもたない大多数の神々がこの世界を覆っています。そして、その神々は、単なる役に立つ能力、技術とか、理数計算とか、あるいは、スピーチとかディベートとか、そういう能力を高めることには努力を惜しまないが、自分自身の本質を高める努力をしていません。彼らの在り方には疑問を感じざるを得ない。」

 博士研究員のひとりが発言した。

「今や、すべての神が発言力を持っています。かつては社会の中枢にいたのは一部の者たちだけで、ある意味では、彼らが社会を牛耳っていました。そして、その外にいる者たちは、その中に入ることを目指したものです。しかし、今や、オプトネットのおかげで、誰でもが、言葉や映像や意見を発信でき、それが世界に受け入れられるや否や瞬時にして彼または彼女は社会の中枢に立てるのです。だから、誰もが、自らを高めることではなく、世界に参加することに汲々としているのです。」

 まさに彼の言った通りだった。そして、だからこそ、その一般の神々のレベルに合わせたものが幅を利かせることになっているのだ。

 

 別の機会には、再び音楽がテーマとなり、ドレッシェルの研究室で音楽を研究している講師のユルゲン女史が語った。

「音楽は神々の心や感情を表現するもっともすぐれた手段でしょう。言葉はあまりにも不完全ですが、音楽は言葉が近づくことができないものを表現できるのです。音楽は外的な何ものかを伝えるのではなく、内的なもの、言葉で表現できないものを伝えるのです。」

 そして彼女は、美術や文学と音楽の違い、そして音楽がもっている表現としての優位性について説明した。

 これに対して、ナユタは問いかけた。

「音楽が、言葉では近づけないものを表現できるという点にはまったく同感です。特に、とてつもなく崇高なもの、とてつもなく究極的なものを表現できるという点で、音楽の優位性があると思います。そして、それが可能になるのは、音楽が抽象だからだと先生はおっしゃいました。たしかに、音楽が具象化したとたんに、その音楽は神秘性を失います。逆に、文学や美術は具象から始まりました。それが、文学や美術に制約をもたらしていることも先生のおっしゃる通りと思います。ただ、文学や美術が完全に具象から離れ、音楽が達したような高みに至る道がないのかどうか。私には、まだその可能性は残っていると思うのですが。」

 女史は軽く微笑みながら言った。

「ありがとうございます。まことに適切なご指摘と思います。ただ、文学や美術が完全に具象から離れ、音楽が達したような高みに至る可能性については私には分かりません。それは誰かがそれを達成してみて初めて理解できるものかもしれません。少なくとも、私自身の認識では、文学は具体的なものを指し示しながら語られます。そして美術について言うと、多くの抽象美術が依然として何らかの具体的なイメージを包含しますし、完全な抽象と言える優れた絵画もあるのですが、最高の抽象音楽が生み出すような神秘性と深み、心の奥底まで捉えるような崇高さにはまだ達していないのではないかというのが私の私見です。」

 ナユタは言った。

「ありがとうございます。たいへん明解なお答えでした。ただ、私は、完全に抽象の文学がどのような効果をもたらしうるのか分かりませんが、少なくとも美術については、完全な抽象絵画、いかなる具象的イメージも想起させない作品というものが音楽と同じだけの高みに達する可能であると信じています。」

 その日の帰り道、リリアンはナユタに言った。

「今日のゼミは有意義でした。ずっと思い続けていましたが、完全なる抽象的な絵画でどこまで深みに達することができるのか、それを描くことですね。」

 これに対して、ナユタは言った。

「そうだね。ぜひ、描いて欲しいものだね。君なら描けるかもしれない。ただ、いつまでもここにいるのがいいかどうか。ビハールは絵の修業をするにはいいかもしれないが、ほんとうの絵を描くのにいい場所かどうか。」

「じゃあ、どこが適切な場所なんでしょう?」

「少なくとも、ぼくは、森はその候補だと思うね。」

 このナユタの言葉はリリアンの心を動かしたようだった。

「私は森を知らないんです。一度、行ってみたいんですが。」

 この言葉にうなずいてナユタは言った。

「じゃあ、森に行ってみようか。こっちに来て半年になるし、一度、森に帰ってウパシーヴァ仙神にもお会いしたいと思っていたのでね。」

 

 

201763日掲載 / 最新改訂:2019316日)


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向殿充浩 (こうでんみつひろ) / 神話『ブルーポールズ』第6巻