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神話『ブルーポールズ』

【第5巻】-

 

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 さて、神々の世界では、創造の継続についてさらに厳しい議論や激しい創造破棄運動が続いたが、しばらくして地上では、キンシ―のブラーニア軍九万がついに降伏した。パークス大統領は絶対にキンシーを死守せよと厳命し、かつてブラーニア軍の元帥で敵に降伏した将軍はいないという伝統に基づき、キンシーの総司令官を元帥に昇進させるという策までとったが、万策尽きたブラーニア軍はランズウッド軍の降伏勧告に従ったのだった。

 もはや大戦の帰趨は誰の目にも明らかだった。そして、ある日突然、ラジオが

「戦争が終わった。」

と告げた。

 首都シュタルバーでの攻防戦がこれから繰り広げられるだろうと思っていた神々にとって、戦争がどうして急に終わったのか不思議だったが、追い詰められたブラーニアのパークス大統領が暗殺され、これに引き続いて起こったクーデターで権力を掌握したグループが無条件降伏を受け入れたからだった。徹底抗戦を叫んでいた大統領派は、クーデターによって次々に粛清されていった。

 ラジオからはヴィダールの声が流れた。

「世界大戦は終わった。これからは平和の構築の時代となるだろう。この戦争は、創造されたものの単なる一表象にすぎない。創造はこれからさらに新たな歩みを続けるだろう。私はこの創造がたいへんな艱難辛苦を人類に課したことを理解している。だが、人類は乗り越え、新しい時代を作るだろう。私は創造の停止を主張した神々を非難はしない。ただ私はすべての神々に言いたい。新しい時代が始まる。この世界を見守ろうではないかと。」

 仲間とともに、そのラジオ放送を聞いたプシュパギリは苦虫をかみつぶしたような顔で、吐き捨てるように言った。

「戦争が終わってまことに良かった。だが、戦争が終われば、それでこの創造の問題がなくなるわけではない。創造は依然として根本的な問題を孕んでいる。我々の取り組みももう一度再構築せねばならぬ。この創造の非を明らかにし、この創造を止めさせる我々の責務はなくなってはいない。」

 プシュパギリはこのように語ったが、地上で世界大戦が終わり、再びやってくるであろう平和な時代への期待が高まると、シャルマらの勢いは潮が引くように衰えていった。

「シャルマは未来を創造することのできない守旧派に過ぎない。」

「破壊だけにしか意義を見出さない神はもはや存在意義を失っている。かつてのムチャリンダの同類に過ぎない」

 そんな非難がシャルマらに浴びせかけられた。

 ヴィダールは世界大戦の終結を祝い、声高らかに議会で演説した。

「創造された世界はさらに新しい次元に進むだろう。困難を乗り越えた世界はさらにすばらしい実りをもたらすだろう。」

 シュリーは創造の展開を褒め称える神々の訪問を受け、上機嫌に語った。

「この創造こそ、これまでのすべての創造の中の最高のもの。前回の創造はムチャリンダやナユタの妨害で挫折したが、今回はシャルマやナユタの妨害を排し、創造は完成への道を突き進んでいる。大いに期待しようではないか。この創造がもたらす大いなる果実を味わおうではないか。」

 神々はシュリーを称え、ヴィダールを支持した。

 ナユタはそれを見てシャルマに語った。

「これが神々の現実だ。神々には真実は見えていないのだろう。ともかく、おれは地上に戻るよ。マティアスが待っているだろうしな。」

「そうか、分かったよ。だが、おれはこれで諦めるわけにはゆかぬ。こんな神々の世界を変えねばならぬ。これからも戦い続けねばならぬからな。」

 シャルマはそう言って戦いの継続を誓い、ナユタは再び別れを告げて地上に戻っていった。

 

 地上に戻ると、ナユタはマティアスと再会し、再び大学の研究員に戻った。だが、ここでマティアスから聞かされたのは、シュテファンとレジナルドが相次いで亡くなったということだった。類い希なる文筆の才を持ち、平和を希求してペンの力でパークスに立ち向かったシュテファン。謙虚な人格者で毅然とした紳士だったレジナルド。戦争末期の頃から健康が優れないとは聞いてはいたが、改めてこの二人が語る言葉をもう聞くことができないという現実を突きつけられるのは何とも悲しいことだった。さらに、マティアスが言ったのはフェドラーの病気のことだった。

「フェドラーは体の調子が悪くてな。薬でなんとか抑えているが、実は白血病なんだ。ディッタが懸命に看病していて、本人には言ってないようだが、本人もうすうす気づいているようでね。」

「けっこう悪いのか?」

 ナユタがそう聞き返すとマティアスは力なくうなずいて言った。

「ああ、おそらくそんなに長くはないだろう。あいつは大陸に戻って民族音楽の蒐集を続け、それを活かした新音楽を作ることを夢見ているのにな。戦争が終わって大陸に戻ることも夢じゃなくなったときに病に倒れるとは言葉では言えないほどやるせない気持ちだよ。」

 まさにその通りだったろう。

 この新大陸のランズウッドの文化になじめず、ただただルンベルグの故郷に思いを馳せ続けたフェドラー。すばらしい音楽を書いてもこのランズウッドでは受け入れられることがなく、大戦で軋む世界に心を荒ませていたフェドラー。そのフェドラーが、大戦が終わり、平和な時代がやってくるというこのときにニュークルツの喧噪の中で病に伏しているのだ。まさにマティアスが言った通りやるせない限りだった。

 フェドラーが亡くなったのはそれからしばらくしてからだった。戦争の時代の軋んだ世界も、このニュークルツの殺伐とした喧噪も忌み嫌っていたフェドラーがニュークルツでひっそり亡くなる。これは心にとてつもなく痛く悲しいことだった。

 だが、仲間たちでそのフェドラーの部屋を整理していて見つけたのは完成間近の未完の二つの作品だった。一つはピアノ協奏曲第三番、もう一つはヴィオラ協奏曲だった。ピアノ協奏曲第三番はディッタの誕生日の贈り物として用意していたようで、最後の十数小節を残してほとんど完成していた。ヴィオラ協奏曲はヨーゼフが生活に困窮するフェドラーのために委嘱したもので、全体の構成はほぼ出来上がっていた。

「これをおれたちで完成させよう。」

 そう言ったゲーベルの言葉に皆うなずいた。楽譜を眺めながら相談した結果、ピアノ協奏曲第三番はマティアスが、ヴィオラ協奏曲はゲーベルがヨーゼフと相談して補筆することになり、ほどなくして両曲とも完成した。

 その曲の初演は、ザッハーが指揮するニュークルツ交響楽団の演奏会で行われた。ピアノはディッタ、ヴィオラはヴァイオリン奏者のヨーゼフが独奏を務めた。この演奏会は、フェドラーの追悼演奏会と銘打たれ、まず、フェドラーの代表作の一つである弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽が演奏された。この曲はまさにフェドラーの民族音楽蒐集の成果が詰め込まれたと言っても良い作品で、民族音楽の韻律と前衛的な音階とが錯綜しつつ精神的高みへと昇華してゆくすばらしい曲だった。二曲目がピアノ協奏曲第三番。神秘的な深遠から研ぎ澄まされた美しい旋律が浮かび上がってくるこの曲は、この暗い時代の中でひたすら何かを求め続けたフェドラーの真の声のようだった。最後に演奏されたヴィオラ協奏曲は静かで重い音調の曲で、このランズウッドでのフェドラーの最後の心そのもののように割り切れないやるせなさが漂う曲だった。

 演奏会自身は白血病で倒れた悲劇のフェドラーの追悼演奏会ということもあって一応の成功を収めた。それはディッタやナユタ、マティアス、ゲーベルたちにとってせめてもの心の慰めであったろう。

 

 だが、時代は悲しみに浸っているべき時代ではなかった。時代は大きく変わりつつあり、そして希望に満ちたのだ。

 実際、この大戦は世界に大きな変化をもたらした。古い多くのものが絶滅し、新しいものが起こって来た。時代の断絶と言ってもいい事態だった。

 ブラーニアが降伏すると、ランズウッドはすぐに軍を進駐させ占領政策を開始した。ブラーニア軍部は解体され、戦前の軍国体制は次々に改編させられた。前大戦後の不適切な平和条約が再び世界大戦を引き起こしたとの反省も踏まえ、ランズウッドはブラーニアを自陣営の一員と位置付けて、政治的にも経済的にも支援した。民主主義が復活し、人権が保障された。

 そんな中、進駐軍の占領政策の一環として故国に一時帰っていたゲーベルとクロイシュタットがニュークルツに戻ってきた。だが、マティアスとナユタが知らされたのは、故国で二人の親族の者たちは誰一人生き残っていなかったという過酷な現実だった。

 クロイシュタットはかつて自分がいた収容所も含め、進駐軍関係者とともにいくつかの収容所を訪問してきたということだった。また、ゲーベルは、パークスが推進した芸術統制を葬るべく占領軍が進める音楽政策に沿って、何度か新音楽の演奏会を行ったということだった。

「もちろん、自由に音楽を奏でることを喜ぶ人々もいた。でも民衆は音楽じゃなく食べ物に飢えてるんだ。」

 そうゲーベルは言い、人々がいかにその日暮らしをしているかを語った。

「爆撃によって廃墟同然になった都市の瓦礫の中で、ごみの中から食べ物を探し、排水管から水を飲み、薪をくべて料理を作っている。人々は闇市に殺到し、パンのために争い、盗み、欺き、そして施しを乞うている。まったく惨めとしか言いようがなかったよ。」

「でも、それがおれたちの故郷だからな。」

 クロイシュタットはそう言うと、ルンベルグに居を移すことを伝えた。そのクロイシュタットの思いには、大戦での勝利をただただ華々しく喜び、その底にどんな苦しみや悲しみが滲んでいたかを顧みようともしないランズウッドの風潮への反感もあっただろう。

 クロイシュタットは仲間たちに言った。

「戦争が終わって、おれはゲーベルと一緒に凱旋パレードを見に行った。ブルックはまさに英雄で、ステッキにシルクハットを掲げ、群衆の歓声に応えていた。それはまさに熱狂と言っていい光景だったよ。たしかに、生き残った者にとっては戦争の勝利は大きな喜びだろう。だが、その勝利の裏では惨めに死んでいった無数の者たちがいるんだ。ブラーニアやルンベルグの者たちだけじゃなく、ここランズウッドの若者にしても、勝ち目のない戦線に送られて死んでいった者は数知れないはずだ。おれには、その者たちはこのパレードを見て、冥界の底から怨みの目でブルックを睨んでいるとしか思えなかった。」

 その思いはゲーベルも同じだったろう。だが、そんな思いが世の中に響くことはなかった。それは秘かに囁かれることはあっただろうが、公の場で大きな声で語られることはなかった。

 だから、ゲーベルもこの国にはもう居たくないようで、ブラーニアに関わる仕事をするということだった。

「占領軍が音楽政策の一つとして、首都のシュタルバーに現代音楽センターを作るというんだ。ぼくはそれに関わることにしたよ。まずは来年の国際現代音楽夏期講習の準備からだ。」

 彼らは肉親を亡くした悲しみを胸に秘め、けれど、故国での使命と新しい希望を心の支えに未来に向けて踏み出そうとしているようだった。

 そんな中、ゲーベルは作曲家としての限界も感じているようだった。彼は言った。

「かつては、おれの心の中には不条理と義憤がないまぜになったようなやるせない思いが渦巻いていた。それがおれに新しい音楽を生み出さしめていたように思える。もちろん、今だって矛盾や不条理は渦巻いている。でも、今は、希望とやらねばならないことが目の前にあるんだ。たぶん、芸術家というものは、心に活気が溢れ、やりがいに満たされている時よりも、不満を抱き、自己嫌悪している時にこそ、良い作品が生み出せるんだ。」

 この言葉は、かつて、

「おれには破るべきでない法則など何もない。おれはあらゆる可能性を形にする。」

と語っていた彼の言葉とはあまりにもかけ離れたものだったが、ゲーベルはちょっとため息交じりに言った。

「これが創造力が枯渇するということかもしれないな。」

 そんな背景もあって、ゲーベルは指揮者としての新しい道を歩み始めていた。しばらくしてゲーベルはシュタルバー・フィルハーモニーに客演指揮して大きな成功を収め、このオーケストラの常任指揮者に就任した。ナユタたちはちょっとびっくりしたが、これには複雑な事情があった。

 以前のシュタルバー・フィルハーモニーの常任指揮者はヴィルヘルムという指揮者で、グスタフが大陸を去った後は、大陸一の指揮者と呼ばれていた。ヴィルヘルムの演奏はブラーニア・ロマン主義の伝統に立っていたが、音楽の奥底に潜むデモーニッシュともいえる情念を描き出すヒューマニスティックな演奏は途方もない深みを持ち、誰も太刀打ちできなかった。ナユタもルンベルグにいるとき、フィガラッシュ・フィルハーモニーに客演指揮したヴィルヘルムの演奏を聴いたことがあった。ナユタ自身は必ずしもその演奏を好きになれなかったが、たいそう立派な凄い演奏であることはまちがいなかった。

 そのヴィルヘルムはランズウッドを中心とする連合軍がシュタルバーに進駐すると、パークスへの協力を疑われてシュタルバー・フィルハーモニーの常任指揮者を解かれ、演奏禁止処分を受けていた。戦時中、パークスの意に沿ってシュタルバーで演奏を続けていたことがその理由であった。ヴィルヘルム自身は、「自分は音楽のために音楽を演奏するだけ。」と言っていたが、ヴィルヘルムの演奏会がパークスの国内政策の一助になった面は否定できなかった。音楽家の中でも戦時中のヴィルヘルムの行動を批判する者は少なくなく、クロイシュタットも吐き捨てるようにヴィルヘルムを非難したが、そのような音楽家の中の急先鋒が、グスタフの後任でニュークルツ交響楽団の常任指揮者になっていたアルトゥールだった。実際、アルトゥールは政治思想として全体主義を徹底的に嫌っており、パークスの国に留まって演奏を続けるヴィルヘルムには当時から強い非難を発していた。

 そのような背景の中で、演奏禁止処分を受けたヴィルヘルムに代わるシュタルバー・フィルハーモニーの常任指揮者としてアルトゥールが推薦したのがゲーベルだった。新しい時代にふさわしい新しい演奏スタイルを生み出すゲーベルをアルトゥールが強く支持した結果と言っても良かった。そして、また、ゲーベルがシュタルバー・フィルハーモニーの常任指揮者としてブラーニアに復帰することには、異人種差別に対するきっぱりとした決別の姿勢を明確にするという意味も込められていたようで、それもアルトゥールがゲーベルを推した理由の一つであると見られていた。

 ともかくゲーベルはシュタルバー・フィルハーモニーの常任指揮者に就任して、古典音楽やロマン派の音楽の演奏で人気を博す指揮者となっていった。彼は前衛音楽の作曲で培った斬新な音感覚を武器に、戦後の新世紀にふさわしい斬新な響きで交響曲を演奏し、時代に新風を吹き込んでいったのだった。

 そのゲーベルの成功にはジャーナリズムの力も大きかったろう。ブラーニアの秘密組織に恋人を殺され、自らも殺人の疑いをかけられ、さらにはパークスの異人種差別のために家族をすべて失った悲劇の音楽家、けれどそれに屈しない不屈の音楽家。それがマスメディアの作り上げたゲーベル像でもあり、指揮者としてのゲーベルの人気を押し上げる大きな要因になったのはまちがいなかった。

 そのゲーベルの指揮する音楽のレコードがレコード店に多数並ぶようになると、マティアスは言ったものだった。

「かつてグスタフは、『指揮は生活のため、作曲は自分のため。』と言ったが、ゲーベルはただ指揮だけになっている。才能を金のために浪費しているんじゃないか。たしかに金になる彼を持ち上げる回りがあるからだがな。実際、作曲とは比べものにならないくらい金は入るんだろうけど。」

 だが、同時にマティアスは言った。

「昔、フィガラッシュの場末の部屋で四人で音楽をやり、そのうちナユタが来てくれたあの頃が懐かしいよ。みんな、金も地位も名声もなかったが、音楽の喜びと夢があった。あの頃のあの弾むような心はもう取り戻せないんだろうな。」

 

 ブルーポールはもはや光を失ったのかもしれなかった。

 

 

2016111日掲載 / 2023813日改訂)

 

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向殿充浩(こうでんみつひろ) / 神話『ブルーポールズ』第5巻