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神話『ブルーポールズ』

【第4巻】-

 

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 さて、ナユタがドルヒヤでヴィクートらと供に蜂起の準備を進めている頃、ウバリートでもシャルマが着々と戦いの準備を進めていた。ただ、ナユタやマーシュ師の助言もあって、ユビュにはほとんど関与させなかった。

 マーシュ師は繰り返しシャルマに言っていた。

「我らが起ち上がるべき時は、ユビュが決意した時だ。それまでは決して動いてはならん。」

 シャルマはこのマーシュ師の言葉に従い、ひたすら決起の準備を進めたが、あるときマーシュ師に恐る恐る尋ねた。

「戦いへの準備は着々と進めておりますが、ユビュ様が起ち上がる決意をなさるのはどのような時なのでしょうか?」

「さあな。ユビュの心の内まではわしにも分からんからな。だがな、シャルマ。この宇宙はナユタとユビュを軸に動いておる。しかも、ユビュはヴィカルナ聖仙よりブルーポールも授かっておる。ユビュは必ず起つよ。ただ、それがいつかは我らには計り知れぬことであろうな。ユビュが起つべき時が来れば、ユビュは自ら起ち上がるだろう。それまでは、ユビュをそっとしておいてやることじゃ。」

 このマーシュ師の答えにシャルマはただ頭を下げるのみであった。

 そしてユビュはシャルマが進める準備を横目で見ながら、それには何の口出しもせず、ただ静かにウバリートの自然に心を遊ばせる日々を送った。

 ユビュがウバリートでの生活にも慣れた頃、ようやくウバリートの雪も解け、山や野に新緑が芽吹いた。ユビュはしばしばひとりで近くの湖に出かけ、そこから雪を残した山々を眺めた。光に映える新緑の輝きとその向こうの峻厳な雪山がユビュの心を打った。静かな湖の回りには新緑もみずみずしいカラマツやネコヤナギが並び、そばには二輪草の白い可憐な花が咲き乱れた。湖面に映る美しい雪山、渓流の清らかなせせらぎと鳥のさえずりにユビュは心を澄ました。

 夏になると山は美しい緑に覆われ、さまざまな美しい花々が咲き乱れ、虫たちが飛び交った。青い空に流れる白い雲の下で鮮やかな緑が目にまばゆいほどで、鳥たちの歌がここかしこから聞こえ、トンボたちは池の上を飛び回った。水かさを増した渓流の音は心地よく、ユビュは渓流を泳ぐ魚たちに心を遊ばせ、木立の合間から降り注ぐ木漏れ日に心を開いた。

 秋になると紅葉が美しく世界を飾った。赤や黄色の色鮮やかな色彩が山全体を覆い、陽光の下できらめくばかりに輝いた。ユビュはウバリートの美しい自然に心を開き、この世界の奥底に潜むものに心を沈めた。

 そして再び早い冬がやって来た。木枯らしが吹きすさび、しんしんと雪の降り積もる日々だった。シャルマが進軍に向けた準備を進める中、晴れた日には、ユビュはしばしばひとりで近くの凍った湖に出かけた。美しい静かな凍った湖はユビュの心の鏡のようでもあった。湖の向こうの峻厳な雪山の咆哮がユビュの心に響き、同時に凍った湖の上での光の輪舞にユビュは心を躍らせた。それは孤独な、そして孤高のユビュの心そのものであった。

 

 こうしてユビュがウバリートの美しい自然に心を遊ばせている間にも、世界では水面下での胎動が着実に始まっていた。

 ヤズディアでは、プシュパギリがジャトゥカムと共に反抗の狼煙を上げる準備を着々と進めていたが、プシュパギリがヤズディアにやって来て一年近くになるルガルバンダ紀元二十七年の年末のある夜、ジャトゥカム、プシュパギリ、シャンターヤは波止場近くの薄暗い路地にある例の酒場で仲間たちと集まった。蜂起のための会合だった。

 今日は店は閉めており、男神たちをもてなす女神も美しい肢体を見せる若い踊り子もいなかった。壁に飾られている大きな角のついた鹿の頭の剥製やさまざまな奇怪な仮面が見下ろす中、店主がいくばくかの料理と飲み物を並べた。

 集まったのは十数神の神々だったが、皆、この一年で顔なじみになった連中だった。神々は改めて挨拶を交わし、次々と準備の状況を報告した。

 それぞれの神が数十から百近い兵士を準備しており、剣も弓矢も揃っているということだった。準備の状況が確認できると、ジャトゥカムが言った。

「蜂起したら、ヤズディア城を取らなくてはならない。どうやってあの高い城壁と固い城門を持った城を落とすかだが、まずはプシュパギリの力で破城槌と雲梯を準備した。いずれも中原では普通に使われている攻城兵器だそうだ。」

 参加者のひとりが訊いた。

「攻城兵器を準備していることはうすうす訊いているが、いったいどんな兵器なんだ。」

 プシュパギリが答えた。

「まず、破城槌だが、大きな丸太で城門を打ち破る兵器だ。城壁からの弓矢や投石から破城槌や兵士を守るための屋根も取り付けてある。可動式なので、城門まで移動させて、城門に打ちつける。それから、雲梯は、台車の上に折りたたみ式のはしごを搭載したものだ。兵士たちが、雲梯を城壁に取り付け、兵士たちが城壁を乗り越えるんだ。」

 プシュパギリが破城槌と雲梯の説明を終えると、シャンターヤが発言した。

「さらに、城壁をよじ登る訓練も行った。これも実戦では力を発揮するだろう。」

「それはおれたちがやる。」

 そう言ったのは、シャンターヤが訓練を施した者たちのリーダーだった。

 ジャトゥカムがさらに言った。

「実は、城内からの内応の準備も整っている。蜂起の日に城の外と内で同時に火の手を上げることが可能だ。」

「その話は、前から何度か聞かされているが、内応者とはどんな者たちで、数はどのくらいなんだ?」

 ある出席者がそう聞いたが、それはプシュパギリもぜひ聞きたいことでもあった。だが、ジャドゥカムは首を振った。

「それについては聞かないでくれ。そいつらの身の安全にも関わるんでね。だが、ともかく、間に立つ者を通して連絡を取れている。数は両手で数えれるくらいだ。」

「おまえがそう言うんなら、これ以上は聞かないよ。だが、内からどんなことをするんだ。城門を開けてくれるなら願ったり叶ったりだが。」

 これにはジャトゥカムは首を振った。

「内の者たちは数がしれているから、武器を取って戦うとか、城門を開けるなんてのは無理だ。まずは、火でも放って騒ぎを起こさせ、城内が混乱すると同時に外から攻撃を仕掛ける。もし、可能なら、中から城門を開けさせるが、これはまず期待しないでくれ。」

 別の出席者のひとりが質問した。

「蜂起してヤズディアからルガルバンダ軍を追い出すことはできるとして、そのあとどうするかは十分準備できてるのか?」

 ジャトゥカムが答えた。

「心配するな。ヤズディアの城は高い城壁に囲まれており、蔵には食料がうず高く積まれている。今は我々を阻んでいるものが、今度は我々を守るというわけだ。また、ヤズディアの街はヤンベジ河のほとりにあるから、ルガルバンダの勢力を追い出したら、皆で力を合わせ、大急ぎで街の周りに濠を掘るといい。」

 別の神も言った。

「ヤンベジ河の向こうの夷狄の部族とも話をつけてある。河を渡って物資や糧秣を運び込んでくれることになっている。河は夷狄のものたちが支配しているから、ルガルバンダ軍も阻止できないだろう。」

「だが、彼らには何を渡すのか。交換物がなければ、彼らも危険を冒して食料を運んできてはくれないだろう。」

 この質問にはジャトゥカムが豪快に笑って答えた。

「その渡すものは、まさにヤズディアの城内にある。金もあれば武器もある。宝物や装飾具もあるだろう。まさに、やつらが欲しているものだ。だから、ヤズディアは難攻不落、何年でも持ちこたえられるはずだ。」

 夷狄の部族の協力を取り付けることができた背景には、彼ら自身とルガルバンダ側との対立があった。夷狄の部族は形式的にはルガルバンダ帝国の保護の元に置かれていたが、実質的には自治が認められ、課税も免れていた。しかし、ルガルバンダ帝国の国力が増すにつれて、ルガルバンダ帝国側の態度は強硬になり、最近では、臣従と朝貢を要求し、いつでも征服できると脅しつけているということだった。だが、夷狄の部族はヤンベジ河を頼りに、臣従と朝貢を拒否し続けてきていた。ジャトゥカムに協力し、ルガルバンダ勢力を追い払うことは彼らの安全、独立、自由を担保することにも繋がるのだ。

 最後にジャトゥカムが言った。

「おれたちはこの一年、何の問題も抵抗も起こさなかった。だから、城内の者たちの気は緩み、まさか反乱が起こるなどとは夢にも思っていないだろう。」

 参加者のひとりが応じた。

「そうだな。理不尽な要求や命令にも諾々として従ってきたからな。きっと城内の者たちは、おれたちのことを気の弱い従順な羊みたいな奴らだと思っているだろうぜ。だが、そうじゃないことを思い知らせてやろうぜ。」

 こうして蜂起のための手筈が綿密に決められた。蜂起の日は次の新月の夜と決められた。

 

 ジャトゥカムは家に帰るとさっそく蜂起の決行が決まったことを家族に伝え、蜂起の時の対応について説明したが、顔色を変えたのはパルミュスだった。彼女はジャトゥカムの指示に従って家や両親を守ることを約束したが、その話が済むとその足でシャンターヤの部屋を訪ねた。

 部屋に入ると彼女はいつにないきつい口調で言った。

「いよいよ蜂起だそうね。いつかはその日が来ると思ってたから心づもりはできてるけど、それであなたはわたしをどうするつもりなの?いつまでもただの茶飲み友達でいるつもり?」

 シャンターヤはちょっと口ごもりながらも答えた。

「そんなことはない。君とのことはきちんとしなくちゃならないと思ってるんだ。この件がうまくいけば、ご両親やジャトゥカムに話して、正式なお付き合いをと思ってる。」

 だが、パルミュスは納得しなかった。

「じゃあ、もし、うまくいかなかったらどうするの?それに正式なお付き合いって何?」

 シャンターヤが言葉に詰まると、パルミュスはまくし立てた。

「私のことをほんとに大事に思ってるの?いつでもぽいと捨てれば良い女だなんて思ってるんじゃないでしょうね。私はずっとずっと待たされている。ほんとに私のことが大事なら、今ここで私を抱いて。」

 そう叫ぶと彼女は大胆にも纏っていた美しい衣装を脱ぎ捨て、色っぽい下着姿を晒した。のびやかではあったが決してしとやかさを失わなかったパルミュスの態度にシャンターヤは気が動転したが、同時に若い男の血が激しく騒いだ。彼女の姿はまさに美しい目をしたミナークシー女神そのものであり、その妖艶な美貌によって修行中の人間を誘惑し堕落させるとも伝えられるアプサラスのようでもあった。シャンターヤはパルミュスを抱き寄せ、狂おしいほどに唇を吸った。小さな喘ぎ声が漏れた。パルミュスに拒むものなどなにもなかった。なされるがままに下着を脱がされ、シャンターヤが衣服を脱ぐと、彼女はそそり立ったシャンターヤの男のものを口にくわえ、亀頭を舐め回し、さらには向きを変えて四つん這いになり、大きな真っ白な臀部を突き出して言った。

「女がこんなことをするのは嫌?北の方からははしたなく見えて?でも、ここでは女はみんなこうやって男を誘い、交わるのよ。」

 白い尻の間からは、赤い濡れた陰唇が口を開け、ひくひくとひくついて愛液が溢れていた。シャンターヤがそそり立った男根をパルミュスの女陰に挿入し、亀頭が女陰の襞に触れた瞬間、かつて味わったことのない快感がシャンターヤの中に走った。それはパルミュスも同じだった。彼女も経験したことのないほどの興奮を覚え、生まれてこの方出したこともない喘ぎ声を上げた。シャンターヤは女陰から男根を激しく抜き差しし、最後は女の深膀に向かって真っ白な男の精を思い切り噴出したのだった。

 

 こうして、シャンターヤとパルミュスは結ばれたが、一方、蜂起の準備は着々と進んだ。

 そして、蜂起の日、夜更けて、秘かに運んできた破城槌が南門に現れた。破城槌での攻撃が始まり城内が騒がしくなるとすぐに、城内から火の手が上がった。ジャトゥカムが手配した者たちの仕業だった。

 シャンターヤは仲間たちと北の城壁に近づいたが、すぐには攻撃にかからなかった。逸る仲間たちを制して、シャンターヤは言った。

「あそことあそこを見ろ。警備の兵士が立っている。今登り始めたら、おそらく仲間の兵士を呼んできて弓矢で激しい攻撃を受けるだろう。総攻撃の合図があるまで待った方が良い。」

 一方、ジャトウカムは、城内が騒がしくなると、不敵な笑みを浮かべて横にいるプシュパギリに言った。

「いよいよだな。」

 プシュパギリがうなずくと、ジャトゥカムは総攻撃の銅鑼を打たせ、鬨の声を上げさせた。これによって城内の動きはさらに慌ただしくなったようだった。城壁を見張っていた兵士の数も減っていた。

 シャンターヤは仲間たちに短く言った。

「雲梯を用意しろ。さあ、いくぞ。」

 シャンターヤたちが雲梯を城壁に掛けてすばやく城壁を登り始めても、敵からの攻撃はわずかだった。いち早く城壁をよじ登ったシャンターヤたちは、ルガルバンダ軍の兵士と戦いつつ、城門を目ざした。ルガルバンダ軍は破城槌と雲梯からの攻撃で混乱し、さらに、城内の火事もあって、適確な対応が取れなかった。そもそも、反乱軍が攻めてくるなど夢にも思っていなかったのだ。

 シャンターヤたちは北の城門を守るルガルバンダ軍の兵士たちを排除すると、一気に北門を押し開けた。城門から反乱軍がなだれ込むと、守備軍はなすすべもなかった。県令は逃げ出すのがやっとだった。

 こうして、抵抗らしい抵抗もなく、ヤズディアはあっけなく陥落した。ルガルバンダ紀元二十八年一月のできごとだった。

 

 ヤズディア陥落の報は宇宙に大きな衝撃を走らせた。ルガルバンダの支配は依然として強固だったかもしれないが、そこに綻びが生じていることを如実に示したできごとだった。それはルガルバンダ支配に対する反感が社会の底辺で渦巻いていることを改めて知らしめたできごとでもあった。

 県令がほうほうの体で都に逃げ帰ってルガルバンダに報告すると、ルガルバンダは激しく叱責し、すぐに鎮圧軍を出すよう指示した。

「一気に大軍を送って鎮圧するのだ。我らに刃向うことがいかに浅はかなことか、骨の髄まで思い知らせるのだ。敵対する者に容赦は無用。とことん成敗し、敵を根絶やしにするのだ。」

 この言葉に真っ向から異論を述べたのはリュクセスだった。

「陛下のお怒りはごもっとも。しかしながら、帝国への反乱に対してただ武力による鎮圧だけを続けても、次々に反乱の火の手が上がることになるだけ。むしろ、帝国の圧倒的な武力を見せながらも、寛大な対応で世の緊張を和らげることこそ上策。周辺部族の者たちの心はここビハールの者たちとは違うのです。バクテュエスにおいても、ヤンバー殿の武力を背景に懐柔による融和策を用いたことで平穏な統治が可能となりました。ぜひご再考を。」

 だが、大声で喚いたのはヤンバーだった。

「何が融和策だ。バクテュエスではおまえがいらん根回しをあれこれやったおかげで面倒が続き、新しい統治の確立に時間がかかったのだぞ。おまえがいなければ、あんなところ、一週間で方をつけれたはずだ。今度だって同じだ。しかも、今度はヤズディア城を乗っ取り、県令を追い出しているではないか。」

 アルワムナも言った。

「リュクセスの言にも耳を傾けるべきところがないではないが、しかし、むしろ、今回は、反乱を起こせばどうなるか、それを世に示すことが肝要と心得ます。統治にはときに見せしめも必要かと。」

 ルガルバンダも大きくうなずいて言った。

「その通りだ。カーシャパ、どのくらいの軍を出せば良いか。」

 カーシャパは答えて言った。

「ヤズディアはこの都のはるか南方。多少の時間はかかりましょうが、一万の大軍を送れば勝負はついたも同然。早速手配いたします。」

 これで派兵が決したが、一同が散会するとヤンバーはリュクセスに言った。

「おまえの言は帝国を迷わせる。忠告しておくが、おまえ自身の身の上も気をつけることだな。」

 派兵が決まると、カーシャパはすぐさま鎮圧のため大軍を組織し、部将のカルスダンに一万の兵をつけてヤズディアに派遣した。

 しかし、ことはルガルバンダやカーシャパが考えたように簡単には済まなかった。カルスダンがヤズディアに到着してみると、ジャトウカムらは街の周りに濠を掘り終えており、街を囲む城壁の前には水を満々と湛えた濠がルガルバンダ軍の攻撃を阻んだ。カルスダンは街を囲んだが、とりあえずできたことは、街の外の支配と統制、治安の維持をぬかりなく行い、土着の者たちを街に近づかせないようにしたことだけだった。有効な攻撃の手はなく、持久戦が始まった。

 一方、ヤズディアの街では、シャンターヤとパルミュスの関係が公に認められ、ルガルバンダ紀元二十八年三月の吉日、こじんまりではあるが結婚式が行われた。関係者がジャトゥカムの家に集まって行われた披露宴は、勝利の余韻もあって大きく盛り上がった。

 ジャトゥカムの知り合いのひとりは言った。

「この結婚は良い。これでヤズディアとナユタ、ユビュの絆が強くなる。また、われらの反ルガルバンダの結束も固まるというもの。ともかく、これで、ゆめゆめナユタやユビュが我らを見捨てることはありますまいからな。」

 また、出された上質の酒に酔って上機嫌にシャンターヤに語りかける神もあった。

「それにしても、シャンターヤ殿はお手が早い。パルミュスはヤズディアの男どもが狙っていたのに、パルミュスは全然相手にしていなかったのですからね。北の方はこの地方の者たちよりも礼儀正しく見えておりましたので、まさか、シャンターヤ殿がパルミュスをものにするとは思ってもみませんでしたよ。でも、ともかくこれでシャンターヤ殿はよそ者ではなく、正真正銘のヤズディアの者になられたわけですな。」

 シャンターヤがしばらくこの客と話を続けていると、パルミュスがやって来て言った。

「機嫌良く宴を楽しんでいただいてありがとうございます。ですが、今後はシャンターヤをいかがわしい酒場にはお連れになりませんように。シャンターヤが破廉恥な女のところに行くことも、そんな女をシャンターヤのそばに座らせることも私が許しませんから。」

 男は首をすくめた。

「これは恐ろしい奥様になりそうだ。」

 そう言うと、男はそそくさとその場を離れて別の者たちとの歓談に移っていった。

 こうして、シャンターヤはヤズディアの一員となり、ヤズディアは街の外のカルスダンとの睨み合いが続いたが、ヤズディアの事件は世に不穏な空気を醸成した。ルガルバンダの支配を嫌う神々は結託し、反乱の機会をうかがい始めた。

 

 ヤズディア陥落に対する対応において、周辺部族に対する自らの策を一蹴されたリュクセスは考えた。

「武力によって領土を広げ、力の論理で帝国の支配を維持するのは限界に来ている。周辺の者たちへの理解と融和なしに帝国の繁栄はあり得ない。実際、ヤズディアに一万もの兵を差し向けても、鎮圧などほど遠い状態ではないか。」

 それに、ヤンバーが言った『おまえ自身の身の上も気をつけることだ。』という脅し文句も不愉快だった。だが、相手は軍神スカンダを奉じる武神ヤンバー。しかも、そのヤンバーにはアルワムナもルガルバンダも後ろ盾としてついているのだ。

 そんな折り、ビハールに出入りする商神から聞いたのが、周辺部族との商売で大きくのし上がってきているやり手の若いバクテュエス出身の商神がいて、帝国の支配に阿ねない商売を広げているという話だった。イルシュマのことだった。

 リュクセスがこの話に興味を示すと、その商神は言った。

「イルシュマは周辺部族相手の商売をやっており、ビハールにやって来る気はないようです。ですが、もし、リュクセス様がどこかまでお出かけであれば、イルシュマとお会いできる機会を作ることも可能かと。」

 リュクセスは喜んで言った。

「良いだろう。せっかくの機会だから会ってみよう。偶然を装って会えれば、なお良しだ。私は近々、定例で行っている行政視察に出かける。そのどこかでイルシュマという男に会えるならありがたいが。」

 商神はさっそくリュクセスとイルシュマの面会の場を段取りしてくれた。

 その面会は、リュクセスが定例視察で立ち寄った小さな地方都市で行われた。リュクセスは警護も付けず単身でイルシュマが待つひなびた旅館の一室に現われた。

「イルシュマ殿。お待たせしました。リュクセスです。」

 そう名乗ったリュクセスにイルシュマは頭を下げて言った。

「わざわざお起こしいだきありがとうございます。しかし、お供もなくのおひとりでやってこられたのですか。蛮族の世界で生きる素性の知れない相手に会うのにたいした勇気ですね。誘拐されて高額な身代金を要求されることだってざらにあることですよ。いや、しかし、たしかに、周辺蛮族を渡り歩き、戦車競争の名手というリュクセス殿がこれくらい剛毅な方というのはよく分かります。」

 リュクセスは笑った。

「お褒めの言葉と受け取っておきます。でも、イルシュマ殿はビハールでも名の知られた方ですので。素性の知れぬということはないのですよ。」

「そうですか。ありがとうございます。では、まずは席にお着きいただいて。」

 テーブルには既に酒と前菜の品が用意されていた。杯を掲げるとさっそくリュクセスが言った。

「イルシュマ殿はバクテュエス出身とお聞きしていますが。」

 イルシュマの目がきらりと光った。

「そこから入られますか。たしかに私はバクテュエス出身です。リュクセス殿がヤンバーの軍団と共にバクテュエスに来られたとき、遠目に拝見させていただきました。リュクセス殿が長老や有力者たちをなだめるために尽力されたということもよく知っています。ただ、私はあの時、仲間と共にバクテュエスを飛び出して商売を始めました。」

 リュクセスの目もきらりと光った。

「それは良い判断だったかもしれませんね。ヤンバーや新長官のやり方は強圧的に過ぎますから。」

 そう言って、リュクセスは料理に手を付けながら、イルシュマにどこでどんな商売をしているのかと訊ねたが、イルシュマは曖昧なことを言ったり、はぐらかしたりした。なんと言ってもビハールの中枢にいるリュクセスではないか。ヤズディアのことやナユタのことなどに関して何かを感じ取らせるだけでも危険なことと思えた。

 イルシュマの穏やかな言葉と丁寧な返答の中に断固とした拒絶を感じたリュクセスはやんわりと言った。

「イルシュマ殿のことを知らなかったものですから、ついつい突っ込んだことも含めいろいろ質問させてもらいました。ご容赦いただきたい。ですが、今日、ここに来た目的をまだ言っていませんでした。それを申し上げねばなりません。」

「ありがとうございます。ぜひそれをおうかがいできればと思います。」

 リュクセスはきっぱりとした言葉で言った。

「私はルガルバンダの支配は限界に突き当たっていると考えています。中原の中を支配するだけなら今のやり方で良いのでしょうが、その支配を自立心の強い周辺部族にまで広げようというのは帝国のためにも、周辺に住む神々のためにも賛成しかねる。それで新しい道を模索しているのです。」

「新しい道とは?」

「それは実は私自身にも分かっていません。ただ、それがビハールに住んで、ルガルバンダ帝国の中央集権支配、強権支配に貢献することではないと思っているのです。」

 これはビハールの宮廷の中枢にいる者の言葉としては驚くべき言葉だった。そして、バクテュエスでのリュクセスのことを聞いていたイルシュマには強く心に響くところがあった。

「まずは私のことから語らねばなりませんね。」

 そう言って、リュクセスはかつて周辺部族を渡り歩き、さまざまなことを聞き、さまざまなことを体験したことを語った。その中には、ドルヒヤやヒュブラーの名前まで出たが、イルシュマを感嘆させたのはその豊富な知識とリュクセスがいかに周辺の者たちの心を理解しているかということだった。

「私にとっては今のビハールの優雅な暮らしより、かつて周辺部族を渡り歩いていたときの方がはるかに楽しかった。自由で伸びやかで。だから、私にとっては、今回のような定期視察もありがたい息抜きなんですよ。」

 イルシュマは言った。

「いやいや恐れ入りました。ある程度予想はしていましたが、これほどの体験をなされ、これほどの知識、見識をお持ちとは。また、まだ語ってはおられないが、中原のこと、ビハールのこと、宮廷のことなどについてもお詳しいのでしょう。ですが、リュクセス殿の心は帝国の周辺の者たちとともにあり、しかも先ほどは新しい道を模索していると申された。一方、私自身の商売について言うなら、なんといっても商売は情報が命。リュクセス殿の知識、見識をぜひ私の商売のために活用させていただきたいという思いも致します。なにか、お互いにとって利のある形が作れるならと思いますが。」

「私が宮廷を出て、イルシュマ殿のお仕事に貢献させていただくとしたらいかが?」

 この言葉にイルシュマはぎょっとした。まじまじとリュクセスの目を覗き込んだが、リュクセスは動ずることもなく落ち着いた表情のままだった。イルシュマは多少どぎまぎして言った。

「宮殿を出られると言うがそんなことは可能なのですか?」

「可能でしょう。身分を捨てれば良いだけのことです。」

 このあっさりした答えにイルシュマはうろたえ気味に訊いた。

「しかし、そんな大事なことをどうして私に相談なさるのでしょうか?私は単なるしがない商神のひとりに過ぎないと思いますが。」

 これにはリュクセスは大きく笑った。

「あなたは大物だ。あなたの噂は私の耳にも入っていますし、私はいろいろな情報網ももっています。そこから聞こえてくるのは、あなたがすばらしい方だという神々の声なのですよ。だから、今日もこうしてやって来た。」

「恐れ入りました。」

 そう言って頭を下げたイルシュマはさらに続けた。

「先ほどは私についてのリュクセス殿の問いに対して真摯に答えもせず、たいへんに失礼しました。」

「いや、良いのです。初対面の相手に警戒をするのは神として当然のこと。しかも、私はビハールの宮廷の神。逆にもし、あなたが自分のことを自慢して、やっていることや知っていることをぺらぺらとしゃべったら、私は信用できない神物とみなしたでしょう。それに、あなたは何もはっきりしたことは言わなかったが、あなたの話の向こう側にどれほどのものが潜んでいるかは感じ取ることができましたし、あなたの器の大きさも理解できました。ぜひ、これから道と共にさせていただければと思います。」

「ただ、その道はひょっとしたら、リュクセス殿が想像されているより遥かに厳しい、苛酷なものかもしれませんよ。」

 リュクセスは笑った。

「かまいませんよ。ある周辺部族の元を離れて、次の周辺部族の元に行くとき、いつも未知なる世界に飛び込むようなものでした。そこにどんな厳しい、苛酷な運命が待ち受けているか分からない。それがこの世界ですよ。でも、イルシュマ殿の世界は決して厳しい苛酷な世界だけじゃない。夢と希望もあるはず。だからこそイルシュマ殿は活き活きと活動しておられる。そのお供をしたいのですよ。」

「念のためにもう一度訊きますが、それがどんなに厳しく苛酷なものであっても?」

「ええ、けっこうです。その運命の中に一緒に飛び込もうではありませんか。」

 これで話は決した。イルシュマとリュクセスは今後のことを綿密に相談し、約して別れた。

 二週間後、リュクセスは別の視察地域でひとり郊外まで馬を駆けさせると、イルシュマの手の者と合流し、イルシュマの元に向かったのだった。

 リュクセスに付き従って視察を行っていた一行はリュクセスがいなくなって慌てふためいたが、どうしても彼を発見することはできず、ビハールに戻ってそのことを報告した。ビハールでは、誘拐されたとかリュクセスが自分で去ったのだとかいろいろなことが噂されたが、定かなことは分からなかった。ルガルバンダは何が何でもリュクセスを探し出せと命じ、リュクセスに関する情報に高額な賞金を課したのだった。

 

 それからしばらく経ったルガルバンダ紀元二十八年四月、イルシュマがドルヒヤにやってきた。ちょうど、ヤズディアからの報がさまざまにドルヒヤに伝わってきていたが、イルシュマはヤズディアの最新情報も携えてやってきたのだった。

 イルシュマはナユタ、ヴィクートと簡単な挨拶を交わすと、さっそく言った。

「いよいよ動き出しました。ヤズディアの事件は蟻の一穴かもしれませんが、それは堤をも崩す一穴となりましょう。」

 イルシュマがヤズディアの詳しい状況を伝えると、ナユタは意を込めて言った。

「では、いよいよ我らも旗揚げしようではないか。」

 だが、ヴィクートは慎重だった。

「たしかに、ここには精鋭二千が整い、いつでも進発できる体制が整っています。ただ、一つ考えておかねばならないのは、ユビュ様との連携です。もう夏も近いので、今から旗揚げしてもヴォルタを渡れるのは秋以降。一方、ユビュ様とシャルマのいるウバリートは冬は雪の深い地方であり、軍を動かせるのは次の春となります。それゆえ、我々もあまり早く起つのは得策ではありません。」

「だが、ヤズディアで上がった反攻の炎が消えぬうちに次々に新たな火の手を上げるのが上策では?」

 ナユタはそう言ったが、ヴィクートは落ち着いて言った。

「簡単に消える火の手ならそれに乗じてはなりません。しかし、プシュパギリも火の手を上げただけですぐに鎮圧されるような策は採っていないはず。プシュパギリからの手紙でも、城の回りに深い濠を掘り、何年でも持ちこたえられるとあります。」

 イルシュマも言った。

「私のもとには商神などを介してさまざまな情報が集まってきておりますが、ルガルバンダ軍は街を包囲はしているものの街を奪還するための有効な策もなく、手をこまねいているようです。周辺の部族もプシュパギリらに心を寄せており、秘かに支援を行っています。実は、ウバリートで作った良質の鉄の武器も周辺部族を介してプシュパギリに渡るよう今手筈を整えているところです。」

 そこまで言うと、イルシュマは話題を変えて言った。

「ところで、リュクセスという男をご存じでしょうか?」

「たしか、ビハールの戦車競走で優勝して認められた男で、ルガルバンダの元で、周辺地域政策を担っているというあのリュクセスか?会ったことはないが。」

 ナユタがそう答えると、イルシュマは大きくうなずいて言った。

「そのリュクセスです。実はそのリュクセスを、今、この街に伴ってきております。」

 この言葉にナユタもヴィクートもびっくりしたが、イルシュマは落ち着いて続けた。

「実は、リュクセスはルガルバンダの強圧的なやり方に愛想を尽かして、政府を飛び出してきたのです。周辺地域に詳しい彼は、私が商売をやっていることを聞きつけて、秘かに私を訪ねてくれたのです。それで今、一緒にこの街にいるのですが、よろしければ、お会いいただければと思いますが。」

 ナユタが同意すると、イルシュマは一度退出して、改めてリュクセスを伴ってやってきた。リュクセスはナユタとヴィクートに会うと、挨拶して言った。

「初めてお目にかかります。ある程度のことはイルシュマからお聞きかと思いますが、ルガルバンダの強圧的な専制政治に見切りをつけ、ここにやってきました。ヤズディアの件は、ルガルバンダの支配がいかにほころびを見せ始めているかを示す顕著な例と思います。イルシュマがナユタ様に繋がっていることも、ナユタ様がここドルヒヤにおられることも知らなかったのですが、ここでナユタ様にお会いできたのも特別な縁。何かお役に立てればと思っております。」

「それはありがたい話だ。ぜひ、力になってくれ。」

 ナユタがそう答えると、イルシュマが付け加えた。

「実はビハールではルガルバンダが激怒し、リュクセスに関する情報に膨大な懸賞金を出すことにしたそうです。」

「なるほど。そういうことなら行動は慎重にしないとな。」

「ええ。ですので、ここでのことはまずはヒュブラー殿に相談しようと思っています。実は、リュクセスはかつてこの街に来たこともあり、ヒュブラー殿と会ったこともあるそうなので。ここにヒュブラー殿を呼んでよろしければ、お呼びしますが。」

 ナユタが同意すると、イルシュマは従者にヒュブラーを呼びに行くように指示した。待っている間、ナユタはリュクセスからさまざまな話を聞いたが、ビハールの様子やルガルバンダの施政など重要な内容がたくさんあった。また、周辺地域や蛮族のことなどに関するリュクセスの博学博識なのにも舌を巻いた。

 ヒュブラーがやって来ると、彼は両手を大きく広げて満面の笑みを浮かべて言った。

「リュクセス殿、ようこそ。覚えておりますぞ。ここでの戦車競走で誰もついて行けない速さで優勝した颯爽たる姿は瞼に焼き付いておりますからな。まさに古来よりの賢者の言葉にあるとおり、『友、遠方より来たる。また楽しからずや。』ですな。」

 リュクセスも答えて言った。

「ありがとうございます。私もヒュブラー殿のことはよく覚えています。優勝した後、貴邸に招かれてさんざんおいしい料理や酒でもてなしていただいたことは忘れもしません。」

 イルシュマがこれまでの経緯などを説明すると、ヒュブラーは胸を張って答えた。

「まずはリュクセス殿の住む場所ですな。ご心配には及びません。私の屋敷の中に空いた部屋がありますので、そこを使ってもらいましょう。こんなうれしい賓客はめったにありませんからな。それにしても心強い味方が増えたものですな。」

 ナユタはクレアに言って酒と料理を持ってこさせ、クレアも同席させた。リュクセスはかつて各地を巡った経験やビハールでのことなどを次々に語って聞かせてくれた。特に、ビハールでルガルバンダをはじめとする権力者たちがどれほどの贅沢をしているのかについても語ってくれた。

「ルガルバンダの宮殿ではあらゆるものがとてつもないスケールです。例えば、宮殿の料理神はどんな料理が求められてもすぐに出せるように膨大な食材や料理を用意します。少神数の会のためにも何十神の胃袋を十分満たすだけのものが準備されるのです。また、食器や装飾も華美なことこの上なく、神々から搾取されたものの上に立って権力者たちがこんな空虚な虚飾を喜んでいるのかと思うと、忸怩たる思いに駆られずにはいませんでした。」

 リュクセスの話には眉をひそめるものが多かったが、それはそのままナユタたちに大義を与えるものとも言えた。

 

 イルシュマはドルヒヤでの所要を済ませるとウバリートへ帰っていったが、それからしばらくして、ヴィクートはナユタに献策して言った。

「イルシュマが来たときにも言いましたが、今はまだ動くべき時ではありません。私としては、来年の年明けとともに兵を挙げ、ヴォルタ河以東を一気に制圧し、春が終わるころに、ヴォルタ河を渡たるのが上策を思います。これに呼応してウバリートからの軍に進軍を開始させ、また、バルマン師に同時に進軍していただけば、ルガルバンダの首都ビハールに三方から侵攻することが可能となります。また、プシュパギリですが、できることならヤズディアから兵を出撃させて、我らに合流して欲しいと考えます。何と言ってもプシュパギリの武人としての才覚は捨てがたいし、この戦いには彼の力が必要です。ヤズディアにはイルシュマが武器や物資を送っていますが、兵を率いてこちらに合流するよう我々の意向を伝えたいと思います。そして、都に近づく途中で、バルマン師の軍はユビュ様の軍に合流し、最終的には、我らの軍が東から、そしてユビュ様の軍が北西から都に迫るということになります。」

 ナユタがこのヴィクートの献策に従ってドルヒヤでの旗揚げを決意すると、さっそくヒュブラーが仲間たちとともにナユタの公館にやってきた。リュクセスも一緒だった。リュクセスは早くもヒュブラーの信頼を得たようで、ヒュブラーとも気安く話をする仲になったようだった。

 ヒュブラーは公館に入ると、出迎えたクレアに上機嫌に笑いかけた。

「元気にしてるか?あまり家に帰ってないそうじゃないか。親父が寂しがってたぞ。」

 クレアはさらりと答えた。

「お陰様で元気にしています。家よりここの方がのびのびできますし、家にはその気になれば、いつでも帰れますから。」

「それなら良いけどな。楽しければ何よりだ。」

「ええ、ただ、お仲間さんたちがときどきナユタさんを困らせているようなので、なんとかならないかと思ってますけど。」

 クレアがちくりとそう言って釘を刺すと、ヒュブラーは大きく笑った。

「まあ、そう言うな。彼らもいろいろ必死だし、ヴィクートからの要求は結構難題だったりするからな。でも、聞くところによると、おまえの機嫌を損ねると、なかなかナユタ殿にも会わせてもらえないらしいじゃないか。」

「機嫌を損ねるとなんて聞こえの悪いことを言わないでくださいな。私はただ、理に適わないような話をもってきた方々に、もう一度考えて出直した方がよろしいんじゃないですかと言ったりしてるだけですよ。」

「まあいい。それで今日はナユタ殿はご機嫌うるしいかな?」

「それはもうヒュブラーさんのお心次第。ナユタさんのために全力を傾ける覚悟があおりなら、何一つご心配には及びませんよ。」

「それなら心配無用だな。おれたちは皆、ナユタ殿を盛り立てて、とことん戦う覚悟でいるからな。」

 ヒュブラーが仲間たちと供にナユタの待つ部屋に行くと、ヴィクートが大きな地図をテーブルの上に広げていた。地図の上には、ドルヒヤ、ヤズディア、ウバリート、ムカラに赤い木片が置かれていた。

 ヒュブラーが言った。

「いよいよですかな。私どもも待ち焦がれておりましたぞ。なんと言っても、準備は着々と進めておるのに、なかなか決断のときが来なかったのですからな。」

 ヴィクートは落ち着いた声で答えた。

「ご存じとは思うが、ものには、時勢というものがある。闇雲に旗揚げしても、ルガルバンダの大軍の前に簡単に潰されてしまうでしょう。ヤズディアが落ち、ようやく機会が来たと言えます。ヤズディアの事件を契機に、今、中原でもさまざまな所で反乱の兆しが出ています。」

 そう言って、ヴィクートは反乱が起こりつつある場所に青い木片を置いていった。そして、

先にナユタに説明した基本戦略をヒュブラーらに説明し、年明けと供に旗揚げする方針を伝えた。

 ヒュブラーが剛胆な声で言った。

「さすが、ヴィクート殿。水も漏らさぬ戦略とはこのようなことを言うのでしょうな。ともかく、今まで待った甲斐があったというもの。ヴォルタ以東からルガルバンダ勢力を追い出すのが我らの夢ですからな。」

 こうして方針が定まると、ナユタはリュクセスに語りかけた。

「ところで、リュクセスはここには慣れたかな?」

 リュクセスは頭を下げて言った。

「お気遣いありがとうございます。お陰様で、ここにきて、自由に呼吸ができるようになった気がします。正直、ルガルバンダの支配には息が詰まっていました。それに比べてここは自由に呼吸できる。たしかに、ルガルバンダは知識は凄いし、弁も立つが、心がない。ルガルバンダの元では自分が首に鎖をつけられている気分でした。それに宮殿で力を持っている丞相のアルワムナとその懐刀ともいうべきメダテスは冷酷な酷吏そのもの。どれほど民を苦しめようと意に介することもなくただ帝国の利益だけを考えている。まったく肌が合わない連中です。また、将軍のヤンバーやルドラも威張りくさっていて傲慢そのものです。また、宮廷に仕える者たちは、巧言、令色、足恭の輩が増えました。怨みを隠して友とする者も多い。まさに恥ずべき輩が跋扈する伏魔殿そのものです。」

 この言葉を聞いて、ナユタは敢えて訊いた。

「それで、カーシャパはどうなんだ?正直な感想を聞きたいが。」

 リュクセスはちょっと身構えたが、淡々と説明した。

「カーシャパは謙虚で立派な神なのかもしれませんが、それだけにルガルバンダに救われたという恩義は神一倍感じているようで、決してルガルバンダに逆らわず、一心不乱に帝国のことを考えています。ほんとうはナユタ様との和解を望んでいましたが、事がここに至った以上、ルガルバンダを裏切る気は毛頭ないと思います。」

「カーシャパらしいな。」

 ナユタはそう言ってうなずくほかなかった。

 リュクセスの言葉は辛辣だったが、改めてルガルバンダの支配は何たるかを知らしめた言葉だった。ヒュブラーは言った。

「まさにその帝国を我らの力で覆さねばなりませんな。それが我らのため、そして世界の神々のためですからな。」

 そう言うと、ヒュブラーは話題を変えて言った。

「ところで、明後日、わたくしの屋敷でリュクセスの歓迎の宴を開きます。街の者たちにリュクセスを紹介することになりますので、ナユタ殿、ヴィクート殿、クレアもぜひ。ヴィクート殿はこのような宴席があまりお好きではないかもしれないが、賓客のリュクセスの歓迎ですので。」

 ヴィクートは軽く笑って答えた。

「ええ、出席しますよ。リュクセスには期待していますし、旗揚げが決まって、地元の者たちとの意思疎通も必要ですので。」

 この返事にヒュブラーは大いに喜んで言った。

「ありがたい。ヴィクート殿ともっと懇意になりたいと思っている者は少なくありませんからな。」

 そのリュクセスの歓迎の宴では、美しく着飾り、大胆に胸の谷間を露わにした若い女神がけっこう参加していたが、クレアは普通の衣装を着ていた。

 クレアはちょっと顔をしかめてナユタに言った。

「みんな大胆に胸元を晒していますね。リュクセスの歓迎会と聞いていたけど、嫁選びの会のような感じですね。」

「嫁選びの会?」

 ナユタが聞き直すとクレアが説明して言った。

「ええ、ときどきあるんです。娘たちが胸元の大きく開いた衣装で参加し、一方、若い男も集めて。集団お見合いのようなものです。若い男性もけっこう参加しているようですし。」

 宴会が始まると、ナユタやヴィクートのもとには、地元の神々が次々に寄ってきて話しかけた。

「今日は私どもに取りましては貴重な機会です。こうして、クレアを通さずにナユタ様にお話しできますので。いや、クレアのことを悪く言ってるんじゃありませんよ。ただ、こういう機会もありがたいということです。」

 そのクレアは女友達の輪に加わり、久々の再会を楽しんでいるようだった。しばらくして、クレアが戻ってきてナユタに言った。

「あそこでリュクセスと話し込んでる子がいるでしょう。彼女はヒュブラーの姪のベレニケで、なんだかとっても気が合うみたい。以前、リュクセスがここに来て戦車競走で優勝したのを彼女も見ていたようで、その話題で盛り上がってますよ。ひょっとしたら、ひょっとするかもしれませんね。」

「そのベレニケという子のことは知ってるのか?」

「ええ、子供の頃から親しいので。とっても良い子ですよ。きれいだし、上品で、気立ても優しいし。」

「あの胸元を見ると、彼女も相手を探しているということか?」

「そうですね。そろそろ適齢期ですから。」

「そういう意味では、おまえもそうじゃないのか?」

 クレアはちょっとつんとして言った。

「そうかもしれませんけど、少なくとも今のところ、胸元を出して相手を求めようとは思っていないので。ただ、誤解しないで欲しいのですが、胸元を出すのはここでははしたないことではなくて立派な正装ですから。」

「そうみたいだな。」

 そんなふたりのところにヒュブラーがやって来た。

「楽しんでいただけてますかな。ほんとうはクレアにも正装を勧めたいのですがね。クレアもそろそろ婚期だし、正装でもしないと、ナユタ殿のもとにいるクレアには男も近づいて来れないでしょうから。」

 クレアは涼やかに受け流した。

「ありがたいことに、男に寄ってきて欲しいとは思っていませんので。今の私には今の生活で十分です。」

 ヒュブラーも上機嫌に応じた。

「そういうことなら、なおけっこう。ともかく、思う存分、楽しんでいただければ。」

 そう言うとヒュブラーは離れて行き、地元の別の神がナユタに話しかけてきたので、クレアはまた女友達のところへ戻っていった。

 家に帰る馬車の中で、クレアはナユタに言った。

「ベレニケはリュクセスのことが相当気に入ったみたいですよ。もう、舞い上がっちゃって、明日にでも結婚しそうな勢いでしたよ。」

 ベレニケのことはナユタも遠目に見たが、顔立ちも美しく整っており、体つきも身のこなしも優美で、たしかに戦車競走で優勝した美男子のリュクセスとはお似合いかもしれなかった。

 その後、ふたりの距離は急速に縮まったようだったが、リュクセスにとってもヒュブラーの姪のベレニケとの関係は、このドルヒヤの者たちとの円滑な関係を作る上でもこの上ないことだったろう。しかもベレニケはその美しい容姿に加え、正装した衣服から覗く胸元の深い谷間を見るにつけても、衣服の下に豊満な乳房が隠されていることは誰の目にも明らかだった。その姿は乳海攪拌で生まれた水の精アプサラスのごときであった。彼女が歩いたり体を動かす度に大その乳房がきく揺れる様は男心をそそらずにはいなかったろうし、リュクセスとしてもまんざらでもなかったろう。

 それからしばらくして、ベレニケとリュクセスの結婚は実現した。リュクセスの力を買ったヒュブラーは、リュクセスと親戚になるという点でも前向きだったし、ルガルバンダのもとにいたリュクセスが真の仲間になったことをドルヒヤや周辺部族の者たちに示す意味でも、この結婚は好都合と言えた。

 

 さて、ナユタたちはドルヒヤでの旗揚げのための準備を着々と進め、次々と各地に使者を発したが、その準備においてリュクセスは大いに活躍した。

 リュクセスは語った。

「力での制圧に重きを置いては、時間と労力が増えます。犠牲も増える。最初に力を見せつけることは必要ですが、あとは、むしろ、その力を背景に、戦わずして従わせるのが上策。」

 リュクセスはヴォルタ河のこちら側で、どこの誰が簡単に従いそうか、誰が強硬に抵抗しそうかをイルシュマと連携して綿密に調べ上げ、ナユタ、ヴィクートと共に戦略を練った。

 従いそうな者にはイルシュマを通して多額の賄賂を送り、一方、従いそうもない者に対しては、攻略の手法、手順を綿密に練り上げたのだった。

 旗揚げの準備は着々と進み、年の暮れも押し迫ったある日、ナユタはヴィクートを自室に招いた。クレアが酒や料理を運んでくれた。

「ヴィクート様。今日はゆっくりおくつろぎください。ゴーラルが捕れたと言って猟師が肉を持ってきてくれたので、後でもってきますね。楽しみになさってください。」

「ありがとう。すっかりここにも慣れたようだね。みんな、ナユタさんに似つかわしい上品なお嬢さんだと噂してるよ。」

 ヴィクートがこんな軽口を叩くのは珍しいことだった。

「ありがとうございます。でも、私はただの召使いですから。」

 クレアはそう言ったが、顔には笑顔が溢れていた。クレアが下がると、ナユタはヴィクートと杯を交わして言った。

「この一年は慌ただしかったが、来年はいよいよだな。おまえの心に適っているかどうかは分からないが、おまえの力なしにはここまでこれなかった。」

 ヴィクートは小さく頭を下げて言った。

「私が真に拠りどころとするものは、以前も今もパキゼーの教えであり、何ら変わっていません。ですが、私はもともと武人。ナユタ殿が起つなら、どこまでも付き従って行くでしょう。」

「ありがたい限りだ。かつてのムチャリンダとの戦いでもおまえの力なしには何も為しえなかった。」

「私は元々、東の星雲に棲む神にすぎませんでした。ただ、あの時、ナユタ殿に理ありと見て、ムチャリンダとの戦いに加わったのです。この戦いも、我らに理があります。これまで勝利を得られていないのは、具体的な策が欠けていただけのこと。しかし、その策は実りつつある。必ず道は開けます。」

 心強い言葉だった。

 クレアがゴーラルの肉を運んできてくれた。

「皆、来年の戦いを期待しております。」

 彼女がそう言うと、ナユタも笑顔で答えた。

「ああ、そうだな。みんなのためにも戦わねばな。」

「ありがとうございます。皆、無限を意味するお名前のナユタ様と勝利を意味するお名前のヴィクート様が組めば必ず勝利が得られると言っています。」

 この言葉には、ヴィクートも含み笑いを見せた。

「武人は軽々しく勝利を口にしないものですが、今日は、クレアさんに勝利をお届けしたいと言いましょう。」

 ナユタがクレアに一緒に座るように言うと、ヴィクートはクレアの杯に酒を注ぎ入れた。

「これからもナユタ殿のことをよろしく。同じ仲間として、道を進みましょう。」

 そう言って、ヴィクートは杯を掲げた。ゴーラルの肉は香辛料でうまく味付けされ、臭みもなかった。クレアはその席でもドルヒヤ周辺の部族に関してさまざまな情報をもたらしてくれた。それを聞いて、ヴィクートはさらに探って欲しいことなどをクレアに依頼していた。

 そんな話をしながら、ナユタの胸に去来したのは、来年の今頃は、ヴォルタの向こうで、できることならビハールで杯を挙げたいものだ、という思いだった。準備はまさに整ったのだ。

 

 ルガルバンダ紀元二十九年、年明けとともに、ナユタは将軍旗を掲げ、将兵を参集した。将兵は部族毎にさまざまな身拵えであった。ある部族は、頭にはフェルト帽子を被り、色とりどりの袖付きの肌着の上に魚鱗を思わせる鉄製の鎧を纏い、ズボンを穿き、柳の枝で編んだ軽い盾と短い槍をもち、さらに背中には大きな弓と矢を背負っていた。フェルト帽の代わりに頭巾を巻いている部族、青銅の兜を被った部族、狐の皮の帽子を被った部族、先の尖った硬い帽子を被った部族もあった。また、戦斧を携えた部族、棍棒を携えた部族、投げやりをもった部族、膝まで達する独特のサンダルを履いた部族、脛に赤い布の脚絆を蒔いた部族もあった。さらには、豹や獅子の獣皮を身に纏っている部族、体半分を朱色に塗った部族など、実にさまざまだった。

 そこには、サウロマタイのチャシタナもいた。彼はヴィクートの元で兵法やさまざまな戦術を学び、騎馬兵の隊長のひとりに抜擢されていた。

 将兵の整列が終わると、ナユタは演台に登って呼びかけた。

「パキゼーの聖なる悟りにより霊妙な静寂が支配していた宇宙に混乱の楔を打ち込んだのはルガルバンダだ。誰も突き崩そうとしなかった平安を葬り、神々の欲望が奔流となって荒れ狂う世界を生み出したルガルバンダの行為は大罪に値する。ルガルバンダはそれを繁栄と称し、それを維持するために抑圧と圧政を強いている。己が宇宙の覇権を握ろうという黒い野望によって世界を混乱に陥れていると言わざるを得ない。しかるに我らは、自由と真理を具現する健全な世界を取り戻すために起ち上がる。この宇宙に再び正義を顕現させ、平安と秩序を打ち立てるのだ。ゆえに、ここに集う者たちは正義の戦士だ。しかも、ユビュ、シャルマ、バルマン師、プシュパギリら、我らと思いを一つにする者たちが各地で起ち上がるだろう。必ずやルガルバンダの野望を打ち砕き、その覇権を粉砕し、宇宙に真の平和を打ち立てずにはいないだろう。正義に勝る力はない。ともに進み、この聖戦を勝利しようではないか。」

 この言葉に応えて居並ぶ将兵たちは一斉に雄叫びを上げ、武器を打ち鳴らした。ドルヒヤ族の族長ヒュブラーが進み出て力強く宣言した。

「ルガルバンダ世界の周辺に住む者たちはただ圧政に従い、搾取され、隷属させられてきた。都に住まう高位の神々とかいう輩の欲望を満たすためにただ虐げられてきたのだ。今こそ決然と起つべきとき。決して我らは服従しない。世界の真の姿を取り戻し、健全で平等な世界を築くために起ち上がるのだ。」

 この言葉を聞くと、ナユタはパンチャジャナを取り出し、これを吹いた。荘厳で気高いパンチャジャナの響きがドルヒヤに鳴り響いた。この戦いこそが聖戦なのだという思いがすべての将兵の心に響いた瞬間だった。

 ナユタはさらに言った。

「私はナタラーヤ聖仙から神器も授かった。聖仙みずからが、ルガルバンダの支配するこの宇宙を正す戦いを支持してくださっている。決してひるんではならない。なんとしても勝ち抜かねばならぬ。」

 このナユタの叫びに全将兵が呼応した。

 

 ナユタとヴィクートが軍を発すると、電光石火の進軍であっという間に五つの城を抜いた。

 その先頭に立つのは騎馬戦士を率いるチャシタナだった。チャシタナはヴィクートから学んだ兵法を踏まえながら、持ち前の勇気と果敢さで先陣を切って戦った。その勇猛さに鼓舞された戦士たちは怖れも見せず敵陣に突っ込み、次々と戦功を挙げたのだった。実際、その勢いに怖じけて敵軍があっという間に崩壊したり離散したりすることも少なくなかった。

 この知らせが広まると、ヴォルタ河以東の地域は騒然とした。進んでナユタに与しようという者も少なくなかった。その動きを支えたのがイルシュマとリュクセスだった。

 例えば、ケルバラという街の有力者であったワムスッタは、以前からルガルバンダの圧政と搾取に好からぬ思いを持っていたが、そのことをリュクセスから伝え聞いていたイルシュマは高価な贈り物を携えて何度も秘かにワムスッタを訪ねていた。ナユタの軍がケルバラを目指すと、イルシュマはこれまでに倍する贈り物を携えてワムスッタを訪ねた。

「改めてではございますが、ご挨拶の品でございます。」

 そう言ってイルシュマが並べた金品に驚くワムスッタに対し、イルシュマは言った。

「単刀直入に申し上げるが、ナユタ殿はこの街そのものに敵対しているのではありません。単にルガルバンダの暴政に反旗を掲げているに過ぎない。ご協力頂けるなら、今日お持ちしたお近づきのしるしに数倍するものをお約束いたしましょう。」

 ワムスッタは何も言質は与えなかったが、イルシュマは世の動きとナユタの有利を説き、ワムスッタの反応からその意中を見抜くと、ただ、こう言って去っていったのだった。

「商売も政も、ものには機微というものがございますので。」

 次の日、ワムスッタはさっそく同じく街の有力者であったベロッソスにルガルバンダからの離反を説いた。ただベロッソスは同意しなかった。

「ここで反旗をひるがえしても、あとでナユタの反乱が鎮圧されたら我らはどうなるのか。ナユタはかつてイムテーベと兵を挙げたが、イェンディでの戦いで惨敗し、イムテーベを戦場に残して逃走し、結局は残されたイムテーベだけが倒されて終わったではないか。」

「しかし、今回のナユタの勢いは前回とは違う。それに、いったい、この先、ルガルバンダ帝国が何をもたらしてくれるというのか。我らは苦役を科せられるばかりで自由もなく、搾取と重税に苦しみ、中央政権から派遣された官吏に睨まれ、賄賂を要求されるだけではないか。この状況で良いと言うのか?」

 そうワムスッタは言ったが、ベロッソスは慎重だった。

「だが、この町の軍隊は政府から派遣された総督に牛耳られており、我らがどうやって軍を掌握できるというのか。ともかく、危険を冒して悲惨な目に合うのは御免こうむりたい。」

 ワムスッタはとりあえず引き下がったが、諦めたわけではなかった。彼は総督がベロッソスを伴って城外に出た機を逃さず、城門を締め切って城内に残っていた軍を掌握し、自ら進んでナユタを迎え入れたのだった。

 締め出された総督とベロッソスはただただビハールに逃げ帰るしかなかった。

 似たような動きの街は数知れず、ナユタ軍にはぞくぞくと将兵が帰参し、兵力は瞬く間に五千に膨らんだ。リュクセスの策とイルシュマの大きな財力と活動が与って力があったのは言うまでもなかった。

 

 一方、ムカラではバルマン師とギランダが挙兵の準備を整えていた。ギランダは自信に満ちた口調で言った。

「バルマン様、ここムカラでは、四千もの兵を集め、しかも十分に鍛錬しております。いつでも兵を挙げることができます。」

 バルマン師も答えて言った。

「いいだろう、心強い限りだ。プシュパギリはヤズディアを陥とし、勢いを得ている。ナユタも動き出した。今こそ兵を挙げ、天下にルガルバンダへの反抗の狼煙を上げようではないか。」

 こうして、バルマン師とギランダはムカラで兵を挙げた。これに呼応して、この戦いに馳せ参ずる神々が次々に駆けつけ、兵力は六千を超えた。

「心強い限りだ。わが軍には日の出の勢いがある。」

 そうギランダは豪語した。

 

 その頃、ユビュは深い雪に閉ざされたウバリートで、三度目の冬を心を研ぎ澄まして過ごしていた。誰もいない雪の枯れ野は枯れ木たちの歌に満ちていた。明るい光の中で褐色の林はまるで魔法の記号のように立ち並び、渓流の水は清らかな響きを立てて流れていた。

 その向こうには雪を抱いた厳粛な岩峰がそびえ、青い空の中に煌々と光を放っている。枯れ木たちの音楽は子供たちの戯れのように自由で、光の中で世界は空の向こうの国のように不思議な法則に支配されていた。その法則の中ではすべてが象形文字の自由な輪舞で、自分自身がまるで魔術師によって描かれた壁画の中の一つの記号であるかのようにユビュには感じ取れた。

 そんなある日、ユビュは夜明け前に起きて、ひとりで近くの小高い山に登った。黙々と樹林の中を登り、樹林帯を抜けるとちょうど夜明けだった。不意に開けた視界の向こうに壮大な雪の山脈の稜線が見渡せ、ユビュはかつて見たこともない光景に心打たれた。迫り来る荘厳な雪の岩壁がユビュの心に勇気を吹き込んだ。薄暗い空の青さに、白い雪と黒い岩がそびえる。山はなんという深い沈静の中におのれの魂をたずさえていることだろう。そして、この寂静の中で、山は険しい表情の中から何かを語り出そうとしていた。それは、深い嘆きであり、高貴な喜びであり、ものに動じない魂の重さであった。

 朝日が山を照らし始めた。不思議な原光の中で白い山の沈黙が涯てしない続き、静まりかえった稜線はことさらひっそりと延びていた。青い空の下の滑らかな雪の稜線は風雪のあとをとどめていたが、そこから響いてくる音楽はまるで光の国のフーガのようだった。太古の時代このかた山は何度そんな沈黙に沸き返ったことだろう。ユビュはそんな思いに駆られ、雪山の荘厳さの前に頭を垂れたのだった。

 その夜、なかなか寝付けなかったユビュはベッドから起きだして部屋の外のベランダに出た。空には美しい月が煌々と輝き、月明かりがそびえ立つ荘厳な山々を照らし出していた。あたりには不思議なまでの静寂が支配していた。

「世界が鳴りやんでいる。そして幾千億年を黙って見続けてきた石たちが、今、不思議なつぶやきを囁いている。」

 ユビュは耳を澄まし、心を澄まして祈りを捧げた。すると、不思議な言葉がユビュの口から立ちのぼった。

 

   宇宙の中心に横たわるアナンタの上の一瞬のまどろみ。

   数十億光年を瞬きによって突破する神々の試み。

   美しいものと醜いものの区別のない世界で歪められた形象に向かい合い、

   緩やかに下り坂となる時間の断点を必死に突破しようともがく

   無数の虫たちのざわめき。

 

 ふと振り返ると、部屋の中でかすかな青い光が発せられていた。驚いて部屋に戻ると、ヴィカルナ聖仙から授かったブルーポールからの発光だった。袋から取り出すと、ブルーポールは真っ青に輝いていた。

 ユビュはブルーポールをもってベランダに出た。両手でブルーポールを天に向かって差し上げると、ブルーポールは突如、とてつもない光を放った。青い光は大地を煌々と照らし、夜空を青く輝かせた。その光は遠く宇宙の涯てまで届き、すべての神々が驚愕と感動とで見守った。

 その輝きはナユタ側のすべての神々に対する暗黙の大号令となった。

 ナユタは心を震わせてヴィクートに語った。

「再びユビュが起ち上がる。全宇宙が待ち望んでいた新次元への踏破がついに始まる。新しい時代が到来するのだ。」

 バルマン師もウダヤ師もマーシュ師も涙を流した。ユビュに味方するすべての将兵が心の中から湧き上がる無限の勇気を感じた。

 一方、ルガルバンダをはじめルガルバンダ軍の将兵は不吉な予感に捉われ、不安で胸が締め付けられる思いから逃れられなかった。

 煌々たる夜の幻影の中、ウバリートの将兵は庭に出て、この奇跡的な光景を目の当たりにした。そんな中、ユビュは一遍の不思議な詩を朗誦した。

 

   恐ろしいまでに銀河的な世界、

そして蜃気楼の中に描かれた一枚のタブロー、

   その常軌を逸した超世界で

   預言者たちが繰り返し弔鐘を打ち鳴らしている。

 

   狂気であり、崇高である

   無意識が光であるような世界、

   その世界の深淵に錨を降ろし

   他界のかなたへと自己を溶解する

   唯一者であり、破壊者であるひとりの神、

   その神から溶け出てくる音の波紋を

   あなたは孤独な行者のように磨り潰す。

 

   有限地平からの踏破を夢み、

   宇宙の帰滅に参加した

   時の征服者たるカーリーよ、

   静止した瞬間を積み重ねた音楽を

   葬送の原野で刈り取る

   翼を失った霊鳥たちよ、

   夢が食い荒らされるこの宇宙的な日に、

   無量の光明を停止させる魔法陣を

   嘲笑の渦巻くこの領土の上に、

   赤い血とともに焼き付けるがいい。

 

   閉ざされていた神話が天界から降り注ぐ日、

   あなたは石によって預言し、

   わたしは銅鐸を打ち鳴らして鬼神たちと踊るだろう。

   第三の目をもった神が欲望を解き放ち、

   すべてが大地を駆け巡るカルキの足元に融没する

   この宇宙的な日に。

 

 ユビュが詩の朗誦を終えるとブルーポールの発光は静かにおさまった。

 次の日の朝、天気は快晴だった。ユビュが寝室のカーテンを開くと、まばゆいばかりの朝日が差し込んできた。澄んだ空気の中、青い空に冷たい風が吹き渡り、透明な光が凍りついたようにきらきらと舞い踊っていた。山々が巨大な大空の下で赤々と輝き、枯れ木たちが超越者のごとく朗々と笑いをたたえていた。

 突然、清められた光の中でつんざくような鳥の叫びが聞こえた。まるで世界に裂け目を入れるかのような峻烈な叫びだった。研ぎ澄まされた空間を切り裂くかのように、その叫びは真っすぐに空を渡っていった。

 ユビュが部屋を出てみんなのところへ行くと、全員がユビュを称えた。ユビュは言った。

「前回の創造の際、私は黄金の鎧兜を身にまとって戦場に出ました。それは父ヴァーサヴァが始めた創造の結末に私が責任を負わねばならないと考えたからでした。しかし、パキゼーの教えを請い、その法の輝きに接し、私はこの世界に関わることを止め、隠遁の道を選びました。それが間違っていたとは今も思っていません。しかし、今、この世界の混乱の中、なさねばならないものがあることを悟りました。ルガルバンダが構築した世界は異臭を放ち始めています。そして、ヴィカルナ聖仙から授かったブルーポールが、昨夜、全宇宙に向かって輝きを発しました。これはヴィカルナ聖仙の意志、そして、世界の深奥をつかさどるシヴァ神の意志の表れです。私は起ち上がることを決意しました。道は必ず開けます。私たちの力で道を開くのです。」

 神々から歓声が上がった。シャルマが言った。

「ここウバリートはもうすぐ春になります。雪が解けたら、軍を発しましょう。それまでに軍の準備を進めましょう。」

 そしてウバリートに遅い春が訪れた。山々に美しい雪が残る中、新緑が芽吹き始めた。清流の流れが心地よい響きを鳴り響かせ、風は戦いの時代を忘れさせてくれるほど爽やかだった。そんな中、ウバリートの館では物々しい音が鳴り響き続け、進軍の準備が忙しく続いた。

 ルガルバンダ紀元二十九年、春の吉日、ウバリートでついにシャルマとユビュが兵を挙げた。ユビュはかつてマーシュ師の館で身にまとったのと同じ黄金色の鎧を身にまとい、赤い羽根飾りのついた黄金色の兜をかぶって全軍の前に現れた。

 それを見ると多くの将兵がかつてのユビュを思い出して目を潤ませた。ユビュは全軍の前で宣言した。

「私はパキゼーの教えに帰依し、戦さに参加することなど二度とないと思っていました。しかし、歴史の渦は私にそれを許さず、私は今、こうして再び戦いに赴こうとしています。これが私の使命、そのことを私はしっかりと理解しています。そして、その私の使命を支えてくれるのが、ヴィカルナ聖仙から授かったこのブルーポールです。」

 そう言うと、ユビュはブルーポールを高々と掲げた。ブルーポールからはとてつもない青い輝きが全宇宙に向かって放たれた。それを目の当たりにした将兵は感激に胸を震わせ、勝利への確信を胸に刻んだ。

 この輝きは全宇宙に大きな波動をもたらした。ナユタはヴィクートとともにこの光を見て、大いに勇気づけられた。バルマン師やギランダ、プシュパギリも同様だった。こうしてユビュの軍は進軍を開始した。

 

 その頃、ナユタとヴィクートは破竹の勢いで進撃を続けていた。ワムスッタがナユタを迎え入れたケルバラの報が伝わると、途上にある州県は次々に瓦解した。長官のある者は真っ先に城門を開いて降り、別な者は城を棄てて身を潜めた。

「ナユタ来る。」

の報に接し、ヴォルタ河以東で、敢然と立ち向かう者はもはやどこにもいなかった。

 ナユタはあっという間に三十の城を抜き、ヴォルタ河以東のほとんどを従えた。ナユタはヴォルタ河に面するマカベアに進駐し、既住の神々を鎮撫した。

 マカベアはこの地方の中核都市で、ルガルバンダ帝国の力で建設された建物や競技場、学校などが建ち並び、市の真ん中には大きな広場があり、立派な柱廊がその周りを囲んでいた。ちょうど桜の咲く時期で、街の中には桜が咲き誇っていた。ヴォルタ河沿いの桜並木も美しかった。

 ナユタが県令の住んでいた公館に着くと、チャシタナの配下の兵士たちが門の外まで整列しており、チャシタナが進み出てナユタを出迎えた。

「お待ちしておりました。マカベアではすべての戦闘は収まり、街の片付けも済んでおります。ここにはもはやルガルバンダの帝国の者はひとりとしておりません。今日からこの公館がナユタ様の館となります。」

 ナユタは笑顔を見せて答えた。

「ご苦労だった。どれほど先陣を切って戦って活躍したか、すべて伝え聞いている。共に戦った戦士ともどもほんとうによくやった。」

 ナユタの言葉にチャシタナが恭しく頭を下げると、ナユタは後ろを歩くヴィクート、ヒュブラー、リュクセスを振り返って言った。

「それにしてもチャシタナはたいしたものだ。まさに国士無双と言って良い働きだった。」

「お褒めの言葉、ありがとうございます。これも、ヴィクート様に兵法の数々を教え諭していただいたおかげ。そのおかげで、実に効率よく、スムーズに敵を倒すことができました。」

 チャシタナはそう答えるとナユタたちを公館の中に導いた。

 ナユタは公館に将旗を掲げ、バルコニーに現われると、集まった神々に宣言した。

「我らは我らの世界を取り戻した。ルガルバンダの軛から我ら自身を解放したのだ。ヴォルタのこちら側の世界では、皆が自由に、自分たちのために生きることができるのだ。だが、私自身の戦いは終わっていない。私はヴォルタを渡り、ルガルバンダの帝国を覆すために戦う。この戦いは困難を極めるかもしれないが、世界に自由を取り戻すためには、どうしてもなさねばならない戦いだ。心ある者は、ともにヴォルタを渡る戦いに参加して欲しい。」

 神々から歓声が沸き起こった。解放の喜びと新しい戦いへの高揚した気分が神々の心にみなぎっていた。

 次の日から三日間、マカベアで戦勝の祭りが行われた。武勲や功績のあった者を讃える式典や祝勝会が開かれ、街では酒や餅が振る舞われ、舞台が設置されて踊りや歌が披露された。男たちは何軒もの酒屋を飲み歩いて勝利を祝う歓声を上げた。

 そんな祭りのさなか、ドルヒヤからクレアがやってきた。服は埃っぽく、ベールの下の髪も埃にまみれていたが、その表情はいつもの気品ある控えめな輝きを放っていた。

「ベレニケがマカベアのリュクセスの所へ早く行きたいと言うんで、一緒に来たんです。ドルヒヤでひとりでくすぶっていてもつまらないし、父はもう少し落ち着いてからと言うんですが、マカベアがどんなところかも見てみたかったし。」

 ナユタは喜んで答えた。

「来てくれてうれしいよ。リュクセスも喜ぶだろう。マカベアはドルヒヤよりずっと大きな都会だし、楽しいかもしれないね。まあ、今日は、祭りで賑やかなんでいっそうそう思えるかもしれないけどね。」

「ありがとうございます。来て、迷惑だって言われたらどうしようと思ってたので、安心しました。」

「迷惑なんてことはないさ。君の部屋もすぐに準備させよう。この公館はぼくたちが自由に使えるんでね。それにしても、この公館に入って、ルガルバンダの県令はこんなにも贅沢な暮らしをしていたのかと驚くよ。君たちから搾り取っていたものがそれを支えていたわけだ。ところで、今夜、イルシュマが主催するこの地方の者たちとの会があるんだ。一緒に出ないか。」

「私なんかが出て良いんですか?」

「ああ、かまわないよ。それに、前みたいに、いろいろぼくの役に立つことをやってくれると信じてるし。そのためにも、今日のような会に出ていろんな神と顔見知りになっておくのも悪くないと思ってね。」

「ありがとうございます。じゃあ、さっそく。」

「まずはお風呂を使うと良い。なんせ、この公館では、蛇口をひねればお湯が出るからね。リュクセスには夜会にはベレニケを一緒に連れてくるよう知らせておくよ。」

 ナユタはそう言うと、召使いに命じて、彼女の部屋を用意させ、さらに、夜会に出るための衣装を準備させた。

 夕方近くになって、彼女は衣装を整えてナユタの前に現われた。髪は洗って綺麗に整えられ、顔は美しく化粧し、胸元と背中の大きく開いた淡い青色の衣装を身につけていた。耳には真珠のイヤリング、首からは以前イルシュマに貰ったウバリート産の翡翠のついた金のネックレスがさがっていた。

「とっても素敵だよ。」

とナユタは言ったが、クレアはとまどったような表情だった。

「こんな大胆な服は着たことがないんですもの。破廉恥な女と思われないかしら。」

「大丈夫だよ。昨日の会でもそんな服を着ていた女神がたくさんいたよ。最新の流行らしいし、ドルヒヤのように適齢期の未婚の女性の服装というわけでもないようだ。もっと大胆に、太腿の上の方まで切れ目の入った衣装やお腹を出した衣装を着ている女神もいたしね。なんでも、中原での流行を取り入れたとかいうことだよ。」

「それならこの衣装で安心ね。自分自身はちょっと恥ずかしいけど。」

 彼女は首をすくめたが、流行の艶やかな衣装にまんざらでもない様子だった。

 夜会はイルシュマが新たに自らの商館として手に入れた館で行われた。その館は以前は迎賓館として使われていたものだったが、今回の一連の功績への返礼としてイルシュマが拝受したものだった。その裏には、イルシュマがナユタやヒュブラーに貸し付けた金や提供した物資によって生じたナユタやヒュブラーの借款を棒引きにするということもあったが、それらを差し引いてもイルシュマが手に入れたものは十分におつりが来るものだった。

 ナユタとクレアが大通りに面した商館に着くと、商館は花輪や垂れ幕で立派に飾り立てられ、玄関を入ると、ナユタとイルシュマが並び立つ肖像画が飾られていた。

「イルシュマはこんなものまで用意したのか。」

とナユタはちょっとあきれ顔だったが、クレアはあっさり言った。

「抜け目のない神ですからね。」

「まあな。それが取り柄でもあるし。」

 ふたりがホールに進むと、すぐにイルシュマが現れた。

「お越しいただき、ありがとうございます。それにクレアさんまで。」

 クレアは明るい笑顔で答えた。

「ええ、今日、ここへ着いたとこなんですが、夜会があるからと誘われまして。」

「それは良かった。ぜひ、楽しんでいっていただければ。こちらの出し物も用意しておりますので、ドルヒヤとは違う空気を実感頂けるのではないかと思います。それにしても、今日のクレアさんはいつになく艶やかで、素敵だ。その衣装も素晴らしい。」

「こっちの流行の服ということで勧められました。」

「とてもよくお似合いですよ。」

「ありがとうございます。それにしても、この商館は立派ですね。」

「ええ、以前は迎賓館だったのですが、ナユタ様から今回賜ったのです。今後、商館として使いますが、商館としての仕事の部屋は二階にあり、一階のホールは今夜のような催しなどに使って貰おうと思っています。」

 ナユタが頷いて言った。

「ともかく、ベルジャーラ以来、イルシュマには苦労をかけたからな。」

 イルシュマは大きく首を振った。

「苦労などとはとんでもない。まだまだこれからです。私は商いに精を出してはおりますが、儲けた金は自分のためのものとは思っておりません。すべてナユタ様のために使います。なんと言っても次はこの街の前を流れるヴォルタを渡らなくてはならない。」

「そうだな。」

「そのためには船ですよ。今後、ヴィクート殿と相談して、どんな船がどのくらい要るか聞き、すぐに船の建造にかかるつもりです。」

「そうか。それは心強い。ともかく、よろしく頼む。」

「ありがとうございます。どうかお任せを。」

 笑顔でそう言うと、イルシュマは、既に来ている客人たちにナユタとクレアを次々に引き合わせてくれた。

 しばらくするとリュクセスもベレニケを伴ってやって来た。ベレニケも胸元を露わにし背中の大きく開いた衣装を着ており、その姿は妖艶な美貌を持つ水の精アプサラスのごときであったが、同時に新妻らしい初々しさも漂っていた。

 彼女はナユタに会うと丁寧に挨拶した。

「マカベアへの進出おめでとうございます。日頃よりリュクセスがたいへんお世話になっており、心より感謝しております。」

「ありがとう。でも、そんな堅苦しい挨拶はいいよ。」

 そうナユタが軽く返すと、クレアが言った。

「すっかり奥様って感じね。しっかり夫を立てる良妻って感じよ。」

 クレアはそう言うとさらにからかうように言った。

「リュクセスさんが出征している間大変だったんですよ。私のところへ来ては、リュクセスは大丈夫かしらと言って心配して。でも、いつも、リュクセスは優しいし、頭も良いし、博識だしと言ってのろけられて。」

 ベレニケはぱっと顔を赤らめて何か言おうとしたが、イルシュマがすかさず言った。

「こんなすてきで夫思いの奥様がいて、リュクセスは幸せだ。羨ましい限りですよ。ともかく、今日は皆様羽を伸ばして楽しんでいってください。」

 夜会にはチャシタナも来ていた。

「私のような若輩者まで参加させていただき、ありがたい限りです。」

 そうチャシタナがナユタとイルシュマに挨拶すると、ナユタはにこやかに答えた。

「戦いでは大いに活躍してくれたからな。」

 イルシュマも付け加えた。

「今回、リュクセスの策を用いて、敵を懐柔したり、城を開かせるために奔走しましたが、チャシタナの活躍でずいぶんうまくいきました。チャシタナの勇猛ぶりが鳴り響いたおかげで、敵にはいち早く厭戦気分が広がりましたので。ところで、チャシタナはクレアさんに会うのは初めてでは?」

 そう言われて、チャシタナは改めてクレアに挨拶した。

「お初にお目にかかります。チャシタナと申します。お噂さはかねがね聞いておりました。お会いできてたいへん嬉しく思います。ぜひ今後ともよろしくお取りはからい下さい。」

 硬い挨拶にクレアは笑った。

「私はただの召使いです。そんな気遣いは無用ですよ。」

「ありがとうございます。でも、クレアさんがどれほどナユタ様の回りを取り仕切っているか、耳にたこができるくらい聞いておりますので。」

 すかさずイルシュマが口を挟んだ。

「その通りだ。クレアさんの機嫌を損じたら、ナユタ様に会うことも適わなくなるからな。ともかくクレアさん、チャシタナのこともよろしくお願いします。我が軍の誇る気鋭の騎士ですので。」

 クレアも機嫌良く応じた。

「それにしてもナユタさんの回りにはすばらしい方々がどんどん集まってきてますね。頼もしい限りです。これからが楽しみです。」

 夜会がイルシュマの挨拶とナユタの乾杯の音頭で始まり、出席者同士の歓談の場に移ると、地元の神々が次々にナユタに挨拶にやってきた。ナユタが同伴するクレアにもみんなの眼が集まった。

 年配の神々までクレアに丁寧に頭を下げるので、クレアは、

「私はただの召使いですので。」

と言ったが、ある神は笑って言った。

「あなたの肩書きが召使いかどうかは知らないが、ドルヒヤであなたが果たされたことは、重々、伝え聞いておりますぞ。それに今日初めてお目にかかりましたが、まことに月のように美しい気品を持っておられる。どうぞ、これからもよろしくお願いしますよ。」

 神々は次々にそんなことを言って彼女のために杯を挙げるのだった。

 しばらくすると、イルシュマが準備した出し物が始まった。南方系の響きの交じった音楽を楽士たちが奏で始めると、艶やかに着飾った男神や女神が入ってきた。信じられないような曲芸を見せる者もあれば、鮮やかな手品を披露する者もあった。そして出席者たちは、艶やかな衣装で軽やかに舞う女神たちの踊りやおいしい酒や料理を堪能して、口々に言うのだった。

「いや、ほんとに、まさに自由と解放ですな。これまでもこんな会はあったが、私どもはルガルバンダの県令の下でへりくだり、小さくなっていなくてはなりませんでしたからな。」

「いや、まことに。酒にしても、料理にしても、くだされものということで、まさに、ありがたく頂戴するわけで、酒や料理を楽しむ気分にはなれませんでしたしな。」

「まことに、自由気ままに宴席を楽しめるというのは幸せなこと。すべてはナユタ様のおかけですな。」

 宴会の間中、リュクセスはベレニケを伴って次々とマカベアの有力者たちと歓談し、親交を深めていた。

「今回の騒乱は皆様にとって必ずしも嬉しいものではなかったかもしれませんが、しばらくすれば、ありがたいことだと感謝いただけるようになると信じています。ルガルバンダは皆様から搾り取るためにここを支配したが、ナユタは違います。ナユタは皆様のために戦っているのですから。この戦いは軛からの解放のための戦いとご理解いただければと思います。」

 そう語るリュクセスに有力者たちは調子を合わせていった。

「ええ、ありがたく思っておりますよ。なんといっても宇宙の英雄ナユタ様が来られたのですから。それにリュクセス殿が、かつてより、力による専制支配ではなく、周辺地域との融和策を唱えておられてことも伝え聞いております。私どももできる限り力にならせていただきます。」

 彼らにしてみれば、マカベアからルガルバンダ勢力が一掃された以上、ここでナユタに逆らっても何の得もないのでそう言っただけかもしれず、ほんとうの本心のほどは分からなかったが、ともかく、彼らを懐柔し、次の戦いへの協力を取り付けることはまぎれもなく肝要なことだった。

 新妻のベレニケも歓談に加わったが、出席者たちは、

「リュクセス殿はこんなすてきな奥様をおもちとは羨ましい限りですな。」

「ベレニケ殿の美しさは今夜の夜会でも特に映えておりますな。」

などと口々に言うのだった。

 宴会が終わると、イルシュマはすべての出席者にそれぞれお土産を持たせてくれた。これもリュクセスの策によるものだった。家に帰って開けてみると、それは南方産のドライフルーツを使った大きなホールケーキで、さらに、クレアには、これも南方産と思われる艶やかな腕輪が添えてあった。

 

 一方、イルシュマはこの公式の宴会のとは別の日に夜会も用意していた。そこに参加したのは、ヒュブラーをはじめとする部族の長や有力者の男たち二十神ほどであった。参加者が集まると、イルシュマが杯を掲げて挨拶した。

「この大いなる勝利は皆様のもの。この勝利を祝うために今夜は特別のものを用意しております。土産もついておりますので楽しみになさってください。ではまず、ヒュブラー殿より乾杯の挨拶を。」

 ヒュブラーは言った。

「この勝利はドルヒヤをはじめとする多くの部族の夢であり、願いであった。そして今、ヴォルタ以東のすべてを我らの手で解放した。今夜はその勝利を大いに祝い、大いに称えあおうではないか。だが、我らの道は完結していない。我らはヴォルタを渡らねばならぬ。そのためには更なる英気を養わねばならん。今夜、その英気を養うためにこの勝利にも大きな貢献をしたイルシュマが特別なものを用意してくれた。イルシュマを讃え、また我ら自身が成し遂げたことを讃え、大いに楽しもうではないか。」

 ヒュブラーがそう言って杯を掲げると男たちから大きな歓声が上がった。すると正面の舞台に妖艶な薄衣の衣装を纏った若い娘たちが出てきた。大喝采が上がると、娘たちは艶やかな踊りを披露し、さらにはひとりづつ衣装を少しづつ脱ぎ去っていった。ひとりが艶めかしく体をくねらせながら一枚衣装を脱ぐたびに大喝采が上がり、男たちの気炎は大いに上がった。

 身につけるものが胸と股間の恥部を覆う下着だけになると、娘のひとりが胸を覆っていたものを取り去り、それを会場に投げ入れた。それを掴んだ男はその下着を大きく掲げ、回りの男たちに見せびらかしてみせた。他の娘たちも次々に胸を覆う下着を取り去り、会場に投げ入れた。会場の興奮は最高潮に達した。

 だが、それで終りではなかった。女たちは豊満な胸が艶めかしく揺れる踊りを披露すると、その踊りの最中にひとりづつ股間を覆っていた下着を脱ぎ、それも会場に投げ入れた。その下着を手にした男はそれを鼻に当てて叫んだ。

「こいつはもう濡れてるぞ。女のあそこの匂いは最高だぜ。」

 娘たちは一糸纏わぬ姿になると、踊りながら恥部をさらけ出したり、広げて見せたりして、更なる喝采を浴びた。女のひとりが会場に降りて、ひとりの男神の手を取って一緒に舞台に上がらせた。すると、女は男の張形を差し出した。男はにやりと笑って張形を受け取ると、その張形に油を塗り、立ったまま足を広げた女の股間に差し入れた。男がそれを上下に動かすと、女は艶めかしいよがり声を上げた。

 会場から喝采が上がった。

「いいぞ。もっとやれ。」

「他の女はやらないのか。」

「遠慮せずに行きたいだけ行って良いんだぞ。」

 その声に応えるように他の女たちも次々に会場に降りて男を引っ張っていった。女に連れられる男は皆嬉しそうだった。女たちは寝そべったり、立ったままで股間に張形を受け入れ、みな体をくねらせ、喘ぎ声を上げた。男たちはそれぞれに女の胸を揉み、唇や乳首にむしゃぶりつき、股間を指で愛撫した。女たちの股間はぬるぬるになり、息はどんどん荒くなってついにはのけぞって果てた。

 舞台の女たちが相手の男と共に舞台を降りると、他の娘たちが出てきた。ヒュブラーが言った。

「さあ、残りの男たちもひとりづつ好きな女を選んでこのまま連れて帰ってくれ。さっき舞台に上がった者もまだ思いを遂げていないだろう。あとは家に帰って好きなだけやってくれ。」

 その声に即されて残りの男たちは舞台に上がり、それぞれ気に入った女を手に入れた。その夜、それぞれの男が手に入れた女たちを相手にどんなに楽しんだかは想像に難くないだろう。

 

 こうしてマカベアでの新しい生活が始まった。クレアはマカベアでの暮らしが気に入ったようだった。しばらく経って、かつてのドルヒヤでのように夜ナユタとふたりきりになると、ナユタの杯に酒を注ぎながらクレアは言った。

「ここは良い所ね。今までとは違う料理や果物がたくさんあって、耳飾りや首飾りだってドルヒヤよりずっとおしゃれだし。中原に近いってこういうことなのね。これまでドルヒヤの暮らしに不満はなかったけど、ここに来て、ドルヒヤがどんなに田舎で辺鄙なところなのかよく分かったわ。」

 ナユタは笑って言った。

「でも、ドルヒヤは森に比べれば、はるかに都会だよ。」

「そうかもしれませんね。私もドルヒヤは嫌だとか不満だとか言ってるわけではないんですよ。でも、多分、私には森の生活は無理ね。あそこで暮らせるのは、霞ででも生きれるような者たちだけだってよく聞くし。」

「まあ、それはそうだよ。ただ、ぼくにとっては森にはほんとうに心を満たすものがあるんだ。いつかまた森に帰る日があるんじゃないかと思っている。」

「でも、今はヴォルタを渡ることを考えなくちゃなりませんね。」

「その通り。ただ、そのためには、万端の準備を整えなくてはならない。君の力も必要だよ。」

「ありがとうございます。お役に立てるようにがんばります。」

 ナユタが注いでくれた酒を干すと彼女は続けた。

「でも、私はヴォルタを渡るのを楽しみにしてるんです。私だけじゃなくて、多くの者たちが皆楽しみにしてますけど。」

「そういうものかな。」

「ええ、だって、ドルヒヤで暮らしてきて、このマカベアですらこんなにわくわくするんですよ。ヴォルタの向こうの世界がどんな世界なのか、都のビハールがどんなところなのか、心が躍ります。きっと見たこともないような大きな都なんでしょうね。」

「ああ、多分ね。ぼくもビハールには行ったことがないんでね。ルガルバンダから来るように求められたけど断ったからね。」

 マカベアではクレアはもはやただの召使いではなく、もっとも信頼できる側近のひとりのような存在になった。彼女は多くの召使いを使って公館での生活を切り盛りし、クレアを介することなくナユタに会うことができるのは、ヴィクートやヒュブラー、イルシュマなどほんの一握りの者たちだけだった。彼女は多くの者たちから一目も二目も置かれる存在となり、逆にナユタは、クレアを通して、事前に面会者たちの本音を事前に知っておくことができるのだった。

 ナユタの次の目標はヴォルタ河を渡ることだったが、ヴィクートは慎重だった。ヴォルタを渡る準備が着々と進んでも、ヴィルートはなかなか首を縦に振らなかった。

 ナユタはヴィクートに言った。

「戦さには勢いというものがある。今、我らはマカベアを落とし、破竹の勢いに乗っている。この勢いを活かし、一気にヴォルタを渡って中原に進むべきではないか。ヒュブラーもじりじりしているようだし。」

「だが、敵は強大です。」

 ヴィクートはそう言って、慎重に自説を述べた。

「もちろん、戦さには勢いというものがある。ですが、ヒュブラーをはじめ、多くの者たちは自分たちの力を過信しすぎています。小さな勢いというものはそれに乗っている者たちには心強く思えても、以外にあっけなく凋むものです。自らも驚くほどの大きなうねりとなるのを待つのです。ルガルバンダは必ずや大軍を派遣してくるでしょう。我が軍の力も上がってきたとはいうものの、正面からその大軍と戦って勝てる可能性は少ない。しかも、ヴォルタの向こうでは、ルガルバンダに組する民も多い。戦いに負ければ、後ろはヴォルタであり、逃げ場を失うことになります。」

「背水の陣という言葉もあるが。」

 ヴィクートは苦笑して答えた。

「背水の陣を敷けばいつでも勝てるなら、背水の陣をとることが兵法の基礎となりましょう。しかし、そうはなっていない。背水の陣を過信してはなりません。背水の陣は、寡兵で戦わざるをえないときの窮余の奇策に過ぎないのです。」

「だとしたら、我らはどうするのが良いのか?」

「ここで待つのです。」

「待つ?何を?」

「ルガルバンダの大軍が来るのをです。ですが、敵も簡単にはヴォルタを渡れない。ヴォルタを盾にその敵と戦い、機が熟するのを待つのです。」

「機が熟するとは?」

「今、世は動いています。ヤズディアでのプシュパギリの蜂起がドルヒヤでの決起に繋がり、我らの戦いがユビュ様やバルマン師の旗揚げを引き起こしています。自ら起こした波が大きなうねりとなるのを待つのです。ヤズディアでプシュパギリは蜂起の後、それ以上進軍しようとはせず、逆にヤズディア城に籠もっています。まさに上策と言うべきです。もし、進軍したなら、ルガルバンダの大軍によって反乱は鎮圧されてしまっていたでしょう。ヤズディア城とヴォルタ河、これらは我らにとっては何ものにも代えがたい盾なのです。その盾で敵を防ぎつつ、機が熟するのを待つのです。」

「それはよく分かった。ただ、ヒュブラーらは逸っている。あまり、ここに押しとどめておいては勢いが凋む恐れもあるのではないか。」

「ヒュブラーらを説得し、その勢いを保ち続けさせることができるのはナユタ殿だけです。あなただけがそれをなしうるでしょう。リュクセスとイルシュマも蔭から力になってくれるでしょうし。」

 この言葉にナユタは納得した。

 ナユタはさっそくリュクセスとイルシュマを呼ぶと、ヴィクートの考えを理解させた。イルシュマはすぐに答えた。

「分かりました。それでは、私がまずヒュブラーと話をして地ならしをしておきましょう。」

 イルシュマは贈り物を携えてヒュブラーを訪ねると、さっそく言った。

「ヒュブラー殿は早急にヴォルタを渡る主戦論を唱えておられるが、ナユタは慎重論です。今日は、ヒュブラー殿を説得に参りました。」

 ヒュブラーは豪快に笑った。

「単刀直入に言うな。面白い。おまえの論が正しければ、おまえの論を認めることはやぶさかではないぞ。」

「ありがとうございます。実は私は表向きは商人ですが、商売にかこつけて配下の者たちを各地に派遣しているのはよくご存じかと思います。ビハールにも行かせています。」

「ああ、それはよく知っているぞ。そのおかげでおれたちの戦いがうまく行っている面もあるからな。」

「ありがとうございます。それでビハールの豪商とも繋がりをもつことができていますが、正直言って、ビハールの豪商たちは、塩や銅、錫といった専売の上にあぐらをかいています。巨利を貪っているが、世の動向には疎い。ルガルバンダの権威に疑いを持っていないのでしょう。」

「なるほど。それで?」

「ただ、彼らはあくまで商神です。自らの利には聡く、利益のためにはあくせくしますが、決して、ルガルバンダと一心同体というわけではありません。ただ、ルガルバンダの帝国が覆ることなどないと思っているだけです。だから、彼らはルガルバンダを裏切ることなど平気でやりますし、実際、私のところにも闇でいろんな物資を売ってくれます。」

「まあ、商神というものはそういうものであろうな。」

「ええ。ただ、誤解しないでいただきたいが、私は違います。私はナユタ殿やヒュブラー殿と共にあります。ご存じと思いますが、私の財はこれまでも反ルガルバンダのために使ってきましたし、これからもそのために使います。」

「それはたしかにそうだな。」

「さて、では、今後、ビハールの商神がどう動くかというと、今、ナユタ殿がヴォルタを渡ったとて彼らがルガルバンダを見捨てることはありません。ナユタ殿がマカベアに進駐し、ユビュ殿がウバリートを進発したといっても、ルガルバンダの元には、ヤンバー、カーシャパ、ルドラなどが大軍と共に控えているのです。まだ、時が熟していないといわざるを得ない。しかし、機は必ず来ます。」

 きっぱり言い切ったイルシュマに対して、ヒュブラーは探るように言った。

「それで機が来れば?」

「世の動向が混沌としてくれば、豪商たちは保身に走るでしょう。すなわち、ナユタ殿が勝ち、ルガルバンダが敗れたときにも自分たちの繁栄を担保できるようにするということです。そうなると、世の天秤は大きく動きます。今はまだルガルバンダに思い切り傾いている天秤が、平行となり、さらにユビュ殿やナユタ殿の進軍が続けば、その天秤はこちら側に大きく傾くのです。そうなれば、もう誰もその流れを止められない。天下の形勢がまさに一気にひっくり返るのです。」

 ヒュブラーはこの言葉に素直に同意はしなかったが、深く考え込んだ。イルシュマは、自らの言葉がヒュブラーを動かしたことを察知すると、改めて携えてきた贈り物を披露し、ヒュブラーの元を辞した。彼は会談の結果をナユタに報告すると共に、クレアには諸将やその配下の者たちにそっとナユタの意向を囁いておくように依頼したのだった。

 しばらくして、ナユタは、クレアに歓待の準備をさせてヒュブラーを招いた。

 ヒュブラーがやってくるとクレアが出迎えた。

「ようこそ。お待ちしていました。」

 にこやかにクレアが挨拶すると、ヒュブラーは上機嫌に言った。

「しばらくぶりだが、一段と綺麗になったように見えるな。ナユタ殿の館はよほどおまえの性に合ってんだろう。ナユタ殿とおまえが特別な関係になってもおかしくないとみんな言っているぞ。」

 クレアはちょっとつんとして答えた。

「そういう失礼なことは言わないでくださいな。それにナユタさんは私なんかに特別な思いなんて持っておられないし、持つことなんてありませんわ。」

「そうか?だけど、ふたりだけで一つ屋根の下で長い時間を過ごしてるわけだからな。おまえの女友達だって、ナユタさんとくっつけば良いのにっておれに言ってたぞ。ベレニケもリュクセスと結婚して良い奥さんになっているじゃないか。ナユタ殿だって、おまえのことは悪く思っていないだろう。おまえに向けるまなざしは特別に温かいようにも見えるしな。」

 クレアは肩をすくめた。

「ともかくそんな話は結構ですわ。私はただヒュブラー様に言われてここでお仕えしているだけですので。」

 クレアが部屋に案内するとナユタが待っていた。挨拶を交わしてヒュブラーとナユタが席に座ると、クレアがふたりの杯に酒を注ぎながら言った。

「おふたりでの席というのも久しぶりですわね。ドルヒヤ以来じゃないでしょうか。」

「そうだな。ともかくヒュブラー殿のおかげでここまで来れたわけだしな。」

 ナユタがそう言うと、ヒュブラーはその言葉を押しとどめて言った。

「私のおかげなどとは滅相もない。ナユタ殿のお陰で我々がここまで来れたのですよ。ほんとに一族を挙げて感謝しておりますよ。クレアもドルヒヤの時以上に一段と活き活きと輝いて見えて、私もクレアの父親に顔向けできるというものです。」

「まあ、お上手なこと。ヒュブラーさんもイルシュマやリュクセスとの付き合いが増えてお口が達者になったようですね。」

 クレアがそう言うと、ヒュブラーは大きく笑った。

「だけど悪いことじゃないだろう。自分の力だけじゃたいしたことはできないわけだからな。」

「それはお互い様です。クレアにもほんとうに感謝していますし。ヒュブラー殿のお陰です。」

 ナユタがそう言って料理を勧めると、ヒュブラーは料理を口にしながら言った。

「ところで今日は食事にお招きいただいてありがたいが、どういう話なのでしょうかな。ナユタ殿がヴォルタを渡るのは時期尚早と説いているという話は伝わってきておりますので。」

 この問いかけに、ナユタは、現在の状況、今後の見通しなどを述べて、ヴォルタを渡るのを急ぐべきでなく、今は、これからやってくるであろうルガルバンダ軍をヴォルタを挟んで防ぎ、ユビュやバルマン師、プシュパギリの動きに合わせて次の策を練るべきだという考えを説明した。

「理屈の上ではごもっともですな。」

 ヒュブラーはまずそう言ったが、さらに続けて言った。

「もし、我らの仲間の心が、ナユタ殿や私と同じであるなら、まさにナユタ殿が言われた策は上策と言うべきしょう。しかし、ここに集まる者たちの心は一つではない。実際、彼らの中には、このマカベアに進出し、それで満足している者も少なくない。なあ、クレア、そうじゃないか?」

「ええ、たしかに。このマカベアはドルヒヤよりはるかに豊かでヴォルタの向こうまで行かなくてもいいじゃないかと言っている者もいますから。」

「ここに留まり続ければ、そう思う者たちはさらに増えるでしょうな。ヴォルタを盾にこちら側に、我らの国を作れば良い。そうなると、いざ、ヴォルタを渡ろうとしても、動く者はいなくなる。ナユタ殿が先ほど言われた策を上策と申し上げたが、上策も時を掴まねばいとも簡単に下策に変わる。それも兵法の基本と言うべきでしょう。」

 この言葉をナユタはうなずきながら聞いたが、探るように言った。

「では、ヒュブラー殿のお考えは?ヒュブラー殿も今の状態で満足ですか?」

「私は違います。こんな状態に留まって良いはずがない。中原よりはるかに遅れたこんな状態でどうして満足できるというのか。私は、中原の者たちと同じ繁栄を享受したい。だから、ヴォルタを渡りたい。」

「だとしたら、いざ、ヴォルタを渡るというときに、我らの力となるよう彼らを取り纏めていただきたいのです。それができるのは、ヒュブラー殿をおいて他にない。」

 そう言ってナユタがヒュブラーをじっと見つめると、ヒュブラーはしばらく考え込んでから重い声できっぱりと言った。

「難しい注文ですな。しかし、今はヴォルタを渡るべきではないとしたら、なんとかするほかありませんな。」

 ヒュブラーはそう言うと、ナユタが諸将と会ったときの内容を詳しく聞き、さらに、クレアからさまざまな者たちの様子を聞き出したのだった。

「ともかく、なんとかいたしましょう。それが、我らの将来の繁栄のためですからな。私はルガルバンダの臣民どもが恩恵に与っている繁栄を私の仲間にぜひとも享受させたいのですよ。もう、こんな田舎者の暮らしには飽き飽きしましたからな。」

 そう言って、ヒュブラーが納得して帰ってゆくと、ナユタはほっとすると同時にどっと疲れを感じた。ナユタはふうっと大きなため息をつくと、自室に戻って、クレアに酒を運んでこさせた。

 かつての創造を巡るムチャリンダとの戦いではこんなことはなかった。馳せ参じたすべての神がナユタと同じ思いで戦っていたはずなのだ。だが、今、ナユタと供にいる者たちは、ナユタが求めるものとはまるで違う現実の繁栄や物質的満足を求めている。だが、そんな彼らの力を活かさない限り、ルガルバンダと戦うことはできないのだ。

「今日はお疲れ様でした。でも、これでヒュブラーも力に借ってくれるでしょう。」

 そう言ってクレアが酒を注いでくれると、ナユタはぐいと一気に飲み干した。この現実を生きる以外に、今は道はないのだ。

 

2015314日掲載 / 最新改訂版:2023814日)

 

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向殿充浩 (こうでんみつひろ) / 神話『ブルーポールズ』第4巻