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神話『ブルーポールズ』
【第4巻】-5
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それからしばらく経って、ベルジャーラに近いバクテュエスの街にヤンバーの率いる軍団が近づいた。行軍の長い列はこの地方の者たちがかつて一度も目にしたことがないほどであった。多くの者たちが腰を抜かしてすぐさまバクテュエスの街に知らせた。
「見たこともない大軍だ。行軍は丘をうねり、山の向こうまで続いていた。まさに蛇のようだった。」
「馬に乗った部将たちは甲冑に身を固めて赤いマントをひるがえし、兵士たちは金色に輝く槍を抱えておった。」
そんな知らせを受けると、バクテュエスの長老たちは正装して街の手前でヤンバーを出迎え、跪いて言った。
「ようこそ、ヤンバー様。天下にご尊名が鳴り響くヤンバー様がわざわざこの辺境の地までお越しになると聞き、我ら一同驚いております。ヤンバー様直々のお越しを心より歓迎いたしますが、何ゆえに、これほどの大軍で参られたのでしょうか。」
これに対し、ヤンバーは馬上から豪快に笑って答えた。
「出迎え、痛み入る。我らを歓迎いただくのはありがたい限り。だが、ここに来たのは他でもない。ここにルガルバンダ皇帝の覇権を確立するためである。」
「恐れながら、既にルガルバンダ陛下の覇権は確立され、ここにもその確固たる支配が及んでおります。我らはすべてルガルバンダ陛下に服しており、逆らおうとする者などひとりとしておりませぬ。」
「それはどうかな?まあいい。ところで、ここの長官は誰だ。」
ひとりの神が
「私です。」
と名乗り出た。するとヤンバーは次のように宣言した。
「では、今日から長官は交代する。今後は都から派遣された長官がここを治める。」
このヤンバーの言葉に長老たちは動揺した。
「ヤンバー様、何ゆえにそのような。この地方は何一つ問題など起こしていないではありませぬか。」
「そんなことはない。現在、ルガルバンダ皇帝はこの宇宙を平定するために戦っておられるが、この地方は何かと理由をつけて必要な兵力を送ってこない。そればかりか、貢物にしても、今年は不作だとか、災害があっただの理屈をつけては出し渋っている。」
「たしかにそれについては申し訳なく思ってはおりますが、しかし、やむにやまれる事情があってのこと。しかもその事情は丁寧にご説明申し上げ、役人の方々にもご納得いただいているはず。」
ヤンバーはそれを鼻で笑うような表情で聞き流し、横にいるリュクセスに言った。
「これがこいつらの言い分だ。形だけ服従のていをとり、言い訳を並べ立てては協力を惜しんでいる。話にならんな。」
ヤンバーは長老たちの方に向き直ると、さらに言った。
「それだけじゃない。ユビュが今どこにいるかについての情報もほとんどなく、情報を隠しているのではないかと皇帝は疑っておられる。」
「そんなばかな。情報を隠してなどおりませぬ。得られた情報は逐次、都にご報告申し上げているはず。」
「さあ、どうかな。皇帝陛下のお耳には、ユビュがこの地方のあたりにいるらしいとの情報が入っている。しかるに、おまえたちからはユビュに関する何の情報もない。仮にその方の言うことが本当だとしても、では、ユビュの行方を調べるために真剣に努力しているものかどうか。ともかく、今日より、都から派遣された長官がここを治める。都が要求する兵力は一兵たりとも欠けることなく提供し、貢物も何一つ欠けることなく上納し、ユビュの行方も徹底的に追う。いいな。」
そうヤンバーは言い放つと、再び馬上から進軍を命じた。
その日から街はヤンバーの軍で溢れ、都から派遣されてきた長官の元での軍政が始まった。リュクセスの融和主義のおかげで長老たちがお咎めを受けることはなかったが、ヤンバーの振る舞いに眉をひそめる者も少なくなかった。また、新しい長官の冷淡で友好的でない雰囲気、上にはへつらいつつ回りには威張りくさる態度も街の者たちの反感を助長させた。
ヤンバーがやってきて数日後に開かれた歓迎の宴でもそうだった。街の長老たちは精一杯のもてなしを行ったが、酒が進み、若い娘たちの踊りが披露されると、ヤンバーは不機嫌にわめいた。
「たったこれだけだか。服を着てちゃらちゃらしてただけじゃないか。さして綺麗でもない小娘が服を着たまま踊っても、面白くもなんともない。こんな女は裸になるくらいしか魅力はないじゃないか。おれはこの地方の女の裸を見たいのだ。服を脱いだらどうだ。」
娘たちは真っ赤になって顔を強ばらせたが、隣に座るリュクセスは眼でヤンバーをたしなめて、娘たちに言った。
「ヤンバー殿はちょっと酔っておられる。ビハールにはないこの地方独特の良い踊りを見れてたいへん満足だ。あとで褒美を取らせる。」
リュクセスは娘たちを下がらせると、ヤンバーにささやいた。
「ここはビハールの私邸ではございませんので。」
だが、ヤンバーの反対側の隣に座る新しい長官はうそぶいた。
「こんな輩に気を使わねばならないのですかな。私も娘たちが素っ裸で踊る様を見たかったですな。」
ヤンバーも囁いた。
「まったくな。それに、おれはここの女が自分をどんなふうに慰めるかも見たかったんだがな。女が男たちの前で恥ずかしさを押し殺してあそこに張型を突っ込んだり、指であそこを愛撫して喘いだりする姿を見るのは、なんとも言えずおつなもんだからな。」
リュクセスは顔をしかめて、
「そのようなことはビハールのご自宅で。」
と言ったが、ヤンバーは意に介さなかった。
「ビハールはビハール。ここはここ。おれはここの女の裸が見たいんだ。ともかく、面倒な遠征の楽しみといったら、うぶな田舎娘を裸に剥いて、羞恥に身をくねらせる姿を眺め、後は夜の床でとことんひーひー言わせることくらいだからな。」
長官は相づちを打って言った。
「まことにさようでございますな。夜の娘の方は私の方できれいどころを用意しておりますので。」
そう言うと、長官は給仕の係の者を呼びつけて叱責した。
「酒が足らんぞ。それにしてももっとうまい酒はないのか?」
宴席が終り、ヤンバーが寝室に戻ると、既に長官の用意した娘が待っていた。娘は震える声で言った。
「ようこそ、ヤンバー様。ナイラートミヤと申します。今夜のおつとめをさせていただきます。」
娘に顔を上げさせるとヤンバーは言った。
「まあまあの器量だな。ビハールだったら相手にしないだろうが、こんな田舎ではしょうがない。ともかく裸を見せろ。おまえの顔ではそれだけでおれを欲情させることはできそうもないからな。」
「ここで脱ぐのでしょうか?」
ナイラートミヤと名乗る娘は小声でそう言ったが、ヤンバーは大きな声で責めるように言った。
「あたりまえじゃないか。ほかに何をすると言うんだ。ちなみに言っておくがな。おれは精力絶倫。ちょっとやそっとのことではいかないからな。」
娘が脅えたまなざしで震えると、ヤンバーはあざけるような笑いを浮かべた。
「自分で脱がないというなら、おれが脱がしてやる。」
そう言うと、ヤンバーはナイラートミヤの両手を掴み、乱暴に衣服を引きはがした。無碍に抵抗もできず、女は為されるがまま裸にひんむかれたが、ヤンバーはその体を乱暴に床の上に投げ出した。
「体だけは男を魅惑できるようだな。おれのものも立ってきたぞ。うれしいか。」
そう言うと、ヤンバーはナイラートミヤの体をなで回し、乳房をもみほぐし、乳首に吸い付いた。女の口から喘ぎ声が漏れた。
「おまえもよがり始めたようだな。さあ次だ。」
そう言うと、ヤンバーは男根の張形を取りだし、それをぬめり始めた股間に突き入れた。
「止めてください。」
ナイラートミヤは細い声でそう言ったが、ヤンバーは大笑いした。
「おまえをよがらせるためにやってるんだ。感謝してもらわないとな。」
ヤンバーは張形を女陰に抜き差しすると女の股間には愛液が溢れ、ナイラートミヤは大きくのけぞった。快感に悶える女の表情が最高だった。
ヤンバーは張形を抜き取ると、床の上にあぐらをかいた。股間からはヤンバーの巨根がそそり立っていた。
「もっとやって欲しいだろう。さあ、この上にまたがれ。」
女はもじもじして途惑っていたが、ヤンバーは強引にナイラートミヤの体を引き寄せ、股を広げさせると、己の陰棒の上に跨がらせた。そそり立ったヤンバーの巨根は既にひどく濡れていた彼女の割れ目にぬるっと入り込み、女は大きなよがり声を上げた。
ヤンバーは向かい合った彼女の乳房を揉み、唇を合わせ、男根を割れ目にくわえ込んだ彼女の体を激しく上下させた。女は大きく喘いで天井を仰ぎ、激しく体をくねらせたが、ヤンバーは容赦しなかった。
「まだまだだからな。おまえだって良い気持ちなんだろう。あそこの締りも良いぞ。おまえも存分によがると良い。」
そう言うと、ヤンバーはとことん女の女陰を味わい、最後に座位のまま彼女の中に射精した。
ヤンバーにとってはこの夜一晩限りの女だったかもしれないが、ナイラートミヤにとってはこの上ない恥辱だった。心を許した相手にしか見せない痴態をこんな下卑な男に見せねばならないとはという怒りが心に疼いた彼女は、ことが終わって衣服を着ながらヤンバーに聞こえないような小声で言った。
「私は無我の女神として生まれ、髑髏の冠、髑髏の首飾りをし、死者の上に座している。ヤンバーにはこの報いが必ずや訪れるでしょう。」
だが、ヤンバーはただ機嫌良く言った。
「今日はもういいぞ。明日はもっと良い女が来れば良いがな。」
次の日からも毎夜のように新しい女神がヤンバーの元にやってきた。ひとりのこともあれば、三神、五神と複数の女神がやって来ることもあった。その度にヤンバーは、女神に自慰を強要したり、己の男根を口にくわえさせたり、さまざまな体位で交合したり、時には縛り上げて羞恥責めにあわせたりと思う存分、女神たちをもて遊んだ。
宴席でのことといい、夜床のことといい、ヤンバーに眉をひそめる者も少なくなかったが、リュクセスは有力者の家を訪ねたり、あるいは有力者たちを食事に招いたりして、懐柔に努めた。リュクセスは言った。
「皆様にはご苦労をお掛けいたします。この度のことはルガルバンダ陛下の強い意思に基づいており、帝国のために必要な措置としてどうかご理解いただきたい。ただ、私もかつて諸国を渡り歩き、皆様のような方々が地方でどのように生きてこられたかはよく理解しております。ですので、できる限り皆様方のためになるよう、できるだけのことは致します。それに、ヤンバー将軍がここに留まるのはそんなに長くはないはず。将軍が帰れば、あとは残った長官とて皆様を無碍には致さないはずですので、今しばらくはどうかご辛抱を。」
リュクセスの説明に納得した者もいたが、やむを得ないと思いつつも内心の不満を吐露する者も少なくなかった。
「リュクセス殿のご苦労と私どもへのご配慮には深く感謝しております。ですが、帝国のやり方はあまりにも横暴。結局、我らのような力のない者たちを力で無理矢理押さえつけているだけではございますまいか。とても正義に則った皇業とは申せないのでは。」
そうは言っても、武力を突きつけられている以上、何もできないのは彼らにも分かっていた。結局は憤懣を吐き出すくらいしかできないのではあったが、リュクセスには深く考えされられるものがあったのも事実だった。
ヤンバーの横暴にしろ、虎の威を借りた長官の不遜な振る舞いにしろ、地元の者たちは表面では支配に服しているが、それはしかたなく形の上で服従しているだけ。その内実は、できるだけの非協力であり、心の底では非服従ではないか。力を背景にしたこんな強圧支配がいつまでも続くことなどあり得ないのではないか。それがリュクセスの心の内の思いであった。
ともかく、リュクセスが有力者の懐柔に務めたおかげで、バクテュエスの支配は表面上強固となったが、若い神を中心に不満は鬱積していた。バクテュエスの街で何食わぬ顔で神々の中に交じっていたイルシュマは、そんな若い神たちの中から同志を集めて言った。
「こんなところにいても何も良いことはない。ここではただつまらない輩に支配され、脅され、ひれ伏して暮らさねばならないからな。おれはナユタと共に道を歩もうと思っている。どうだ。一緒に広い世界に出てみないか。」
同志たちに異論はなかった。皆、ヤンバーの横暴さに辟易していたし、イルシュマの才能は誰もが認めていたからだった。同志たちの意思を確認すると、イルシュマは行動に移った。
イルシュマがまず考えたのは、ベルジャーラにユビュらがいたことがヤンバーに知られると長老をはじめとする者たちが関与を疑われて処罰される恐れがあるということだった。
そこで、イルシュマは、万が一ベルジャーラの山城が調べられても大丈夫なように同志たちとともに、ベルジャーラの城に行って、ユビュたちがいたという痕跡を徹底的に消し去り、さらに、長く廃墟のままだったという印象を与えるよう、窓を壊し、室内に土や植物や枯れ草を持込むなどの細工を施した。さらに、イルシュマは、もっとバクテュエスに近く発見されやすい別の場所の廃屋を、さもユビュがいたかのようにしつらえた。イルシュマは、実際にそこで同志たちと一夜を過ごし、それによって、あたかも最近まで煮炊きをし、生活していたかのような印象を与えるようにした。食べたり飲んだりした食器も、洗わずにそのまま放置し、あたかもヤンバーの到来で慌てふためいて出て行ったように演出した。さらに、ご丁寧に、およそそのぼろ屋には不釣り合いな上等のベールの破れたのを棚の上に置いておいたり、ユビュなら持っていても不思議でない上品な耳飾りの片方を部屋の隅に転がしておいたりもした。
実際、ユビュの行方を調べたヤンバーの兵士たちはこの廃屋を見つけて、ここにユビュが潜んでいたと報告し、長老たちは何のお咎めも受けずに済んだのだった。
一方、イルシュマは一連の対応を終わると、仲間たち共にウバリートを目指したのだった。
その頃、既に、ユビュとマーシュ師はナキアとともにウバリートに着いていた。ウバリートは深い雪に埋まっていたが、薄暗い空の下、木枯らしがひゅうひゅう吹きすさぶ中をユビュの一行がやってくると、シャールバは温かく迎えた。
「雪の中をたいへんでしたでしょう。世はまだ晩秋といったところでしょうが、北の地にあるここウバリートはもう冬真っ只中です。でもこの寒さもまだ序の口。これからまだまだ寒くなります。ともかく中へお入りください。さあ、どうぞ中へ。」
そう言って、シャールバはユビュの一行を館の中へ迎え入れた。館の中では温かい暖炉が燃え、ユビュはほっとした気分になった。
「ユビュ様がいらっしゃったこれまでの地と比べると不便ではありますが、敵から身を守るには適しています。」
そう言うと、シャールバはユビュの一行をくつろがせ、温かい夕食をふるまった。
「こんな田舎にはおいしい料理もありませんが。」
と言うシャールバに、ユビュは頭を下げて言った。
「ありがとうございます。ここに温かく迎えていただくだけでありがたい限りです。ほんとうにお世話になります。」
マーシュ師も言った。
「それにしてもたいへんな時代になったものだ。だが、ともかく、こうして迎えてもらってありがたい限りだ。シャールバ、これからもたいへんなことが山のように待っていようが、ユビュをよろしくな。必ずおまえたちの時代が来る。決して挫けてはならん。」
この言葉に、シャールバは目頭を熱くした。
「ご期待に沿えるよう、全身全霊を打ち込んで参ります。ここ何年もの間、この地に兵を蓄え、馬と兵器を密かに集めて参りました。また、ウダヤ師から弩砲という新兵器も伝授いただき、今まさに急ピッチで作製を急いでいるところです。」
「そうか。頼もしい限りだ。時が来て、ナユタやバルマン師が動き出すのも、そう遠いことではあるまい。その時が決起の時だな。」
「そのとおりと存じます。その時まで、ナユタやバルマン師とも連絡を取り、準備を進めたいと思います。」
数日経って、イルシュマが同志たちとともに到着した。ウバリートでイルシュマがまず取り組んだのは弩砲に関することだった。アリアヌスから弩砲を見せられて、イルシュマは驚愕し、感嘆して言った。
「これはすごい。お手伝いできることがあれば、何でもやりましょう。」
このきっぱりとした前向きな言葉にアリアヌスは顔をほころばせた。
「それはありがたい。実は、相談に乗って欲しいことが二つばかりある。まず、イルシュマ殿はたいへんな秀才と聞いているが、この弩砲の製作には緻密な数学計算が必要なんだ。その面で力を貸して欲しいんだが。」
イルシュマは軽く笑みを浮かべて言った。
「秀才とはおこがましい。今後は秀才などとは言わないでいただきたいが、それはともかく、数学計算ということなら、私よりも妹のナキアの方が遥かに上。兄の私が言うのも何ですが、彼女こそ本当の秀才です。弩砲の設計はナキアに手伝わせましょう。」
「それはありがたい。ぜひ、よろしく願いします。それからもう一つの悩みだが、弩砲を作るにあたってはいろいろな部品が必要となる。特に、耐久性の良い鉄のバネなどの部品が必要なんだが、今の鉄のバネは脆く、長持ちしない。これがなんとかならないかと思っている。難問かもしれないが。」
イルシュマは頷いた。
「なるほど。そういう話になると、まず、鉄素材そのものを改良する必要があるでしょうね。バクテュエスから一緒に来た仲間にクマルビという者がいます。金属素材の知識のある若者で、彼に鉄の改良について研究させましょう。また、仲間たちを各地に派遣してもっと良い鉄素材が入手できないか調べさせましょう。」
アリアヌスはこの提案を喜び、さっそく実行に移すことになった。
ナキアはべき乗則を用いた指数計算を活用して、弩砲の性能と設計条件との関係を解析し、次々に弩砲の改良を提案した。アリアヌスはこの提案に基づいて弩砲の改良を進め、弩砲の性能は着々と向上した。
一方、イルシュマは鉄に関する情報の入手のために仲間たちを各地に送り出し、クマルビは小さな小屋の中に鉄素材の実験場を作った。クマルビは実験を始めるのに先だって鍛冶屋に弟子入りして鉄の鋳造についての基礎知識を身につけるとともに、その工程を丹念に研究した。実験を始めると、彼は、鉄にさまざまな金属素材や黒炭などを混入し、さらに、鍛冶屋が行っている焼き入れ、焼き戻し、焼きなましなどの工程を参考に、加熱温度、冷却過程などの条件をさまざまに変えて実験を繰り返した。
イルシュマとアリアヌスが見学に来ると、クマルビは手を休めて細い棒状の鉄の試作品のいくつかを見せて言った。
「手にとって触ってみてください。曲げたときの硬さと戻るときの感じがまるで違うのが分かるはずです。鉄はちょっとした添加物の量で性質が大きく変わります。硬ければ良いというものじゃありません。特に、バネに使うときには、復元力と強靱性を両立させなくてはなりません。」
アリアヌスが試作品の一つを手にとって言った。
「これなんか良いんじゃないか?これでバネを作ったらどうだ?」
クマルビは首をすくめて言った。
「まあ、そんなに焦らないことです。多分、そいつあたりが良いんでしょうが、まだ、最適じゃない。もう少し、条件を変えてみるつもりです。近いうちにバネの試作品をいくつか持ってゆきますよ。」
それからしばらくして、クマルビが数種類のバネの試作品をアリアヌスに渡すと、アリアヌスはさっそくそれを弩砲に組み込んで、性能を確かめ、その結果はナキアの設計にも反映された。
また、イルシュマが派遣した仲間からも次々と戻ってきた。ウバリートからそれほど遠くない場所に良質の鉄鉱石があるとの情報が入ると、イルシュマはさっそくクマルビと共にそこへ行って鉄鉱石を持ち帰った。クマルビが精錬して使えることを確認すると、イルシュマはその鉄鉱石を大量に安価に買い付ける交渉を行い、安定的に鉄を供給する体制を整えたていった。
一方、バクテュエスでの仕事に区切りを付けたリュクセスは単身ビハールに戻ってアルワムナを訪ねた。リュクセスはバクテュエスでのヤンバーと新長官との所業を洗いざらい申し立てて、言った。
「ヤンバー殿の所業は周辺蛮族の者たちの心を踏みにじり、ただただ帝国への反感を掻き立てています。まさに、まさに帝国の統治を害し、覇業を危うくするもの。これでは、どこまで行っても民心は安らかにならず、帝国の治安は安定せず、不穏の土壌が各地に醸成されるのみ。ルガルバンダ陛下にこのことを申し上げ、善処を賜るべきかと考えます。」
アルワムナはこの言葉を黙って聞いたが、おもむろに言った。
「国のことを考えるリュクセス殿の箴言、まことに痛み入ります。しかしながら、帝国の支配はまだ確立の途上。周辺の蛮族どもも放っておいたり、甘い顔をすればつけあがるのは必定。たしかに、彼らの心情にも配慮し、懐柔と融和が必要であることは認めるが、まず第一に大事なのは圧倒的な力の差を見せつけること。それなしには、こちらが善意で施したことがただただ周辺の蛮族どもをつけ上がらせることになるだけ。また、彼らを放っておいても、それはただ不服従を蔓延させるだけ。それにヤンバー殿はこの帝国の功臣で、これからもヤンバー殿の力が必要だ。角を矯めて牛を殺すことになりかねない。」
「しかし、アルワムナ殿。この帝国が中原の中だけの間はそれで良かったかもしれません。しかし、今、帝国は周辺蛮族も含めた広大な領土に渡る大帝国を目指している。これを力のみで支配するのはあまりにも無謀。中原の論理が通用するところではありません。」
アルワムナはこのリュクセスの言葉に困ったような顔を一瞬見せて、言った。
「力による制圧が軋轢を生むのは避けがたい事象。それを避けて目的を達することができるならそれも良いだろう。だが、リュクセス殿、貴公は統治とはなんたるか、支配とはなんたるかがまるで分かっていないのではないか。融和、懐柔だけでは帝国の覇業は砂上の楼閣のごとく崩れるだろう。」
そのアルワムナの心の中にあったのは、
「たかが戦車競走で優勝したくらいで偉ぶるんじゃない。」
という思いだったろう。
リュクセスは落胆したが、アルワムナの同意が得られない以上、ルガルバンダに上表することもできず、どうしようもなかった。
そのころ、ベルジャーラを離れたプシュパギリは、シャンターヤを伴って、出身地に近い南方のヤズディアをめざした。ヤズディアは都ビハールの南東に位置するため、ベルジャーラからは遠かった。しかも、ルガルバンダの支配地域の中でもビハールに近く強固な支配が確立している地域では各所に軍の守衛所が置かれ、監視の目も厳しかったので、その地域に足を踏み入れるのはあまりにも危険だった。プシュパギリは大きく迂回し、都ビハールからはるか西を回るルートを通らざるを得なかった。
その道の途上で、ふたりは秘かにウダヤ師の屋敷に立ち寄った。ウダヤ師はシャールバに弩砲を伝授した後、もとの家に戻っていたが、プシュパギリがやってくると、驚いて言った。
「よく来たな。ともかく中へ入れ。このあたりにもルガルバンダの手の者も入り込んでいるのでな。」
そう言うと、ウダヤ師は、そそくさとプシュパギリとシャンターヤを家の中に迎え入れて言った。
「ナユタとイムテーベが敗れた後、この地方にもルガルバンダは着々と支配を広げておってな。以前にもまして、監視が厳しくなっている。ともかく、おまえたちのことはシャールバのもとにいたときに聞いておる。もう一度、力を合わせねばな。」
「ありがとうございます。これから、ヤズディアへ向かうのですが、一目でもウダヤ様にご挨拶をと思いまして。一緒にいるのは僚友シャンターヤです。」
そう言ってプシュパギリがヤズディアに向かうことになった経緯を簡単に説明するとウダヤ師は大きくうなずいて言った。
「そうか。シャンターヤのこともシャールバから聞いている。よろしくな。ともかく、ふたりともよく来てくれた。長旅で疲れていよう。まずは、風呂にでも入って汗を流すが良い。」
そう言うと、ウダヤ師はふたりを部屋に案内した。ふたりが風呂で旅の埃を落とし、ウダヤ師が用意してくれた洗い立ての衣服に袖を通して、囲炉裏がある居間に行くと、既に料理と酒が用意されていた。
「ともかく、まずはくつろいでくれ。外ではルガルバンダの手の者の目が光っているとしても、この屋敷の中は安全だからな。酒と料理は質素なものしかないがな。」
そう言って、ウダヤ師は徳利からふたりの杯に酒を注いだ。杯の酒を一口で飲み干すと、プシュパギリは感嘆の思いを込めて言った。
「うまい酒だ。突然の来訪にかかわらず、このようなおもてなしをいただき、ほんとうにありがたい限りです。こんなゆったりした気持ちで酒を味わえるのもいつ以来かと思います。なあ、シャンターヤ。」
「ええ、ほんとうに。エルドスの野でカーシャパに敗れて以来、流浪と困窮の日々でしたので。」
「そうか。ともかく遠慮なく食べてくれ。」
そう言って勧めてくれた料理は、あけびの炒め物、冬瓜のスープ、鴨の燻製などだった。「あと、芋煮もあるからな。」
そう言ってウダヤ師が囲炉裏に掛けてある鍋の蓋を取ると、芋やネギ、豆腐、肉などがぐつぐつ煮立っていた。
食べながらプシュパギリがベルジャーラでのことやナユタ、ユビュ、ヴィクートのことなどを説明すると、ウダヤ師は言った。
「そうか。苦労だろうが、ともかく、おまえたちがまたナユタと共に戦ってくれるのはわしとしてもうれしい限りだ。カーシャパはルガルバンダに帰順して権勢と栄華を誇っておるがな。」
「そうですね。」
プシュパギリはそっけなくそう言ったが、それ以上のことは言わなかった。
ウダヤ師が続けた。
「このあたりでも、ルガルバンダの勢力が入り込んでおってな。まだ、県令を派遣して直接支配するところまでは行っていないが、形の上では、ルガルバンダに服しており、税も上納しているはずじゃ。」
「ルガルバンダは着々と支配を確立していっているのが実感できます。道には次々に関所が設けられていると言いますし。」
シャンターヤのこの言葉に、ウダヤ師は頷いた。
「そのとおりだ。昔は道のあるところどこにでも行くことができたが、今は手形がなくては関所を通ることもできぬ。まことに住みにくい世になったものだ。幸い、わしはどこへでも行ける特別の手形をもらっておるがな。」
そう言うと、ウダヤ師はさらに続けた。
「世の神々の多くは、ルガルバンダの統一世界によって素晴らしい世界が到来すると思っている。そして、その思いが、ルガルバンダの優位を決定づけた。単に、ヴァーサヴァの長女としての正統性を唱えるだけのシュリー、過去の力を過信した破壊の神ムチャリンダ、そして、軍神としての軍事力だけでこの争いを捉えようとしたイムテーベ。それに対して、ルガルバンダは、経済の発展を重視し、政治的には来たるべき世界を喧伝することで、支持を広げた。特に、交通網の整備、橋脚の建設、治水などへの投資を惜しまないこともルガルバンダの治世を支えている。これらの社会基盤の整備は神々の生活レベルを大きく押し上げ、それが神々の満足を引き出してもいる。従来の神々のあり方では、このような進展は得られなかったろうからな。また、貨幣の発行、度量衡の統一なども大きな功績ではある。それに満足する神々も少なくない。多少の統制や義務は生じたかもしれぬが、ルガルバンダによってもたらされた繁栄はまことにありがたいと思っている神々は多いだろう。そして、ルガルバンダを支持するそんな神々の力によって、圧倒的に優勢な軍事力が築き上げられているのだ。」
「しかし、少なからぬ神々が、ルガルバンダの治世に失望しているはずです。」
そう言うプシュパギリに、ウダヤ師は言葉を続けた。
「そのとおりだ。ルガルバンダの政策のひとつは法を厳しくすることにある。それによって秩序と治安を保つことが目的であるが、同時に、権力を中央に集中させ、富を中央に集積させてもいる。また、思想統制を強め、ルガルバンダの政策への異論を封じ込めてもいる。そして、集積した富を自らの息のかかった者どもに再配分することで、自らの権勢を強める政治機構を構築しているのだ。それは搾取を意味している。たしかに、様々な技術は進歩し、経済は発展し、生活のレベルは向上した。かつては、米のとぎ汁をすすっていた神々も、ルガルバンダの領内ではみな白米を食しておる。また、この街を歩いてみればすぐ分かるが、こんな地方都市でさえ、広い道路が整備され、柱廊、競技場、学校などの立派な施設が作られ、誰もがルガルバンダ支配の恩恵を体感できるようになった。」
「たしかに、この街に入って、道路や建物が整備されていることには驚きました。」
「そうだ。だから、多くの神々はこの治世に満足し、ルガルバンダを賛美しておる。だが、すべての者がそうだというわけではない。ルガルバンダに不満を持つ神々は、技術進展などルガルバンダの起こした革新はそのまま活かした上で、もっと少ない義務で、統制のない、自由な世界が築きうるはずだと感じ始めている。実際、ルガルバンダの世界ではヒエラルキーが厳格化し、世界は息苦しくなった。何よりも大きな問題なのは、価値観の画一化だろう。それゆえ、天下にはルガルバンダへの憤懣が渦巻いている。特に、都での高級官吏たちの豪奢な生活ぶりは、搾取によるもの以外の何ものでもないと強く感じておろう。治安を維持するために武力に重きを置くルガルバンダのやり方は、平和と自由に基づく繁栄が可能と思う神から見れば、自らの栄達のためだけに世界を支配する行為としか受け取られないだろう。」
「そんな神々の思いをなんとか我らの力としたいのですが。」
「そのとおりだな。それには、虐げられている神々、ルガルバンダの権力構造からはじき出されている神々、この社会からの疎外感を強めている神々の声に耳を傾けることだ。それによって新たな力を築き上げることもできるだろう。」
ウダヤ師はさらに世界の状況についてさまざまな情報をプシュパギリとシャンターヤに伝えてくれた。
ウダヤ師の元に一泊したふたりが、翌朝、改めて礼を言うと、ウダヤ師は意を込めて言った。
「夕べも言ったが、ナユタとユビュを軸にもう一度世界を再構築せねばならないはず。そのためには、おまえたちの力がなんとしても必要だ。ともかく気をつけて行くのじゃぞ。」
そう言うとウダヤ師は金子の入った袋をふたりにそれぞれ手渡した。
「これは?」
と驚いてふたりが中を見ると、二十枚ばかりのルガルバンダ銀貨が入っていた。
「このようなものをいただくわけには、」
とプシュパギリは口ごもったが、ウダヤ師は言った。
「黙って持ってゆくがいい。道中、何があるか分からんからな。時には、賄賂が必要なことも出てくるかもしれん。この銀貨はルガルバンダの正式な銀貨だから、これ一枚でゆうに男神ひとりが三ヶ月家族を養える。何かの時に役に立とう。」
「しかし、これはウダヤ様ご自身のために必要な金では?」
プシュパギリはそう言ったが、ウダヤ師は笑った。
「わしのことなら心配するな。わしは表向きはルガルバンダの支配に服しており、ルガルバンダの帝国建設の方針に沿ってこの地で役人に請われるまま学問を教えたり、技術を教えたりしておるからな。」
「そうですか。」
「こんな生き方が正しいかどうかは分からぬ。まさに面従腹背だな。ナユタやユビュやおまえたちの方がよほど立派かもしれぬ。この銀貨はそんなおまえたちへの敬意だと思ってもらってもいい。」
ふたりは改めてウダヤ師に頭を下げ、出立して再びヤズディアを目指した。ここからヤズディアまでの道ではルガルバンダの支配がさらに確立されており、数カ所の関所が設けられていることをウダヤ師から教えられたふたりは、ウダヤ師に教えられた遥か山側の隘路を通ってヤズディアに向った。プシュパギリとシャンターヤは獣道のような道、山犬の吠える道、険しい山道を歩き、毒蛇が飛びかかってくる砂漠やさそりが這い回る岩場を通って旅したが、ヤズディアに近づいてくると、周辺の景色が次第に変わってきた。
道の両側にはシュロの木が立ち並び、その向こうには広大な畑が延々と広がり、牛に鋤を牽かせる農民が見て取れた。道では、牛や馬に牽かせる荷車が藁や野菜を積んで道を行き交うのを目にすることもできた。大きな河に出ると、プシュパギリが弾んだ声で言った。
「これが大河ヤンベジだ。ここまでくれば、ヤズディアはもうすぐだ。」
「このあたりの神々はこの河に支えられているんでしょうね。」
「ああ、このヤンベジ河は母なる河だよ。古いことわざに、『ヤンベジの水は甘く澄み、ヤンベジの泥は稔りを賜う。』とあるくらいだ。」
おりしも、河岸の畑では麦が青い芽を吹き出しており、葦の中ではコウノトリが鳴いていた。
ルガルバンダ紀元二十七年の二月、長旅の末にヤンベジ河のほとりのヤズディアにたどり着くと、プシュパギリは古くからの友神であるジャトゥカムの家を密かに訪ねた。ジャトゥカムはプシュパギリの顔を見ると、びっくりして叫んだ。
「プシュパギリじゃないか。どうしてここへ。だが、話はあとだ。ともかく中へ入れ。この地方にもルガルバンダの勢力は及んでいるからな。」
ジャトゥカムはそう言ってそそくさとふたりを家の中に迎え入れた。プシュパギリがシャンターヤを紹介し、簡単な挨拶を済ませると、ジャトゥカムはふたりに長旅の埃を落とさせて、ゆったりとした衣服に着替えさせてくれた。プシュパギリとシャンターヤが広間に行くと、既に酒と料理が並んでいた。
ジャトゥカムはふたりの杯に酒を注ぎ入れた。
「それにしてもよく来てくれた。ほんとうに久しぶりだな。まずは再会と新しい出会いを祝して。」
ジャトゥカムはそう言って酒杯を挙げ、料理を勧めた。プシュパギリがここへ来た経緯を話すと、ジャトゥカムは大きくうなずきながら耳を傾けたが、話を聞き終わると言った。
「そうか。再びナユタと供に起ち上がるか。協力するよ。ここはルガルバンダの支配地だからすぐにうかつなことはできぬが、ルガルバンダに反感を持つ神は少なくない。」
「ルガルバンダの作り出した世界は、お世辞のうまい者が権力のある者に取り入ってうまい汁を吸い、大きな顔をしている世界に過ぎぬ。お追従を言うことを潔しとしない清貧の神々を侮蔑する世界だ。そして中原の神々が、搾取によって得た富をかざして周辺の神々からさらに搾り取ろうとする世界だ。」
そう答えたプシュパギリにジャトゥカムは大きくうなずいて言った。
「しばらくここに潜み、策を練るといい。反攻の拠点を作ることも無理ではない。ヤズディアはルガルバンダの支配に服してはいるが、その支配を喜んで受け入れているわけじゃない。ルガルバンダを排し、自分たちの自由を取り戻したいと思っている者が少なくないことはしばらくすれば分かるだろう。ともかく、おれもできる限り協力するよ。ヤンベジ河の向こうには蛮族が割拠しているが、彼らともいろんな関係をもっている。ルガルバンダに対するために彼らの力も借りれるかもしれない。」
「ありがたい。この宇宙は汚れ混乱しているが、このままにしておくわけにはゆかぬ。ナユタもユビュも必ず再起を図るだろう。どうか力を貸してくれ。」
こうして、プシュパギリとシャンターヤはジャトゥカムの家に留まって再起の準備を始めることとなった。ジャトゥカムはヤズディアの名士のひとりであり、屋敷内には広い庭があり、庭では噴水から水が上がっていた。ジャトゥカムはプシュパギリとシャンターヤを屋敷内の離れに住まわせてくれ、夕食時には家族に紹介してくれた。
ジャトゥカムは両親と妹と一緒に住んでおり、さらに十数人の召使いが住み込んでいた。両親はのんびりした隠居生活を送っており、家のことはすべてジャトゥカムに任せているようだった。夕食時にプシュパギリとシャンターヤを迎えると、ジャトゥカムの父親は柔らかな落ち着いた口調で挨拶した。
「いつもは自分たちの部屋で夕食を取るんだが、今日はプシュパギリが帰ってきたというので挨拶をと思いましてな。ともかく、ここにいれば安全なので、安心して過ごしてもらえれば。シャンターヤ殿はこの地は初めてとか。歓迎いたしますぞ。ここでは心置きなくここで過ごされるが良い。」
ふたりがそれぞれお礼を言うと、ジャトゥカムの母が口を開いた。
「プシュパギリさんとはほんとに久しぶりね。それにしても立派になって。昔、ジャトゥカムとよく泥んこ遊びをして泥だらけになって帰ってきて、庭の噴水で体を洗わせたのを覚えていますよ。ふたりともやんちゃでしたからね。」
「お恥ずかしい話です。」
とプシュパギリは苦笑いしたが、ジャトゥカムの母は続けて言った。
「妹のパルミュスも大きくなったでしょう?今が娘盛りですからね。」
そのパルミュスは目のぱっちりした丸顔の美神で、美しい目をしたミナークシー女神のような魅惑が漂っていた。ふんわりした美しい髪と色鮮やかな髪飾り、そして柔らかな衣服に包まれた豊かな胸が目を惹いた。
こうしてジャトゥカムとシャンターヤのヤズディアでの生活が始まったが、初めてこの地を訪れたシャンターヤにとっては、ヤズディアは何もかもが珍しく、心そそられる南国の街だった。街のいたるところに艶やかなブーゲンビリアが咲き誇り、バザールに行くとこの地方特産という金細工の飾りが溢れんばかりに並んでいる店や、マンゴー、マンゴスチン、ランブータン、パパイヤ、ドリアン、グァバ、ドラゴンフルーツなどの珍しい南国の果物を売る店などが並んでいた。気持ちの悪くなるような真っ黒な虫を漬けた薬用酒を売る店、見たこともない艶やかな色調の女神用衣装を売る店など、さまざまな店があった。そして、夕方、ヤンベジの河岸にたたずんで、沈みゆく夕日を眺めると、これほど美しい夕日はないと思えるほどだった。
数日後、ジャトゥカムはプシュパギリとシャンターヤをヤズディアの居酒屋に連れて行った。その店はヤンベジ河の波止場近くにあり、大きな褐色の倉庫に取り囲まれた薄暗い路地裏にあった。入り口を入ると、壁には大きな角のある鹿の頭の剥製が飾られていた。ジャトゥカムがこの酒屋の主人にプシュパギリとシャンターヤを引き合わせると、主神はプシュパギリに向かって小声でささやいた。
「ようこそ、プシュパギリ様。ご勇名はよく存じ上げております。どうぞ中へ。」
主神はそう言って三神を奥の部屋に案内しながら、付け加えて言った。
「念のために申し上げておきますが、この部屋の外では名を名乗られませんように。ルガルバンダの手の者が紛れ込んでおりますからな。ただ、この部屋は大丈夫ですので。」
「まあ、そうは言っても、今日は名は名乗るなよ。」
ジャトゥカムが横からそう付け加えた。ジャトゥカムに事前に教えられていたことによれば、この店は誰でも入れるわけではなく、信頼のおける客だけを入れているということだった。それでも一応の用心に越したことはないということなのだろう。
奥の部屋では、地元の者たちが集まっており、酒杯を上げる神々の叫びや男神をもてなす女神たちで騒々しかった。ジャトゥカムはこの地の名士らしく、すこぶる気安く振舞っていた。他の客が警戒心を滲ませた目でちらりとプシュパギリとシャンターヤを見たが、そばのジャトゥカムの姿を確認すると、すぐに自分たちの話に戻っていった。
「この部屋には、限られた者しか入れませんのでね。」
主神がそう説明し、三神を奥の席に座らせてくれた。
周りの壁には大きな槍や羽根飾り、異様な表情のさまざまな仮面などが飾ってあった。鮮やかな色の衣装をまとい、頭に生花の飾りをつけた若い女神たちが美しい脚付きの大盃が運んできて、この地方特産という地ビールを三神の瑠璃盃に注いでくれた。
女神たちの美しさにシャンターヤは目を見張った。絵の中でしか見たことのないような女神たちが実際に、月のような美しさでシャンターヤに微笑みかけてくれているのだ。艶やかな衣装の胸元からは乳房の膨らみがあふれ出し、衣装に覆われていないくびれた腰とかわいらしいおへそが扇情的だった。
女神たちは次々と料理を運んできた。プシュパギリにとっては懐かしい郷土料理だった。脂ののった鵞鳥を焼いた香ばしい料理、香辛料のよく効いたグリーンカレー、ココナツミルクで甘く煮込んだ鶏肉料理、独特の香草で香り付けした焼き魚などだった。付け合せの漬物のピリッとした辛さもたまらなかった。
プシュパギリは地ビールを飲み干して言った。
「こんな料理は久しぶりだよ。いつもながら、この味を味わうと故郷を感じる。いつだって、故郷は良いもんだ。」
「当然さ。ここより良いとこなんてどこにもないからな。おまえが戻ってきてくれて、こんなうれしいことはない。」
そう言って、ジャトゥカムは杯にビールを注ぎ、再び乾杯してビールを飲み干した。だが、北方出身のシャンターヤはちょっと顔をしかめて言った。
「こんなことを言うと気を悪くするかもしれないが、ここの料理はおれにはちょっとな。この薬草のようなへんな匂いというか味というか、どうもな。ビールは悪くないんだがな。」
この言葉に、プシュパギリは大きく笑って上機嫌に言った。
「それはパクチーというんだ。その味が良いんだよ。まあ、そのうち慣れるさ。よそ者のこんな言葉を聞けるのも、故郷に帰ってきたからだな。」
正面の舞台にちょうど踊り子たちが出てきたところだった。腰にひらひらしたひものようなものでできた衣装を付け、胸をわずかに覆っただけの姿の若い女神たちは、腰を大きく振った踊りを披露して客たちを喜ばせ、ときには、大きく足を跳ね挙げて男神たちの歓声を浴びた。
しばらくすると、
「陛下だと。くそくらえだ。」
という声が聞こえた。
「そんなにはっきり言っちゃあ、陛下の兵士たちが明日にでもあんたの首に鎖をつけて引っ立ててゆくわよ。城壁に逆さ吊りされるのがおちね。」
相手をする女神はそう言ったが、その男神は鼻でせせら笑って豪語した。
「笑わせんねえ。誰がおれのことを売りとばすって言うんだい。そんなことをした日にゃ、そいつがみんなから袋叩きにあうこと請け合いだぜ。」
別の男神も大声で吐き捨てるようにわめいた。
「毎朝、日が昇るのも、夕刻になって月が昇るのも、みんなルガルバンダ陛下の高き御心のおかげらしいが、ばかにすんじゃねえ。麦の種は水とお日様さえありゃ、陛下のおぼしめしなんかなくたって、ちゃんと芽を出し、実を付けるってこたあ、誰だって知ってるぜ。それを奴らはまるで自分のもののようにかすめ取ってゆく。やってられねえぜ。」
そんな会話が続いていた。ジャトゥカムはプシュパギリに言った。
「どうだ。分かったろう。ここではルガルバンダの威光も足蹴にされ、踏みつけられているんだ。ただ、外では、ルガルバンダの衛兵の鞭や鎖が怖くて言えんがね。ともかく、彼らがおれたちを助けてくれるよ。」
心強い限りだった。この地の者たちのルガルバンダ帝国への反発こそが、反抗の炎を燃え上がらせることができるのだ。
ジャトゥカムがさらに言った。
「それにみんなが反感を強めているのは、ルガルバンダの者たちがここの女たちをかっさらって行くからだ。」
「どういうことだ?」
「ルガルバンダは毎年、周辺の地域からそれぞれ一定の神数の若い女神をビハールに送らせているんだ。器量の質が悪いとあとでお咎めが来るので、それぞれの地に派遣されている県令は、できるだけ器量の良い女神を選んでは、毎年送っているというわけだ。さらに県令は県令で、集めてきた候補の女の中でビハールに送らない者たちは平気で手込めにするしな。」
「それでは反感が生まれるのは当然だな。」
「ああ、だから、最近は、器量好しの女神は家の中に隠れ続け、めったに表に出ようともしない。息苦しい街になったもんだよ。」
「まさに、悪逆非道とはこのことだな。」
プシュパギリがそんな話をしている最中も、部屋の中はさらに大変な騒ぎだった。怒鳴る、笑う、酒壺がひっくり返る。踏みつぶされた花が床に散らばり、誰もがしたたか酒を酌み交わしていた。ジャトゥカムもこの地方特産というナツメヤシの酒を注文し、プシュパギリとシャンターヤの杯に注ぎ、上機嫌に乾杯を繰り返した。楽師は賑やかな音楽を奏で、誰もが大声でしゃべっていた。
舞台で踊っていた女神たちも皆に交じって酒をあおった。その中の女神のひとりが男神と言い合いを始めた。
「ほんとにそんなことできる?できるもんならやって見せてよ。」
そう叫ぶなり、彼女は皆の前で衣装をはだけて上半身裸になった。そして、両の手で二つの乳房を挟むように押しつけ、給仕に命じて、その乳房の間にこの店の一番強い酒をつがせた。
「さあ、飲んで。」
男神は乳房の間に顔を埋めて飲み干すと、自慢げに叫んだ。
「簡単なこった。言ったとおりだろうが。それにしても、美女の乳から飲む酒はうまいわ。」
だが彼は笑いながら部屋の中をよろめき回ると、ばたんと倒れ込んでしまった。
回りの男たちは大声で笑い、なおも酒を飲んだ。女神を抱き寄せ、手を取って扉口から消えていった男神もいた。
次の日、ジャトゥカムはプシュパギリとシャンターヤに言った。
「これまでは反感が渦巻いていただけだったが、今日からはそれをまとめ上げる手立てに移るとしよう。情報ももっといるし、一つずつ連携を固めていかなくちゃならない。地道な努力だが、これなしには蜂起はできないだろうからな。だが、一つ問題は、蜂起してルガルバンダ勢力を追い出すとしたら、ヤズディア城を取らなくちゃならないんだが、どうやってあの高い城壁を持った城を落とすかだ。それについて相談したいんだ。その手段なくしては蜂起もままならないだろうからな。」
この言葉にうなずくとプシュパギリは言った。
「手はある。おれたちの経験や知識が役立つよ。まず一つは破城槌だ。大木の柱を打ち付けて城門を破る兵器だ。」
そう言ってプシュパギリは破城槌の仕組みや構造を説明した。ジャトウカムはこの説明に納得すると言った。
「分かった。周辺の部族の者たちとも連携を取って、秘かに作るとしよう。何せ、材料となる木なら余るほどあるからな。」
「ああ、頼むよ。それと鍛冶屋も必要だ。」
これにもジャトウカムが同意すると、シャンターヤが言った。
「城攻めでは、城壁を乗り越えて攻撃する方法もある。これには攻城櫓を組む手もあるが、あまりに大がかりで移動も大変なので、ここではあまり現実的ではないだろう。むしろ、雲梯という長い梯子を準備し、城壁を直接よじ登る技術を身につける方が現実的だろう。」
「雲梯は、おれとジャトゥカムとで破城槌と一緒に準備するよ。」
そうプシュパギリが言うと、シャンターヤは言った。
「ああ、そうしてくれ。おれに兵士を預けてくれたら城壁を登る訓練をするんだが。」
この言葉に、ジャトウカムが顔をほころばせた。
「それは、ありがたい。ぜひ、頼むよ。これまでは、反抗したくても、あの城壁を破る手がなかったので手出しができなかったが、おまえたちが来てくれたんで、きっとやれる。」
こうして、三神は蜂起のための準備を進めていった。さまざまな連絡のためには例の酒場が使われた。その酒場には、この前の部屋の奥にさらにいくつかの小さな密室があり、そこでさまざまな秘密のやり取りをすることができた。その部屋はそもそもは地元の名士たちが貴族の貴婦人と密会するために作られたらしく、実際、その目的にも頻繁に使われていたのだが、ジャトゥカムたちが蜂起のための密談をするにもこの上ない場所だった。
一方、ナユタは長旅の末にヴィクートが待つドルヒヤにやってきた。ルガルバンダ紀元二十七年三月のことだった。ドルヒヤは乾燥した埃っぽい草原の中にぽつんと佇む都市だったが、街の真ん中には川が流れていた。
ヴィクートのいるドルヒヤの居城は小高い丘の上にあり、あまりに防備が不備で戦うには不向きな城に見えたが、ヴィクートはナユタを迎え入れると長旅を労って言った。
「遠路はるばる、ようこそ。ベルジャーラにヤンバーの大軍が押し寄せたと聞いて心配していました。」
「ああ、心配をかけたな。ユビュはマーシュ師とともにシャールバのいるウバリートに行った。プシュパギリは新たな拠点づくりを目指して、南方のヤズディアに向かった。バルマン師とギランダはムカラで戦いの準備を進めているはずだ。」
「ここではまだ戦いの準備は十分には整っていませんが、一年あれば準備ができるでしょう。ですが、今日はまずはおくつろぎください。」
ふたりの女神が木の盆をささげて入ってきた。ミルク壺、いくつかの白いパンの薄切れ、焼き鳥、それに蜂蜜と塩が載っていた。葡萄酒を満たした銀の杯もあった。
「ここではこのようなものしかありませんが、まずは。」
と言ってヴィクートは杯を掲げ、ナユタも杯を合わせた。
次の日、ヴィクートはテーブルの上に一枚の大きな紙を広げて見せてナユタに説明した。
「これは、ビハールの城壁に刻まれている壁画を模写したもので、ビハールから来た商人から買い取りました。その壁画は、昨年、ルガルバンダがヤンバーに命じてある地方都市を制圧した勝利の碑として刻まれたものだそうです。」
そこには、ルガルバンダの軍隊がヤンバーの指揮の下、城壁を破壊して城内になだれ込む場面、反乱軍の指導者とみられる者たちが、数珠つなぎにされてルガルバンダの前に引き出されている場面、ルガルバンダ軍の兵士たちがたくさんの戦利品をラクダの背に乗せて凱旋する場面が描かれていた。さらに碑文には次のように書かれていた。
『朕は嵐のように防衛線を突破し、敵の城壁を破壊した。家も神殿も聖堂もなにもかも破壊しつくし、敵の者どものすべて捕らえて連行した。城塞の中に蓄えられていた金銀財宝はすべて我が物となった。』
「これがルガルバンダのやり方です。彼らにとって征服した地域をいかにして隷属状態に留めておくかということが帝国の繁栄のために重要なわけですが、ルガルバンダは地方民の忠誠をあてにするわけにもいかず、ただただ軍事的な強圧による恐怖をてこにしているのです。だから、反逆行為には容赦なく苛烈な軍事的報復を持って応え、敵を徹底的に破壊し尽くすのです。しかし、帝国の領土が広がれば広がるほど、恐怖政治ですべて従属状態に押さえつけ続けるのは難しくなってきます。表面では服従していても、水面下では反感と反抗が渦巻いています。そして、ここドルヒヤもそうですが、帝国の周辺地域ではルガルバンダへの強い警戒感と不信感が根付いており、いかにすれば自分たちの独立と繁栄を得られるかということを強い危機感と供に考えているのです。」
これはナユタもまったく納得できることだった。
「ぜひその危機感を我らの力としたいものだが、彼らは信じられるのか?夷狄の者たちは文化的にも遅れており、信義を重んじず、礼儀を知らぬとときどき聞くが。」
「そのような面があるのは嘘ではありません。ですが、彼らを味方につけねば、何もできないでしょう。ルガルバンダへの反旗などまさに夢物語に終わってしまうでしょう。それに、彼らは一度信用し合えばその連帯感や絆には強いものがありますし、まずは彼らを味方につけることです。」
「なるほど。」
「正直なところ、彼らの中原への思いには複雑なものがあります。反発もあれば憧れもある。中原への反発の思いはしばしば粗暴な態度や野卑な言動をよしとするような面を醸成してもいますが、一方で、中原から学ばねばならないという強い思いも流れています。技術力の差も理解していますから、技術を学び取り、あるいは盗み取りたいという思いにも強いものがあります。実際、さまざまな学が中原から入ってきていて、仁義の大切さを説いた有名な書物も首領たちの間で読まれているようです。」
「それで彼らを味方につけるためにはどうすれば良いんだ?」
「既に手は打ってあります。近いうちに、このあたりの有力者に会っていただきたいと思います。まずは、それからです。」
「いいだろう。よろしく頼むよ。」
「ええ。ですが、当面はそうとして、一番重要なことは、ルガルバンダとの戦いをどう進めるかという全体戦略です。」
そう言うと、ヴィクートは壁画の模写の紙を片付け、テーブルの上に大きな地図を広げた。
「ここで集めることのできる兵はおそらく二千が限界です。その兵力が精鋭だとしても、一気にルガルバンダの都のある中原に進出するのは匹夫の勇というものでしょう。しかし、幸い、ここドルヒヤは、中原からはるか遠く、北東に位置しています。しかも、間には大河ヴォルタが横たわっています。ルガルバンダが遠征軍を送るのも容易ではありません。ですから、ここで兵を挙げた後、ヴォルタ河以東を一気に制圧し、勢力を確立することが肝要です。ヴォルタ河以東を平定すれば、一万を下らない兵力を集めることも不可能ではありません。」
「なるほど。その後は?」
「そこまでくれば、あとは、ウバリートのシャールバ、ムカラのバルマン師が兵を挙げることです。ユビュ様とシャールバがいるウバリートは中原から北西に位置し、バルマン師とギランダのいるムカラは北にあります。我らとともに、三方面から同時に進軍し、ルガルバンダの都を目指すのが理想です。もし、これにヤズディアからプシュパギリの軍が呼応できれば理想的でしょう。」
ナユタが納得すると、ヴィクートは続けて言った。
「では、さっそく準備を進めます。族長たちに会ってもらう段取りもいたします。彼らの力なしには、何もできませんから。」
次の日から、ヴィクートはナユタに、準備している武器や兵士たちの技量などを次々に見せ、周辺の部族についてもその様子を説明した。
その一方で、ナユタはドルヒヤの街を歩いて、この辺境の街の様子を自分の目で確かめた。ドルヒヤは首都ビハールなどとは比べるべくもない辺境の小さな街ではあったが、ナユタにとっては、かつてのレゲシュを彷彿とさせる活気のある街だった。
ヴィクートの居城の門を出ると、アカシアの並木のある大きくカーブした下り坂の道が続き、その先には石造りの波止場があった。波止場では、船が着く度に、粗末ななりの男神たちが群れ集まり、親方の指示に従って忙しく船から積荷を降ろしていた。ドルヒヤを流れる川は大河ヴォルタに通じており、商人たちによれば、交易の品はヴォルタを通って遠い地まで運ばれるということだった。
また、街の真ん中の広場に行くと、この街の守護神というヘパト女神を祀る寺院があった。寺院には、ヘパトの聖なる動物であるライオンの上に立ったヘパト女神が祀られていた。ヘパト女神像の前にはたくさんの供物が捧げられ、寺院を訪れる者たちが、像の前で印形を切って、祈りを捧げていた。さらに広場には荷を積んだラクダの群れがいくつもあり、周辺地域との交易のための隊商が忙しくラクダから荷物を降ろしている姿が見てとれた。
そこから一歩路地裏に入ると狭い道が続き、商神や船乗りが集う居酒屋が並び、娼家もあった。また、商店が並ぶ一角に行くと、ザクロやウリなどの果物や野菜が山のように積み上げられて売られ、肉や魚を売る店も賑わっていた。鮮やかな色の毛織物の店、ダチョウの羽毛や象牙の装飾品を売る店、さまざまな金細工や宝石を売る店、香料や没薬を売る店もあった。
路地を行き交う男たちの服装と出で立ちは他の地方とは異なっており、皆、足まで届く長い麻の肌着の上に毛糸の上衣を重ね、さらに白色の軽い上衣を羽織っていた。髪は長く伸ばして髪紐で結び、各人が首から印象を下げ、手作りの杖を持っていて、杖には、林檎、薔薇、百合、鷲などさまざまな模様が刻まれていた。そして、そんな男たちが行き来する街中を、ときには、この地方独特の色鮮やかな衣装に身を包んだ美しい女神が、香油の匂いを漂わせながら駕籠に乗って通り過ぎるのだった。
そして、夜ともなれば、道には赤々と燈火が灯り、居酒屋からは賑やかな音楽が流れ、酔った男たちの大きな声が聞こえてくる。若い美姫は道端に立って男神たちに声を掛け、そんな女神に手を引かれて男神たちは店の中に消えてゆく。いずこも変わらぬ世の姿だった。
さて、数日後、夷狄の部族の族長たちとの顔合わせの日となった。謁見室でナユタが待っていると、ヴィクートがひとりの男神を伴って入ってきた。後ろに三神の男神が付き従っていた。
ヴィクートと並んで進んできた男神は、豪壮な雰囲気を備えた恰幅の良い神だったが、ナユタの前に進むと右膝をついて言った。
「宇宙に高名の鳴り響くナユタ様にドルヒヤまで起こしいただき、ありがたい限りです。私はドルヒヤ族の族長で、ヒュブラーと申します。後ろにいるのは、近隣の部族の長で、我ら一同、ナユタ様を歓迎申し上げると同時に、できる限りのご協力をさせていただく所存です。」
「ありがたい。この世界を覆わんとしているルガルバンダの帝国がもたらしたものは、神々を抑圧し、弱い者たちから搾取することで成り立つ息苦しい世界だ。なんとしてもその覇権を打ち砕き、繁栄を皆で享受できる正義の世界を打ち立てねばならない。どうかよろしくお願いしたい。」
そう言うと、ナユタはヒュブラーと名乗るその神を立ち上がらせ、四神の神々とそれぞれ握手を交わした。
各部族の説明、兵士の数や武器の説明などを各部族長が行い、さらに、ヴォルタ河のこちら側でのルガルバンダ勢力の動きなどについて情報交換を行い、一通りの意見交換が終わると、部族長のひとりが訊いた。
「ところで、ナユタ様は、この地方の女神がルガルバンダによって略奪されたのはご存じでしょうか?」
ナユタが知らないと答えると、その神は続けて言った。
「そうですか。では、これはぜひお知りおきいただきたいのですが、数年前のできごとです。最初、サウロマタイというある部族の元にビハールから使者が来て、若い女神の提供を求められたのです。彼らが断ると、それから何ヶ月か経って、ルガルバンダ配下のある軍団がやってきて祭りを催しました。その祭りはサウロマタイの近隣の部族にも参加が呼びかけられ、なんといっても、この地方では味わえないような素晴らしい祭りだったものですから、未婚の女神も含めてたくさんの神々が参加しました。しかし、その最終日、最後の催し物で皆が大いに盛り上がっているまさにその時を狙って、ルガルバンダ軍の兵士がなだれ込み、女神を無理矢理掠っていったのです。」
「それで、その掠われた女神は?」
苦々しい顔つきでその神が答えた。
「ルガルバンダは奪った女神を集めて、ビハールで盛大な祭りを催したそうです。これは出入りしている商人から聞いたのですが、公園にこぎれいな小屋をいくつも建て、各地から奪ってきた女神を置いたそうです。女神たちは、それぞれの出身地の艶やかな民族衣装を着させられていたそうです。そして、大通りには出店が並び、酒を飲み、歌や踊りで興奮した男神たちが女神のいる小屋に押し寄せたのです。女たちは小屋の前に立たされ、その場でもっとも高い値をつけた男が小屋の中に招き入れられる。そんな風にして女神たちは次から次に来る男神の相手を否応なくさせられ、散々にもてあそばれたのです。小屋の外に引きずり出されて男神どもの見守る中で、素っ裸にされ、金を払った男神どもに次々に犯された女神もいたそうです。そして、ルガルバンダはその公園の中の東屋で機嫌良く酒を飲み、このカーニバルにご満悦だったそうです。けっこうな金儲けでもありますからな。」
ナユタが言った。
「許すまじき蛮行とはまさにこのことだな。それで、その略奪された女神たちはその後どうなったのか?」
「器量の良い者はビハールの有力者の元へ献上され、そうでない者たちは各家で奴隷として召し使われたり、慰みものとなったのです。中にはルガルバンダの後宮に入れられた者もいます。」
「そうか。絶対に看過してはならないな。まさに、ルガルバンダの横暴はそんなところにまで至っているということか。力を合わせてルガルバンダに立ち向かわねばな。」
ヒュブラーも決意を込めて言った。
「ありがとうございます。我らも全力でナユタ様を支えます。なんとしても、我らの世界を取り戻さねばなりませんので。」
お互いの意思を改めて確認したところで、ヴィクートが言った。
「今日は、少神数ではありますが、広間で部族間の交流会も兼ねた集会を準備しております。そろそろ大広間に移りましょう。」
この言葉を受けて、ヒュブラーが言った。
「事前にヴィクートにも言っていますが、今日のことはどうぞ内密に願いたい。今日の集会には我らと思いをひとつにするさまざまな部族が来ていますが、中には、ルガルバンダ支配に屈し、親族や仲間を神質に取られている者もおります。今日のことが知れれば、彼らがどんな仕打ちを受けるか分かりませんので。」
ナユタが広間に行くと、既に多くの神々が集まっていた。ナユタが広間に入った瞬間、「おー。」という歓声が神々の中に上がった。
ヒュブラーが口を開いた。
「ついに時は来た。英雄ナユタが我らのところに来てくださったのだ。今日、ナユタ様を反ルガルバンダの総帥としてお迎えする。これ以上、心強いことはないだろう。」
この言葉に応えて神々の中から大きな声が上がる中、ナユタが口を開いた。
「このような歓迎を受けて、ありがたい限りだ。イェンディの戦いでは力及ばずルガルバンダに敗れたが、戦いは終わってはいない。傲慢にも、力にものを言わせて全宇宙を支配しようとするルガルバンダの悪行は絶対に打ち崩さねばならぬ。このドルヒヤに来てよく分かったが、ここの者たちは実に心強い。ぜひ、力を合わせて、自由と平等に立脚し、のびやかに繁栄を享受できる世界を実現したい。ともに戦おうではないか。力を貸して欲しい。」
ナユタが頭を下げると、一段と高い歓声が上がった。
「では、次は乾杯の発声をヒュブラー殿に。」
ヴィクートがそう言うと、給仕の女神たちが、大きなジョッキに入ったビールを運んできた。ビールが行き渡ると、ヒュブラーが乾杯の音頭を取り、そこからは料理が次々に運ばれて、歓談の場となった。
ナユタはヒュブラーからさまざまな部族の者たちを紹介された。多くの者たちがルガルバンダ帝国から圧力を加えられている現状に対する不満や窮状を口にし、ナユタへの協力を約したのだった。
女神を略奪されたというサウロマタイの族長にも会うことができた。族長は、しわくちゃの顔に長い顎髭を生やした老神だったが、ナユタに会うと目を潤ませて言った。
「ナユタ様にお会いできるとは今日はなんとありがたい日であることか。」
ヒュブラーが
「あのことは既にお伝えしました。」
と言うと、族長は大きくうなずいて言った。
「そうであれば、私どもの気持ちは十分に伝わっておりましょう。とても許せることではありませぬ。あのときの族長は女たちを奪い返すために部族の男どもと武装して出かけましたが、族長は帰ってこず、私が後を引き継いで今に至っております。連れて行かれた娘たちも今ビハールでどんな艱難辛苦を舐めていることか。」
ナユタが答えて言った。
「皆様もご苦労に心が痛みます。なんとしてもルガルバンダの帝国を覆さねばなりません。力を合わせてともに戦いましょう。」
「ありがとうございます。」
そう言うと、族長はそばにいる若者を紹介して言った。
「ここに連れているのは、私の孫でチャシタナと言います。若さと勇気があり、ナユタ様のお力になればと思います。」
チャシタナは精悍な風情の若者で、その表情から頼りになる若者であることが感じ取れたが、ナユタは敢えて言った。
「チャシタナか。たくましい体つきだが、得意とするものは?」
チャシタナは自信に満ちた声で答えた。
「乗馬では部族の誰にも負けない自信があります。戦場では誰よりも早く駆けて見せましょう。ナユタ様ほどではありませんが、剣も弓も腕に覚えがあります。」
「それは頼もしい。ところで、兵法は理解しているか?」
チャシタナはえっという表情を見せたが、正直に答えた。
「残念ながら学んでおりません。やはり兵法は必要でしょうか?」
「ああ、必要だ。いかに腕に覚えがあり、血気盛んに先陣を切って馬を駆けさせても、兵法を理解しておらねば、敵の術策に陥るのがおちであろう。ヴィクートのもとで学ぶと良い。」
そう言うと、ナユタはヴィクートを呼んでこさせ、チャシタナをヴィクートにつけることにした。
こうしてナユタはウバリートで迎え入れられた。この地方の者たちは中原とは違って荒々しい気風ではあったが、ヒュブラーのように気骨溢れる豪快な者、チャシタナのように頼もしい者たちがたくさんいるのも事実だった。各部族の有力者たちはこぞってナユタを宴席に招いてくれ、ナユタはしだいに蛮族の世界に溶け込んでいった。
ヒュブラーが催した酒宴はとりわけ豪勢だった。ヒュブラーの邸宅そのものはさして立派とも言えなかったが、そこには大きな庭があり、テンニンカやアカシアの香りがたちこめ、池には睡蓮が清楚に咲き誇っていた。日が暮れると、月光の降り注ぐ下で、大きなかがり火が煌々と燃えた。
酒宴には美しく着飾った地元の女神たちも多数招待されていた。彼女たちは裾の長い衣装をまとい、胸元が大きく開いて胸の谷間を露わにした衣装を身につけていた。そんな女神が歩く度に乳房の揺れる様はいやでも男心を誘ったが、その服装はこんな夜会での正装のようだった。
若い男神たちも来ており、皆きれいに身なりを整えていたが、その中にチャシタナも交じっていた。
皆が集まると、ヒュブラーは庭の一角にある守護神ヘパト女神のための祠に恭しく酒と肉を供え、それから向き直って言った。
「我が部族は天界の女王であるヘパト女神を守護神としている。嵐の神テシュブとともに我らを守り続けてくださっている。その我我の元にナユタ殿が来てくださった。ヘパト女神の加護を受ける我が部族の未来は明るい。今日は存分に楽しんで下され。」
酒宴が始まると、酒が配られ、料理が配られ、さまざまな獣の肉が焼かれた。その肉は、オカピ、インパラ、トムソンガゼル、ディクディクなど聞いたことのない動物の肉で、それぞれ独特の味がした。鵞鳥のあぶり肉や蜂蜜漬けの果物も並べられていた。
ヒュブラーはがっしりとした大きな体を揺らして出席者たちと歓談し、杯を挙げていた。彼が地元の神々の心をよく掌握していることが見て取れた。
しばらくすると、ヒュブラーはナユタとヴィクートに近づいてきて言った。
「楽しんでいただけてますでしょうか。今日は堅苦しい会ではありませんので、気楽に楽しんでいっていただければと思います。」
「ええ、楽しませてもらっています。珍しい肉や料理が並んでいて、いろんな者たちとも顔見知りになれるので、ありがたい場ですよ。それにしても、こんな動物の肉は初体験だ。」
ナユタがそう言うとヒュブラーは大きく笑って言った。
「ここからちょっと野に出れば、たくさんの野生動物がいますので。ここの者たちは狩りは得意中の得意ですからな。弓矢と投げ槍の腕では絶対に中原の者たちに負けないと自負しております。」
「それはなんとも心強い。」
ナユタがそう答えると、ヒュブラーは付け加えて言った。
「それに、娘たちの器量にしたって負けてないつもりです。気立ても良いですしね。お気に入りの娘があれば、ぜひ、お声がけいただければ。」
そう言われて回りを見渡してみると、胸の谷間を露わにしている女神たちは自分の胸を誇っているようでもあり、乳房の形と大きさを特に気にしているような様子であった。男神はそんな女神に近づくと、「すてきな胸だ。」とか「豊かな乳房だね。」と声を掛けていたが、ここでは、それがれっきとした上品な褒め言葉、立派な挨拶の言葉のようだった。
この日はこの街の有力者とその親族が集う会だったので、それ以上のことはなかったが、二十日ほど後にヒュブラーが招いてくれた男神だけの集まりでは、胸を晒し、ヴェールを被った若い女神が多数参加していた。若い女神たちは何も覆い隠していない豊かな乳房を揺らしながら男神たちの杯に酒を注ぎ、料理を勧め、歓談の輪に加わった。
宴たけなわになると、女神たちからなる楽団が現われた。薄い透け通るような白い衣装を身につけ、首飾り、耳飾り、腕輪などで飾り立て、乳房も晒していた。彼女たちが、笛、リュート、ハープなどで甘美な音楽を奏でると、すらりとした長い足の踊り子たちが現われた。彼女たちが美しい表情で踊ると男神の歓声が上がり、踊り子たちは一枚一枚服を脱いでいって下半身をわずかに覆う下着一枚になって踊った。
踊りが終わると踊り子たちは男神たちの前で一列に並んだ。ひとりづつ名前を呼ばれて紹介されたが、名前を呼ばれた女神は妖艶な笑顔で穿いていた下着を脱ぎ、男神たちの方へ投げ上げた。その下着を手にした男神はポケットの中にしまい込んだが、中には、その下着を鼻に当てて匂いをかぐ者もあった。全員が下着を脱ぎ終わると再び踊りが始まり、女神たちは股間を晒したり広げたりして踊った。男神たちの歓声と興奮は最高潮に達した。
ヒュブラーはナユタに囁いて言った。
「ヴェールを被っている娘たちは一緒にお連れになってかまいません。お気に入りの娘があれば、ぜひヴェールをとっていただければ。」
踊りが終わると、回りでは、ヴェールを被った若い女神たちを相手に、乳房を手のひらにのせたり、乳首にそっと手を当てる男神が目に付いた。露わな乳房を男神の腕に押しつけてくる女神もいた。
ナユタがどの女神も相手にしていないのを見てふたりの女神がナユタに近づいてきて、そのうちのひとりが話しかけた。
「初めましてナユタ様。私はネフティス。こっちは妹のイナラシュ。これだけ美女が揃ってますのに、誰も相手になさいませんの?わざわざドルヒヤまで起こしのナユタ様にみんな相手にして欲しいと思ってますのよ。」
「そうですか。でも、私はちょっと。」
ナユタがそう言うと、ネフティスは肩をすくませて言った。
「まあ、つまんない。でも、恥ずかしいことではありませんのよ。あそここそがほんとうの女の喜びなんですから。ナユタ様の大切なものを私のあそこに入れていただきたいものですわ。」
妹のイナラシュも言った。
「ナユタ様はご存じかしら。男子禁制の修道院に入っている女神だって清楚なふりをしているだけ。夜な夜な女同士であそこを慰めあってるんですよ。でも、ほんとうは男のものが一番。今日の娘の中で気になる娘はいなくて?言ってくだされば、すぐに連れてきて差し上げますよ。」
ナユタがそれ以上相手をしなかったので、彼女たちは行ってしまったが、会がお開きになると、男神たちは次々とヴェールをとった女神を馬車の横に乗せて帰っていった。ネフティスもイナラシュもそれぞれ男神の馬車に乗り込んで去って行った。
ナユタはヒュブラーに皮肉っぽく言った。
「ここの若い女神は色気たっぷりに男に乳を握らせるのがお好きなようですね。世に多情多淫という言葉があるが、今日はそれを見せつけられた気分です。」
ヒュブラーは肩をすくめた。
「ご機嫌を損ねたようでしたら、お詫び申し上げます。ですが、これも世の現実ですので。ただ、そんな女神ばかりではございませんので。」
それから数日後、ヒュブラーはひとりの若い女神を連れてやってきた。
「この前は酒宴に来ていただいてありがとうございました。酒宴ではどの女神のヴェールもおとりにならなかったようですが、ナユタ殿のそばで身の回りのお世話をする者としてお使いいただけないかと思いまして。私の遠縁に当たる者でしてな。」
ヒュブラーはそう言って、若い女神を紹介した。普通の服装でヴェールもつけていない彼女は両耳に銀の耳輪をつけ、左の腕には銀の腕輪をはめていた。彼女は恐れる風もなくナユタをまっすぐに見つめ、眼を伏せもしなかった。端整な顔立ちに鳶色の生き生きした瞳、暖かみのある微笑みが印象的だった。
「クレアと申します。ナユタ様の近くに置いていただけるなら、こんなうれしいことはありません。」
ふたりの手前、断るわけにもゆかず、クレアはその日からナユタに仕えることになった。ヒュブラーの意図がどこにあるのか、ナユタとの関係をより強くしたいとか、あるいは、ナユタの動きをこの若い女神から得たいとかいろいろ考えられたが、クレアはヒュブラーの思惑など意に介していないかのように自然に振る舞った。
ラートリー女神が守護神というクレアは、安息をもたらすというラートリー女神のごとく、暖かく自然な笑顔でナユタに接し、しばらくすると、食事やお茶はいつも微かな笑みを浮かべた彼女が運んでくるようになった。その控えめな態度と穏やかな言葉は悪くなかった。客が来たときなどはクレアが差配して給仕を取り仕切り、夜、ナユタがひとりのときにそっと酒を持ってきてくれるのも彼女になった。
しばらくすると、彼女はさまざまな有益な情報ももたらしてくれることが分かった。ドルヒヤ族や近隣の部族のことについて彼女に聞くといろいろなことを教えくれた。そのことなら、誰と話をすれば良いとか、どこの誰はどんな性格でどんな考えを持っているかということも教えてくれた。初めての会う相手についてクレアから事前に教えてもらった情報を元にその相手に会うと、彼らは言うのだった。
「ナユタ様はまことに慧眼でいらっしゃる。ナユタ様には隠し事はできませんな。」
こうして相手をうまく取り込む提案で相手の信頼を得、連携の絆を強めることができるのはありがたいことだった。
「どうしておまえはそんなにいろんな情報を持っているんだい。」
とナユタが聞くと、クレアは軽く笑った。
「女同士の繋がりもありますからね。男の方々は対面や威信を気にかけて付き合うのでなかなか本心にたどり着けませんでしょう?腹を割ってなどと言いながら、心にもないことを平然とさも本気であるかのような風に言う男も多いですからね。でも、気心の知れた仲の良い女同士なら、なんでも素直にしゃべり合えます。それに、夜のベッドの中でいろんなこと聞く女神もいますから、そんな女たちからいろんなことが教えてもらえるんですよ。」
「なるほど。」
まあそういうものかなという表情でナユタが言うと、クレアはいつになくきりりとした口調でさらに付け加えた。
「でも、誤解しないでくださいね。私は男神と床を供にしたりはしていませんからね。私は単に女友達からいろんなことを聞いているだけですから。それともう一つ。私はナユタさんに仕えてるのであって、決してヒュブラーの回し者なんかじゃありませんから。ここで見聞きしたことはヒュブラーにも誰にも他の女友達たちにも何も言いませんので。」
「それはありがたいことだ。ぜひ、これからもよろしく頼むよ。ただ、君がどういう経緯でここに来ることになったのかを実は知らないんだけどね。」
クレアはにっこりして答えた。
「私はただ父に言われて来ただけですよ。もっとも、ヒュブラーが父に頼んだんじゃないかとは思いますけど。でも、私は嫌々来たわけじゃないですよ。なんと言っても、宇宙の英雄ナユタさんのそばにいれるなんてそうあることじゃないですから。」
「その宇宙の英雄とかいうのはやめてもらいたいね。ぼくはただの孤独な個神に過ぎないんだから。」
「そうですか?でも、孤独なというのは良いのかどうか。みんなと単につるんだり、わいわいいうのが良いとも思いませんが。」
「そうだな。ここに来ていろいろ知らない世界、新しい世界を目にして、それはそれで新鮮だよ。それと、ぼくは君をここに縛り付けたいと思っているわけでもないから、君はいつでも自由だよ。」。
「ありがとうございます。でも、ここは楽しいし、刺激に満ちてますから。家にいたときよりずっと生き生き暮らせてる気がします。」
「そう?それは良かった。これからもよろしく頼むよ。」
ナユタはそう言ったが、情報というものはどこでどう漏れるか分からないだけに、必要以上のことはクレアには言わなかった。だが、一方で、ナユタにとってクレアは、ドルヒヤでのさまざまな気苦労の疲れを癒やしてくれる存在でもあった。
夜、一日の仕事が終わって疲れて座り込んでいると、いつもクレアが酒と肴を運んできてくれた。暁の女神ウシャスの姉のラートリー女神のごとく、慈愛に満ちた慎ましやかな気品を漂わせながら、クレアは優しい笑顔でナユタの杯に酒を注ぎながら言うのだった。
「いろいろお疲れのようですね。ここの者たちの中には一筋縄ではいかない者もたくさんいますから。でも、これでも飲んで、疲れを癒やして下さい。」
「ありがとう。」
そう言いながら、ナユタはクレアにも杯を勧め、言うのだった。
「それにしても、ここの酒はうまいよ。」
「そうですか?ありがとうございます。でも、世の中にはもっとおいしいお酒もあるのでは?ナユタさんはもっとおいしいお酒をいろいろ飲んできたんじゃありませんこと?」
ナユタはこの言葉に笑った。
「そんなことはないよ。第一、昔はこんなおいしい酒はどこにもなかったし、今なら、ビハールにでも行けばもっと上等な酒が飲めるのかもしれないけど、ぼくは辺境のバルマン師のところやベルジャーラとか、森の中とかしか知らないんでね。」
「そうですか。そう言えば、ヒュブラーもビハールに行って、ここよりうまい酒を浴びるほど飲みたいとしょっちゅう言ってますよ。」
「でも、そのためには、まずはヴォルタを渡らなくちゃね。」
「ええ、でも、私は今のままで、ここにナユタさんがずっといてくれるだけでも良いんですけど。だけど、そういうわけにもいきませんわね。」
そう言うとクレアはにっこり微笑んで、ナユタの杯に酒を注ぎ入れるのだった。
それからしばらくして、ウバリートからイルシュマがやってきた。イルシュマは武器や物資などの調達、買い付けのために各地を渡り歩いていたが、今回は、シャールバからの使者としてドルヒヤにやってきたのだった。
イルシュマがナユタとヴィクートに、シャールバからの使者としての用件を伝え終わると、ヴィクートが訊いた。
「ウバリートでは、良い鉄を作っていると伝え聞いているが、どんなものなんだ?」
イルシュマは持ってきた荷物から、鉄の剣や素材となる鉄線を取り出して言った。
「鉄を作るとこと自身は鍛冶屋にやらせればできますが、それでは本当の意味で良いものはできません。彼らは基本的に保守的で、新しい取り組みを好みませんので、以前と同じものしか作れない。でも、バクテュエスから一緒に来た者の中にクマルビという優秀な若者がいましてね。鉄の鋳造に携わったのはウバリートに来てからなのですが、彼は新しい発想を次々に取り入れてどんどん改良しています。彼に言わせれば、添加する素材と精錬のプロセスが重要で、それを工夫すれば、原理的にはさまざまな鉄が作れるということです。例えば、この三本の鉄線を見てください。」
イルシュマはその鉄線を手に取り上げ、それをヴィクートとナユタに渡しながら言った。
「三本とも同じ太さ、同じ長さですが、性質は大きく違います。まず、この鉄線は非常に柔らかい。まるでひものように曲がります。次のは逆にしっかりしていてほとんど曲がらない。さらにもう一つのは、水の中に三十日浸けっぱなしにしていたものですが、まったく錆びていない。このようにさまざまな性質の鉄を作り出せるので、目的に応じて最適な鉄素材を開発してゆくのです。」
ナユタが言った。
「これをぜひ我が軍でも使いたいが、どうすれば良いのか。」
「ご安心を。今回、鉄の剣と槍の穂先をそれぞれ五十本携えてきました。まずはこれをお試しいただければと思います。ただ、これはあくまでサンプル。現在、大増産にかかっていますので、今後、大量にお届けできると思います。あとは、どのような武器をいくら欲しいか、そのあたりを詰めさせていただければと思います。それとご存じかとは思いますが、ウバリートは地味の痩せた辺境の地ですので、さまざまな物資が足りません。今後、ユビュ様のもとで戦力を増強してゆくために必要なものがいろいろと不足しています。一方、こちらにはさまざまなものが豊富にあり、これをウバリートに回せればと思っています。」
ヴィクートが大きく頷いた。
「それは良いことだ。さっそく、ヒュブラーと相談しよう。」
ヴィクートがイルシュマをヒュブラーに引き合わせると、ヒュブラーはウバリートの有力商神を紹介し、イルシュマはさっそく彼らを相手にウバリートからの鉄製の武器の提供とドルヒヤからの物資の供給について商談を始めた。
商談はまたたく間にまとまったが、ドルヒヤの商神たちは商談が終わると、舌を巻いて言った。
「それにしても、イルシュマさんはお若いにもかかわらず、たいした商才ですな。私どもも損はしていないはずですが、どうもそちらにより多く儲けを持って行かれたような気がしておりましてね。まあ、今回はこれでけっこうですが。」
イルシュマはにんまり笑って釘を刺した。
「お褒めの言葉、ありがとうございます。ですが、私の方が儲けが多いなどというのはまったくの誤解ですよ。私の方は、良質の鉄を作るための精錬場の整備や原料の買い付け、さらには精錬士の工賃など膨大な経費がかかっております。それに鉄は重いので、ウバリートからドルヒヤまでの距離を運ぶだけでも大変です。もし、ウバリートまで鉄を買い付けに来ていただけるというなら、もっとお安くできますが。」
商人たちは笑って応じた。
「まあ、そのへんは私どもも分かっていないわけじゃない。ともかく、こういう若くて気概があり、しかも能力に長けた方と取り引きができるのは私どもにとってもありがたいこと。末永くお付き合いいただきますぞ。」
そう言うと商神たちは、ヒュブラーをはじめとするドルヒヤの有力者たちとの宴会にイルシュマも招いてくれた。イルシュマはすぐに有力者たちの輪に飛び込み、多くの者たちと顔を合せたが、イルシュマの才覚はすぐに回りの者を惹きつけ、またたくまに一目置かれる存在になった。
宴会では、ヴェールを被り両の乳房を露わにした若い女神が男神たちをもてなしていたが、イルシュマは彼女たちの胸に遠慮なく手を伸ばし、腰に手を回して誘いの言葉を口にした。
彼女たちはキャアキャア言ってはしゃぎ、口々に言った。
「イルシュマさんはどんな女性がお好き?細っこい子、それとも巨乳?」
「淫らな女はお嫌いかしら?でも、女はみんな本当は淫らですからね。」
「イルシュマさんはどんな体位がお好き?イルシュマさんがおられた地方がどうかは知らないけど、ここではいろんなことができるんですよ。立ってやるのもしょっちゅうよ。」
イルシュマも大きく笑って言った。
「立ってするってのはなかったな。やってみたいもんだ。」
「あらそう?だったら喜んでお相手してよ。」
そんな風に彼女たちを相手に楽しんでいるイルシュマに声をかけたのはヒュブラーだった。
「イルシュマ殿はけっこうお好きですな。」
イルシュマは笑って闊達に答えた。
「ええ、ここの宴会は素晴らしいですね。故郷のバクテュエスの宴会ではこんなことはありませんで、色気も何もあったもんではありませんでしたので。」
「気に入っていただけければ、幸いです。ヴィクートはこんな宴会には顔を出しませんし、ナユタ殿はときどき来て頂けるが、決して女神の胸には手を伸ばされませんのでね。」
「そうですか。でも、それでよろしいのでは?お上というものは立派でなくてはならない。だから、ナユタ様はそれで良いのです。実際、ナユタ様は高潔な心をお持ちで、私などとは本質的に違う次元で生きておられる。でも、ナユタ様はその自らの世界観、価値観、生き方を他の者に押しつけようとはされない。それがあの方のすばらしいところ、ルガルバンダとは決定的に違うところです。」
「その通りですな。その点では、ヴィクートも同じだし。」
「そうですね。ですが、私どもはただの凡神。ある程度の立派さは必要ですが、それ以上の高潔さは必要ない。むしろ、必要なのは世渡りの術ではありませんか?」
「いや、まことにその通り。イルシュマ殿とは話が合いますな。イルシュマ殿の才覚は商神どもからもいろいろ聞かされておりますし、ぜひ、これからも道を同じくしてと思います。」
「いや、こちらこそですよ。私はなんと言っても若輩者に過ぎませんので、ぜひご鞭撻のほどを。」
そうイルシュマが頭を下げると、ヒュブラーは豪快に笑って言った。
「若輩者と言われるが、私どもはそのようには見ておりませんぞ。聞いたところによると、イルシュマ殿はバクテュエスとかいう小さな街にいらしたそうだが、そこにマーシュ師とユビュ様が来られたとき、おふたりのために力を注いだことから道が開けたとか。古来よりの言葉に、『奇貨居くべし』というのがありますが、まさにその通りのことをなさった。まさに才覚ですな。」
イルシュマは大きく首を振った。
「お褒めの言葉かもしれないが、大きな誤解です。私は、おふたりを奇貨と思ってお力添えしたのではありません。ただ、立派な方々が困難に遭わせているのを助ける一助になればと思ったまでのこと。」
「立派な志しです。それがなくては本当の道は開けない。」
「ありがとうございます。ただ、その出会いがなければ、今もあの街で小さくなって暮らしていただけかもしれない。そういう意味では、あの機会は私に飛躍の機会をくれました。だから、ユビュ様やナユタ様には心より感謝し、これからもどこまでもお支えする心でおります。」
「その志しは私も同じ。ナユタ殿がいらっしゃらなければ、我らはただ不平を託つドルヒヤの田舎者のままでいるしかありませんからな。」
「ともかく、ドルヒヤは私にとりましては最も重要な場所。これから一度ウバリートに帰りますが、段取りをつけたらまたここに来たいと思います。反ルガルバンダの中心はなんと言ってもナユタ殿のいるここですので。」
そんなやり取りをしながら、イルシュマはドルヒヤの有力者たちと次々に顔繋ぎをし、宴会が終わったときには、気に入った娘を馬車の隣に乗せて帰っていったのだった。立ってはめると言っていた女神だった。
ウバリートに戻ったイルシュマは、ドルヒヤでのことをシャルマやマーシュ師に伝えた後、クマルビに会って言った。
「いよいよ世の中が動くぞ。これからはおれたちの時代だ。おれと一緒にドルヒヤに行って向こうで鉄の技術を指導してくれないか。向こうには、ここよりはるかにたくさんの鍛冶屋がいる。その頭領になって欲しいんだ。」
だが、クマルビは首を縦には振らなかった。
「研究がおれの性分に合っているからな。頭領なんて柄じゃない。」
「でもな。向こうならその研究ももっと大々的にできるぞ。いろんな材料も手に入るし、実験室だって、ここよりもっと立派なのを用意するぞ。そうすれば、やりたい研究がやりたいようにできる。おまえにとっても今よりずっと良いはずだ。」
イルシュマはそう言って強くクマルビを誘ったが、クマルビはうんとは言わなかった。
「おれは臆病な性分なんでね。大胆に自分の世界を切り開いてゆくおまえとは違う。おれは今のままで良い。おれはここでひとりで研究に没頭したい。世の雑事に撒き込まれるのはほんとうは好きじゃないんでね。」
結局、クマルビが同意したのは、何神かの鍛冶屋をウバリートに派遣してもらって、彼らに技術と伝授するということだけだった。
イルシュマは妹のナキアに会うと、クマルビがいい顔をしなかったことを詰った。
「クマルビもドルヒヤに行けば、もっと活躍できるんだが。世界は広く、もっともっと大きな可能性が潜んでいる。なのに、こんなちっぽけなところでくすぶって満足してるんじゃあな。」
たが、ナキアはやや冷ややかに言った。
「兄さんはナユタに入れ込んで、商売を広げてるってもっぱらの噂だし、自分の世界を広げるのが面白いんでしょうけど、誰もがそうだというわけじゃないのよ。私もここの生活に満足してるし、クマルビもここを出て世の動乱の中に身を置く気はないのよ。」
「だけど、そういうのは、能のない奴らの発想だよ。クマルビほどの才能があれば、何だってできる。」
イルシュマはそう言ったが、ナキアはまるで母親が息子に諭すような口調で言った。
「でも、兄さんも、まわりの者たちが自分と同じ志や意気込み、能力を持っていると思わないことよ。クマルビも技術のことでは凄いかもしれないけど、自分が世渡りとか、そういうことでは兄さんの足元にも及ばないって分かっているのよ。だから、彼はここから動かない。そのことを理解しなくちゃ。」
この言葉はイルシュマには納得できなかったようだが、どうしようもなかった。ともかく、ウバリートでさまざまな段取りをつけると、イルシュマは再びドルヒヤにやってきて、鍛冶屋をウバリートに派遣し、またシャルマやバルマン師から依頼された武器や物資を調達すべく奔走した。
イルシュマは最初は鉄の商売だけだったが、商売のこつを掴みとると、ウバリートの鉄製品だけでなく、各地の物資を買い集めては別の場所にもって行くという商売を始めた。彼は遠い地方の者との商業契約を積極的に結び、またたくまに商売の幅を広げていった。
しかも、イルシュマは頭脳の明晰さを活かして有利な契約を結ぶのに長けていた。彼は他の商神のように複雑な契約内容を専門家に丸投げするのではなく自分自身で理解し、契約内容に自ら加筆したり、時には、自ら契約内容を起草することもあった。もっとも、商売上の力関係から不利な契約を余儀なくされることもあったが、彼は常にその不利を覆す手を打ってゆくのだった。
彼の強みの一つは、儲かると見るや思い切った投資をするという大胆さで、この面では誰にも引けを取らなかった。特に、イルシュマが目をつけたのが、ルガルバンダが開墾したヴォルタ河とヤンベジ河との間の運河だった。これは帝国の経済発展のためにアルワムナが力を入れた事業の一つで、この開墾のために多くの労働者が使役に駆り出され、多くの民衆の恨みを買った事業でもあったが、この運河によって物流に一大革新が起こったのも事実だった。
イルシュマはこの運河にいち早く目をつけ、この運河を活かせばより大きな商売ができると見るや、それまでに儲けた金のほとんどをつぎ込んで従来にない大型船を建造させ、ドルヒヤの物品やヴォルタ河沿岸で仕入れた商品をヤンベジ河沿岸の諸都市に売りさばき、また、ヤンベジ河沿岸で仕入れた穀物や乾燥果実をヴォルタ河沿岸諸都市に運んで巨利を上げたのだった。
さらに彼は商売の品の他に武器も仕入れて秘かにドルヒヤに運び、これもナユタやヴィクートにとっては大きな支えになった。クマルビの鉄を用いて造った武器なども秘かにプシュパギリに届けた。
そんなイルシュマの商売を下支えたのは、彼が大金を渡して各地に派遣した間諜たちだった。イルシュマは儲けた金を惜しげもなく彼らに与え、間諜たちは世界の各地に散らばっていった。間諜たちは高額な土産物を持って各地の豪商たちや有力者たちと懇意になったり、下町の庶民の声を拾い上げてさまざまな情報を集め、その情報に基づいてイルシュマは思い切った行動に出るのだった。
そして、その情報はイルシュマの商売に活かすだけでなく、ナユタやヴィクートのためにも極めて有効だった。実際、イルシュマはナユタのために尽くすという点ではなんの揺るぎもなかった。
イルシュマはクレアにもいろいろと気を遣ってくれ、あるときはクレアにウバリート産の翡翠を使った金の首飾りをもってきてくれた。
クレアは、
「いただくいわれはありませんので。」
と困惑したが、ナユタは笑って言った。
「せっかく持ってきてくれたんだ。ありがたく受け取ればいい。イルシュマには期待してるしな。」
クレアがその首飾りをつけてみると、よく似合っており、イルシュマは満面の笑顔で言った。
「よくお似合いです。これからもよろしくお願いします。」
クレアも笑顔を見せたが、軽く突き放すような口調で言った。
「ありがとうございます。イルシュマさんはたいそう商売がお上手なようですね。ヒュブラーもすぐにドルヒヤ一番の商神になるだろうと言ってましたけど。」
イルシュマは軽く肩をすくめた。
「お褒めの言葉と受け取っておきます。ですが、これだけは申し上げておきたいのですが、私は儲けるために商売をやっているのではありません。すべてはナユタ様のためです。私は儲けた金を貯め込みたいとは思っておらず、すべてナユタ様につぎ込むつもりでおりますので。」
イルシュマが帰った後、クレアは言った
「イルシュマは儲けをナユタさんために使うと言っていましたが、本当なんでしょか?」
ナユタは笑って答えた。
「本当だよ。実際、そうしてくれてるしな。古来よりの賢者の言葉に、『君子は義に喩り、愚子は利に喩る。』とあるが、彼は利に喩いが愚子じゃない。彼は義に喩る賢神というべきだろうな。彼は、義に喩ることこそが利の源と信じ、だから、我々の反ルガルバンダの動きに賭けることが自分の将来のためになると信じているんだ。そこまで信じられるというのが、あいつの凄いとこかもしれんな。」
そのイルシュマは数日後、ヒュブラーと共に、ひとりの商神を連れてナユタとヴィクートのもとへやって来た。その商神は立派な衣服を纏い、首輪や腕輪で飾り立て、自信に満ちた堂々とした態度で現われた。
「ビハールに行っていた商神がいろいろ調べてくれましたので、お知らせをと思いまして。」
イルシュマがそう言うと、ヒュブラーも付け加えた。
「この者はレスケスと言い、ドルヒヤ族の信頼できる商神です。商売のためにビハールに行くというので、ビハールのことをいろいろ調べるように頼んだのです。」
その商神は恭しく頭を下げて言った。
「レスケスと申します。ナユタ様にはご機嫌麗しく存じます。私に取りましては、ナユタ様に直に話をさせていただくのは今日が初めてで、まことに光栄のことと存じます。私はドルヒヤ族の商神で、ドルヒヤと各地との交易に携わっているのですが、最近、ビハールに行く商売があり、ヒュブラー殿とイルシュマからビハールのことを調べるように仰せつかりましたので、調べて参りました。まずは、こちらはほんのご挨拶の品でございます。どうぞこれからもよしなにと思います。」
そう言って、レスケスは土産の品を差し出した。土産物は、豪華な紋様の男性用の腕輪、ラピスラズリがところどころに入った女神用の金の首飾り、装飾用の短剣が一本、美しい装飾の施された香炉、それに乾したナツメヤシが一箱だった。ナツメヤシの入った箱はずっしりと重く、ナツメヤシの下に金貨が敷き詰められていることは明らかだった。
土産物をナユタが礼を言って受け取ると、レスケスは続けて言った。
「さて、ビハールの様子ですが、一言で言えば、いっそうの繁栄を謳歌しています。宮殿は以前よりさらに立派になり、ルガルバンダが市民のために催す催しやパレードは壮観そのもの。そして、ルガルバンダは帝国の領土拡大のためにしばしば周辺地域に兵を差し向け、さらに支配を広げています。」
「民はそれを支持しているのだろうか?」
このナユタの質問にレスケスは答えた。
「ええ、ルガルバンダ市民と言われている者たちは軒並みルガルバンダを称え、この繁栄を喜んでいます。実際、彼らはルガルバンダのおかげでうまい汁を吸っているわけですから。また、逆に、ルガルバンダの専制をよしと思わない市民がいるとしても、それをあからさまにすれば、自分の身が危うい。だから、そんな市民も保身のために表面ではルガルバンダを支持しているのです。ただ、私がルガルバンダ市民はと言ったのは訳があって、これは、市民権を持つ上部の者たちのことです。もちろん、彼らが権力を握っているわけなので、それが最重要ではあるのですが、その下にいる市民権を持たない一般の者たち、貧民や周辺地域の者たちは搾取される対象であり、内心、憤りを持ってルガルバンダを見ているのは間違いありません。」
そう言うと、レスケスは、ソロンのことについて聞いたことを説明したが、付け加えて言った。
「ですが、そのソロンにしても、その活動はルガルバンダによって抑えられ、帝国を揺るがす力など微塵もないのが実情です。そして、そのソロンがやり玉に挙げたアルセイスという女神は自らの美貌と妖艶な魅力で男どもを次々に魅了し、莫大な財産を築き上げています。また、貴族や将軍たちも私腹を肥やすことに汲々としている。例えば、ヤンバーは大軍を率いてバクテュエスに進駐し、軍政を敷いたのですが、軍を引き上げる際、都から連れてきた長官の元である程度の自治を認める代わりに、莫大な賄賂を出させたと言います。地元の者たちにとっては、大軍が街に留まって、膨大な物資を消費されるよりは良いと考えたのでしょうが、ともかく、ヤンバーと長官は私服を肥やし、また、地元には従来に倍する重税を課して、帝国にも貢献したというわけです。これが、ビハールの光の部分の陰で起こっている現実。まさに、ルガルバンダの帝国は繁栄にあぐらをかいてさまざまな醜態を晒していると言えましょう。」
ナユタはうなずいて言った。
「まさに、ルガルバンダを頂点とするビハール市民の繁栄を搾取によって支えているという構図だな。」
この言葉に大きくうなずいて、ヒュブラーが言った。
「実は、レスケスには、サウロマタイから掠われた女神たちについても調べてきてもらいました。正直、耳を覆うような話なのですが、ナユタ様にご報告せずにおくのはよろしくないと思いまして。」
「それで、どんな話なんだ?」
とナユタがなかばいぶかりながら聞くと、レスケスは言った。
「まず最初にお断りさせていただかねばならないのですが、正直、サウロマタイ族の掠われた女神たちのその後を調べましたが、すべてを調べ尽くすことはとてもとてもできることではございません。また、私自身が証拠を握っているものもなく、ほぼすべてビハールの商神や私がご挨拶させていただいた家の者たちから得た情報に過ぎません。ですので、私が得た情報は全体の中のある一部とお考えいただければと思います。ですが、たとえ、一部でも全体を推察するに足るものでもあると思いますので。まず、既にお聞き及びと聞いておりますが、サウロマタイの掠われた女神たちは、ビハールの祭りで男どもの相手をさせられたり陵辱されたりしたのですが、その後は、器量のそれほどでもない者たちは公設の裸劇場や娼家に送られ、器量の良い者は貴族や有力者に囲われ、彼らの召使いや奴隷となって慰み者になりました。もちろん、中には市民の妻君に収まってそれなりに幸せに暮らしている者もいますし、名家の貴族の妾になって優雅に暮らし、『掠われたのは自分の神生で最大の幸運だった。あのままサウロマタイにいてもろくなことはなかった。』とうそぶいている女もいるそうです。また、ルガルバンダの後宮に入った女神もいますし。ですが、それはほんの一部。掠われた女たちの大多数は悲哀を味わい続けています。」
ここまで言うとレスケスは言葉を切り、三神の顔を眺め回しながら、おもむろに言った。
「ここからは、言葉にするのも憚られるようなことなのですが、申し上げてよろしいかどうか。」
ヒュブラーが軽くうなずいて、
「それを言ってもらうために連れてきたのだ。事実なのだから隠すことはあるまい。」
と言うと、レスケスは続けた。
「そうでございますな。例えば、ビハールには公設の裸体劇場がいくつもあるのですが、そこでは掠われた女たちがけっこう踊っています。そんなショーでは、女神たちは踊りながら衣装を脱いで裸を晒すだけでなく、股間を広げて男どもに眺めさせるのです。」
ナユタはちょっと顔をしかめて言った。
「それは良いことではないかもしれないが、それだったら、この前行ったヒュブラーの邸宅でのパーティなどでもやっていたじゃないか。」
「たしかにそうかもしれません。ですが、ドルヒヤでは、女神たちは自らの意思で裸になっているのです。もっとも、自らそうせざるを得ない事情も背景になくもないのですが、ともかく、自分の意思でやっているのです。けっこうな金も稼げますので、惨めな暮らしをするよりも裸を晒して豊かに暮らす方が良いというのもうなずけなくもない。それに対して、ビハールでのサウロマタイの女神たちは、望みもしないのに、無理矢理やらされているのです。それに、各私邸ではもっといろいろなことが行われているようです。これはあくまで私が聞いた話と言うことで、実際に見聞きしたわけではないのですが、ともかく、申し上げましょう。例えば、男の客を集めた席で、踊りを見せて裸になった後、男どもに股間を舐め回されたり、陰部を張形でもてあそばれたり、男のものを咥えさせられたり、さらには、股間を広げて裸のまま縛られたり。男どもはその姿を肴に酒食を楽しんだりしているようで、中には陰部の毛をすべて剃られて股間を晒させられる女もいるということでした。ときには、股間に張形を突っ込んだままにしたり、縄を渡したりして、女が快感に悶え喘ぐ姿を晒すこともあるそうです。さらには、女を縛り上げて鞭打ちしたり、逆さ吊りしたり、ロウソクの蝋を女体に落として苦しめたりし、最後には、顔面に射精したり、あるいは嫌がる女を男どもが次々に無理矢理輪姦したりとか、とにかくありとあらゆる陵辱が行われているのです。」
「ともかく聞き捨てならないことではあるな。」
そう言ってナユタが唸るとレスケスはさらに続けた。
「ですが、楽しんでいるのは男だけではありません。女主人が女友達を集め、みんなでサウロマタイの女をもてあそぶこともあるようでして。そんなときには、女たちのやることは男以上に過激なこともあるようで、伝え聞いた話では、サウロマタイの三神の女を庭で裸にして四つん這いで縛り付け、誰でも好きなだけ中の女と交わって良いという標札を掲げたそうです。それを見たビハールの男たちが次々に女たちと交わり、日が暮れるまで喘ぎ声が絶えることがなかったと言います。そして、その三神のうちでもっとも交わった男の数が少なかった女神はその後、全裸のまま股を広げて庭の木に逆さ吊りにされ、女主人は女友達共にそれを眺めながら食事をし、ときには張形を手にしてその女の股間をもて遊んで楽しんだということです。」
ナユタとヴィクートは聞くに耐えないという顔をしたが、レスケスはさらに続けて言った。
「それに、慰み者にされているのは女だけではありません。サウロマタイの女たちが掠われた後、サウロマタイの男たちは女を取り戻しに行きましたが、多くの者は帰ってきませんでした。帰ってこなかった者の多くは、捕らえられて奴隷としてビハールに連れてゆかれたのです。そして、ビハールの貴族の女たちは、そんな男たちをもてあそんでいるのです。例えば、これも聞いた話ですが、裸に剥いた男に乳首や陰部を舐めさせて喘ぎ声を上げ、その女の悶える姿で男が勃起すると、『私の体をいやらしい情欲で眺めてるのね。汚らわしい。』などと言って、縛り上げて鞭打ちしたり、ロウソクを男根に垂らして男をもがき苦しめたりしていると聞きました。あるいは、裸にして仰向けに縛り付けた男神に馬乗りになって男のものを自らのあの部分に挿入し、けれど、自分が絶頂に達するまでは男に射精を許さず、万が一、射精しようものなら、『私の体を楽しんで思いを遂げるなんて、なんておぞましい男なの。』とか言って、言葉にするのも憚られるようなありとあらゆる拷問で責め苛むと聞きました。いずれにしても、そんなことがビハールの有力者たちの中で平然と日常的に行われているのです。」
レスケスの話はまさに聞くに耐えない話だったが、ナユタはあえて訊いた。
「それにしてもカーシャパはそんなことに対してどうしているのだろうか?」
レスケスは首を横に振って言った。
「カーシャパやヤンバー、ルドラ、アルワムナなどの重臣には毎年のように褒美としてルガルバンダから美女が与えられており、カーシャパの屋敷にも十神を越える下されものの美女が揃っていると言います。カーシャパはその女神たちを毎夜のように愛しているそうです。また、あるところから聞いたのですが、ときには、彼女たちを裸にして男の張形を自らの陰部に挿入させて彼女たちが性的に興奮して身もだえしたり喘ぎ声を上げたりするのを眺めながら食事をしたり、酒を飲んだりすることもあるということです。」
「カーシャパがそんなことをしているのか?」
「ええ、火のない所に煙は立たないとも言いますので。」
「真実と事実以外は口にしたことがないというマハーカーシャパを先祖に持つカーシャパにしてそうなってしまっているのか。」
ナユタはため息交じりにそう言ったが、ビハールの帝国の暗部でこんなことが実際に進行しているのだと考えるほかなかった。
さてその頃、ヤズディアでは、プシュパギリとシャンターヤがジャトゥカムと連携して反乱軍の準備を進めていた。プシュパギリは、ジャトゥカムに頼んで周辺部族に破城槌の部品を作らせ、それらを秘かにヤズディアに持ち込んで組み立てていった。また、シャンターヤは兵士を集めて武術や城壁登攀の訓練を進め、ジャトゥカムは仲間たちと共に武器の調達に奔走した。イルシュマがドルヒヤから運んでくれた鉄製の武器も重要だった。
そんな中、シャンターヤが秘かに心をときめかせていたのは、ジャトゥカムの妹パルミュスのことだった。いつも淡い色の衣装をまとい、美しい髪飾りをつけて邸内を優雅に歩く姿や、ときどきジャトゥカムの両親共々一緒に食事をするときに見せる伸びやかな笑顔がシャンターヤの心を捉えて放さなかった。パルミュスは初対面の時はおとなしい、しおらしい雰囲気を装っていたが、だんだん親密になってゆくにしたがって、シャンターヤの出身地である北方地方の女性にはないおおらかさと闊達さが現われ、それがシャンターヤの心をさらに惹きつけたようだった。それはまさに清楚さの裏に妖艶な美貌を隠しもつミナークシー女神ごとき美しさだった。
パルミュスにとっても、どちらかというと粗雑で野卑な面も垣間見せるヤズディアの男と違って、礼儀正しく温和で優しい雰囲気のシャンターヤには心惹かれるものがあったのだろう。たまたまジャトゥカムとプシュパギリが出かけているときにパルミュスはシャンターヤを邸内でのお茶に誘ってくれた。
「誘ってくれてうれしいよ。今日はひとり留守番なんでね。」
と言うシャンターヤにパルミュスは大きな目を輝かせて言った。
「喜んでもらってうれしいわ。ゆっくりふたりでおしゃべりできるもの。」
パルミュスは北方のことなど聞きたがり、シャンターヤがヤズディアとの風習、食べ物、服装の違いなどをいろいろと話をすると、彼女は興味津々で聞き入り、さらに言った。
「それにしても、シャンターヤさんは控えめね。私の周りにいるヤズディアの男ときたら、みんな自分の自慢ばっかり。うんざりするわ。でも、シャンターヤさんからは私はどう見えて?ヤズディアの女は慎みが足りないように見えて?」
「いや、そんなことはない。君のおおらかさは北方の女にはない魅力だよ。」
この日以来、ふたりは急速に親密になり、その後、屋敷内の庭でときどきふたりで過ごしているのが見かけられるようになった。
(2015年3月14日掲載 / 最新改訂版:2022年7月17日)
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向殿充浩(こうでんみつひろ) / 神話『ブルーポールズ』第4巻