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神話『ブルーポールズ』

【第4巻】-

 

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 ヤンバーとカーシャパがナユタ討伐の遠征軍の準備を急ぐ中、都ビハールではルガルバンダが栄華を誇っていた。

 まだ宇宙の端にナユタやシャールバという独立勢力が残り、マーシュ師やユビュなどが服従してないとはいえ、ムチャリンダとシュリーが滅び、イムテーベがルガルバンダに帰順したとなっては、ルガルバンダ帝国に抗する有力な勢力はもはや残っていないと言ってよかった。

 ルガルバンダの絶大なる支持のもと、丞相アルワムナは巨大な帝国の支配体制を確立し、帝国をさらに発展させるための施策を着々と推進していた。

 アルワムナが巨大な帝国を支えるためにまず行ったのは、主要産業に次々と厳格な国家統制を導入することだった。これはメダテスが差配したが、ルガルバンダ帝国の力の源泉と言ってよかった。メダテスは米、小麦、金、銀、鉄、塩、油、紙などを統制し、そこから生まれる莫大な収入で国家の道路、運河を整備し、屈強な軍隊を維持した。さらには通商を支配し、そこからも大きな利潤を上げた。

 都ビハールには帝国各地から様々な物品が集まり、活発な交易が行なわれた。東からは絹、はちみつ、香料などが運ばれ、西からは鼈甲、染料、黒檀、木綿などが運ばれた。南からは羊毛、象牙、ダチョウやクジャクの羽、香辛料、真珠など、北からは琥珀、グースの羽などが運ばれてきた。

 こうしてビハールは空前の繁栄を極めた。いまだかつて神々の世界のどこにも実現されたことのない繁栄であった。

 ビハールの宮殿に登るための大階段の側壁には、二十三に及ぶ属国や属州の朝貢者たちの様子が描かれた。階段壁は三段に分割され、朝貢者たちが列を作り、あるいは車を引き、あるいは馬やロバを引いて貢ぎ物を捧げて進む様が描かれていた。各民族の服装の特徴、帽子、髪型、特産品、工芸品などもきめ細かく描写されていた。

 また、ビハールの宮殿の内部には美しい列柱廊が設けられ、壁面にはこの時代にふさわしい新様式の装飾が施された。異国趣味に満ちた絢爛たる部屋もあった。

 ビハールの市内には、古来からの祭祀を営むための巨大な神殿、大円形劇場、大競技場、プール、大浴場なども建設された。

 大円形劇場は三万神以上を収容できる世界最大のものであり、この劇場で定期的に開催される悲劇競演の勝者には、ルガルバンダ皇帝から直々に賞賛の言葉と金の冠が贈られた。第一回の勝者であるテスピスや何度も優勝したピレモンは神気劇作家としての地位を確立していた。

 また、大競技場ではルガルバンダ皇帝列席の下、四頭立て戦車の競走が行われた。この競走は市民の賭けの対象ともなってたいへんな興奮を呼び起こす一大行事だった。

 戦車競走は、まず、大競技場への戦車の入場から始まる。戦車が整列を終わると、御者と戦車のオーナーが呼び上げられる。競走は急な折り返しの標柱のある競技場を十二周するもので、一周するごとに、標柱に取り付けられた十二のイルカの彫像が一つづつ降ろされる仕組みになっていた。

 この競走の勝者となることはたいへんな名誉であり、市民からは限りない賞賛が浴びせかけられ、一夜にしてヒーローになることも珍しくなかった。リュクセスのように戦車競走での優勝が出世の糸口となることもあった。その優勝者にはルガルバンダ皇帝からは女奴隷ひとりと純金のトロフィーが贈られた。女奴隷はたいていは器量の良い美神であり、この競走の勝者に贈られることはその女奴隷にとっても喜ばしいことだった。勝者の妾となることも珍しくなく、ときには正妻になる者さえあった。

 祭りも頻繁に行われた。祭りの時には、いつもルガルバンダの巨像のある外門から凱旋門と呼ばれる内門までの大通りが市民に開放され、車や馬を乗り入れることが禁じられた。大通りの両側には出店が立ち並び、大通りの途中にある広場では、武術を競う競技が行われ、内門のそばに設けられた舞台では、さまざまな舞踊や演舞、手品、寸劇などが披露され、歌謡競争も行われた。

 そんなビハールの市街は碁盤の目のように整然と区画され、市街地では車道と歩道とが区別されていた。車道は敷石で舗装され、車道より一段と高くなっている歩道には小石がまかれた。市街の中央には市民が集うことのできる美しい庭園も造られた。そこには壮麗な彫刻が施された列柱がめぐらされ、度量衡管制台や巨大な日時計も置かれた。さらに、睡蓮の咲き乱れる池がいくつもあり、噴水が舞い上がり、季節の花々が訪れる神々の目を楽しませた。

 そんな公園や市街には美しい女神たちが集った。裕福な家の女神たちは、顔を美しく化粧し、首を伸ばして歩き、足には高価な靴を履いていた。そして髪を美しく結って髪飾りをつけ、耳輪、腕輪、指輪、くるぶし輪などで自らを飾りつけた。

 支配階級の男神たちも豪華な装飾を身に着け、多数の宝石のついた首飾りをかけていた。彼らは午後になると浴場で汗を流し、政治のこと、生活のこと、儲け話のことなどさまざまなことを語り合い、夕暮れになると、ビハールの中心街に立ち並ぶ居酒屋に繰り出すのだった。賑やかに仲間たちと飲む者もあれば、店の女神を相手にひとりで飲む者もあった。

 さらに少し外れた区域には娼婦の館も立ち並んでいた。薄絹に身を包んだ見目麗しい女神たちに男神たちは欲情し、夜遅くまで遊郭は繁盛した。

 そんなビハールはまさに不夜城だった。夜、花街に足を踏み込むと、妓楼の門前には炬火が赤々と燃え、街角の列柱には燈火が煌々と灯っていた。ここかしこで下僕が轎椅をかついで走り、家並みからは楽の音が溢れ、酔客たちの騒がしい声に甲高い嬌声が入り乱れるのだった。

 娼婦の館に足を踏み入れ、ふわりとした敷物の上に腰を降ろすと、なまめかしい衣装を着た若いかわいらしい女神たちがそばに寄って来て座り、腕を絡ませたり、膝に手を置いたりしてしなだれかかる。そして酒や料理を堪能しながら、舞台に登場する女神たちの踊りを眺める。女神たちは踊りながら次々と衣装を脱いでゆき、ついには全裸になって踊り、さらには股間を広げて陰部を見せる。陰部を覆う濃い陰毛を掻き分けて女陰を見せる女神もいれば、陰毛をすべて剃って陰部を大きく広げて見せる女神もいる。男神たちは、女神たちの乳房が扇情的に揺れ、かわいい腹部や腰がくねる姿を見て欲情し、女神たちの陰部を食い入るように見つめながら、隣に座る女神の素肌や乳房をまさぐるのだった。その女神が気に入れば、後はただ、彼女を連れて奥の部屋に消え、好きなだけ、好きなやり方で楽しめば良かった。

 ビハールの民衆は諸手を挙げてルガルバンダの治世を称賛した。そして、富を蓄えた者は威勢を張り、ビハールの有力者となった。女神でも大きな邸宅を構える者もいたし、娼婦上がりで権勢を誇る女神も現れた。

 一部にはソロンのように批判的な神もいたが、彼の言葉に耳を貸す神は少なかった。そのソロンは、しばしばビハールの広場に立って説いた。

「ルガルバンダの帝国では富が名誉となり、それに地位と栄光が伴ってくる。精神の清らかさは忘れられ、貧困は恥辱、無欲は愚鈍とみなされている。この世界の者たちは貪欲にまかせて贅沢を追い求め、その心音は傲慢そのものだ。彼らは略奪し、搾取し、浪費する。謙虚さや貞淑は顧みられない。彼らは利を貪り、偽りをなし、好色の牡馬のように遊女の家に群れ集まる。彼らは恥じ入ることもなく、顔を赤らめることもない。ビハールは神の道を忘れ、繁栄に酔っている。だが、破壊者たちは必ずやって来る。絶対者の怒りがこの都の過ちの上に振り下ろされる日が必ず来よう。」

 そしてソロンが先鋭な非難の矛先を向けた相手のひとりが、アルセイスという名の女神だった。彼女は良い家柄の出身であり、溢れんばかりの美貌と豊かな財産を誇っていたが、貞淑な仮面の裏ではさまざまな男神をたらしこみ、放縦な生活を隠そうともせず、世間の噂を気にもかけない風であった。実際、彼女はその美貌だけでなく、高い知性と巧みな会話で男どもを惹きつけ、彼女の館で一糸まとわぬ女神の目もくらむような裸体にくぎ付けになった男神は数知れなかった。

 ソロンはアルセイスに対して厳しい非難を浴びせ、かつてのストイックな神々の在り方を取り戻すべきであることを強く訴えた。だが、彼女は平然と言った。

「私は女を売ってもいないし、体を売ってもいない。私はどんな男にも何も頼んでいない。ただ、男性が私に贈り物をくれるだけ。そして私もただ自分が差し上げたいものを差し上げて男性を喜ばせているだけ。それの何が悪いというのでしょう。」

 そのアルセイスはプリティヴィー女神を奉じ、ルガルバンダが世界を守るローカパーラ神のためにビハールに建立した寺院の一つであるプリティヴィー寺院に多額の寄進をしていた。それが故に宮殿の者たちはアルセイスの行為を一切とがめ立てしようとはしなかったし、彼女の館で彼女の裸体を抱いた宮殿の者も少なくなかった。

 ソロンはナユタやユビュとの和解が不可欠であるとも訴えたが、その訴えは不神気でしかなかった。ルガルバンダのもたらした繁栄を十分には享受できない貧民街の神々は、富める者をますます富ませるだけのルガルバンダの政策への不満からソロンを支持したが、この都の繁栄を謳歌する者たちはソロンを支持しなかった。中には、逮捕して投獄すべきという者たちもいる始末だった。

 ソロンの評判が知られるようになると、アルワムナはソロンが急先鋒になってルガルバンダ批判が広がることを恐れ、ルガルバンダに上申して言った。

「ソロンなる者がこの都の繁栄への批判を吹聴し、貧しい者たちが大いに支持していることはお聞き及びかと思います。これを放置しては示しがつきませぬので、法に照らして反逆罪で逮捕することも可能かと思います。いかがいたしましょうか?」

 だが、ルガルバンダは鷹揚に言った。

「政において大事なことは、すべての者を満足させることはできないという道理を理解することだ。ソロンが貧しい者たちの不満のはけ口になっているならそれで良いではないか。ソロンがこの繁栄を批判してくれることで貧しい者たちが溜飲を下げ、それで不満が収まるなら、それにこしたことはない。」

「しかし、それでは、ルガルバンダ陛下への批判を放置し、黙認していることにもなります。逮捕はしないとしても、なんらの策が必要かと思いますが。」

「そうだな。では、まず一度、会おうではないか。そのソロンとかいう輩がどんなやつなのかも確かめたいしな。」

 アルワムナがソロンを召し出すとソロンは喜んでやってきたが、ルガルバンダの前に現われたソロンは街の広場にいるときと同じ粗末な衣服のままで、壊れかけのサンダルを履いていた。その姿は、豪勢な衣装に身を包んだルガルバンダと対照的だったが、ルガルバンダの前でソロンは臆することもなく言い放った。

「そのうち直接もの申したいと思っていたので、こうして招いてもらってありがたい限りである。」

 この横柄な口の利き方にアルワムナをはじめとする側近たちは顔をしかめたが、ルガルバンダは余裕の笑顔を浮かべて言った。

「そういうことであるなら、我が行為は実に適確であったと言えるな。ともかくもの申したいというのであれば、まずはそれを聞かせてもらおうか。」

「では、言わせてもらおう。貴神もかつてはすべての神が清貧の生活、清貧の生き方をしてきたのは知っておろう。この宇宙の全書物を読破したと言われる貴神もまさにそんな神のひとりであったはず。しかるに、今、ビハールでは、神々はかつての生き方を忘れ、欲望のままに放縦の生活を繰り広げている。その破廉恥さはまさに目を覆いたくなるばかり。しかし、貴神はただ放任し、神々のなすがままに任せている。これでは貴神が興し、貴神が繁栄と呼ぶこの世界は、ただただ神々が醜態を晒す場を提供しただけということになるではないか。街でアルセイスがどんな卑猥な行為によって財をため込んでいるか、知らぬわけでもなかろう。」

 これにはルガルバンダは落ち着いて答えた。

「たしかに、街の者たちの行為がこのルガルバンダの心に適っているかというなら答えは否だ。その意味では、このルガルバンダ、ソロン殿と同じ心根と思ってもらって良かろう。だが、この新しい世においてもう一つ重要なことは神々の自由ということだ。それをお上があれこれ決めつけ、押しつけることは世の営みそのものを損なうことにも通ずる。だから、仮に多少本心からすれば心に適わぬことも目をつぶるほかないこともある。それが政というものだ。」

「ふん。きれい事を並べておるが、貴神が建立したプリティヴィー寺院にあの女が多額の寄進をしているので黙認しているだけではないのか。これは都で知らぬもののない秘密だろうがな。」

 この辛らつな言葉に、アルワムナはソロンをたしなめようと口を開きかかったが、ルガルバンダはそれを制して言った。

「では、どうするべきか、ソロン殿の考えをお聞きしたいが。」

 ソロンは厳しい目つきでルガルバンダを睨むと、吐き捨てるように言った。

「簡単なことだ。学を興し、礼を重んじることを民に教えることだ。」

 この言葉に、ルガルバンダは大きく笑って言った。

「そうであるなら、それは我らの行っている通りのことだ。このルガルバンダ、まさに、学を興し、礼節を重んじておるからな。貴神も、さまざまな学問を修めるための新しい学校が次々できているのは知っておろう。それらの学校では、どんなに貧しくても、能力さえあればただで学ぶことができる。また、来年には、七十万巻の巻物を収めるビハール図書館を市民に開放し、その書物は誰でも読めるようにするつもりでいる。」

 これに対してソロン嘲るような口調で言った。

「貧しい者にも門戸を開いていると言い、能力さえあればと言うが、学校に入るための学力をつける金もないのが貧民たちの現実ではないか。だとすれば、貴神の行っていることは形だけの表面的な公平を取り繕っているに過ぎない。結局、貴神は、富める者がますます富んでゆく世界を創り出したとしか言えぬではないか。現実の世界に目を向けるが良い。富める神々の放縦はますますひどくなるばかり。学を身につけてその学んだものを活かして金を稼ぎ、その金で贅沢な暮らしをし、遊び惚ける神々がいかに多いことか。ビハールは世界の繁栄の中心というが、実に世界一醜悪な街と言った方が良い。」

 この言葉にルガルバンダはちょっと顔色を変え、咎めるような口調で言った。

「ソロン殿は政のことが分かっておられぬようだな。世の民のことは世の民に任せるほかない。私のごとくにすべての書を読むことを強いることもできぬしな。」

「それはそうかもしれぬが、それが民の徳を高めることをおろそかにして良い理由にはなるまい。」

 ルガルバンダはにこりともせず首を振った。

「上から徳を強いても反発を招くだけ。単なる強権政治に過ぎぬ。もちろん、違法な者たちは取り締まり、不当な批判をする者たちは追放せねばならぬ。だが、民を完全に感化することなどできるはずがない。民が望んでいることを実現する。それが帝業である。」

「それは詭弁だ。貴神は単に、批判者を逮捕する一方で、民の愚かさは放置している。そればかりが、民の愚かさを助長する策も多いではないか。街の神々が望んでいるパンとサーカス。それを実現するのが帝業ということか。それが宇宙一の論客と言われたルガルバンダのすることか。笑止千万ではないか。結局、貴神は、貴神自身の繁栄と権力の維持を目指しているに過ぎぬ。」

「言うことはそれだけか。」

 ルガルバンダが厳しい口調でそう言うと、ソロンは短く言った。

「そうだ。これ以上話すことはない。これにて失礼する。」

 ソロンが背を向けて出て行こうとすると、ルガルバンダは後ろから声を掛けた。

「一つだけ言っておく。おまえがどんな考えを持とうが咎め立てはせぬ。だが、民衆を扇動し、国内を騒乱させることだけは許さぬからな。心しておくが良い。」

 この言葉に、ソロンは振り返って言った。

「古来の賢者は、『身が正しければ、令なく行われる。身が正しからざれば、令すといえども従わず。』と語ったと言う。今一度、この言葉を思い致すがいい。」

 そう言い捨てると、ソロンは身をひるがえして出て行った。

 ソロンが出て行くと、ルガルバンダはアルワムナに声を掛けた。

「ご苦労だった。だが、甘い顔をするとつけあがるというのは、まさにこのことだな。」

 この言葉にアルワムナは我が意を得たりと勢い込んで答えた。

「まさにその通りです。民というものは、ありがたくも与えられたものは得られて当然と考え、不満を覚えると、自らが享受していることどもをすべて忘れて為政者のことを悪く言うものです。少しでも不満があり、それが回りの者たちに受け入れられると思うやいなや、正義面をして巷で口やかましく為政者を批判するのです。かかる所業を野放しにしては、異論を唱える党派が街中に跋扈することにもなりましょう。」

「そこまで言うなら、何か策があるのだろうな。」

「もちろんです。法に照らして違法行為を取り締まることは当然のこととして、それだけでは十分と言えません。世の民のことは世の民に任せておくべきですが、そのためには、民を導かねばならないのです。まず為さねばならないのは、無能な民を導くために良書のみを残し、悪書を廃棄すること。現在も、さまざまな輩が悪書を根拠にさまざまな批判を展開し、無能な民に良からぬ考えを植え付けています。これを断固として阻止せねばなりません。」

 これをルガルバンダが裁可すると、アルワムナは法令を発布して三十日の猶予を与え、三十日後にすべての悪書を宮殿前の広場に集め、それに火をかけたのだった。

 ソロンはその光景を見てひとりつぶやいた。

「まさにこの焚書は暴挙というほかない。ルガルバンダともあろう者がこんな強圧政策、こんな愚民政策を行うとはな。だが、こんな政策が何を招くか、それすらもルガルバンダは分からなくなったということか。それにしても、これからどれだけの者が逮捕され、牢獄に押し込められることになることか。」

 だが、アルワムナがソロンや他の批判者らを監視し、いろいろと手を回したこともあって、ルガルバンダ批判がビハールに広がることはなかった。

 

 さて、年が明けたルガルバンダ紀元第十九年、ビハールでは新年の行事が行われた。ナユタ討伐のための遠征軍の準備で慌ただしい中ではあったが、行事は前年以上に豪華なものであった。新年の祝賀会で、ルガルバンダが高らかに言った。

「今年はナユタを成敗し、ユビュにも頭を下げさせる。ヤンバー、カーシャパ、頼むぞ。」

 このルガルバンダの言葉に、ヤンバーが、

「お任せください。夏には朗報をお届けいたしましょう。」

と言えば、カーシャパも答えた。

「ご期待に添えるよう、ナユタ征伐のための万全の準備を整えます。我が騎馬軍団は無敵。ナユタにそれを知らしめるのも遠いことではございますまい。」

 ルガルバンダは上機嫌に続けた。

「だが、あまりナユタをなめるなよ。準備を怠らなければ、勝敗の帰趨は見えているがな。まあ、ナユタも、この期に及んでも頭を下げないとは、気骨があると言えば気骨があるがな。イムテーベ、どう思う?」

 この言葉にイムテーベはそっけなく答えた。

「ナユタはただ時流を見る目がないというだけのことです。」

「まあ、そうだな。時流を見る目があれば、今日、ここに列席しているはずだな。」

 そう言うとルガルバンダは手にしていた杯の酒をぐいと飲み干し、続けて言った。

「この帝国建業はまさに天命。天からおれに授けられた使命だ。故に、天の意思がこの帝国を支えている。誰もこれに逆らうことなどできるはずがない。」

 文官のひとりが、

「まことにさようにございます。天の意思がこの帝国を支えており、これに逆らう者は天誅を被ることとなるだけ。この覇業とルガルバンダ陛下の栄華は未来永劫続きましょう。」

とお追従を述べ、さらに続けた。

「では次は、宇宙一の美女の舞いでございます。」

 目も覚めるような衣装を身に着けた絶世の美女が現れた。額の上には美しい宝石をちりばめた宝冠をかぶり、束ねた髪には黄金でできた細やかな細工の髪飾りをつけ、耳たぶには真珠を束ねた耳飾りをつけていた。

 彼女のあでやかな舞いはルガルバンダをはじめ、あらゆる神々を魅了した。彼女の耽美的な姿、腰をくねらせるなまめかしい踊り、彼女が送る妖艶なまなざしに神々は酔い、さらに、神々は上等な料理に舌鼓をうち、薄絹の美女から注がれる神酒に心地よく酔った。

 その後も体が透けて見えるほどの薄い衣をなびかせた美女の群れが次々と蠱惑的に体をくねらせて舞った。音楽に合わせて次々と衣服を脱ぎ捨て、最後には一糸まとわぬ姿で踊る女神もあった。こうして、華やかな宴席が続き、神々は官能的な音楽と、見目麗しき美女たちの舞いを心ゆくまで堪能した。

 だが、その中でただひとり心を喜ばせなかったのはイムテーベだった。イムテーベは内心つぶやいた。

「これがルガルバンダの覇権ということだな。おれは国父として祭り上げられているが、何ら重要な役目もなく、ただ、形だけの敬意が払われているに過ぎない。文官も武官もみなルガルバンダや、カーシャパ、ヤンバー、ルドラの顔色をうかがい、おれのことなど、お構いなしだ。こんなことがどうしておれが望んでいることと言えよう。」

 実際、ある程度予想していたとはいえ、ビハールでの扱いはイムテーベの想像以上だった。国事に関することについて相談に与ることなどなく、せいぜいイムテーベ付きの文官から帝国のことについて形式的に報告を受ける程度だった。そしてイムテーベが国のことについて何か考えを言うと、文官が決まって言うのは、

「それはルガルバンダ陛下のご意向には沿っていないかと。」

とか、

「その件については、行政官が既に対応策を練り、鋭意推進しておりますので。」

といったやんわりとした拒否だった。

 また、儀式ともなると、文官から次々に出てくる言葉は、

「イムテーベ様にはこのようにしていただきます。」

というような細かな指示であり、

「ルガルバンダ陛下の前で決してこんなことはしてはなりません。」

といった上から目線の言葉であった。

 しかも、実際にイムテーベに次々に課せられる帝国からのさまざまな要求も苛酷で横柄だった。貢ぎ物や上納金だけでなく、何かと理由を付けては出費を強要される。寺院の建立や図書館の建設にも協力金という形で多額の資金を出させられたし、土木工事のための使役要求も後を絶たなかった。

「国父とは名ばかり。おれの国は自治とはほど遠く、軛に繋がれているようなものではないか。」

 それがイムテーベの胸の内だったが、それは、所詮、反旗を翻すことなどできるはずがないと思っているアルワムナらの帝国支配策から来ていることは、役神たちの高圧的なもの言いからも読み取れることだった。

 イムテーベは新年の催しからから帰ってからも不快な思いが心の中を渦巻き、怒りが収まらなかった。

「結局、ルガルバンダは、おれをこんな風に遇するというたいして金もかからない方法で、おれの大きな領土と強力な軍団を手に入れたというわけだ。それに何が天命だ。おのれの野望をすり替えているだけではないか。」

 その怒りに突き動かされ、イムテーベはルガルバンダから離反する策を練ることを決意した。ただ、ルガルバンダの覇権が確立した今、それは容易なことではなかった。

 イムテーベは数日後、家中の側近を呼んで思いを伝えた。だが、その側近たちから返ってきた言葉は意外なものであった。

「イムテーベ様。お気持ちはよく分かりました。私どももイムテーベ様が私ども皆の者のために、屈辱を甘んじて飲み、こうしてルガルバンダに臣従なさっていることは重々承知しておりました。ただ、都に来て改めてよく分かりましたが、いかに、このイムテーベ家中の者が蔑まれ、虐げられているか、それは家臣一同みなそれぞれにいやというほど骨身に沁みております。ある程度覚悟してきたとはいえ、とても忍従できるものではありません。ただ、それをイムテーベ様に申し上げては、私ども以上に苦汁に耐え忍んでおられるイムテーベ様に申し訳ないとこれまで黙っておりました。しかし、イムテーベ様のご決意が固いのであれば、私どもになんの異存もございません。最後の最後までとことん戦い抜く決意はできております。」

 この言葉に意を強くしたイムテーベは言った。

「そうか。そこまで苦労を掛けていたか。おれも国父という言葉で、ある程度の処遇は得られるものと思っていたが、まったく違ったということだな。そして、そのことを、謹賀の宴で改めて思い知らされた。国に帰り、旗を挙げよう。」

 この言葉に、側近たちは顔を見合わせて喜んだ。だが、イムテーベは続けて言った。

「ただ、そうは言っても、ルガルバンダの権力と支配は強大。安易に考えてはならぬ。秘密裏に挙兵の準備を進め、間違っても、ルガルバンダに悟られてはならぬ。幸い、ルガルバンダは春のナユタ遠征で頭がいっぱいだ。」

「ともかく国許のバルカ様に密かに使者を出し、国許で準備を進めていただきましょう。」

「そうしてくれ。それともう一つ。挙兵のためにはやはり、ナユタと手を組むことが必要だ。サヌートにナユタの元へ行ってもらおう。ナユタもルガルバンダの遠征軍が来ることを知っていようから、この同盟には乗ってくるに違いない。春になって、ナユタ遠征軍が進発する時期に、おれたちも兵を挙げよう。」

 さっそく国許へ使者が走った。留守を預かるバルカはその知らせを聞くと複雑な思いだった。

「やはり、そうなったか。ほんとうは、シュリーとともにとことん戦うべきだったが、ともかく、これからでも遅くない。それに、もし、ナユタが起つなら、シュリーより頼りになるかもしれぬ。」

 そう語ると、バルカは着々と挙兵の準備を始めた。

 また、サヌートは、イムテーベの意を受けて密かにナユタの元を訪れた。バルマン師の館にイムーベからの使者としてサヌートが到着すると、ナユタはバルマン師とともに面会した。

 サヌートは言った。

「ナユタ様、本日はイムテーベからの密使として参りました。イムテーベは形の上ではルガルバンダに帰順しておりますが、離反して挙兵する策を密かに練っております。これは反ルガルバンダの戦いであり、我らはナユタ様と同盟関係を構築したいと考えております。」

 ナユタはこの言葉によって状況を一瞬で理解した。

「新年の謹賀にはルガルバンダの都へ来るように招聘されたが、行かなかった。また、ルドラがユビュを拉致しようとしたのを実力で阻止もした。このままで済むとは思っていない。都はどんな状況だろうか。」

「ナユタ様、ヤンバーとカーシャパが大軍を準備していることをご存じありませんか?春にはその大軍がここに押し寄せてまいりましょう。」

「そうか、やはり、やってくるか。我々も戦さの準備は進めているが、どれほどの大軍が来るのであろうか。」

「おそらく、二万から三万の大軍となりましょう。」

「それでは、まともに戦っては、とても太刀打ちできないな。それで、イムテーベ殿はどうしようとなさっておられるのか?」

「イムテーベは、ヤンバーとカーシャパの軍がナユタ様に向けて進発するのを見届けた後、密かに都を脱出して国に帰り、挙兵するつもりです。その時の状況にもよりますが、まずは、かつてのムチャリンダの居城を攻略することになるかと思います。」

「兵力はいかほど?」

「現有兵力は一万ですが、挙兵のためにさらに兵を集め、一万五千から二万の兵力にしたいと考えております。」

 ナユタがしばらく考え込んでいると、サヌートは続けて言った。

「神は、徳や寛容さ、誠実さ、謙虚さなどで栄えるとは限りません。もし、そうなら、これほど徳が高く、正義の道を歩いているはずのあなたやユビュ様がなぜこのような困窮に陥っているのでしょう。この世界で自らを守るには力が必要なのです。」

 だが、この言葉を制するようにナユタは言った。

「いいだろう。」

 ナユタがサヌートの言葉に反発を感じたことは彼の表情から読み取れたが、ナユタは意を決したように、きっぱりと言った。

「イムテーベ殿に、ぜひ同盟させていただきたい、と申し伝えてくれ。」

「分かりました。早速、急いで戻ってイムテーベに伝えます。イムテーベもナユタ様との同盟が成れば、大いに喜ぶでしょう。」

「なんとしても、力を合わせてルガルバンダの支配を崩さねばならない。ルガルバンダは力で宇宙を支配し、富や繁栄にのみ価値を見出す世界観によって神々を押さえつけている。しかも、ユビュの拉致を企てたり、弱い神々から搾取して自らの栄華を極めるなど、神の道に反した行いばかりだ。」

「その通りです。最近も、都でルガルバンダの支配に異を唱えた神々が多数捕えられたと聞きました。」

「それで、その神はどうなったのか?」

「それは誰も知りません。地下牢に封じ込められているか、抹殺されたか。ともかく、市中にはルガルバンダの支配に異を唱える者たちを監視する隠密どもが跋扈しており、神々は首をすくめて暮らしています。」

「それがルガルバンダの支配のやり方というわけか。」

「その通りです。ルガルバンダはかつては真摯で謙虚な神だったかもしれませんが、権力の座に登り着いた今、そんな心情は忘れ去っているとしか言えません。現在の栄華によって驕慢の心を生じ、君主としてのあらゆる悪徳を体現しているかのごとくです。本来ならば、世のあらゆる幸福に恵まれ、その幸せを世の者たちに分け与えようという考えになっても良さそうなものですが、現実はまったく違います。臣民の動きを常に警戒し、讒訴を容れ、独善に走っているのです。そのため、ナユタ様もご存じと思いますが、地方に出れば、ルガルバンダに抵抗しようとする神々の拠点は無数にあります。イムテーベも各地に広がる反ルガルバンダ勢力と連携し、ルガルバンダの支配を揺さぶることを考えています。」

「いいだろう。ここの周辺にもそんな神々が多く住んでいる。彼らとも連携して、戦さの準備をするつもりだ。」

 

 こうしてナユタとイムテーベの同盟が密かに成立し、ナユタ、イムテーベともに戦さの準備を急ピッチに進めた。

 一方、ヤンバーとカーシャパも遠征軍の準備に余念がなかった。ヤンバーは当初、

「ナユタなど、おれだけで十分。二三千の兵を率いて行けば簡単に決着を付けられる。いまやシュリーの技術を接収して鉄器も万全だ。」

と豪語していたが、カーシャパは慎重だった。

「たしかに、今のナユタの兵力からして、野戦で破るだけならそれで十分だろう。だが、バルマンは城砦の守りを強化しているという情報だし、敵が城に籠るとなると二三千で十分かどうか。また、都から遠征軍が来ると知れ渡ると、ルガルバンダに反発する勢力がナユタの下に参集しかねない。ナユタの側もその勢力を糾合しようとするだろうしな。」

 このカーシャパの見立ての背景には、蛮族や周辺地域に関する知識でルガルバンダに認められて以来宮廷で存在感を高めているリュクセスの綿密な調査と情報収集があった。

 そのリュクセスはルガルバンダの前でも言った。

「周辺の者たちは自立心が強く、安易にルガルバンダ陛下の帝国に臣従しようとはしません。臣従してビハール市民権を持てば、この帝国の庇護と繁栄を享受できるのですが、それぞれの部族の支配者たちは、帝国の支配に組み入れられると自分たちの権勢の維持が難しくなると考えています。このため、ナユタが起つなら、多くの部族が力を貸すことになりかねません。」

「それに対する策は?」

 そう聞いたルガルバンダに、リュクセスは答えた。

「力と懐柔。巨大な軍事勢力によっておよそ太刀打ちできないと分からせ、同時に、臣従すればビハール市民権を得られ、帝国の庇護と恩恵を得られることを理解させるのです。」

「まあ、それが常套手段だな。良いだろう。これを機会に、その地方を一気に平定したい。不穏勢力を根こそぎ一蹴し、明確な支配を確立するべきだ。」

「そのためには、当然、進出した地域の治安維持のための兵力も必要となりますので、それも勘案して軍団を組織したいと思います。」

 こう答えたカーシャパは、ヤンバーには一万五千の兵力を与え、カーシャパ自身は一万の兵力を準備し、鉄製の武器で武装させた歩兵、弓兵、騎馬兵など多彩な軍団を組織することにしたのだった。

 

 春が近づくと、ナユタはバルマン師に言った。

「この戦いは大きな戦いになりそうです。シャールバはやってきてくれるでしょうが、それだけでは足りません。ユビュの力が何としても必要です。バルマン様、なんとか、ユビュの心を動かすことはできないでしょうか。」

 バルマン師は答えて言った。

「そうだな。ユビュの力は確かに必要だろうな。ユビュが参戦すれば、ルガルバンダを快く思わない多くの者たちの力を結集させることができるだろう。うまくいくかどうかは分からんが、一度ユビュを訪ねてみよう。」

 こうしてバルマン師は、マーシュ師の館にユビュを訪ねた。バルマン師は、今の世界の状況、ルガルバンダの圧政のこと、ナユタとイムテーベの同盟のことなどを事細かに説明し、春になれば、ナユタとの戦いのための大軍がビハールから進発するだろうことを語った。そしてユビュの参加を促したが、ユビュは同意しなかった。

「パキゼーの教えがあったにもかかわらず、神々は相も変わらず欲望のままに生き、権勢や栄華を求めて相争っています。その愚かさに気づくこともなく野望を膨らませています。大地は荒々しい閃光に晒され、不可解な敵意が大気に満ちています。世界は色褪せているとしか言えません。」

「たしかに、そうだな。ルガルバンダは偉大な時代を生きていると喧伝しておるがな。」

「そのような世界の中での神々の争いに参加することが適切なこととは私にはどうしても思えないのです。力に対して、力をもって戦うことが正しいこととは思えません。」

「おそらくナユタも最初は同じ考えであったろう。だが、ルガルバンダの大軍団は春にはナユタの元へ押し寄せる。もはや、猶予はなく、力によって防ぐしかない次元に来ているのだ。」

 バルマン師はさらに言葉を重ねてユビュに説いたが、ユビュを翻意させることはできなかった。バルマン師はユビュへの説得を諦め、マーシュ師を訪ねた。

 バルマン師がユビュを説得することができなかったことを伝えると、マーシュ師は言った。

「そうか。そうであろうな。いつかはユビュが起たねばならない時が来るかもしれぬが、今は、その時ではないということなのだろう。ルガルバンダは宇宙は自分を軸に動いていると思っているかもしれぬが、わしは今も宇宙はユビュとナユタを軸に動いていると信じている。それで、バルマン殿はこれからどうなさる。」

「わしはナユタとともに戦うよ。ナユタをひとり放っておくわけにはゆかんからな。」

「そうか。バルマン殿も苦労なさるな。」

「ああ、だが、マーシュ殿もたいへんとは思うが、ユビュをよろしくな。ルガルバンダがユビュをこのまま放っておくわけはあるまいからな。」

「そうだな。それにしてもたいへんな世の中になったものだ。我々老神が安んじて日を送れる日はいつ来るのであろうな。」

 そうマーシュ師は小さく笑い、バルマン師を別の部屋に案内した。そこは小さな窓があるだけの小部屋だったが、ロウソクを灯してその部屋に入ると、バルマン師は驚きの声を上げた。

「おお、これは。これは、かつてユビュが身に着けたという黄金の鎧兜ですか。」

「ああ、いつの日か、これが必要となる日があるかもしれぬと思ってな。」

 マーシュ師のその言葉に、バルマン師は何度もうなずいた。

「いつか、ユビュがこれを着て、再び戦場に立つ日が来るのかもしれませんな。その時まで、ユビュのことをよろしく頼みますぞ。」

 そう語ったバルマン師はうっすら浮かべた涙を拭った。

 

 一方、その頃、ビハールでは、森に棲むドゥータカという行者がやってきてルガルバンダとの面会を求めていた。

 ドゥータカ行者はぼろぼろの衣服を纏い、壊れかけたサンダルを履き、頭の上ではぼうぼうの髪の毛が埃まみれだったが、一目でそれと分かる賢者の相から面会の場が設けられたのだった。

 ルガルバンダの前に現れると、行者は言った。

「長く森に隠遁していたのだが、汝が世界帝国を築かんとしていると聞き及び、心に湧いた疑問について問いたくやって参った。」

「遠路、わざわざ森からやってきていただけただけでもたいへんな光栄。私は森の賢者にはたいへんな崇敬を払っている。このあと、湯を使い、髪と体を洗い流し、良質の油を塗り、新品の上質の衣服をまとい、この都でしか食べられない夕食を召し上がっていただきたい。」

 ルガルバンダは上機嫌にそう言ったが、ドゥータカ行者はこばかにしたように不機嫌な口調で答えた。

「そんなものはいらんよ。わしはただ聞きたいことを聞くために来たまで。」

 このぶっきらぼうな答えに、ルガルバンダは姿勢を正して言った。

「先の言葉は行者殿に敬意を表し、貴神のためになると思って言ったまでのこと。他意はない。ご機嫌を損ねたならお詫びしよう。いずれにしても、聞きたいことがあるということであるなら、答えられるものは答えさせていただこう。何なりと問いかけられよ。」

「良かろう。貴神はこの宇宙で並ぶものなき繁栄を築き、その頂点に君臨していると聞く。ときに、貴神の願い、貴神の目標は何であろうか。どのような状態を実現できれば、貴神は満足するのであろうか。それが、森に棲むわしが心に抱いた疑問である。」

 ルガルバンダは表情を緩め、笑みを浮かべて答えた。

「それであれば、答えは簡単。この宇宙にかつてない神々の繁栄を築き、すべての神のために至福の世界を実現することである。」

「たしかに、貴神はかつてない繁栄を築いておる。とすれば、貴神の願い、目標は既に達成されていると理解してよろしいか。」

 ドゥータカ行者の鋭い目がきらりと光った。ルガルバンダは、

「いや。」

と答え、さらに続けた。

「この宇宙には、まだ、私の構築する宇宙に参加しない輩、服さない輩、さらには、異を唱える輩がいる。それらを一掃し、すべての神とすべての宇宙をわが支配に組み入れること、それが目標であり、私の願いである。そして、それが完遂されたとき、すべての神に満足と至福の時間がもたらされるのだ。」

 ドゥータカ行者は首を振って言った。

「貴神は、よもや、かつていかなる神も真に宇宙すべてを支配したことなどないということを忘れてはおるまいな。」

 ルガルバンダは硬い表情で、しかし、胸を張って答えた。

「もちろん。だが、かつてはできなかった、誰もやらなかったから、だからこれからもできない、これからもやれないというのは、何もやろうとしない輩の弁法。苦労をしなくてすむ現状維持だけで事を済ませたい無能者の論法にすぎぬ。そんな考えでは、何一つ新しい未来は拓けない。それに、そもそもいかなる神も宇宙を完全統一してはならぬというような掟は存在しない。それは貴神もご存じであろう。」

「たしかに、理屈を捏ね回すならその通りかもしれぬ。いかなる議論にも敗れることはないと言われるルガルバンダらしい答えかもしれぬ。だがな、かつていかなる統一も、いかなる単一支配も成し遂げられてはいないということが指し示す真理に目を向ける必要もあるのではないかな。」

「おもしろいことを言われるが、その真理とはどういうことを言っておられるのか?」

 この言葉に、ドゥータカ行者は諭すような口調で言った。

「およそ世界は単一ではないという真理じゃよ。世界は多様なものから成り立っており、その多様性のゆえに生気をもった世界となっておる。だから、世界の完全統一などというのは所詮幻想にすぎず、それを求めるなら破綻を引き起こすだけじゃ。」

「まあ、一つの考え方としてはあるかもしれませんな。」

 ルガルバンダは鷹揚としてそう答えたが、ドゥータカ行者は続けた。

「貴神がこの宇宙すべてを支配せず、貴神の支配の外にある世界が存在するということが世界の健全さを保たせるために不可欠とは思わぬか。これだけの繁栄と栄華を手に入れ、それでなぜ満足できぬ。大局に影響のないナユタ征伐など百害あって一利なしだ。そんな無益な戦さなど引き起こさずにおけば、貴神の栄華はこれからも続いてゆくと思えるがな。」

 この言葉を聞くと、ルガルバンダは急に厳しい表情になり、難詰するような口調で言った。

「それが言いたかったことか。要は、ナユタ征伐を止めろということか。誰に頼まれて来たのかは知らぬが、ナユタ征伐がこの私自身にとって良くないことを引き起こすかのような論調は、まるで根拠を持たぬ稚拙な思考でしかない。この宇宙の名だたる論客であるこのルガルバンダを前にして児戯にも等しい論理を並べ立てるとは笑止千万。はっきり言うが、ナユタ征伐など、さしたる労苦もなくたやすく達成される軍事行動に過ぎず、わが軍にとっては、差し詰め実戦演習の延長程度のこと。そそくさと森にお帰りになるがいい。とは言っても、最初に言ったことを反故にする気はない。この宮殿で、この栄華の一端を堪能してから帰られよ。」

 この言葉にドゥータカ行者は厳しく反論した。

「だが、そもそも、討つ必要もないナユタを討とうと軍を動かし、さらには、それに伴って自分に服さぬ者たちを平らげようとする姿勢は必ずや手痛いしっぺ返しを食らうぞ。もう一度聞きたいが、なぜ、ナユタを討たねばならぬ。」

「貴神には政のことは分からぬのだろう。この繁栄を維持するには権威の維持が不可欠であり、権威を維持するには、我らに服さない者を野放しにはしないということが絶対的に必要なのだ。」

「だが、力でその帝業とやらを推し進めることがいかに危ういことか、汝は気づいておらぬのではないか。古来よりの書物では、『徳をたのむ者は栄え、力をたのむものは滅びる。』と言われておる。汝ももちろん知っておろう。しかるに、聞くところによると、汝は外出するときには侍従の馬車十数台を従え、甲冑に身を固めた屈強な兵士が同乗し、さらに、剣や鎌槍を持った戦士を付き従わせるという。このこと自身が、自らの身の危うさを如実に示しているではないか。そんな己の権威に固執する貴神を、ヴィカルナ聖仙やナタラーヤ聖仙は認められるだろうか。」

 ルガルバンダは大きく笑った。

「古老は時代の変化にまるで気づいておられぬようだ。彼らはもはや力を持たぬ過ぎ去った時代の古い神に過ぎぬ。そして私はただ今の時代に合ったことをやっているまで。時代遅れの賢者は耄碌したと言われるのが落ちであろう。」

 この言葉を聞くと、ドゥータカ行者はため息をついて言った。

「貴神はかつては真摯に学究に励む謙虚な神だった。貴神は宇宙開闢以来のすべての書物に通じ、誰と議論しても敗れることはないと言われておる。それも貴神の常に高みを目指すひたむきなる努力のたまものと敬意を表しておったが、わしの見込み違いだったようだ。貴神のためを思うて、わざわざ森から出て、やって来たのだがな。致し方ない。わしは帰るとしよう。だがな、汝には、天を駆ける凶鳥の叫びや大地からの慟哭が聞こえぬのか。神としての大切なものをなおざりにしたおまえの大言壮語はいつか報いを受けるだろう。汝が傲慢にも踏みにじっているこの大地がおまえに牙を剥き、汝の叫びが空にむなしく掻き消える日もそう遠くはないだろう。」

 そう言うと行者は、ルガルバンダが申し出た供応を一切受けることなく、ビハールを去っていったのだった。

 

 だが、ルガルバンダにとっては、この一事は単に愉快ならざる客の訪問というだけのことだった。ナユタ征伐の準備は着々と進められ、春になると、いよいよ、ヤンバー、カーシャパの軍が動き出した。総勢二万五千の大軍団だった。

 ヤンバーは大将軍として、ルガルバンダより玉璽を受け取ると、力強く宣言した。

「いよいよ世界統一のための聖戦です。この世界秩序に刃向い、依然として臣従を拒むナユタとバルマンをこの大軍団で蹂躙し、すみやかに制圧致しましょう。」

 次の日、ヤンバーの命令一下、ビハールの城門が開かれると、二万五千の大軍が延々と長蛇の列を作って一斉に進軍を開始した。

 壮麗な鎧兜姿で進むヤンバーの前後を歩騎の精鋭が堂々と付き従い、濛々たる砂塵は尽きるところを知らず、色とりどりの旗幟をなびかせて威風堂々と進む軍列からの軍鼓の響きは天地を揺るがすばかりであった。

 しかし、ヤンバーとカーシャパの軍は思ったようには進軍できなかった。それは各地に根強く残る反ルガルバンダ勢力の抵抗のためで、いたるところでゲリラ的な攻撃に晒され、兵站が寸断された。これはバルマン師が周到に準備した反ルガルバンダ組織のたまものでもあった。

 ルガルバンダ軍に同行したリュクセスは頻繁に反ルガルバンダ勢力の有力者と連絡を取って懐柔に務めたが、なかなか思ったようには進展しなかった。

 ヤンバーとカーシャパが反ルガルバンダ勢力に手を焼きながらも進軍を続けているさなか、都では、イムテーベが出奔するという大事件が起こった。イムテーベは周到に準備した挙句、家中の一族郎党を引き連れ、夜陰に紛れて、出奔したのだった。

 イムテーベが国許に帰りつくと、既にバルカが戦さの準備を整えており、あとはイムテーベが号令をかけるだけだった。イムテーベはすぐさま全軍に号令し、イムテーベ軍八千が動き出した。ナユタに対しては、サヌートが一万五千から二万と言ったが、現実は八千がやっとだった。

 ともかくイムテーベ軍は動き出し、その目指す先は、かつてのムチャリンダの城だった。その城はルガルバンダがムチャリンダを倒した後、わずかの手勢が守備しているだけだった。

 イムテーベは大軍で城に近づくと投降を呼びかけた。城の守備隊はイムテーベの軍勢に恐れをなした。ルガルバンダの援軍が来るまで持ちこたえることができないのは明らかだった。ここでイムテーベに戦いを挑んで殲滅されるか、それともイムテーベ軍につくか。あくまでルガルバンダのために戦ういかなる義理も大義もない守備隊の答えは明白だった。

 こうしてムチャリンダの城を手中に収めると、イムテーベはここを新たな拠点とし、進撃を続けた。

 都ではルガルバンダが苦り切っていた。ルドラを呼びつけるとルガルバンダは叫んだ。

「なんということだ。イムテーベがまさか離反するとは。ルドラ、すぐ出陣してくれ。」

「かしこまりました。ただ、敵はイムテーベ。私の軍の八千だけで十分かどうか。」

「しかし、ヤンバーもカーシャパもナユタ征伐に向かっている。今はおまえしかいないではないか。」

「私としては、ヤンバー殿かカーシャパ殿に戻っていただきたく存じます。また、ルガルバンダ陛下ご自身の出陣もお願いせねばならぬかもしれません。」

「分かった。だが、イムテーベは進撃を続けており、まずはこれを食い止めねばならぬ。ともかくおまえが出陣し、イムテーベを防いでくれ。」

 こうして、ルドラは兵八千を率いて、イムテーベを防ぐべく出陣した。

 

 一方、反ルガルバンダ勢力を組織して抵抗を続けていたナユタの元には、シャールバとギランダがやって来た。ギランダはこれまでのいきさつを話し、ナユタ軍に加わることを懇願した。

 ナユタは言った。

「ギランダ殿。ともに戦ってくれるというなら、こんなありがたいことはない。ぜひ、力になってくれ。」

 こうして、シャールバとギランダは兵二千を率いてナユタ軍に加わり、ナユタ軍二千と合わせて四千の兵力となった。

 

 さて、ルドラはキュベレという場所でイムテーベを食い止めようとした。しかし、イムテーベはからからと笑って言った。

「ルドラごときが何をしようというのか。こんなわずかな軍勢でどうやってこのおれの軍団を止めようというのか。」

 そう言うと、全軍を散開させ、決戦の体制を整えた。戦いが始まると、イムテーベ軍の勢いがはるかに優った。ヒュドラを掲げるイムテーベの号令一下、右翼の騎兵の突撃が開始されると、ルドラ軍はその攻撃を防ぎ切れなかった。ルドラ軍の左翼の弓兵、歩兵はいとも簡単に蹴散らされた。

「くそ。」

と舌打ちしたルドラは、しかし、兵士たちに盾を並べた戦列を整えさせてイムテーベ騎馬兵を防がせるとともに、自ら騎馬兵を率いてイムテーベ軍に突撃した。

 しかし、宇宙一の軍神と言われるイムテーベにとって、それは読み通りでしかなかった。イムテーベは弓兵を並べてルドラ軍の騎兵を次々に狙い撃って騎馬兵を撃退すると、右翼の騎馬兵に総攻撃を命じた。この突撃は決定的だった。イムテーベ軍右翼の騎馬兵がルドラ軍の盾を並べた戦列を突き破ると、もはやルドラ軍は潰走するほかなかった。

 ルドラは歯ぎしりした。

「とても食い止めるのは無理だ。いったん退却して体勢を立て直すしかない。」

 ルドラは兵をまとめて退却したが、この報はルガルバンダを驚かせた。

 ルガルバンダはすぐに決断し、ナユタ征伐に向かっているヤンバーとカーシャパを呼び戻し、自身も出陣した。

 一方のイムテーベはルドラに対する勝利でさらに勢いに乗り、進軍を続けた。反ルガルバンダ勢力を取り込み、一万二千の大軍となって、ルガルバンダの都を目指した。

 ナユタ軍も動き出した。ヤンバーとカーシャパが退くと、こちらも反ルガルバンダ勢力を取り込みつつ進軍を続け、六千の兵力となって、イェンディという場所でイムテーベと合流した。

 イムテーベは野営地でナユタを迎えた。

「久しぶりだな、ナユタ。こうしておまえとともに戦う日が来るとは思わなかったがな。ところでどれだけの兵力を率いてきたのか。」

「六千だ。」

「六千。それだけか。少し不足だな。おれの軍団は一万二千。敵方は、ヤンバーの一万五千、カーシャパの一万、ルドラの八千。それにルガルバンダの二万五千が加わるだろう。これでは難しい戦いになるな。」

「そうだな。だが、兵数が多い方が勝つわけではない。」

「それはその通りだ。だが、昔の戦いではおまえのような勇者ひとりで百万の兵に匹敵したかもしれぬが、現代の戦いではひとりの力量より、軍としての総力がものをいうからな。」

 イムテーベはそれ以上は言わなかったが、不安は隠せなかった。特にイムテーベが気にしたのは、騎兵の少なさだった。

 

 一方のルガルバンダ軍は体勢を立て直してイェンディに進軍してきた。総兵力六万に近い大軍だった。ルガルバンダは、ヤンバー、カーシャパ、ルドラを集めると言った。

「総兵力は敵の三倍以上。力で圧倒するのだ。」

 カーシャパが答えた。

「おっしゃる通りです。負ける理由などありません。ただ、敵は、宇宙一の軍神と言われるイムテーベと英雄ナユタの連合軍です。決して侮ってはなりません。」

「それはその通りだ。カーシャパ。イムテーベに対するにおまえの知略がぜひとも必要だ。おれとカーシャパとでイムテーベに向かおう。」

「かしこまりました。」

 そう言って、カーシャパが頭を下げると、ルガルバンダは

「ナユタには、ヤンバーとルドラで向かってくれ。」

と指示した。

 こうして両軍の戦列が整い、今や戦端が開かれるのを待つばかりであった。

 次の日、夜明けとともに、戦いが始まった。カーシャパは騎馬兵による先制攻撃を仕掛け、これを契機に戦線は全軍に広がった。ヤンバーも勇んでナユタ軍への突撃を行い、激しい戦闘が沸き起こった。

 カーシャパの先制攻撃を受けたイムテーベは、馬上で叫んだ。

「カーシャパごときにおれの軍を崩れるものか。退路を断って殲滅せよ。」

 この指示に基づいて、イムテーベの軍は巧みに陣形を変え、カーシャパの騎馬兵を打倒した。しかし、カーシャパも全騎馬兵を投入して対抗し、戦いは激戦が続いた。

 一方、ヤンバーの突撃を受けたナユタも憤然と立ち上がった。馬上でかざしたのはマーヤデーバ。宇宙に久しく鳴ることのなかったマーヤデーバの轟音が戦場に響くと、ナユタ軍の意気はいやが上にも高まった。

 ナユタ軍が動き始めると、ヤンバー軍の陣形は次々に崩された。バルマン師、シャールバ、ギランダも奮戦した。ヤンバーは馬上で歯ぎしりしながら叫んだ。

「情けないやつらめ。引くな、引くな。数はこっちが多いのだぞ。」

 ヤンバーは馬を駆けさせ、自ら前線に飛び込んだ。勇猛さにかけては宇宙に右に出るものがないと言われたヤンバーの活躍でヤンバー軍は息を吹き返した。ルドラ軍もヤンバー軍を支えて果敢に戦った。

 イムテーベとカーシャパの戦いは、戦力で劣るイムテーベ側の奮戦が目立っていたが、カーシャパは冷静に戦列を建て直し、じりじりと劣勢を挽回していった。

 そして、カーシャパはルガルバンダに急使を出した。使者はルガルバンダの本陣に駆け込むと、激しい息遣いのまま、訴えた。

「カーシャパからの伝言をお伝え致します。後方の軍を今すぐ前線に出していただきたい。敵は次第に疲労が蓄積しているはず。一気にたたみかけたいとのことです。」

 これを聞くと、すぐさまルガルバンダは叫んだ。

「よし、カーシャパにすぐ軍を動かすと伝えろ。」

 ルガルバンダは部将たちに次々に指示を飛ばし、ルガルバンダの大軍がうねりだした。後方に待機していた精鋭は勇んで前線へと駆け、疲れから動きが鈍ってきたイムテーベ軍に圧倒的な兵力で襲いかかった。この攻撃が全体の趨勢を大きく動かした。イムテーベ軍は次第に押され始めた。

 そのころ、ナユタ軍はヤンバー、ルドラとの間で激戦を繰り広げていたが、イムテーベの懸念したとおり、騎馬兵の少なさが次第に全体の戦局に影響を及ぼし始めた。ヤンバーの騎馬軍団の機動力の前に、ナユタ軍の戦線は分断され、次第に統率が乱れ始めた。

 そんな中、劣勢を挽回しようと、ギランダはルドラ軍への突撃を敢行してルドラ軍を震え上がらせ、また、バルマン師とシャールバも戦場を駆け巡りながら奮戦したが、全体の戦局を転換させることはできなかった。ヤンバーはここを勝負どころと踏んだ。そして全軍に檄を飛ばした。

「今こそ、総攻撃だ。敵は崩れ始めている。一気に勝負をつけるぞ。」

 そして、自ら最前線に躍り込み、激闘する味方を鼓舞しつつ、次々とナユタ軍を倒していった。この総攻撃でナユタ軍の騎馬兵は完全に蹴散らされ、ナユタ軍は崩れ始めたのだった。

 シャールバは、混戦を掻き分けてナユタの元に駆け寄ると、悲壮な表情で叫んだ。

「ナユタ、もう無理だ。これ以上は持ちこたえられない。」

「しかし、ここで引くわけにはゆかん。留まって最後まで戦うまでだ。」

 興奮してそう叫ぶナユタに、シャールバは恐ろしい形相で叫んだ。

「ナユタ、自分を見失うな。もはや戦況を好転させることはできない。昔のように、少数の勇者の活躍で勝敗が決する時代ではない。マーヤデーバだけでは戦えない。そして、もうひとつ大事なことは、これが最後の戦いではないということだ。再起の機会は必ずある。」

「しかし、どう再起が可能というのか。ここで負ければ、ルガルバンダの覇権が確立するだけではないか。」

 冷静さを欠いてそう叫んだナユタに対し、シャールバは語気を強めて言った。

「おれはそうは思わぬ。辺境の地に引き、抵抗勢力を束ねる道はまだ残っている。だから、ナユタ、退いてくれ。しんがりはおれが務める。かつてのヴィンディヤの野の戦いを思い出してくれ。おれは身を捨ててでもおまえを守る。」

 この言葉がナユタを動かした。ヴィンディヤの戦いでシャールバが倒れた時のことが生々しく思い出され、ナユタは唇を震わせて言った。

「あの時ほど、自らの無力に心を苛まれたことはない。再びあの時と同じことは繰り返さない。シャールバ、退却しよう。だが、しんがりはおれが務める。シャールバ、バルマン師とともに、先に退却してくれ。」

「いや、しかし、」

 そうシャールバは言いかけたが、ナユタが遮った。

「これは総大将としての命令だ。すぐ行け。」

 ナユタ軍は総崩れになりながら、退却を始めた。しんがりを務めるナユタは、ヤンバー軍に対して大声で叫んだ。

「ここは一歩も通さん。」

 マーヤデーバの轟音とナユタの雄姿がヤンバー軍をひるませ、その隙にシャールバ、ギランダ、バルマン師が兵をまとめて戦場を離脱した。ナユタもしんがりを務めながら兵を引いた。

 戦いはヤンバーの大勝利となり、戦場にはイムテーベだけが取り残された。空を舞って両軍団の動きを逐一イムテーベに伝えていたサヌートが、ナユタ軍が戦場から離脱していることを告げると、イムテーベは

「そんなばかな。」

と吐き捨てるように叫んだ。そして、自分の目でナユタ軍の退却を確認すると、イムテーベは烈火のごとく怒りを発して言った。

「信じられん。この期に及んで退却とは。それが、宇宙にその名をとどろかせたナユタのとる道なのか。そんな情けないやつとは夢にも思わなかった。」

 だが、そんなことでへこたれるイムテーベではなかった。

「おれは軍神。戦いはこれからだ。」

 そうイムテーベは大声で味方を鼓舞し、戦場を駆け巡った。しかし、ナユタが戦場を離脱したことで、戦いの帰趨を変えることはもはや不可能だった。

 イムテーベの軍団は次第に崩れ、カーシャパの騎馬軍団がイムテーベ軍の騎兵を完全に蹴散らして、イムテーベ軍の後方への回り込んだことで、ルガルバンダ軍は包囲殲滅体勢を完成させた。

 イムテーベ軍は逃げ場もなく、次々に倒されていった。

 バルカは慄然として天を仰いだ。

「やはり、シュリーとともに戦ったときに、最後まで戦うべきだった。今となっては、もうどうにもならぬ。」

 バルカは混戦の中をかき分けてイムテーベのもとに駆け寄ると、大声で叫んだ。

「イムテーベ。もはやこれまでだ。だが、諦めてはならぬ。この戦場さえ離脱できれば、再起も可能だ。おれが道を開くから、続いてくれ。運があれば、また会おう。」

 だが、バルカは逃れられなかった。バルカの率いる一軍にはカーシャパ軍の騎馬兵が群がり、あっというまに倒していった。

 バルカが倒され、イムテーベは窮地に立たされた。そして、カーシャパはわずかな兵とともにいるイムテーベを発見した。カーシャパは叫んだ。

「イムテーベ、もはや道はない。国父の地位を振り捨てるという愚かな行為の結末が分かったか。観念するがいい。」

 イムテーベは叫び返した。

「おまえたちこそ、力と権力にものを言わせ、神の世界を蹂躙する不届き者ではないか。そんな者たちには決して屈しない。」

 そう叫ぶと、イムテーベは神器ヒュドラをかざし、先頭に立ってカーシャパ軍に突っ込んだ。さすがは軍神イムテーベ。圧倒的な破壊の力を有するヒュドラをかざすイムテーベの前には自然に道が開けた。カーシャパは声をからして味方を鼓舞した。

「逃がすな。こんな千歳一隅の機会はまたとない。イムテーベを倒して天下に名を馳せよ。」

 カーシャパ軍の騎士たちは次々にイムテーベに襲い掛かったが、イムテーベは次々にカーシャパ軍の兵士をなぎ倒した。しかし、多勢に無勢、イムテーベ軍の騎士たちは次々に倒され、ついにイムテーベのそばに味方の戦士は皆無となってしまった。イムテーベはヒュドラをかざしてなおも突進したが、その行く手にはカーシャパ軍の戦士の厚い壁が立ちはだかっていた。そして、イムテーベの回りをカーシャパ軍の騎士が取り囲んだ。

 カーシャパが指示を下すと、カーシャパ軍の戦士が一斉にイムテーベに襲い掛かった。もはや神器ヒュドラと言えども道を切り開くことはできなかった。かつて一度も戦場で倒されたことのなかったイムテーベ、パキゼーの力で倒された以外、誰にも倒されたことのなかったイムテーベ、その宇宙一の軍神イムテーベがついにカーシャパ軍の前に倒されたのだった。

 イムテーベを倒すと、カーシャパ軍は大きな凱歌を挙げた。戦いはルガルバンダ軍の完勝だった。

 サヌートは落胆し、

「イムテーベの時代は終わった。そして、私の時代も終わった。」

とつぶやくと、ひとり空へと舞い上がり、森に向かって飛んでいった。

 

 ナユタ軍はしんがりを務めるナユタの奮戦で、なんとか戦場を離脱し、バルマン師の館まで退却した。

 しかし、そこでも安閑としているわけにはゆかなかった。すぐさま、ルドラの大軍が押し寄せたからだった。ルドラは守護神のサヴィトリのごとく黄金の車に乗り、黄金の鎧兜姿で現われると、城砦に向かって大音声で叫んだ。

「ナユタ。ルガルバンダへの朝貢を拒み、ユビュを略奪したおまえはまさに朝敵だ。だが、ここで己の非を認め、ルガルバンダに臣従するなら、兵を引こう。だが、そうでないなら、この大軍で揉みつぶすだけだ。」

 それに対して、ナユタは城壁の上にバルマン師とともに現れて叫んだ。

「ルドラ。正義の何たるかを顧みず、ただ、いたずらに武力だけに頼るおまえたちに未来はない。ここにもただただ数を頼みに大軍で押し寄せているが、数がすべてではないことを思い知るだろう。」

 ルドラは叫び返した。

「ナユタ、おまえは自分が大義だと思っているかもしれぬが、それは昔の話だ。大義はルガルバンダにある。おまえはただの反逆者だ。」

 そう言うと、ルドラは味方の兵士にナユタを撃てと命じて矢を射かけさせたが、ナユタとバルマン師は早々に引っこんだ。

 夜になってバルマン師の館は重苦しい空気に包まれた。バルマン師は言った。

「ナユタ、ここは危険だ。ここは強固な城砦とはいえ、ルガルバンダの大軍に攻められては長くはもつまい。残念だが、今はここを脱出して別な拠点に行くしかない。シャールバ。ウバリートはどうだろう。ウバリートであれば、ルガルバンダもそう簡単にはやって来れないし、残された兵力を温存する点からも最適だと思えるが。」

 だが、シャールバは唸って答えた。

「たしかに、ウバリートまで行けるならそれが一番良いと思えます。しかし、これだけの兵をどうやって連れてゆけばよいのでしょうか。敵が追撃してくるのはまちがいないでしょうし。」

 バルマン師はうなずきながら答えた。

「手がないわけではない。この城の後ろは崖になっているが、細い道がついており、崖を下ると間道が通じている。敵は悟っておるまいがな。その間道を進むとヤンベジ河という広い川に出る。そこに架かる橋を渡った後、橋を破壊すれば、敵の追撃をしばらくの間かわすことができだろう。」

 この言葉を聞くと、シャールバの顔はぱっと明るくなった。

「では、ぜひ、そうしましょう。」

 こうして、この城砦を出てウバリートを目指すこととなったが、ナユタは別のことを言った。

「シャールバ、この兵をウバリートへ連れてゆくことは賛成だ。たが、私自身はウダヤ師を訪ねてみようと思う。これからのことも含め、ウダヤ師に相談したいのだ。」

 この言葉はシャールバを驚かせたが、シャールバは冷静に答えた。

「ウダヤ師に相談するのは悪くない。ただ、ウダヤ師のところはここより中原に近く、ルガルバンダの目もある。危険を伴うぞ。」

「それは分かっている。だから、兵は連れてゆかぬ。兵とともに行こうとすれば、すぐにルガルバンダに察知されるだろうかなら。兵は、おまえが率いて、ウバリートへ向かってくれ。」

 シャールバは賛成ではなかったが、ナユタの意思が固そうなのを見て、言った。

「分かった。おまえがそうすると言うならそれでいいだろう。では、バルマン様、ともにウバリートへ行きましょう。」

 これに対して、バルマン師は答えた。

「いや、わしはマーシュ師を訪ねてみたい。ユビュもおるしな。これからのことを考えると、ユビュのことを考えないわけにはゆかない。あまり多くの手勢は要らぬので、十数騎の兵士とともに行きたいがどうだろうか。」

 これに対して、ナユタが答えた。

「バルマン様、分かりました。ぜひ、マーシュ師を訪ねてください。ただ、ここを抜け出せたとしてもルガルバンダの追手も来ましょうから、気を付けて行ってください。」

 シャールバが改めて言った。

「では、私はギランダとともに、ウバリートで兵力を蓄えます。ですが、バルマン様。マーシュ師の館にはユビュもおり、ルガルバンダがそのまま放置しておくとは思えません。遠からず、危難が迫る可能性もあります。その時の備えをぜひよろしくお願いいたします。」

「そうだな、心しておくとしよう。」

 バルマン師がこう答え、この城砦から抜け出すことが決まったが、次の問題はどうやって敵に悟られず抜け出すかだった。シャールバが言った。

「敵の追撃を受けては厄介なことになる。できる限り時間を稼ぐことが必要だが。」

 これに答えたのはギランダだった。

「バルマン師に教えていただいたのですが、この城には様々な仕掛けがあります。また、私自身にも策があります。それらを駆使し、時間を稼げば、ウバリートへたどり着けるでしょう。」

 そう言って、ギランダはさらに詳しい策を説明した。

 次の日から、バルマン師、ナユタ、シャールバが密かに落ち延びていった。

 一方、残ったギランダは部下に言った。

「こちらの兵力が減っていることを悟られてはならぬ。こちらが隙を見せねば、敵は総攻撃のための万全の準備を整えてようとするだろう。その分、こちらは時間を稼ぐことができる。」

 ギランダは城壁にたくさんの幟を立てさせ、かまどからの煙を絶やさなかった。また、定期的に城内で大きな鬨の声を上げさせ、武器を打ち鳴らさせた。物見やぐらには兵士を立たせ、臨戦態勢にあることを誇示した。

 一方のルドラは、この砦をどう攻略するか部将たちと協議を重ねた。

「敵は徹底抗戦の構えだな。大軍で包囲しているとはいえ、この城砦は堅固で、しかも相手はナユタだ。一気に攻める手もあるが、甘く見ては痛い目に合う。無理に攻めてはいたずらに犠牲を増やすだけになりかねない。攻城戦の準備が必要だ。」

 ルドラはそう言って、複数の個所からの同時総攻撃を行うべく、攻城兵器の準備を進めさせた。

 そんなある日、突然、城砦の門が開け放たれた。そして城内は静寂に包まれていた。ルドラ軍がなにごとかと騒然とする中、武装を解いたギランダがひとり物見やぐらに現れ、悠然と箏を吟じた。

 ルドラ軍ではさまざまな憶測が乱れ飛んだ。ある者は、

「これは何か計略があるのではないか。安易に踏み込むのは危ない。」

といぶかった。しかし、

「これは空城の計に違いない。」

と断言したのは部将のハルバシフだった。

「門を開け放ち、無防備を演じる策について昔学んだことがあります。空城の計と言われ、何か策が隠されているのではないかと敵方に警戒させ、突入をためらわせる策です。しかし、これは、策に窮したときの手であり、もはや敵には手がないことを如実に語っています。空城の計に惑わされてはなりません。惑わず突入すれば、敵を全滅させることができはずです。」

 そう語るハルバシフに、ルドラはなおも

「ナユタの機略が隠されているのではないか。」

と疑心を隠さなかったが、ハルバシフは

「私に突入を指示いただければ、先陣を切って敵を制圧して見せましょう。」

と自信に満ちた言葉を繰り返した。

 この言葉にルドラは決断し、

「いいだろう。ハルバシフ、空城の計を打ち破るがいい。だが、くれぐれも用心を怠るなよ。」

と攻撃を許可した。

 ハルバシフは歩兵部隊を率い、一応、敵の反撃を警戒しつつも城内に入った。

 その時だった。突然、城門の付近の兵士たちの上から高温の油が落ちてきた。「わー。」という兵士たちの悲鳴や驚きの声が上がった次の瞬間、その油は燃え上がり、さらには、大きな音を立てて城門が閉じた。これこそがバルマン師が用意していた仕掛けの一つだった。

 驚くハルバシフに向かって四方八方から矢が飛んできた。城内に入ったハルバシフの部隊は殲滅され、物見やぐらには再びギランダが現れて、悠然と箏を吟じた。

「やはり計略だったか。」

 そう言ってルドラは悔しがり、総攻撃の準備を急ぐよう改めて指示した。一方のギランダは、櫓を下りると、全軍に出発の準備をさせた。そして、夜になると再び城門を開けさせ、夜陰に乗じて城砦を抜け出したのだった。そして崖を下って川を渡ると一路ウバリートを目指した。ギランダはわずかの手の者を城内に残したが、彼らは、いつでも間道から逃げる準備を整えた上で、引き続き、かまどからの煙を上げ続け、銅鑼を打ち鳴らしたのだった。

 数日後、ルドラは全軍に号令をかけ、総攻撃を開始した。しかし、そこでルドラ軍の兵士が見たものはまさに空の城であった。ルドラは、

「ナユタを用心しすぎた。あまりにナユタの力を恐れ、攻城兵器の準備など万全を期そうとしすぎた。」

と地団太踏んで悔しがり、

「無駄かもしれぬが、ナユタを追え。」

と指示したが、兵士が発見したのは切り落とされた橋の残骸だけだった。

 

 さて、バルマン師の館を脱出したナユタは単身、ウダヤ師のもとにやって来た。ウダヤ師は驚き、目を潤ませてナユタを迎えた。

「ナユタ、戦さのことは聞いておる。まさかおまえがここに来るとは思わなかった。ともかく中に入るがいい。このあたりにもルガルバンダの手のものが入り込んでおる。気付かれてはまずいからな。」

「ウダヤ様、ありがとうございます。戦さに敗れ、面目ありません。ですが、どうしてもウダヤ様のご助言を賜りたく、わざわざここまでやってきました。」

「そうか、ともかくゆっくりするがいい。」

 ウダヤ師はナユタにゆっくりと湯を使わせ、気持ちのいいさらの衣類を身に着けさせ、温かい料理と酒でもてなした。

「ウダヤ様、ほんとうにありがとうございます。」

 改めて礼を述べるナユタにウダヤ師は温かく語りかけた。

「このたびの戦いはたいへんだったな。バルマン師やシャールバの消息は聞こえてこぬが、知っておるか。」

「シャールバとギランダは、残った兵士とともに、もとの拠点ウバリートを目指して落ち延びてゆきました。バルマン師はマーシュ師の元に向かわれました。残念ながら、それ以上は分かりませんが、みなうまく落ち延びたものと信じています。」

「そうか、みなが無事であれば良いがな。ところでイムテーベが倒されたことは聞いておるか。」

「えっ。」

と、ナユタは一瞬声を失った。

 ウダヤ師は続けた。

「知らなかったか。イムテーベもバルカもカーシャパに倒されたということだ。これで天下はルガルバンダのものであることが明らかになった。ナユタ、これからどうする。」

「ウダヤ様、実はそのことについてご意見をうかがいたく、ここにやって来ました。私は依然としてルガルバンダと戦わねばならないと考えています。ただ、それにはどうすればいいか。この戦いに敗れ、体勢を立て直すのも容易ではありません。しかもイムテーベが倒されたとあっては、もはや組むべき相手もおりません。」

「そうだな。ほんとうに難しい時代になったな。だがな、ナユタ。この時代をなんとしても転回させねばならないと考えている者は決して少なくはない。それがこれからのおまえの支えとなるだろう。」

「ですが、ウダヤ様、ルガルバンダが支配する中原では、この時代に満足し、ルガルバンダの絶対支配に支えられた繁栄を支持する神々が多数いるのも事実です。」

「たしかにな。実際、ルガルバンダはこの今の時代を偉大な時代と称しているおり、それを多くの神々が支持している。ルガルバンダの中央集権支配は、ある意味では、自由の放棄や制限でもあるが、多くの神々は、むしろルガルバンダの中央集権支配によってもたらされる物質的繁栄に満足し、それが故に、ルガルバンダの支配を善しとしている。特に、ルガルバンダ体制に取り込まれた中間支配層は、下位の者から搾取する権限を与えられ、一面では体制を支え、一面では己の私腹を肥やしている。だが、多くの神々がほんとうに豊かな心をもっているのかどうか。この宇宙において、これほどの独裁制と専制政治を可能とする絶対権力が実現したことはついぞなかった。ルガルバンダは全宇宙のすべての書物を読破したとも言われ、実際かつては立派な神であったかもしれぬが、そんな優れた神も絶対君主の椅子に座れば、かつての心は捨て去ってしまったようにも見える。それは栄華によって驕慢が生じ、また、権力維持に対する執着と猜疑心とに凝り固まってしまうからだろう。だから、ルガルバンダは他の神々に対する敬意を失い、独断でことを行う尊大な神になってしまい、それに近づく者はお追従を欠かさないへつらい者になってしまう。そして、そんな世界で、かつての神々に宿っていた清貧の心、求道者の心にも通じる高貴さと純朴さといったものは急速に失われつつある。だから、心ある神々はそれを善しとせず、中原から脱出して次々と辺境に地に移り住んでいる。彼らに安心して暮らせる場を提供するにはどうすればよいか、それにはルガルバンダを倒すほかない。」

「ウダヤ様、私も同じ考えです。ルガルバンダは、専制支配と同時に、神々に繁栄を提供することで専制政治を正当化し、同時に神々の支持を得ています。そして、多くの神々が支持していることが、ルガルバンダの力の源泉の一つとなっていることも否めません。」

「たしかにな。だが、中原でルガルバンダを支持している神々の多くも、自らを見失い、流されているに過ぎない。世界は虚偽と悪事と嫉妬と憎悪ばかりが埋め尽くす世界となってしまった。賄賂と裏取引と陰謀が常に世界の底流で渦巻いている。まるでかつての創造された人間たちの世界のようだ。これもみな、ルガルバンダが富と権力を軸に世界を構築したからにほかならぬ。神々に自らを取り戻させるためにも、ルガルバンダの支配を崩すことが必要だろう。だが、実際にこれからどうするかは難しい問題だな。しばらくここにいてもいいが、ルガルバンダもおまえを探しておろうから、そう長くはおれまい。どこかの拠点で力を蓄えることも必要かもしれぬが、ナユタ、一度、森に行ってみる気はないか。」

「森にですか?」

 思いがけないウダヤ師の言葉にナユタはそう聞き返したが、ウダヤ師は諭すように言った。

「そうだ。森にだ。森であれば、ルガルバンダも手出しはできぬ。そして、森には先神たちの叡智が今なお息づいている。この近くの森に、昔からよく知っているバラドゥーラという仙神が住んでいる。あらゆる卑俗なものから離れて暮らす賢者だ。彼を訪ねてみてはどうかと思うが、どうじゃ。」

 このウダヤ師の言葉にうなずいて、ナユタは言った。

「分かりました。お勧めに従いたいと思います。どうすれば、そのバラドゥーラ仙神のもとへ行けるのでしょうか。」

「わしが使者を出して知らせておくよ。数日、ここでゆっくりして、それから出かけるがいい。」

 こうしてナユタはウダヤ師の元に留まったが、ウダヤ師のもとにはルガルバンダからの使者がすぐにやって来た。

 使者はウダヤ師に面会すると言った。

「ナユタとその一味はルガルバンダ陛下との戦いに敗れたあと行方知れずになっていますが、ルガルバンダ陛下は必死にその行く手を探っております。ナユタのことをご存じではありますまいか。」

「そんなことのために、ここまで来られたのか。ここにはナユタに関する何の情報もない。」

「そうですか。では、もし、ナユタに関する情報がありましたら、すみやかにお知らせください。ところで、最近、この屋敷に出入りする者の数が増えたようにお見受けしますが、なにか事情がおありなのでしょうか。」

 こう問いかけた使者のまなざしがきらりと光り、まっすぐにウダヤ師を見つめた。ウダヤ師は不機嫌そうな顔で答えた。

「それは、ルガルバンダの戦いのことでいろいろ世の中が騒がしくなっているためじゃよ。まったく、この世界は住みにくくなったものじゃ。今日もおまえのようなものが押し掛けて来るしな。」

「そうですか。たしかに、ウダヤ様には愉快ならざることもあろうかと存じますが、これもルガルバンダ陛下がこの宇宙に真の平和を具現されんがためのこと。どうかご理解いただきたい。ですが、一方で、万が一、ナユタの一味を匿いでもされれば、いかに、この宇宙で敬意を表されているウダヤ師といえども容赦されませんぞ。そのことだけは肝に銘じていただきたい。」

 ウダヤ師は怒気を含んだ声で答えた。

「ずいぶんと横柄な口をきくものだな。かつてなら、おまえなど、今の暴言によって地の果てまで吹き飛ばされていたであろうに。」

 使者はそれには答えず帰って行った。

 ウダヤ師はすぐにナユタにルガルバンダの使者が来たことを告げた。ナユタは事態が容易ならざることを理解し、次のように言った。

「ウダヤ様、ご迷惑をかけてほんとうに申し訳ございません。明日にでもここを立ち、森のバラドゥーラ仙神を訪ねたいと思います。」

「それが良いだろう。バラドゥーラからの返事はまだだが、こちらからの使者は着いているはずだ。それから、わしはシャールバのところへ行こうと思う。」

「シャールバのところへですか?」

「ああ、ここにいても、ルガルバンダの手の者がうるさかろうしな。実は、思うところがあってな。」

「そうですか。分かりました。シャールバのいるウバリートまでは遠い道のりとなりましょう。どうか、ご無事で。」

 

 次の日、まだ夜も明けぬ前にナユタはウダヤ師に別れを告げ、森に入って行った。

 ウダヤ師に教えられたとおりに数日歩き進むと、一軒の古びた小屋に行き当たった。ちょうど夕暮れが近かったが、小屋からは煙が上っていた。恐る恐る近づくと、ひとりの神が出てきた。

 朴訥とした風情を漂わせてはいたが、どこか凛とした毅然さが感じられ、柔らかい表情の奥に潜む眼光には鋭いものがあった。まさに賢者の相と言っていいものだった。

 その神は語りかけた。

「ナユタか。待っておったよ。」

 ナユタは恐る恐る問いかけた。

「バラドゥーラ仙神でいらっしゃいますか。」

 老神は、

「ああ。」

と答え、さらに、

「小屋に入るがいい。」

と言って、先に立って小屋に入っていった。

 仙神について小屋に入ると、そこでは料理がぐつぐつと煮立っていた。バラドゥーラ仙神はナユタを座らせ、奥から酒瓶をもってきて言った。

「これはソーマ酒じゃ。今では飲む者も少なくなったがな。霊力の源が宿っている聖なる飲みものじゃ。」

「ソーマ酒はインドラの飲み物と聞いています。」

「ああ、そうじゃ。そもそもは、ソーマ酒はトヴァシュトリのものだったが、インドラがヴリトラを討ったとき、強大なアシュラに立ち向かうためにトヴァシュトリ神から取り上げて痛飲したことで有名だ。実際、この飲み物から力を得てインドラはヴィリトラを討つことができたと伝えられておる。」

 そう言うと、バラドゥーラはナユタの杯に酒を注ぎ、自分の杯にも注いだ。ソーマ酒を飲むと、これまでの苦労による疲労がすーっと抜けてゆき、再び心に力が注ぎ込まれるような気分だった。

「ソーマ酒はソーマの木から採った樹液を発酵させた乳状の酒で、生命を司る飲み物でもある。改めてだが、ナユタ、よく来たな。待っておったよ。ウダヤからの使者もあったのでな。」

 仙神はそう言い、料理を勧めた。

「わしはナタラーヤもヴィカルナも知っておるし、バルマンやウダヤやマーシュとも親しかった。ムチャリンダやルガルバンダ、イムテーベのこともよく知っておるよ。前々回の創造以来のおまえのことも知っておる。」

 ナユタは驚きながら、聞いた。

「バラドゥーラ様はどういう神でいらっしゃるのですか。宇宙のできごととはどのように関わってこられたのですか。ここにはいつから住んでおられるのですか。」

 バラドゥーラは笑いながら答えた。

「わしは特に何ものでもない。ただの世捨ての神にすぎん。わしは特に高い意志ももっておらんし、理想も目標もない。ただ、淡々と日を送ってきただけじゃ。昔、ナタラーヤやヴィカルナは崇高な理想を掲げ、宇宙のあるべき姿と偉大な創造について真摯に取り組んでおった。だが、そんなことはわしにはどうでもよかった。わしが理解するところでは、わしらはただ、理由もなく、ただ、この宇宙に存在させられることになっただけ。何かをなさねばならないわけではない。ただ、何かをなさねばならぬと考える神が複数あり、そして互いの考えが異なることから、この世界の様々なことが引き起こされているだけだ。わしはそんなことを悟ってから、ここに引き籠もっておる。まだ、ナタラーヤやヴィカルナがこの宇宙の中心で活躍しておったころからじゃよ。」

 ナユタは考え込むように言った。

「同じような考えを人間のパキゼーも持っていたように思います。」

「その通りだな。パキゼーの啓示が宇宙にあまねく光を放ち、その後、ユビュのタンカーラによってすべてが帰滅したときも、わしはただここで日々を送っていた。だがな、ナユタ。わしにはこうなることが分かっておったよ。」

「それはどういうことでしょう。」

「パキゼーの教えは途方もなく素晴らしかった。だが、存在者たちの追い求めるものはそれとは別にあるということじゃ。だから、神々は別のものに追い立てられ、世界は衝動的に痙攣し、分裂を繰り返す。そして、おまえもそのただ中にいる。もし、おまえがその世界から離別する気があるなら、ここに住み続けるがいい。森は結界によって守られており、ルガルバンダの兵も踏み込んではこれぬ。だが、ナユタ、おまえはここには留まれまい。おまえもまた、自らの衝動によって突き動かされている神のひとりだからだ。」

「それはやはり愚かなことでしょうか。」

「そうだな。愚かなことだな。だが、それがおまえの定めということでもある。おまえはおまえの道を行くしかあるまい。」

 ナユタは考え込むように聞いた。

「バラドゥーラ様、正直なところ、その道が今は見えていないのです。それで、ウダヤ師に教えられ、こうして森の叡智を学ぶべく、ここに参っているのです。」

「ああ、知っておるよ。だがな、ナユタ。ひとつ聞くが、おまえ自身にはこれからどうするか、考えはないのか。」

 少しばつ悪そうにナユタが答えた。

「はい、正直、途方に暮れています。シャールバのウバリートに行き、味方を集めたいと考えているのですが、仮にウバリートにたどり着いたとして、そこからどうやってルガルバンダに対抗すればよいか分かりません。」

 バラドゥーラ仙神はこのナユタの正直な言葉にうなずいた。

「そうであろうな。だが、せっかくここに来たのだ。しばらく、ここに留まるといい。わずかではあるが、知恵を授けよう。」

「ありがとうございます。それはどんな知恵なのですか?」

「は、は、は、は、は。それは明日になれば分かるよ。ともかく、今日は疲れていよう。ゆっくり休むがいい。」

 そう言うと、バラドゥーラはナユタを二階の寝室に案内した。

 次の日、ナユタが起きだすと小屋には誰もいなかった。小屋の外に出ると、燦々と日が降り注いでいた。森の木々に包まれた空気が新鮮で、光が楽しげに舞い踊っていた。

 しばらくすると、森の小道からバラドゥーラが現れた。

「魚を釣ってきたぞ。」

と言って、バラドゥーラ仙神は釣ってきた魚を見せた。

 そして、釣竿を小屋の入り口のそばに立て掛けるとナユタに言った。

「ナユタ、薪を割るのを手伝え。」

 仙神は薪を手早く次々と割っていった。

「ナユタ、薪を割ったことはあるか?」

と言われてナユタが首を横に振ると、

「じゃあ、一度やってみろ。」

とバラドゥーラはナユタに斧を渡した。

 薪を置いてナユタが斧を振り下ろすと、薪はきれいに真っ二つになった。しかも、割られた面にはまったくささくれがなく、まるでカンナで磨き上げたような美しさだった。

 仙神は笑顔で言った。

「さすがだな。さすが、マーヤデーバを使いこなす達神だけのことはあるな。」

 バラドゥーラは薪で火をおこし、釣ってきた魚を串に刺して立て掛けて焼いた。仙神はそばの切り株の上に腰を下ろすと言った。

「なあ、ナユタ。ウバリートへ行くのはわしも賛成だが、それだけでは道は開けんだろうな。ルガルバンダはどうしてこれだけの勢力となったと思う?」

 ナユタが答えられずにいると、バラドゥーラは続けた。

「ルガルバンダは武将としては決して抜きんでているとは言えぬ。勇猛さではヤンバーが上だし、破壊の神と言われたムチャリンダや軍神イムテーベの方がはるかに力があった。おまえと比べても、おまえの方が強いだろう。だが、ルガルバンダは、ムチャリンダを倒し、シュリーを倒し、イムテーベとおまえにも勝った。それは神々の心を掌握する力があるからだ。ルガルバンダはおまえも知っている通り、宇宙のあらゆる書物に精通し、論陣を張って敗れることがないと言われる神だ。それゆえ、ルガルバンダはこの世界のさまざまな事象について深い洞察力と予見力を有し、それに基づいて巧みな弁舌で神々を掌握している。だが、ナユタ、かつてのマーシュ師の館の戦いではおまえが勝利した。なぜだか、分かるか?」

 真剣なまなざしで耳を傾けるナユタに、バラドゥーラ仙神は一呼吸おいて続けた。

「かつての創造の是非を巡る戦いでは、正義が問われたからだ。いかなルガルバンダが自らの主張を正当化すべく巧みな論陣を張ったとしても、創造を救わねばならぬというおまえの真摯な思想を上回ることができなかったのだ。真理は単純だが、底知れぬ力を持っている。だが、今世の戦いでは、もはや真理は論議の的ではなく、この世界は欲望の渦巻く勢力争いの場となってしまった。だから、神々は己にとって有利となるよう動く。その機微を巧みに捉え、つなぎ合わせてルガルバンダは大勢力を築いているのだ。」

「では、それに対するにはどうしたら良いのでしょう。」

「ナユタ、本質を見失わぬこと、それがもっとも大切だ。ルガルバンダは欲望に突き動かされる神々を糾合して大勢力を築いたが、その出来上がったものがほんとうに神々が望んでいたものかどうか。ルガルバンダの帝国ができても、依然として、常に欲望に突き動かされる争いが世界の本質であり続け、真の平安はそこにはない。それが本当に神々が望むものかどうか。覇権によって築き上げられた世界ではなく、平安と魂の清浄さが本質にある世界を築き上げようとするとき、そこには本質的かつ根源的な戦いが沸き起こる。おまえの道はその戦いを戦うことかもしれぬな。」

 ちょうど、魚が焼きあがったので、仙神はナユタに勧め、自分も魚にかぶりついた。

「どうだ、うまいだろう。調理し、素晴らしい味付けのなされた料理も素晴らしいかもしれぬが、こうして取れたてのものをそのまま食べるのもまたいいもんだろう。」

 そう言うと、バラドゥーラは、籠の中から取ってきた果物と木の実もナユタに勧め、話を続けた。

「ルガルバンダのことはわしもよく知っている。昔、ともに学んだこともあるのでな。だが、わしは友にはなれなかった。ルガルバンダは確かに天才的な論客だったが、常に、自分、自分という自己中心的な考えの持ち主でもあった。攻撃的な目立ちたがり屋で、傲慢なエゴイストでもある。他の神が編み出した論法を盗んできては自分が発見した論法と言い張り、心ある神はルガルバンダの元を立ち去った。彼は、自尊心が強く、自惚れ屋で、しかも、競争心が強いやつだった。謙虚を装ってはおるが、心の底には黒い野望が渦巻いている。たしかに、類まれな才能を持ってはおるが、理想はもっておらん。ルガルバンダにとって、真理は、ただ、相手を説き伏せるための道具でしかなく、追い求めるべきものではないのだ。彼は、ささいなことでよく他の神と喧嘩した。だが、宣伝の巧みさも彼の才能だった。多くの神が羨んでおったがな。新造語の乱造によって見た目だけの新しさを追求していったことは疑いの余地がない。だから今も、自らの権勢以外に真の目的を持っておらぬ。ナユタ、おまえは理想と目標をもっておろう。」

 ナユタは考え込みながら答えた。

「しかし、バラドゥーラ様、今、私にはその理想と目標がよく見えていないのです。それがルガルバンダが確立したような覇権ではないことだけは確かです。ただ、例えば、ユビュは、理想はパキゼーが指し示したと言い、それに則ろうとしています。また、ヴィクートも同じような考えから、宇宙の淵に引きこもっています。しかし、それがほんとうに理想なのかどうか、それも私にはよく分からないのです。」

「そうだな。パキゼーの教えはたしかに素晴らしかった。途方もなく高貴であった。そして、それを求めるユビュやヴィクートの姿勢も敬意を表するに値するだろう。だが、残念ながら現実の世界はそれによって成り立たってはいない。ブルーポールの輝きは失せ、パキゼーの尊い教えも空無の中に霧散したに等しい。むしろ、心ある者たちが隠遁することで、ルガルバンダのようなさもしい者が権勢を奮い、おぞましい風が大地の上を吹き荒れることになる。この現実の世界で何が真に神々の心を満たし、何が神々の真の平安となるかということだ。そのことに心をいたし、神々に訴えかけることだ。きっと少なからぬ神々の心がおまえになびくだろう。それにしてもおまえたちはたいへんな時代に生きておるな。」

 そう言うと、バラドゥーラ仙神は立ち上がって後片付けを始めた。

 こうして、ナユタの新しい生活が始まった。朝、夜明けとともに起き、森の中に入って木の実や果物を取ったり、川や湖で魚を釣ったりした。

 昼は晴れていれば、小さな畑を耕したり、薪を割ったりし、雨の日には、バラドゥーラがもっている膨大な巻物を読破した。夜には、バラドゥーラはしばしばナユタを外に連れ出して、星を見ることを教えてくれた。

 その生活はナユタにはたいへん新鮮であった。そして、その生活の中で、バラドゥーラは、しばしば、ナユタと問答を繰り返した。

 バラドゥーラは言った。

「ユビュはどうしておるのかな。」

「ユビュはまだ自分の領域に引き籠もっています。この戦乱の中でもユビュは動じることなく、パキゼーの教えに沿って生きています。」

「そうだな。だが、それもいつまで続くものか。」

 その言葉に、ナユタは驚いたようにバラドゥーラを見つめた。バラドゥーラは諭すように言った。

「ナユタ、おまえもまだ時代が見えておらぬな。ルガルバンダはこの神々の世界での覇権を狙っている。そのために、ユビュの存在は決して見過ごしていいものではないだろう。だから、ルガルバンダの覇権を砕くのはユビュに他ならない。おまえたちには絶対的にユビュが必要なのだ。」

 ナユタはこのような会話を毎日のように繰り返しながら森に留まった。

 

 一方、バルマン師は城砦を抜け出してナユタと別れた後、マーシュ師の館をめざした。そして、その道でバルマン師はプシュパギリに出会った。

 プシュパギリはシャンターヤをはじめ数神の従者を従え、バルマン師が馬を走らせる道で待ち受けていた。バルマン師がそれに気づいて馬を止めると、プシュパギリは駆け寄ってあいさつした。

「バルマン様、お久しぶりでございます。プシュパギリです。」

「おお、プシュパギリか。」

 驚いてそう言ったバルマン師にプシュパギリは語った。

「このたびの戦いのことは聞き及んでおります。なんとか、ナユタの陣に馳せ参じたいとは思いつつも、戦力が整わず、また、ルガルバンダの手の者の警備や落ち武者狩りも厳しく、駆けつけることができませんでした。まことに申し訳ありません。」

「そうか。わしはナユタと別れ、マーシュ師の館を目指している。ナユタはウダヤ師のもとに向かった。シャールバとギランダはウバリートを目指しているはずだ。プシュパギリ、また、ともに戦う気があるなら、一緒にマーシュ師のもとに参らぬか。」

 この申し出にプシュパギリは涙を浮かべて答えた。

「ありがとうございます。お供させていただきます。」

 こうしてバルマン師はプシュパギリ、シャンターヤとともにマーシュ師の館をめざしたが、途中で入ってきた知らせは、マーシュ師の館がルガルバンダの軍に襲われ、マーシュ師もユビュも行方知れずということだった。

「なんということだ。この世界にはもはやルガルバンダに臣従する者しか存在しえないというのか。」

 バルマン師はそう嘆いたが、プシュパギリはこう言って励ました。

「しかし、ルガルバンダに捕らわれたということではないので、きっとどこかをさまよっておられるはず。一刻も早く見つけ出してお助けせねばなりません。先を急ぎましょう。」

「その通りだな。」

 バルマン師とプシュパギリ、シャンターヤはマーシュ師の館をめざした。マーシュ師の館に近づくとそこにはたくさんのルガルバンダの幟が立っており、兵士たちが忙しく出入りしていた。

「これ以上近づくのは危険だな。迂回して、マーシュ師とユビュを探そう。」

 バルマン師とプシュパギリ、シャンターヤは近くの村に潜んで情報を集めた。数日すると、近くのバクテュエスという小さな街の長老がふたりの有力者とひとりの若者を伴って密かにやって来た。

 長老は、バルマン師、プシュパギリ、シャンターヤと挨拶を交わすと、さっそく言った。

「ルバルガンダ軍が来るという知らせが、しばらく前に入りましたので、マーシュ様とユビュ様は、私どもで密かにベルジャーラという小さな村にお連れしました。ベルジャーラは小さな寒村ですが、バクテュエスからさらに二山も越えねばならず、ルガルバンダの勢力はまったく及んでおりません。おふたりはそこの廃墟の山城に潜んでおられます。」

と伝えた。

 バルマン師が安堵した。

「そうか。それは良かった。それにしても、ありがたい知らせだ。どうなったかと大変心配しておったからな。」

 長老は続けて説明した。

「この地の神々は、みなユビュ様のご苦労に心を痛めております。ルガルバンダはかつては立派な神だったかもれませぬが、今は、野心のためなら手段を選ばぬ神になり、卑劣な行為をいささかも恥じようとしません。ルバルガンダの元には、かつてユビュ様を支えたカーシャパがいるのでしょうが、彼もこの暴挙を阻止しなかったとは嘆かわしい限りです。」

 そう言うと、長老ははらはらと涙を流した。バルマン師はねぎらいながら語った。

「だが、ともかく、皆様がたのご努力により、ユビュとマーシュ師が無事とあれば、それだけでもありがたいことだ。この苦境にあって、頼れるものは、信義を重んじる神々の良心をおいてほかありません。」

 長老は大きくうなずいて言った。

「その通りでございます。そもそも、価値あるものと無きものはそれぞれ良きものと寄り添うか、それとも悪しきものと寄り添うかによって決まるもの。古来より言われている通り、愚者と交われば最後には幻滅を味わい、善良で誠実なものと交われば真の喜びが生まれます。低きに流れるものは己自身を軽んじているのであり、義の神と交われば自然と行徳が得られるもの。我らは断じてルバルガンダに心服することはなく、どこまでもユビュ様をお支え致しましょう。」

 そう言うと、長老は連れてきていたひとりの若者を紹介した。豊かな髭を蓄えた精悍な顔つきに思慮深げなまなざしが印象的だった。

「イルシュマという若者です。バクテュエスで一番の秀才であり、同時に、信義に厚く、勇気もあり、知謀にも長けており、ユビュ様をベルジャーラにお連れしたときから、ユビュ様に付き従っております。また、ベルジャーラには妹のナキアがおります。ナキアは心音も優しく、ベルジャーラの不便な生活の中、ユビュ様の支えになっているかと思います。」

 イルシュマは簡単な挨拶をした。

「バルマン様に直々にお会いできて光栄です。困難な状況ではありますが、ルガルバンダの専制は許すべきではなく、何としてもお役に立ちたいと考えております。」

「そうか。ありがたい限りだ。よろしく頼む。おまえたちには苦労だろうがな。」

 バルマン師がそう言うと、イルシュマは不敵な笑いを見せた。

「いえ、私自身にとりましては、今回のような機会が巡って参りましたことは、まさにこの上ないことと思っております。こんなことでもなければ、サラスヴァティー女神の化身かとも思えるユビュ様にお目にかかるなど叶わぬ夢であったことでございましょうし、宇宙の三賢者のマーシュ師やバルマン様にお会いするなどあり得なかったでしょうから。それに、私自身、この地方でくすぶっていても何もできません。私のような辺境の被支配民にはビハールで身を立てる道も開けておりませんので。」

 そう言うと、イルシュマはさっそく密かにバルマン師らをベルジャーラに連れてゆく算段をつけてくれたのだった。

 バルマン師らはイルシュマに先導されてベルジャーラに向かったが、道すがらバルマン師、プシュパギリ、シャンターヤが一様に感じたのは、イルシュマの抜群の優秀さだった。この地方一の秀才と言うだけあって、何事につけ飲み込みが早く、頭の切れが抜群なのはすぐに分かったが、同時に他者の心を読み解き適確に対応できる類い希な能力、他者を動かす巧みな話術を兼ね備えていることが感じられた。

「これからの世界でおまえの力を発揮できればな。」

と語りかけるバルマン師にイルシュマは答えて言った。

「これまでは、ベルジャーラとバクテュエスの間を行き来し、主に、ベルジャーラでの生活に必要なものを調達する役目を果たしてきましたが、今後、もっといろいろなことをやってみたいと思っています。もっと広い世界も見てみたいですし。」

 バルマン師の一行がベルジャーラに着くと、既に知らせを受けていたマーシュ師が出迎えてくれた。

「おお、これはバルマン殿、よく来てくださった。プシュパギリも一緒か。ともかく中へ。」

「マーシュ殿、今回はたいへんなことになったな。ユビュはどうしておる。」

「ユビュはここまで連れてきたが、疲れがひどいようだ。相当に心を痛めてもおるしな。」

「そうであろうな。世界はあまりにも破壊的で冷酷、まったく微笑みがない。どうしてこんな世界になったものか。」

 そんなバルマン師とマーシュ師の会話が聞こえたのか、二階からユビュが降りてきた。

「お久しぶりです。」

 そうユビュは言ったが、声に力がなかった。

 バルマン師が声をかけた。

「ユビュ、久しぶりだな。それにしてもやつれておるな。」

「ええ、どうしてこの世界はこのようなのでしょう。醜い争いを繰り返し、パキゼーの法からはあまりにもかけ離れた行為に神々は身をやつしています。神々とはこれほどまでに愚かだったのでしょうか。」

「そうだな、その通りとしか言えぬかもしれぬな。」

 そう言ってバルマン師は小さな笛を取り出した。

「今はこれしか持っていなくてな。」

 そう言うと、バルマン師はその笛を吹いた。

 それはかつて人間界でバルマン師が奏した響きであった。ユビュはパキゼーと出会ったときにバルマン師が奏でた響きを再び耳にして心を洗われるような思いとなった。また、マーシュ師は、地上で五十数年の旅ののちにバルマン師に巡り合ったときにバルマン師が奏した音楽を思い出していた。ユビュの表情にほのかに明るさがよみがえった。

 その日の夕食の席で、バルマン師はイルシュマの妹のナキアとも顔を合せた。聡明な顔つきの中に優しさを宿した風情の彼女は落ち着いた雰囲気で皆に席を勧め、皆の皿に料理を盛った。料理は豆とジャガイモと野菜のポトフで鶏肉がいくらか入っていた。

 バルマン師が声を掛けた。

「ナキアとか言ったな。これはおまえが作ってくれたのか?」

 ナキアは口元を緩めて答えた。

「ええ。ユビュ様と一緒に。」

 バルマン師がちょっと驚いて言った。

「ユビュ。おまえも料理をするのか?」

「ええ、ここでは、料理をもって来てくれる者は誰もいませんので。ナキアからいろいろ料理のことを習い、中庭で野菜も育てています。この中に入っているネギも庭で取れたもので。野菜を育て料理をしていると気も紛れますので。」

 ナキアが口を挟んだ。

「でも、お口に合いますかどうか。ここでは、なかなか旬の野菜も新鮮な肉や魚も手に入りませんので。今日は、イルシュマが鶏肉をもってきてくれたので、少しはましかと思っていますが。」

「いやいや、我らにはこれで十分。このご時世で贅沢は禁物じゃ。それにしても、イルシュマにもナキアにも苦労をかけるな。」

 ナキアは軽く首を振って答えた。

「いえ、こんなことでもなければ、ユビュ様やマーシュ様、さらにはバルマン様と口をきく機会などなかったでしょうから、心をときめかせながら日々を送っています。ユビュ様やマーシュ様からは、毎日のようにいろいろな学問を教えていただいておりますし。」

 マーシュ師が口を挟んだ。

「この兄妹は頭が良いので、ある意味、これからが楽しみじゃよ。ナキアは特に数学が得意でな。暗算の速さと正確さでは、この場の誰にも負けんだろうな。」

 シャンターヤが言った。

「私は数の計算ではそれなりに自信を持っているのですが、勝負してみても良いでしょうか。」

「じゃあ、おれが問題を出そう。」

 そう言ったのはプシュパギリだった。プシュパギリは、分かったら手を上げて答えるようにと言って、壁に木炭で三桁の数字を三つ足す問題を書いた。

 すぐに手を上げたのはナキア、その一瞬後にイルシュマが手を上げた。ナキアの答えを検算して正しい答えであることを確認すると、シャンターヤは恐れ入って言った。

「たいしたもんだ。上には上がいるものだとよく言うが、まさにその通りですね。」

 この言葉に、この日一番の笑顔をユビュが見せ、その笑顔が一同の心を和ませた。

 

 次の日からバルマン師とプシュパギリ、シャンターヤはイルシュマを交えて、慌ただしく動いた。万が一、ここがルガルバンダに発見された時のことを考えて脱出の手筈も整えておかねばならなかったし、ルガルバンダやナユタのことなど情報収集にも努めねばならなかった。

 なんと言っても、この地方に詳しいイルシュマの力が役に立った。また、ふもとに住む神々がルガルバンダに強い嫌悪感を抱き、マーシュ師とユビュに密かに心を寄せていることも、バルマン師とプシュパギリにはなによりありがたかった。ルガルバンダが力を背景に神々の覇権を掌握したことに少なからぬ神々が嫌悪していたが、今回の戦いにおいて、無力なマーシュ師やユビュを追い立てたことがさらに大きな反感を引き起こしたのだった。

 バルマン師は言った。

「ルガルバンダを憎む勢力は決して小さくはない。全宇宙でルガルバンダを嫌う者たちは数知れない。それを糾合し、大きな勢力にすることだ。」

 一方、マーシュ師はユビュに語りかけた。

「ユビュ、残念だが、パキゼーの法は、それ自身ではこの神々の世界をまったく支えられないということがはっきりしたのではないだろうか。」

「そのとおりです。現実のこの世界に対してあの高貴な法はまったくの無力であり、多くの神々からは歯牙にもかけられず、ただ踏みにじられただけでした。」

「ユビュ、これからどうする。このままで良いのだろうか。」

 ユビュが答えられずにいると、マーシュ師が続けた。

「残念だが、世界を支えるためには別のものが必要だ。それがあって初めて法が輝く領域が準備されるといってもいい。そして世界は神々の良心や善意によってだけでは成り立たない。そこには秩序が必要であり、そして神々が心を微笑ませることのできる希望のある世界が必要だ。ルガルバンダはおのれの野望のため、力によって覇権を確立することを目指しており、そのため、世界は恐怖によって慄いている。神々は心を軋ませ、笑いを失ってしまっている。力によって栄華を誇る傲慢で醜い笑いが一部の神々から発せられているだけだ。こんな世界で良いのか。ユビュ、おまえがなさねばならないものもあるのではないか。」

「そうかもしれません。ですが、どうしたらいいものか、それが分からないのです。」

「それはそうだな。だがな、ユビュ。おまえがパキゼーの法の世界から外の現実の世界に踏み出す覚悟があるなら、必ず道は開けよう。その道はきっとナユタがもたらすだろう。ナユタは前々回の創造以来、幾多の苦難を潜り抜けてきた。失意に沈む日々も多かったに違いない。しかし、彼は無限とも思える断固たる決意をもって運命を睨みつけているはずだ。そして、その決意でこの混迷の宇宙に真摯で創造的な新たなうねりを起こすだろう。」

 

 しばらくして、シャールバのもとへ送っていたプシュパギリの従者が戻って来た。従者はウバリートでのシャールバが着々と勢力を蓄えているということを伝えた。

 この知らせを受けて、バルマン師は思い切った提案をした。

「シャールバはウバリートを拠点に勢力を蓄えるだろう。だが、ウバリートだけでは不十分だ。ここから東方にムカラという場所があり、新たな拠点づくりに適しているらしい。わしはそこで新たな拠点づくりをしたいと思う。ここにはプシュパギリを残しておこう。シャンターヤもいるしな。」

 プシュパギリが答えた。

「ここのことはお任せください。ただ、ムカラは蛮族の住む野蛮の地と聞いています。ルガルバンダの勢力も及ばないでしょうが、拠点づくりも簡単ではないのでは?」

 バルマン師が言った。

「それはそうだ。それで、シャールバに頼んで、ギランダをムカラに派遣してもらおうと思う。」

 この答えにプシュパギリも同意した。

 バルマン師はシャールバのところから戻ってきた使者を呼んで、ギランダをムカラに派遣して欲しいとシャールバに伝えるように頼み、さらに次のように言った。

「まだナユタとは連絡が取れぬが、彼は必ず再び現れる。それまでは忍従して力を蓄えるのだ。そうシャールバに伝えてくれ。これからわしはムカラに向かう。ギランダとともにそこを新たな拠点にするつもりだ。」

 こうして、バルマン師はムカラに向かった。ギランダもほどなく合流し、蛮族を手なずけながら、着々と戦力を整えていった。

 

 一方、ウバリートのシャールバの元へはウダヤ師が訪れていた。

「遠路の長旅、お疲れでございましょう。まずはくつろがれ、疲れを癒してください。」

と出迎えたシャールバに、ウダヤ師は元気に答えた。

「ああ、たしかに多少は疲れたかな。だが、まだまだ若い者には負けんよ。しばらくゆっくりさせもらうが、ここに来た目的はほかでもない。実は新兵器の腹案があってな。それを授けに来たのじゃよ。」

「新兵器ですか。それはどんなもので?」

「まあ、またゆっくり話すが、弩砲という飛び道具だ。威力の点でも、精度の点でも弓をはるかに凌ぐだろう。また、矢を飛ばすだけでなく、石を飛ばすこともできるはずだ。ぜひそれを作ってもらいたい。」

「それはありがたいお話です。ところで、ナユタはどうしているのでしょう。」

「ああ、ナユタなら森に行かせた。ルガルバンダの手の者から逃れるという意味でも良いし、また、森の叡智を学ぶこともこの際有益と思うてな。」

「そうですか。ナユタが無事と分かって安心しました。ベルジャーラのユビュやマーシュ師、ムカラのバルマン師にもさっそく知らせましょう。みな、大いに勇気づけられるでしょう。」

「そうだな。では、さっそく明日から弩砲の組み立てを行うとしよう。機械技術に詳しい専門家を集めておいて欲しいのだがな。」

「分かりました。さっそく準備いたします。ともかく、遠路はるばる来ていただいてこんなにうれしいことはありません。今日はゆっくりおくつろぎください。」

 シャールバはそう言って、ウダヤ師に宿泊してもらう部屋へと案内した。

 次の日、ウダヤ師は、技師たちの前で、弩砲について説明した。技師たちにとっては、これまで見たことも考えたこともない兵器であったため、みな、感嘆しつつ、どう実現するかについて真剣に考え込み、議論を重ねた。

 数週間後、二台の弩砲の試作機が出来上がった。中心となったのは、アリアヌスという力学の専門家であった。

 これまでもアリアヌスは戦車の車軸の改良で名を馳せ、戦車の高速化と大型化に大きく貢献していたが、ウダヤ師から弩砲の説明を受けた時の興奮は例えようのないほどであった。アリアヌスは、その日から文字通り、寝食を忘れて弩砲の試作に取り組んだのだった。

 仲間たちと二台の試作機を完成させると、アリアヌスはシャールバの前で弩砲を披露した。一台目の試作機には矢が取り付けられ、アリアヌスの合図で矢が発射された。放たれた矢はそれまで誰も見たこともないほどの速さで飛び、的を撃ちぬいた。

「こんな矢は見たこともない。宇宙一の弓矢の名手プシュパギリですら、これほどの矢は射れぬだろう。」

 そう感嘆するシャールバに、ウダヤ師が付け加えた。

「この弩砲はねじれたばねを活用しており、その力で矢を放る。これまでの矢の何倍もの速さ、精度をもち、また、より遠くの敵を倒すことができる。」

 アリアヌスは次に二台目の弩砲に重さ二十キロもあろうかと思える石をセットした。アリアヌスの合図で石が発射させると石は二百メートル先にまで飛んだ。

 シャールバとともに立ち会った群臣の中からは感嘆と賞賛のどよめきが起こった。シャールバもウダヤ師とアリアヌスに最大級の賛辞を贈り、さらに言った。

「騎馬戦術ではカーシャパに先を越されたが、この弩砲によって我々が有利に立てるはず。早速、この弩砲を量産しようではないか。」

 次の日からアリアヌスを中心に弩砲の製作が始まり、同時にアリアヌスは試行錯誤を重ねながら次々に改良を加えていった。

 

20141228日掲載 / 最新改訂版:2021714日)


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向殿充浩 / 神話『ブルーポールズ』第4巻