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神話『ブルーポールズ』

【第4巻】-

 

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 イムテーベとの同盟成立にシュリー軍団は沸き立ったが、ルガルバンダの大軍が押し寄せるとシュリー領内の城は次々と攻略され、苦しい戦いとなった。

 苦戦を告げる知らせが届く中、シュリーの叱責の声が城中に響き続けた。

「ばか者。それしきのことで、城を捨てて逃げ帰るとは何ごとか。」

「何か策はないのか?」

 激しく歯ぎしりし、声を荒げるシュリーにプシュパギリは言った。

「敵は大軍をもって大挙して押し寄せています。小城ではとても防げるものではありません。敵を食い止めるには、テベル城に兵力を集め、そこで食い止めるしかありません。」

 それはテベル城以遠の領土を放棄することを意味したが、シュリーにとって他に策があるわけでもなかった。

 シュリーはこの進言に従って、テベル城まで進出することを決め、兵を整えると、ヴァ―サヴァ神とアルテミス女神に祈りを捧げて戦勝を祈願し、悲壮な覚悟で進軍を開始した。

 シュリーはテベル城まで進出すると、堅牢な防御陣地を築いてルガルバンダ軍を待ち受けた。一方ルガルバンダ軍は着実に前進していたが、そこに飛び込んできたのは、イムテーベが兵七千を率いてルガルバンダ領内に侵入し、攻勢をかけているという知らせだった。

 ルガルバンダ軍団には動揺が走ったが、ルガルバンダはいささかも揺るがなかった。ルガルバンダはすぐさまヤンバーに命じた。

「既に聞いておろうが、イムテーベが無謀にも我らに挑戦してきている。兵一万五千を率いてすぐ出発しろ。イムテーベに目にもの見せてやれ。」

 この言葉を聞くと、ヤンバーは勇んで進発した。

 ヤンバーはイムテーベの進撃を食い止めるべくプラテアという場所で待ち受けたが、イムテーベは敵の主力がプラテアで待ち受けているのを知ると、すぐさま、これと決戦すべく戦闘態勢を整えた。ここに初めてのイムテーベとヤンバーの会戦が始まった。

 戦いはヤンバー自慢の騎馬軍団の突撃で始まった。しかし宇宙一の軍神と言われたイムテーベである。戦力がヤンバー軍の半分であってもおいそれと引き下がるはずがない。

 朝日のように輝く武具を纏い、ヒュドラを振りかざすイムテーベの命令一下、イムテーベ軍は戦場を縦横自在に駆け回ってヤンバー軍を翻弄した。さらにイムテーベ軍は弓兵や歩兵の活用でもヤンバー軍を上回った。イムテーベ軍はヤンバー軍の陣形を崩しては波状攻撃を仕掛け、緒戦はイムテーベの勝利となった。

 イムテーベの勢いに苦汁を飲まされたヤンバーは仕方なく、プラテアで防戦に努めることにし、戦線は膠着状態に陥った。

 一方、テベル城ではルガルバンダが城下まで迫り、攻城戦が開始された。しかしテベル城の守りは堅く、容易には陥ちない。しかもプシュパギリとバルカがときに出撃してルガルバンダ軍に損害を与えたため、テベル城攻略は容易ではなかった。カーシャパは次々と攻城策を練っては試したが、どれも成功を見なかった。

 こうしてテベル城とプラテアの戦いは双方とも決定的な勝利をつかめず、小競り合いを繰り返すまま、数か月が経過した。ルガルバンダはカーシャパに問うた。

「この状態をどうすれば良いであろうか。宇宙一の戦略家といわれるおまえに良い知恵はないか?」

 カーシャパは答えた。

「このままでは埒があきません。最大の問題はシュリーとイムテーベが同盟を結んでいることであり、これを崩さない限り簡単には勝利は得られません。」

「では、その同盟を崩すにはどうすればよいか。」

「話はムチャリンダの時のように簡単にはいきません。しかし基本的には、イムテーベを懐柔し、シュリーを叩く戦略がよろしいかと存じます。」

「しかし、イムテーベは乗ってくるだろうか?」

「いえ、現在の状況では決して乗ってこないでしょう。しかしイムテーベは常に状況を冷徹に分析し、その打算の上に立って行動します。力関係が変われば、判断も変化するでしょう。」

「それはそうかもしれぬ。で、どうすればよいのか?」

「思いますに、現在はこのテベル城の戦いも、そしてプラテアの戦いもともに膠着状態。まずは、双方が兵を引く提案をしたいと思います。おそらくこれにはシュリーもイムテーベも乗ってくるでしょう。そしてイムテーベには、停戦交渉の折から、ぜひ、帰順願いたい旨を伝え続けます。帰順した時に、安定した地位が得られることをきちんと約すのです。」

「なるほど、それでそのあとはどうするのか?」

「そのあとは時勢の変化を見ねばなりませんが、イムテーベを懐柔し、機を見てシュリーを叩くことが基本です。そうなれば、シュリーを滅ぼし、イムテーベを帰順させて、天下統一が成ります。シュリーがいなくなれば、もはやイムテーベも単独でルガルバンダ様に逆らうことはできなくなるはずですから。」

 ルガルバンダはこの策を喜び、すぐさまカーシャパに停戦交渉を進めさせることにした。

 

 カーシャパはまずシュリー側に停戦交渉を呼びかけ、城外の幕舎でプシュパギリと会見する同意を取り付けた。

 会見の当日、プシュパギリはカーシャパを迎えると言った。

「久しぶりだな。それにしても、こんな形で会うことになろうとはな。」

 カーシャパも答えて言った。

「まことにその通りだな。だが、今日来たのは悪い話じゃない。停戦の交渉をするために来たのだからな。」

「停戦には我らも異存はない。あとは条件だけだ。」

「条件か。それなら当方には何の条件もない。ただ、双方が兵を引く、それだけだ。」

「なるほど。ところで、そもそも、この戦いは理不尽にもルガルバンダが突如としてわが領内を侵略したことに起因している。どこまで兵を引くかだが、そちらが攻略した城と領土をすべて我が方に返し、もとの標石の位置まで兵を引く、そういうことだな。」

 プシュパギリが平然とそう言い放つと、カーシャパも顔色一つ変えずにプシュパギリを詰った。

「おまえは現実というものが見えていないらしいな。そもそも停戦交渉というものは、現実の状況に基づいてなすべきものだ。現状について言うなら、このテベル城で双方の勢力が分かれている。おれが兵を引くと言ったのは、当然のことながら、このテベル城から兵を引くという意味で、他の城や領土から撤退することなどなんら意味していない。」

「では、交渉は不成立だな。ご苦労だったな、カーシャパ。」

 プシュパギリはそう言うと、追い返すようにカーシャパを帰らせた。

 

 だが、カーシャパはまったく悲観していなかった。プシュパギリの元を去ると、カーシャパはすぐさまイムテーベのもとを訪ねた。

 イムテーベの前に進むと、カーシャパは言った。

「イムテーベ殿、お久しぶりでござる。あの戦いの折には手ひどい目にあいましたが、相手が宇宙一の軍略家イムテーベ殿ではいたしかたありませぬ。本日も陣容の一部をかいま見せていただきましたが、さすがはイムテーベ殿の陣容。まことに感服せずにはいられませぬ。」

「そんなおべっかはいらぬことだ。そんなことより、あの戦いの後、ルガルバンダに組し、たいそうな威勢を誇っているらしいな。」

「威勢などとはめっそうもない。ルガルバンダに拾っていただき、部将としてルガルバンダに仕えさせていただいているにすぎません。」

「まあいい。ところで、停戦の協議をするために来たということらしいが、そもそもおれは安易な停戦などするつもりはさらさらない。ルガルバンダがよほど詫びを入れて、特段の条件を提示するなら話は別だがな。」

 イムテーベは突き放すようにそう言ったが、この言葉を聞くと、カーシャパは顔をほころばせた。

「そう言っていただけるならまことにありがたい。今日はまさにその特段の条件を携えて来たのですからな。」

「ほう、それはおもしろい。聞こうではないか。」

 冷ややかな笑いを浮かべてそう言ったイムテーベにカーシャパは語った。

「まず、ご理解いただきたいのは、ルガルバンダにはいささかもイムテーベ殿と争うつもりはないということです。そもそも前回の創造の際には、ルガルバンダとイムテーベ殿、そしてヤンバーは盟友であったわけですし、今も、特段の恨みもなければ、争わねばならない根源的理由もありません。」

「その点については、同意しよう。だが、今回の戦いは、ルガルバンダが不法にもシュリーの領土を犯し、この宇宙のまっとうな秩序への不遜な挑戦を行ったことが原因。そのため、シュリーより正義を守るための協力の依頼があり、それに応えて出兵したまでのこと。非はルガルバンダにあると思うが。」

「イムテーベ殿、よく考えていただきたいが、シュリーはヴァーサヴァの長女であることを錦の御旗とし、この宇宙に再びヴァーサヴァの威光による自らの帝国を築こうとしています。それはまさに大時代的な発想、戻るべきでない過去へ盲目的に回帰しようとする旧守的な妄想にほかなりません。それゆえ、ルガルバンダはそれに対して毅然として起ち、この宇宙に新しい平和と秩序を打ち立てようとしているのです。」

「それはどうかな。おれにはルガルバンダもただ天下の覇権を握る野望に燃えてムチャリンダを倒し、そして、今回、この戦いを引き起こしているようにしか見えぬがな。」

「いや、イムテーベ殿。繰り返して申し上げるが、ルガルバンダはシュリーの覇権主義は阻止せねばならないと考えておりますが、イムテーベ殿と争うつもりは毛頭ありません。イムテーベ殿とは速やかに和睦したいばかりではなく、ぜひ、ルガルバンダの宇宙統一の覇業に力をお貸しいただきたいと申しております。イムテーベ殿と手を携えていけるなら、それ相応のことをさせていただくことになりましょう。」

 だが、イムテーベはその言葉を歯牙にもかけなかった。

「それは結局ルガルバンダの支配に従えということではないのか。なぜ、おれが、ルガルバンダに服属するような地位を甘んじて受けねばならぬというのか。馬鹿なことを言うものではない。」

 怒りを込めて、吐き捨てるようにそう言ったイムテーベに対して、カーシャパはすぐさま切り返した。

「それは誤解です。これは決してイムテーベ殿の王国に手を付けようなどという話ではございません。ですので、これはイムテーベ殿のご栄達、ご繁栄にも通じる道であり、悪い話とは思えませぬが、しかし、この話は今日はやめましょう。今日は、停戦のお話のみさせていただきたいと思います。」

「そうか。では、まずはっきり言っておくが、今回の出兵はシュリーとの同盟関係に基づいている。それゆえ、当方のみ、一方的に停戦することはありえない。」

「それはよく承知しております。イムテーベ殿のところにも連絡が入っているのではないかと思いますが、シュリー殿とは別途停戦協定を結ぶべく交渉をしているところです。」

 たしかに、シュリーとルガルバンダの間の停戦交渉については、プシュパギリからイムテーベに連絡が入っていた。しかし、プシュパギリからはとても妥協できるような状況ではなく、妥協する気もないことが伝えられていた。それを踏まえ、イムテーベはカーシャパに次のように答えた。

「ともかく、我らはシュリーと連携して動いており、今日の停戦協議の話は承りはしたが、とても協議できる状況ではない。それ以上は申し上げようがない。」

 これの答えはカーシャパにとっては想定されたものであったが、それはおくびにも出さず、たいそう残念そうにこう答えた。

「状況はよく分かりました。我らはこれからも精力的にシュリー殿と協議してまいります。その状況はシュリー殿からも伝わりはしましょうが、私どもからもぜひイムテーベ殿にお伝えいたしたく、今後も使者を立ててご報告申し上げます。ただ、ぜひこれだけは心に留め置きたいのですが、ルガルバンダは決してイムテーベ殿と相争いたいわけではなく、相応のお立場で両立する道を用意するということです。」

 カーシャパは念を押すように最後の言葉に力を込めたが、イムテーベは歯牙にもかけず、ただ、こう答えただけだった。

「ともかく、今日はこれ以上話はない。またの報告をお待ちするとしよう。」

 イムテーベとの会談を終わると、カーシャパは再び、プシュパギリとの会談の準備を進めた。そして、半月後、再び、プシュパギリとの会談が実現した。

 会談の席上、カーシャパは言った。

「この前の会談では、双方が兵を引き、停戦することで合意ができたと理解している。ただ、どこまで兵を引くかについて多少意見の違いがあったかもしれぬが、今日はそれについて話し合うためにやって来た。」

「そうか。何か新たな提案を持ってきたのか?もしそうなら、聞くが。」

「もちろんだ。ただ、そちらも譲歩してもらわねばならぬ。まず、考えてもらわねばならないのは、このまま戦いが長引けばどうなるかということだ。正直言って、当方はそれほど困るわけではない。ルガルバンダ全軍のほんの一部の部隊をこのテベル城に配しておけばいいのだからな。だが、貴方では、我がルガルバンダ軍に相対するのに汲々とし、領土の支配、維持にも支障を来しておることは既に調べがついている。この状況では、シュリーをはじめ、貴軍の主だった将軍は誰ひとり枕を高くして眠れまい。」

「カーシャパ、ずいぶんと我が軍を見くびったものだな。我が方は自らの命運をかけてこのテベル城に来ている。総大将のシュリーをはじめ、全軍の士気は高く、規律には微塵の揺るぎもない。このまま、何年でも何十年でも、この地からルガルバンダ軍を追い出し、失地を回復するまで戦い続けるのに何の迷いもない。枕を高くして眠れないのはルガルバンダではないか。」

「その心意気には感服するが、戦いというものは長く続ければ皆倦み疲れるもの。このままではシュリーはじり貧になるだけと思うがな。ともかく、先日も議論したが、停戦するということそのものでは同意ができたと考えるが。」

「たしかに、その点にだけは同意しよう。だが、停戦には、ルガルバンダ軍が無法にも侵略した城と領土を返すことが最低限の条件だ。」

「だが、現に、このテベル城の線まで貴方は下がっており、この現実を無視しての停戦など考えられぬ。当方も一切城も領土も返還せぬとは言わぬ。ただ、すべてを返還すると言うつもりはない。」

 こう言うと、カーシャパは地図を広げ、扇子で一本の線をなぞった。その線まで兵を引くという意思表示だった。プシュパギリは難しい顔をして腕組みしたままだった。

 しばらくの沈黙が続いた。プシュパギリは腕組みしたまま何も言わず、カーシャパも黙ったままだった。

「しかたあるまい。」

 そうカーシャパは小さくつぶやくように言うと、もう一度扇子で線をなぞった。先ほどよりさらに下がるラインだった。

 これにもプシュパギリは難しい顔を崩さなかったが、カーシャパは言った。

「これは当方にとってずいぶんな妥協である。これ以上の譲歩はありえない。ぜひ、貴軍にて検討いただきたい。」

「ではともかく考えさせていただくことにしよう。」

 プシュパギリは顔色一つ変えずこう返事したが、カーシャパはやや表情を崩してこう言った。

「おまえも苦労するな。良い返事を期待しているよ。それがお互いのためだ。」

 そう言うと、カーシャパは停戦協定案の紙に先ほどなぞったラインを書き入れてプシュパギリに手渡した。

 

 カーシャパが示した停戦案をプシュパギリがシュリーとライリーに説明すると、シュリーは難しい顔をしながらこう言った。

「かなり敵側に譲歩させたということはよく分かった。ご苦労だった。だが、この停戦案では、結局、この戦いは負けたということを認めるようなものではないか。」

「だが、致し方ないかもしれません。」

 そう言ったのは、ライリーだった。

「このまま戦い続けるのはあまりにも負担が大きい。部将たちの間でも、いつ終わるとも分からぬ籠城戦に厭戦気分が広がりつつあります。ましてや、敵が下がると言っているラインまで武力で敵を下がらせることは至難の業と言わねばなりません。」

 この言葉にはシュリーもしぶしぶうなずかざるを得なかった。シュリーの基本同意が得られたと理解したプシュパギリはさらにこう助言した。

「ただ、このままこの譲歩案を認めては、まさにシュリー様がおっしゃる通り、自ら負けを認めたようなもの。シュリー様の権威に傷がつく恐れもあります。ここは軍議にかけて、臣下のためにシュリー様が停戦のご英断を下されたという形にすべきではと思います。」

 このプシュパギリの提案にシュリーも同意し、さっそく軍議が開かれた。

 軍議では、プシュパギリが交渉の経緯を説明し、二度にわたって敵方の大幅な譲歩を引き出したことを力説した。部将たちにもそれ以上の譲歩を相手方から引き出すことは難しいことが納得でき、カーシャパの停戦案にうなずく者が多かったが、ある老将が質問に立ち上がった。

「停戦においては、他にどのような条件があるのか?」

「さしたるものはない。双方が平和維持に努めることと、もう一つは、定期的にルガルバンダに物資援助をする、それだけだ。」

 プシュパギリがそのように答えると、老将は嘲るように言った。

「物資援助とはまことに良い言葉ですな。だが、それは要するに貢物ではないのか。すなわち、朝貢の礼を取らされるということであり、我が国にルガルバンダの属国になれということではないのか?」

 最後の言葉に老将は怒りを込めて拳を振るったが、プシュパギリはやや冷ややかに、そして毅然として答えた。

「ご懸念には及ばぬ。物資援助は物資援助。ましてや、朝貢だの属国だのという言葉は、停戦協定のどこにも書かれていない。むしろルガルバンダに施しを与えるというくらいに理解いただいきたいが。」

「ふん。ルガルバンダのしそうな事じゃ。そんなものにたぶらかされるとはのう。」

 そう老将はうそぶいたが、同調する部将はいなかった。部将たちの心に重くのしかかっていたのは、テベル城から敵を一歩も後退させることができていないという厳然たる事実であり、それなりの領土が取り戻せるならそれで良いではないかという現実的な判断だった。

 有力部将のひとりが発言した。

「シュリー様にはたいへんご無念でございましょうが、この現状を鑑みるに、耐えがたきを耐えてこの停戦案を受諾いただきたく存じます。それが、我ら臣民のため、そして、臣民の願いでございます。」

 プシュパギリがこの部将に手を回してそう言わしめたのかもしれなかったが、ともかく、

「私も同意見でござる。」

「私からもお願い申し上げる。」

と発言が続いた。

 軍議の流れを確認するとライリーが言った。

「我らの力不足でルガルバンダ軍を撃退することもできず、シュリー様にはたいへん申し訳ない。たが、残念ながら、これ以上戦い続けても道が開けぬのも事実。停戦し、雌伏して、再び時を待つほかない。シュリー様、どうかご英断を。」

 シュリーは悔しさをにじませながら語った。

「私はルガルバンダなどに頭を下げるつもりもないし、そんなことをしなければならぬいわれもない。これから何か月でも、何年でも、やつらを撃退するまで戦い続けるつもりであった。だが、我が臣民の労苦、困窮を見るにつけ、これ以上の苦難を背負わせるのは良心が許さないし、神の道にももとるであろう。アルテミス女神に勝利を誓った私がこの停戦案を受け入れるのは苦渋の決断だが、私は停戦案を受け入れることを決意した。だが、これは戦いの終わりではない。ライリーが語った通り、雌伏し、時を待つことであり、すなわち、新たな戦いの始まりなのだ。かならずやルガルバンダを打倒すことを心に誓って停戦案を受け入れることとしよう。」

 こうしてシュリー軍は停戦合意を決めたが、一方、ビハールではカーシャパが示した停戦案にルガルバンダが難色を示した。

「どうして、苦労して取った城や領土を敵方に返すのだ。占領したものを返さねば停戦しないというなら、停戦などせず、戦いを継続すれば良いのではないか。」

 だが、カーシャパは顔色一つ変えず、余裕の笑みを浮かべながら答えた。

「ルガルバンダ殿は古今のすべての書物に通じておられると聞いていますが、古来よりの言葉に『与うるは取るなることを知ることは政の宝なり。』とあるのをご存じないでしょうか。ここでただ力を持ってしても、シュリーとイムテーベの結束はますます固くなるばかり。しかも、我が国内部にも戦いによる疲弊や弊害がないとは言えず、さらに今後さまざまな不満が出てくる可能性もあり、そうなれば、ルガルバンダ殿の威信に影が差すことにもなりかねません。鷹揚に譲歩して停戦することで、天下にルガルバンダ殿の器の大きさを示し、国内にて力を蓄え、シュリーとイムテーベに対する策を練ってゆくことこそ上策。機会は遠からずやって来ると信じています。」

 この適確な返答と自信に満ちたカーシャパの表情から、ルガルバンダはカーシャパの言を良しとし、裁可を与えた。

 こうしてルガルバンダとシュリーは停戦に合意し、すぐさま双方からそれぞれ使者がイムテーベに送られた。イムテーベは内心不満だったが、この状況での戦闘継続に明るい見通しも持てない中、

「特に異論はない。」

と返答するほかなかった。

 これに伴い、ルガルバンダとイムテーベも停戦協定を結んだ。ルガルバンダ紀元十四年の九月、三者はそれぞれ兵を引き、ルガルバンダは占領した幾つかの城をシュリーに引き渡した。

 ルガルバンダは大きな成果のなかったこの度の戦役に内心不満だったが、都ビハールでは勝利を喧伝する大規模な凱旋式を行った。シュリーもルガルバンダを撃退した勝利を宣言し、イムテーベもルガルバンダに対する勝利を宣言した。

 

 こうして宇宙はルガルバンダ、シュリー、イムテーベが三大勢力として覇を競う構図が続いたが、シュリーとイムテーベにとって、ルガルバンダにどう対抗するかが喫緊の課題であることに変わりはなかった。そんな中、イムテーベの盟友サヌートはシュリーとイムテーベの婚姻を進めてはどうかと思い立ち、バルカに相談した。

「バルカ。とりあえず今回のルガルバンダとの戦いは収まり、形の上では勝利宣言をした。だが、今後のことを考えるとシュリーとの連携を強化し、まちがってもルガルバンダが改めて戦いを起こそうなどという気を起こさせないことが肝要ではないだろうか。」

 バルカもまったく同感だった。

「サヌート。まったく、その通りだ。おれはテベル城でルガルバンダと戦ったが、実際、ルガルバンダの強大さを思い知らされた戦いでもあった。自国の国力を上げることはもちろん最重要だが、直近はまずシュリーとの連携を堅固に維持することだろうな。」

 サヌートはこの言葉を受けて、膝を乗り出して言った。

「それで、そのシュリーとの連携の強化のための策だが、シュリーとイムテーベの間で婚姻を取り結ぶというのはどうだろう。シュリーも年頃でその美しさは光り輝いているが、未だ孤独をかこっている。宇宙一の軍神イムテーベであれば相手に不足はないはず。」

 バルカはこの提案にちょっとびっくりしたが、考えて見ると悪くない話のように思えた。バルカは同意して答えた。

「昔のシュリーならいざ知らず、ルガルバンダの前に苦汁を飲まされているこの現況では、政略結婚でルガルバンダに対抗するのは利に適っている。この婚姻はシュリーにとってもまたとない良い話かもしれぬな。」

「ああ、その通りだ。それに、ふたりが結婚すれば、ある意味、イムテーベはヴァーサヴァの後継者としての正当な地位を手に入れることにもなり、将来、ルガルバンダを排すれば、イムテーベとシュリーとでこの宇宙を共同統治するという世界も見えてくる。」

 サヌートとバルカはさっそくイムテーベにシュリーとの婚姻の話を持ち出して同意を得たが、イムテーベもまんざらではない様子だった。シュリーと結婚すれば、神々の会議の主催者だったヴァーサヴァの地位を引き継ぐ正統な後継者として、宇宙の盟主への道も開けるではないか。さらに、そこには、政略結婚で同盟を強化するという現実的打算に加え、宇宙の王女であるシュリーへの羨望と美しい女神シュリーに対する男としての欲望もあったろう。シュリーはまだ生娘であったはず。それを我がものにできるならそんな嬉しいことはないではないか。端正な顔立ちの気の強い処女の美神シュリーの裸体を想像するだけでイムテーベは逸る気持ちを抑えられない気分だった。シュリーを夜の床で裸に剥き、乳房を揉みしだき、乳首に吸い付いて喘ぎ声を出させ、誰も見たことも触れたこともないシュリーの濡れた陰唇に己の興奮した亀頭を思いっきり突っ込んだら、シュリーがどんな喘ぎ声を出し、どんなふうにその美しい肢体を悶えさせるかとあらぬ想像が次々に膨らむばかりだった。

 バルカがさっそくこの提案を持ってプシュパギリを訪ねると、プシュパギリは何の異論もなく同意した。

「これで両国の連携が堅固完全なものになるならに、こんなに良いことはない。これは我ら自身の繁栄のためにもありがたい策と言えましょう。」

 だがプシュパギリがこの提案をシュリーにもってゆくと、シュリーは怒りの表情を浮かべてにべもなかった。

「イムテーベは宇宙一の軍神とか言われているが、所詮は身分の低い下級の神ではないか。そんな男にヴァーサヴァの長女である私がどうしてこの高貴な体を許さねばならないというのか。我が守護神であるアルテミス女神は純潔を尊ぶ処女神。二度とそんな話を私の前にもってくるんじゃない。」

 シュリーにしてみれば、心の中では蔑んでいるイムテーベの目に自分の裸体を晒すことなど考えるだけでおぞましいことだった。ましてや、そのいやらしい手で体をまさぐられ、乳房を揉みしだかれ、乳首を舐め回され、さらには硬直した陰棒を己の女陰に突き立てられ、自分が心ならずも喘ぎ声を上げて身もだえしてしまう様を想像するだけで全身に虫ずが走る思いだった。

 シュリーのあまりの剣幕にプシュパギリはすごすごと引き下がるほかなかった。

 

 こうして、シュリーとイムテーベの婚姻話は表に出ることもなくあっさり立ち消えてしまったが、ルガルバンダ、シュリー、イムテーベのそれぞれの陣営がもう一つ気にしていたのがナユタとユビュの動静であった。ナユタの元には頻繁に各陣営からの使者が訪れた。特に、シュリー陣営からはシャンターヤが何度も訪れた。

 シュリー自身は過去のナユタとの確執もあり歩み寄る気などなかったが、プシュパギリはひたすらナユタとの提携を説いていた。プシュパギリはイムテーベとの婚姻話が取り付く島もなく拒絶されたことが心の棘になってはいたが、そのことはおくびにも出さず、シュリーに対して策を説いた。

「シュリー様。今、ルガルバンダは強大であり、これと単独で抗するのは匹夫の勇というもの。前回の戦いではイムテーベとの同盟によってなんとかルガルバンダと抗することができたにすぎません。このままでは活路を見出すのは至難の業。今この状況の中で最大の不確定要素はナユタであり、ナユタやユビュ様も含めてルガルバンダに対する合縦を築き、その盟主となることこそ、シュリー様の繁栄への道と考えます。」

「だが、ナユタは未だバルマン師のもとに留まっているというではないか。しかも、バルマン師も我らが参戦をお願いしてもまるで興味を持たれなかった。」

「それはその通りです。何度もナユタとバルマン師のもとに使者を送っていますが、たしかにナユタは動こうとはしていません。だが、万が一、ナユタがルガルバンダにつきでもすればたいへんなことになります。これからも頻繁に使者を送り、ナユタをなびかせるべく努力を続けます。」

 シュリーは

「そうか。」

とだけ答えたが、プシュパギリは同意を得たものとして、引き続きナユタの元へ使者としてシャンターヤを頻繁に送った。

 カーシャパもナユタに使者を送っていたが、どちらかと言えば、それはナユタの動静を探るためのものであった。一方、イムテーベも真剣にナユタとの連携を模索し、それがルガルバンダに対抗するために不可欠と考えていた。基本的にはプシュパギリと同じ考え方に基づいていた。

 そんな中、イムテーベとの同盟になんとしてもナユタを加わらせたいプシュパギリは、その相談のために自らイムテーベのもとを訪れた。イムテーベはシュリーとの婚姻話があっけなく立ち消えたことに不満をもってはいたが、そんなことはおくびにも出さず、プシュパギリを迎えた。プシュパギリもシュリーとの婚姻話の件には一切触れず、ただ合縦の策のみを説いた。イムテーベは何の異論もなく同意した。

「合縦の策に異論はない。ルガルバンダにあたるには、ナユタの力があれば心強い。ナユタはどうもまだ動く気がないようだが、なんとかして我らの陣営に引き込めればな。」

「では、イムテーベ殿の書簡を頂ければ、ナユタの元を訪れ、シュリーとイムテーベ殿の共同の提案ということで、ナユタへの提携を持ちかけます。」

「良いだろう。では、それで進めてくれ。」

 プシュパギリはイムテーベの書簡を受け取ると、それを携えてナユタの元を訪れた。プシュパギリがシャンターヤと共にやってくると、ナユタはバルマン師とともに出迎えた。

「お久しぶりです。」

と言うプシュパギリにナユタは温かく声をかけた。

「本当に久しぶりだな。シャンターヤにはしばしば来てもらっている。それにしても、ルガルバンダとシュリー、イムテーベの戦いは終わったようだが、世間はまだずいぶんと騒がしいようだな。」

「その通りです。停戦したとはいえ、共存共栄の構図が確立できているわけではなく、たいへんもろい安定の上にあるにすぎません。今日はイムテーベ殿の書簡をお持ちしました。まずはこれをご覧ください。」

 そう言ってプシュパギリはイムテーベから預かった書簡を手渡した。ナユタはそれを読み、さらにバルマン師に渡した。バルマン師が読み終わるとプシュパギリが口を開いた。

「その書面にも書いてあるかと思いますが、現在の危機はルガルバンダの横暴によって生じています。ルガルバンダはヤンバー、カーシャパ、ルドラを抱え、ひたすら武力による天下統一を果たそうと躍起になっている。これを阻止し、世界の平和を維持するには、ナユタに、シュリー、イムテーベとの同盟に加わってもらい、ルガルバンダに対する合縦を完成させることが肝要と考えている。ぜひ検討して欲しい。」

 ナユタはしばしば考え込んでいたが、横を向いてバルマン師に話しかけた。

「バルマン様。どうしたものでしょうか。このような争いに加わることが適切とは素直には思えませんが。」

 この問いを受けてバルマン師は言った。

「以前、シュリー軍への参加を要請されたが、わしは断った。そしてナユタはここで戦いを離れて修行を続けており、わしとしてもこの合縦に加わることには必ずしも賛成ではない。ただ、世界がこのように動いている中、ここで平穏に過ごすことができるものかどうか、それも考えねばならぬかもしれぬな。」

 このバルマン師の言葉に、プシュパギリはわが意を得たりと目を輝かせた。

「その通りです。ルガルバンダは武力による世界統一を目指しており、ナユタはまちがいなく目障りな存在。放っておくはずがありません。そうであれば、自ら備え、自ら起たねば、己の存立基盤は守れないのではないでしょうか。」

 だがナユタは冷静に答えた。

「プシュパギリ、たしかにその通りかもしれない。ただ、このような激しい抗争を行っているどちらかの陣営に組することは、ただちにその争いに巻き込まれることになりかねない。それはおれの本意ではない。」

 ナユタがさして心を動かされていないことを見て取ったプシュパギリは、力を込めて言った。

「ナユタ。もう一度目を見開いてこの世界を見てくれ。世界がおまえの勇姿を待ち望んでいる。大地がマーヤデーバの轟音を欲しているんだ。おまえの真摯な勇気がこれまでいかに世界を動かし、変えてきたか。その記憶はすべての神々の心の奥底に焼き付いている。マーヤデーバがその記憶を呼び起こす時、混沌とし、荒れ狂うものへと突き進もうとしている世界の軌道を真理への道に戻す良心の力が沸き起こるはずだ。」

 だが、ナユタはこの言葉にもいささかも心を動かされることなく次のように言った。

「荒涼とした、けれど清心の風がおれの心の中を吹きすさんでいる。戦場はおれの心のふるさとではない。力によって他を支配しようとする戦いそのものが世界に汚辱を流し込んでいるのではないか。」

「だが今の状況を放置し、ルバルガンダの覇権がなったとき、どんな世界が出現するか想像してくれ。今以上に殺伐とした世界、精神の荒廃した世界になるのではないのか。表面的な興奮が心を覆う虚構の繁栄に大地がひれ伏すのではないのか。」

 プシュパギリはこのように述べ、さらにさまざまな論点から合縦を説いたが、ナユタの同意を得ることはできなかった。

 プシュパギリは落胆したが、追い打ちをかけるかのようにナユタが言った。

「それに、シュリーは信頼できるのか。シュリーの傲慢さや権勢欲は昔のままではないのか?」

 その言葉はまさにプシュパギリの痛いところを突いた言葉だった。プシュパギリがちょっと顔を歪めて言葉に窮すると、ナユタは言葉を柔らかくして言った。

「今日は来てくれてうれしかった。争いをこととする世界の中でではあるが、かつての友に会うことはまた喜ばしいことだ。」

 そう言うと、ナユタは一振りの立派な短剣を取り出して、プシュパギリに贈った。プシュパギリはうっすら涙を浮かべて言った。

「今日は、合縦への合意を得られず、大変残念に思っている。でも、いつの日か、またともに戦う日が来ると信じている。」

 プシュパギリがナユタの元を辞すと、バルマン師は帰り際のプシュパギリを引き留めて言った。

「プシュパギリ、いろいろ苦労するな。だが、時代は必ず動く。ナユタが起つときが来るかどうかは分からぬが、もしその時が来たら、おまえと手を携えることができれば良いがな。」

「ありがとうございます。ですが、今はまず、シュリーの部将として手を尽くさねばなりませんので。」

 プシュパギリのこの言葉に、バルマン師はプシュパギリの肩をたたいて言った。

「その通りだな。だがな、プシュパギリ。ルガルバンダやシュリーは自分たちが世界を動かしているつもりだろうが、この宇宙の軸はナユタとユビュだ。そのことを心に留めておくとよいだろう。」

 このバルマン師の言葉にプシュパギリは深くうなずいて帰って行った。

 

 一方、ルガルバンダはプシュパギリが合縦の策を練っていることに強い危機感を抱き、カーシャパを呼ぶと次のように言った。

「プシュパギリはナユタをも巻き込んでの合縦を企んでいるというではないか。この合縦が成れば、我々にとってはたいへんな脅威となるばかりか、天下統一への道のりが大きく妨げられることになりかねない。」

 だが、カーシャパは落ち着いて答えた。

「その通りです。では、合縦に対抗するための常道はなんでありましょうか?」

「それは連衡であろう。」

「その通りです。そもそも今回のシュリー、イムテーベとの停戦は連衡の策に通ずるもの。そして、私が以前申し上げたシュリーとイムテーベの乖離を図る策は、まさにこの連衡の策に則って、それをさらに推し進める策なのです。イムテーベにはさらに懐柔のための策を打ち、ナユタとユビュも当方に引き込むことが適切な策と言えます。」

「おまえに策はあるのか。」

「もちろんです。お任せいただければ、連衡の策を進めさせていただきます。」

 こうして連衡の策に対する合意をルガルバンダから得ると、さっそく、カーシャパは自らナユタの元を訪れた。プシュパギリの時と同様、ナユタはバルマン師とともに応対した。

 カーシャパは丁寧にあいさつした。

「お久しぶりです。おふたりともご健勝とのこと、お喜び申し上げます。これまで何度か使者を送らせてもらいましたが、ぜひ、一度、直接お話しさせていただきたいと思い、こうしてやってきました。」

 ナユタは答えた。

「久しぶりだな。聞くところによると、ルガルバンダは飛ぶ鳥を落とす勢いで、それを支えているのがカーシャパであり、ずいぶんと権勢を誇っていると聞いている。」

 カーシャパは少し顔を強張らせて答えた。

「権勢などとはもってのほか。必ずしも本意でこうなったのではないということを理解いただきたい。ほんとうは、ナユタとともに起ちたかったが、時流の中で、やむを得ずこうなっただけのこと。ナユタと手を携えたいという思いはかつても今も変わっていない。そしてルガルバンダもかつての創造を巡る戦いのことは水に流しており、ぜひ、ナユタに我が方に加わって欲しいと言っている。」

 そう言って、カーシャパは熱心にルガルバンダとの連衡を説いた。しかし、ナユタは同意せず、ただこう言った。

「カーシャパの言葉はたしかに真実を含んでいるかもしれぬ。だが、おれは争いをこととする世界に船出したいとは思っていない。カーシャパ、今日は久しぶりに会えてうれしかった。」

 こうして、ナユタはプシュパギリからの合縦の誘いにもカーシャパからの連衡の誘いにも乗らなかったが、危機感を強めた。バルマン師もナユタに言った。

「残念だが、このままでは済むまい。必ず大きな戦いが起こるだろう。そして、その時、おまえもその災禍の外に佇んでいるわけにはいかなくなるだろう。」

「私も同じように感じます。もはや自立する道を選ぶしかないということでしょうか。」

「そうかもしれぬな。ともかく準備だけは進めておかねばな。」

 ナユタがうなずくとバルマン師は続けて言った。

「ここも防御を強化せねばねらぬし、鍛冶屋を呼び集めて鉄製の武器も大量に作らねばならんな。」

 その日から、ナユタはバルマン師の助力のもと、密かに、そして着々と武力の強化に努めた。そして、ウバリートのシャールバとも頻繁に連絡を取り始めたのだった。

 

 一方、カーシャパは連衡の実現に向け、ルガルバンダに言った。

「イムテーベの懐柔が必要です。そのための最大の障害は、どのようにイムテーベを処遇するかを明確に示していないことです。ルガルバンダ様の元ではヤンバーが大将軍を務めております。イムテーベとしてもヤンバーの風下に立つことは快しとしないでしょう。」

「たしかにそうであろうな。何か良い考えはあるのか。」

「一案ではありますが、国父というのはいかがでしょう。まさに国のかなめとしての要職と説明できます。」

 この考えにルガルバンダも賛成したので、カーシャパはこの案をもって、イムテーベの元を訪れた。

 カーシャパはイムテーベに会って型通りの挨拶を済ませると、次のように切り出した。

「改めてのお願いとなりますが、ぜひ、ルガルバンダに組することをお考えいただきたいと考えております。今日はそのために腹を割って話をいたしたく考えております。」

 しかしイムテーベの言葉は冷やかだった。

「前も言ったように、ルガルバンダの配下に入る気などさらさらない。停戦の件では、世界の平和のためという大局的見地から大幅に譲歩したが、ルガルバンダを盟主と仰ぐことなど毛頭考えておらぬ。」

「イムテーベ殿のお考えもごもっとも。しかしルガルバンダは決して配下に入って欲しいと申し上げているのではありません。イムテーベ殿と手を携えて世界平和を構築すべく、イムテーベ殿にふさわしい処遇にて、共存共栄の道を開きたいと申し上げているのです。」

「おれにふさわしい処遇というが、いったいどんな処遇をするというのか。」

 冷やかで半ば詰問するような口調のイムテーベに対し、カーシャパは膝を乗り出し、毅然とした口調で言った。

「ご存じのとおり、ルガルバンダの元ではヤンバーが大将軍を務めております。当然のことながら、イムテーベ殿にはそれ以上の処遇とお考えいただければと思います。」

「しかし、大将軍と言えば、全軍の最高指揮官ではないか。その上と言えばルガルバンダしかおるまい。」

「いえ、私どもではイムテーベ殿に国父となっていただきたいと考えております。」

「国父?」

「ええ。国父とは言葉のとおり、国の父。当然のことながら大将軍よりはるか上の位であり、ルガルバンダと並んで国の礎であることを意味します。」

「なるほど。」

とイムテーベは答えたが、声の調子は依然として冷やかだった。

 実権の伴わない名誉だけを与える処遇にて臣下の礼を取らせようという魂胆が透けて見えたからだった。しかし、そのことはカーシャパも分かってのことだった。

 カーシャパはさらに続けて言った。

「イムテーベ殿。貴公がどうすべきかということについて、私ごときが意見を述べさせていただくのはまことに差し出がましいかもしれません。しかし、貴公のお立場を考えるに、これだけはどうしても申し上げたい。シュリーと組んで何が得られるのか、それをよく考えるべきではないかと思います。シュリーはヴァーサヴァの長女であることを錦の御旗に兵を挙げ、その性格の傲慢さは昔のまま。それはよくご存じのことと思います。仮にシュリーの覇権が成ったとき、あなたは何が得られるのですか?傲慢に権威を振り回すシュリーの下で、あなたはどのように身を処するおつもりなのか。だが、自らの言葉に矛盾するようで申し訳ないが、シュリーの覇権は決して実現しません。そして、ナユタは傍観しているだけ。ルガルバンダは必ずやシュリーを打ち破ります。そのとき、あなたはどうしようというのか。よくお考えいただきたい。」

 イムテーベは厳しく反論した。

「シュリーの覇権はならないし、しかし、ルガルバンダもシュリーを打ち破れないとしたら、どうなるのか。おれがここに在る限り、どちらの可能性も具現化するはずがない。」

「イムテーベ殿。もう一度、よくお考えいただきたい。ルガルバンダがシュリーを打ち破れないというのは正しくありませんぞ。もちろん、大きな犠牲が伴うでしょう。その犠牲が神々の世界にとって好ましくないと判断して、停戦したまでのこと。犠牲さえ厭わねば、シュリーを打ち破ることは難しいことではありません。そのこともよくご理解いただきたい。」

「それはおまえの都合の良い見方に過ぎぬと思うがな。」

 そうイムテーベは言ったが、たしかに、兵力国力のバランスを考えると、カーシャパの言に一理も二理もあるのもうなずけなくはなかった。だが、そのことはおくびにも出さず、イムテーベは言った。

「ともかく、おれに動いて欲しくば、もう少しましな提案を持ってきてくれ。」

「分かりました。」

 そう答えると、カーシャパはこう言って立ち去った。

「イムテーベ殿。貴公はまだもう一つ重要なことを軽く見ておられる。それはルガルバンダが真摯に貴公との提携を考えているということです。今日はこれにて帰らせていただきますが、今日の提案は貴公にとってもたいへん貴重で有益なものと考えております。ぜひ、この提案をもう一度、真剣にご検討いただきたい。その気になられましたら、いつなりともそうさせていただきます。」

 それからしばらく経って、カーシャパからの使者が、

「ルガルバンダからの大切な贈り物です。」

と言って、美しい女神を連れてきた。燦然ときらめく宝石をちりばめた装身具に彩られ、薄絹の衣装をまとっていた。

 使者はルガルバンダからの親書を携えてきており、それをイムテーベに渡した。そこには、かつてのヴァーサヴァの館での戦いのおりの思い出から始まり、現世界の状況分析が書かれており、さらに、新たな統一世界を作ろうとする試みにぜひ参加して欲しい、当然、イムテーベ閣下にふさわしい処遇をする、と書き連ねてあり、最後に、友情のあかしとして、清廉な処女を贈りたいと書き添えてあった。

 ヴィッシュヴァマーと名乗ったその女神は、身につけていた豪奢な衣装とは裏腹に、暁の女神ウシャスのごとき清楚さを感じさせた。その表情にはあどけなさも残っており、まさに初夜を迎えようとする新妻のようでもあった。夫が毎晩彼女の裸を見る度に美しさを増してゆくと伝えられる女神ウシャスさながらに、ヴィッシュヴァマーはみずみずしい美しさに溢れ、彼女がにっこりほほ笑むと口元からは真珠のような真っ白な歯がこぼれた。あどけない表情の中にくっきりと浮かぶ大きな黒いつぶらな瞳、すらりとした姿態、そして豊かな胸の盛り上がりが魅惑的だった。イムテーベが館で囲っているどんな美姫よりも美しかった。

 夜になってイムテーベとふたりきりになると、彼女はイムテーベの前に跪き、床に両手をついて頭を下げた。

「わたくしめの処女はイムテーベ様のものでございます。どうぞ私を女にしてくださいませ。」

 ヴィッシュヴァマーは鈴のように響く心地よい声でそう言うと、つと立ち上がり、纏っていた薄絹の衣をすっと床に落とした。一糸まとわぬ姿の女神は恥ずかしさに震えていたが、その豊満な乳房、艶めかしく波打つ肢体、白く輝くみずみずしい乙女の全裸像にイムテーベの目はくぎ付けになった。イムテーベはあまりに見事な肢体にすっかり魅了され、我を忘れて彼女を抱き寄せて唇に吸い付いた。柔らかな乳房を揉み、乳首を何度も吸い上げると、その度に彼女の口からは男をそそる喘ぎが漏れた。イムテーベが彼女の全身を愛撫し、さらに彼女の敏感な股間を弄ると、ヴィッシュヴァマーは悲鳴にも似た喘ぎ声を出して言った。

「ああ、ご主人様。わたしのすべてがあなた様のものでございます。」

 イムテーベの肉棒は長くなってそそり立ち、その巨根をしっぽりと濡れた彼女の陰部に突っ込むと、彼女は一切の恥じらいを捨てて美しくも艶めかしい喘ぎ声を上げた。その声にイムテーベの興奮は極限に達し、よがり声を上げて悶える彼女の内部に己の精液を思い切りにぶちまけたのだった。

 イムテーベは満足だった。

「高慢なシュリーなんかよりずっと良い女だ。おれを見下して体を許しもしない女は願い下げだな。」

 それがシュリーに結婚を拒絶されて不快な思いをしたイムテーベの本音でもあったろう。

 

 カーシャパはこうしてさまざまな策を弄しながら、同時にシュリーを倒すための策を練っていった。そして、ついに、カーシャパはルガルバンダに上奏して言った。

「いよいよシュリーを倒す時がやってまいりました。策はできております。」

「そうか、では聞かせてくれ。」

 カーシャパは大きな地図を広げ、説明を始めた。

「シュリーの兵はようやく一万に達するかどうかです。私は兵一万を率いて、東方よりシュリーの居城バダーミスに向けて電撃戦を行います。一方、敵方が私の軍の邀撃に向かう隙を突いて、ヤンバー大将軍には兵一万五千を率いて西方よりテベル城を急襲していただきます。テベル城が陥ちれば、あとは私の軍に合流いただき、一気にシュリーの本拠地に進撃するまで。」

 カーシャパは自信に満ちた口調でそう言ったが、ルガルバンダは首をひねった。

「ほんとうに、そんな風にできるのか?前回の戦いでは、結局、テベル城を抜くことができなかったではないか。前回できなかったのに、今度はできるという理由は何だ。」

「おっしゃられることはごもっとも。ですが、今度はできるという理由は、先ほど申し上げた言葉の中の二つのキーワードに秘められております。すなわち、電撃戦と急襲です。前回の戦いでは、残念ながら、電撃戦も急襲もできなかった。それはなぜかと言えば、大軍を一挙に派遣することのできる道がなかったからです。そのため、敵方もこちらの動きを見て周到に準備を整えることができました。その時間を敵方に与えてはならないのです。現在、アルワムナがバダーミスとテベル城に至る街道の整備拡張を進めてくれています。また、テベル城について言えば、前回の講和で我らの領土はテベル城により近くなっており、前回よりはるかに早くテベル城に達することができるでしょう。」

「なるほど。」

 バダーミスとテベル城に至る道路はアルワムナが力を入れている道路整備の一つだったが、シュリーとの戦いを念頭に特に力を入れている道路でもあり、車輪幅に合わせた三車線路あるのが特徴だった。これはアルワムナからの指示でこの道路整備の指揮をとったメダテスの考えによるもので、一応、上下各一車線と待避路という扱いになっていたが、いざというときには、二車線あるいは三車線で車が列をなして走れるのだ。

 ルガルバンダはカーシャパの説明にうなずいて言った。

「良いだろう。だが、イムテーベが動くのではないか。」

「イムテーベへの抑えはルドラ将軍にお任せしたい。イムテーベの兵は約八千。ルドラ将軍には兵一万を預け、堅牢な防御陣地を形成いただき、万一イムテーベが動き出したとき、これを防いでいただきます。しかし、シュリーへの電撃戦が成功し、かつ、ルドラ将軍の防御が固ければ、イムテーベはおそらく動きますまい。」

「作戦はよく分かった。だが、現在は停戦協定中だ。一方的にそれを破って攻め込むのもいかがなものかと思うが。」

「シュリーに来年の賀詞への参加を求めてはいかがでしょう。しかし、シュリーがやってくるはずはありません。停戦協定では、双方、友好関係を維持する努力をするとあり、また、我々が占領した土地と城を返還する見返りとして、ルガルバンダ殿に貢ぎ物を捧げることとなっております。おそらく年賀の使者はやってきましょうが、その貢ぎ物の内容が停戦協定を遵守していていないと主張すればよろしいかと考えます。」

「それが主張できれば、一つの手だな。だが、実際にシュリーが出すものが、そう主張できるようなものになるかどうかは分かるまい。」

「ええ、もちろん、絶対とは申しません。ただ、その可能性は極めて大きいと思っています。私はルガルバンダ殿に帰順させていただいて、過分と言って良いほどの待遇をいただきました。一方、シュリーに服属したプシュパギリですが、停戦交渉で何度か会って様子を探った限り、私がいただいたような厚遇はまったく受けていないように思いました。シュリーにしてみれば、負けて服属した者たちにそこまでしなくて良いと思っているのでしょうが、部下に対する姿勢にはルガルバンダ殿とは大きな差があるように思います。ルガルバンダ殿は得た者を惜しみなく部下に与え、配下の者たちは皆、繁栄を享受しています。それがこの帝国の繁栄を支えているとも言えますが、一方のシュリーは部下に与えることを惜しみ、自らの権勢と軍の強化のためだけに意を凝らしているように見えます。これは現在の状況においては致し方ない面もあるのでしょうが、大局的には愚策。どちらかを選べる者たちはシュリーではなく、ルガルバンダ殿に従いたいと思うでしょう。そんなシュリーが年賀の挨拶に規程以上のものを用意するとは考えにくく、むしろ、規程よりもある程度割り引いたものを持ってくるだろうと予想します。それに、イムテーベには礼を尽くして提携を呼びかけ、莫大な贈り物を贈っていますし、さらに、イムテーベが年賀の席で十分すぎるものを出してくるように準備を進めます。そうなれば、シュリーからの貢ぎ物の貧相さはいやが上にも明白となり、シュリー討伐の大義名分が立つというものでしょう。」

 この言葉にルガルバンダは大きくうなずくと、声をうわずらせて言った。

「神算鬼謀とはまさにこのこと。天下統一への道がついに開けた思いだ。」

 こうして、ルガルバンダの策は定まった。

 アルワムナからこの決定を聞くと、メダテスはバダーミスとテベル城に至る街道の整備を突貫工事で進めた。街道はほぼ一直線に作られ、武器や物資、兵士を運ぶ荷車が何台通っても大丈夫なように切石で舗装された。雨が降っても進軍が遅れないよう、道路は中央が高くなった反りがつけられ、道の両側には排水用の側溝が設けられた。

 街道の整備、軍の準備と平行してカーシャパはシュリーとイムテーベそれぞれに新年の賀詞への参加を求めた。ただ、その内容は大きく異なっていた。

 カーシャパはイムテーベに使者を送り、イムテーベの居城での年賀にルガルバンダの重臣を送り、さらには馬千頭を贈ることを約束した。その上で、イムテーベに対して、ルガルバンダの都での賀詞に使者を送り、金銀、琥珀、絹などを貢ぐよう求めた。

 イムテーベは、

「この程度のことで安定が維持できるなら、容易いことだ。」

とこの申し出を喜んで受け入れた。

 一方、シュリーに対しては、シュリー自ら参賀に来るように要求し、これをシュリーが拒むと、停戦協定での貢ぎ物に関する条項を盾に貢物を求めた。シュリー陣営の面々は、カーシャパからの居丈高の要求に心を害したが、停戦継続には止むなしと判断して、貢ぎ物を携えた使者を送ることを決めた。

 

 明けてルガルバンダ紀元十六年一月、ルガルバンダの都ビハールでは盛大な新年の祝いが行われた。宮殿の正面の大参道の両側には、作り直されて以前よりはるかに精巧で立派になったスフィンクス像が壮麗な棕櫚の木々の間に並び、その先には新たに建てられた方形の内門が偉容を誇っていた。凱旋門とも勝利の門とも呼ばれたこの方形の門の門柱には、前面にライオンの頭と鷲の翼を持つ牡牛像の浮き彫りがあり、後面には人面有翼獣像があった。

 ルガルバンダの巨像が睥睨する外門からこの方形の内門までの間の大通りにはたくさんの神々が着飾って新年の祝いに繰り出し、たいへんな賑わいだった。皆、この都の繁栄を素直に喜び、知り合いに会ってはお互いの健勝を喜び合った。

 ルガルバンダはこの新年の祝いのために、大通りを掃き清めて花を飾り、ところどころに樽酒を置いて御神酒を振る舞わせた。さらに餅つきの行事を行い、その場に居合わせた神々にできたてのぼた餅を配った。ビハールに住む神々は大通りでの振る舞いに喜び、さらに柘榴が赤く実り、可憐な睡蓮の花が池に浮かぶ美しい庭園に感嘆するのだった。

「ビハールも立派になったもんだ。」

「そうだな。以前は小さな田舎町に過ぎなかったのが、今や世界一の大都会だからな。我々の知る限り、こんなすばらしい街は他にはない。」

「それもこれもみなルガルバンダのおかげだな。以前から偉いやつだとは思っていたが、まさにルガルバンダならではの偉業だな。」

 そんな声がビハール中をうねり、神々は振る舞われる酒に酔い、出店を覗き、大通りで繰り広げられる催しを楽しむのだった。

 男神だけではなかった。若い女神たちも綺麗に着飾って女友達同士で、あるいは若い男神と一緒に新年の祝いに繰り出した。いたるところで女神たちの笑いの輪が弾け、歓声がこだました。

 宮殿での新年の礼に参列する高官たちは、その大通りを馬車で通って方形の巨門の前に乗り付けた。従者たちはへりくだって彼らを導き、高官たちは互いに顔を合わせては新年の挨拶を交わした。

「今年の新年はかつてないほど輝かしい。すべてはルガルバンダのおかげだ。」

とひとりが言えば、対する高官も応じた。

「まことに。なんと言っても我らに栄達の道を開いてくださったのですからな。それにしても、庶民の笑顔のはじけていることこの上ない。天下は定まったも同じですな。」

「そうですな。これからこの帝国はもっと大きくなる。夢が広がります。」

 そんなことを口々に言い合いながら、高官たちは歩いて門をくぐり、スフィンクスの並ぶ長い参道を通り、そして、宮殿正面の大階段を登って宮殿の広間に参集した。参道の両側にも大階段の両側にもたくさんの幟や旗がひらめいていた。

 宮殿の広間はルガルバンダが権勢を誇示するために作らせた豪華絢爛な黄金の広間だった。壁にも柱にも黄金が使われ、天井には螺鈿細工の紋様が輝いていた。入り口には、入ってくる者たちの上から花びらを撒き、香水を振りかける仕掛けすら作られていた。壁際にはルガルバンダが帝国全土から集めさせた秀逸な彫刻が並べられており、中には純金製の像もあった。

 高官たちの多くはこの部屋に入るのは初めてだった。彼らは驚きの表情で部屋を見回し、感嘆の声を上げた。

「こんなすごい部屋は初めてだな。」

「さすがとしか言いようがない。この威光は永遠に続きましょうな。」

 高官たちが仲間同士で賛美の言葉を交わしていると、銅鑼が大きく打ち鳴らされた。

 高官たちはそそくさと自分のいるべき位置に移動した。高官たちの整列が終わると、煌びやかな装束を身に着けた大将軍ヤンバーが颯爽と登場し、さらにカーシャパとルドラがこれまた立派な衣装を身に着けて現れ、それぞれ自らの位置についた。

 そしてルガルバンダは見目麗しき美女十数神を従えて現れ、正面の玉座に座った。

 一同がルガルバンダを称えた。この時、ルガルバンダは自らのことを「皇帝陛下」と呼ばせた。宇宙開闢以来、陛下と呼ばれた神はこのルガルバンダが最初であった。

 これら一切を演出したのはアルワムナだった。アルワムナは新年の年賀の行事の準備が進む中、秘かにルガルバンダに進言していた。

「今、この国はルガルバンダ国王の統率のもと大いに国威を発揚させていますが、その功績の大きさから大将軍のヤンバーら武将たちの力がますます強くなっています。これはこの国の将来にとって必ずしも好ましいことではないと考えます。」

 知恵のあるアルワムナの助言にルガルバンダは考え込み、訊いた。

「では、何か良い策はあるか?」

「ヤンバー将軍をはじめこの国には立派な武将たちが揃っておりますが、恐れながら武将たちは戦いのための駒と考えるべきかと思います。あくまでも他国に勝つための手段にすぎず、他国を平定し、用がなくなれば捨ててもかまわない存在と考えるべきです。」

 この先鋭で毒を含んだ言葉にルガルバンダは敏感に反応した。

「だが、ヤンバーは忠実におれに仕えており、カーシャパもルドラも信頼できる者たちではないか。そもそも、カーシャパにしてもそなたが召し抱えることを推奨したのではないか。」

「おっしゃる通りです。ですから、平時となってもルガルバンダ殿に平伏し、国を乱さないのであればそれで良いのです。私が申し上げたのは、そうでなくなり、役に立たなくなったらということなのです。ですから、彼らを平時になっても平伏させ続けるためにどうすべきかを考えるべきであり、まずはルガルバンダ殿自身の権威付けこそ必要なのです。」

「それにはどうしたら良いのか。」

 その問いに答えてアルワムナが提言したのが、ルガルバンダを王ではなく皇帝とし、陛下と呼ばせることだった。ルガルバンダはこれを善しとし、新年の年賀の儀式からそれを取り入れることにしたのだった。

 さて、列席する臣下がルガルバンダを陛下と呼んで皇帝を讃え、ルガルバンダが黄金の座椅子に腰を下ろすと、ヤンバーが進み出て新年の祝辞を述べた。さらにカーシャパは昨年の戦果を列挙してルガルバンダを称え、高官たちが次々にルガルバンダの前に進み出て年賀のあいさつを行った。

 続いてイムテーベとシュリーの使者が紹介された。イムテーベの使者は進み出ると、ルガルバンダを称える丁重な賀詞を述べ、続いて、貢物の目録を読み上げた。大量の金銀、琥珀、絹などの貢物が次々に読み上げられると、参列者から驚きと感嘆の声が漏れるほどだった。続いてシュリーの使者だった。しかし、その賀詞は紋切り型の内容に過ぎず、貢物は最低限の体裁を整えた程度のものだった。金銀はイムテーベの五分の一、琥珀は十分の一、絹はなく木綿と麻だった。

 実は、シュリーからの朝貢の品については、プシュパギリが朝貢品の内容に異議を奏上していたのだが、シュリーは取り合わなかったのだった。そのとき、プシュパギリは次のように言ってシュリーを諫めた。

「停戦協定の文言は物資援助を行うだけとあり、この貢物で停戦協定違反とは言えません。しかし、ルガルバンダの国力は強大であり、我らは今は頭を低くし、機会をうかがわねばならない状況。決してルガルバンダに懸念や不快の念を抱かせるべきではありません。言いがかりを付けられる恐れのある行為は厳に慎むべきかと考えます。」

「プシュパギリ。なんという情けない言葉だ。たしかに、先の戦いでは我が方は苦戦したものの、ルガルバンダとてテベル城から一歩も先には進めなかったではないか。しかも、このシュリーは宇宙の父であったヴァーサヴァ神の長女であり、本来、神々の会議の正統な後継者であるはず。なんで、ルガルバンダごとに者にへこへこせねばならぬのか。」

 シュリーはそう吐き捨てるように言ってプシュパギリの献言を一蹴するとそのまま変更なしに朝貢の品を準備させたのだった。

 だが、プシュパギリの懸念のとおり、ルガルバンダの都での年賀の行事が終わってシュリーからの使者が帰国のための挨拶に訪れると、ルガルバンダは直接面会し、次のように問いかけた。

「今日、帰国されるとのことだが、貴公はイムテーベ殿からの貢ぎ物の品をどのように受け取られたか。」

 使者が口ごもりつつ、

「さすがはイムテーベ殿。立派な品々であったと存じます。」

と答えると、ルガルバンダはたたみかけるように言った。

「それに引き替え、シュリー殿からの品はなんとも貧弱であったな。」

「いや、それは、」

と言って、使者がそれ以上答えられずにいると、ルガルバンダは続けた。

「イムテーベ殿はこのルガルバンダとの和平を心より望んでおられ、しかも、このルガルバンダを尊重していただいておる。そのことが今回の貢物を見てもよく分かった。それに対し、シュリー殿はこの私を軽んじており、また、このルガルバンダとの和平もどれだけ望んでおるのか疑わしい限りだ。」

 使者は血相を変えて言った。

「そんなことはございません。シュリー様はルガルバンダ様との和平を心より望んでおられ、それゆえ、私どもを年賀の使者として派遣され、停戦協定に基づき物質援助の品々もお持ち致しました。その内容が多少貧弱であり、礼を失するところありとおっしゃられるなら、それについては、真摯に受け止めさせていただき、お詫びすべきものはお詫び申し上げたいと思います。しかし、ルガルバンダ様を軽んじているなどということは決してありません。シュリー様もそのようなことは一言もおっしゃってはおられません。」

 しかし、ルガルバンダは怒りの表情を浮かべて言った。

「どうしてそんなことが言える。群臣の居並ぶ年賀の席であんなみすぼらしい貢物を持ってきて、それがこのルガルバンダをあざ笑う行為でないとどうして言える。今一度、停戦協定を読み直してみるがいい。貴国はこのルガルバンダとの友好関係を維持するための努力を惜しまず、かつ、貢ぎ物を捧げることになっておる。今回の行為は友好関係を打ち壊そうとするものにほかならず、適切な貢ぎ物とも言い難い。」

「しかし、それは。それに、停戦協定には貢ぎ物という文字はどこにもなく、ただ、貴国のための物質援助を謳っているはずです。」

「停戦協定では言葉をぼかして物質援助と書いてあるかもしれぬが、それは貢ぎ物以外のものを意味するはずなどないではないか。シュリーはそんなことも理解できないのか。ともかく、停戦協定は貴国より破棄されたと受け取るほかない。」

 そう言うと、ルガルバンダは席を立って引き上げようとした。使者は血相を変え、平身低頭して必死に懇願した。

「お待ちください。停戦協定の破棄などもってのほか。どうか、心をお鎮めいただきたく。」

 しかし、ルガルバンダは冷たくこう言っただけだった。

「ご使者殿には帰国していただけ。気を付けて帰られよ。」

 

 同じ日、万全の準備を整え、満を持していたカーシャパは全軍に号令をかけた。

「時は来た。既に衰廃したヴァーサヴァの遺光を頼むシュリーの傲慢さを誅する時が来たのだ。旧弊を廃し、輝ける新世界を構築する大事業を前に進めるのだ。シュリーは我が国との友好関係を踏みにじり、今日、停戦協定は破棄された。今やシュリーは明白に我らの敵となった。目指すは敵シュリーの居城バダーミス。我が軍の準備は万全。一気に進撃して、敵に抵抗の暇も与えることなく、バダーミスに押し寄せるのだ。」

 号令一下、カーシャパの軍一万は怒涛の勢いで東方からシュリー領内への進撃を開始した。電撃的な速さで進撃するカーシャパ軍を遮るものは何もなく、シュリー領内の城は次々に突破された。

 ルガルバンダの都から使者が戻り、事の顛末を報告するとシュリー陣営は騒然となった。

 ライリーは叫んだ。

「だから、ルガルバンダもカーシャパも信用できんと言ったのだ。すぐ出陣だ。」

 シュリーも目を怒らせて言った。

「カーシャパなどにわが領土を蹂躙させてなるものか。私自身が行く。」

 そう言うと、シュリーは、バダーミスのわずかの守兵をライリーに残して、自ら七千の兵を率いてカーシャパ邀撃に飛び出していった。プシュパギリも同行したが、プッシュパギリは歯ぎしりしてシャンターヤに言った。

「だから、おれは忠告したのだ。まったくシュリーの権勢欲が身を滅ぼすことになりかねない。」

「だが、ともかく、今はカーシャパを防がねば。」

 この言葉にはプシュパギリもうなずくほかなかった。

 シュリー軍はカーシャパを迎え撃つべく、エスドルの野に陣を引いた。一方、カーシャパはシュリー軍が現れると、部将たちに命じた。

「決戦のために陣を引いているのではない。じっくり構えて、シュリー軍をくぎ付けにするだけで良いからな。」

 そして、エスドルの野でシュリーとカーシャパが対峙すると、頃合を見計らったようにヤンバーの大軍一万五千が西方からテベル城を襲った。

 大軍による急襲にテベル城は慌てふためいた。しかも、シュリー軍がカーシャパ邀撃に出陣しているため、早急の援軍は期待できない。ヤンバー軍の総攻撃の前にテベル城は降伏し、開城するほかなかった。

 ヤンバーはテベル城を陥とすと、怒涛の勢いでシュリー領内を進軍した。

 イムテーベの元には、カーシャパがシュリー領内に進撃を開始した直後に、プシュパギリからの急使が来ていた。使者は息つく暇もなくイムテーベに訴えた。

「イムテーベ様。すぐに参戦ください。ルガルバンダは卑劣にも、新年の賀詞での貢物に難癖をつけ、それを理由に突如、わが領土に進軍しています。許すまじき悪行としか言えず、正義を具現すべく、イムテーベ殿に今すぐ起っていただきたい。」

「分かった。すぐに出陣の用意をしよう。」

 この言葉に使者は喜び、すぐにとって返した。だが、その直後、イムテーベの元にはカーシャパからも使者が来てしきりに弁明の言葉を述べた。

「イムテーベ殿。この度の出陣は、停戦協定に反するシュリーの姿勢に対する懲罰的出陣です。私どもはイムテーベ殿にいささかも敵意を持っているものではありません。むしろ、我々とともにシュリー討伐軍に加わっていただきたいくらいですが、そこまでは申しますまい。ただ、静観いただければ、それで結構です。」

 この言葉に対して、イムテーベは、

「しかし、ルガルバンダ殿のやり方も強引。我田引水ではないか。もう少し、協調的なやり方もあると思うが。」

と難色を示したが、使者は、ただ、

「ともかく、よろしくお願い致します。」

と言って去ったのだった。

 使者が去ると、イムテーベは渋い表情で側近のバルカに言った。

「ルガルバンダにつけ入られる隙を見せるとは、シュリーも困ったものだな。現在の力関係をまるで分かっていない。ヴァーサヴァの長女という思い上りから抜け切れておらぬのだな。どこまでシュリーと行動を共にして良いかもよく考えねばな。」

 それを聞くと、バルカは厳しい言葉を返した。

「イムテーベ殿。同盟相手が窮地に陥っているのですぞ。そんな味方の欠点をあげつらってみても道は開けません。シュリーが婚姻を拒否して気を悪くしているかもしれないが、今はそんな感情のわだかまりで動くべきではないはず。逡巡すべき時ではありません。大至急、援軍を差し向けねば。すぐに出陣の準備を進めますぞ。」

 イムテーベはこの言葉に同意し、バルカは大至急で出陣の準備を進めたが、出陣の準備が整ったところに飛び込んできたのが、テベル城が陥落したという知らせだった。

 イムテーベは手にしていた鞭を思い切り打ち鳴らして言った。

「もはや勝負はついた。残念だが、負け戦に加担するわけにはゆかぬ。幸い、ルガルバンダはこのイムテーベを重用するということでもある。慎重に事を運ぼう。」

 これに対して、異を唱えたのはバルカだった。

「たしかに、戦いの趨勢はルガルバンダが圧倒的に有利。シュリーの命運は尽きかかっています。ここでシュリーに加担することが極めて危険なのも事実です。ですが、このままシュリーが滅ぼされたらどうなるか。ルガルバンダが国父として迎えてくれるというが、イムテーベ、ほんとうにそんなものに甘んじられるのですか。」

「だが、ここで戦っても勝ち目は薄い。」

 そう言うイムテーベにバルカはなおも食い下がった。

「シュリーが滅ぼされたあととなっては、ルガルバンダに抗することはますます難しくなるのですぞ。イムテーベ、よく考えることです。ここで決断するしかないのではないですか。」

 そんなことはイムテーベにもよく分かっていた。しかし、あまりに勝ち目が薄いと判断せざるを得ない状況でイムテーベの判断は揺るがなかった。

 イムテーベは国境まで兵を進めさせたが、国境の向こう側にルドラが陣取っていることを確認すると、そこに陣を展開して睨み合っただけだった。

 イムテーベはルドラに使者を送って詰問させた

「何故に、この国境まで兵を進めてこられる?」

 ルドラは淡々と答えた。

「我らは単に自国領内で兵の鍛錬を行っているのみ。それ以上の意図はない。」

 それを聞くと、使者はただちにこう応じた。

「イムテーベは貴軍の動きに驚き、念のため兵を進めてきたが、ルドラ殿の答えに安心いたしましょう。自国領内で兵を動かしているだけという意味では、イムテーベも同じことをしているまで。この新年の年賀に使者を送り、貢物を捧げさせていただいていることをぜひよく理解いただきたい。」

 ルドラも答えて言った。

「それはもちろん、重々心得ておる。イムテーベ殿に二心あろうなどとは露ほどにも思っておらぬ。安心されよ。」

 使者はこのやり取りをイムテーベに報告した。こうして両軍は形ばかりの睨み合いを続けることとなった。

 火急を要するのはシュリー陣営であった。シュリーとプシュパギリはカーシャパ軍の進撃をなんとか止めようと、エスドルの野で対峙していた。兵力はカーシャパ一万、シュリー七千。

 カーシャパの部下たちは逸っていたが、カーシャパは泰然としていた。

「おそらく、このまま戦っても勝算は十分ある。騎馬兵もこちらが二倍だ。だが、戦いには時の運もあり、今危険をおかすことはない。早晩、ヤンバーがライリーを破り、こちらに合流するはず。そうなれば、我らの必勝が見通せる。決戦はそれからで十分だ。もはやシュリーに逃げ場はない。」

 カーシャパが当初描いた戦略では、カーシャパとヤンバーがシュリーの居城バダーミスに向けて進軍しつつ合流するはずだったが、カーシャパ軍がエスドルの野でシュリーと対峙することとなったため、結果として、ヤンバーが単独でシュリーの居城バダーミスに迫ることとなったのだった。

 ヤンバーの一万五千もの大軍が迫る中、城を守るライリーは焦った。

「この城ではもたない。あの大軍に攻められたらどうしようもない。」

 それでもライリーは可能な限りの防戦を続けたが、抵抗にも限界があった。いよいよヤンバー軍の総攻撃が必至とみられるとライリーは将兵に言った。

「この城はもうもたない。明日にも敵の総攻撃があろう。一方、シュリー様はエスドルの野でカーシャパと対峙されている。この城を守りきれぬのは申し訳ないが、我らにできることは、敵の囲みを突破して、シュリー様に合流することだけだ。今夜、敵の囲みを突っ切って脱出する。」

 その夜、ライリーは決死の覚悟を固め、突如城門を開いて突撃していった。しかし、ヤンバーは十分に備えていた。ライリー軍が突撃するとヤンバー軍はいったん道を開けたが、すぐに後方を塞ぎ、さらにライリー軍を分断して、個別に包囲殲滅した。

 この戦いでライリー軍の多くの将兵が倒された。ライリーはかろうじて囲みを突破したが、付き従う者はわずか三百騎にすぎなかった。

 戦いに敗れたライリーがシュリーの陣営に到着すると、シュリー軍団には動揺が走った。居城バダーミスが陥ち、今にもここにヤンバーの一万五千の大軍が迫ってくるという知らせにシュリーもプシュパギリも青くなった。まさに、両側からの挟み撃ちの展開であった。

 シュリーはいきり立って言った。

「イムテーベの軍はどうした。いつになったら、イムテーベはここに駆けつけるのか?」

 それに対して、イムテーベの使者は申し訳なさそうに答えた。

「イムテーベはルドラの大軍に国境で阻まれ、これと睨みあったまま動けない状況です。ルドラを突破し次第、早急にこのエスドルの野に駆けつけると言っております。」

 プシュパギリが詰問した。

「それはいつなのか?ここは火急の状態だ。カーシャパとヤンバーの軍に挟まれ、わが軍は窮地に陥っている。今こそイムテーベ殿のお力が必要なのだ。」

「それは重々イムテーベも承知しております。ただ、ルドラ軍の壁は厚く、いつとは、なんともお約束できません。」

 プシュパギリは歯ぎしりした。あの時、シュリーとイムテーベの婚姻が成立してふたりが契りを交わし、イムテーベがシュリーの美しい裸体を抱いてその魅力の虜になっていれば、イムテーベがこんなつれない対応などするはずないではないか。そういう思いがプシュパギリの胸の内にふつふつと沸いたが、どうにもならなかった。

 そして、決戦の時は迫っていた。大地の叫びが荒れた野に亀裂を走らせ、新たな慟哭の予感が大気に満ち満ちていた。

 シュリーは、ヤンバー軍をプシュパギリに任せ、自らはライリーを付き従えてカーシャパと対した。シュリーは、

「必ずや我が守護神アルテミス女神が道を開いてくださる。」

と宣言したが、もはや他に頼るものがなくなったということかもしれなかった。

 数日後、カーシャパとヤンバーの軍から高らかに法螺貝の音が鳴り響いた。そして、それを合図に、カーシャパとヤンバーの騎馬軍団の突撃が始まった。宇宙一を誇るカーシャパの騎馬軍団は、激しい圧力をシュリー軍に加え、一気にシュリー軍の戦列を分断した。

 一方、ヤンバーの騎馬軍団の突撃に対し、宇宙一の弓の名手であるプシュパギリは、かつてのマーシュ師の館での戦い同様、ヤンバー軍の騎馬兵を引きつけておいて弓矢で狙い撃ちする作戦で一定の成果を上げた。しかし、それもわずかの間でしかなかった。かつての戦車より格段に速いヤンバーの騎馬軍団はプシュパギリ軍の中に突入し、弓兵を蹂躙することに成功した。こうなるとプシュパギリも騎馬兵に突撃を命じざるを得ず、戦いは騎馬兵同士の混戦となった。

 シュリー対カーシャパ、プシュパギリ対ヤンバーの騎馬兵同士の戦いが展開したが、数で勝るカーシャパとヤンバーが明らかに勝っていた。カーシャパ軍のよく鍛錬された騎馬兵の前にシュリー軍は見る見るうちに分断された。シュリー軍のもつ鉄製の武器も、機動力に優れるカーシャパの騎馬軍団には太刀打ちできなかった。

 カーシャパ軍はシュリーの本陣に迫った。シュリーは、

「くそっ。」

と吐き捨てるように言うと、周りにいる数少ない武者を率いてカーシャパ本陣に向かって突撃を開始した。ライリーは決死の形相で敵を倒し、シュリーのために道を開いた。

 しかし、カーシャパは新手の騎馬兵によって退路を断つと、一気にシュリー軍の殲滅にかかった。激しく打ちかかるシュリーに対し、カーシャパは叫んだ。

「シュリー、もはや勝負は決した。降伏するがいい。」

 シュリーは

「なにを偉そうに。」

と叫び返し、カーシャパに向かって馬を走らせたが、すぐにカーシャパ軍の将兵が分厚い盾を並べて遮った。

 ライリーはシュリーを守って必死に戦ったが、もはやどうすることもできなかった。だが、カーシャパはシュリーを倒そうとはせず、盾を並べた包囲陣を次第に狭めて、ついにシュリーとライリーを捕えたのだった。

 これはルガルバンダが戦いの前に、カーシャパとヤンバーに対して、

「できることなら、シュリーは倒すのではなく、捕えよ。ヴァ―サヴァの長女として、シュリーには神々の畏敬の念が残っているからな。」

と指示していたためだった。

 一方、プシュパギリはヤンバー軍に対して奮戦していたが、劣勢は免れず、次第に統率は乱れ、算を乱して離脱する兵士が続出した。

 そんなプシュパギリの元に駆け付けたのはシャンターヤだった。

「プシュパギリ。もう、これ以上は無理だ。戦場から離脱しよう。」

「離脱して、それからどうするのか。」

 この言葉に、シャンターヤは語気を強めて言った。

「バルマン師の言葉を思い出せ。バルマン師は、宇宙はナユタとユビュを軸に動いていると言われた。必ず機会はある。それを信じて道を行くのだ。」

 この言葉がプシュパギリに勇気を与えたのはまちがいなかった。

 プシュパギリは戦場からの離脱を決意し、分断された味方を統合すると、ヤンバー軍に背を向けて、戦場離脱のために突進した。プシュパギリが離脱しようとする方向にはカーシャパ軍が遮っていたが、カーシャパは激しい勢いで突破を試みるプシュパギリを認めると、自軍の陣形に細かく指示を出した。その結果、プシュパギリの行く手には道が開けた。プシュパギリはこうして、からくも戦場を離脱したのだった。

 戦いが終わると、ヤンバーはカーシャパを問いただした。

「プシュパギリをなぜ撃ち漏らした。あと一歩だったではないか。」

 これに対して、カーシャパは素直に頭を下げて言った。

「たいへん申し訳ない。まさか、ヤンバー殿との戦いを放棄して向きを変えてわが軍に向かってくるとは夢にも思わなかった。備えが不足していたのは事実であり、そのために、プシュパギリに脱出の道を与えてしまった。申し訳ない。たが、シュリーを捕え、この戦いは大勝利だ。これによって宇宙の大局は決した。ともに、この勝利をルガルバンダに報告しようではないか。」

 こうしてルガルバンダの覇権は確立した。

 ヤンバーとカーシャパがビハールに凱旋すると、ルガルバンダはふたりを戦勝将軍として讃え、盛大な凱旋パレードを挙行させた。ルガルバンダの巨像のある外門から凱旋門と呼ばれる方形の内門までの大通りには大勢のビハール市民が詰めかけ、凱旋門の内側のスフィンクスの並ぶ宮殿までの大参道にはビハールの有力者、高官や貴族たちが並んだ。

 市民がざわめきながら待ち受ける中、ひときわ高くファンファーレが鳴り響くと、横一列に馬を並べた騎士が外門から入ってきた。華麗な武具に身を包み、ルガルバンダの軍旗を掲げた第一列目の後ろには、輝くような鎧兜姿の騎馬戦士の列が、金色に輝く槍をかざして続いた。その後ろにはさまざまな美しい衣装の女神たちが進んだ。にこやかな笑顔で手を振りながら徒歩で進む一団のあとに華麗な旋舞を見せながら進む一団が続き、さらに馬車に乗った一団、山車に乗って花びらを撒きながら進む一団が続いた。

 それから現れたのはヤンバーの一団だった。徒歩で進む兵士たちに続いた戦勝将軍ヤンバーは月桂冠の冠をいだいて四頭立ての戦車に乗り、威厳を保ちつつも右手を大きく掲げて民衆の歓声に応えた。その後ろには、シュリー領内で囚われた捕虜たちが数珠繋ぎにされて貢ぎ物を捧げて行進させられ、戦利品を積んだ荷車が続いた。それから現れたのがシュリーだった。シュリーは粗末な衣装を着せられ、両の手を鎖で縛られて歩かされた。そのすぐ後のライリーも同様だった。

 シュリーを鎖に繋いで歩かせることについては群臣の一部からは異論も出たようだったが、ルガルバンダは意に介さなかった。

「聞くところによると、シュリーはイムテーベのごとき下級の神と結婚するなど身の毛もよだつと言って拒否したとか。きっとシュリーはおれのことも身分の低い神と見下げているのだろう。だったら、見下げられ蔑まれるべき神は誰なのか、あの高慢な女に分からせてやろうではないか。汚らしい姿で罵声の中を歩かされる自分がどんな惨めな存在でしかないか、思う存分味わわせてやろうではないか。」

 それがルガルバンダの言い分だった。

 シュリーの惨めな姿にひっそり涙する市民もいなくはなかったろうが、シュリーが来ると観衆からは一段と大きな歓声が上がり、ルガルバンダ万歳の声がとどろき渡った。その後ろには、真っ白な腹や脚を見せて踊る女神の一団、大道芸をしながら進む男神女神たちの一団が続き、最後はカーシャパだった。四頭立て戦車に乗るカーシャパはときに笑顔を見せつつもあまり表情を崩さず、ときどき手を振る程度だった。

 行列が凱旋門を通って大参道を進み、シュリーが宮殿前の大階段の前まで来ると、大階段の上にルガルバンダが現れた。シュリーは大階段の前で惨めに跪かされた。ルガルバンダは階下のシュリーに一瞥をくれると、横のアルワムナに判決を読み上げさせた。アルワムナはよく通る声で読み上げた。

「天に逆らう大罪である。再び創造が開始されることがない限り、目覚めることはない。」

 この判決に基づいて呪文が唱えられ、シュリーは森の中の小さな祠の中に眠らされた。ライリーはその祠のそばにシュリーの守護神であるアルテミス女神の小さな祭壇を築き、シュリーの眠る祠を警護したのだった。

 一方、イムテーベの元にルガルバンダ勝利の報が届くと、イムテーベは勝利を祝す使者を送った。ルガルバンダはイムテーベに国父として遇することを伝え、イムテーベはそれを飲んだのだった。

 ナユタはその知らせを聞くと、バルマン師に語った。

「恐ろしい世界になりました。」

 バルマン師も言った。

「そうだな。宇宙は狭くなり、そして息苦しくなるだろう。清新の音楽は廃れ、力と権威を賛美する似非哲学がはびこり、画一的な価値観が宇宙を支配するだろう。」

 辺境の地のマーシュ師もひとり天に向かって呟いた。

「シュリーは自らの傲慢さの故に身を滅ぼしたかもしれない。だが、敵対者を許さず、すべてを己の支配下に置こうとするルガルバンダの暴挙、傲慢さも許されるものではない。これを誅する天の裁きはないのであろうか。」

 

 こうして宇宙の大勢が定まると、イムテーベが二千騎の兵を率いてビハールにやって来た。宮殿内の謁見の間でイムテーベを迎えると、ルガルバンダは威厳ある笑顔を見せて語りかけた。

「イムテーベ殿。よく来て下さった。この帝国はこれからますます隆盛の時を迎える。国父は国の要。ぜひ、力を合わせて繁栄の時代を築こうではないか。」

 イムテーベは頭を下げて言った。

「国父としての処遇に遇していただき、ありがたい限り。ぜひ、この帝国の繁栄、発展のためにお役に立てれば。」

「よろしく頼む。」

とルガルバンダが答えると、控えていたアルワムナが言った。

「イムテーベ殿の邸宅は既に整っております。市内のどの邸宅よりも広く、立派なものです。邸宅には大きな池のある広々とした庭園もあり、配下も方々も十分に住めるだけの広さがありますので。」

「それは良い。イムテーベ殿。ぜひ、よろしく頼む。」

 こうしてイムテーベはルガルバンダ帝国の国父として迎え入れられたが、イムテーベにとってはルガルバンダはかつてのルガルバンダではなかった。表面上の言葉こそ丁寧だったが、態度や表情も含め、横柄で高慢な雰囲気が漂っていたことははっきり感じ取ることができた。その後行われた歓迎会においても、表面上は和解と歓迎の演出が為されてはいたが、出席者から見れば、イムテーベがルガルバンダに頭を下げ、配下に服したことことをはっきりと知らしめた会であった。

 イムテーベにとっては、ある意味、それは屈辱でもあったが、今の力関係では致し方なかった。とにもかくにも国父として遇してくれている以上、それと良しとするほかない。それがイムテーベの偽らざる気持ちであったろう。

 しばらく経って、ルガルバンダはイムテーベ列席の下で重臣たちを集めると、誇らかに語った。

「およそ宇宙開闢以来、このような宇宙の統一はどんな神も成し遂げられなかった。今初めて宇宙は統一され、一つの世界として統治される。まさに我々は偉大なる時代を創造しているのだ。この宇宙を今後どのように統治していったら良いか、統治体制を確立せねばならぬ。まず、宇宙一の軍神イムテーベ殿は既に国父として封じたが、この宇宙統一に大きな貢献をした大将軍ヤンバー、宇宙一の戦略家カーシャパ、そしてルドラ将軍を三候として封じたい。そして、それ以外の直轄領には群県制を取り入れ、郡長、県令を任命して派遣する。これによって全宇宙に支配を行き渡らせ、中央集権を確立するのだ。」

 これを受けて、新たに丞相に任じられたアルワムナが立ち上がった。

「これまでこの帝国の統治の基本は、各位をそれぞれの領土に封ずる封建制をとっておりました。しかし、帝国がさらに豊かになり、発展するためには、この制度では限界があります。それぞれの封地という閉じた世界での自活を基本としていては大きな成長は望めません。また、中央からの指示や制度の統一も難しい。帝国を発展させるためには、統一された制度で首尾一貫した中央からの指示で国全体が動くようにする必要があります。それに適した統治は、郡県制です。」

 そう言って、アルワムナは郡県制を取り入れた中央集権の進め方を説明し、主な県令に誰を任命するか具体的な名も列挙していった。

 これによって統治の方針は確認されたが、ルドラは敢えて発言した。

「三候として遇していただけるとのこと、たいへんありがたく存じます。また、郡県制は素晴らしい支配体制と言えます。ただ、気がかりがないわけではありません。まず、これほどの統一は、宇宙開闢以来、ルガルバンダ陛下以外は誰も成し遂げておりませんが、宇宙のすべてが統治下に入ったわけではありません。辺境の地はなお完全な統治下には入っておりません。その外に広がる広大な森はそもそも支配することのできぬ聖域でしょうから、それは置いておくとしても、森以外の地域は仮に辺境といえども、これを放置することなく、完全な統治下に入れねばなりません。そして、もう一つ気がかりなのは、ナユタとユビュ、そしてバルマン師、ウダヤ師、マーシュ師のことです。彼らはいずれもルガルバンダ陛下の権力の及ばない辺境に住み、未だルガルバンダ陛下に服従しておりません。」

 ルガルバンダが言った。

「しかし、辺境の地は我々にとってさしたる利益を生まぬ不毛の地ではないか。支配するだけ労多くして益少なしの典型と思えるが。」

「それはその通りです。ただ、辺境の地は支配が十分及んでいないがために不満分子の温床、あるいはナユタやユビュを支持する者たちの拠点となりかねません。また、鉄器の製造技術についてはシュリーの技術を接収しましたが、山師や鍛冶屋の中には周辺の地域に逃げた者も少なくないと言います。鉄器が周辺地域の蛮族どもに拡散するのも帝国の安泰のためにはよろしくないのではと思います。」

「たしかに、鉄器のことは気になるな。だが、いったい、蛮族どもの世界はどんな世界なのか?誰か知っている者はいないか。」

 この問いかけに答えたのは、博識で知られるリュクセスという高官だった。リュクセスはルガルバンダ帝国の官吏試験を受ける前、辺境地域も含めて世界を広く旅して見聞を広めていたが、官吏となってしばらくしてから出場した四頭立て戦車競走で優勝したことで一躍注目を集めた男神だった。リュクセスはある周辺部族のもとに長期滞在した折りに馭者としての腕を磨き、ビハールでの戦車競走では戦闘的かつ巧みな走法で他の競技者を寄せ付けず圧勝したのだった。この優勝以降、リュクセスはその知識と、旅の中で育んだ見識でみるみるうちに出世したのだった。

 そのリュクセスは言った。

「真偽のほどはともかく、断片的知識ではありますが、私の聞いた話を申し上げましょう。例えば、アガテュルソイ族は実に贅沢な民族でふんだんに金製品を身につけ、妻を共有して自由に交わっていると言います。また、ネウロイ族は魔法を使う種族と伝えられ、一年に一度、数日間狼に身を変じると言います。また、アンドロパゴイ族の風習は世にも野蛮なもので、正義も守らねばなんの掟もない。蛮族とはそんな輩と思し召しになればと思います。」

「なるほどな。何のために征服せねばならないかという疑問にも突き当たるような者たちだな。ナユタやユビュが蛮族どもの所に行ったとして、パキゼーの亡霊を追い求めているようなナユタもユビュにどんな真の力が宿るというのか。また、宇宙の三賢神と言われたバルマン師、ウダヤ師、マーシュ師にしても、彼らが力を持っていたのは前回の創造まで。今や彼らは何の力もない老神であり、辺境の地でただ細々と生きながらえているだけはないのか。」

 だが、カーシャパが冷静に言った。

「たしかにその通りかもしれません。しかし、巨大な堤も蟻の一穴から崩壊すると言われます。鉄器のこともありますし、支配の確立、維持には常に不断の対応が必要です。しかも、武力では格段の差がある相手ではありませんか。イムテーベ殿、どう思われる。」

 イムテーベは言った。

「カーシャパ殿の言われることもごもっとも。しかし、リュクセス殿の報告のとおりとすれば、蛮族の制圧など、まさに労多くして益少なしの典型。まずは帝国内の繁栄を考えるのが先決かもしれませんな。」

 この言葉はカーシャパにはちょっと意外だったようだった。カーシャパは一瞬顔色を強ばらせかけたが、すぐに余裕の表情を浮かべてルガルバンダに向かって言った。

「目先のことだけ考えるならイムテーベ殿のご意見こそ正論。しかしながら、常に危険を予見し、それに備えることで初めて権力は盤石となるものです。用心に越したことはないと思います。特に、考えねばならないのはナユタとユビュ。そして宇宙の三賢神は今なお宇宙の中で一定の尊敬を集めており、畏敬の念をもって見ている神々も少なくない。それはルガルバンダ様の支配下においてもそうであり、辺境の地ではその念はさらに強いと思われます。そんな中、配慮を欠いた対応をすれば、それによって神々の心がルガルバンダ様の支配から離れ、さまざまな不穏な動きを引き起こすことがないとは言えません。慎重な対応が必要です。辺境地域の件はぜひ真剣に検討いたしたく、年が明けましたら改めてご相談申し上げたいと思います。」

 ルガルバンダが言った。

「良いだろう。たしかに備えあれば憂いなしだ。改めて協議するとしよう。」

 一同が解散すると、アルワムナがカーシャパに近づいて耳打ちした。

「イムテーベ殿の発言ですが、真に帝国のためを思っているというより、辺境地域に自らの息のかかった勢力を温存しておきたいという思惑でもあるのでは?」

 カーシャパはうなずいたが、特に何も言いはしなかった。

 

 年が明けると、ビハールでは新年が祝われた。シュリーを倒した戦勝祝賀の気分も残っており、行事や祭りは前年以上に豪華なものであった。

 高官が並び立つ中、前年同様、きらびやかな装束を身に着けたヤンバー、カーシャパ、ルドラの三候が登場し、それに続いて国父イムテーベが登場した。イムテーベの席はルガルバンダが座る中央の席の隣に用意されていたが、イムテーベは堂々とした姿でその席の前に立った。

 そして最後にルガルバンダが見目麗しき美女十数神を従えて現れ、正面の玉座の前に立った。美女たちは美しい宝石や飾りであでやかなことこの上なく、その美貌で艶を競っていた。

 参加者全員が、

「皇帝陛下、万歳。」

と唱和すると、ルガルバンダは上機嫌で中央の大きな椅子に座った。文官が昨年の成果を報告してルガルバンダ皇帝を称え、続いて、国父イムテーベが称えられた。さらに恩赦も発表され、参列者たちの新年のあいさつが延々と続いた。

 新年の行事が済むと、年賀の宴席となった。美しく着飾った美女たちが神々に神酒をついで回り、甘美な音楽の中、あでやかな衣装の美女たちの舞いが神々を堪能させた。

 並み居る神々を前に、酒の酔いも手伝って、ルガルバンダは上機嫌で饒舌だった。

「天下の趨勢はもはや定まった。宇宙一の軍神もわが陣営にあり、怖いものなしだ。ナユタが流浪し、ユビュが帰順していないとはいえ、大勢にはなんの力もない。帝国はいっそうの繁栄を見るだろう。」

 ビハールの街での祝いも盛大だった。大通りの真ん中には、ムチャリンダとシュリーに対する戦勝を記念するオベリスクが除幕された。そのオベリスクはルガルバンダが権威の証しとして立てさせたもので、神々の世界と創造された人間の世界でそれまでに立てられたどんなオベリスクよりも高かった。

 その表の面には、

「全知の神ルガルバンダ皇帝は、宇宙の秩序を乱すムチャリンダとシュリーを討ち、ここに永遠に繁栄する大帝国を築いた。」

と刻まれ、裏の面にはこの偉業に参加した神々の名が、ヤンバー、ルドラ、カーシャパから始まって長々と書き連ねられていた。そして、右側面にはムチャリンダとの戦いを描いたレリーフ、左側面にはシュリーとの戦いを描いたレリーフが刻まれていた。

 新年の祭りは数日に渡って繰り広げられたが、ルガルバンダの巨像のある外門から方形の内門までの大通りは美しく飾り立てられ、出店が並び、車や馬を乗り入れることが禁じられた。ビハールの市民は大通りに繰り出して、ルガルバンダが用意した樽酒で祝杯を挙げた。この祭の期間は、通常は新年や特別な日しかくぐることのできない方形の内門を誰でも自由にくぐることができ、さらにその先のスフィンクスの並ぶ参道を歩くこともできた。参道の先には、ルガルバンダ陛下を讃える記帳台があり、皆先を争って自分の名前を書き記した。

 大通りには舞台が設置され、役者や吟遊詩人がそれぞれの技量を披露し、舞踊家や演奏家もその腕前を披露した。手品や寸劇なども披露され、歌謡競争も行われた。さらに広場では戦士たちがさまざまな競技で腕を競った。

 こうして市民は日の暮れるまで舞台での出し物や広場での競技を楽しみ、日が暮れると男神たちは酒場に引き寄せられ、酔いつぶれるまで飲み明かすのだった。

 だが、なんと言っても市民の一番の注目は最終日に行われる美神コンテストだった。祭りの度に催される美神コンテストにはいつも美貌を誇る女神が集まり、その華やかさは格別だった。出場する若い女神たちにとってもここで優勝することは特別な意味を持っており、このため、出場者の多くが身分の低い女神である中、身分の高い女神が出場することもしばしばだった。

 実際、この日のコンテストで優勝したのはビハールの中流貴族の娘で、彼女はその後、ルガルバンダの後宮に入り、一族の者たちはそれぞれ取り立てられていったのだった。

 

 こうして確立されたルガルバンダの覇権は世界に大きな変化をもたらした。ルガルバンダは支配地を二十の行政区に分け、それぞれに納税額を定めた。納税は、銀または金で納税することを基本とした。そして、土着の名士や豪族による支配を排し、新たに任命した県令を中央から派遣し、さらに有能な書記に補佐させた。

 これらの施策を差配したのが丞相アルワムナであり、アルワムナはメダテスをその片腕としてその権力を次々に行使させたのだった。

 各県は郡に区分され、郡長、郡書記が上級官庁からの指示に従って管理した。また、各県には、首都ビハールの財務長官から直接任命された財務官がおり、各県の財政、徴税、消費事業などを監督した。

 政治権力は派遣された官僚たち、その官僚たちを束ねる中央の大臣たちが握った。彼らを統御したのが丞相アルワムナであり、その権力機構の頂点に立つのが陛下と呼ばれたルガルバンダであった。

 ルガルバンダの帝国では土地の支配こそが権力の源であったが、土地は大別して、皇帝領と封柵地とに区分された。

 皇帝領は、「皇帝の臣民」と呼ばれる神々によって耕作された。「皇帝の臣民」は、借地者として登録された農民であり、自由意思で農地を離れることはできず、また、厳格な小作の規則に従わなければならなかった。そして重い租税負担に加え、家畜の徴発、堤防、運河、道路などの建設や補修のための使役を課せられ、農奴のような状態に置かれた。

 一方、封柵地はルガルバンダの臣下に与えられる土地で、神殿領、兵士割当地、家臣たちの所領などであった。

 神殿領は祭祀の維持のための神聖な土地として神殿に所属していたが、その頂点に立つルガルバンダの規制を受けた。神殿に必要なものは給付されたが、残ったものは国庫に収納された。

 兵士割当地は、傭兵の軍事居住地であり、ルガルバンダの巨大な軍事力の源泉とも言えた。

 そして家臣たちの所領は、ルガルバンダ世界を支える家臣たちがそれぞれ封ぜられた土地であり、ある意味、家臣たちにとっては半独立の領地であった。下層官僚たちは小さな所領で満足せねばならなかったが、ヤンバー、カーシャパ、ルドラ、イムテーベをはじめ、国家権力の頂点に立つ大臣や長官たちはいずれも広大な領地を支配し、そこから得られる利益によって栄華を極めた。彼らは、ビハールの一等地に居を構え、壮麗な邸宅と庭園で権力を誇示した。

 そんな中で、圧倒的に大きな所領を保持したのはイムテーベであった。皇帝領にこそはるかに及ばなかったが、ルガルバンダに服属する以前の所領がほぼすべてそのまま安堵されてイムテーベの所領となり、その威勢は、ヤンバー、カーシャパ、ルドラをはるかに凌ぐものがあった。

 このような巨大な権力を背景に、ルガルバンダは首都ビハールの威容を整え、さらに豪勢な宮殿建築を開始させた。

 ビハールは綿密な都市計画の元に整備拡張され、上水道と下水道も完備していた。主要道路が都市の東西南北を貫き、道の両側には、図書館、演劇場、音楽堂などが建設された。さらに豪華な大極殿や寺院、立派な尖塔などが姿を現し、ルガルバンダの威勢を誇示した。 そして、街の市には世界の各地から珍奇な交易品が運び込まれ、これまで神々の誰も見たことのない賑わいが朝早くから夜遅くまで続いたのだった。

 宮殿を囲む城壁には空想上の一角獣やルガルバンダに貢物を捧げる者たちの列が描かれた。宮殿の敷地には、美しい花々が咲く庭園や、クジャクや珍しい動物が放し飼いにされたエリアなどが設けられ、宮殿を訪れた神々の感嘆を誘った。

 ルガルバンダが新たに建立した寺院は、ローカパーラ神のためのものだった。ローカパーラは世界を守る神であり、ルガルバンダは、世界の四方位を支えるローカパーラ神として、自らが奉ずるブリハスパティ神に加え、アグニ神、プリティヴィー神、サヴィトリ神の三神を選び、それぞれの寺院を建立した。それぞれの寺院には、創造神ブリハスパティ、火の神アグニ、豊穣と大地の女神プリティヴィー、太陽神サヴィトリが祀られ、祈りと供物が絶えることはなかった。ルドラが奉ずるサヴィトリ神がローカパーラ神の一神に選ばれたのは、ルガルバンダとルドラの古くからの深い関係に由来していたのだろう。

 ローカパーラ寺院の石碑にはルガルバンダがブリハスパティ神から神の意思を記した石板を受け取るレリーフが刻まれ、次のような言葉が添えられた。

「ブリハスパティはローカパーラ神の意思によってルガルバンダを世界の皇帝とすることを決めた。ルガルバンダはローカパーラ神の加護の元、世界に正義と繁栄を確立するよう召命を受けた。」

 ルドラはローカパーラ寺院にルガルバンダと共に詣でると、自らの守護神であるサヴィトリ神がローカパーラ神とされたことに深い謝意を表したが、寺院を出ると、ルガルバンダに別のことを語りかけた。

「ちょうど良い機会なので以前から一度申し上げたいと思っていたことを言いたいのですが。」

 そう前置きすると、ルドラは続けて言った。

「ルガルバンダ殿はすばらしき妃を何神も抱えておられますが、ルガルバンダ殿が皇帝になられたにもかかわらず、正式な皇后がおりません。かつて、ヴァーサヴァも妻ランビニーと並び立って神々の会議に君臨していたように、この際、正式な立后を行って皇后を決めてはどうかと思いますが。」

「そんなことか。」

 ルガルバンダはそう言って軽くいなすと、笑いながら言った。

「おまえも知ってるだろうが、女というのはとかく寵愛を競い、妬みあい、それによってつまらぬ喧嘩もするもの。しかも、場合によって、それに陪臣たちが取り付いて、要らぬ権力争いにもなる。そもそも女は宴席で花を添え、夜は男に侍って床の中で男を受け入れればそれで良い。おまえだってそうだろう。」

 そう言ってルガルバンダがルドラの顔を覗き込むと、ルドラも、

「それはたしかに。」

という他なかった。ルガルバンダは念押しするように笑って言った。

「結局、女は男のものを立たせ、そのものをくわえ込む場所を提供するだけの存在。そんな女どもに立后だの皇后だのとなれば、ますます妬みや諍い、水面下の駆け引きが激しくなるだけだ。おれは今のように、公平な立場の妃が何神もいて、その日その日で好きな女神を抱ければそれで満足だ。」

 ルガルバンダは立后の提案にはまったく取り合わなかったが、逆に、真剣に取り組んだのが図書館だった。宇宙創成以来のすべての書物はすべて読んだと言われるルガルバンダにとって、全世界の書物を集めた図書館の建設こそある意味悲願とも言えた。ルガルバンダは全世界からあらゆる書物を集めるように指示し、新たに建てられた図書館には七十万巻の巻物が収められた。図書館には、これまでの創造に関する神話、歴史書、行政文書、占星術、数学などあらゆる分野の書物が集められた。およそ天地開闢以来、これほどの書物が一か所に集められたことはついぞなかった。

 

 さて、ルガルバンダにとって次の課題はカーシャパが以前年明けに相談したいと言っていた辺境地域への対応についてだった。協議のために、ルガルバンダはイムテーベ、ヤンバー、カーシャパ、ルドラ、アルワムナらを集め、さらにこの前、御前で蛮族について語ったリュクセスを呼んだ。

 ルガルバンダはまずリュクセスに語らせた。

「私はルガルバンダ陛下の宮殿に入る前、世界の方々を歩き、さまざまな情報を集めて参りました。以前申し上げた蛮族にも近づき、短い期間ではありますが、彼らと寝起きを供にしたこともあります。さらに、今回、蛮族への対策を協議するため、統計データを集計し、周辺地域の実情をできる限り正確に見積もることに心がけました。」

 そう前置きしてリュクセスは続けた。

「周辺地域に住む神々の数は、中原の神々と同じくらいかやや多いくらいです。ですが、彼らは中原の周囲に分散しているわけで、いかなる統一もなされていません。しかも、生産力、生産効率ともに中原にはるかに劣っており、経済的視点で見るなら、支配する価値に乏しい地域であると言えましょう。」

 だが、リュクセスの発言を踏まえて、カーシャパが言った。

「たしかに、リュクセスの語ったことはまことにもっともである。だが、我々が考えねばならないのは経済的利得ではなく、この前も言ったが帝国の安定だ。実際、中原においてもビハールから離れるほど実効支配が行き届いていないのが実情だし、その外側の蛮族の世界にはほとんど支配が及んでいない。そして、その周辺世界が、我が帝国に従わない者、我が帝国に刃向かおうとする者たちの温床となっているのではないか。」

 リュクセスが答えた。

「その面は否定できません。ただ、周辺部族がみなルガルバンダ皇帝に背を向けているわけではありません。たしかに、独立心が強い傾向はありますが、帝国との取り引きで自らの繁栄を引き寄せたいという部族もあります。」

 ルガルバンダが言った。

「なるほど。では、まさに硬軟織り交ぜた対応が好ましいわけだな。」

「そのとおりと心得ます。」

 そう言ってリュクセスはさらにさまざまな情報を伝え、その情報に基づいて協議がなされたが、明確な対応策とまでは至らず、様子見に近い方針となっただけだった。

 その議論が一段落すると、カーシャパが再び発言した。

「帝国の安定のためにもう一つ考えねばならないのは、ナユタやユビュのことかと思います。まず、ナユタですが、バルマン師のもとで修行を行っています。当方からも何度か使者を出し、私自身も一度ナユタの元を訪れ、ルガルバンダ様との連衡を説きましたが、およそ中原のことには関心がない風を装い、まったく話に乗ってきませんでした。」

 イムテーベが口をはさんだ。

「おれもここに帰参する前、ナユタに使者を送ったが、同様だった。ナユタはこの新しい世界で覇を競う気はないのだろう。」

 皆がうなずくと、カーシャパは続けた。

「ユビュは別の場所にひとりで隠遁しており、ひたすらパキゼーの経典を読む日々を送っていると言います。マーシュ師は前世紀からの館でひっそり暮らしており、特段の動きはありません。ウダヤ師はもっと現実的なようで、辺境の地の中でもこの中原との交流が活発な地にいますが、地域の者たちに学問を教えるなどして尊敬を集めているようです。」

 ルガルバンダが言った。

「そういうことであれば、特段気に掛けることもないのではないか。このままそっとしておけばよいようにも思えるが。」

「ただ、シャールバは辺境の地よりもさらに北方の夷狄の部族が住むウバリートという地で兵力を蓄えているという情報があります。」

「では、シャールバをまず叩いてはどうか。」

 そう言ったのはヤンバーだったが、リュクセスは答えた。

「ウバリートは険しい山岳地帯にあり、この宇宙でも辺境中の辺境に当たるような場所です。この都からはあまりにも遠く、そこに至るまでにさまざまな部族の勢力圏があり、兵站を考えると大兵力の派遣は容易ではありません。しかも、山岳地帯で騎馬兵には向かず、攻略は決して容易ではないでしょう。」

 ルガルバンダが言った。

「状況はよく分かった。では、カーシャパ、どのような策をとれば良いか、策を申してみよ。」

「もはや世界は大きく変わっており、ナユタやユビュの権威は無きに等しいものになっています。しかし、同時に、ナユタやユビュへの畏敬の念が残っているのも事実です。その彼らを支配下に入れることができれば、ナユタやユビュがもはや無力であることを神々に知らしめることができます。また、ナユタやユビュがルガルバンダ様を認め、その支配に服したとなれば、彼らへの畏敬の念をもつ神々の心は安定し、ルガルバンダ様の支配を是とすることになりましょう。そうなれば、ルガルバンダ様の権威はますます高まり、武力を使わずとも支配は広がり、辺境の地、夷狄の地も含めて全宇宙を支配することも可能になりましょう。」

「たしかにそうだろうな。それで、具体策はあるか?」

「まず、ナユタとユビュにビハール市民権を与えるべきかと思います。」

「ビハール市民権か。」

「そうです。この帝国の一員になってもらうのです。帝国の一員ということは、この帝国の庇護と繁栄を享受できるとともに、ルガルバンダ陛下を戴くことを認めるということでもあります。その上で、ふたりに、それぞれ来朝を呼びかけてはいかがでしょうか。そして特にユビュに対しては、強制的にでもこの都に居を移してもらうことです。ただ、この都ではユビュは丁重に扱わねばなりません。良い部屋と宮殿の中での自由を与えることが必要です。ユビュは経典を学び、パキゼーの教えに沿って生きていたいだけでしょうから、この都の一角にユビュのための離れを作り、そこで暮らしてもらえば良いでしょう。この話はユビュにとっても悪くない話と思います。」

「良いだろう。ナユタに対してはどうする?」

「ナユタの元には私自身が参りましょう。この時節を説明し、来朝を要請しましょう。」

 こうしてルガルバンダの策は定まったが、一同が解散すると、アルワムナはカーシャパを引き留めて言った。

「カーシャパ殿。これでほんとうに大丈夫でしょうか?私には生ぬるいように思えるのですが?」

「と言うと?」

「今回の策はカーシャパ殿の思慮深いお考えに基づくものでしょうから、私があまり口を出すのもと思って発言を控えておりましたが、ほんとうにこれでナユタやユビュがルガルバンダに臣従しますでしょうか?カーシャパ殿にはナユタやユビュと浅からぬ関係がおありですので、それなりの感触や手応えをお持ちなのかもしれませんが、私にはナユタやユビュが簡単に頭を下げてくるようには思えませんで。」

 カーシャパは大きく頷きながら言った。

「アルワムナ。ご忠告はありがたい。実際、おれも、そんなに自信があるわけではないのだ。だが、ここでナユタ、ユビュとルガルバンダの間の融和ができなければどうなる。この世界に混乱が広がり、繁栄が阻害されることになる。イムテーベはルガルバンダに服した。だから、ナユタやユビュにもそうして欲しいのだ。それがナユタやユビュのためでもある。」

「それはよく分かるのですが。」

「懸念はよく分かるよ。だが、ともかく、心からの臣従でなくてもいい。形だけで良いから彼らが臣従すれば、この帝国は盤石になるのだ。」

「ですが、不確かな情報ではありますが、バルマンの元に、ムチャリンダ、ギランダ、シュリーらの残党が集まってきているという話もあります。」

「その通りだ。だからこそ、臣従させる必要があるのだ。それに、ナユタやバルマンとて、いかにそんな残党を集めても、簡単にこの帝国と戦うことができるなどという虚妄は抱いていないだろう。ともかく、融和できれば、すべてが丸く収まるのだ。」

 アルワムナは納得の表情を見せ、さらに言った。

「しかし、もし、うまく行かないときにはどうなりましょう。臣下の中にはカーシャパ殿の今回の策を弱気すぎると見る向きも出てきましょうし、ルガルバンダ自身も心ではそう思っているかもしれません。カーシャパ殿のお立場も考えねばと思って申し上げているのですが。」

 カーシャパは頷いた。

「忠告は痛み入る。だが、融和がうまく行かないときには、私自らが討伐の先頭に立とう。これはおれが決着をつけねばならない事案だからな。」

 アルワムナは慇懃な笑顔を見せた。

「それならよろしゅうございましょう。このアルワムナ。これからもカーシャパ殿を支えさせていただきますので。」

 

 それから数月後、カーシャパは再びバルマン師の館にナユタを訪ねた。ナユタは前年の勝利に対する祝いの言葉も口にせず、ただ、こう言った。

「遠路はるばる来てもらってありがたいが、今回はいったい何の用だ?」

「ナユタ。シュリーが倒され、イムテーベがルガルバンダの元に帰参したのは知っているだろう。世界の情勢は刻々と、そして急激に変わっている。ルガルバンダの宇宙統一が成し遂げられたのだ。来年の謹賀の折りにぜひバルマン師とともに来朝して欲しい。ここに、新年の参賀に来てほしいというルガルバンダからの親書もある。また、親書にも書いてあると思うが、ルガルバンダはナユタやバルマン師にもビハール市民権を与えたいと言っている。ビハール市民権を得れば、帝国の立派な一員として、帝国の庇護が受けられる。」

 そう言ってカーシャパは親書の巻物を手渡した。ナユタは一読し、それをバルマン師に渡して言った。

「行かないと言えばどうなるのか。」

 カーシャパは硬い表情で答えた。

「それは想定していない。それゆえ、行かなければどうなるかは答えかねるが、ルガルバンダの強い怒りを買う恐れもあるかもしれぬ。ともかく、来朝さえしてくれれば、ここでこのまま安泰に暮らせるわけで、ぜひ同意して欲しい。」

「そうか。そういうことであれば、行かねばならないようだな。新年となればまだ少し時間がある。どんな準備が必要か、教えてもらって準備するとしよう。聞くところによると、今年の謹賀の折り、シュリーの貢物が少なく、それを理由にシュリーへの侵略を正当化したと聞いている。だが、私はここでバルマン師とともに修行に明け暮れているだけ。とてもではないが貢物など用意できないが。」

「シュリーの件は誤解しないでもらいたい。シュリーの行為は明らかに意図してルガルバンダを軽視し、悪く言えば、愚弄する行為であった。だが、今回、貢物についてはまったく心配無用。そんなものは要らない。来てくれさえすれば良いのだ。来てくれさえすれば、ビハール市民権を得られるし、ルガルバンダも厚遇する用意がある。」

「分かった。では、来年の謹賀に参列させていただくことにしよう。」

 この返事を聞くと、カーシャパの顔はぱっと輝いた。カーシャパは大いに喜び、何度もお礼を言い、ナユタとバルマン師を称えて帰っていった。

 カーシャパが帰ると、バルマン師は難しい顔をして言った。

「ナユタ、たいへんなことになったな。本当に都に行くのか?」

「いえ、ああは答えましたが、都には行くかどうかわかりません。新年までには時間があります。ユビュのことなども様子を聞き、対応を考えたいと思います。ただ、参賀に行かなければ、このままでは済まないでしょう。」

「その通りだな。シャールバとも連絡を取り、戦さの準備もしておかねばならぬのではないか。ここを城砦化することも進めよう。ことが起これば、わしも戦うよ。」

「えっ?バルマン様もですか?」

 驚くナユタにバルマン師は静かに続けた。

「もちろんだ。地上に降りてパキゼーとともに音の道を究め、もう二度と鎧兜を身に纏うことはないと思っておった。しかし、必要とあれば再び兜をかぶる覚悟はできておる。ルガルバンダが中原を支配すること自身は目をつむるとしても、おまえやユビュなども含め、この宇宙における多様性を否定し、あらゆるものを画一的に支配しようとするのだとすれば簡単には看過できない。しかも、ただ、己の栄達と繁栄のみを求めるルガルバンダのやり方を野放しにしておいて本当に良いものかどうか。」

「分かりました。バルマン様にそうおっしゃっていただけて心強いかぎりです。早速、ユビュやシャールバとも連絡を取りましょう。また、マーシュ様やウダヤ様のお力も借りせねばなりません。」

「その通りだ。わしらは世界のこの急激な変化を少し甘く考えていたかもしれん。ナユタ、おまえが起たねばならない時もそう遠くない気がする。だが、心しておかねばならないのは、ルガルバンダは強大だということだ。鉄器の性能に関してはルガルバンダより優れているだろうが、いずれにしても、生易しい戦いとはきっとなるまいな。」

 そう言うと、バルマン師は城砦を強化すると共に、かつてのシュリー、プシュパギリ、ムチャリンダ、ギランダの残党をかき集めて兵力を増強していった。

 

 一方、西方の辺境の地で静かに暮らしていたユビュの元にも、ルガルバンダの使者がやって来た。使者は、まず丁寧なあいさつの言葉を述べたが、その後、イムテーベがルガルバンダの軍門に下り、ルガルバンダの覇権が成ったことを伝え、さらに次のように言った。

「ユビュ様はここにお住まいになっておられますが、ルガルバンダはユビュ様がこのような不便な場所で暮らしておられるのをいたく気にしておられ、ぜひユビュ様にビハール市民権を付与させていただき、宮殿にお越しいただきたいと申しております。ユビュ様の守護神はサラスヴァティー女神と聞いておりますが、サラスヴァティー女神は水辺に佇み、ヴィーナを奏で優雅に時をすごされているとか。ルガルバンダはそのような暮らしこそユビュ様にふさわしいと考え、ユビュ様のための広いお部屋と素敵な庭を宮殿の中に用意しております。朝はさんさんと日の降り注ぐ明るい部屋で召使たちがユビュ様の髪をとかし、昼は美しい庭で心ゆくまで時間を過ごすことができます。夜には世界の珍味を並べた豪勢な夕食が食卓に並び、甘美な音楽と舞姫たちの優雅な踊りがユビュ様のお心を満たしましょう。夜は柔らかいベッドで羽毛の温かい掛布団にくるまり、幸せな眠りがユビュ様を包むでしょう。また、ルガルバンダは、ユビュ様のためにサラスヴァティー女神を祀る寺院も建立すると申しております。」

 これに対して、ユビュはうっすら笑顔を浮かべながら、あっさり答えた。

「お申し出ありがとうございます。ですが、私は今の生活で十分満足しています。この古びた家には美しい部屋も素敵な庭も音楽や舞姫もありませんが、そんなものを私は求めてはおりません。ここを離れるつもりはありません。」

 ユビュの意志が固いことを見て取った使者は、やや凄みを聞かせて言った。

「そうですか。ここを離れるおつもりがないとのことですが、それでしたら、ぜひ一度、ルガルバンダの宮殿を見に来てはいただけないでしょか。ルガルバンダもぜひユビュ様にお会いしたいと申しております。」

 しかし、これにもユビュは同意しなかった。

「ルガルバンダはなぜ私に会いたいと言うのか。ルガルバンダはパキゼーの教えもナユタの理想も理解していないのではありませんか。私がルガルバンダに会わねばならない理由など何もありません。」

「そうですか。ですが、今や宇宙のすべてがルガルバンダの領土であり、そのルガルバンダが丁重にお迎えしたいと申しているのです。ルガルバンダがその気になれば、ユビュ様を引っ張ってゆくこともできるのですぞ。ここでこのままお住みになりたいなら、ルガルバンダの申し出を無碍になさらないのが身のためかと思いますが。」

「ルガルバンダは昔も今も傲慢な神なのですね。神々の静寂を破り、パキゼーの光を掻き消したルガルバンダの叫びは、なんという呪われた光を投げたことか。」

 それだけユビュは言い、会見を終りにさせた。

 

 使者がユビュの言葉をルガルバンダに伝えると、ルガルバンダは烈火のごとく怒った。

「ユビュの時代錯誤もそれほどとはな。真理に立脚したおれの叫びが呪われた光を投げただと?ユビュにはおれの力が皆目分かっておらぬと見える。そして、力というものがなんであるかも分かっておらぬ。」

 ルガルバンダはそう叫ぶと、すぐさまルドラを呼んだ。

「ルドラ、ユビュの元へ行き、ここへ引っ張ってこい。」

「分かりました。しかし、引っ張ってきてどうなさるおつもりで。」

「恭しくおれの前でかしずくなら、この宮殿で優雅に暮らすもよし、今の家で暮らすもよし、好きにさせてやろう。だが、おれの前でひざまずかないなら、幽閉するまでだ。」

「しかし、ユビュはかつて宇宙の王女を言われ、今も宇宙の王女と慕っている神々も多いはず。そのユビュを無理やり連れてくるなどいかがなものか。」

「ルドラ、だからこそ引っ張ってくるのだ。ユビュを臣従させれば、この帝国はより安定するし、逆に臣従もしないユビュをそのまま野放しにしておけば、おれの権威にもかかわる。ただ、形は三候のひとりであるルドラが直々にお迎えに行くという形にするのだ。いいな。」

 この言葉にルドラはうなずき、配下の者を引き連れてユビュの元へと向かった。

 

 一方、ルガルバンダの使者が帰った直後、ユビュのもとへはシャールバがやって来た。世界状況の激変を心配したためだった。

 ユビュはシャールバとの再会を喜んだ。

「ユビュ様、お元気そうでなにより。」

とシャールバは一安心したが、ルガルバンダの使者のことを聞くと、顔色を一変させた。

「ユビュ様、それはたいへん危険です。ルガルバンダは必ず、ユビュ様を拉致しに来ます。」

「しかし、私はここでただ静かに暮らしているだけ。」

「いえ、権力を握った者というのは、その権力の維持のために必要以上に神経質になるもの。ルガルバンダの覇権がなった今、彼はそれを脅かす可能性のあるものを一つ一つ排除しようと努めるでしょう。それはユビュ様であり、ナユタであり、そしてバルマン師、ウダヤ師、マーシュ師の三賢神でしょう。ルガルバンダの手の者は必ずやってきます。ユビュ様はルガルバンダの前にかしずくおつもりはありますか?」

「そんなことをするつもりはありません。また、ルガルバンダの宮殿に行くつもりもありません。」

「そうですか。ですが、それならば、ここに留まっていることはできないでしょう。」

 ユビュはため息をついた。

「なんという恐ろしい、そして住みにくい世界になったことか。パキゼーの教えはどこかで朽ちたのでしょうか。」

 唇を噛みながらシャールバは答えた。

「かつて、パキゼーは教えは必ず廃れると説いたとか。また、教えそのものも空無でしかないと教えたとか。その通りのことが生起しているとしか言いようがないのかもしれません。」

「そうですね。パキゼーの教えにもかかわらず、神々の心は何一つ本質は変わらず、ただ、妄執に突き動かされ、力と欲望を信奉して動いているだけ。まったく悲しいことです。」

 だが、悲しんでばかりはいられなかった。シャールバはマーシュ師の館に行くことを提案した。

「マーシュ師のもとに参りましょう。あそこはここより一層辺境の地であり、ルガルバンダの勢力も十分には及んでいません。それにマーシュ師を信奉する者たちがその周りに集まっており、ルガルバンダもうかつには手が出せないはずです。」

 ユビュがしぶしぶ承知すると、シャールバは部下に命じた。

「早馬を飛ばして、ナユタに伝えてくれ。ユビュ様をマーシュ師のもとにお連れしたいとな。兵士と車をよこすように言ってくれ。ユビュ様を安全にお連れするために必要だ。急ぐように言ってくれ。ルガルバンダの手の者がいつ来ないとも限らないからな。」

 部下はシャールバの命を含めるとすぐ馬を駆けて行った。

 しかし、数日後、ユビュのもとに先にやって来たのは、ナユタではなくルドラだった。ルドラが屈強な兵士たちとともに現れると、シャールバは鎧兜を身にまとい、少ない部下とともにユビュの周りを固めた。

 ルドラはユビュの家の前に立つと大音声で叫んだ。

「ユビュ殿、ルドラが参りました。お久しぶりでござる。ルガルバンダより、ユビュ殿を宮殿にお連れせよとの命を受けております。宮殿までの道中を考え、立派な車を用意しております。お出ましくだされ。」

 しかし、ルドラの前に立ち現われたのは鎧兜姿のシャールバだった。驚くルドラにシャールバは言った。

「ルドラ、ユビュ様はルガルバンダの元には参られぬ。戻って、そう、ルガルバンダに伝えよ。」

「シャールバ、こんなところでおまえに会うとはな。だが、もし、ユビュが自ら行かぬというなら、無理にでも連れてゆくまで。おまえの出る幕じゃない。」

「ルドラ、おまえのやっていることは狼藉以外のなにものでもない。そんなことは許さん。」

 これを聞くと、ルドラは手の者に刀を抜かせた。ルドラの配下の者がシャールバに切りかかったが、シャールバはひとりでいとも簡単に彼らを退けた。

 ルドラはいったんは引き下がったが、武装を整えると、ユビュの家を取り囲んだ。一方、シャールバは配下の者を家の各所に配置し、ルドラからの急襲に備えた。

 シャールバはユビュに言った。

「なんとかナユタからの兵士が早く来てくれればよいのですが。このままではとても長くはもちこたえられません。」

 次の日の夜明けとともに、ルドラは法螺貝を吹かせた。そしてそれに呼応して家の各所から討ち入りが始まった。シャールバは獅子奮迅の働きで敵を倒していったが、多勢に無勢で味方は少なくなっていった。シャールバはユビュを守ってなお戦っていたが、その時シャールバの前に現れたのはルドラだった。ルドラが白刃を抜き放つと、それまでとは全く違った殺気が空間を支配した。シャールバも身構えた。しかし、ルドラとシャールバが睨み合う隙に、ルドラの部下たちは奥へ押し入り、ユビュを無理やり捕え、外へ連れ出したのだった。

 シャールバは歯ぎしりしたが、ルドラと向き合っている以上、どうすることもできない。部下たちがユビュを連れ去り、屋敷を離れたのを確認すると、ルドラが言った。

「どうやら、おれの勝ちのようだな。おまえとの決着は必要とあらば、また改めてつけるとしよう。そもそもは剣を抜いておまえと戦いたいわけではないがな。」

 そう言うと、ルドラは門のところまで後ずさり、さっと馬に飛び乗ってあっという間に走り出した。

 しかし、その時だった。遠くに砂埃が上がり、大きな叫び声が聞こえた。ルドラが急いでその場所まで駆けつけると、そこにいたのはナユタだった。

 ナユタは叫んだ。

「ルドラ、とんでもない狼藉を働いているようだな。とても許されるものではない。だが、ユビュは返してもらったぞ。」

 今度はルドラが歯ぎしりする番だった。ユビュが乗った車は既にナユタの部下たちが取戻し、ルドラは手も足も出ない状態だった。

「ユビュを拉致することなど許さない。ルドラ、そうルガルバンダに伝えるがいい。」

 そう叫ぶナユタに、ルドラは叫び返した。

「ナユタ、おまえはどんなことをしているのか分かっているのか。世界の覇を握るルガルバンダに楯突いているのだぞ。それがどんなことを意味するか分かっているか。おまえたちに、この宇宙で存在することのできる場所がなくなるということだぞ。」

 だが、ナユタはひるまなかった。

「力だけを過信するおまえたちには、いつか、それが誤りであり、そしていかに危ういものであるか悟る日が来るだろう。」

「それは、どうかな。おまえたちこそ、力もなくただ権力に楯突くことがいかに危険なことか、近いうちに分かるだろう。」

 そう吐き捨てると、ルドラは去って行った。

 ナユタはユビュに言った。

「ここは危険だ。とりあえず、マーシュ師の館に行こう。」

 ユビュは小さくうなずくばかりだった。

 

 マーシュ師の館にナユタ、ユビュ、シャールバが着くと、マーシュ師が温かく出迎えて言った。

「ユビュ、たいへんだったな。ゆっくり休むがいい。」

「ありがとうございます。また、お世話になります。」

 ユビュはそう言ったが、表情は沈鬱だった。

 マーシュ師は元気づけるように言った。

「ユビュ、また、ここを自分の家と思って住んだらいい。昔、ヴァーサヴァの館からおまえがやって来た時のことを思い出すよ。あのときも大変だったが、今もそれに劣らず大変な時代だ。」

「そうですね。パキゼーの法はもはや朽ち果てたのでしょうか。」

「そうかもしれぬな。だが、ともかくゆっくり休むがいい。」

 そう言って、マーシュ師は昔ユビュが使っていた部屋に案内した。

 その部屋はかつてユビュがやって来たときにマーシュ師が用意してくれた部屋のままだった。あのとき同様、こざっぱりして気持ちが良く、大きくはないが清潔で、ユビュは初めてその部屋に来た時のことを思い出して涙を流した。

「あの時も悲しみに満ちてここに来ました。そして、ここで清心の空気を吸い込み、心に新しい希望が灯ったのを覚えています。」

 マーシュ師が言った。

「そうだな。そして、今回もまた新しい道が始まるのだろう。あの時より困難かもしれぬが、しかし、決して挫けてはならぬ。ともかく、ゆっくり休むがいい。これからどうするかは、また改めて話し合おう。」

 

 数日経ってユビュも落ち着くと、改めて世界情勢とこれからのことについて話し合われた。ナユタは沈鬱な調子で語った。

「ルガルバンダが目を覚まして世界が動き出したとき、やはり、毅然として起つべきだったのかもしれません。プシュパギリやカーシャパを味方につけてルガルバンダと戦うべきだったのかもしれません。パキゼーの教えに望みを託し、優柔不断な姿勢であったのが、今日の苦境を招いたと思わざるを得ません。私は現実から逃避していたのかもしれません。」

 ユビュが発言した。

「私は今回のことがあってもなお、世の覇権争い、勢力争いに参画するのが適切とは思えません。愚かしい魍魎どもの跋扈にのめり込むだけではないでしょうか。かつて神々はたびたび創造を巡って争いを起こしていました。そして今、創造がなくてもやはりこのように神々が争っています。なぜなのでしょうか。」

「そうだな。でもな、」

 そう言ったマーシュ師はさらに続けた。

「パキゼーも言ったように、法は必ず廃れる。残念だが、法にだけ頼っても道は開けぬのだろう。だからと言って神々の戦いに参加するのが良いのかどうかは別の問題かもしれぬが、覇権を目指すルガルバンダの目論見の前で、おまえたちが安閑と暮らせる領域はほとんどない。幸い、ここはまだ、ルガルバンダの勢力は及んでおらぬが、ここだとていつまでこのままでいられるか分からぬ。」

 シャールバが言った。

「その通りです。しかし、一方、どうやって戦うかも難しいのが現実です。かつてのマーシュ師の館での戦いの折りには、創造の擁護という大義の元、多くの神々が参集しました。しかし、今回の争いはただの勢力争い。ルガルバンダの方が圧倒的に強い状況で、どうやって味方を集めるかも難しい。」

 ナユタがそれを受けて言った。

「そうだな。だが、このままでは済むまい。また、済ますわけにもゆくまい。私はルガルバンダと戦い、これを一蹴することが宇宙のために必要と思う。」

 マーシュ師も言った。

「たしかに、ルガルバンダの驕りと強圧的な圧政に怒りを渦巻かせている神々も少なくない。また、シュリーやムチャリンダの残党の中にもルガルバンダに恨みを持つ者が少なくないだろう。この宇宙に真の平和を具現し、皆が安心して暮らせる世界を築くことが必要かもしれぬな。」

 ナユタが言った。

「そのためにもぜひユビュに、この戦いに加わってほしい。」

 シャールバも言った。

「その通りです。宇宙の王女であるユビュ様が起てば、多くの神々の心を掴むことができ、ルガルバンダに不満を持つ神々の力を結集することもできるでしょう。」

 しかし、ユビュは同意しなかった。

「世界の真の姿はパキゼーが描いた通りであり、そこから何の本質的変化も起こっていないはず。価値の変化も起こっていないはずです。パキゼーが解き明かした真理は何一つ変わっていないのではないでしょうか。それに私はもはや宇宙の王女ではありません。ただ、パキゼーの法を守るために隠遁しているにすぎません。私は戦いに行くことはありません。」

 マーシュ師が言った。

「そうだな。だが、ユビュ、それは難しい問題かもしれぬ。ともかく、しばらくここに留まるがいい。そして、ナユタ、おまえは新しい道を行くなら、それを信じて進むことだ。いずれにしても、ルガルバンダは激怒しておろうから、このままで済むとは思えぬからな。」

 ナユタが答えた。

「分かりました。私はバルマン師の元に帰り、策を練りたいと思います。ユビュ、パキゼーの法を信じたい気持ちはよく分かるが、この宇宙は厳しい現実を突きつけるかもしれない。決して油断せず、マーシュ師とともに用心して欲しい。」

 シャールバも言った。

「私もウバリートに帰り、準備を進めましょう。」

 

 こうして、ナユタはバルマン師のもとへと帰ってゆき、シャールバは北方のウバリートへと帰った。

 そのウバリートでシャールバの帰りを待っていたのはギランダだった。ギランダは、ムチャリンダの城での戦いに敗れた後、行者に扮して流浪する道を選び、宇宙の中をさまよっていたが、ルガルバンダからの追跡をかわし、ようやくたどり着いた先が宇宙の中での最僻地のひとつであるウバリートだった。

 シャールバがウバリートへ帰り着くと、埃だらけのぼろぼろの衣服をまとったギランダが、ひとり門のそばで待ち受けていた。シャールバが近づくと、ギランダは頭から灰をかぶったようなばさばさの髪をかきあげ、そして深々と頭を下げた。

 シャールバが驚いて、

「ギランダか。」

と問いかけると、ギランダは

「はい。」

と答え、そして続けた。

「シャールバ殿。このようなみすぼらしい姿で失礼いたします。ムチャリンダの城での戦いで敗れた後、行者に扮してルガルバンダの追跡を逃れ、ようやくここまでたどり着きました。」

 事情を察したシャールバは言った。

「ギランダ殿。まずは中に入られよ。風呂を用意いたす。旅の垢を落とし、熱い湯で疲れを癒されるがよい。」

 シャールバはギランダを招き入れ、風呂場に案内させた。ギランダが風呂から上がると、新しい真っ白な下着と小ざっぱりした衣服が用意されていた。久しぶりに気持ちの良い衣服にそでを通し、髪を梳いて束ねると、ギランダの目からは涙があふれた。

 シャールバの前に現れるとギランダは改めて深々と頭を下げて言った。

「シャールバ殿。このようにしていただいて本当にかたじけない。ルガルバンダとの戦いに敗れた後、ただ再起を期すため流浪しておりました。どこへ行くべきかもずいぶん考えましたが、シャールバ殿がここウバリートで兵力を蓄えられていると聞きつけ、ここに参った次第です。願わくば、シャールバ殿の軍の一兵卒に加えていただければと考える所存です。」

「ギランダ殿。たいへんな苦労をなさったのであろう。ここは宇宙の最僻地であり、ルガルバンダの勢力も及んでいない。まずはここでゆっくりされるといい。宇宙ではルガルバンダの覇権が成り、私としても忸怩たる思いである。だが、このままで済ますわけにはゆかず、ナユタもバルマン師もいずれ起ち上がるだろう。ギランダ殿に力を貸していただけるなら、こんな心強いことはない。」

 この言葉を聞くと、ギランダは涙を流し、むせび泣くような、絞り出すような声で言った。

「こんなありがたいお言葉はござらぬ。かつて敵対したシャールバ殿からこのような温かいお言葉をいただき、このギランダ、今日ほど胸が打ち震えた日はございません。必ずやシャールバ殿のお力になれるよう、全力を振り絞って戦うことをお誓いいたします。」

 こうして、ギランダはシャールバの陣営に加わり、一軍を任された。さらにギランダは、行者に扮して流浪して得た宇宙の情勢に関するさまざまな情報をもたらした。ルガルバンダに反発する勢力がどこにあるか、ルガルバンダの支配の弱い地域がどこかなど、その情報は貴重だった。

 

 さて、ルガルバンダの都ビハールでは、ユビュを拉致することが失敗したこと、ナユタがその邪魔をしたことなどが報告された。しかし、ルガルバンダは内心は非常に不満だったかもしれないが、表面的にはそれほどの怒りも見せず、鷹揚に言った。

「ユビュを連れてこれなかったのは残念だが、まあ良いではないか。ユビュと我らとの力関係がいかなるものであるか、世の神々にもよく分かったことであろう。昨年は、シュリーを滅ぼし、今年はユビュをより辺境に地に追いやった。十分な成果だ。これを世に喧伝し、我らの体制を盤石にすることだ。」

「おっしゃる通りです。」

 そう答えたのはアルワムナだったが、カーシャパが発言した。

「ただ、リュクセスからも報告されているように、我らの支配地においても、まだ支配が盤石でないところが多々あります。不満分子の地下活動や、反乱を誘起しようとする不穏な動きなどが絶えません。それらを一つ一つ潰し、真の中央集権体制を確立することが必要です。」

「良いだろう。それに、もちろん、ユビュやナユタのこともそのままにして良いわけではない。これについて策はあるか?」

 カーシャパが答えた。

「まず、ユビュですが、ユビュがどこへ行ったかは必ずしも明確ではありませんので、どこにいるか調べねばなりません。思いますに、マーシュ師の館に潜んでいる可能性が高いと思っておりますが、賢者として尊敬されるマーシュ師の館を襲撃してユビュがいなければ、たいへんな非難が沸き起こりましょう。そう考えますと、話は簡単ではありません。まずは、情報収集を継続するほかないかと思います。一方、ナユタですが、今回の一件がありましたので、来年の年賀にやってくることはないでしょう。ともかく、ナユタは今回の件でルガルバンダ様に刃向かったわけですので、ナユタを成敗する大義ができたことになります。ナユタがいるバルマン師の居城も辺境地にあって、兵站を考えると大規模な遠征となりますが、まず、ナユタを征伐すべきと考えます。来春にでも、遠征軍を組織して派遣したいと考えますが、いかがでしょうか。」

「良いだろう。ユビュはその後というわけだな。」

「その通りです。ナユタを倒せば、辺境の地に住まわって我らの支配に服しない者たちもみな我らになびくことは必定。ユビュを服従させるのも容易くなると思います。」

「では、来春の遠征に向けて、準備を怠りなく、進めてくれ。大将はヤンバーにと思うが、良いか。」

 ヤンバーは喜んで頭を下げ、

「ありがとうございます。万全の軍を準備いたします。」

と答え、遠征軍の準備に取り掛かったのだった。

 

20141212日掲載 / 最新改訂版:202134

 

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向殿充浩 / 神話『ブルーポールズ』第4巻