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神話『ブルーポールズ』

【第4巻】-

 

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 永劫の時が流れた。ヴァーサヴァの創造がユビュのタンカーラによって灰燼に帰して以来、宇宙には沈黙した時間がうずくまっていた。鼓動の音一つ鳴り響かず、神々は宇宙の静謐の中に佇んでいた。それは涅槃の清らかさ、究極の平安であった。パキゼーの尊い教えだけが宇宙に真理の光を放ち続けた。

 

 けれど、永劫の静止、無限に続く静寂などありうるはずがない。

 

 その宇宙で、遊星の上から小さな石が転がり落ちた。そのかすかな音で目を覚ましたのはルガルバンダであった。マーシュ師の館での戦いでユビュとシャルマに倒されて以来、永劫の眠りについていたルガルバンダ。そのルガルバンダが目覚めた。

 永い眠りから目を覚ますと、ルガルバンダは天に向かって静かに語った。

「時は流れた。存在の法則も変わった。瞑想が刻む時の清らかさが神々の心を抑えていた時代は終わった。永劫の静寂が破られることなく続くということはあり得ない。荒ぶる神々が羅刹たちとともにこの大宇宙を闊歩し、創造と破壊を踊り狂う時代がやって来る。すべては復活するだろう。この世界に存するものの中で、永遠に滅し続けるものは何もない。再び時が始まるのだ。喪の領域に向かって吹いていた風は未知なるものへと向きを変えるだろう。新たな道を拓き、偉大な時代を創成しようとする者たちの声がこの大宇宙にこだまする日がやってくるのだ。」

 ルガルバンダの声は次々に増幅され、宇宙の隅々にまで響き渡った。静かな、けれど、消し去ることのできないうねりが宇宙の涯てにまで伝わった。その波動は多くの神々を目覚めさせた。無数の神々が起き上がった。新しい風、新しい時代を告げる風が虚空の中を吹き抜けていった。

 神々は口々に言った。

「パキゼーの教えは無上の教えだったかもしれない。しかし、それは何も生み出しはしなかった。おれたちが求めているものはそんなものじゃない。」

「経典の詩句は美しいかもしれないが、現実はそれだけで片付くはずがない。空虚な空証文のようなものだ。」

 その声は大きなうねりとなって宇宙を巡り、多くの神の心をどよめかした。宇宙に静かな、けれど決して後戻りできない胎動が始まっていた。

 そして、宇宙開闢以来のあらゆる書物に通じ、いかなる問答にも必ず勝つと言われた神ルガルバンダは、全宇宙に対して高らかに宣言した。

「宇宙は新しい大義を求めている。ヴァーサヴァのかつての威光は朽ち果て、ナユタとユビュの権威は霧散し、世を惑わしたパキゼーの似非の法も幻となった。新たな時代がここから始まる。これからは神々の繁栄を築く時代、そして己の力によって己の繁栄を築くことのできる世界が始まるのだ。心ある神はここに糾合するがいい。まさに新たな戦いが始まる。私は時代を切り拓くためにその先頭に立つだろう。」

 その宣言に呼応して、神々がルガルバンダの元へ集まってきた。新しい世界、新しい時代が音を立てて回り始めたのだった。

 

 一方、ナユタも宇宙の涯てで目を覚ました。神々の声を耳にしたナユタは言った。

「パキゼーの教えが宇宙を整えていた時代は終わった。その教えは尊いが、神々はもはやその教えだけでは生きてゆくことはできないのだろう。新しい時代が始まる。再び混乱と混沌の時代が始まるだろう。」

 そのナユタの元に早くもやってきたのはカーシャパだった。カーシャパはやってくるなり、ナユタに語りかけた。

「ナユタ、時代は再び動き出した。再びおまえの時代が始まる。神々がおまえを待っている。」

 しかし、ナユタはカーシャパの期待に応える返事はしなかった。

「カーシャパ、たしかに時代は大きく動くだろう。再び世界は胎動を始めており、新しい相に入ったのは確かだ。だが、私には依然としてパキゼーの言葉が耳に焼き付いている。神々の欲望の渦巻く現実の中に足を踏み入れることが正しいことと言えるのか、という声が私の心の奥底に鳴り響いている。」

 この言葉はカーシャパを驚かせた。かつてのナユタからは想像できない言葉だったからだった。

「だが、ナユタ。」

と語気を強めてカーシャパは言った。

「かつての秩序は崩壊し、パキゼーの法も廃れた。そして、ルガルバンダが発した声は神々の心を突き動かした。神々が次々に立ち上がり、力に頼った争いが沸き起こるのは目に見えている。その中でおまえはどうするというのか?前回の創造の際、おまえはヴァーサヴァの七本目のブルーポールを折り、創造を救うべく敢然と難局に立ち向かったではないか。」

 ナユタはこの言葉に考え込んだが、しばらくしてこう言った。

「だが、これから世界で起こるのは創造を巡る争いではない。かつては創造を救わねばならなかったが、今、救うべきものは何なのだろう。」

「それは神々の世界そのものだ。」

 カーシャパはきっぱりとそう言ったが、その言葉もナユタの心を打たなかった。

「かつて神々は清貧の生活を営んでいた。豊かではなかったが、困窮していたわけでも不幸だったわけでもない。だが、ルガルバンダが掲げた宣言は、力によって繁栄を目指そうというものでしかない。権力による繁栄を求めるということは、結局、際限なく欲望を掻き立てることにしか結びつかないのではないか。そして、それはパキゼーの思想にも根底から反しているのではないか。」

「だが、ナユタ。神々の世界の混乱は必ずやおまえのところにも迫ってくる。」

「それはそうかもしれないが。」

 言葉を濁したナユタは、さらに次のように言った。

「神々の世界は神々自身が責任を持つべきなのではないか。欲望のるつぼと化そうとしている世界に足を踏み出すことがおれのなさねばならないものなのかどうか。ともかく、カーシャパ。おれは何をなすべきなのかについては、もう少しじっくり考えたい。まずは、ユビュを訪ねてみようと思う。」

 この言葉にカーシャパは苛立った。

「ユビュを訪ねるのは悪くない。だが、ナユタ。時代は待ってはくれない。おまえが考えている以上に急激に世界は動くぞ。」

「そうかもしれない。しかし、今、混乱が始まろうとする世界の中に踏み出す気にはなれないのだ。」

「たしかに、これからやってくる混乱の時代は、おまえやユビュの心に適わず、パキゼーの悟りからもはるかに遠いだろう。だが、その時代は目の前までやってきているのだ。今なら、おまえが起てば、少なからぬ神々がおまえの元に集まり、おれもできる限りのことをする。だが、今を逃せば、世界はルガルバンダなどの群雄が割拠し、さらには、その中の争いに勝った者たちが覇を競う世界になるのは必定。そして、彼らにとって、おまえは邪魔な存在になるだけ。今起たずしてどうしようというのか。」

 だが、ナユタは同意せず、カーシャパとナユタの会話は平行線をたどったままだった。カーシャパはナユタと共に起つことを諦め、落胆して帰っていった。

「ナユタがこんなだとは思わなかった。だが、だとしたら自立するほかない。」

 そう自分に言い聞かせると、カーシャパは自立の道を選び、準備を始めたのだった。今や、神々は、ルガルバンダを筆頭に、みな自立と勢力拡大に躍起になり始めている。取り残されては惨めな未来しか拓けない。自らの土地、自らの勢力は自分の力で守らねばならないのだ。それが神々の心を支配する衝動であり、その衝動に突き動かされて神々が動いている中、おれの道も同じ道しかないではないか。それがカーシャパの胸の内の思いだった。

 

 ヴァーサヴァが隠居していた森では、シュリーとライリーが目を覚ました。ヴァーサヴァとランビニーは既に永劫の円環の中に旅立っていたが、ルガルバンダの声で目を覚ましたシュリーは語気を強めてライリーに語った。

「ライリー、時代は変わった。父ヴァーサヴァの時代も終わったし、パキゼーの時代、そして、ナユタやユビュの時代も終わった。これからは私の時代なのだ。世界は動き出している。その中に踏み出し、私の世界を切り開くこと、それこそが、父ヴァーサヴァの遺志を継ぐことであり、ヴァーサヴァの長女として私の役目だ。」

 これに対し、ライリーは慎重に言葉を選びながら言った。

「シュリー様が森を出て戦うというのであれば、私はもちろんそれに従い、共に戦いましょう。ですが、私としては、シュリー様にこの森に留まっていただきたいと願っております。ヴァーサヴァ様はこの森で静かに余生を送っておられました。ルガルバンダが新しい時代の到来を宣言したとしても、私たちが護らねばならない最大のものはこの森とその中のヴァーサヴァ様の祠ではないかと思っております。」

 だが、シュリーはそんなライリーの言葉など一顧だにしなかった。

「ライリー。たしかに森に籠っていれば、しばらくは安泰であろう。だが、これから激動の時代が始まり、この森に籠っていても新しい時代の荒波は必ずや押し寄せてくる。その荒波に抗するには、この森を出て世界に踏み出すしかないではないか。」

「しかし、その新しい時代は生易しい時代ではないでしょう。」

「そうかもしれぬ。だが、この世界は父ヴァーサヴァが神々の会議の主催者として君臨してきた世界。ヴァーサヴァの長女としての私の使命は厳然としてある。それから逃げ出すことこそ神として恥ずべきことではないか。ましてや、ルガルバンダごときにこの世界を牛耳らせることなど断じて許せるものではない。我が守護神アルテミス女神はきっと我らを嘉してくださるだろう。」

 この言葉にシュリーの覚悟を悟ったライリーは、森を出るしかないと覚悟を決めた。

「分かりました。シュリー様がそのお覚悟であるなら、私はどこまでもシュリー様を支えましょう。」

 こう答えると、ライリーはすぐさま森を出る準備を始めた。そして、シュリーとライリーは森を出ると、近くのバダーミスに拠点を構え、周辺地域を次々と支配下に置いていった。

 

 世界は瞬く間に動き出したのだった。遊星から転がり落ちた小さな石は巨大な波紋となって宇宙をうねり始めた。

 宇宙には新たな緊張が走り、神々の心には不安が広がった。宇宙の主要な神々が次々と眠りから覚める中、神々の大きな関心事の一つはムチャリンダとイムテーベの動静だった。

 パキゼーによって葬られたイムテーベ、クリシュナによって倒されたムチャリンダは復活するのか?それとも彼らは葬り去られたままなのか?多くの神がこの問題を議論したが、誰も答えを得られなかった。

 そんな中、ルガルバンダはひとりつぶやいた。

「この世に葬り去られたままのものなどあろうはずがない。存在する意味を持つものは必ず再び現れるのだ。」

 そして、そのとおりになった。宇宙の振動はムチャリンダを突き動かし、ムチャリンダは復活した。

 目覚めたムチャリンダは叫んだ。

「おれは再びよみがえった。おれは世界がおれを必要とするとき、いつだとてよみがえってくる。世界は再び混乱の時代を迎えた。パキゼーのまやかしの法が世界をたぶらかした時代は終わった。これからは創造を巡って争いが繰り広げられる時代ではない。人間を介して神々が争う時代でもない。これからは神々自身の覇権が競われる時代なのだ。ヴァーサヴァが去り、神々の会議の主催者はいなくなった。この宇宙の覇権は力ある者が握るのだ。」

 この叫びは宇宙の隅々にまで広がり、心を震撼させられない神はいなかった。

 こうしてムチャリンダはかつての居城に軍備を整え始めた。

 イムテーベも復活した。復活しなかったのはウトゥだけだった。ウトゥだけは蘇ることを拒否し、そのままヴァーサヴァのいる永遠の円環の中に踏み入ったのだった。おぞましい現世に対する絶望と拒否の感情がウトゥをそうさせたのかもしれなかった。

 

 そのころ、ナユタはひとりユビュを訪ねていた。

 ユビュは目覚めた後もパキゼーの法を守り、辺境の地の小さな住処でマーシュ師の編纂したパキゼーの経典を読んで静かに暮らしていたが、ナユタはやってくると次のように言った。

「宇宙がパキゼーの法の輝きの中で平安に佇んでいた時代は終わった。ルガルバンダが目覚め、時代は新しい領域に入った。これからのことを相談したい。」

 これに対して、ユビュは落ち着いた声で静かに語った。

「たしかに、新しい時代が始まったのかもしれません。でも、パキゼーの教えの輝きに一片の曇りも生じていないのもまた事実です。世の神々の間で愚かな争いが起こるのかもしれませんが、パキゼーの打ち立てた法灯は永遠に輝き続けるはず。法から逸脱したいかなる試みも決して真には何も生み出しはしないでしょう。」

 この言葉はナユタの思いと相容れるものだったが、ナユタは敢えて問いかけた。

「ユビュ、パキゼーの見出した真理が永遠の輝きを持っていることはよく理解している。しかし、多くの神々はもはやパキゼーの教えにのみ従って生きてゆくことはできなくなっている。時代は変わったのだ。パキゼーの言ったとおり、教えは廃れ、末法の世が来たのだ。そのとき、私たちがなさねばならないことは決してパキゼーの教えにのみすがっていることではないはず。欲望に目を血走らせた神々の世界が織りなす現実の中で、何もなさず傍観していて良いものかどうか。」

 ナユタは、カーシャパに対しては、すぐに世に出て勢力争いに加わることには同意しなかったが、何もせずに傍観していて良いのかという思いも強かった。だから、どうすべきかを相談するためにユビュを訪ねたのだが、ユビュはそのような世の情勢に関わろうとは考えていなかった。

「ナユタ。一部の神々は新しい時代が始まったと喧伝していますが、それはおろかな妄想に基づくものにすぎないはず。真理は別の領域にあります。彼らがやっきになっているものは真実の領域ではなく、煩悩の上に建てられた空虚な楼閣のごときものにすぎません。それに惑わされることこそ愚かな行為ではないですか。」

「たしかにパキゼーの輝きこそが真の光であり、現実の虚妄に囚われることが愚かなことだというのはその通りだろう。しかし、現実に、ムチャリンダやイムテーベも目覚め、シュリーは森を出てバダーミスで戦さの準備に入っている。」

「それは、たしかに聞いています。しかし、その争いに加わることが私たちのなすべきことなのでしょうか。それこそ、パキゼーの教えから最も遠いことなのではないでしょうか。かつて湖のほとりで私はタンカーラを吹き、父ヴァーサヴァの創造を帰滅させました。今再び宇宙の静寂が破れ、胎動が始まっているとはいえ、真理が失せたわけではありません。私はパキゼーの教えに帰依しました。私の務めは、パキゼーの教えを守り、その法灯を輝かせ続けることと思っています。仮に世界が混乱するとしても、この小さな館でパキゼーの教えを護り続けることこそ、私のなすべきことと信じています。」

 このユビュの言葉、ユビュの強い意志はナユタの心を大きく動かした。だた、ナユタは深く心を打たれながらも、なおも言った。

「しかし、これから世界は覇権争いの恐ろしい時代が始まるのではないかと思えてならない。そのとき、それを傍観していいものかどうか。」

「それは私にはよく分かりません。でも、私は、あなたが、ルガルバンダやムチャリンダ、シュリーなどと神々の世界の覇権をめぐって争う姿を見たくはありません。あなたは孤高で真実の神のはず。たしかに、あなたは、私とは違う使命を持っており、新たな現実の中に飛び込んでゆかねばならないかもしれません。でも、それは少なくとも他の神々と勢力争いをすることでも、自らの権力を確立することでもないのではありませんか?」

 この言葉を聞いて考え込むナユタに、ユビュは続けた。

「ナユタ、結局は、信ずるところに従って道を進むしかないと思います。ですが、もし、よければ、バルマン様のところへ行ってはどうですか?道が開けるような気がします。」

 この提案はナユタも納得できるものだった。ナユタはうなずきながら答えた。

「ありがとう。そうするよ。だが、きっと、これから世界では恐ろしいこと次々と起こるだろう。パキゼーの法は神々の心に清新の風を送り込み、灯明を灯したが、そのパキゼーも、法は世界をも宇宙をも救うことはできぬ、と言った。そしてユビュ、あなたがこの世界に対して何かをしなければならないときがきっとくるような気がするよ。」

 この言葉を残してナユタはユビュと別れた。そして、ユビュの勧めに従って、バルマン師の庵を訪ねたのだった。

 

 バルマン師の庵を訪ねると、バルマン師はナユタを温かく迎えてくれた。

「ナユタ、久しぶりじゃな。世界にはまた混乱の兆しが出始めておるが、おまえが訪ねてきてくれてうれしいよ。」

「バルマン様、ほんとうにお久しぶりです。世界にはまさに新たな混乱が生じようとしており、これからどう動いてゆくか皆目分かりません。」

「そうだな。それで、おまえはどうする?」

「はい。何かをなさねばならいのではないかという強い思いに駆られてもいます。しかし、何をなせばいいのか、それが私にはよく分かりません。その教えを請うためにこうして参ったのです。」

「そうか。だが、いずれにしても、パキゼーの法からはおよそほど遠い世界が展開するのだろうな。ルガルバンダはパキゼーの法に代わる新しい時代を宣言し、神々の欲望に火をつけた。そして、その欲望は燎原の火のごとく、神々の心に燃え広がっている。これをパキゼーの法を唱えるだけで収めることはおそらくできまい。」

「ただ、ユビュは法を守ってゆくという強い意志を持っており、世の中とかかわり合う意思は持っていませんでした。」

「そうだな。それも一つの道であろうな。ただ、それだけで良いかどうか。世界が神々の欲望を満たすための争いの場となり、ひいては、覇権争いに発展する時、大地は無数の悲鳴と汚辱を飲み込むことになろう。だが、それを防ぐ決定的な手立てはない。」

「手立てはない?」

「ない。一つあるとすれば、おまえ自身がその覇権争いに加わり、おまえが覇権を握ることだけだ。だが、そのこと自身が、さらなる世の争いを拡大させるものでもあるしな。」

 この言葉にナユタはうなずいたが、すぐには言葉が出なかった。するとバルマン師は次のように続けた。

「干からびた荒野にハゲタカが舞い始めている。星座たちは美しい演戯を繰り返しているが、もはや新しい地平への突破を導きはしない。絶対者に忘れ去られた天使たちはただ黙って縹渺たる風の中に立ち尽くしている。」

 この言葉を受けてナユタはつぶやいた。

「突破できない何かが大気の中に混じっている気がします。いかなる努力が道を完結させるのか、私には見えません。私の前には、茫々と無駄な努力が広がっているように見えます。」

 バルマン師はうなずいたが、柔和な表情を浮かべて語りかけた。

「老神の知恵が良い知恵かどうかは分からぬが、慌てないことじゃ。少なくとも、今、ルガルバンダやシュリーと争うのは賢明なこととは思えない。いつか、おまえが何かをなさねばならない日が来るかもしれぬが、しばらくここに留まってはどうかな。ここは世界の辺境の地のひとつであり、世のざわめきからは隔絶されている。心静かに瞑想にふけるのもよし、修行に励むのもよし、自らの進むべき道を見極めるために過ごすには良い場所だろう。」

 この言葉はナユタを喜ばせた。

「ありがとうございます。お言葉に甘え、しばらくここで過ごさせていただきます。」

「ああ、そうするがいい。では、歓迎の曲を奏でよう。」

 そう言うとバルマン師は楽器を取り上げ、演奏を始めた。

 ナユタにとっては、かつて地上でパキゼーの奏でる響きを耳にして以来の響きだった。不思議な韻律の穏やかな音の列の繰り返しの中から、凄まじいまでに広漠とした宇宙の生の響きが響いてきた。

 演奏が終わってバルマン師が楽器を置くと、ナユタは言った。

「同じような響きをかつてパキゼーが奏でるのを聞きました。そしてそのとき、パキゼーは、音楽は奏でるものではない、この宇宙に漂う音を釣り上げるものなのだと言いました。」

「その通りだ。もし、おまえにこの音を習うつもりがあるなら、わしが教授して進ぜよう。」

 この言葉もナユタを喜ばせた。

「ありがとうございます。ぜひお願いいたします。」

 こうしてナユタはバルマン師のもとで新しい生活を始めた。バルマン師の館は静かな竹林の中にあり、ナユタは竹林の一角の小さな庵に居を構えた。

 ナユタは、毎朝、バルマン師のもとを訪ねて朝の挨拶を行い、それから木や竹を削って音を奏でた。あるときはバルマン師から石のたたき方を教わり、またあるときは夜の空の星々について教えを請うた。

 静かな竹林にたたずみ、その上の空を見上げ、鳥のさえずりに耳を澄ませ、池の金魚を眺めて過ごす毎日だった。精神の修練を続け、膨大な巻物を読む日々でもあった。ナユタは宇宙の喧騒から離れ、冷たい空気を静寂の中で吸い込むことを最高の喜びとし、雨の日には静かに濡れた竹林を眺め、池に広がる雨粒の波紋を見つめ続けた。

 興奮に満ちた世界で醜く膨らんだ夢のぶつかり合いはここにはなかった。荒野で沈黙していた石たちが、ここでは微笑んでいた。

 バルマン師は言った。

「かつて地上に生まれ落ちた時、マーシュ師とユビュの導きにより、石を叩く音楽を始めた。そして、その音楽をパキゼーに伝えた。それは宇宙の真音を求める道であったが、その道が極め尽くされたということはない。わしは今もなお道を求め続けておる。」

 こうして、ナユタは音楽の基礎を学ぶとともに、宇宙の真音を求める道を究めるべく修行を続けたのだった。

 

 一方、ナユタがバルマン師の元に留まる間にも世界は急激に展開していた。

 ムチャリンダ、イムテーベ、ルガルバンダ、ヤンバー、シュリー、シャルマ、プシュパギリ、カーシャパ、ルドラ、ギランダ、バルカなどがそれぞれの領地を押え、さらに無数の中小の領主たちがそれぞれの領地を支配した。

 こうして世界は瞬く間に分割され、そして、どの神も、次の来たるべき戦いへの備えを始めたのだった。神々が互いに干戈を交え覇を競う時代、信義よりも利が重んじられ、謀反や裏切りが日常茶飯事となる時代の始まりだった。

 ムチャリンダは戦いの準備を進めると同時に、イムテーベ、ルガルバンダ、ヤンバー、ルドラ、ギランダ、バルカらに使者を送り、ムチャリンダの居城に来てくれるよう要請した。しかし、イムテーベ、ルガルバンダ、ヤンバー、バルカの四神はやって来なかった。

 イムテーベはムチャリンダからの使者を迎えると静かにこう答えた。

「遠路ご苦労であった。ムチャリンダ殿が復活されたことはまことに喜ばしい。このイムテーベも心よりお喜びしておりますとお伝えいただきたい。ただ私も復活して間もなく、軍備も整っていない。まずは自らの力を蓄えることをせねばならぬ。私はこの地にとどまり、天の時を待つ所存。ムチャリンダ殿のご意向に添えないこと、たいへん心苦しいが、どうかご理解いただきたいとムチャリンダ殿にお伝えいただきたい。」

 イムテーベはうわべではこう言ったが、内心ではまったく別のことを考えていた。これからは皆が覇を争う戦国の時代になる。もはやムチャリンダとナユタが創造の意義を巡って相争ったような二大勢力がぶつかり合う時代ではない。これからは多くの神が覇権を争う複雑な時代なのだ。この時代、自分が目指すのは天下を取ること。だから独立して勢力拡大を目指すべきだ。それがイムテーベの基本的な考え方であった。

 ルガルバンダも同様であった。ルガルバンダはムチャリンダからの使者を丁重に送り返すと、吐き捨てるようにつぶやいた。

「ムチャリンダの時代錯誤もこれほどとはな。皆、自分が天下を取ろうと思っている。イムテーベやヤンバーもムチャリンダのところに馳せ参ずるわけがない。必要とあらば、ナユタとでもシュリーとでも手を組めば良い時代なのだ。たしかにおれの勢力はまだ小さいが、知恵を使って覇を唱えて見せよう。」

 また、バルカはムチャリンダにではなく、イムテーベに付き従う道を選んだ。

「これからは武略の時代。もはや破壊の神ムチャリンダの時代ではない。軍神イムテーベの力こそが時代を制するだろう。」

 そう信じたバルカはイムテーベの元へ馳せ参じたのだった。また、イムテーベのかつての僚友サヌートもイムテーベの元にやってきた。

 ムチャリンダはイムテーベもルガルバンダもヤンバーもやってこないことに苛立った。

「かつての恩も忘れ、みな己の野望で動いている。そのさまざまな野望を打ち砕き、この宇宙に再び秩序を確立すること、それこそがおれの使命だ。」

 そう叫ぶムチャリンダの元へやってきたのはギランダとルドラであった。

 ギランダは言った。

「ムチャリンダ殿、再びあなたの時代です。パキゼーの法は、パキゼー自身が予言したとおり廃れました。これからは力がものをいう時代なのです。」

「ギランダ、頼もしく思うぞ。イムテーベもルガルバンダもヤンバーもやってこないが、おれたちだけでも十分だ。」

 ルドラも言った。

「彼らは皆、欲望のまま動いているのです。大義などどこにもない。私のかつての主人ルガルバンダもただ天下を取ろうとしているだけ。力を合わせて、この難局に対処しましょう。」

 そんな中、かつてのナユタ陣営の武将たちは決断を迫られた。シャルマはバルマン師の館にナユタを訪ね、次のように言った。

「ナユタ、たいへんなことになったな。あの時以来の宇宙の危機が生じている。ヴァーサヴァが神々の主催者の地位から去った後、パキゼーの教えがこの宇宙の秩序を保っていたが、今、その輝きは薄れ、多くの神々はもはやパキゼーの法を省みもしない。力と謀略が飛び交う世界になってしまった。だがナユタ、忘れてならないことがある。それは単なる力がすべてではないということだ。大切なのは真理であり、正義であり、信義なのだ。それを軸に進む限り、道は開けるだろう。」

 これに答えてナユタは言った。

「ユビュはパキゼーの法を守り続けるという。そして、私も軍勢を仕立てて覇を争うことを目指してはいない。ただ、私は、この宇宙で何がなされねばならないのか、それを見極めたい。そして、そのために、こうして、バルマン師の元に留まって修行を続けているのだ。」

「いいでしょう。ただ、備えが必要なのも事実です。私は来たるべき日のための準備を進めましょう。実は、ここからはるか北のウバリートという地で準備を進めています。ウバリートは宇宙全体なら見れば辺境の地で、夷狄の部族が住んでいる場所ではありますが、中原から遠く、防御の拠点としては格好の場所。ここで準備を整えておきましょう。」

 こうして、シャルマは辺境のウバリート城で軍備を整え始めたが、かつてのナユタ陣営の他の武将たちも決断せざるを得なかった。

 世界が急速に枠組みを変えようとしている中、いてもたってもいられなくなったカーシャパはそうそうに独立を宣言した。また、プシュパギリもナユタとシャルマのことを気にかけつつも自分の拠点で戦力を蓄え始めた。動かなかったのはヴィクートだけであった。

 

 時代の車輪は轟音を立てて回転し始めていた。

 森を出てバダーミスを居城としたシュリーは瞬く間に大軍勢を結集させ、疾風のごとき速さで進撃した。

 彼女には何ものにもまさる大義があった。それは神々の主催者ヴァーサヴァの正統な後継者という錦の御旗であった。ヴァーサヴァが森に引退し、ユビュが宇宙の王女に推されたとしても、なおヴァーサヴァの長女としてのシュリーの地位には揺るぎないものがあった。

 彼女がたとえ前回の創造の際にムチャリンダに敗れ、ムチャリンダの牢獄につながれていたとしても、ヴァーサヴァの館での戦いで勇敢にムチャリンダに挑んだ勇姿は多くの神々の心に焼き付いていた。

 たくさんの兵士が駆けつけた。彼女の軍団に援助を申し出た神々も少なくなかった。

 シュリーはその軍団の先頭に立ち、きらびやかな鎧兜に深紅の旗をたなびかせて進軍した。シュリーの前にまず立ちはだかっていたのはプシュパギリであったが、シュリーがやってくるという報にプシュパギリは慌てた。

「なんという素早さ。こちらはまだ準備が整っていないというのに。」

 部下のシャンターヤはプシュパギリに時間稼ぎを進言した。

「このまま戦端を開いては当方が圧倒的に不利。まずは使者を立て、和平を提案すべきかと。仮にシュリーがそれを飲まないとしても交渉の間、戦闘準備の時間が稼げます。」

 プシュパギリはこの進言を入れ、シャンターヤを使者として遣わした。シャンターヤはシュリーの前に進み出ると鋭い口調で言った。

「シュリー殿、何ゆえにこのように進軍し、プシュパギリとことを構えようとされるのか?そもそもこの宇宙がルガルバンダの一言によって新しい時代に入ったとはいえ、決して神々が血で血を洗う争いの時代に入ったわけではありますまい。プシュパギリは新しい時代にふさわしく、居を構えて独立しているのみ。何ゆえにこのような大軍を擁して押しかけてこられるのか?宇宙はなお平和を求めているはずであり、このような手荒な行為を世の神々が嘉するはずもございますまい。」

 シャンターヤはこのように詰問したが、シュリーは涼しい顔をして聞き流し、次のように答えた。

「おまえの申すことはいちいちもっとも。もとより、私が考えていることと何の相違もない。私はただこの宇宙が新しい時代に入り、新しい秩序を欲しておることを理解しているのみ。その中で私がなすべきことを理解しているだけだ。その私の使命が何か分かるか。」

 この問いかけにシャンターヤが答えずにいると、シュリーは続けた。

「それはただ、宇宙の主催者であった父ヴァーサヴァの正統なる後継者であるこのシュリーがこの宇宙に新たなる秩序を打ち立てねばならぬということだ。もとより、私は戦争など露ほども望んでおらぬ。この軍団はただただ宇宙に秩序を打ち立て、宇宙の秩序を維持するのに必要なまでだ。こうして今日ここまでやって来たのは、プシュパギリにこの新秩序を理解してもらいたいというただそれだけのことだ。」

「恐れながら、その新秩序を理解するとはどういう意味でしょうか?」

 シャンターヤは恐る恐るそう聞いたが、シュリーが答えるよりも先に、そばに控える側近の部将が声を荒げて答えた。

「簡単なことだ。シュリー様を宇宙の盟主と認めるという以外にあるわけないではないか。」

 シャンターヤは顔をゆがめた。

「プシュパギリは前回の創造の際の幾多の戦いを通してナユタとの固い絆があり、今回、独立したとはいえ、ナユタと袂を別ったのではありません。もし、シュリー様が真の宇宙の盟主となられれば、それを認めることもやぶさかではありませんが、今の宇宙の状況でそれを安易に認めることはむずかしいと申し上げざるを得ません。」

 この言葉を聞くとシュリーはすっくと立ち上がり、居並ぶ部将たちに向かって叫んだ。

「聞いたであろう。プシュパギリはこの私を宇宙の盟主と認めぬと言う。ヴァーサヴァの長女にして正統な後継者であるこの私をだ。プシュパギリはこの新しい秩序を認めず、ただ妨害する存在でしかないことが明らかとなった。もはや議論は不要。進軍だ。全軍進軍せよ。アルテミス女神が我らを守り給うであろう。」

 この号令にシュリー軍団は一気に動き出した。ごうごうという車輪の音が大気を振動させ、戦車を引く馬たちの蹄の音が大地を軋ませた。シュリー軍団がプシュパギリを目指して押し寄せると、プシュパギリもできる限りの兵員を動員し、シュリーの軍団に向かい合った。

 全軍が整列し、戦闘態勢を整えると、シュリーの軍団から法螺貝が吹き鳴らされた。何十億年もの間、誰も聞くことのなかった戦さの合図であった。

 軍団の中心でまっすぐに前を向いて進むシュリーは黄金をちりばめた戦車に打ち乗り、駿馬を駆って炎を巡らせる太陽神のごとくに輝いて見えた。

 戦闘が始まると、シュリーの軍団は果敢だった。なかでもライリーは先陣を切ってプシュパギリの軍団に飛び込んだ。ライリー軍のすさまじい勢いにプシュパギリの軍勢はあっというまに分断された。

「プシュパギリはどこにいる。」

 そう叫ぶライリーを振り切り、プシュパギリは城内に逃げ込むのがやっとだった。シュリー軍はすぐさまプシュパギリの城を包囲した。プシュパギリは籠城せざるを得なかったが、展望があるわけではなかった。

 シュリーは使者を送り、シャンターヤを本陣に招いた。シャンターヤがやってくると、シュリーは鷹揚として言った。

「どうだ。この現実を理解したか。」

 シャンターヤはうつむいたまま顔を上げられなかったが、シュリーは淡々と続けた。

「もはやプシュパギリに逃げ道はない。だが、私はプシュパギリに特段の恨みを持っているわけではない。わが軍団に降り、わが新秩序建設の崇高な大義に参加するなら、プシュパギリを将軍に任ずる用意があると伝えてくれ。あくまで抵抗して、ここで倒されるのもプシュパギリの自由だがな。よく考えるがいい。期限は明日の朝までだ。期限を超えれば、わが軍の破城槌がおまえたちの唯一の頼みの青銅の門扉を打ち破るだけだ。」

 シャンターヤはシュリーの言葉をもって城に戻った。もはやプシュパギリに道はなかった。

 プシュパギリは城を開き、シュリーの軍門に降ったのだった。

 

 このできごとは宇宙中の神々を驚愕させた。いとも簡単に既存の秩序が崩れ、しかもかつてはナユタの盟友だったプシュパギリがシュリーの将軍になったからだった。

 そしてこの戦いはシュリーの勢力を大きく伸張させることとなった。従来のシュリーの支配地では、いちじく、葡萄、オリーブなどは豊かに実ったが、穀物の生産量はそれほどではなかった。一方、プシュパギリの領土では、河の水を跳ね釣瓶で畑に引き入れる潅漑が進み、単位面積あたりの生産量は群を抜いていた。播種量の二百倍、三百倍の収穫も可能であった。このプシュパギリの領土を手に入れた結果、シュリーはさまざまな作物が採れる実り豊かな領土を支配できることとなり、天下に覇を競いうる一大勢力となったのだった。

 これに伴い、シュリーは王国の建国を宣言した。プシュパギリを従えた三年後、神々が目覚めてから九年目のことだった。シュリーは新たに建立したアルテミス寺院を詣で、アルテミス女神の前で王冠をいだくと高らかに宣言した。

「ついに我らは王国を建設した。ヴァーサヴァ神の威光を再びこの大地に輝かせるための王国だ。私はヴァーサヴァ神の正統なる後継者としてその使命を全うすることに全力を尽くす。」

 この宣言は世界に衝撃を与えたが、ルガルバンダは驚きも慌てもしなかった。

「この程度のことは織り込み済みだ。それに、シュリーが率先して既存秩序の破壊を進めるというならそれも好都合。おれがこの宇宙の秩序を踏みにじったという非難を受けずに済むからな。」

 そう語ると、ルガルバンダは全宇宙に向かって宣言した。

「世界が新しい相に入ったとはいえ、シュリーの行動は全神々への不遜な挑戦と言わざるを得ない。私はそのやり方を是とするつもりはさらさらない。シュリーは必ずや誅さねばならない。そして、私はこの世界に新たな秩序を打ち立てることを宣言する。神々が真に繁栄できる新しい秩序をだ。だから、さあ、神々よ、この新秩序建設に参加するのだ。私はこの秩序建設に参画するすべての神々と繁栄の実りを分かち合いたいのだ。」

 そして、この宣言に基づき、ルガルバンダもビハールを首都として王国の建国を宣言した。シュリー王国建国の翌年のことだった。この建国に併せてルガルバンダは新たな暦を創設した。その暦では、王国の建国と同時に初代国王としてルガルバンダが即位したこの年をルガルバンダ紀元元年と制定した。さらに、ルガルバンダは、月の運行に基づくそれまでの太陰暦に替わって、太陽の運行に基づく太陽暦を採用し、一年を十二ヶ月に分けたのだった。

 ビハールはかつて伝説的な秀麗な古都パータリプトラがあった場所であったが、ルガルバンダが拠点と定める前は荒れるがままにまかされ廃墟さながらの場所でしかなかった。家臣の中には、

「こんな場所を拠点としなくとももっと良い場所があるのでは?」

と進言する者もあったが、ルガルバンダは笑って取り合わなかった。

「荒れ果てているから良いのだ。自由に自分たちの望む都市を造れるではないか。それにここがかつての古都パータリプトラだったということ、それ自身が多くの神々の心を惹きつけるだろう。」

 ルガルバンダはそう語ってビハールの中央にかつてどこにもなかったほどの広さの大通りを南北に通し、その回りに新たな都市を建設していったのだった。ルガルバンダ王国建国の年には、大通りの先に大極殿が建立され、ルガルバンダは建国記念のパレードを大通りで行い、大極殿で戴冠の儀を執り行ったのだった。

 ビハールはルガルバンダ王国の首都であるとともに商都としても栄え、たくさんの商神、鍛冶屋、大工、鋳物師、工芸師、調理師などが集まり、それをルガルバンダ王国の兵士が支えた。

 ルガルバンダは王国の建国を宣言すると、ヤンバーに使者を送った。使者はヤンバーの館に着くと、ヤンバーに向かって言った。

「ヤンバー殿、ルガルバンダがついに王国の樹立を宣言し、その勢力がいまや大勢力になりつつあることはお聞き及びでしょう。ルガルバンダは宇宙一の猛将ヤンバー殿にぜひわが国に加わっていただき、大将軍としてご活躍いただきたいと申しております。」

「大将軍?大将軍はルガルバンダ殿ではないのか?」

 そうヤンバーは聞き直したが、使者は冷静に答えた。

「いえ、ヤンバー殿を大将軍にお迎えしたいのです。それはすなわち、ルガルバンダ軍の軍事に関することはヤンバー殿にお任せするということです。」

 この申し出にヤンバーはしばらく考え込んだが、意を決して言った。

「いいだろう。ありがたいお話だ。ルガルバンダ殿に、このヤンバーがお味方するとお伝えしてくれ。」

 ヤンバーは本当は独立して覇を競いたかったのだが、ルガルバンダが世界に喧伝する主張に多くの神々が集まってきている状況の中、単身で戦うより、ルガルバンダのもとで勢力を伸ばした方が得策と判断したのだった。

 

 ヤンバーがルガルバンダに組し、大将軍に任じられた動きにカーシャパは危機感を強めた。そのため、カーシャパは遠路ヴィクートを訪ねた。

 ヴィクートのもとを訪れると、カーシャパはたたみ掛けるように語りかけた。

「ヴィクート、宇宙は激しい胎動を始めた。古い秩序や価値観は音を立てて崩れ去った。新しい時代が始まる。これからは自助自立するしかない。今、我らにはルガルバンダの脅威が迫ってきている。まさに、火急の時だ。かつて、おまえが起ち、ヤンバーを倒した力を今再び現して欲しい。力を合わせてこの脅威に対抗しようではないか。」

 カーシャパは熱意を込めて語ったが、ヴィクートは同意しなかった。

「カーシャパ、宇宙は確かに急速に変わり始めている。だが、真理が変化したわけではない。真理は尚ある。その真理に沿うことこそ道と思うが。」

「だが、そんな真理によってこの危難にどう対応できるというのか?いかなる真理がルガルバンダを食い止めるというのか?」

 このようにカーシャパは言い、さらに粘り強く説得を続けたが、ヴィクートは最後まで首を縦に振らなかった。

「もし、このままでは危難が降りかかるというなら、私はただ去るだろう。宇宙の涯てに私が隠遁するくらいの場所はあるだろう。」

「しかし、おまえの力がこの宇宙で輝きを発する時代ではないか。今まさに、その力を宇宙に知らしめる時ではないか。」

 カーシャパはそう言ったが、ヴィクートは冷やかに答えた。

「私はそんなことを望んではいない。カーシャパ、かつて一緒にパキゼーの教えを請いに行ったではないか。私はただ、マーシュ師が編纂した膨大な経典を読み、その教えを則として道を行くのみだ。」

 この言葉にカーシャパは説得を諦めた。しかし、カーシャパの状況は容易ならざるものだった。なぜなら、プシュパギリを傘下に収めたシュリーが活発な領土拡大策を打ち出し、ライリーがカーシャパの領土を侵食し始めていたからであった。ライリーは防戦体制の整わないカーシャパの虚を突き、次々と占領地域を広げていた。

 一方、シュリーの命を受けたプシュパギリは、ルガルバンダとの国境に兵を進め、勢力を拡大した。プシュパギリはこの戦いを優勢に進めたが、ヤンバーが援軍を派遣してくると形勢は逆転し、プシュパギリは苦戦を強いられた。

 さらに各地でさまざまな勢力争いが勃発した。ルガルバンダ陣営の大将軍となったヤンバーはムチャリンダ傘下のギランダへの攻勢を強め、ルドラとイムテーベも睨み合っていた。

 こうして、世界の中原は、ムチャリンダ、イムテーベ、ルバルガンダ、シュリー、カーシャパによって分割された構図となり、五者による覇権争いが火花を散らすのは必定という情勢になっていったのだった。

 そんな中、カーシャパは、西からはライリーに侵略され、南からはイムテーベの脅威が迫っていた。苦しい立場に追い込まれたカーシャパは、ナユタに使者を出した。ナユタは依然としてバルマン師の館で修行に励んでいたが、カーシャパからの使者が来ると丁重に迎えた。

 使者は言った。

「ナユタ様、今、宇宙は危急の時。時勢は急激に動き出しています。ご存じのように、プシュパギリはシュリーの将軍となり、ヤンバーはルガルバンダに組しました。カーシャパは宇宙一の戦略家とはいえ、イムテーベとシュリーの脅威が迫り、たいへんな苦境に陥っています。この危難を救えるのはナユタ様をおいて他にありません。かつて宇宙の危難を救ったのはナユタ様の英知、ナユタ様の勇気、ナユタ様の武略でした。今こそナユタ様の起つべきときです。どうか、カーシャパを救う戦いに起ち上がっていただきたい。」

 ナユタはうなずきながら聞いていたが、同意はしなかった。

「たしかに状況についてはその通りかもしれぬ。そしてまた、宇宙が危難の時であることも認めよう。だが、その動きにはいかなる大義、いかなる真理があるのだろうか。パキゼーに出会う前であれば、迷うことなく起ち上がったかもしれぬ。だが、私はパキゼーから多くのことを学んだ。今の宇宙は迷妄のうちに、ただ妄執に駆られて動いているのではないか。それに踊らされ、戦いによって次の戦いが誘起されるというようなことが適切と言えるだろうか。私はここで音楽を学び、書物を紐解き、心静かに隠遁の生活を送っている。この竹林には、真なるもののきらめきが静かに降り注いでいる。私はこの静寂の中に留まりたい。」

「ですが、何もしなければ、シュリーやイムテーベ、ルガルバンダの波が世界を席巻し、恐ろしい世界がさらに広がります。ムチャリンダも動き出すのは必定。今を逃してならないはずです。」

 だが、ナユタの心は動かなかった。どうしてもナユタの同意が得られず、使者は悲痛な叫びのような口調で懇願した。

「ナユタ様、しかし、それでは取り返しのつかないことになります。機は今しかないのです。今、起たねば、とんでもない世界の濁流がこの宇宙を覆い尽くすことになりかねないことをどうか目を見開いて見ていただきたい。」

 使者は泣かんばかりの調子でこう訴えたが、ナユタの心を動かすことはできなかった。使者は失望し、絞り出すような声で言った。

「分かりました。ナユタ様のお考えをカーシャパに伝えます。ですが、カーシャパは深く失望するでしょう。前回の創造の際、カーシャパはナユタ様の理念に共感し、全力で支えました。しかし、今、ナユタ様はただ世捨て人か隠居人のように世の現実の動きを凝視しようともせず、それから逃げておられる。残念です。ですが、ナユタ様、古の賢者の言葉にもあるように、決断しない者は時の濁流に飲み込まれるだけです。あとで後悔してもなんの役にも立たないでしょう。」

 そう述べると使者はナユタのもとを去った。

 カーシャパは使者からの言葉を聞くと、ただ、

「そうか。」

とだけ言ったが、心には深い失望が沈殿していた。

「ナユタ様はもはやかつてのナユタ様ではありませんでした。」

 そう述べた使者の表情にもありありと無念の表情が読み取れた。

 そしてカーシャパの前には厳然たる事実としてイムテーベの巨大な脅威が迫っていた。

 

 そのイムテーベはルガルバンダが国王に即位した翌年、自らの王国の建国を宣言した。国王に即位すると、イムテーベは部将たちを集め、豪語した。

「おれは宇宙一の軍神。いよいよその力を再び世に問う時が来た。最初の標的はカーシャパだ。宇宙に知られた戦略家とか智将とか言われているが、おれの前ではいかほどのものか。それをはっきりと知らしめてやろうではないか。」

 配下の者たちの同意を確認すると、イムテーベはすぐさま精鋭部隊を参集した。軍団が揃うと、イムテーベは守護神である鷹の神ホルスの祭壇に大きな火をたぎらせた。兵士たちからの雄叫びが上がる中、イムテーベがホルス神の像の前で戦勝を祈願し、部将たちがそれに続いた。いよいよ戦いの時なのだ。

 翌朝、イムテーベ軍は動き出した。平原を埋め尽くすほどの戦車軍団がイムテーベの指揮のもとで進軍を開始した。先陣を務めるバルカは勇壮ないでたちで戦車軍団の先頭に立ち、全軍の士気を鼓舞した。

 カーシャパも軍を展開させたが、多くの兵力をライリーに対峙するために割かねばならず、イムテーベとの対決に割けた兵力はイムテーベ軍の三分の一にも満たなかった。

 陣立てを終わり、卦が吉兆を示すと、イムテーベは全軍突撃の指令を出した。イムテーベの手にはヒュドラが握られていた。再び宇宙に響いたヒュドラの轟音と共に、戦車部隊の突撃が始まった。

 カーシャパは部隊の離散集合を繰り返して防戦に努めたが、バルカの率いる軍団はそれに惑わされることなく、カーシャパ軍の部隊を一つずつ個別撃破していった。そして、イムテーベが指揮する軍の主力が攻撃に加わると、カーシャパ軍は急激に瓦解していった。

 カーシャパを認めたイムテーベは叫んだ。

「カーシャパ、久しぶりだな。だが、観念するがいい。もはや大勢は決した。」

 だが、カーシャパは屈しなかった。残された軍を統合すると、イムテーベの本陣めがけて突進した。そのすさまじい勢いにイムテーベ軍は盾を並べて身構えたが、カーシャパ軍はイムテーベ軍に突入する直前で向きを左に変え、一気に走り去った。

「追え!」

「逃すな!」

「包囲して、殲滅しろ!」

というイムテーベ軍の部将たちの声にイムテーベ軍の戦車が一斉に走り出したが、カーシャパの動きは俊敏だった。複雑な地形を巧みにぬって逃走するカーシャパにイムテーベ軍の戦車はついてゆけなかった。

 こうして、カーシャパはかろうじて戦場を突破して離脱したが、戦いはイムテーベの大勝利であった。イムテーベはカーシャパの領土に全軍を展開して占領地域を広げた。

 一方、ライリーも、カーシャパ軍が敗れたこの機会を逃さなかった。動揺するカーシャパ軍を総攻撃によって蹴散らすと、一気に進軍を続け、カーシャパの領土のほぼ三分の一を占領した。こうして、カーシャパの領土はイムテーベとシュリーによって分割されることになったのだった。

 

 イムテーベとの戦いに敗れ、かろうじて戦場から離脱したカーシャパは行き場もなく、しかたなく足を踏み入れたのはルガルバンダの勢力圏の地域だった。ルガルバンダ領内に進むのが危険であることは百も承知していたが、他に手はなかった。

 イムテーベとカーシャパの戦いの結果がルバルガンダの元にもたらされ、さらに、カーシャパが自分たちの領土に入ってきたという知らせが届くと、ヤンバーは叫んだ。

「これは千歳一隅のチャンス。一気にカーシャパの残党を捕捉殲滅してしまえ。」

 だが、ルバルガンダはそれを押しとどめて言った。

「それは良くない。カーシャパは我らの仇敵であったかもしれぬが、それは前回の創造でのできごとに過ぎぬ。そんな恨みや怒りではなく、現在の現実に基づいて対応すべきだ。しかも、古来より言われている通り、懐に飛び込んでくる窮鳥は殺さぬものだ。」

 この言葉に応えたのは、侍従のひとりであるアルワムナという神だった。

「それでしたら、ぜひ、カーシャパを我が国の将軍に招きましょう。新秩序建設を掲げる我が国にとって、もっとも必要とするのは能力のある者たちです。新秩序建設はまだ始まったばかり。ムチャリンダ、シュリー、イムテーベなどとの争いもこれからです。ヤンバー殿に宇宙一の戦略家と言われるカーシャパが加われば、我が軍団は宇宙一となりましょう。」

 アルワムナはもともとルガルバンダが征服した小国の下っ端役人に過ぎなかったが、ルガルバンダに認められて侍従に抜擢された神だった。アルワムナの国がルガルバンダに屈服させられたとき、多くの者たちは自分たちの命運を嘆き、「これからどうしたら良いのか。」と将来を憂い、他国へ逃げ出す者も少なくなかったが、アルワムナはひとり敢然としてこう言い放ったということだった。

「これはまたとないチャンス。自分たちの小国でどれだけ力を発揮したとて、できることには限界がある。一方、ルガルバンダの国には無限の可能性が開けており、しかも、能力によって卑賤の別なく成り上がることができる。属国になった国の神だと言って卑下する必要など一つもない。力ある者を羨み、富貴の者たちを謗り、自らの惨めな境遇を嘆くのは簡単だが、そんなことは立派な男のすることではない。ルガルバンダに征服されたことによって私には可能性が開けた。私は首都ビハールに行って自分の能を活かす。」

 アルワムナはルガルバンダの居城ビハールに行くと、官吏の採用試験を受け、トップクラスの成績で採用されたのだった。特に優れていたのは、国の今後のあり方に関する論文で、その論文はルガルバンダ自身の目にもとまり、それが抜擢に繋がったのだった。

 カーシャパへの対応についてのアルワムナの提案に対してルガルバンダは短く言った。

「では、おまえに任せて良いか。」

 アルワムナは自信を持って答えた。

「お任せ下さい。但し、ご承知いただかねばなりませんが、カーシャパを帰属させるにはそれ相応の処遇が必要となります。また、領内では、決して彼らに弓矢を向けないよう徹底させねばなりません。」

 そう語ると、アルワムナはカーシャパを迎える周到な準備を進めるとともに、部下に一通の手紙を持たせてカーシャパに届けさせた。その手紙には、短く次のように書いてあった。

「カーシャパ殿。ビハールの門前にてお待ち致します。道中お気をつけてお越し下さい。ルガルバンダ侍従アルワムナ。」

 カーシャパは、アルワムナなる者からの手紙をいぶかりながらも、他に手立てもなくビハールにやってきた。途中で懸念していた襲撃は一切なかった。

 カーシャパが傷ついた戦車に乗ってルガルバンダの居城までやってくると、門にはきらびやかな旗がたなびき、ルガルバンダの巨像が睥睨する下で、着飾った衛兵が門の両側に立ち並んでいた。カーシャパが門から少し離れたところに戦車を止めると、ひとりの文官らしき神が門から進み出てきた。

「カーシャパ殿。お待ちしておりました。アルワムナと申します。イムテーベとの戦さでさぞお疲れでございましょう。どうぞ、中で休まれよ。ルガルバンダも貴公の到来を心待ちにしております。」

 この言葉に驚きつつ、カーシャパは言った。

「お手紙をいただいたアルワムナ殿であるか。なんともありがたいお言葉だ。それにしても、ずいぶん、華やかな雰囲気が漂っているが、何か祭りでもあるのか?」

「いやいや、これはカーシャパ殿をお迎えするために、ルガルバンダが準備させたものです。ルガルバンダはたいへん歓迎しております。天下に鳴り響く智将カーシャパ様をお迎えするのですから、これでも不十分すぎるほどです。」

 そう言うとアルワムナはカーシャパを城内に招き入れた。カーシャパはアルワムナとともに門をくぐり、両側に並ぶきらびやかななりの兵士の列の中を進んでいった。両側にスフィンクスが並ぶ参道の先に宮殿があった。宮殿正面には幅の広い大階段があり、登り切って宮殿の広間に足を踏み入れると中央の玉座にルガルバンダが座っていた。そばにはヤンバーが控えていた。

 カーシャパが近づいてくると、ルガルバンダは立ち上がって口を開いた。

「カーシャパ殿、遠路、お疲れであろう。よくぞ来てくださった。」

 カーシャパはうなだれ、押し殺したような声で言った。

「このたびはイムテーベにわが領土を侵略され、それを阻止すべく決起いたしましたが、多勢に無勢、戦いに敗れ、こうして落ち延びて参りました。過去の戦いのことを考えれば、こうしてここに出向くことなどめっそうもないことながら、他に道もなく、恥を忍んでやって参りました。」

「それ以上、申されるな。」

 ルガルバンダはカーシャパの言葉を制して言った。

「過去のことは水に流そうではないか。かつてのことは、ヴァーサヴァとムチャリンダ、ナユタの問題であった。しかし、今、時代はまったく新しい相に入っている。過去のことなどどうでもよい。このルガルバンダ、非力ではあるが大義をもって宇宙に新しい秩序を打ち立てるべく懸命に努力している。どうか、このルガルバンダに力を貸していただけまいか。」

 この言葉にカーシャパは目頭を押さえ、震える声で言った。

「ありがたいお言葉、心に染み入ります。戦さに敗れて落ち延びてきた我らをこのように迎えていただけるとは夢にも思っておりませんでした。喜んで、貴下に入らせていただきます。」

 そう言ってカーシャパが深く頭を下げると、ルガルバンダは再び言った。

「カーシャパ殿、このルガルバンダの軍団にはすでにヤンバー殿に加わっていただき、大将軍に任じておる。カーシャパ殿に加わっていただけば、宇宙一の猛将と宇宙一の智将が揃うことになる。この宇宙の覇権を目指す我らにとってこんな心強いことはない。」

 こうして、カーシャパはルガルバンダの配下に入ることになった。

 アルワムナに連れられてカーシャパが宮殿内に用意された住居に入ると、没薬の香りがかすかに漂う室内には、黒檀でできた調度、象牙でできた工芸品などがあり、机の上には黄金の酒杯が並べられていた。そして、三神の美しい美姫がやってきて、かしずいて言った。

「今日からお世話をさせていただきます。」

 アルワムナが横から付け加えた。

「お気に召す者があれば、どうぞ自由になさって下さい。この娘たちも含め、ここのものはすべてカーシャパ様のものですので。」

 その日からカーシャパの生活は一変した。それまでは粗末な木桶の風呂にたまにしか入れなかったものが、ここでは大理石の風呂だった。蛇口からはお湯が出たし、石鹸は使い放題で、しかも、美姫が背中を流してくれた。そして、風呂から上がれば、洗い立ての気持ちの良い肌着に袖を通すことができた。

「ここでは、これが当たり前なのか?」

 感嘆してカーシャパが問うと、美姫がにっこり微笑んで答えてくれた。

「将軍様のご身分であれば、当然のことでございます。」

 食事もまったく変わった。それまでの食事と言えば、さしておいしいとも言えない羊の肉をあり合わせの野菜と炒めただけの料理に、蒸かした芋が付くらいで、酒も味の薄いビールだけだったが、ここではまったく違っていた。味わい深い食前酒に始まり、専任のコックが作る前菜、スープ、メイン料理、デザートを次々に美姫たちが運んでくるのだ。前菜には新鮮な野菜や魚を使った料理が出され、メイン料理に使われる肉も上等の牛肉と豚肉だった。酒も何種類ものワインやビールから好きなものを選ぶことができた。

「ここでは、こんな食事が普通なのか。」

と言って、カーシャパが以前の食事の内容を説明すると、美姫たちは涼やかに笑って言うのだった。

「この国では、雑兵だってもう少しましな食事をしていますよ。芋が主食だなんて、そんな食事をする者が未だにいたということが驚きです。」

 カーシャパはルガルバンダの力を実感する供に、ルガルバンダが推し進める新秩序たるものの効果を理解しないわけにはいかなかった。

 夜になると、寝室で三神の美姫は胸をはだけて豊かな乳房を見せ、さらにカーシャパの衣服を脱がせると、股間で既に勃起し始めている陰棒に頬ずりし、代わる代わる舐め回した。これまで抱いたこともない美女たちにカーシャパの肉棒がそそり立つと美姫たちは微笑みを浮かべて肉棒を口にくわえ、ねっとりと舐め回した。カーシャパが美姫たちのふくよかな乳房を揉みしだき、その先のつんとした乳首に吸い付くと、女は大きな喘ぎ声を漏らして言った。

「ああ、とっても良いです。カーシャパ様、あそこがもう我慢できません。」

 カーシャパが女神たちの陰唇を弄ると、どの女神もしっとりと濡れ、中には愛液を溢れさせている女神もあった。

「早く入れてください。欲しくて欲しくてたまらないんです。」

 美姫たちはそう言って即すと、代わる代わる自らの女陰にカーシャパの男根を迎え入れ、妖艶な喘ぎ声を上げた。

「もっと、もっと。もっと突いてください。どうかなってしまいそう。」

 悲鳴にも似たよがり声を上げ、快感に喘ぐ美姫たちの表情がこの上なく、カーシャパは 絶頂に達し、美姫のひとりの深膀に思い切り射精したのだった。

 彼女たちは普段は清楚な雰囲気を持ち、恥じらいを忘れなかったが、寝室ではいつも大胆だった。ときには、カーシャパの目の前で素っ裸になって股間を広げ、男のものそっくりの張形を陰唇の中に抜き差しして悶えることもあった。そして、女陰が愛液でぬめぬめになると裸で床に寝かせたカーシャパの上に馬乗りになって勃起した男根をはめ、自らの両の乳房を揉みしだき、あられもない大きな喘ぎ声を出して体をくねらせるのだった。

 

 それからしばらく経って、カーシャパはルガルバンダの前に進み出て言った。

「ルガルバンダ殿、貴下に加えていただき、たいへんありがたく思っております。ここに来させていただき、ルガルバンダ殿の威光と進めておられる新秩序の素晴らしさを改めて実感いたしました。しかも、身に余る立派な住居をいただき、素晴らしい美姫まで付けていただきました。まことに感激に耐えません。」

 ルガルバンダはさしたることでもないという口調で言った。

「満足してもらえるなら、何も言うこともない。あの三神の美姫は、貴公のために選りすぐった贈り物だからな。自由にすると良いぞ。」

「ありがとうございます。日々、寵愛させていただいております。」

「それはなにより。」

 ルガルバンダが大きく笑ってそう言うと、カーシャパはかしこまって言った。

「ただ、私と致しましては、手ぶらで帰投させていただき、このような厚遇をいただいていることをたいへん心苦しく思っております。本日は手土産を一つ披露したいと思います。」

 そう言うと、カーシャパは従者に荷物を運びこませ、ルガルバンダの前で荷を広げさせた。

「それはなんだ?」

と言うルガルバンダにカーシャパが答えた。

「これは鞍というものです。馬の背にこれをつけ、兵士がこれに乗って戦います。これまでの戦いでは馬に引かせる戦車がもっとも機動的な戦法でした。しかし、この鞍を馬に取り付け、これに乗って戦えば、その機動力たるや、戦車の比ではありません。私はこれを実戦で用いるべく準備してまいりましたが、残念ながら、イムテーベとの戦いには間に合いませんでした。しかし、これからの戦い、鞍を取り付けて騎馬軍団を仕立て、これをもって戦えばいかな戦車軍団といえども簡単に蹴散らすことができましょう。」

「それをつければ、馬を乗りこなせるのか?」

「その通りです。ただ、馬を乗りこなすための鍛錬が必要です。しかし、その鍛錬を経て馬を自在に乗りこなすことができるようになれば、無敵の騎馬軍団が誕生致しましょう。」

 そう言うと、カーシャパは鞍をつけた馬を引いてこさせた。ルガルバンダやヤンバーをはじめ群臣たちが見つめる中、カーシャパは長い槍を持ってひらりと馬にまたがると、見事な手綱さばきで馬を駆けさせ、槍を振るって見せた。唖然とするルガルバンダやヤンバーを前に、カーシャパは言った。

「一刻も早く、騎馬軍団を養成したいと思います。長槍を揃えて突撃する騎馬部隊は最強の軍団となり、これが覇業の切り札となりましょう。」

 こうしてカーシャパはルガルバンダ軍の中で騎馬軍団の創設に力を注ぐことになった。

 

 そのころ、ひとりひっそりと暮らすユビュのもとをウダヤ師が訪ねていた。ウダヤ師は出迎えたユビュににこやかに声をかけた。

「ユビュ、ひさしぶりじゃな。」

「ウダヤ様、わざわざお越しくださり、ありがとうございます。おかげさまで、こうしてつつがなく暮らしています。」

「そうか、それは良かった。世はずいぶん騒がしいようじゃが、ここは静かで良いな。」

「ええ、ありがとうございます。まずは、おくつろぎ下さい。」

 そう言ってユビュはウダヤ師を屋内に迎え入れ、お茶と少しの果物で供応した。

「申し訳ありませんが、ここにはこの程度のものしかなくて。」

「いや、いいのだよ。わしにはこれで十分。ところで、おまえはこれからどうするつもりじゃ。知っておるかもしれぬが、シュリーは起ち上がって、ライリーとプシュパギリを将軍にして着々と勢力を拡大しておる。また、イムテーベもカーシャパを倒してその領土を手に入れた。そんな中、もっとも力をつけているのが、ルガルバンダだ。ルガルバンダはヤンバーとカーシャパを将軍とし、怒涛の勢いで勢力を広げておる。」

「そうですか。それで、ウダヤ様はどうなさるのですか?」

「わしか。わしはもう老神じゃ。世の争いごとになど巻き込まれたくはない。これまで同様、隠居の生活を続けるよ。」

「そうですか。私も世の中に関わるつもりはありません。パキゼーの法を守ること、それだけが私の道を心得ています。幸い、マーシュ師が編纂してくださったパキゼーの経典があり、それを読むことが私の生きるよすがなのです。」

「そうか、それは尊い考えかもしれぬな。ただな、ユビュ、おまえがそうしたいと思っても、時代がそれを許すかどうか。おまえは宇宙の王女だからな。」

「でも、そんな宇宙の王女などという称号に何の意味があるのでしょう。パキゼーの尊い法の前でそのような虚飾は跡形もなく立ち消えたかと思いますが。」

「たしかに、おまえの心の中ではそうかもしれぬ。だが、世の神々にとっては必ずしもそうではない。そのことだけは心に留めておくがいいだろう。そのことを言いたくてな、わざわざ来たのじゃよ。」

「そうですか。ありがとうございます。でも、それでどうしたら良いのでしょう。」

「それは分からぬ。ただ、ナユタだけはおそらく最後までおまえの味方だ。時が来て、ナユタが起った時、おまえも決断しなければならないかもしれぬ。そのことを心しておくことじゃよ。」

 このような会話の後、ウダヤ師はユビュの庵でくつろぎ、一泊して帰って行った。

 

 同じ頃、バルマン師はシュリーの求めに応じて、シュリーの本拠地であるバダーミスを訪れていた。

 シュリーはバルマン師の来訪をことのほか喜び、自ら迎え出た。

「バルマン様、お久しぶりでございます。わざわざご来訪いただき、本当にうれしく思います。」

「ああ、久しぶりだな。元気そうで何よりだ。」

 シュリーの横に付き添っていたプシュパギリ、ライリー、シャンターヤもバルマン師に挨拶した。シュリーはバルマン師を招き入れ、並んで歩きながら話を続けた。

「私どもはここを拠点にし、プシュパギリ、ライリーといった優秀な武将もそろっています。ぜひこれからのことを話し合わせていただければと思います。今日はまずはおくつろぎ下さい。シャンターヤ、あとはよろしく。」

 そう言って、シュリーはシャンターヤにバルマン師を部屋まで案内させた。シャンターヤはバルマン師を部屋の前まで案内すると、ドアを開けながら言った。

「今日はこちらにお泊りいただきます。この城で一番立派な貴賓室となっております。」

「そうか。それはありがたいことではあるな。」

 そう言ってバルマン師が足を踏み入れると、たしかにその部屋はたいそう立派な部屋だった。トルコ石の嵌め込んである瑠璃の床の中央には大きな天蓋のついたベッドが置いてある。調度品も豪華なつくりで、黄金製の杯がいくつも飾られており、置いてある椅子は檜作りで、金の飾りが散りばめられていた。部屋からバルコニーに出ると、城の回りに広がる広大な緑の平原が見渡せた。

「ご満足いただければと思います。夕方より夕食会がありますので、それまでおくつろぎ下さい。」

「まあ、たしかに、こんな立派な部屋で一夜を過ごしたことはないな。かつてのヴァーサヴァの城やマーシュ師の館でもこんな立派な部屋はなかったからな。ところで、」

と言って、バルマン師は改めてシャンターヤの方に向き直って続けた。

「シャンターヤとか言ったな。そなたとはどこかで会ったことがあるかな。」

 シャンターヤはやや緊張した面持ちで答えた。

「いえ、残念ながら言葉を交わさせていただいたことはございません。ただ、私は、プシュパギリに仕えて参りましたので、かつてのマーシュ師の館での戦いでも、バルマン師のお姿は何度も拝見いたしました。」

「そうか。それで、今はプシュパギリともどもシュリーに仕えておるというわけじゃな。」

「その通りです。」

 シャンターヤがそう答えたると、バルマン師は少し考え込みながら言った。

「それにしても、今、シュリーに仕えておることをプシュパギリはどのように考えておるのであろうな。」

 この質問に、シャンターヤの顔は少し強張った。シャンターヤは口ごもりながら答えた。

「それは、私からはなかなか何とも。ただ、今世においては力がすべて。自らの生き残りのためにはやむを得ぬことかと。また、私どもにとりましても、自らの力を発揮し、繁栄を享受できる場でもありますし。ありがたいことに、シュリー様には、過去の遺恨などは一切持たれず、プシュパギリを厚遇いただいております。」

「そうか。」

 そう言ってバルマン師は考え込んだが、シャンターヤは続けて言った。

「ですから、ぜひ、バルマン様に我らと共に歩んでいただければ。シュリー様のみならず、プシュパギリも大いに喜びます。」

「だが、そなたやプシュパギリはナユタのことはどう考えておるのかな。」

 この問いにシャンターヤの表情はさらにひきつったが、バルマン師は軽くいなすように言った。

「まあいい。この話はまたにしよう。ともかく、まずはこの部屋でくつろがせてもらおう。長旅で少し疲れたしな。」

 シャンターヤは何か言いたげだったが、バルマン師の言葉を受けて言った。

「では、しばらくゆっくりなさってください。夕方、またお迎えに上がります。また、御用があれば、そこの鈴を鳴らしていただければ、召使いが参りますので。」

 その夜、バルマン師を歓待する夕食会が開かれた。夕食会の会場はかつてのヴァーサヴァの居城にもなかったような大広間で、天井は高く、正面には弓を持つアルテミスの像が安置されていた。プシュパギリやライリー、シャンターヤをはじめとする有力な武将、さらにはシュリーを支える文官が列席する中、アルテミス像の前の上座の席にシュリーとバルマン師が座ると、豪華な食事が次々に運び込まれた。シュリーは上機嫌に酒杯を傾け、宴会は賑やかに夜遅くまで続いた。

 次の日、プシュパギリはシャンターヤと共にバルマン師を連れて城内を案内し、準備している武具や兵力などについて事細かに説明した。

 プシュパギリは言った。

「この兵力で十分とは言えませんが、この宇宙の中で覇を競うことのできる陣容と思っております。」

 バルマン師は答えて言った。

「しかし、ルガルバンダもムチャリンダもイムテーベも強大だ。そのことを忘れてはおるまいな。」

「おっしゃる通りです。だからこそ、今回、こうしてバルマン様をお招きしているのです。」

「そうか。」

とバルマン師は言ったが、それ以上は何も言わなかった。

 プシュパギリが城内を回って一通りの説明を終えると、バルマン師は大きな応接室に通された。壁際には、小さなアルテミス女神像が置かれていた。ライリーとプシュパギリ、シャンターヤが同席する中、シュリーが言った。

「バルマン様もご存じのように、父ヴァーサヴァが神々の会議の主催者の地位を追われて以来、宇宙は明確な秩序を失い、今、宇宙は覇を競う時代に突入しております。父ヴァーサヴァの遺志を継ぎ、宇宙に新たな秩序を打ち立てることこそ、ヴァーサヴァの長女である私の使命にほかなりません。ぜひ、バルマン様のお力をお借りしたいのです。」

「シュリー、そなたのことは幼少の頃から知っておる。だからそなたはわしにとってわが子のような存在もある。だからこそ、前回の創造の際には、ヴァーサヴァのもとでともにムチャリンダと戦った。だから、力を貸したいという思いもないわけでははない。ただ、今一度考えるべきことがあると思っておる。」

「考えるべきこと。それはなんでしょう。」

「今、世界は覇を競う時代に突入した。だが、その中でムチャリンダ、ルガルバンダ、イムテーベたちと覇を競うことが良いことかどうか。プシュパギリからここの陣容を見せてもらったが、あまりにも不十分だ。プシュパギリのかつての領土、カーシャパの領土の一部を併呑してそれなりの勢力になっていることは認めるが、覇を競うことができるかどうか。幸い、ここは堅牢な城砦だ。世の大きな動向から離れ、ここでじっと力を蓄えた方が良いのではないか。覇を競うのではなく、ここに自立した平和の国を築くことが大切なのではないか。ナユタもユビュも動いておらん。時を待ってはどうかと思うがな。」

「たしかに戦力が十分でないことは承知しています。しかし、ヴァーサヴァの正当な後継者は私であり、正義は私たちにあるはず。バルマン様、ぜひ、わが軍に加わっていただき、ともに戦っていただきたいのです。」

 だが、バルマン師は色よい返事をしなかった。バルマン師は首を横に振り、ただ、次のように言った。

「わしはかつて人間界に生まれ落ち、楽師としてパキゼーとともに音の道を求めた。石を打ち鳴らし、宇宙の真音を求めた。懐かしい思い出じゃよ。ほんとうに楽しい時だった。わしはもう鎧を着て戦場に立つ気はない。それだけじゃよ。」

 あっさりしたその答えにシュリーはバルマン師に加わってもらうことは無理と悟った。シュリーは残念そうな顔を見せて言った。

「たいへん残念です。でもいたしかたありません。ただ、できましたら、これからの私たちの戦いにご助言を頂ければと思います。」

「そうだな。わしとしては戦さを勧めはせぬが、あえて戦うというなら、事を急かぬことじゃ。戦いは容易ならざるものとなろう。決して安易な勝利はおぼつくまい。きっと長い戦いとなる。それゆえ、一度や二度敗れても終わりではない。九十九戦して九十九勝しようとも最後の決戦に敗れれば名将とは言えぬ。逆に、九十九戦して九十九敗しようとも最後の決戦に勝てば天下を取れる。そのことを肝に銘じることじゃ。幸い、宇宙一の弓の名手であるプシュパギリ、軍を動かすことに長けたライリーがついておる。だから、無理をせんことじゃ。無理をすれば必ず歪み、綻びが生じ、それが全体の崩壊を引き起こしかねない。いずれにしても健闘を祈るよ。」

「ありがとうございます。父ヴァーサヴァの遺志を継ぐ者として、なんとしてもこの宇宙に新たな秩序を打ち立てるべく邁進してまいります。今回はわざわざ来ていただき本当にありがとうございました。」

 シュリーがそう答えると、バルマン師は、

「それともう一つ。」

と言って、見事な飾りの付いた短剣を四本取り出した。

「これをそなたたちに一本ずつ進ぜよう。」

 柄や鞘には、豪華な装飾が施され、宝石も埋め込まれていた。短剣を受け取ったシュリー、ライリー、プシュパギリ、シャンターヤがそれぞれ感嘆して短剣を手に取ると、バルマン師は続けた。

「立派な装飾が施されているが、見て欲しいのは装飾や宝石ではない。剣を抜いてみよ。そなたたちが持っている青銅の短剣とは違うことが分かるだろう。」

 四神が短剣を抜いてみると、その刃の色と輝きは青銅の刃とは明らかに異なっていた。

「これはどういう代物なのですか?」

 そう問いかけるプシュパギリに、バルマン師は答えた。

「これは鉄という。切れ味が青銅とは全然違う。」

 そう言うと、バルマン師は、紙を一枚取り出して切って見せた。

「そなたたちも切ってみるがいい。」

 四神はそれぞれ紙を切って、その切れ味に感嘆した。

「これはすごい。鋭利さが全然違う。」

「こんな刀は初めてだ。」

「これはどうすれば手に入れられるのですか?どうやって作れるのですか?」

 口々にそう言い合う四神に対し、バルマン師は続けた。

「だが、驚くのはまだ早い。誰か青銅の剣を持ってきてくれんかな。」

 シャンターヤが衛兵に剣を差し出させると、バルマン師は自らの剣を取り出して言った。

「その剣で打ちかかってみるが良い。」

「よろしいのですか?」

「ああ。」

 そう言われてシャンターヤが青銅の剣で、バルマン師の剣に思い切り打ちかかると、青銅の剣は真っ二つに折れた。バルマン師の短剣はびくともしていなかった。

「おお。」

 驚きの表情を隠さない四神にバルマン師は言った。

「この金属は鉄という名でな。古くから知られている金属ではあるが、以前は隕石の中に含まれているのを使うだけだったので極めて稀だった。だが、最近、鉄を含む鉱石がけっこういたるところにあることが分かり、その鉱石から鉄を取り出す技術も進歩しておるようだ。ただ、実を言うと鉄そのものは決して硬い金属ではなく、焼き入れなどによって硬くしなければならぬ。だが、鉄は焼き入れによって硬くすると、脆くもなる。焼き入れによって適度な硬さを持つ頑丈な鉄を作り出すのは決してやさしくはない。この焼き入れの技術が鉄を扱う上での最重要な技術で、それなしには鉄は使いこなせない。」

「ではどのようにすればよろしいのでしょう。」

「わしが鍛冶屋を派遣しよう。彼らが力になってくれるだろう。」

 この言葉にシュリーの顔はほころんだ。

「ありがとうございます。ぜひ、これで武器を作りたいと思います。」

「ですが、この鉄という素材は世の中ではまったく知られていないのでしょうか。なら、良いのですが。」

 そう問いかけたのはシャンターヤだった。バルマン師は表情を引き締めて答えた。

「いや、鉄のことを知っている者はそれなりに世にいるはず。聞くところによると、ルガルバンダも出入りの商人を使って情報を集めさせ、山師や鍛冶屋も集まってきておるらしい。」

「では、うかうかできませんね。」

「そうだ。ただ、さっきも言ったように、焼き入れなどの技術は一筋縄ではいかぬ。ともかく、最良の鍛冶屋を派遣しよう。ルガルバンダの元にどのレベルの鍛冶屋が集まっているかは分からぬが、わしが知っている鍛冶屋は少なくとも相当の技術を持っているはずだ。」

「それは心強い話です。ぜひ、よろしくお願い致します。一日も早く鉄を習得し、鉄の武器を作りたいと思います。」

 こうしてシュリーとバルマン師の対談は終了したが、昼食会後、帰り支度を始めたバルマン師はそっとシャンターヤを呼んで囁いた。

「プシュパギリを呼んできてくれぬか。おまえたちふたりと話したいことがあってな。あまり、周りの者に気付かれない方が良いがな。」

 しばらくして、プシュパギリとシャンターヤが秘かにバルマン師の部屋にやってきた。

 どんな話だろうかと訝るプシュパギリにバルマン師は単刀直入に切り出した。

「プシュパギリ、この戦い、勝算をどのように踏んでおる?」

 プシュパギリははっとして緊張し、言葉を選びながら答えた。

「容易ならざる戦いであることは重々承知しております。しかし、この宇宙の中で、ムチャリンダ、イムテーベ、ルガルバンダに組みするわけにも参りません。微力を尽くして戦い抜くだけという覚悟でおります。」

「そうか。その覚悟は尊いかもしれぬが、賢明かどうかは別の問題だな。」

 プシュパギリがすぐに答えられずにいると、バルマン師は続けた。

「プシュパギリ、この戦いに尽力すること自身はそれで良い。ただ、この宇宙には、まだ、ナユタやユビュがいることを決して忘れてはならぬ。」

 プシュパギリは考え込みながら答えた。

「たしかにその通りです。しかし、ナユタもユビュもこの争いには加わろうとせず、傍観しているにすぎません。」

「その通りだ。だが、シュリーもそしておそらくおまえたちもひとつ大事なことを見落としている。」

「それはなんでしょうか?」

 プシュパギリは怪訝そうに問い返したが、バルマン師は強い調子で言い切った。

「プシュパギリ、それは、この宇宙はナユタとユビュを軸に動いておるということじゃ。」

「ナユタとユビュを軸に動いている?」

「そうだ。今の時勢に流されてものを見る者たちにはそれは分からぬであろう。だが、宇宙には秘められた意志が必ずある。宇宙の軸はナユタとユビュなのだ。そのことを決して忘れてはならぬ。」

「それで具体的にはどうすればよいのでしょう。」

「それは分からぬ。ただ、シュリーの戦いがすべてではないということを心しておくことだ。窮地に陥ったら、そのことを思い出すといい。それがおまえの道を開くだろう。」

「いろいろご助言ありがとうございます。鉄器のことも早急に動きます。」

「ああ、そうするが良い。頼りになる者を派遣するつもりだ。たが、繰り返して言うが、鉄器は決して本質ではない。ユビュとナユタがこの宇宙の軸だということこそあくまでも本質だ。そのことを忘れるでないぞ。」

 これがバルマン師がプシュパギリとシャンターヤに残した言葉だった。

 バルマン師の部屋を辞するとふたりはプシュパギリの部屋で顔を突き合わせた。

「バルマン師はユビュとナユタがこの宇宙の軸と言われました。」

 そう言うシャンターヤに、プシュパギリは考え込みながら言った。

「たしかにそうかもしれない。しかし、ナユタもユビュもこの時勢から目を背け、この世界に関与しようとしていない。ナユタがもし起つというなら我々にも考える余地があろうが、今の状況では選択肢はない。」

 それはシャンターヤの考えているところとまったくずれがなかった。

「ムチャリンダ、イムテーベ、ルガルバンダが勢力拡張にやっきになっているこのご時世で、我らの取るべき道は、シュリー殿と供に戦う以外に道はないでしょうね。」

「その通り。幸い、シュリーはかつての遺恨など一切なく、おれをライリーと同列に近いくらいに重んじてくれている。たしかに、シュリーにはヴァーサヴァの娘という尊大さと傲慢さがあり、権勢欲も強くて辟易することもあるが、あの美貌と勇敢さで多くの神々の心を掴んでいるのも事実だ。」

「そうですね。ヴァーサヴァの長女という血筋をひけらかすところは正直いただけませんが、威厳を持った立ち居振る舞いとヴァーサヴァの正統な後継者という大義名分も味方の神々の心を掌握するのに大いに役立っていますしね。」

「いずれにしても、今の我々にできることは、シュリーを盛り立て、シュリーと供に道を開くことだけだ。そういった意味では、まずは、ムチャリンダやイムテーベ、ルガルバンダの脅威をいかにして振り払うかを考えねばならない。そのためにも、ほんとうはバルマン師の力をお借りし、その伝手でゆくゆくはナユタとの連携も図りたかったのだがな。」

「それで、バルマン師の言葉はどのように受け止めておくべきなのでしょうか?」

「それは重く受け止めねばなるまい。」

 プシュパギリはきっぱりとそう言い切り、続けて言った。

「おそらく、これから世の中はどんどん動いてゆくだろう。バルマン師が言われたのは、状況が変わり、いざというときが来たら、ナユタやユビュを頼れということだろう。」

「分かりました。そのことを心に留め置きましょう。」

 シャンターヤのこの言葉を聞くと、プシュパギリは言った。

「それにしても、ナユタがもっと時勢を見て、この世界に自ら歩み出てくれればと思うがな。」

 それはシャンターヤにしてもまったく同じ思いだった。

 バルマン師はシュリーやプシュパギリに見送られて館を後にした。バルマン師を見送ると、シュリーはプシュパギリとライリーに言った。

「バルマン師が我らの戦いに加わってくださらないのは残念だが、鉄の情報はありがたい限りだった。ともかく、これから自らの力で道を切り開く以外ない。なんとしても勝ち抜かねばならない戦いだ。鉄の技術を一日も早く習得し、戦力の増強に努めよう。」

 数日経って、バルマン師が派遣した鍛冶屋がやってきた。鍛冶屋だけでなく、山師も付き添っていた。プシュパギリらは山師から鉄鉱床のある場所を教えられるとすぐに鉄の採掘を始め、鍛冶屋から技術を学ばせて急ピッチで鉄器の製造を進めたのだった。

 

 一方、ルガルバンダの都ビハールでは、ルガルバンダの能力と力とに強い感銘を受けたカーシャパが急ピッチで騎馬軍団の育成と強化に力を注いでいた。

「古来のあらゆる書物に通じたルガルバンダの博識と学の深さ、物事の深層を見抜くその洞察力とそれに基づく構想力、いずれをとってもいかなる神も太刀打ちできないだろう。そして、独創的なビジョンを構築し、それを決然と実行に移す決断力。しかも神としての包容力と懐の深さも持ち合わせる類い希な神、それがルガルバンダだ。神づてに聞いてはいたが、まさに聞きしに勝る器の大きさだ。」

 それがカーシャパの偽らざる本音だった。カーシャパの騎馬軍団が実戦レベルに達すると、ルガルバンダはヤンバー、カーシャパ、ルドラを集めて次の策を練った。

 ヤンバーは言った。

「カーシャパの騎馬軍団はまことに素晴らしい。これをもってすれば向かうところ敵なしであろう。従来の戦車軍団など、こともなく崩すことができる。」

 ルガルバンダも言った。

「まさにその通りだ。カーシャパが編み出した騎馬軍団にヤンバーの勇猛さが発揮されれば、向かうところ敵なしだ。今、天下には、ムチャリンダ、イムテーベ、シュリーが大きな勢力を誇っている。どこを攻めるべきであろうか。」

 答えたのはカーシャパだった。

「もっとも弱く、しかし、その敵を倒すことが天下にもっとも大きな喧伝効果をもつ相手がよろしいかと思います。」

「それは誰か?」

 このルガルバンダの問いに、カーシャパはきっぱりと答えた。

「ムチャリンダです。」

「ムチャリンダ。」

 驚いてそう鸚鵡返しに言ったルガルバンダにカーシャパは落ち着いて続けた。

「ムチャリンダはかつて破壊の神として恐れられていましたが、今はかつてのジャイバもなく、強力な武将もいません。わずかに、ルドラとギランダが付き従っていますが、たかが知れています。一方、イムテーベはなんといっても宇宙にこの神ありと言われた軍神、もっとも手ごわい相手と考えるべきでしょう。また、シュリーにはプシュパギリが付き、ライリーも支えていますので、あまり侮らないことが肝要です。しかも、シュリーにはヴァーサヴァの正当な後継者という大義名分があり、安易にこれを攻めては世の神々からの支持が得られないでしょう。今、武力の観点でもっとも弱いのはムチャリンダ。一方で、ムチャリンダはなんといっても宇宙に知られた破壊の神。これを倒せば、宇宙の神々の心にどれほど大きな衝撃を与えることができるか、想像すら難しいほどです。ムチャリンダを倒せば、必ずや神々の心は一気にルガルバンダ様になびきましょう。」

「ヤンバーはどう思う?」

「まったく同意見です。部下がルドラとギランダだけでは、ムチャリンダ陣営は戦いの準備も十分には整っていないはず。しかも、ギランダはかつての戦いで窮地に陥った私を見捨てて戦場を離脱した憎いやつ。必ずやつを血祭りに上げてみせましょう。」

 この言葉にルガルバンダはムチャリンダとの決戦を決めた。大将軍のヤンバーはカーシャパが組織した新鋭の騎馬軍団を中心に膨大な戦列を組ませて、出撃体制を整えた。

「ルガルバンダがやってくる。」

という報は、ムチャリンダの元へも早々に届けられた。

 ムチャリンダは叫んだ。

「ルガルバンダが攻めてくるらしいな。昔の恩も忘れ、しかも、己の非力もわきまえず、ただ大軍を擁して攻めてくるだけではないか。ルドラ、ギランダ、すぐに決戦の用意をせよ。一気に敵を粉砕し、この宇宙でおれに楯突くものの末路がどんなものであるか、目にもの見せてくれよう。」

 こうしてムチャリンダ軍も戦いの準備を急ピッチに進め、いよいよ宇宙に巨大な二つの軍団がぶつかり合う日が近づいた。

 

 しかし、戦いの準備と並行して、ルガルバンダ陣営ではカーシャパが調略による切り崩しのために奔走していた。

 カーシャパはルガルバンダに言った。

「この戦いは当方に有利な戦いとみておりますが、正面からぶつかれば、我々も相応の痛手を蒙ることを覚悟せねばなりません。敵はムチャリンダだけではなく、あとに、シュリーもイムテーベも残っています。調略によって敵を切り崩すことをなんとしても成し遂げたいと思います。そうでなければ、シュリーやイムテーベに漁夫の利をせしめられることになりかねません。」

 ルガルバンダは答えて言った。

「その通りだ。それで、どのように切り崩すか、策はあるか?」

「敵の有力な武将はギランダとルドラです。このうち、ギランダは、かつてのマーシュ師の館での戦いで、主人であるヤンバーを見捨てて戦場を離脱し、ヤンバーの深い怒りを買っています。ギランダもそのため、ヤンバーのいる我々の陣営へ帰参することはないでしょう。」

「たしかに、そうだな。」

「それに対して、ルドラはもとはと言えばルガルバンダ様の部下。現在、ムチャリンダに組してはいますが、これは時の形成を見て成り行きでそうなった面も強いと思います。実際、間諜を放って、ルドラ側と接触し、ルドラの様子も探っておりますが、ルガルバンダ様との戦いに大きな不安を抱えているようです。ルガルバンダ様がルドラを許し、帰参後は重用することを伝えれば、離反させられる可能性は十分あると踏んでいます。」

「いいだろう。ルドラはもともと、おれの心強い腹心だった。ルドラがこちらにつけば、ムチャリンダを倒すのもずいぶん楽になる。早速、その策を打ってくれ。」

「ありがとうございます。それでは、まず、ルドラに宛てた親書をしたためていただきたく存じます。」

 ルガルバンダが親書をしたためると、カーシャパは、ルガルバンダの部下でルドラと面識のある神を使者に選び、ルドラのもとへ送った。使者はルドラに面会すると言った。

「お久しぶりでござる。ルドラ将軍にはますますご健勝のこととお慶び申し上げます。この度は、ルガルバンダとムチャリンダ殿の間で一触即発の状態となっておりますが、この危難にどう対処すべきか、ぜひともご相談いたしたく、ルガルバンダの命を受けて使者として参りました。まずはこれをお読みいただきたい。」

 そう言って、使者は携えてきたルガルバンダの親書を手渡した。ルドラはそれを受け取って読み始めたが、みるみる顔つきが変わった。

 その親書にはルドラとルガルバンダの出会いに始まり、これまでのルドラの功績を讃える言葉、ルドラの才覚を讃える言葉が並んでいた。さすがは宇宙一の論客と言われたルガルバンダだけあって、心を掴む言葉を織り交ぜ、巧みな論旨でルドラの心を捉える見事な文章であった。

 親書はさらに続けて、現在の状況に関する分析、そしてルガルバンダの陣営がいかに有利かが書き連ねられ、さらに、ルドラが時世の流れの中で致し方なくムチャリンダに組しているのではないかという見方をしていることも書かれていた。そしてこの宇宙に新秩序を打ち立てたいというルガルバンダの壮大な構想が述べられ、ぜひとも、この困難な事業に参画して欲しいと強い調子で訴えかけていた。そして、最後に、ルガルバンダの元へ帰参してくれるなら、ヤンバー、カーシャパと並ぶ将軍として重用することを約束していた。

 親書を読み終わると、ルドラの手はぶるぶると震え、目を閉じて、ただ一言、

「ありがたいお言葉である。」

と言った。

 使者が、

「では、ルガルバンダに組していただけますか?」

と言うと、ルドラは毅然として答えた。

「もちろんだ。これほどの親書を頂いて、いかなる別の道があるというのか。そもそも、このたびムチャリンダに組したのも、一つには我が領土がムチャリンダの領土に隣接していたというだけの理由だ。そして、ルガルバンダ殿とムチャリンダがきっと手を携えるに違いないと思っていたので、ムチャリンダの元へ参集して何の問題もないと思ったまでのこと。だが、それは私自身の大きな思い誤りであった。しかし、その誤りをルガルバンダ殿はまったく不問に付し、かつてと同様、重用くださるという。これほどのお言葉があろうか。」

「ありがとうございます。わざわざ来た甲斐があったというものです。もう一言申し添えておくなら、かつて敵であったカーシャパも今はルガルバンダのもとで将軍として重用されています。ルガルバンダはかつての因縁ではなく、能力によって神々を用います。ルドラ殿が帰参なされば、大軍を任されるのは間違いないでしょう。」

「それで、どのように帰参すればよかろうか。」

「それについては、カーシャパから策を授かってきております。現在はムチャリンダ軍も居城にて戦さの準備を進めているでしょうから、ルドラ殿だけが軍を発することは困難でしょう。」

「その通りりだ。」

「それゆえ、まずはムチャリンダ軍の一軍として進軍いただきたいとカーシャパは申しております。戦場ではルドラ殿の軍にはヤンバーの軍が向かい合うようにいたします。まず、緒戦では、カーシャパの軍がギランダを急襲しますので、その次の段で、ルドラ殿はヤンバーに向かうと見せて、ただ、これを避けていただきたい。そうすることによって、逆にヤンバーの軍にはおそらく中央に位置するムチャリンダの本陣への道が開けます。あとは戦いの趨勢に任せて陣を動かしていただけば結構です。」

「なるほど、よく分かった。では、そうさせてもらおう。今日はたいへんありがたかった。しばし、待たれよ。」

 そう言うと、ルドラはルガルバンダ宛ての丁寧な返書をしたため、使者に持たせた。

「ルガルバンダ殿への返書だ。ルガルバンダ殿のような名文ではないが、まごころだけはこもっていると申し上げてくれ。」

 

 数週間後、いよいよムチャリンダが軍を発した。勇壮な出で立ちのムチャリンダを囲む大軍団から出陣の太鼓が打ち鳴らされたが、その瞬間、ジャッカルが不吉な声を上げ、一陣の強風が舞い上がり、野鳥がけたたましい叫び声をあげて飛び立った。

 しかし、この凶兆にもムチャリンダはひるむことはなかった。ムチャリンダは青銅の盾を軽々と腕に抱えて軍団の先頭に立つと、

「天がルガルバンダの破滅を預言している。」

と叫び、怒涛のごとく全軍を進軍させたのだった。

 一方のルガルバンダ軍も出陣した。ルガルバンダ紀元第九年のことだった。

 両軍が向かい合うと、ムチャリンダ軍は、右翼にルドラ、左翼にギランダ、中央にムチャリンダという堂々の布陣を敷いた。一方のルガルバンダ軍は、右翼にカーシャパ、左翼にヤンバー、中央にルガルバンダという布陣で相対した。

 両軍が対峙すると、ムチャリンダは大声で叫んだ。

「ルガルバンダ、よくもまあ、昔の恩義も忘れて攻めてきたものだな。だが、破壊の神と言われたこのおれの恐ろしさをよもや忘れたわけではあるまいな。この軍勢を見て怖気づき、兵を引いて引き上げるなら、昔のよしみで見逃してやろう。だが、どうしても決戦というなら、我が守護神たるスーリヤ神がおまえたちの忘恩を見過ごすことは決してない。おまえもヤンバーもそしてカーシャパもみな大地にうつ伏すことになるだろう。」

 だが、ルガルバンダは臆せず叫び返した。

「ムチャリンダ、そんな昔のことを引き合いに出し、過去の守護神を持ち出してくるようでは、おまえの力も落ちたものだな。もはや時代は変わった。創造を破壊する力とこの宇宙で秩序を築くのはわけが違うということをまるでわきまえていないのではないか。戦いが始まれば、いかに時代が変わったか、おまえも悟ることになるだろう。」

 この挑発的な言葉はムチャリンダを激怒させた。ムチャリンダはルガルバンダの言葉には答えず、ただ、自軍に向かって号令をかけた。

「全軍進軍だ。一気にルガルバンダを倒すぞ。このムチャリンダの恐ろしさを今こそこの大地の上で思い知らせるのだ」

 この号令に従って、ムチャリンダ軍の戦車部隊が敵に向かって疾駆し、決戦の火ぶたが切られた。しかし、そのとき、ムチャリンダの戦車部隊が目にしたのは、これまで目にしたことのない騎馬軍団の突撃だった。

「あれはなんだ。」

 そんな驚きの声が飛び交うムチャリンダ軍に対し、ルガルバンダの騎馬軍団はすさまじい速度で戦場を疾駆し、ムチャリンダ軍の戦車部隊を次々になぎ倒していった。

 しかも、ヤンバー軍に向かって突進したルドラ軍は、途中で向きを右に変えて、ヤンバー軍を避けた。密約通りの動きであった。ヤンバー軍は空いた空間に一気に騎馬軍団を突入させ、ムチャリンダ軍の側面から攻撃を仕掛けた。

 戦場では、ルガルバンダ軍の騎馬軍団の威力がムチャリンダ軍を圧倒した。ムチャリンダは、ルドラの裏切りに激怒し、大声を上げて戦場を駆け巡り、必死の形相で戦ったが、戦列は次々に切り崩されていった。しかも、正面のルガルバンダ軍の攻撃に加え、側面からヤンバーの騎馬軍団での攻撃を受けてムチャリンダ軍は大混乱となった。ひとり、獅子奮迅の動きで健闘するムチャリンダの雄姿も全体の戦局から見れば、とるに足らないものにすぎなかった。

 最初に崩壊したのはカーシャパの騎馬軍団に蹂躙されたギランダ軍であった。ギランダは、

「もはやこれまで。これ以上は支えきれぬ。」

と叫ぶと、近くにいた兵をまとめて、ほうほうのていで戦場を離脱した。

 こうなるとムチャリンダもどうしようもなかった。わずか数時間の戦闘で、ムチャリンダ軍の戦車部隊は壊滅した。

 ムチャリンダは歯ぎしりし、

「こんなところで倒されてたまるか。」

と叫び、戦場から離脱しようとした。しかし、そこに待っていたのは、戦場から離脱しようとするムチャリンダ軍を遮り、次々に捕捉殲滅していたルドラ軍だった。

 ルドラを認めると、ムチャリンダは叫んだ。

「ルドラ、どういうことだ。この大事な戦場で裏切りか。おまえがそんな腹黒い神とは夢にも思わなかった。」

 しかし、ルドラは爛々と目を光らせ、平然と言い返した。

「もはや時代が変わった。それに気づかぬ昔の神は退場あるのみ。かつて破壊の神として崇められたムチャリンダはもはや過去の遺物にすぎぬ。」

 ルドラは部下に命じた。

「残っている敵はわずかだ。大将のムチャリンダを討ち取れ。」

 この号令に呼応して、ルドラ軍の戦士たちは、なおも暴れ回るムチャリンダの戦車をめがけて殺到した。宇宙に破壊の神として恐れられ、そのすさまじいまでの力に畏怖の念をいだかせてきた破壊神ムチャリンダの最期はあまりにもあっけないものであった。かつての威光の影は微塵もなく、ルドラ軍の兵士たちによってムチャリンダは打ち倒され、その姿を消した。

 ムチャリンダが大地にうち伏すときに発せられた轟音は宇宙の涯てまで響き渡ったほどであったが、それは同時に、時代が変転したことを明確に伝える響きでもあった。

 こうして戦いは終わった。あまりにもあっけない戦いに、勝利したルガルバンダでさえ、あっけにとられるほどであった。

「これほどまでに騎馬軍団の威力がすごいとは。」

とルガルバンダは感嘆し、カーシャパの貢献を称えた。

 また、ムチャリンダを倒して帰参したルドラは丁重にルガルバンダに迎えられ、将軍としての地位を得たのだった。

 ただ、戦場を離脱したギランダだけは捕捉することができなかった。ギランダは戦車を捨て、鎧兜を捨て、行者に扮して流浪する道を選び、再起を誓っていた。

 

 ルガルバンダがムチャリンダを倒したことで世界の構図は大きく変わった。それまでのルガルバンダ、ムチャリンダ、シュリー、イムテーベらが競い合う群雄割拠の時代から、ルガルバンダの力が抜きんでた構図へと変わったことは確かだった。イムテーベもシュリーもその認識に立っている点は同じであり、ともに大きな危機感を抱いていた。

 一方、ムチャリンダを滅ぼして勢いに乗るルガルバンダは、世界の覇権確立に向けて大きく踏み出そうとしていた。

 ルガルバンダは言った。

「おれたちは偉大な時代を生きている。かつてない偉大な時代を生きている。かつては聖者と称するもの、賢者と称するものが創造を行うだけの世界だった。しかし、今は、自らの才覚によって世界を切り開き、壮大な世界を構築することのできる時代なのだ。心ある者はおれたちのもとに集まるがいい。」

 ルガルバンダはそう全宇宙に向かって喧伝し、世界を支配する秩序を着々と築いていった。この世界秩序構築に大きな力を発揮したのが、侍従から大臣にまで登りつめたアルワムナだった。アルワムナは上表して言った。

「国が大きくなるほど、統一した基準や制度が必要となります。法と規格化によって民は安心して生業にいそしむことができ、法と規格化による効率化によって経済が発展し、国力の増強に寄与するのです。」

 廷臣たちの中にはアルワムナに異論を唱える者も少なくなかった。

「そんな急激な改変がほんとうに良いのか。神々の世界にはさまざまな良いところがあったのに、それを打ち壊すことになるのではないか。礼の定めを守ることこそ治世の要のはずだ。」

「古来より、利益が百倍ない限り法を改めてはならず、効率が十倍ない限り、機械を取り替えてはならないと言う。これまでの良き制度、良き慣習を踏襲し、その上に帝国を築くべきである。」

 こんな意見が多く出されたし、中には、

「アルワムナはただの成り上がり者ではないか。成り上がるために、性急な策を唱え、自身の立身出世に活用とする不届き者だ。」

と言う者まであった。

 だが、アルワムナは意にも介さず、それらの異論を一蹴した。

「ルガルバンダは新しい世界を拓くと宣言している。過去の旧習に阿ねる必要がどこにあろうか。しかも、いまだ天下は統一されておらず、ルガルバンダに服さない旧勢力も多い。今必要なのは、新しい時代に必要な新しい制度と法を築くことにより、他国を圧する国力をつけ、その力で天下を統一すること。そして、新たな繁栄の宇宙を創出することなのだ。」

 ルガルバンダもアルワムナの改革を支持したが、その改革の具体策を作り、推進したのがメダテスという神だった。メダテスは落ちぶれかかった下級貴族の子であり、官吏試験に合格して下っ端役人にはなっていたが、立身の機会はなかなかやってこなかった。

「上役は皆、保身に汲々とし、事なかれ主義に終始している。将来を見据えた制度革新や、時節にあった新しい仕組みなど真剣に考えもしない。こんな輩と一緒にいて、どうやって自分の道が開けるというのか?」

 そんな不満をかこっていた時に彼が目にしたのが、改革を唱えてとんとん拍子に出世し、さまざまな才能を持つ者たちを次々と登用していたアルワムナの姿だった。メダテスはたまたま顔合わせの機会のあったカーシャパに認められると、アルワムナへの推薦状を書いてもらった。

 推薦状を持ってアルワムナの家を訪ねると、メダテスは挑戦的な言葉を放った。

「あなたは皆が言うように成り上がり者に過ぎない。皆、あなたの失敗を待ち望み、その失敗を必ずやあげつらおうと狙っている。しかるに、あなたは急進的な改革を唱えておられるが、改革というものはとかく失敗を生みやすいもの。しかも、あなたの策は立派な総論をもっておられるが、それを失敗することなくやり遂げる緻密な策という観点では十分とは言えない。」

 下っ端役人のこの偉そうな言葉にアルワムナは厳しい目でメダテスを睨んだが、メダテスが視線をそらさないのを見ると、問い詰めるような口調で言った。

「では、どうすれば良いか答えてみよ。その策なくば、今この瞬間におまえは首だ。」

 だが、メダテスはなんら怯まなかった。

「それであれば簡単なこと。どうすれば良いかというなら、この私にお任せいただければ良いのです。私は必ずや殿の改革を成功させて見せましょう。」

 アルワムナは大きく笑った。

「おもしろい。では、さっそくやってみせてもらおうか。」

 アルワムナは推進し始めていた度量衡の統一に関して、何を規格化すべきかメダテスに下問した。しばらくしてメダテスが規格すべきものの一覧を出してきたが、それはそれまでアルワムナの配下の者が作っていた案に数倍する代物だった。

「こんなものまで規格化する必要があるのか?」

とアルワムナは言ったが、メダテスは平然と答えた。

「この統一が国の発展を支えるのです。これでも少なすぎるくらいです。」

「だが、これだけの規格ができるのか?」

「私であれば。」

 この自信に満ちた言葉にアルワムナは手始めとしてメダテスに度量衡のいくつかの統一をやらせたが、メダテスはまたたくまにやり遂げた。メダテスは頭の切れ味は抜群だったし、神の使い方もうまかった。信賞必罰の策を駆使して神心を掌握する点でも誰にも負けなかった。そんな彼の力が遺憾なく発揮された結果と言って良かった。

 その結果に満足したアルワムナは度量衡の統一を全面的にメダテスに任せることにした。メダテスが規格化したものは、車輪の幅、荷箱のサイズ、布の大きさから箸の長さまで実にさまざまだった。

 アルワムナは法を整備し、法によって秩序を維持し、世界を支配する道も推し進めた。また、新たな技術革新も推し進めたが、これを担ったのが、アルワムナが新たに登用した技術者たちだった。中でも、数学の進歩を活用した器具や工具の精度向上、気象予測を踏まえた農業の革新、橋脚建設技術の向上、治水技術の向上などは、ルガルバンダの国力増強に大いに力を発揮した。

 アルワムナの功績によって租税収入は飛躍的に増大し、それに基づいて軍事力も大幅に強化され、三国の中でルガルバンダの優位は決定的となっていった。

 ただ、鉄器の技術だけはシュリーのレベルには達しなかった。シュリーが技術の秘匿に特に注意を払ったためで、ルガルバンダの元ではまだ良質の鉄器ができなかった。ルドラは金と伝手を頼りに最新の技術の習得に努めたが、できあがってきた鉄の試作品は脆く、青銅の武器との試合で優位性は見い出せなかった。

 

 こんな状況の中、シュリーの陣営では、プシュパギリがルガルバンダの騎馬軍団に危機感を募らせていた。

「シュリー殿、聞くところによれば、ルガルバンダの軍団は馬に騎乗して攻めてくるとか。たいへんな戦力のようです。」

 騎馬戦術をよく知らないシュリーは怪訝げに問うた。

「だが、馬にまたがって乗りこなせるのか?それに騎乗して武器を扱えるのか?」

「ええ。鞍と鐙というものを馬につけ、武装した兵士が騎乗するのです。」

「どんなものか分かるのか。」

「ええ、準備していますのでご覧ください。」

 そう言うと、プシュパギリは鞍と鐙をつけた馬を広場に引いてこさせた。馬が来ると、プシュパギリは矢筒を背負い、弓をもって、ひらりと馬にまたがった。そして、颯爽と馬を走らせ、馬上から次々に矢を放った。宇宙一の弓の名手と言われたプシュパギリだけあって、放たれた矢は轟音を発して次々に広場の周りの木に取り付けられた的に当たった。

 群臣たちが感嘆する中、

「馬上から弓を放つのは難しくはないのか。」

と言うシュリーにプシュパギリが答えた。

「訓練が必要です。ルガルバンダの危機が迫る今、大至急、馬と鞍と鐙を準備し、武者たちを鍛えて騎馬軍団を作り上げねばなりません。いかに鉄の武器が優れていても、馬に曳かせる戦車だけでは到底戦えません。」

 この進言に従い、シュリーは騎馬軍団を作り上げていった。プシュパギリは毎日のように厳しい演習や馬の調教を繰り返し、さらに、鉄製の武器、甲冑の整備を急いだ。

 

 一方、ルガルバンダ王国でもヤンバー、カーシャパ、ルドラが次の戦いの準備を進めていた。標的はシュリーであった。

 軍議が開かれると、

「戦いの準備は整ったか。」

と問うルガルバンダに対して、カーシャパが答えた。

「ほぼ、整っています。敵も戦いの準備を進めていると聞きますが、我らの方が戦力でも圧倒的に有利です。しかも、当方には訓練された騎馬軍団があります。敵も騎馬軍団を準備中のようですが、騎馬軍団を戦力とするためにはかなりの鍛錬が必要です。敵に時間を与えず、今、戦いを挑むことこそ必勝戦略と心得ます。」

 この意見にルガルバンダも賛成した。

「いいだろう。敵の戦力が整う前に叩くことができるなら、それにこしたことはない。シュリーが万全の準備を整えた後に戦うのでは、戦力的に我々の方が上回っているとしてもやっかいだ。すぐにシュリーに挑もうではないか。ヤンバー、どうだ。」

 ルガルバンダのこの言葉にヤンバーが異論あろうはずはなかった。

 五か月後、出陣の陣太鼓が打ち鳴らされた。ルガルバンダは大きな大将旗のもと、華麗な鎧兜に身を包み、立派に飾り立てられた馬にまたがった。馬上からルガルバンダは大音声で叫んだ。

「敵はシュリーだ。一気に揉みつぶす。」

 この号令のもと、ルガルバンダ紀元第十三年、ついにルガルバンダの大軍団が動き出した。三万の大軍だった。

 ルガルバンダ軍が動き出すという知らせは既にシュリーの元にもイムテーベの元にももたらされていた。シュリーの元では、喧々諤々の議論がなされた。

「騎馬兵の数では圧倒的にわが軍が不利だ。」

「全兵力でも敵方の三分の一か四分の一ではないか。」

「ルガルバンダはムチャリンダを倒して勢いに乗っており、手がつけられない。」

 そういった悲観的な意見が続出する中、プシュパギリはイムテーベとの連携を提案した。

「シュリー様、これまでさまざまに議論されましたように、単独で戦っても勝機を見出すのはたいへん難しいと言わざるを得ません。今、世界は大勢力のルガルバンダに対し、シュリー様とイムテーベが大きな勢力として残っています。ルガルバンダに対抗するにはイムテーベと組むほかありません。」

「しかし、かつての戦いで、イムテーベは我らの仇敵であり、手を組むことを快しとしない。しかも、イムテーベとルガルバンダはかつての僚友であり、イムテーベが我らと手を組むなどということがあるだろうか。」

 ライリーがそう言ったが、プシュパギリは次のように答えた。

「イムテーベは宇宙一の軍神と言われた神であり、ムチャリンダの元ではルガルバンダより上席であったはず。しかし、今、ルガルバンダは日の出の勢いであり、イムテーベとしてもこのまま事態が推移し、ルガルバンダの風下に立たされることは決して快しとはいたしますまい。とすれば、イムテーベが我らと組むことは十分にありうるはず。また、我らにとってもかつての恨みだけに基づいて、時勢を適切に判断した賢明な策を避けるなら、道は閉ざされてしまいましょう。幸い、イムテーベ配下のサヌートと連絡をつけ、連携の可能性があるという感触もつかんでおります。」

 この言葉にシュリーもうなずいて言った。

「いいだろう。さっそく、イムテーベとの同盟を築いてくれ。だが、時間がない。急ぐのだ。」

 シュリーのこの言葉を聞くと、さっそく、シャンターヤがプシュパギリの使者としてその日のうちにイムテーベのもとに向かった。

 シャンターヤはイムテーベのもとに着くと、さっそく、同盟の提案を行った。

「ルガルバンダは、自らの世界帝国を築かんとの野望に燃え、武力によって覇権を握ろうとしております。そして、かつて仕えたムチャリンダを葬り、今またシュリーを滅ぼさんと兵を起こしております。イムテーベ殿はこの状況をどうご覧になりますか。ルガルバンダは、ムチャリンダさえ平気で滅ぼした。イムテーベ殿はルガルバンダのかつての盟友であられるわけですが、ルガルバンダはそんなものは歯牙にも掛けぬでしょう。万が一、シュリーが滅ぼされでもしたら、イムテーベ殿はもはやルガルバンダに平伏する以外に道はないのでは?かつてルガルバンダより上席であったイムテーベ殿にそれは耐えられますか?もはや、シュリーと組んでルガルバンダと対抗する以外に道はないのでは?」

 この提案を聞くと、イムテーベは即断で同盟を決した。それは、事前に、部下のバルカとサヌートからシュリーとの提携を勧められていたからでもあった。

 イムテーベは言った。

「良いだろう。手を携えて、ルガルバンダの暴挙に当たることに異論があろうはずがない。当方はいつでも出陣のできる準備を整えている。近日中に軍を発し、ルガルバンダの領内に攻め入ろう。また、援軍として騎馬兵千騎をつけてバルカをシュリー殿の元へ派遣しよう。」

 シャンターヤは大いに喜び、この知らせをもって飛んで帰った。

 

20141110日掲載 / 最新改訂版:2021725日)


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向殿充浩 (こうでんみつひろ) / 神話『ブルーポールズ』第4巻