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神話『ブルーポールズ』

【第3巻】-                                                 

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 それから長い年月が流れた。パキゼーは弟子の僧たちを引き連れて遍歴の旅を続け、悟りへの道を説き続けた。数々の町を訪ね、幾多の村を通り過ぎた。雨季には邸や園に雨を避けて逗留した。高名な賢者がパキゼーを訪ね、諸侯や王がパキゼーを招いた。

 こうして、パキゼーの法は地上に広まっていった。混乱の渦巻く地上に一滴の静謐がもたらされた。欲望の渦巻く世界の中に、慈悲の灯明が燈った。たくさんの沙門が帰依し、少なからぬ有力者が寄進し、そして王の中にも帰依者が現れた。

 黄色の衣を纏ったパキゼーの僧団はまだ世界の一部に過ぎなかったけれど、その清新の息吹きは着実に大地の熱を冷ましていった。

 しかし、時は刻一刻と入滅の時へと近付いていた。

 パキゼーは遍歴の旅の途上で重い病を患い、ゴルーンサーヴィという小さな村に留まった。パキゼーが重い病に伏せたということが伝えられると、世界は悲しみに包まれた。王たちは賢者を集めて祈祷を上げさせ、自ら断食して回復を祈る者も後を絶たなかった。

 パキゼーに関する知らせは神々の世界にももたらされた。神々の世界に大きな動揺が起こったが、マーシュ師はいささかも動じることなく、ただ、ナユタとユビュを呼んだ。不安を隠しきれないナユタとユビュに向かって、マーシュ師は静かに、そして厳かに言った。

「この創造の決着をつけるときが来た。最後の戦いが迫っている。真理を具現するための最後の戦いだ。」

 ナユタとユビュは「えっ?」という顔をして、顔を見合わせた。ユビュはマーシュ師をまじまじと見返して尋ねた。

「それはどういうことですか?」

 マーシュ師は言葉を選びながら、ゆっくりと語り始めた。

「この創造をヴァーサヴァが始めて以来、常にこの創造の意味が問われ続けた。何のための創造か?何のための存在か?その地球で生き物たちは何のために生きているのか?その地上で人間たちは何のために何をしているのか?そして、この創造によって神々は何をしようとし、何を求めているのか?それらの問いに対し、神々の誰もほんとうには答え得なかった。創造を破壊することがこの問いを解決するものではない、そうナユタは繰り返し訴えた。その通りだ。そして、この創造を通して、何かが生み出され、何かが新たに見出されるはず、またそうなるように創造を導かねばならない、ナユタはそう信じていた。」

 ナユタは黙ってうなずいた。マーシュ師は続けた。

「だが、残念ながら神々の誰もその何かを生み出しえず、その何かを見出しえなかった。誰ひとりとしてだ。存在の本質は解き明かされず、みな、世界の坩堝の中で、その混乱の中で、自らもまたその混乱に加わっただけだった。真理はあるのか?真理はどこにあるのか?それが心ある神々の心の底に横たわる疑念だった。真理とは何か?それを誰も知らなかった。」

 ナユタがうつむき加減に答えた。

「そのとおりです。私たちの誰ひとりとしてこの世界を突破することはできませんでした。混乱の中で、ただ、時の濁流に飲み込まれただけでした。渺莫たるこの乾燥した宇宙で、喧騒の音を掻き鳴らし、熱に浮かされて、興奮してあい争っただけでした。しかし、ただひとり、パキゼーだけが、いかなる神もなしえなかったことをなし、いかなる神も見出しえなかったことを見出したのです。」

「そのとおりだ。ひとり、パキゼーのみが世界を転回させた。真剣にひたむきに生きる人も神も数多くいたが、その真剣さは人生を人生の内から見た価値観に基づくものでしかなかった。だから、いかに素晴らしく感じられる精神も、献身も、自己犠牲の心もすべて真理から隔てられていたのだ。パキゼーのみが真理への道を切り開き、真実へ至る道を照明してみせた。だが、そのパキゼーが病に伏せっている。一つの世界が終わろうとしているのだ。ムチャリンダも、この時を最後の戦いのときと思っているだろう。この創造の決着をつけるべき最後のときが迫っているのだ。」

「最後のときが迫っている。」

 そう、ナユタはマーシュ師の言葉を小さく繰り返した。すると不思議なほどに清々とした風が心に吹き込んでくるような気分に見舞われた。創造を巡る戦いの中で自らのなすべきことが何なのか、悩み続け、答えを見出しえなかったナユタの心に再び小さな光が灯った瞬間だった。

 ナユタは言った。

「マーシュ様、私は未熟な神です。そして私は、結局、自分の信ずるところに従い、自らの道を行く以上のことができません。パキゼーの示す悟りには行き着かず、ただ、世界を縹渺たる思いで眺めているだけでした。しかし、この世界のためになすべき使命がなおあることを理解しています。」

 不思議な召命にいざなわれたのはユビュも同じだった。ユビュはそっとナユタにささやいた。

「行きましょう。この最後のときに、私たちがなさねばならないことがあります。行って、最後のときに備えましょう。」

 ナユタもうなずいた。マーシュ師はそれを見ると、おだやかな表情で言った。

「行くがいい。いよいよ最後のときだ。きっとこの創造の意味が成就するよ。ブルーポールをもってゆきなさい。そして、ユビュ、マーダナとタンカーラももってゆきなさい。ナユタもサーンチャバを携えてゆきなさい。」

 こうしてマーシュ師は、ユビュとナユタを送り出したのだった。

 

 ユビュとナユタは、ゴルーンサーヴィという小さな村で床に伏すパキゼーのもとに向かった。

 ユビュとナユタはやってくると、パキゼーの枕元に控えた。パキゼーは眠っていた。ユビュとナユタは心を静めてパキゼーを見守った。何時間も待ち続けた後、パキゼーは目を覚ました。

 ユビュとナユタに気づくと、パキゼーは病の床から身を起こし、静かに語り掛けた。

「よく来たな。汝らに出会って道へ導かれ、道を見出し、そして道を授けた。法の車輪は回転した。だが、あれから長い年月が流れ、私も齢八十を数える。入滅の時が近付いた。」

 ユビュもナユタもただ、目を伏せて聞き入るばかりであった。パキゼーは続けた。

「汝らは宇宙を救うために奔走した。はるか昔、ヴァーサヴァ神の創造した世界を巡って、ヴァーサヴァとムチャリンダの争いが生じ、宇宙開闢以来の大きな戦争、無数の神々を巻き込んだ戦争が起こった。そしてその戦いでヴァーサヴァが敗れ、宇宙は秩序のない混乱の時代に突入した。だが、そのムチャリンダを破ったのが、ナユタ、ユビュ、汝たちだった。しかし、その勝利によっても世界に真理は具現しなかった。地上では戦乱の時代が続いた。何百年も前、ヨシュタという王がナユタの助けを受けて世界に恒久平和を築こうとしたが、ムチャリンダの前に挫折した。ナユタ、創造をめぐる汝の心意気はまことに尊い。そのたゆまぬ努力は賞賛に値する。だが、残念ながら、そのような試みでは世界は救えなかった。」

 ナユタはうなずき、そして言った。

「そのとおりでした。私は私の歩いてきた道を振り返るとき、心の中に刺すような痛みを感じます。苦しみを乗り越えて努力してきました。しかし、その努力が何の成果ももたらさず、もたらしたのは悲しみと混乱だけでした。宇宙の三賢神のひとりと称えられたバルマン師、盟友のシャルマが戦いで倒れました。ヨシュタも非業の死を遂げました。何も残らず、ただただ、無力感が心をさいなみます。」

「ナユタ、そんなことはない。努力が無駄であったということではない。汝の努力は宇宙に貢献した。ただ、その努力だけでは世界は救えないということだ。揺るぎない拠りどころとなるもの、それは法だけだ。だが、ナユタ、そしてユビュ、よく覚えておくがいい。法は世界をも宇宙をも救うことはできぬ。」

 驚いた表情でナユタとユビュが聞き返した。

「法は世界を救えないのですか?」

「そうだ、法は世界を救えない。それが、汝らに教える私の最後の教えだ。私の法は永遠の真理に立脚している。しかし、その法が永遠ということはない。やがて法が軽んじられ、法が忘れ去られる末法の世が来よう。それこそが、すべてが無常のこの世界に合っている。」

 ナユタが押し殺したような声で尋ねた。

「それはなぜですか?」

「私の法は、世界から外に踏み出した者のためにある。法はただ、すべての妄執を捨て去った者を救うだけだ。目を凝らしてこの世界を見るがいい。世界の中にとどまり続けた者が世界の支配者となる。人生の中にとどまり続けた者たちが世界を覆っているのだ。離脱するもの、縁起の環から離れるもの、世間から隔絶したものは世界を支配することはできない。そしてまた、それを望みもしない。私が打ち立てた理法はこの世界の内側に持ち込まれたとたん、この世の掟に沿うように言い換えられ、この世の人々の心に合致すべく変えられるだろう。そして人々の欲望に合うように私の理法を説く者たちが現れ、我が物顔をしてこの世界を支配するだろう。人々は万物を生み出す虚空からの真言にはもはや耳を貸さず、耳に心地よい教説者の言葉に心をゆだねるだろう。それゆえ、この教えは廃れ、この世界はこれまでどおり、苦の中にとどまり続ける者たちが織りなす喧騒の場であり続けるのだ。人類はあまりにも途上にあり、そして、この地上は真理の具現する場所ではないのだ。」

「でも、それで良いのでしょうか。」

 パキゼーは諭すように語った。

「悟りの価値は何万年経とうと、何億年経とうと変わらぬが、人々はただ遊星の上で熱に浮かされて生き続けるであろう。人はこの世界の内のものに囚われ、人生に囚われて生きているからだ。だから、人は世界の真の姿を凝視することがなく、ただ、人生に束縛され、人生の内に織りなされる幻影に頼って生きるに過ぎない。」

 ナユタがつぶやくように言った。

「それは神においても同じですね。」

「その通りだ。だが、同時にこうも言える。一切が流れ、去り、流転するこの世界の内では、悟りすら、なんら本質的な価値を持ってはいない。それは人にとってであれ、神にとってであれ、同じことなのだ。悟りの精妙さはただ瞬時のきらめきにすぎず、それ自身は陽炎のごときものであり、すべては流れ去る。だから、何ものにも固執してはならぬ。固執することに価値のあるような何ものも世界の内には存在しない。別の遊星に別の生き方をする存在者があるかもしれぬ。だが、本質的な価値を定位することのできる何ものもなく、その本質は空であるという真理はこの宇宙のどこにあっても不変である。法は打ち立てられ、世界を照らすであろうが、世界そのものは時間の濁流に巻き込まれ、迷妄の中を漂い続ける。法は世界の中のことどもには関与しない。法は世界の外の法であるからだ。それゆえ、幾多の法が輝き、幾多の賢者が出ようとも、そして、法がさらなる輝きをいや増すことがあろうとも、世界が完結することはありえない。菩薩は五十六億七千万年のかなたから世界を見つめ続けている。ただそれだけだ。およそ、この世界に生を受け、そのことが苦しみを生み出さないというような真理などどこにも存在しない。一切のもので、その終局において異逆に会うことのないものはどこにも存在しえない。生を受けないこと、存在しないこと、それにまさる果報はどこにもない。ただ、世界の外で金剛の法が朽ちることなく輝いているだけだ。汝らはそれを拠りどころとするがよいだろう。」

 そう言うと、パキゼーは再び床に臥せ、静かな眠りに落ちた。

 

 ナユタとユビュは静かに立ち上がり、パキゼーのもとを離れて菩提樹のほとりにやってきた。静かな夜だった。森は静まり、星辰が沈黙のうちに空を巡った。

 ふたりは空を巡る星辰の運行に心を巡らせた。

 その時だった。どこからともなく笛の音が聞こえた。ナユタがユビュにそっとささやいた。

「誰かやってくる。」

「耳をすまして。笛の音よ。」

「この笛の音はクリシュナ?もしかしてクリシュナがやって来る?」

「以前マーシュ師にお聞きした時、もはやクリシュナがやって来ることはないと言われたわ。でも、この笛の音はたしかにクリシュナのもの。それに、世界の最後のときにクリシュナは必ず現れると言われているわ。クリシュナを迎える準備をしなくては。」

 ふたりは心を震わせて待った。

 そこに突然現れたのは、バルマン師だった。

 驚いてユビュが言った。

「バルマン様、どうしてここへ。まだムチャリンダは倒されていないのに。それに笛の音が聞こえました。クリシュナの笛です。世界が破滅の危機に瀕したとき、いつもクリシュナが現れると言います。クリシュナの笛が聞こえ、クリシュナが世界を救うために現れると言います。クリシュナがやってくるのでしょうか。」

 バルマン師はうなずいて答えた。

「ああ、そうだ。クリシュナは幾度となく現われ、世界を救ってきた。幾度となくクリシュナの笛が聞こえ、世界は再び清新の響きのうちにダルマを回復した。クリシュナは世界の導師そのもの。そして世界の導師は宇宙のある一点に重々しく鎮座するのではなく、陽気に軽やかに回転し、ある場所から他の場所へと飛び回るのだ。」

 ナユタが尋ねた。

「でも、前回の創造のとき、クリシュナは現れませんでした。今回の創造ではこの危急のときにクリシュナが来て下さるのですね。それで、どんな準備をしたらいいのでしょうか?どんなふうに迎えればいいのでしょう。」

「ナユタ、何もいらないよ。ただ、心を鎮めて待てばいい。クリシュナはいつでも、どこにでも現れる。真に彼を必要とする者のもとにクリシュナはやって来るのだ。」

「笛の音が聞こえました。もうすぐここにやって来られるのかしら。」

 そう言うユビュに、バルマン師がかすかに微笑んで答えた。

「もう来ているよ。おまえたちの目の前にいるよ。」

 えっ、と驚いてナユタが言った。

「もしかして、あなたが、あなたが、クリシュナ?」

 そのとおりとうなずくと、バルマン師はクリシュナへと姿を変えた。

「そうだ、私だよ。言ったろう。クリシュナはいつでもどこにでもいる。そして宇宙がほんとうに彼を必要としている時、いつでもどこにでも現われるのだ。」

 驚くふたりを連れて、クリシュナは小高い丘へと登っていった。そしてクリシュナは石を積み上げて小さな祭壇を作り、そこにユビュのマーダナを置かせた。三神は祈りを捧げた。

 クリシュナは言葉を発した。

「すべては、時間の中に埋没している。すべては流れ去り、すべては形を失う。天の意志が宇宙の開闢以来のさまざまなできごとを今、清算しようとしている。それが天の意志、神の意志、そして私の意志だ。さあマーダナよ。おまえの一切の力をここから輝かせるがいい。」

 クリシュナがそう言うと、マーダナは輝き始め、赤と緑の強い光を天に向かって放ち始めた。それはかつてユビュがマーダナを授かったとき、そしてルガルバンダとの戦いで輝きを発したときよりはるかに強い、はるかに明るい輝きだった。

 その光は宇宙を震撼させた。森のヴァーサヴァはランビニーとともに涙を流し、言い知れぬ感激に包まれ、そして言った。

「我が過ちを今日初めて悟った。しかし、その一切の過ちがユビュの光によって拭い去られ、私は再び自由になった。」

 ムチャリンダの牢獄では、シュリーの鎖が砕けた。シュリーは真新しい純白の衣に身を包み、そして空間を駆け上がり、アルテミスのごとき輝きを発して森のヴァーサヴァを目指して飛来した。

 地上では、パキゼーがその光を指差して言った。

「光が宇宙を覆う。菩薩が来降する光だ。入滅のときが来たのだ。」

 そしてその光は、ムチャリンダをも大きく揺さ振った。イムテーベがパキゼーに敗れて以来、意気消沈していたムチャリンダは、しかしすっくと立ちあがり、重い声で言った。

「行かねばならぬ。最後の戦いだ。」

 側に控えるサヌートは必死の形相で止めた。

「ムチャリンダ。それはあまりに無茶だ。イムテーベがパキゼーに敗れ、今、あなたはこの宇宙で孤立無援。多数がナユタとユビュについている中でどのようにして戦おうというのか?破滅への道を突き進むのはあなたらしくない。時を待ち、再びあなたの主張が認められる時代を待つべきだ。」

 しかし、ムチャリンダは首を振った。

「神には定めというものがある。もはや道はひとつ。最後の戦いだけだ。パキゼーが涅槃に歩み入ろうとするこのときに法を打ち壊すことができなければ、パキゼーの法は永劫の輝きを得、世界は新しい次元へと移行してしまうだろう。創造は完成し、おれが主張してきたところのものは創造への単なる妨害として地に落ちてしまうだろう。この戦いにはおれの存在意義がかかっている。出立せねばならない。」

 だが、サヌートはなおも食い下がった。

「ムチャリンダ、よく目を見開いて世界を見るのです。地上は何も変わってはいない。パキゼーの法によっても、何一つ変わってはいない。パキゼーの法が輝いたといっても、それは闇夜に暗い星がひとつ輝く程度のこと。地上ではなお殺戮と喧騒が支配し、強欲とねたみ、愛憎と虚偽が渦巻いています。パキゼーの法は永劫の宇宙の回転から見れば、ほんの瞬時の輝きほどでしかない。千年経ち、二千年経てば、法は廃れ、末法の世が到来します。人々は再び地球すべてを巻き込む大戦争と大量殺戮に向かってひた走るでしょう。ときは必ず来ます。今起つ必要などどこにもありません。」

「たしかにそのとおりかも知れぬ。きっと法は廃れ、末法の世が到来しよう。だが、パキゼーが宇宙の車輪を回した法を認めるか、それとも打ち壊すか、それはこの創造の意味を問うことに等しいことなのだ。だから、おれは行かねばならぬ。それが神としての勤め、おれのなすべきことなのだ。今日までよく仕えてくれた。礼を言う。」

 そう言うとムチャリンダはブルーポールを抱え、単身戦車に飛び乗った。ブルーポールを掲げるムチャリンダが宇宙を駈けると、驚嘆の声が神々から巻き起こった。

「ムチャリンダだ。」

「ムチャリンダが宇宙を駈けて行く。」

「ムチャリンダがひとりで最後の戦いに臨もうとしている。」

「己の志を曲げず、ただひとり道を進んでいる。」

 ムチャリンダに感嘆する声が宇宙に渦巻いた。しかし、ムチャリンダに味方して道を共にする者はもはや誰もいなかった。

 地上ではクリシュナがユビュとナユタに語りかけた。

「ムチャリンダがやってくる。ムチャリンダとの最後の戦いだ。」

 ナユタは無言で頷いた。そうだ、ムチャリンダとの戦いはまだ終わっていなかったのだ。パキゼーの入滅が近付いたまさにこのとき、宇宙は危急の時に面していたのかもしれなかった。世界の創造の是非を問う最後の戦いが足音を忍ばせて近づいてきていたのだった。

 ユビュはこわばった表情でクリシュナを見た。だが、クリシュナは厳かに言った。

「この創造についての答えを出すときがやってきた。おまえたちは、ひとりづつムチャリンダと戦うのだ。」

 空から一条の光が差し込むと、ムチャリンダはブルーポールを振りかざし、空の裂け目からナユタをめがけて駆け降りてきた。焔のように光り輝く戦車に乗り、一切の迷いなく、ただ淡々と己の定めに従ってムチャリンダは戦いを挑んだ。ブルーポールをかざして応戦するナユタ。まさに、たぐいまれな剣豪と剣豪との戦いそのものだった。

 ブルーポールの青い光が真っ暗な夜空に映え、ブルーポールがぶつかり合うたびに青い火花が宇宙の涯てまで飛び散った。

 ナユタは叫んだ。

「ムチャリンダ、おまえを支持する者はもはやなく、おまえは孤立無援。もはや観念し、宇宙の淵に戻るがいい。」

 だが、ムチャリンダは毅然と言い放った。

「ナユタ、味方が多いことが真理ではない。真理はなお我とともにある。そもそもおまえは宇宙開闢以来の掟を犯し、ヴィンディヤの戦いで人間であるバドゥラを倒した。たとえすべての神がおまえの虚言にたぶらかされ、パキゼーの似非の法に惑わされたとしても、おれはただひとり真実への道を突き進む。おれの意思を押しとどめることのできるものは何もない。さあ、最後の勝負だ。」

 そう言うとムチャリンダは激しく打ちかかった。ナユタとムチャリンダの間の激しい戦いが続いたが、クリシュナはそっとユビュにささやいた。

「マーダナをムチャリンダにかざすのだ。」

 ユビュは、「えっ?」とクリシュナを見たが、言われるがままに、マーダナを持ち上げ、ムチャリンダの方を向いた。

 その瞬間だった。激しい閃光がムチャリンダに発せられた。その激しい光にムチャリンダは一瞬怯み、その隙を突いてナユタはムチャリンダのブルーポールを叩き落とした。

 ムチャリンダは恐ろしい形相でユビュを睨みつけると、吐き捨てるように言った。

「いつもながら卑怯な手を使うな。武器をもたぬルガルバンダを無慈悲に倒したおまえの行為といい、おまえたちには、正々堂々とか、神の道に則って、とかいうことはないらしいな。だが、よこしまな道には必ず報いがある。それをよく覚えておくがいい。ユビュ、今日こそがおまえの倒れる日だ。」

 そう叫ぶとムチャリンダはブルーポールを拾い上げ、再び掲げて、ユビュに戦いを挑んだ。ユビュも果敢に立ち向かった。いまはユビュも立派な戦士となり、ムチャリンダと互角に渡り合ったが、やはり武術に勝るムチャリンダが優勢だった。

 それを見たクリシュナはナユタに言った。

「このままではユビュは倒される。ムチャリンダの力は絶大だ。」

「えっ。」

とナユタが驚いて聞き返すと、クリシュナはさらに言った。

「サーンチャバをよこせ。ムチャリンダに勝つにはそれしかない。」

「でもサーンチャバはジャイバにしか役に立ちません。」

「そんなことはない。ヴィカルナ聖仙が与えた神器がムチャリンダに通用しないわけがない。ましてやヴァーサヴァのブルーポールに負けるわけがない。」

 そう言ってナユタからサーンチャバを受け取ると、クリシュナはその円盤をムチャリンダに向かって投げた。

 サーンチャバは美しい軌跡を描いて飛んだ。そして、まさにユビュに打ちかかろうとするムシャリンダのブルーポールを打ち落とし、再びクリシュナの手の中に舞い戻った。クリシュナはそのサーンチャバを恭しく祭壇に供えた。

 ムチャリンダは怒りの形相でクリシュナを睨んだ。

「すべてはおまえの仕業か。これが神の中の神と言われたクリシュナのなせる業か。神の世界も地に落ちた。こんな世界に誰が住み続けたいというのか?」

 ムチャリンダはそう叫んだ。しかしクリシュナは厳かな声で答えた。

「世界は転回した。パキゼーの教えが道を開き、世界には静謐の平安が舞い降りる。汝の唱える主義にはもはや真理はなく、ただ傍若無神の激情があるばかり。」

 ムチャリンダは叫び返した。

「勝つために手段を選ばず、ただただ己の勝利にこだわって心を荒ませているのはおまえではないか。おまえは宇宙の根源などと自負しているが、その実、ただ、己の迷妄に依拠し、己の願望に縛り付けられたおろかな輩でしかない。たとえ勝敗がどうなろうと、真理は我にある。」

 そう言うとムチャリンダはクリシュナに対してブルーポールを構えた。クリシュナは何の武器も持たなかったが、もはやムチャリンダに勝ち目はなかった。

 ムチャリンダはブルーポールを持ってクリシュナに突進した。だが、次の瞬間、クリシュナはムチャリンダを倒していた。

 そこにはブルーポールだけが残っていた。

 こうして最後の戦いが終わった。すべての戦いが終わったのだった。

「すべては定められた通りにことが生起した。」

 クリシュナは静かにそうつぶやき、ユビュに語りかけた。

「ヴァーサヴァが世界を創造した。だが、創造とは何かね。完全無比の世界を作ることが創造ではない。それではもはや創造は生じえない。創造とはつまるところ新たな世界を切り開く挑戦なのだ。だから、ナユタが七本目のブルーポールを折った行為、それこそがこの創造の原点、そして創造への挑戦の源だったのだ。創り上げた創造を自ら窮地に追い込むこと、それこそが神の真意なのだ。ナユタの創造への挑戦に応える形で、ムチャリンダが復活し、応戦した。挑戦と応戦の形をとった神々の遭遇戦、ここにおいて創造の火花が点火されたのだ。だが、その創造はここに終結する。私はそのたびに立ち現れ、創造の転換点への道を指し示すのだ。さあ、パキゼーのもとへ行くとしよう。終滅のときが迫っている。」

 

 森の夜が明けていった。

 遠く東の空がほのかに輝き、みずみずしい光の粒が、森の上に降り注ぐように広がっていった。

 ユビュが祭壇に戻したマーダナはただの黒い石に変わり、クリシュナが祭壇に置いたサーンチャバは錆びた金属の固まりとなっていた。

 三神はマーダナとサーンチャバを残し、ブルーポールをもって丘を下り、パキゼーのもとへと急いだ。入滅のときが迫っていたのだ。

 パキゼーのもとにはマーシュ師とウダヤ師も駆けつけていた。

 さらにはナタラーヤ聖仙とヴィカルナ聖仙も駆けつけた。驚く神々を制して、ふたりの聖仙は静かに自らの座を占めた。

 神々がそれぞれの座につくと、ヴィカルナ聖仙は携えていた袋の口を開いた。取り出したのはブルーポールだった。ブルーポールは静かに青い光を放った。それは、もともとウダヤ師のブルーポールであったが、ウダヤ師がヨシュタに与え、そして、ヨシュタが倒されたときヴィカルナ聖仙のものとなったポールであった。そのブルーポールには、世界が健やかに美しく育つようにとのウダヤ師の願いが託されていた。しかし、この創造では、その願いは地上での過酷な運命に苛まれ、結局、ヴィカルナ聖仙が拾い上げることにしかならなかった。そのブルーポールをヴィカルナ聖仙は静かにパキゼーの前に差し出した。

 それを受けて、神々は次々にブルーポールを差し出した。

 ユビュのブルーポールには、世界が無垢の美しさを失うことのないようにとのユビュの願いがこめられていた。そして、そのポールは、ユビュの願いを具現するために、マーシュ師の館での戦いで青い輝きを放ち、パキゼーとの出会いのときにもその力を放った。しかし、世界は無垢の美しさを失い、混迷と虚妄の中をさまよい、真理は見失われてしまっていた。

 マーシュ師のブルーポールには、世界の中の命あるものが栄え、世界が美しい創造の場となるようにとのマーシュ師の願いが託されていた。しかし、命あるものは無数の混乱をただ引き起こし、限りない争いの種を蒔いただけだった。

 ウダヤ師が差し出したブルーポールは数奇な運命を経たポールだった。もともとはウトゥのポールだったが、それはルガルバンダ、ムチャリンダ、ルドラへと渡り、最後にウダヤ師のものとなったものだった。ウトゥは、世界が真実の愛に守られるようにとの願いをこのポールに託したが、世界は神と神との戦いに翻弄され続ける結果となった。

 クリシュナはムチャリンダがもっていたブルーポールとパキゼーのブルーポールを並べた。ムチャリンダが持っていたブルーポールは、もとはバルマン師のものだった。バルマン師は、世界に正しい秩序が維持されるようにとの願いをこめたが、この創造がもたらしたものは混乱と混迷でしかなかった。そして、パキゼーのブルーポールはもとはシュリーのポールであり、シュリーが、世界が真実の愛に守られるようにとの願いを託したものだった。しかし、そのポールはシュリーを倒したイムテーベのものとなり、世界の混乱を誘起し続けた。

 最後にナユタが七本目のブルーポールを差し出した。それは、本来ヴァーサヴァのブルーポールだったが、ナユタがその神通力で折った七本目のブルーポールだった。ヴァーサヴァはこのポールに、世界が真実のダルマに守られ、ダルマに従って正しく道を歩むよう力を託した。そして、ナユタは世界をダルマに従った道に導くべく努力を続けたが、結局、その努力が結実したとは言いがたかった。

 クリシュナは言った。

「ブルーポールには創造の秘めた力が託された。そして、そのポールは世界を守り続けた。だが、ブルーポールも入滅の時を迎えた。」

 それを聞くと、パキゼーは床の中でつぶやいた。

「諸々の事象はただ過ぎ去るものである。生まれ出たものは無常でしかない。この世の根幹にあるのはただ空である。」

 それが真理を求めて修行を続けてきた賢者の最後の言葉であった。

 こうして七神の神々に見守られて、パキゼーは入滅した。パキゼーの遺体は七日間安置された。七日目の朝、クリシュナは七本のブルーポールを並べた上に、パキゼーの体を横たえさせた。そばに控える七神の神々の後ろでは、修行僧たちのすすり泣きの声が聞こえた。

 すると、年老いた尊者アシタが立ち上がり、静かに語った。

「やめなさい、友よ。悲しんではならない。嘆いてはならない。尊師はこのように説かれたではないか。『すべての愛しきものどもと永遠に供にいつづけることはできない。好むと好まざるとにかかわらず、すべてのものとは、生別し、死別し、死後には境界を異にする。生じたもの、存在するもの、創造されたもので、壊滅することがないような、そのような道理は存在しない。』と。悲しみに心を軋ませるのは道を行こうとする者の為すべきことではない。」

 尊者アシタは衣を左の肩に掛けて合掌し、火葬の薪の堆積に三たび右肩を向けて廻り、足から覆いを取り去って、パキゼーの足に頭をつけて礼拝した。するとパキゼーの体の下のブルーポールから真っ青な炎が上がった。その炎は天にも届くほど高く伸びた。

 こうして、パキゼーは荼毘に付された。あとには何も残らず、遺体の痕跡もブルーポールの痕跡も何も残らなかった。

「すべてが帰滅した。これがこの創造の帰結すべきところだ。」

 そうクリシュナは言った。

 ユビュが問いかけた。

「これからどうなるのでしょう。私たちはどうすればよいのでしょう。」

「ついてきなさい。」

 そう言ってクリシュナは歩き始めた。神々が後に従った。

 クリシュナが導いたのは、湖のほとりだった。真っ青な水を湛えた美しい湖だった。青い光が湖面にきらきらと輝き、奥深い青い色が神々の心に染み通った。そばには青いケシが咲き乱れていた。

 クリシュナはユビュにささやいた。

「創造に関して、言葉が汝の口から出るだろう。」

 ユビュはひとり進み出た。湖に向かって言葉が発せられた。

「創造は空のうちに融解しなければならない。」

 それは世界の消滅の宣言であった。世界は消えてよい。創造とは空の創造なのだ。創造は真の意味で完結したのだ。誰もの心の中にそういった思いが深く染み込んだ。

 ユビュは静かに言った。

「ナユタ。魔法陣を使いましょう。」

 ナユタはうなずいて言った。

「ナタラーヤ聖仙から授けられた魔法陣は三回しか使えない。一度目は前回の創造が滅するときの業火から逃れるために使った。二度目はブルーポールを手に入れるために用いた。そして三回目はこの創造を帰滅させるために用いる。まさに、定められたとおりに生起するということだ。」

 そう言うと、ナユタは魔法陣を描き、その二つの極にユビュとナユタが座った。

 そして、ユビュが取り出したのはタンカーラだった。ナタラーヤ聖仙からさずかった神器で、世界を灰燼に帰すことのできる神器であった。

 ユビュはタンカーラを吹き始めた。それはあらゆる悲しみを離れた清々たるそして朗々とした響きだった。この世のものとも思えない高貴な響きが鳴り始め、そして、その響きに包まれながら、創造された世界が空の中に瓦解していった。

 

 こうしてすべてが終わり、タンカーラの音だけが朗々と響いた。タンカーラが響く中、ナユタは静かに一礼し、宇宙の涯てにある自らの住処を目指して飛び立った。マーシュ師とウダヤ師もそれぞれ迎えに来た車に乗り、天の住処を目指して去っていった。

 ユビュはタンカーラを吹き終わると、静かに尋ねた。

「創造は完結したのでしょうか?」

 ヴィカルナ聖仙が答えた。

「いや、創造はただ生起し、ただ帰滅しただけ。完成もしていなければ、未完のままでもない。」

「何が生起し、何が帰滅したのでしょうか?」

「空なるものが生起し、空なるものが帰滅しただけ。一切は空の中で生起し、空の中に帰っていった。生じなかったものは何もないし、終わらなかったものも何もない。」

「それはなにものも生起せず、なにものも帰滅しなかったということ?」

「そのとおり。だが、パキゼーというひとつの実在の反照が我々に語りかけること、その反照があるところ、発光がたしかにあったということを我々が信じるということだけだ。それは証明もできないし、それを信じない者に対してはいかにしても信じさせることはできない。」

 ナタラーヤ聖仙が言った。

「ユビュ、存在の意味、存在の意義、存在の価値は何かということに思いをいたすといい。我々が存在すること、私が存在するということ、それはいかなる意味、いかなる意義、いかなる価値をもつものであるのか。それは人であれ、神であれ、共通の本質的で根源的な課題なのだ。そしてその答えは、存在することにも、存在するものにも、いかなる意味も、いかなる意義も、いかなる価値もないということだ。存在すること、存在するものにあたかも意味や意義や価値があるかのように思わせるものがあるとすれば、それは迷いや執著がそうさせているに過ぎない。それがこの世界の大いなる、そして唯一の真理である。それゆえ、およそこの世界にあって、真に生起しているものはなにもない。すべてが空であり、すべてが幻影に過ぎぬ。私があるという思い、それこそが空である。パキゼーはそれを見抜いた。そして金剛の悟りへと至った。神々を含めすべての存在者はその教えの前に頭を垂れるであろう。」

 そう言うと、ヴィカルナ聖仙とナタラーヤ聖仙もそれぞれ去っていった。

 後に残ったクリシュナはユビュに語り掛けた。

「さあ、ユビュ。私たちも帰るとしよう。一つの時代、一つの仕事が終わったのだ。」

「この宇宙はどうしたらいいのでしょう?このまま立ち去っていいのでしょうか?」

「ああ、かまわんよ。一つの世界が終わった、それだけだ。ムチャリンダが去り、パキゼーの尊い教えが残ったが、それだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。ヴィカルナ聖仙が言った通り、創造はただ生起した。完成もしていなければ、未完のままでもない。一切は空の中で生起し、空の中に帰っていった。」

「クリシュナ、一切が空という中であなたはいかなる存在なのでしょうか?」

「私は宇宙にして一なるもの、宇宙の極、宇宙そのもの。そしてそれゆえにこそ、空である。私の存在は空以外のなにものでもありえない。」

「クリシュナ、そもそも、神とはいったいいかなる存在なのでしょう。」

「人は死を恐れる。それは生きること、存在すること、人生の中でのさまざまな行為を価値があると思うからだ。だが、その虚妄をパキゼーは砕いた。だが、それは神にとっても同じこと。神にとって永遠の生があったとしても、やはり同じ問いが問われるだけだ。すなわち存在すること、存在し続けること、そして存在することにおいてなすさまざまな行為にいかなる価値があるかということが問われるのだ。そして答えはただ一つ。存在することにいかなる価値もないという真理があるだけだ。すなわち、神が神として存在することに、いかなる根源的な意味もない。ただ、神としての業に突き動かされ、それを使命と称して思考し、行動しているに過ぎない。それが、パキゼーの見出した真理である。」

「ではこの世界はこれからどうなるのでしょう。どうすればよいのでしょう。」

「世界はただ生起するものが生起するだけの世界だ。だが、それは我々のあずかり知るところではない。パキゼーの教えだけが道標となろう。だが、パキゼーも言ったように教えは廃れるだろう。だが、それでよい。それがすべてなのだ。私が館まで送り届けよう。」

 そう言うと、クリシュナはユビュを馬車に乗せた。クリシュナは手綱をひき、馬車は天に駆け上がった。ユビュは急に悲しみに襲われ、言った。

「この創造とは何だったのでしょう。神の恣意によって創造を開始し、今また神の恣意によって創造を帰滅させただけでした。」

「ユビュ、それがすべてなのだ。生起すべきものが生起した、それだけなのだ。」

 ユビュは涙ぐんで言った。

「でも何のための努力だったのでしょう。何も得られたわけではなく、ただ、新たな悲しみが宇宙に沁みこんだだけでした。」

「ユビュ、泣くな。一切は空。それ以上でもそれ以下でもない。時の中に埋没している一切は真の光の届かない領域にある。わしも昔の洞窟に帰るとするよ。」

 驚いて横を見ると、馬車の手綱を握っているのは昔なつかしいバルマン師であった。

 

 

【カーテンコール】

 

 一切が帰滅し、一切が均質で静止した宇宙に戻った後、宇宙の舞台ではしーんとした静寂が支配した。

 そこへ舞台の下手から駆けて登場してきたのは、シャルマだった。宇宙の英雄にして、チベールとレゲシュの戦いの中で倒れたシャルマが登場すると、舞台に向かって拍手が起こり、それは万雷の拍手へと変わっていった。

 シャルマは舞台中央でさっそうと剣を振るい、それから舞台の左手の大きな机の上に置いてある酒杯を飲み干した。

 続いて登場したのは、プシュパギリ、ヴィクート、カーシャパなど、ナユタを支えた勇敢な戦士たちであった。

 プシュパギリは得意の弓を大きく振りながら登場し、ヴィクートは戦略を練るための地図を睨みながら登場した。彼らは舞台中央まで進み出ると謙虚な姿勢で深々と頭を下げ、続いて酒杯を傾けているシャルマと抱き合い、歓談を始めた。

 次に登場したのは、ウトゥであった。裏切り者のウトゥ。陰うつで猜疑心の強いウトゥ。しかし、彼はにこやかな表情で舞台の後方から現われると、前に進み出て深く頭を下げた。そしてウトゥは後ろを振り向いて大きく手招きした。

 その合図に合わせて登場したのは、神々の父ヴァーサヴァ、神々の母ランビニー、そして長女のシュリーだった。シェバ、サビア、ウジャスらも付き従っていた。ヴァーサヴァは長いあごひげをはやし、神々の父としての威厳を備えて堂々と登場し、ランビニーも慈愛に満ちた表情で進み出た。シュリーは美しいあでやかな衣装に身を包み、処女神アルテミスのごとき清楚さで、両親に守られるように四神は手をつなぎ、深々と頭を下げた。そして彼らは舞台右手のテーブルで酒を酌み、親子水入らずのときを楽しそうに過ごした。

 続いて舞台に進み出たのは、ライリー、ギランダ、バルカたちだった。彼らは舞台を駆け、そして、談笑する神々と次々に挨拶を交した。

 さらにヤンバーが登場した。流星錘をかかえ、勇壮ないでたちのヤンバーは大股に進み出るとまず一礼し、続いてシュリーのもとへ歩み寄り、両手を深く握り合った。並み居る者がみな歓声を上げる中、ふたりは改めて舞台中央に進み出て深々と頭を下げた。そして、ウトゥ、シャルマ、ヴィクート、プシュパギリ、カーシャパ、ライリー、ギランダ、バルカらと戦さ談義に花を咲かせ、杯を酌み交わした。

 舞台ににこやかで華やいだ気分が充満する中、三神の賢者が登場した。バルマン師は創造の炎を大事そうに抱え、ウダヤ師は大地と海の元を携えていた。三神の賢者はゆっくりと進み出ると、まずヴァーサヴァとランビニーの元に向かい、ふたりに祝福を与えた。バルマン師が創造の炎を、ウダヤ師が大地と海の元を差し出すと、ヴァーサヴァとランビニーはそれを受け取り、深い謝意を表した。

 さらに、バルマン師はヤンバーに歩み寄り、懐かしい友に再会したかのように抱き合った。同時に、ウトゥもバルマン師のもとに歩み寄って、ひざまずいた。バルマン師はウトゥを立たせると、これもまま我が子のように暖かく抱擁した。

 一方、ウダヤ師もウトゥに祝福を与え、さらにヴィクート、シャルマらも歓談に加わり、楽しげに酒を酌み交わした。

 また、マーシュ師はシュリーのもとに歩み寄るとシュリーを暖かく祝福した。誰もが、創造が開始された時、宇宙を突っ切ってマーシュ師のもとを訪ねたシュリーを思い出した。

 続いて登場したのはルガルバンダであった。ルガルバンダは、晴れやかないでたちでさっそうと登場すると、まず三賢神に握手を求めた。四神は手を携えて舞台の中央に並び、深々とお辞儀をした。万雷の拍手の中、ルガルバンダは、シュリー、ヤンバー、シャルマ、ウトゥらと次々に挨拶を交し、彼らの歓談に加わった。そして多数の女神たちが現われ、舞台の者たちに酒を勧めて回った。

 続いて現われたのは、チベールの王バドゥラと武将ネストル、そしてルドラとジウスドゥラだった。四人の姿を見て、進んで迎え出たのはシャルマであった。シャルマは四人ににこやかに話し掛け、四人に杯を差し出した。四人が杯を飲み干すと、ユリア、ウルヴァーシー、クマールも現われた。三人の女性の登場で舞台はあでやかさをいや増した。

 続いてヨシュタが登場した。レゲシュやチベールに関わる人々も登場した。ヨシュタはもはやぼろをまとってはおらず、王者にふさわしい服装であった。ヨシュタはまず、バドゥラとルドラに握手を求め、続いて、三賢神の前に進み出た。ウダヤ師はヨシュタを祝福し、マーシュ師は、それをそばから暖かく見守った。さらにヨシュタはシャルマとも再会を喜び合った。そしてヨシュタはウルヴァーシーの元に歩み寄り、彼女に結婚の申し入れをした。ウルヴァーシーはふたつ返事で承諾し、ここに二人の結婚式が始まった。仲人はルドラとユリアだった。結婚の儀には、ウルシャナピや妖艶な女神レヴァルハンも現われて、二人を祝福した。

 そしていよいよ次に登場したのはイムテーベであった。イムテーベは神器ヒュドラを右手に重厚な足取りで登場したが、まず三神の賢者の前にひざまずいて挨拶し、続いてシュリー、シャルマと握手を交し、さらには、ヴァーサヴァとランビニーのもとを訪れた。ヴァーサヴァはイムテーベに祝福を与え、シュリーとイムテーベは互いに相手をたたえながら舞台中央に進み、大きく深くお辞儀した。そのふたりのもとには、シャルマ、プシュパギリ、ルガルバンダ、ヤンバーらが集まり、みなにぎやかに談笑した。そして、イムテーベはその輪から独り離れると、バルマン師のもとに赴いた。バルマン師はイムテーベをやさしく祝福し、さらに、ウダヤ師とマーシュ師がイムテーベを囲んだ。イムテーベはバルマン師から兵法の書らしき厚い書物を渡されると、それにしばし目を落としていたが、やがて、その書に書いてあることを三神の賢者に解説しているようだった。三神の賢者はその説明をうなずきつつ耳を傾けた。

 舞台の歓談が最高潮に達する中、続いて登場したのはムチャリンダであった。ムチャリンダの後ろにはサヌートが付き従っていた。ムチャリンダが登場すると、彼のもとに歩み寄ったのはヨシュタであった。ムチャリンダはジャイバを携えてきたが、ムチャリンダはジャイバをヨシュタに捧げた。ヨシュタはジャイバをうやうやしく受け取ると、それを拝して、正面奥の祭壇に捧げた。ムチャリンダも祭壇に捧げられたジャイバを拝し、それから揃って三神の賢者のもとで歓談した。

 ヨシュタとムチャリンダが手招きして迎えたのはナユタだった。孤独なナユタ。しかし、今のナユタからは悲壮感は消え、和やかな表情で進み出ると、まずムチャリンダと握手を交わし、さらには、イムテーベ、ルガルバンダ、ウトゥと次々に握手を交わした。そのナユタが呼んだのはユビュであった。

 ユビュは、かつての少女時代そのままの清楚な服装で現われた。たおやかな乙女の面影そのままにユビュは現われ、まず父と母、ついで姉のシュリーと抱き合い、さらには兄のウトゥとしっかり握手を交わした。

 続いてヴィカルナ聖仙が現われた。ヴィカルナ聖仙は白い長いあごひげをたらし、白い服に身を包んで現われた。その右手には握られているのはサーンチャバであった。ヴィカルナ聖仙が現われると、ムチャリンダは進み出て、ひざまずいて頭を垂れた。ヴィカルナ聖仙はにこやかにムチャリンダを嘉し、そしてサーンチャバを授けた。ヴィカルナ聖仙が即すとムチャリンダはサーンチャバをもって立ち上がり、舞台の中央でひとしきりサーンチャバをもって踊った。それを見守るヴィカルナ聖仙の目は、楽しそうに孫を見守る老神のまなざしそのものであった。

 続いてヴィカルナ聖仙の前に進み出たのはナユタであった。ナユタは進み出るとマーヤデーバを差し出した。ヴィカルナ聖仙はそれを優しい眼差しで受け取ったが、再びそれをナユタに授けた。ナユタはそれを恭しく受け取ると、ムチャリンダ同様、それをもって舞台中央で踊った。

 続いて登場したのは、ナタラーヤ聖仙であった。ナタラーヤ聖仙は舞台の端からゆっくりと歩を進め、皆が見守る中、慈愛に満ちた笑顔を浮かべて舞台中央まで進み出ると、すべての者を従えて、深々と頭を下げた。

 そしていよいよ舞台後方から現われたのはパキゼーであった。パキゼーの後ろには七本のブルーポールを携えたクリシュナが続き、その両側を、二人の賢者、アーラーラ・カーラーマ賢者とウッダカ・ラーマプッタ賢者が歩いた。さらに、シュリナムやシュリア、サディーハなどの楽師たちが続いた。そのパキゼーの前に進み出たのはムチャリンダであった。ムチャリンダはパキゼーの前にひざまずき、頭を垂れた。ムチャリンダはパキゼーへの帰依を請い、パキゼーはそれを嘉した。

 続いてクリシュナがパキゼーの前に七本のブルーポールを並べた。パキゼーが右手をかざすと、ブルーポールは青い高貴な輝きを発し、そしてその光はすーっと消えていった。ブルーポールは輝きのないただの青い棒となり、クリシュナはそれを後ろの祭壇に捧げた。パキゼーが一同に合図を送ると皆がパキゼーを中心に舞台に並んだ。その中から進み出たのはヴィカルナ聖仙であった。

 ヴィカルナ聖仙は客席に向かって右手を軽く上げ、目を閉じた。そのしぐさで音楽が鳴り止み、拍手が鳴り止むと、ヴィカルナ聖仙は目を開け、手を下ろして語り始めた。

「この地上では日々太陽が東から昇り西に沈む。しかし、この宇宙は地球を中心に太陽がその周りを回っているのではない。地球が太陽の周りを回っている。しかし、この宇宙は太陽を中心に成り立っているのでもない。太陽はこの銀河系の端のほうにある恒星の一つに過ぎない。銀河系は何十億もの星からなっているがそれとて宇宙の中心ではない。宇宙は銀河系を含む二十の銀河群からなっており、さらに銀河群からなる超銀河群がいくつか集まって宇宙が構成されている。だが、それですべてかどうかすら分からない。この想像を絶する巨大さと途方もなさをもった宇宙は百三十四億年前のビッグバンによってもたらされたと言われている。この宇宙の内にあるものはすべてビッグバンの反響に過ぎぬ。だが、この巨大な宇宙において、いったいいかなる超絶者がビッグバンによってこの世界を開始させたのか、この時間を開始させたのか、神ですらそれを知る者は存在しない。この宇宙の創造者については、何一つ知れることはなく、想像すら難しい。そしてビッグバンによって引き起こされた宇宙の膨張によってすべてはものすごい速さで動いている。静止している場所はどこにもない。この巨大な宇宙の中では、神であれ人であれ、あまりにもちっぽけな存在であることを誰もが理解できるであろう。その中での行為、その中での思惟などまるでとるに足らぬ塵にもあたらぬ程度ではないか。それが存在の本質。すべてはちっぽけな存在者の引き起こす取るに足らぬちっぽけなさざめきに過ぎない。想像するがいい。自らが存在する前の宇宙の始まり以来の気の遠くなるような時間を存在せず、また、自らが滅した後、宇宙の終わりまで気の遠くなるような時間を存在しない。それがこの宇宙の中の存在者たちの本質なのだ。繰り返して言うが、この宇宙の中の存在者は、幾多の神々が生まれ、そして死に絶えてきたこの巨大な空間、巨大な時間の中のほんのちっぽけな空間的領域、時間的領域に存在しているに過ぎない。今日の創造を巡る幾多の出来事も、ちっぽけな存在者たちのちっぽけなざわめきに過ぎない。それがこの物語の語るところのものである。それ以上でもそれ以下でもない。」

 ヴィカルナ聖仙が語り終わると、ユビュが進み出た。ユビュが持っていたタンカーラを取り出すと、ナタラーヤ聖仙が静かに語った。

「存在に価値がないのと同様に、創造そのものにもなんの価値もない。創造はただ神の戯れでしかない。それゆえ、一切はうたかたの夢、一切は幻影。この世界にはいかなる確固たる真理もなく、いかなる聖地、いかなる聖なる時間もない。ただ、この世界の存在の本質に対して心を開くなら、この場所、この時間に光が射し込むであろう。宇宙ははるけさの中に浮かんでいる。」

 ナタラーヤ聖仙が語り終わると、ユビュはタンカーラを静かに吹き始めた。縹渺たる響きが舞台を包んだ。世界においていかなる堅固なものもなく、ただ、一切が淡々と時間の濁流に飲み込まれてゆく世界、しかし、それを朗々と見つめる達観した賢者のまなざし、タンカーラの響きはそんな世界に漂い続ける始めもなく終わりもない音楽であり、一切の空を翔るユビュの心さながらであった。そして、舞台の役者たちはひとり、またひとりと去っていった。

 あとにはユビュだけが残った。舞台の幕が下りる中、タンカーラの響きだけが朗々と鳴り響いていた。

 

 

2014年掲載 / 最新改訂版:2020813日)


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向殿充浩 / 神話『ブルーポールズ』第3巻