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神話『ブルーポールズ』

【第3巻】-                                                 

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 こうしてナユタは再び地上へと旅立ち、パキゼーのもとを目指した。

 しかし、パキゼーのもとへ着く前にナユタの前に現われたのはなんとイムテーベであった。

 イムテーベはナユタの道を遮ると、驚くナユタに語りかけた。

「ナユタ、待っていたよ。パキゼーのところへ行こうとしているのだろう。だが、大事なのはパキゼーではない。決着をつけねばならないのは、おれとおまえの間でではないか。そもそも、おまえがヴィンディヤの野での戦いで掟を犯してバドゥラを倒したことは、本来、永劫の罪を負わねばならない大罪だ。だが、そのことはもういい。それによって宇宙のダルマが涸れてしまったとしても、そんなことももういい。今日はただ、世界のあるべき姿について、おれとおまえの間で話をつけようではないか。」

 ナユタは最初は驚いたが、イムテーベのこの言葉にひるまず応じた。

「いいだろう。だがいったいおまえはいまさら何を主張するというのだ。」

「ナユタ。もう一度、原点に立ち帰って、よく見るがいい。この地上で創造された者たちはただ喘ぎの中で生きている。悲惨な現実に苛まれ、そしてまた、自らのおろかな欲望に翻弄されるだけの存在。それが招くものはこの地上の惨状、この地上の混乱だ。それがこの世界の現実であり、片時の平安を除けば、ただただ止むことなく繰り返される悲惨な現実があるだけだ。おまえはいったいこの惨状をどのように認識しているのだ。」

「イムテーベ、それはそもそもムチャリンダとおまえの妨害によるものではないか。おまえたちはただただ世界に混乱の芽を蒔き、人々の心に不安と喧騒と強欲を吹き込み、この創造に対してただ妨害を続けてきただけではないか。」

「ナユタ、おまえがそう言うのは分っている。たしかに、おれたちとおまえたちとの対立が地上の混乱を助長させた面があるのは認めよう。だがな、ナユタ。もし我らがおまえたちに協力すれば、地上には平和で真に創造的な世界が広がったと心の底から思えるか。おれにはとてもそうは思えぬ。もともと今回の創造された世界に組み込まれた法則の元では、存在者は相争うほかないようになっている。動物の世界を見てもいい。すべての動物にとって本質的なことは、他の生命を破壊することによってのみ自らの生命を維持するということだ。弱いものを強いものが食い、その強いものをもっと強いものが食う。人間の世界もまたそうだ。しかも一人の女が五人、十人と子供を産み、力あるものだけが生き残る。限りある食料、限りある資源を巡って果てしない争いが繰り広げられずにはいない構図となっている。そして、その世界に生き残る権利のある者は、その競争に勝ち抜ける者、そして競争に勝ち抜くための強靭な生命力、闘争心、貪欲さ、欲望をもった者たちだけだ。人に譲るより奪い、人と力を合わせるよりは人を出しぬく能力が求められる。それがこの世界ではないか。つまるところ、人間は食べることと異性への欲望に支配され、暴力と略奪の衝動に突き動かされる存在でしかないではないか。」

「たしかに、イムテーベ、事実としてはそうかもしれぬ。それがヴァーサヴァの創造の最大の弱点であることも確かだ。それはおれも認める。だが、イムテーベ。だから世界を打ち壊すというのはいかにも短絡的ではないか。神としての能力も何もなく、ただただ神の無力をさらけ出したにすぎぬではないか。なぜ、そのような創造、そのような世界を救おうとせぬ。救おうとせぬばかりか、世界の混乱を助長し、人間たちの苦しみをいや増すような行動に出るのはなぜだ?それが神としての正しい道なのか?それがおれの言いたいことだ。」

「ナユタ、おまえはこの世界がほんとうに救えると本心から思っているのか?もし、この世界がほんとうに救いうるならおまえの言うことにも一理ある。だがな、おれにもムチャリンダにもこの世界が救いうる世界とはとうてい思えぬ。ここに助かる見込みのない重病人がいたとしよう。おまえはその病人をまだ救えると信じて苦い薬を与えて延命させ、そのために病人はただただ塗炭の苦しみに喘ぎ続けているようなものだ。おれは救える可能性のないこの世界には安からな平安となる死を与えよと言っているのだ。それがこの世界への最大の贈り物、世界の真の意味での安らぎだからだ。なのに、おまえはそれに同意しない。だから、世界がどれほど喘ぎ苦しんでいるか、目を見開けと言いたいのだ。人間たちを更に苦しめ、混乱を引き起こし続けさせているのはおれたちではない。世界を終りにしないおまえたちだ。おまえたちさえ同意するなら、今日にも世界に安らかな死を与えようではないか。」

「イムテーベ、なぜ世界が救いがいがないと断言する。世界の可能性を直視することもなく、ただ、表面の現象のみを見てさっさと諦める。神としてあまりにも思慮に欠けた行為、あまりにも叡智に欠ける行為とは言えないか?人間はたしかに愚かだ。嫌になるほど愚かだ。だが、瞬時ではあっても究極の美を見たり、宇宙に潜む真音を聞いたりする。しばしば貪欲さにはばまれるとはいえ、人間たちには協力し、愛し、力を合わせて困難に立ち向かう能力もある。しばしば利己的行為に走り、他人の苦悩を歯牙にも掛けないこともしばしばではあるが、しかし、誰かのために自己を犠牲にし、自分より弱いものを護り、慈悲をかける心を持ち合わせてもいる。その美しさ、その高貴さは時として神々のそれをしのぐと思えるほどだ。なぜそのようなものに目をむけぬ。」

「たしかに、人間にいくばくかの見所があるかもしれぬという点には同意しよう。だが、それは結局、断片的で一瞬のことに過ぎないではないか。おれはチベールでさまざまな人間を見てきた。すぐれた人間もいたが、そんな人間でさえ妬みや強欲、恨みや諍いに苛まれていた。そのような汚辱の中に埋もれて人生を送っている現実をどれほど見せられてきたことか。おまえもレゲシュで同様の体験をしたはずではないか。ナユタ、それが人間の世界だよ。そしてまた、ヨシュタにしても、彼はたしかに偉大な人間だったが、その最後の瞬間はどうだったか。ウルバーシーへのばかげた愛着のためにムチャリンダを倒す千載一隅の好機を失った。まさに、大局を見ることができず、ただただその場その場の感情に踊らされている典型的な例だ。それが人間の現実だよ。ナユタ、おまえは賢い奴だ。人間に一片の輝きがあるとしても、それはまさに一片の輝きに過ぎず、真の意味での真理になど到達すべくもないということがなぜ分らぬ。おれはおまえを見所あるやつと思っている。決しておまえと相争いたいわけではない。おまえを倒したいわけでもない。ユビュにもマーシュ師にもウダヤ師にもなんの恨みもない。おまえたちがこの世界、この誤った創造から手を引けばすべては終わる。バルマン師の創造の火にただ静かに水をかけて消せば良い。ただそれだけのことだ。それですべてだ。そうすれば、二手に分れている神々はみな和合し、平和な宇宙で皆が楽しく生きてゆけるではないか。人間の世界は我々にとって呪われた存在となっている。こんなつまらぬ世界になどとかかわらず、さっさとけりをつけようではないか。我らには人間の世界はいらぬ。平安なわれわれの宇宙だけで良いではないか。」

「だが、人間にはまだ可能性がある。」

 そう、ナユタは反論したが、その声には力がなかった。

 たたみかけるようにイムテーベが言った。

「ナユタ、創造されたものたちが存在することについて、創造されたもの自身にとっての価値とはなんだ。実は何もないのではないか。そして、誰もそれを見出しえないのではないか。そもそもヴァーサヴァの創造は人間のためのものではなく、ただただ神のために神の恣意によって始めた創造に過ぎない。だから、創造は単なる神々の戯れ、それだけではないのか?だとしたら、創造されたものたちにとってはまったく迷惑な話だ。この世界の存在意義は何もない。それがすべてではないか。そして、人間たちが大地の上でもがき苦しむこんな創造を野放しにすること自身が、神としての正義にもとるのではないか。」

「だが、」

と言いかけて、ナユタはもはや言葉が続かなかった。

 たしかにイムテーベの言う通り、この世界の現実はナユタの心にも適わなかった。あまりにも適わなかった。その思いがナユタをして返答を鈍らせた。

 この地上では、上等な衣服を纏い尊敬を集めた者が、実際には険悪な邪心を持って人の隙を窺ってはいなかったか。そんな人間たちの織りなす醜い争いが渦巻いてはいなかったか。パキゼーのような賢者はいたが、それは実際にはただ社会の隅っこに追いやられただけではなかったか。

 ナユタの心を見抜いたかのようにイムテーベは言った。

「おまえはまだパキゼーに未練があるのだろう。人間には絶望しているが、ひょっとしてパキゼーが世界を救ってくれるかもしれぬとか、パキゼーが何かを見出してくれるかもしれないとかな。だが、おまえのような優れた神をもってしても救えない世界、ウダヤ師やマーシュ師やユビュが力を合わせても救えない世界をどうしてパキゼーが救うことができるというのか。目を覚ましたらどうだ、ナユタ。ともかく、おれはこれからパキゼーのところへ行くことにするよ。パキゼーが倒れればおまえも目が覚めるだろう。おまえも人間のような偏狭な視野を捨てて、もう一度広い視野で宇宙を見てみてはどうだ。パキゼーに掛ける望みが絶たれた時、おまえも目を覚まし、世界を打ち壊すことに同意してくれるものと信じているよ。仮におまえが同意しないとしても、おそらく神々の大多数は私に同意してくれるだろう。」

 そう言い残すと、イムテーベは去っていった。

 ナユタはひとり残され、イムテーベの後姿を見送るほかなかった。

 ナユタの心には苦い思いが残った。創造が生み出したものはたしかに喘ぎであり、悲惨さであり、混乱であり、醜い争いであった。そしてそれに対して自分に何ができたというのか。自分の無力さが心を重く締め付け、迷いと諦めが心を覆い尽くしていた。宇宙の軸が逆転するだろう、それを阻止する力はもはや自分にはない、そういう苦い思いが心を駆け巡っていた。

 ナユタがイムテーベとの論争に破れ、イムテーベがパキゼーのもとへ向かったという知らせは宇宙を震撼させた。

 パキゼーは倒され、地上には再び混乱と悲鳴が燃え広がり、神々を二分した天空での戦いはムチャリンダが勝利するだろう。ナユタの努力も、けなげなユビュの献身も徒労と化すだろう。創造は破壊され、宇宙はムチャリンダの支配する宇宙となるだろう。創造は止み、生長の息吹きはもはやよみがえることはないだろう。

 世界が崩壊する予感が宇宙を覆い尽くした。

 マーシュ師の館では、マーシュ師、ウダヤ師、ユビュが悲嘆に暮れた。宇宙には死の響きが鳴り響いた。神々は天を仰ぎ、この創造はもはやおしまいだ、と口々に叫び、ある者は洞窟に逃げ込み、ある者は天を呪った。

 

 次の日、イムテーベはパキゼーのもとにやってきた。イムテーベは白い衣に身を包み、行者としてパキゼーのもとに現われた。長い髪をまっすぐにたらし、首からは賢者のしるしである印章を吊るし、右手には神の杖を握り、そして重い声で言った。

「私はイムテーベと申す神である。汝の求める道について尋ねるためにここに来た。」

 パキゼーは柔和な表情で静かにうなずいて言った。

「人とであれ、神とであれ、私は論争は好まぬ。真理は論争によっては得られぬ。だが、もし汝に疑問があるというなら問いかけるがいい。」

 イムテーベは次のように言って口火を切った。

「汝は、欲望を押さえ、独り苦しい修行を行っているが、一方、世の人々は朗々と笑いながら生きている。彼らは喜びを知り、妻子と牛と黄金について喜び、豊かな実りと一族の繁栄について喜んでいる。汝の思想は異端であり、その異端の思想がいかなる価値、いかなる意義をこの地上で見出しうるというのであろうか?」

「イムテーベよ。目を見開いて世の人々を眺めるがいい。人々は執着し、憂いの中に生きている。毎年の実りに心を軋ませ、妻子と牛と黄金について心を惑わせ、執着したものたちの異臭の立ち込める中で生きている。実に人々は、家族や社会の異臭の中に暮し、その中に閉じ込められ、そして、人生の内にあるものに縛り付けられている。しかし、その執着しているものどもについて、その根源的な意味を問おうともしない限り、道は輝かぬ。一切の空を見抜き、執着するよりどころのない人は、世の束縛を断ち切り、憂うことのない次元に歩み進むであろう。私はただ、その道を見出そうとしているのみ。」

「人の喜びは、求めそしてそれを得ることだ。求めるもの、それは快楽であり、楽しみであり、達成感である。欲望をかなえたいと思う者は、それをかなえて心に深い満足を得るであろう。人は実に欲するものを得て心に喜びを覚えるのだ。汝の求めるもの、そして汝の喜びはなんであるか。」

 パキゼーは答えて言った。

「喜びに捉えられた人は流れを渡ることができない。欲望をかなえたいと貪欲の生じたその人は、欲望を満たすことができない時、矢に射られたように悩み苦しむであろう。足で蛇の頭を踏まないようにするのと同様に、諸々の欲望を回避する人には、正しい思いがあり、この世での執著を乗り越える。田畑、宅地、黄金、牛馬、婦女、地位、名誉、権力、その他さまざまな欲望を貪り求めると、無力なる者が彼に打ち勝ち、危難がかれを踏みにじる。それゆえ、あたかも破れた船に水が浸入するように苦しみの中で彼は溺れてしまうであろう。人は正しい念いを保って、諸々の欲望を回避するべきなのだ。それらの欲望を捨て去った者だけが、流れを渡り、彼岸に達することができる。賢者は欲望から離れる。諸々の欲望を回避する者だけが、正しい念いに至り、この世の執著を乗り越える。」

「いかにして喜びを捨てることができるのか。また、捨てることにいかなる意味があるのか。」

「愛欲の喜びに浸る者は、愛欲に従って苦しみが起こる。しかし、愛欲に囚われるべき本来的な意味がないことを悟った修行者は愛欲から離脱する。そして愛欲から離れることによって苦から離脱し、輪廻の業火から離脱するのだ。真理の源にある空一者の声に耳を傾ける者だけが、離脱への道を歩むのだ。私は、諸々の生存に対する妄質に囚われてこの世の人々が震えるのを見てきた。彼らは欲望を貪り、求め、溺れ、不正になずんでいるが、苦しみに襲われて悲嘆する。我が物であると執著して動揺している人を見るがいい。干からびた流れの水の少ないところにいる魚のようなものである。欲求に基づいて生存の快楽に囚われている人は解脱しがたい。だから賢者は種々の生存に対する妄執を離れ、我がものという想いを離れる。賢者は両極端に対する欲望を制し、接触を熟知して貪ることなく、想いを熟知して流れを渡る。所有したいという執著に汚されることなく、煩悩の矢を抜き、勤め励んで行い、この世をもかの世をも望まない。」

「だが、そのような思想がいかにして世を救うことができるのか。汝の説く真理は人の役にも立たないし、人の心を打ちもしない。」

「イムテーベよ。私はただの修行者にすぎぬ。世を救うために道を求めているのではない。ただ、真理を求めて道を歩いているに過ぎない。」

「だとしたら、汝の思想は世界を変えることもできず、汝の死とともに朽ち果てるのみ。そのようなもののために苦しい努力をする必要はないのではないか。」

「イムテーベよ。汝は、真理は厳然として在る、ということを理解しないのではないか。真理は何らかの目的のためにあるのではない。ただ在るのだ。それゆえ、人であれ、神であれ、無量の光を発する真理の前には頭を垂れざるを得ないであろう。」

 イムテーベはパキゼーを論破することはできなかった。

 イムテーベは氷のように冷たい口調でただ次のように言った。

「また、やってくるとしよう。だが、次に会うときが、汝の教えが破れるときとなろう。」

 パキゼーはそれには答えず、ただ次のように言った。

「怒りにまかせた言葉は恐ろしい形相を想起させるが、実に何の力もない。私は、ただ道を行くだけである。」

 こうしてイムテーベは引き下がり、パキゼーはいよいよ解脱に向かう最後の道を進んでいったのだった。

 

 パキゼーはガヤルーシャ山で孤独に過ごしていたが、そうしたある日、托鉢のために近くの街、ウルヴェーラーに向かった。ウルヴェーラーには巨石を用いた大きな寺院があり、その門の左右には、神と悪魔の像が立っていた。

 その前を通り過ぎる時、パキゼーはふとつぶやいた。

「道はまだ完全には見えず、光はまだ完全には輝いていない。」

 すると門のそばに座り込んでいた一人の老人が下を向いたまま言った。

「道はただあり、光はただある。だが、それを見ぬ者には何も見えぬ。」

 驚いてパキゼーが目を向けると、老人は淡々と続けた。

「そこに立つ木の意味が分かるか。木は鳥にとっての住処であり、人間にとって家を作る為の貴重な素材じゃ。同じように小川はどうじゃ。小川は魚たちの住処であり、子供たちの遊び場であり、人間たちにとっては田畑に水をやるための貴重な水源じゃ。そして、花は、石は、山は、そしてこの空はどうじゃ。だが、もう一度、それぞれの本質に心を注ぎ、その本質に心を傾けてみるといい。すると分かるはずじゃ。」

 老人はパキゼーの目をじっと目つめた。パキゼーが言葉を発せずにいると、老人は笑って答えた。

「木は木じゃよ。小川は小川じゃし、花は花じゃ。石は石、山は山、そして空は空じゃ。この世界に存在する木という不可思議な存在はただ存在するだけじゃ。その意味を目的に求めてはならん。真の意味は物事の本質に秘められておるからじゃ。そしてその本質を見ることのできる者には、すべての存在が不可思議で驚異に映るじゃろう。静かに目を閉じ、物事の本質に心の焦点を当てるのじゃ。」

「分かるような気がします。」

「人も神もみな自らの欲するところ、そして定めに従って歩いている。しかし、人間の崇高な目標、高邁な喜び、真摯な努力にしてみたところで、そして、神々の高貴な道だとて、すべてはまるで児戯にも等しいほど取るに足らぬものに過ぎぬ。子供が喜ぶ対象は実に他愛ない。彼にとってはそれはたいへんに大切なもの、重要なものだが、それは大人にとってまるでとるに足らぬものに過ぎぬ。同じことは、大人の行為、大人の欲望、そして神々の行為、神々の欲望についても言える。より高い地点から眺めれば、同じく児戯に等しい試み、児戯に等しい喜び、児戯に等しい価値しか持たぬ。そのことを理解することじゃ。一切は空。そして、すべてはただ在るだけなのじゃ。」

 そう言うと老人はパキゼーを静かな木の下に座らせて言った。

「この世界には超えねばならないものがある。汝も何かを超えようとしている。だが、何を超えるのか?知られた何ものかを超えるのではない。知られざる何ものかを超え出るのだ。しばらく瞑想するがいい。」

 しばらくしてパキゼーはぽつりと言った。

「夢を見ました。」

「どんな夢かね。」

「分かりません。ただ、不思議な夢で、宇宙の源泉がこの木をめがけて降り注ぐのです。真っ黒な空間に、赤や黄色の色彩の飛沫、緩やかな、あるいは急峻な曲線が縺れ合っていました。そして、光の帯が絡み合い、純粋で透明な音の列、きらめくような水の音、石の音、木琴の音が滔々と流れてゆきました。モノが緩やかに動き、トキが幾つかの点で凝固し、発光の向こうから流れて来る世界の奥義を語る声、そしてダルマの由来を語る声を耳にすることができました。無数の相が弾け飛び、宇宙の風が喪の空間を吹き抜けていました。」

 この言葉を聞くと、老人は大きくうなずいて言った。

「そうじゃ。それが宇宙に存するものの本質じゃ。鳥も花も小川も空もみなそうじゃ。あらゆる存在の圧倒的な驚異に心を開くのだ。この広大な宇宙の森羅万象のめくるめくばかりの壮大な状景に目を見開くのだ。すべてが宇宙の根元と結びついておる。そして人間もそうじゃ。人は決して目的の為に存在するのではない。人は、おまえは、ただ、在るのじゃ。ただ在り、そして滅してゆく。そのことを悟らねばならん。一切から離れなさい。悟りをひらくことからもじゃ。汝はまだ悟りに執著し、悟りをひらこうとする自我に執著しておる。だから光が完全ではなく、道が完全ではないのだ。悟りへの執著を離れ、悟りを求める自我から離れよ。自己の存在を消し去り、宇宙的視点で沈思するのだ。さすれば、すべてが見える。」

 そう言うと、老人は立ち上がり、静かに歩み去ろうとした。

 パキゼーは驚愕して見送ったが、後ろから呼びかけた。

「尊者よ、お名前を。」

 老人は振り返ることなく答えた。

「ヴィカルナと申す。」

 それは、かのヴィカルナ聖仙にほかならなかった。

 

  その日から、パキゼーは解脱への最後の道を究めるため、菩提樹のもとで瞑想に入った。天の乙女たちは賛美の花びらを振りまき、野では獣たちがやさしいまなざしでパキゼーを取り巻いた。そしてついに、パキゼーは悟りを完成させた。

 悟りが啓けたとき、突如として余すところなく世界の脈絡がパキゼーの心にまざまざと浮かんだ。存在するものは何か?なぜ存在するのか?生きとし生けるものは、限りなき輪廻によってたえず新たな再生を繰り返す霊魂の迷路のうちにあって、盲目的な生の渇望にいかにまとわりつかれているか?苦とは何であり、どこから来て、いかにしてこれをなみすることができるのか?

 その覚智は空であった。一切は空であり、目指すところは苦からの解脱であった。正しい言葉と正しい行為は、やがて瞑想の各段階への沈潜となり、さらにこれをもととして苦の真理の認識に至る。歩み行く道は覚智によってはっきり捉えられる。存在と非存在を繋ぐ連環の環は閉じられ、完成が告げられる。その覚智は、限りない生成消滅を超えて永遠へ、世界の内なる生存から涅槃へと歩み入ることにほかならなかった。

 

 パキゼーが聖なる法に達したとき、世界の車輪が回転した。

 光明は宇宙の隅々にまで行き渡り、十方世界のさまざまな領域までパキゼーの高貴な輝きが行き届いた。

 この光は、イムテーベの館にも届いた。そしてイムテーベは夢を見た。

 それは苦い夢だった。夢の中に立ち現れた何者かが、イムテーベに静かに歩み寄った。その者は白い衣を着、右手にハンマーを持ち、笑顔のない無表情のまま、冷たい声で厳かに宣告した。

「汝は存在の根拠を失うだろう。」

 それは心の底まで震撼されられる声であった。

 そして、夢の続きはイムテーベを混乱させた。イムテーベの華麗な庭園の花はしぼみ、蓮池は涸れ、宴のための弦は切れ、王冠は地に落ち、頭は塵にまみれた。蔵に積み上げられた粉は黒く朽ち果て、注がれた酒は腐敗した。戦場では剣が抜けず、大地がイムテーベを哀悼した。

 イムテーベはそれまで味わったことのない恐怖で目を覚ました。恐ろしく苦い感情が心にべったりと沈殿していた。けれど、イムテーベは自分に言い聞かすように言った。

「たとえ破滅が待っているとしても、それが私に定められた道。行かねばならぬ。」

 イムテーベは軍勢を整えると、ムチャリンダを訪ねて挨拶した。

「ムチャリンダ。もはや私は帰って来ないかもしれない。だが、これが私の道、私が倒されるか、パキゼーが倒れるかだ。」

 この言葉にムチャリンダもすべてを悟った。

「そうか、そなたにはこれまで数え切れないほど助けてもらった。そなたを行かせたくはないが、これも神の定めなのだろう。行くがいい。幸運がそなたに微笑むことを祈る。」

 こうしてムチャリンダに別れを告げると、イムテーベは神器ヒュドラをかざし、ブルーポールを携えて進軍を始めた。イムテーベの軍勢はありとあらゆる恐ろしい武器を持ち、火や毒蛇を吐きながら押し寄せた。イムテーベの進む道は闇に包まれ、軍勢の鬨の声が地の涯てにまで響き渡った。

 

 一方、マーシュ師の館では、パキゼーの光明が館全体を照らし出し、心地よい春風が野を渡る時のようなすがすがしい気分と晴れやかな希望に満たされた。

 しかし、ナユタはなお心を痛めていた。

「イムテーベもムチャリンダも黙っていないだろう。きっとブルーポールをかざし、パキゼーを破滅させるべくやってくるだろう。その勢いはどんな大海をも干からびさせずにはおかない灼熱のように燃え上がり、その力はいかなる岩をも打ち砕かずにはおかないほど強いだろう。」

 ユビュ、マーシュ師、ウダヤ師も同様だった。ウダヤ師は言った。

「パキゼーの悟りが成就するなら、ムチャリンダは宇宙の中で居場所がなくなってしまう。それだけに、彼はすべての力を結集し、いかなる手段を用いてでもパキゼーの悟りを粉砕すべくやってこよう。」

 ユビュも心配して言った。

「どうすればよいのでしょう。宇宙がパキゼーの悟りに歓喜の声を上げている今日この日、この宇宙に最大の危機が迫っているとはなんという皮肉でしょう。しかし、手をこまねいていてはなりません。ナユタ、一緒に行きましょう。」

 ナユタがうなずいて言った。

「イムテーベとの論争に敗れた私に行く資格があるかどうかは分かりません。でも、ここに留まっているわけにはゆきません。イムテーベは巨大な軍勢を擁して進軍しています。我々も軍を仕立ててパキゼーのもとへ行きたいと思います。」

 マーシュ師が言った。

「わしも行こう。もはや、この館に籠もっておればよい時ではないのかもしれぬ。わしは何としても自分で行きたい。この館はウダヤ師に任せ、三神で参らぬか。」

 ウダヤ師は答えて言った。

「そうしてくだされ。それが一番良かろう。この館はわしが守っておる。プシュパギリ、カーシャパ、ヴィクートもおる。案ずることなく、行かれるがよい。最善の結果は最善の策から生まれる。きっと道が開けよう。」

 四神がそういう会話を交わしていた時、部屋の入り口にひとりの老神が立っていた。老神は、杖を突き、白いあごひげを生やし、破れた衣服を着ていたが、その目の輝きは一目で賢者と分るそれであった。身に着けている青い腕飾りと青い勾玉からなる首飾りが、その神が誰であるかを示していた。

 四神が老神に気付いた時、最初に声を発したのはナユタであった。

「ヴィカルナ様。」

 他の三神が驚きのまなざしを投げつつ、

「どうしてここへヴィカルナ聖仙が。」

とつぶやく中、ナユタはヴィカルナ聖仙の前に進み出て、ひざまずいて挨拶した。

「お久しぶりでございます。」

 老神は言った。

「おお、ナユタ、ひさしぶりじゃな。しばらく見ぬうちに、立派な神になったな。」

 そう言うヴィカルナ聖仙の前に、マーシュ師、ウダヤ師、ユビュも進み出て、挨拶した。ヴィカルナ聖仙は三神にも祝福を与え、語り掛けた。

「ユビュ、初めて会うが、汝のことは存じておる。今日、ここにやって来たのは、パキゼーが宇宙の車輪を回転させるという天地開闢以来のできごとを目の当たりにして、世界に吹き抜ける清新な風を受け止めるためにやって来たのだ。だが、やって来てみると、おまえたちが議論しておるので、聞かせてもらったよ。ナユタ、心配は分るが、おまえたちの心配はパキゼーの悟りからまるでかけ離れておるな。子供を溺愛し、何から何まで手出しをせずにはいられない加保護の母親のようだな。なぜ、パキゼーにすべてを託さぬ。」

 ナユタはうつむきかげんに答えた。

「たしかにそうかもしれません。しかし、一介の人間に過ぎぬパキゼーに対し、この宇宙の最大の破壊者であるムチャリンダがイムテーベと組んで押し寄せるとしたら、せっかく回転した車輪が粉砕されないとも限りません。それはこれまで長い間努力を積み重ねてきた多くの神々の努力、そして宇宙の新しい夜明けを待ち望んでいる神々の希望を打ち砕くことにもなりかねません。」

「ナユタ、おまえは、神の尺度でものを見ておるな。だからパキゼーは一介の人間で、ムチャリンダやイムテーベの前では無力でしかないと懸念している。だが、それはおまえの偏狭な視点によっておることを理解せねばなるまい。大事なのは、人間か神かということではない。大事なのは、そこにある真理そのもの、教えそのものではないのか。」

「たしかに、そうかもしれません。しかし、ムチャリンダとイムテーベはブルーポールをもっており、その前ではいかなパキゼーといえども丸腰では戦えないのでは?」

「ナユタ、目を覚ませ。もし、ブルーポールに倒されるなら、それがパキゼーの定め、そしてそれがパキゼーの限界ということだ。」

「しかし、それならば、どうすれば良いのでしょう。」

 そう問い掛けたナユタに、ヴィカルナ聖仙はきっぱりと言った。

「ここで、見守るのだ。そして、パキゼーがイムテーベとムチャリンダを退け、真の法輪を確立した時、おまえたちはひとりずつ、パキゼーに教えを請いに行くがよい。」

 この言葉に、四神ははっとした。ユビュが静かに頭を下げた。マーシュ師もウダヤ師も、そしてナユタも同様に頭を垂れた。

 無言の同意を確認すると、ヴィカルナ聖仙は向きを変え、次のように語りながら去っていった。

「宇宙に幾多の神があり、賢者も勇者もあるといえど、いまだ真の悟りに達した者はなく、みな心をかき乱して生きておる。なんともこっけいなことじゃ。はっはっはっはっはっ。」

 

 こうして、ナユタたちがマーシュ師の館に留まる中、イムテーベは巨大な軍勢を仕立てて攻め寄せてきた。あらゆるものを押し流し、一切を打ち壊さずにはおかない勢いであった。

 パキゼーの命運はもはや尽きたと多くの神が言った。パキゼーの高貴な悟りも所詮は陽炎のごときものでしかなかったと多くの神々が嘆いた。イムテーベの恐ろしい軍勢の前にいったい何ものが己を護ることができるというのだろう。

 だが、はたしてそうであったろうか。イムテーベの軍勢はパキゼーに迫ると、ありとあらゆる武器でパキゼーに襲い掛かった。まさに荒々しい激流さながら、豪雨の中の雷鳴のごとくであった。しかし、そこでイムテーベが見たものは、イムテーベ軍のいかなる攻撃にも傷つかず、火にも毒にも侵されず、ただひとり端坐するパキゼーの姿であった。巨大な軍勢も恐ろしい武器もまるで無力であった。イムテーベの軍勢が投げつけた武器は花環に変わり、猛火は光明の環飾りとなってパキゼーの上に浮かんだ。

 イムテーベは自分の無力さを悟り、言いようのない無念さに心をかきむしられた。だが、イムテーベは諦めたわけではなかった。イムテーベは言った。

「パキゼーがまやかしの法で世界を救う道なるものを唱え、世界の塗炭の苦しみを贖おうおうとしているが、所詮は世界をたぶらかす愚者の弁法に過ぎない。パキゼーが悟りへの道を捨て、世間の中に没したなら、もはや世界の現実を虚飾するものはなくなるだろう。世界は愚かで醜い者たちが喧噪を繰り広げる救いがたい世界でしかないことが、誰の目にも明らかになるだろう。創造の愚かさは白日の下に晒され、創造は退場を余儀なくされるだろう。パキゼーが無意味な法を説いて世界を幻惑されることがないよう、パキゼーに悟りの無意味さを諭し、世の者たちと同化させねばならぬ。」

 次の日、パキゼーのもとへイムテーベの麗しい娘たちがやってきた。娘たちはまばゆいばかりに光り輝き、右肩と胸元を露わにした薄絹の衣をまとい、目も眩むような嫣然とした姿でパキゼーに近付き、呼びかけた。

「パキゼー様、あなたは享楽もなさらないで托鉢に勤しみ、無意味な修行に身をまかせておられます。時は貴重なもの。そのような行いはただただ時の浪費となるだけ。まず、喜びに身を任せ、それから修行をなさいませ。時がいたずらに過ぎ行かぬように。」

 パキゼーは答えて言った。

「私はあなたのいう時というものを知らない。それはただ幻影のごときもの。それゆえ、享楽に耽らず、托鉢に勤しむのだ。時がいたずらに過ぎ行かぬように。」

「パキゼー様、あなたはまことに黒々とした髪に恵まれ、すばらしい若さに溢れながら、青春のさまざまな愛欲の楽しみを避けておられる。現実から目をそらし、空虚な実りなきものを追い求めるために時を浪費してはなりません。あなたは多くの乙女たちの心をときめかせます。美しい時間を私たちと共に過ごしましょう。未来はあなたのものです。」

 そう言うと娘たちは、三日月のように長い眉の下の蠱惑的なまなざしをパキゼーの顔にじっと注ぎ、つと肢体を摺り寄せたかと思うとパキゼーの手を取ったり、肩に手をかけたりしてパキゼーを誘惑した。

 しかし、パキゼーはそれを軽くそして冷たく振り払って言った。

「私は現実から目をそらして、空虚な実りなきものを追い求めて時を浪費しているのではない。時間に属する世俗の空虚な問題を捨て、現実を追求しているのだ。愛欲に満ちた時間に属する事柄は、実に苦しみが多く、困難が多く、災いに満ち満ち、真理へは行き着きかない。私の道こそが、現実のものであり、真理へ行き着く道なのだ。」

「でも、世の人々は現実を見、現実を生き、この世界の中での美しいもの、素晴らしいものに心ときめかせて生きています。それに対して、あなたは、そのような現実から目を背け、空虚な思想にこだわっているに過ぎません。あなたが固執しているものは、世界に対しても人々に対しても何の意味も持たない霞のようなものでしかありません。」

 だが、パキゼーは動じなかった。

「世の人々は、実に目の前の事象にこだわり、それ故に、この世界の真の姿、すなわち現実から目をそらしているのだ。世の人々が、これがこの世界だと思う姿は実に幻影に過ぎない。私はそのような幻影から離れ、この世界の真の姿を見つめているのだ。」

 そう語るとパキゼーは歩き去った。

 イムテーベの娘たちが誘惑に失敗すると、次の日はイムテーベ自身がやってきた。

 イムテーベはパキゼーの前に立ち現われ、こう切り出した。

「私は再びやってきた。次に会うときが汝の教えが破れるときとなろうと言ったが、まさに、今日、汝の教えは破れるであろう。」

 パキゼーは答えた。

「私の悟りえたものはこの世界の真理に基づき、揺らぎなく唯一のもの。汝とてそれを破ることはできない。私は論争は好まぬ。だが、イムテーベよ、汝が世界を破滅させるためにここに押し寄せてきていることは知っている。問いかけたいなら、問いかけるがいい。」

 これに対して、イムテーベは次のように切り出した。

「道はただ道として続いており、道の涯てには道しかないのを知っているか?」

 パキゼーは答えた。

「そのとおりだ。道の涯てには道しかない。道をただ歩んで行くのみでは、ただただ道は延々と続くのみ。得られるものは何もなく、ただただ、時の浪費が繰り返されるだけだ。」

「では、道を行くのは愚かなことではないか。」

「そのとおり。道を行くのみではむだな努力を続けるに等しい。私は、かつて、高名なアーラーラ賢者、そしてウッダカ賢者より教えを受けたが、この賢者たちが教え諭す道の先には道しかなく、実に、真の救いとなる真理はないことを悟らざるを得なかった。真理は、その道から離脱したところにしかない。道を求めず、道から離れ、世界の真の姿を凝視するところからしか真理は開けないことを私は悟った。」

「だが、その汝のその努力にしたところで、その先に何が待っているというのか?いかなる堅固な真理に行き着くというのか?汝もまた陽炎のごときものを追い求めるのみではないか。蜃気楼を追い求める愚者と同じではないか。」

「イムテーベよ。堅固な真理など世界のどこにもないということを知らねばならぬ。どの方角もすべて動揺している。私は寄る辺となるところを捜し求めたが、苦悩に取り付かれていないところはどこにもなかった。また、私は、生きとし生けるものすべてが終極において違逆に会うのも見た。生きとし生けるものすべての心の中に煩悩の矢が潜んでいるのも見た。この矢に貫かれたものはあらゆる方角を駆け巡る。だが、この矢を引き抜いたならば、駆け巡るものもなく、沈むこともない。この世間においては、諸々の学問が学ばれるが、その学問における束縛の絆に耽溺してはならない。私はもろもろの欲望の流れを渡り、そしてその中から自己の平安を学んだ。誠実であり、傲慢でなく、偽りなく、悪口を言わず、怒ることなく、よこしまなおごりと物惜しみを超えることができる。虚言を避け、美しい形に愛着を起こさず、慢心を熟知した。古いものを喜ばず、新しいものに魅惑されない。滅び行くものを悲しまず、生まれ来るものに囚われない。それが、堅固な真理という虚妄を超えた悟りに由来する真の平安である。」

 イムテーベはさらに問いかけた。

「だがその悟りはどこに由来するのか?」

「物事の奥底に潜む空を見い出したことによっている。」

「何によって、悟りを得たと言えるのか?」

「歓喜の愛に基づく生存が尽き、表象や意識が尽き、一切の根源が空であるという知の上に永劫の静止があることを知ったからだ。」

 イムテーベはまた言った。

「人間界の外では、荒ぶる神々の世界が吹き荒れている。汝の悟りもその前では風前の灯火のようなもの。」

 パキゼーが答える。

「私の悟りの本質は空である。それが私の悟りである。神々とてこの真理から逃れることはできない。真理をもたぬいかなる神々もこの真理を打ち砕くことはできない。一切から超越し、あらゆる執着を捨てた賢者の叡智はいかなる神の力によっても揺らぐことはない。」

「神と争う汝は異逆の存在。そのようなものがこの宇宙で受け入れられるはずがない。」

「私が神と争うのではない。神が私と争うのだ。そして私は世間とも争わない。世間が私と争うのだ。一切は空であることを知らねばならない。この世界の内で語られるすべてのことは、世界の内でのために、世界の内でのことを基準に語られている。しかし、物事の真実の姿は世界の内の目で見ているかぎり、捉えることができない。真の姿は、世界の外からのまなざしによってのみ明らかになる。世界の外から見れば、一切は空という以外に、いかなる真実もない。」

 パキゼーを論破できないイムテーベは心の奥底のいら立ちを押し殺して、別のことを言った。

「人といい、神といい、みな定めを持っている。みななすべきものを持っている。その定めに従い、道を歩むこと、それが成すべき事と思うが、汝はどう考えるか?」

 パキゼーが答える。

「定めに囚われること、それほど愚かなことがあろうか。」

「定めによって道を歩くと、幾多の苦難に出会う。なすべきものを達成しようとすれば、数限りない障害にぶつかる。だが、その苦難を乗り越えることで喜びが生まれる。苦難に打ち勝とうする崇高な意志がないところ、いかなる喜びも得られない。」

 パキゼーが答える。

「定めのあるところ、定めに囚われた執著がある。苦難を超える努力の中には、常に迷妄と苦悩が存在する。なぜ、それらを離れないのか。」

「苦しみに打ち勝つ強さ、苦しみに打ち勝とうとする崇高な意志を持たぬ者が、苦しみを避け、醜くも悟りなどと称して逃避の道を選ぶ。」

「苦しみに打ち勝とうとする者には安らぎがない。何かを成就しようと戦うことから生まれるものは虚妄の喜び以外のなにものでもない。それは一瞬の輝きしか示さず、すぐ暗闇に飲み込まれてしまう花火のようなものだ。」

「しかし、人の命は短い。そして人は必ず死ぬ。その限られた生の中で、ただ、静謐に安閑としていたとて、何の意義があるだろうか。その限られた人生の中で、可能性を精一杯試すこと、それが人生の意味であり、喜びの源泉ではないのか。」

「人はなにものかを成し遂げたとき、あたかもそれを自ら得たもののように思う。そして喜びを感じる。だが、その得たものは執著を惹き起こし、憂いを引き起こすだけだ。なぜなら、その得たものは流転の内にあるに過ぎないからだ。この世のものはただただ変滅するのみ。人生を自分のものと思い違えている者はその束縛から離れられない。それゆえ、なにものかを求める想念を捨て、執著から離れること、それが喜びの源泉である。この世のものに我がものとして執著し、貪り求める人は、憂いと悲しみと物惜しみを捨てることができない。それゆえ、賢者は所有を捨てるのだ。賢者は一切のものに滞ることなく、愛することなく、憎むことをなさない。悲しみも物惜しみも彼を汚すことがない。」

「だが、結局のところ、汝の教えは人々の喜びを凋ませ、世の倣いを打ち壊すものでしかない。世が壊れてしまうではないか。世間を破壊する教えを汝は授けているに過ぎない。」

 だが、この言葉にもパキゼーは淡々と反駁した。

「私の教えで世が壊れることはない。世間には世間の道があるからだ。そして、私は世間とは争わない。故に、私の尊い教えが世を覆うことはないからだ。ただ、暮れゆくこの世界において、私の教えは一筋の光明となるだろう。」

 言葉に窮したイムテーベは言った。

「光明を与えるなら、別な道があるはず。困難な道を切り開く偉大な人がいる。だが、汝はただ、座しているだけ。けれど、汝は太陽のように輝き、偉人の相をそなえ、生まれの良い人が備える相好をすべて備えている。汝は転輪王となり、車兵の主となり、四方を征服し、この地上の支配者となるべきだ。あらゆる将軍、あらゆる豪族、あらゆる王が汝に忠誠を誓うだろう。王の中の王として、人類の帝王として統治すべきだ。」

 パキゼーは、しかし、かすかに微笑んで答えた。

「イムテーベよ、私は王ではあるが、無上の真理の王である。真理によって車輪を回すのだ。反転しえない車輪を。」

 パキゼーを論破することができないイムテーベは、ついにブルーポールを取り出して言った。

「私は汝の道には真実を見出さない。このブルーポールは世界の根幹にかかわっており、無限の力を有している。ブルーポールの前では、おまえの悟りなど、暴風に舞う木の葉のごとく砕け散るだろう。」

 この瞬間、宇宙は凍り付いたように息を潜め、巨大な戦慄が走った。

 マーシュ師の館では、ナユタやユビュが心臓を締め付けられるような苦しみを覚え、宇宙の神々の心には一切の燈明が消えたかような痛みがひたひたと押し寄せた。

 マーシュ師とウダヤ師も不安げに地上を見やった。

 イムテーベの手に握られたブルーポールは渾身の力を振り絞るように煌々たる青い光を放った。その光は全宇宙を威圧した。

 世界がイムテーベの勝利を確信したかのように見えた。

 イムテーベはブルーポールをかざして言った。

「汝は偉大な相をそなえている。汝には世界の王となれる相がある。私にはこのブルーポールがある。私とともに世界を支配しようではないか。だが、もし、汝が同意しないなら、このブルーポールはいともたやすく汝を倒すであろう。」

 だが、パキゼーは動じず、次のように答えただけだった。

「汝は人を惑わす虚言を語る神にすぎない。汝はこの世界に価値を見出さず、この創造を否定し、世界を破滅に陥れることを目指している。しかるに、汝はこの世界において価値と言われているものから離脱するための私の法を学ばず、その法を放棄させるために、ただただ、この世界の中のことども、すなわち汝が価値を見出さないこの世界のことどもに執着することを強いている。イムテーベよ、汝は世界に混乱をもたらすために奔走し、ひたすらに策を労してきた。今もまた、己の目的のためだけに、虚弁を弄しその場限りの言葉を操っている。」

「だが、汝の教えはなんら世界を救わない。世界は何も変わらず、汝の教えはこの汚濁に満ちた世界の中の小さな塵のようなものでしかない。」

「教えの放つ光はこの世界の基準で測ることはできない。真なるものを見ようとしない汝のまなざしはこの教えに届かないであろう。」

 この言葉にイムテーベは顔を強張らせた。イムテーベは言葉を振り絞るように言った。

「私にはブルーポールがある。このポールの前に汝は存在の根拠を失うだろう。」

 しかし、パキゼーは淡々と言葉を続けた。

「たとえ、世界が無数のイムテーベに満ち満ち、そのひとりひとりがブルーポールを武器としたところで、私の髪の毛一本自由にはならないだろう。虚妄の世界に依拠するそのポールはなんの役にも立たない。汝の力もそしてブルーポールも水中の月影のように妄想に過ぎぬ。それを振りかざした時、汝は存在の根拠を失い、空の中に瓦解するであろう。」

 その言葉にイムテーベは答え得なかった。

 しかし、イムテーベにとってほかにどんな道があったというのか。イムテーベに残された唯一の道はブルーポールを振りかざすことだけではなかったか。

 イムテーベはゆっくりブルーポールを振り下ろすべく高々とかざした。

 だが、次の瞬間、イムテーベは嘆息を漏らした。

 ブルーポールは輝きを失い、死んだように色褪せ、冷たい紺色のただの棒に戻っていた。

 イムテーベは落胆し、腕を下ろし、ブルーポールを手から離した。そして、ブルーポールがイムテーベの手から滑り落ちて大地に触れた瞬間、イムテーベは空の中に瓦解していた。あたかも霧の中に消え去るがごとくであった。

 それは、バルマン師が倒されたときにマーシュ師がイムテーベに掛けた呪い、

「イムテーベは、生まれ変わったバルマン師が導く者によって存在の根拠を奪われるだろう。」

という呪いが成就した瞬間でもあった。

 パキゼーは静かにブルーポールを拾い上げて語った。

「天より授かったこのポールが、これから私の道標となろう。」

 こうしてシュリーのものであったブルーポールはパキゼーのものとなったのであった。

 

 悟りをひらいたパキゼーは、ウルヴェーラーのネーランジャラー河のほとり、アジャパーラ榕樹のもとで、瞑想に耽った。

 しかし、パキゼーは法を説こうとはしなかった。彼はアジャパーラ榕樹のもとで、延々と瞑想に耽った。

 それを見て、ユビュはいたく心配した。そしてついに、ユビュはナタラーヤ聖仙に祈りを捧げた。

 ナタラーヤ聖仙はユビュの祈りを聞き、姿を現した。ナタラーヤ聖仙は言った。

「ユビュ、久しぶりだな。世界のことは知っておるよ。世界が新しい道へ踏み出そうとしている。だが、まだそれは生み出されていない。」

「その通りです。世界はパキゼーに光を求めています。しかし、パキゼーは教えを説こうとせず、独り端坐に留まっています。」

「分かっておる。わしがなすべきことも分かっておる。だから、こうしてやってきた。」

 そう言うと、ナタラーヤ聖仙はその足でパキゼーのもとへ向かった。

 ナタラーヤ聖仙は、パキゼーのもとを訪れると、聖者に対する最高の礼をもって、パキゼーを拝し、その傍らに座った。

 ナタラーヤ聖仙は、静かに語りかけた。

「尊き賢者よ。この世に巣食う邪妄の神々を打ち破り、傾きかけた宇宙の車輪を正しい道へと引き戻した聖者のことを聞き、こうしてやって参った。聖者よ。法をお説き下され。生きとし生けるものにとって無上のものであるその法を世界の内に住まう者たちにお説き下され。」

 しかし、パキゼーは落ち着いた声で語った。

「私の悟り得た法は深淵で理解しがたく、静寂であり、卓越して思考の領域を越えている。微妙であり、ただ、賢者のみそれを知ることができる。しかし、世の人々も神々も五つの感覚器官の対象を楽しみとし、それらを喜び、それらに心を高ぶらせている。それらを喜び、それらに心を高ぶらせている者たちにとって、実にこの道理、すなわち、これを条件として彼があるという縁起の道理は理解しがたい。また、すべての執著を捨てること、渇望を捨てさること、欲情を離れること、煩悩を滅すること、それらすべてが涅槃であるというこの道理も理解しがたい。私の悟ったものは、世の人々のあずかり知らぬこと、神々のあずかり知らぬことである。」

 ナタラーヤ聖仙は答えて言った。

「たしかに神々も含めこの世のほとんどの者たちは心を荒ませて生きている。しかし、世にはその目が塵に汚れていない人々や神々がいるのではないか。彼らは今は心が衰えているかもしれぬが、法が説かれれば、やがて法を理解するものとなろう。」

 だが、パキゼーは答えて言った。

「世間には世間の成り行きがある。私の法は、世の者には理解しがたい。なんとなれば、人々がしがみついている欲望、人々が縛られている世の日常から、この法は遥かにかけ離れているからだ。人々は虚妄によって世界を見、その眼じた世界を真の世界と思いなし、世界の真の姿を見ないからだ。この教えはその虚妄を排し、真の眼によって世界をありのままに見、その本質を射貫くことによって生じる。これは世の人々が思いなしている世界とは異なっているが、これだけが真の世界の姿なのだ。」

「では、あなたの教えはその真の姿を人々に指し示すのではないか?」

「たしかに、この教えは世界の内のものは虚妄に過ぎず、人々がしがみついているものが

実はたあいないもの、本質的に何の価値もないものであることを教えるだろう。それが真理であり、それが世界の真の姿であるからだ。そして、その真なるものを穢れのない眼、曇らされていない心で見ることによって悟りが開けるのだ。」

「まさに、その真理をこそを説いていただきたい。その教えによって人々は目覚め、真の眼を持つであろう。」

 ナタラーヤ聖仙は希望を込めて言ったが、パキゼーは厳しい表情を崩さなかった。

「だが、この教えは、何ものにも囚われず、何ものにも依拠せず、自らをどこにも定位せず、空の中に自らを置くことを教える。その教えは一切は空であるということである。それは迷いのない境地であり、静まりかえった心であり、何ものにも囚われることのない静けさである。だが、それは、世の者たちには理解しがたいであろう。真理は実に目の前にあるが、誰もそれを目を開いて見ようとしないからだ。皆、虚妄を持って心の内の映じた虚像を見、それに縛られ、それにしがみついて生きているに過ぎないからだ。だから、世は幾世代も周期的に生成消滅を繰り返すおそろしく不可避な流転のうちにある。盲目的に駆り立てられる者、無智なる者は、その中にあって輪廻の輪の中で、間断なく引き裂かれる。そのつど居合わせる生存において行うことが、カルマとして次の再生形態を規定する。世はまさにかくのごとくである。それゆえ、貪欲と憎悪とに打ち負かされた人々や神々にとってこの法を悟るのは容易ではない。常識の流れに逆らい、精妙で、深遠で、理解しがたい、微妙なこの法を、貪欲に汚され、幾重にも無知の闇に覆われているこの宇宙の存在者たちは見ることができない。」

 だが、ナタラーヤ聖仙は、続けてこう懇願した。

「かつて人々や神々を覆っていたのは、心浄らかならぬ者たちの思考した不浄の法であった。だが、あなたは扉を開き、心浄き人によって悟られた法を示すことができる。世の人々の心は迷妄の網に捕らわれているかもしれないが、あなたの法は、その網から抜け出すことを教えるだろう。賢者よ、あたかも山の頂の上に立って周囲の者たちを見渡すように、法よりなる楼閣の上に立って、悲しみに沈み、生と老いとにおしひしがれた人間たち、そして神々をご覧くだされ。広く見渡す目をもち、悲しみを越えたあなたは、法を理解する者がきっと現れることを理解されるであろう。これが私の唯一つ、そして最後の懇願である。」

 パキゼーは、このナタラーヤ聖仙の懇請に応え、衆生に対する哀れみの情から、目覚めた者の目を持って世界を観察した。

 世界は混乱し、青ざめていた。神々も人々も熱に浮かされて生き、煩悩にまみれ、喧燥のうちに生きていた。心はすさみ、恐れとおののきの中に生きていた。

 しかし、光がどこからか発していた。静かに、どこからか、世情にまみれぬ異邦人の中から、異端であることをあえて選ぶ求道者の中から、そして孤高の心をもった者たちの中から光が発せられていた。智恵の目が煩悩によって汚れていない者があることがパキゼーの心に投射された。

 パキゼーは言った。

「耳を持つ者は、この法を聞くであろう。そして、この法を聞いて、盲信を捨てよ。暗くなりゆく世において、私は滅することなき法鼓を打とう。」

 パキゼーがこう語ると、ナタラーヤ聖仙は、パキゼーに敬礼し、その回りを右回りに回って、その場から姿を消した。

 

 次の日から、パキゼーは説法を始めた。パキゼーは、比丘の群れに語った。

「賢者は二つの極端に近付いてはならない。一つは、さまざまな対象に向かって愛欲快楽を追い求めることだ。それは低劣で、卑しく、世俗のものの仕業であり、真の目的に適わない。もう一つは、自ら肉体的な疲労消耗を追い求めることだ。それは、一見立派な修行のように見えるが、優れたものになりたいという愚かな欲望に突き動かされているに過ぎず、ただ苦しく、やはり真の目的に適わない。私は、その両極端を避け、中道を行くべきであると教える。これは、目を開かせ、理解を生じさせ、心の静けさ、優れた智恵、正しい悟りのために役立つものである。」

 比丘の一人コーダンニャが問うた。

「その中道とはいかなる道ですか?」

「中道とは、八つの正しい道からなっている。すなわち、正しい見解、正しい思考、正しい言葉、正しい行為、正しい生活、正しい努力、正しい心、そして正しい瞑想である。」

 また、別の比丘サンジャヤが問うた。

「苦しみの根源はなんですか?それはどのように乗り越えることができるのですか?」

 パキゼーは語った。

「苦とはなんであるか。生まれることが苦であり、老いることが苦であり、病むことが苦である。悲しみ、嘆き、憂い、悩みが苦である。憎いものに会うのも苦であり、愛しいものと別れるのも苦である。欲求するものを得られないのも苦である。すなわち、人生のすべてのもの、執着を起こすもとであるすべてのもの、それらすべてがそのまま苦である。そして、その苦が生起する原因は、渇欲である。迷いの生涯を繰り返すもととなり、喜悦と欲情とを伴っていたるところの対象に愛着する渇欲である。それは、情欲的快楽を求める渇欲であり、固体の存続を願う渇欲であり、権勢や繁栄を求める渇欲であり、己の目標の実現を求める渇欲である。このような苦を滅する道は一つしかない。すなわち、苦の原因となっているあらゆる渇欲からすっかり離れること、渇欲の止滅である。それを捨てることは、すなわちそれからの解放である。一切の執着を離れること、そこからは、理解と洞察が生じ、叡智と直感が生じる。そして不動の解脱が生じるのだ。」

 天でこれを聞いたナタラーヤ聖仙は静かに言った。

「この上なき法の輪が回転させられた。もはや誰もそれを逆転させることはできない。神々のいかなる威光をも越えるこの声は宇宙の涯てにまで響き渡るだろう。十千世界が動き、震え、揺らいだ。計り知れぬ光明が世に現われたのだ。」

 

2014年掲載 / 最新改訂版:2020823日)


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向殿充浩 / 神話『ブルーポールズ』第3巻